奥様
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    『決定版 国民の歴史』
    決定版 国民の歴史〈上〉 (文春文庫)決定版 国民の歴史〈上〉 (文春文庫)
    (2009/10/09)
    西尾 幹二

    商品詳細を見る


     私たちは高い山を遠くに望みながら歩けば、角度により、近景のいかんにより、季節により、時刻により山が異なった印象を与えることを経験している。歴史はわれわれが歩くことによって異なって見える高い山の光景に似ている。
     
     日本史に起こった客観的な諸事実、その年代記的な諸事実は紛れもなく動かずに存在するものである。それが高い山であるとしたら、それが歴史なのではなく、歩くことで現在の私たちの目に新しい光景として映じている山の映像こそがまさに歴史である。
     
     本書には、葛飾北斎の富嶽三十六景の中から三枚の絵を掲示している。思い切った譬(たと)えを申し上げるなら、富士山は動かない存在、歴史上の客観的な事実である。しかしそれを知ることは誰にもできない。遠望できるだけである。北斎は現在の自分の置かれたポジションの条件を幾重にも組み替えることで、すなわち自分を相対化することで、富士の姿の絶対化を図ろうとした。それは数限りない冒険であり、知的実験であった。
     
     セザンヌも同様に何の変哲もない、ただの岩塊から成るサント・ヴィクトワール山を三十六枚も描いた。季節により、時刻により、山は絶え間なく変容して見えた。しかし山の形姿そのものが大きく動くわけではない。同一の山をくりかえし描くなどということは西洋美術の伝統になく、セザンヌは北斎からこの実験のヒントを得たに相違ないが、二人に共通するきわどい、執拗で大胆な試み、届き得ない不動の山に、自分をばらばらに解体させる視点の多様化で接近しようとした実験精神こそ、ほかでもない、歴史家が歴史に立ち向かう際のあるべき精神に相似した理想の比喩なのではないだろうか。
     
     歴史という定まった事実世界を把握することは誰にもできない。歴史に事実はない。事実に対する認識を認識することが歴史である。
     
     それは私たちが絶え間なく流動する現在の生をいったん遮断し、瞬間の決定を過去に投影する情熱の所産である。相対性の中での絶対の結晶化である。
     
     今私たちに必要なのは、日本文明を歴史の時間軸と世界の空間軸の上にのせ、全体を俯瞰し、多用な比較を介して新しく位置づけるための認識の決断である。

    『決定版 国民の歴史』上「まえがき 歴史とは何か」より  



    いやぁ~~~
    うまいことを言うなぁ~~~
    さすが、西尾先生だなぁと思う。

    イエスキリストの言葉には、喩え話がとても多い。
    身近なことに置き換えて、ちょっと難しいことを説明する。
    聖書を引き合いに出すのは、ちょっと畏れ多いのかもしれないが、
    この「歴史」を「山の光景」に喩える言葉の説得力には脱帽してしまう。

    さしずめ秦先生などは、いや、山(歴史)とは、
    山を形成する石ころの形状、草木の大きさ、谷川の流れの一つ一つを
    実寸で測ることが「山」そのものを考察する上で最も大切なことで、
    遠望だとか、立位置で、どんな色合いに見えるか・・・などではない・・・
    と言うのではないだろうか。

    中国韓国と日本が、
    山の光景はたった一つで統一されるはずで、
    その認識を共有できる・・・と思っている大臣が日本に居るのは嘆かわしい。
    その大臣が、天皇陛下のお言葉に関してもなんだかんだと言っているらしく、
    嘆かわしい以上にまことに腹立たしい。
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    【2009/10/23 20:57】 日録裏話 | TRACKBACK(0) | COMMENT(12)
    この記事に対するコメント

     ああ、助かった(何がぢゃ?)。~先日は寝ようと思ってたら突然に思いついちまったんで、そのまま一気に書いて坦々塾ブログに送信したら、所謂「空気が読めない」型の地雷を踏んじまった様な気が(汗)。
     折角の西尾先生ネタなんで、この場を借りて以下あちらの続きを。

    http://tantanjuku.seesaa.net/article/127704560.html#comment
     こちらは今、「康煕字典体とハングルの類似性」(仮題)って稿を書いてる最中でやんす(ここまで書いた↓)。この後は件の坦々塾ブログ「2009年10月21日 03:38」稿(リンク参照↑)を引用したりして、仕上がったら天バカ板に出す予定でしたが、さてどうするか…(只今再考中)。
    --------------------------------------------------------------------------------
     「真」と「眞」を比べると、どちらが正しいだろうか。旧字体の方が正しいと考える人は「眞」を支持するだろうし、それと教える義務に縛られている教員にとっては当然「真」の方だろう。立場次第で正しさの中身も基準も異なる。そして斯く云う苹は明確に「真」を支持し、「眞」の過半を実用から理念の側へと排除する。
     苹の立場は、伝統的な字形(真)を捨ててまで「新たに作られた字形」(眞)を支持する必要はない、というものである。そうした意味で「眞」とハングルは似ている。ただし厄介なのは根拠。ハングルと違って「眞」の場合は、篆書の字形を楷書化した点で遙かに歴史的正当性を有する。だから文字学者は自身どんなに嫌でも「眞」を支持せねばならぬだろうし、その代わり実用上の「真」をどうにかして容認するため、正字だの俗字だのと解釈し分ける事になる。先ずそれをやったのが支那の学者達だった。言い換えるなら~現実に書かれる文字を無視してまでも古代への理念を希求するため、彼らは康煕字典に収束する一連の流れを組み上げてきた。私に云わせれば「めんどくせー、やってられるか」となるが、それと似通った事を西尾先生も歴史的仮名遣い方面で感じていた模様。
    http://book.geocities.jp/nishio_nitiroku/kako43.html
     時は『江戸のダイナミズム』雑誌連載の終盤。「西尾幹二のインターネット日録」に、こんな記事が載った(↑)。その末尾に「なお、旧仮名が復活したら受験生がどうなるか、次回に面白い出題をみなさまに出してみたいと思います」と書いてある。当時その出題を見た記憶では、漢字熟語の正しい振り仮名の話があった筈。「やう」だの「えう」だの、今では纏めて「よう」と振るのを更に細分する類で、これが結構ややこしい。それを見た私は「書体や字体まで含めたらどうなるかナ」と思ったものだ。
     支那の純然たる支那性を文字に宿す振る舞いが康煕字典の完成だった、という気がしてならない。西洋のグーテンベルク的な実用を一方の極と見るならば、東洋の康煕字典的な理念もまた一方の極だったのではないかと。そして、より踏み込んで仮想するならば、康煕字典的なるものの完成以前に成立したハングルを朝鮮人が受容するには、その康煕字典的な在り方の受容に成功した外部=日本を経由する方が好都合だったのではないかと。日本は中国でも朝鮮でもない他者である。他者を他者として組み入れる事は、喩えは悪いが「宿主から寄生虫を輸入する」様なものだろう。だからと云って日本が宿主となる必要はない。支那の領土から別の宿主が分裂すれば話は別だったかも知れない。が、彼らはそれを許さなかった。
     国力そのものが文化障壁である事は、必ずしもそれが排他的である事を意味しない。排他性と免疫性を混同してはならない。
    (未完)
    --------------------------------------------------------------------------------
     一応これで完結でも構わないけど、なんか脱線したまま…って気もする(汗)。
    【2009/10/24 00:32】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    ☆==================
    歴史という定まった事実世界を把握することは誰にもできない。歴史に事実はない。事実に対する認識を認識することが歴史である。
    ==================☆

     これが分かっていない歴史家の何と多いことか。

     まあ、あまり解釈の度が過ぎると、トンデモ学説になってしまう恐れはありますが、少なくとも自由な発想の歴史解釈は認めてもらいたいものです。

     私は、歴史学の大学院に入学しましたが、指導教授の学説に従わないと学位がもらえないので、指導教授の専門とは違った分野の研究をしていたわけです。

     そうじゃないと、指導教授の学説におもねった論文しか書けませんからね。

     こんなだから、日本の学会は閉塞的で進歩がないのです(-o-)ヤレヤレ
    【2009/10/24 06:44】 URL | 緑の保守派の尊野ジョーイ #r8.gCnUU [ 編集]


    奥様の文章の中で引用されている、西尾先生が提示された歴史観は「国民の歴史」の中で様々な言葉で変換されていますね。私たちには無数の歴史がある、とか、歴史はある意味ですべて神話である、等々ですね。
     
     こういう歴史観について、「それはそれで素晴らしい考えだけれども、それは哲学の観方でしょう」と反論してくる人がいます。保守派的立場の人にもいる。歴史には一つの事実的対象しかない、という視点からなかなか抜け出せないということを示しているわけですけど、こうした反論の持ち主にたくさん出会ってきて、身に染みて感じることは、どの人も「科学」の意味をほとんど錯誤している、ということですね。

     「Aという原因があってBという事象が生じる」というのが「科学的だ」と思っている人がおおぜいいます。しかしそういうことが通じるのは、せいぜい初等的な数学と物理学くらいの世界だ、と思うべきでしょう。「Bという事象があってはじめてAという原因が確定するような知的行為が事後的構築物として完成する」というのが本当の「科学的」ということです。Aという原因の視点からBという事象をみることはできないし、そう思えてしまうところに巨大なフィクションがあります。リテスト・再現ということにおいては、「Aという原因があってBという事象が起きるとは必ずしもいえない」ということこそが「科学的」なんですね。 

     まして心理学や歴史学といったような世界では、この「科学的」の意味の間違いは深刻になります。たとえば「こういう問題児が生じて親の教育が心理学的に悪い」と「科学的」に語る本が出ると、いっせいに社会の風潮が変わることがある。しかし原因と結果の関係において、100パーセントの対応関係もないのに(そういう教育をして、かならずそういう教育結果が出るとは限らないのに)なぜいっせいに原因行為としての教育内容を変えることが平然とできるのかといえば、心理学や教育学の専門の「科学的」に対して、まったくの勘違いをしているからだ、と思います。つまるところ、「原因」から「結果」が安易に見えると思い込んでいるからそうなってしまうのではないでしょうか。

     歴史に関していえば、リテスト・再現ということはさらにまったく不可能なことで、西尾先生が富士山に喩えられる本当の歴史の姿というのは、その時代の人間の生き方にしかわからないのです。「科学的」の意味の成立はますますむずかしくなる。ところがその圧倒的なむずかしさの中で「科学」の単純偽装をうけると歴史はたちまちいかがわしくなるし、そういうことが「歴史」だ、と思っている風潮がひどく多いのが現状ですね。

     たとえば、秦さんや半藤一利さんは「あのときああすればああいう悲劇は防げた」という本をたくさん書いて売っていますけど、これは「Aという原因があってBという事象が生じた」という単純な偽科学的な図式を歴史の各段階で信じているから次々にできることであって、本当の歴史の意味からは無縁といえるほど縁遠いんですね。秦さんや半藤さんのそういう本の類は、パソコンの歴史シュミレーションゲームの「信長の野望」とか「三国志」とかと何も変わらない、と思います。パソコンのそういうゲームの中だって、子供たちはゲーム世界内に提示される歴史上の膨大なデータと、単純な原因と事象の公式に従って、歴史のリテストと再現を楽しみ、「ああすればよかった」を無数に演じているんですね。

      歴史的事実は仮説にすぎない、本当の歴史はわからない、これは哲学上にしかすぎない学問的論理ではありません。私たちが日常の事象をしっかり見つめれば、自然にわかることなのです。「自分」ということについても、「昨日の自分」と「今の自分」は違う。「昨日の自分」には、今の自分に「記憶されていない自分」がすでにたくさんある。けれどそういう「記憶されていない自分」が贋物あるいは他者である、なんていうことも断定できない。どこかで「自分」の意味を確定しないと「自分」がいないことになってしまうので、仮説としての「自分」を私たちは何とか了解的に使用する。歴史的事実ということも、そのこととだいたい同じですね。ところがほとんどの人は了解的な段階というのを忘れてしまって、さらにはその上に、偽「科学的」というものがのっかってきて、ますます「歴史の意味」がわからなくなってしまう。これが戦後の日本の歴史教育の病理の根底といえます。

     「国民の歴史」の素晴らしいのは、せいぜい戦後民主主義の時間帯でしか通用しないこの偽科学的図式、それは歴史学者でさえ安易にのっかっているのですが、それを鮮やかに破砕して、一般的な知の書として描いていることですね。読者は個別的に提出されている西尾先生の歴史解釈よりまず、この書のいたるところに埋め込まれている「歴史という知の枠組み」への懐疑と再構築をしっかり読まれてのち、この書の個別の事実論に至るべきだ、と思います。それこそが正しい歴史の読解だ、という「国民の歴史」のメッセージの受け取り方ではないかと思います。



     
    【2009/10/24 11:34】 URL | N.W(うさねこ) #- [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    旧漢字、仮名遣い・・・・・・・私にはよくわかりません。

    そのうち、「~は」を「~わ」と書くようになったりするのでしょうか。

    >緑の保守派の尊野ジョーイ さん
    本の学界は困り者ですね。

    >うさねこさん
    うさねこさんのように西尾先生の本を理解してくれる読者が、どれほどいるのでしょうね。

    子供のゲームに、大東亜戦争ゲームなんてあるのですか?


    【2009/10/24 15:11】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    > 奥様

     私が把握しているだけで、パソコン関係の大東亜戦争関連の歴史シュミレーションゲームは十種類ありますね。

     これがなかなかすごいデータ内容をもっていて、政治外交戦略(ソ連参戦の防止、戦争途中での講和交渉、その際の世論や軍部への説得)以外にも、生産も複雑にきわめて出来ていて、数千種類の航空機・軍艦・戦車・銃器などの技術開発、農業食糧生産なんかにも気をつかわないといけない。八幡や室蘭の製鉄所には、鉄鉱石や石炭を常に送らないとすぐ鉄生産はとまってしまうし、群馬と名古屋での航空機生産に必要なボーキサイトやアルミニウムは南方から輸送しないとすぐになくなってしまうから輸送船団を組まないといけないけど、潜水艦にやられてしまうことに注意しなければいけなかったり・・・・。

      私もけっこうやったことがあるからわかりますが、思考訓練にはなりますけど、「歴史」そのものからはどんどん遠ざかってしまうと思います。それは西尾先生のような歴史観がまったくなくて、単純な原因と結果の図式に、データを取り込んでいるだけで、それが歴史のリアリティだ、と思っているからで、こういう歴史ゲームが流行るのも、歴史教育の貧弱さが関係していると思いますね。

      こんなふうなゲームにはまってしまう友人としばらくぶりで会うと、ちょっとした「歴史専門家」になっていてびっくりします(笑)「ああすれば日本は戦争に勝てたんだ」とかなんとか、秦さんや半藤さんをちょっと小さくしたようなことをいう人になっている(笑)

     要するに秦さんたちに趣味本というのは、そういうゲームと大差ない、ということでしょうね。秦さんたちはすぐに陰謀史観のレッテルをはったりするけれど、自分たちのそういう仕事のくだらなさについてはいったいどう考えているんだろう、と思いますね。
     
    【2009/10/24 16:47】 URL | N.W(うさねこ) #- [ 編集]


    >うさねこさん
    へぇ~~~そうなんですか。

    パソコンのゲームを作る側も大変でしょうね。

    専門家はどんどん蛸壺にはまってしまって、全体を見通すことが出来なくなるのでしょう。

    【2009/10/25 14:56】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    苹さんへ

    西尾先生からの伝言です。
    もし坦々塾に一年に一度でも来ることが出来るようなら、是非来てください・・・とのことです。

    いろいろ、聞きたいことなどがあるそうですよ。

    コメント欄に非表示でも結構ですから、お知らせください。
    本来ならば、坦々塾への招待状は西尾先生から直接メールをさし上げるようになっているのですが、メルアドも不明、住所も不明なもので・・・・。
    【2009/10/27 22:01】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >西尾先生からの伝言
     ドキッ!…今や経済面の事情も含め、たぶん上京するのは難しいでしょう。ここ十五年で東京はさぞ変わったんだろうなあ。折角お誘い下さったんだから有難く、出来ればキルドンム様の真後ろに隠れて背後霊の様に…そんな白昼夢を見る事は間々あります。色々と不明な事ばかりで相済みません。

    >いろいろ、聞きたいことなどがあるそう
     これを念頭にゴチャゴチャ書いてたらクドくなったんで色々と書き直した…。その部分は酒の勢いで非表示抄録しまっす。一言で云うと「ネット上でどうにかならないかしら」って内容で、その言い訳が長く見苦しく浅ましい…(汗)。

    (以下余談)
     前稿で「次回に面白い出題」の件に言及。~気になって発掘してみたら、西尾先生の日録感想板「2004/04/13(Tue) 14:55 No.572」稿と混同してる可能性大なのが判明。そこでついでに勝手応援板も参照したら忽ち泥沼、あたしゃハングル妄想のビフォー・アフター比較に足かけ六年かかってるとは気付かなんだ(汗)。昔もゴチャゴチャ考えてたんだなあ。すっかり忘れてた(それが問題だw)。
     …で、その後「もしや?」と思って西尾先生の感想板No.504「友人の粕谷君のメイルを添付します」稿を参照。~日本が輸入した寄生虫的要素は、西洋アルファベットとハングルとの共振に誘引されたのではないかと。つまり仮名とアルファベットの差異がハングルに伝染し、半島への投影的逆輸出となったかの様な印象(その背後には西洋コンプレックスがある?)。そしてまた、それとは別の意味で、楷書から活字体へと浸蝕された漢字は国家的意義を象る規範となって、日本が保守してきた筈の識字文化を根こそぎ組み替えたかの様な。…もちろん苹の単なる妄想です(汗)。でも先生にしてみれば、あれから五年半も経って今更、感想だか妄想だか分からぬレベルのものを書かれてもねえ…。
     ともかく当方の場合、伝統喪失者としてのアイデンティティーを伝統と勘違いする所に日本人のアイデンティティーがある様な気がしてますから、この強さは並大抵の事じゃ覆らない筈。手塚マンガで形容するなら差し詰め「火の鳥」自身が日本人の自己投影って所かしら。
    【2009/10/29 22:23】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    また「禁止キーワード」か…。どれだ?
    ツンデレ
    【2009/10/29 23:10】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    まだ「禁止キーワード」か…。どれだ?
    出・会・い・系、会えますか
    【2009/10/29 23:14】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]

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    【2009/10/29 23:19】 | # [ 編集]

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    【2009/10/30 23:36】 | # [ 編集]


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