奥様
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    「諸君!これだけは言っておく」を読んで
    「諸君!」最終号の座談会を細切れに読んだ。(だって、長いんだもの)

    西尾先生から、私が多く喋りましたよ~と聞いていたので、
    ついでに統計をとってやろうと思って、
    家事の合間に発言回数、行数をカウントしてみた。

    宮崎哲弥さんは司会者だから発言回数は多いが・・・
    なるほどなるほど。。。

    一行が18文字で、一文字だけの一行も一行とカウントしたりしているので、
    本当の正確な文字数の比較ではないけれど、
    大体はつかめているはずだ。

    宮崎哲弥さん  発言回数 64回 536行
    遠藤浩一さん    同     22回 234行
    村田晃嗣さん   同     28回 283行
    八木秀次さん   同     26回 210行
    田久保忠衛さん  同     24回 296行
    櫻井よしこさん   同     31回 370行
    松本健一さん   同     33回 394行
    西尾幹二さん   同     75回 753行

    まさにダントツ!

    西尾先生が自分は「新しい歴史教科書をつくる会」とは縁を切るんだ・・・と言われて、
    もう大分経つけれど、
    初代会長である先生がこの運動を始めた事実は消えないし、
    みんなの意識の中には残り続けている。

    だから司会の宮崎さんからこう言われている。
    「1996年に、西尾さんたちは保守言説に対する追い風を受けて、「新しい歴史教科書をつくる会」を発足させた。私は当時、この会は戦後保守の最初で、そしておそらく最後の「大衆運動」になるだろうとみていました」

    これに対する西尾先生の総括の返事は「諸君!」を読んでください。

    歴史認識の問題ではこの後もやりとりが続く。
    保守運動の中で、この問題は絶対に避けて通れない。
    実はご存知の方も多いと思うが、
    この討論メンバーの中の半分は「つくる会」に何らかの形で関与したことがある人たちだ。

    宮崎さんは例の分裂を知ってか知らずか、
    八木さんにこう聞いている。
    宮崎:・・・・・・・・・あなたは「正しい歴史観」に基づく教育を目標とする運動の代表者じゃないですか
    八木:いや、そんなことは主張してませんよ。
    宮崎:「新しい歴史教科書」というのはそうでしょう。従来の歴史教育が「間違った、自虐的な歴史観」を子供たちに植え付けようとしているから、それを正そうという、そういう話じゃなかったの?

    すると返事は西尾先生

    西尾:いや、あくまで「新しい」であって「正しい」ではない。

    この座談会の中で、西尾VS八木の構図は全くない。それどころか、相槌をうったり、相手の論を補完したりしていて、まるであの憎憎しい?分裂騒動がなかったみたいだ。

    こういった大人の対応はとてもいいとは思うが、
    うやむやにして全てが終わるという問題でもないとも思う。


    さて、こうやって保守をある程度代表するメンバーが集って喋っても、
    西尾先生のリーダーぶりは健在だ。
    数字が完全に示している。
    本当はもっとカットされているらしい・・・・・!
    それなりに知識のある人たちの中で、
    こんな風に論を展開できるなんて、すごいなぁ~と思う。
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    【2009/05/13 16:58】 読書からの連想 | TRACKBACK(0) | COMMENT(10)
    この記事に対するコメント
    これくらいは読んでおきたいのですが
     ただ今、頭が痛くて調子が悪く、長文は読めない状態です↓

     「オトナの対応」というか、昔のわだかまりなどは、すぐに忘れてしまうのが西尾先生の長所かもしれませんね。

     西部さんなんかも、かなり辛辣な言葉を送っているのですが、一緒に討論会に同席していますからね(あるいは、知らないのかな)
    【2009/05/14 05:15】 URL | 尊野ジョーイ #r8.gCnUU [ 編集]


    >尊野ジョーイさん
    頭痛って、本当に嫌なものですね。
    お大事になさってください。

    確かに西部先生とは随分やりあっておられましたね。
    【2009/05/14 08:43】 URL | 奥様 #- [ 編集]



     「諸君!」の この大座談会を読んであらためて思ったのは、佐藤優さんや奥様がいつもおっしゃる西尾先生のリーダーぶりというのは、発想の豊かさ、目まぐるしさということだ、ということですね。
     
      私達は「深い考え」を言っているようで、実は「深い考えが記されているようにみえる他人の考え」しか言っていないときというのが多い。発想の有無というのは、このところにむずかしい境界線があると思います。カント倫理学で「自分語」と「世間語」という区分がありますけど、メディアや教科書的読書になれすぎると、その人自身の人柄が存在しない「世間語」しか喋れなくなってしまう、ということがいえると思います。

     この座談会の端々で、西尾先生の「自分語」と、他の座談会参加の論客の「世間語」が対峙する場面繰り返されえていって、そのことが西尾先生の「自分語」によってつくられる「発想」をますます豊かなものにしていくようにみえました。「自分語」は「発想」に結びつき、世間語は「(単なる)常識」に結びつきます。一言でいえば、西尾先生の言葉と、他の座談会参加者の言葉の間に、「発想」と「常識」のやりあいみたいなメカニズムが感じられる座談会ですね。

     たとえば遠藤浩一さんが座談会のはじめの方で、「保守はイデオロギーではない」ということ、意識的なものではなくて無意識的なものだ、というようなことを言われています。確かに盛んに言われる「保守」の内実に疑問を呈することは必要で、今ではその疑問を考えることが多数派になってさえいます。けれど「保守はイデオロギーだ」という教科書的事実が「他人語」ならば、「保守はイデオロギーでない」という「単なる疑問」も、それを提示するだけでは一つの「他人語」に過ぎないんですね。

     遠藤さんの言葉に西尾先生が切り返す形で、「伝統保守とは意識化されない何かであると同時に、意識化された何かでもある」、という西尾先生の自論を、日本の外来思想受容のプロセスを例にして述べられています。この見解に、遠藤さんはじめ、他の方からの目立った異論はありませんでした。異論がないんだったら、遠藤さんの「疑問」は何だったのだろう、と思いました。

      こういう場面を読むと、どうしても、遠藤さんの「保守とは何か」という疑問は、西尾先生の自立的思想に対して、世間的常識の言葉を言っているにすぎない、という感じになるんですね。世間語が頭の中で先行すると、歴史や同時代的事象がみえにくくなってしまうようです。

      あるいは、八木さんの「知識人は伝統的に日本人嫌いであり、それを野放しにしておくと、やがてそれを真に受ける勢力が拡大して、日本が国家としての核をなくしてしまう、それを防ぐのが消極的であれ、保守の役割であった」という意見がみえます。八木さんなりに、今度は遠藤さんと正反対のこと、つまり「保守はイデオロギーだ」「保守とは思想的意味のある存在だ」ということを言おうとしているのでしょう。

     しかしこのいかにも「保守の模範的答え」も、歴史や事象をまったく見逃しているといわざるをえない。私の考えでは、たとえば、西部邁さんの大衆批判や山本七平さんの「空気の研究」など、保守派の代表的業績とされている論考の少なからずはその根っこに、強烈な「日本人嫌い」の精神をもっています。八木さんの頭の中には、こうした人々のことは頭になかったのでしょうか。西部さんも山本さんも、それこそ「諸君!」で大活躍し、スターダムにのしあがった知識人の典型です。
     
     なぜ、西部さんや山本さんたちの日本人批判が「保守」に属するように考えれていたのかといえば、戦後左翼や大衆こそが彼らの批判する「日本人」の典型だ、という彼らの価値判断が微妙に評価されたからにすぎません。だから、左翼が衰退し大衆文化が伸び悩むと、西部さんは左翼的言説に再転向するという喜劇を演じ、死後、山本さんはビジネス文明受けする通俗的日本論者の扱いを受けてしまう。彼らが批判していた日本人から左翼も大衆もいなくなってしまったから、彼らは正真正銘の日本批判者になってしまうのです。こうして、「日本人嫌いの保守」が論壇ではむしろ主流だった、という奇妙な現象をみてとることも可能なんですね。
       
     西尾先生は八木さんの見解に対して、「知識人の没落は世界的現象であって、保守言説の全盛などということは一度もありえず、ただ単に、マルクス主義の猛威が鎮まっただけ」と一蹴されていますけど、この西尾先生の言葉を言い換えれば、西部さんや山本さんたちの存在というのは、マルクス主義を多少弱めることに寄与しただけ、ということができるでしょう。もちろん、マルクス主義を弱めることはそのまま保守思想につながるわけではありません。ある意味、社民主義的リベラルだって、マルクス主義とは対峙してそれを弱めてきたんですからね。つまるところは、八木さんもまた、「世間語」でもって、「保守」を語ろうとしているだけ、ということでしょう。

     この座談会では実に多岐にわたるテーマが論じられています。しかし、「保守とは何か」というテーマ一つとってみて、それについて正反対の立場をとる遠藤さん・八木さん、ともに西尾先生に一刀両断にされているという印象をもちました。「世間語」は決して「自分語」には太刀打ちできない、ということです。これは座談会後半での、アメリカ論や歴史論をめぐっての、西尾先生と他の論客とのやり取りについてもまったく同じでした。ただ、「他人語」の持ち主というのは、自分で考えていない分、やりあいには、ある意味とても強いんですね。機械的に思考して機械的に喋っているだけだからです。

     この座談会をもっとも象徴する場面と思ったのが、西尾先生が「アメリカには「闇の宗教」がある」と言ったときに、宮崎さんや田久保さんがいきなり嘲笑した場面でした。私は何で笑うんだろう、と訝しく思いました。アメリカという国がもつさまざまな精神的奇形への「驚き」を、西尾先生がそういうふうな言葉で表現しているのです。「思想家が驚く」ということは、全身全霊にいてもたってもいられなくなる叫びたくなる驚きがはしる、ということです。だから世界的な大思想家というのは時々、言葉の普通の使い方を捻じ曲げてしまうような表現にいたるときがあるものです。それくらい、新鮮な精神をもっているんですね。

     「驚き」がなくなったとき、言葉の力は衰えて、そして論壇も衰えていきます。西尾先生がいつまでもリーダーであるのは、この「驚き」を失わないからなんだなあ、というのが、この座談会を読んでの私の一番の結論ですね。裏を返せば、驚きを失う論客や読者が多くなってきたことが、衰退の原因でもある、ともいえると思います。

      長くなり失礼しました。



    【2009/05/14 21:08】 URL | N.W(うさねこ)  #- [ 編集]


    >うさねこさん
    このまま、日録のゲストエッセイにしたいような感想文でしたね。
    あの討論会の感想はとてもむずかしいです。

    うさねこさんの「自分語」と「世間語」の言い方はとても判りやすくて、なるほど、そういう風に人の論を捉えると、真贋のみわけができるな・・・と思いました。

    【2009/05/14 23:15】 URL | 奥様 #- [ 編集]

    横レスになりますが
     西尾先生の師だった、保守知識人の巨匠である福田恒在先生は、知識人の仕事は「新しい価値」を生み出すことであると語っていました。

     この「新しい価値」というのは、自分なりの言葉、つまりは「自分語」になるのではないでしょうか。

     それが今は、福田先生やその他の保守知識人の巨人が残した遺産を食いつぶしている、「他人語」を使っている知識人ばかりになっているということではないでしょうか。
    【2009/05/15 12:58】 URL | 尊野ジョーイ #r8.gCnUU [ 編集]


    >尊野ジョーイさん
    そうかもしれませんね。

    でも、私達凡人は「自分語」なんてぜんぜんみつけられません。せいぜい、自分はこのときにはこう感じる・・・っていう、感覚しかありません。たは
    【2009/05/15 17:28】 URL | 奥様 #- [ 編集]


     こちらでは今朝、八戸出身のためか『諸君!』編集長の四代目が「東奥日報」紙に休刊ネタを寄稿してました(そうでなくてただの通信社経由なら、他の地方紙にも載ってる?)。~全文は明日か明後日の夜にでも天バカ板に転載する予定。順調に行けば、昨夜から今夜にかけて書いた「余談三題」稿(仮題)の「余談其三」がそれになる筈です。後は新聞を見ながらシコシコ打ち込むだけ…。
     それはともかく、例の座談会記事について。
     予想はして居ましたが、やはりカットがあるんですねぇ。あと私の場合、「闇の宗教」発言が出た時の驚きや苦笑に(文面上)嘲りのニュアンスは感じられませんでした。漫才で云うなら「西尾ボケ→宮崎ツッコミ→田久保ノリツッコミ」てな具合かしら(?)。反面、それだけ宗教と社会科学との接点には微妙な心の揺らぎが伴うんだな、とも思いました。例えば1992年の本に『宗教から読む国際政治』(日本経済新聞社)ってのがありましたけど、これを読み返しながら続きの西尾発言に接するといっそう美味しくなります。ロシアやバチカンやイスラムが視野に入ってきて、「なぜアメリカなのか」が別の問いと重合した途端、リアリティが過去との間で共食いを始める。~西尾先生は内容で人をたじろがせるから、ユーモアがないと下手すりゃ相手の心理が殺伐となりかねないのかも。
     ところで、もう増刷は済んでるのかしら。出来るだけ多くの人に読んで欲しいものです。

    (余談)
     次回の坦々塾は石平先生がゲスト講師との事。林思雲先生の「避諱」解釈をどう思っているのかなあ。ちと解釈が脱線気味ではないかい?
     …と書いて投稿しようとしたらビックリ。明日は青森でも集会があるのか…他の用事が入らなかったら行ってみます(持ってないけど、ヘルメットとゲバ棒は要らないよね?)。
    【2009/05/15 21:48】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    > 苹@泥酔さん
    私はあっちへはアレルギーが出るので、絶対に近寄ることができませっん!
    アドレスが紹介してあっても、一度も行ったことないよ。

    で、こっちにもコピーでいいから投稿してね。

    もし集会に行ったのなら、感想を書いてください。

    広島では企画する力もないので個人的に抗議するだけで、
    運動はスルーしました。
    【2009/05/16 17:43】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >私はあっちへはアレルギーが出るので、絶対に近寄ることができませっん!
     いやぁ、掲示板は現行の「甘噛み天バカ板」ブログじゃないのに、見事に偏狭だなあ(苦笑)。…あ、気に障ったらゴメンチャイ(平伏)。まあ、かなり味噌糞に書かれてたから分からぬでもないんだけどね。なぜああなったのか、隠れた機微については分からないけど。でも、まさか「管理人憎けりゃ投稿者まで憎い」じゃないよね?(熟女こわい)
     ほんじゃあ、あっちに投稿するのはやめて、こっちに出しときます(長いから覚悟しろw)。…実は感想を書き足したら長くなり過ぎて、ちょうど困ってたところなの。そこで単一ネタの稿に分割して、さっき仕上げたばかり。これを処分すれば、あちらへの投稿は今のところ「余談二題」って事で軽くなる予定。
     黒い歯茎で心も軽く♪…と口ずさんだ一時間後、集会は三十分だけ偵察してきますた。可哀想になるくらい誰も集まらない。でも参加を申し出る気にゃなれなかった。たぶん車の中で聴いたブルックナーsym.9第三楽章に魂を抜かれちまったせいだ(半分冗談)。田舎では集会参加自体が一大事で、下手すりゃ「あの人アブナイよ」になっちまう。警察官も一人だけ小型トランシーバーで連絡とりながら監視(?)してたよ。…あたしゃヤッパ、とことん考え抜いてネット投稿しようとするのが関の山だわ(ヘタレでスマソ…泣)。
     以下は例のやつ。途中にあちらの旧稿へのリンクがあるけど気にしないでちょ。

    --------------------------------------------------------------------------------
    --------------------------------------------------------------------------------
    竹内修司『諸君!』四代目編集長
     某大規模書店では発売後約一週間で『諸君!』が売り切れ、某テナント書店にはまだ残っていた。やがて発売後半月が経ち、また別のテナント書店を覗いたら『諸君!』のみならず『正論』も売り切れていた。『文藝春秋』や『WiLL』は大量に売れ残っていた(と云っていいのかな?…とにかく山積み)。

     以下は「東奥日報」2009.5.15付朝刊15面からの転載。『諸君!』四代目編集長の寄稿。
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    >>「諸君!」の時代 高揚と退潮 竹内修司
    > 六〇年代の安保騒動から三、四年過ぎたころだったか、酒をおごられた帰りの夜道を歩きながら、池島信平さん(当時文藝春秋編集局長)が慨嘆した調子で、独り言のように言った。「これから世の中は左へ、左へ、といくんだよ。君らだってそうだよ」
    > このとき池島さんは、世の中が“右へ、右へ”と動き、「文藝春秋」の社内すらもついに国粋派に牛耳られるに至った戦前の事態を、ベクトルこそ正反対ながら六〇年代の社会の風潮に重ね合わせて苦い思いを抱いていたのだろう。
    > 終戦後から六〇年代、七〇年代半ばころまでにかけての論壇の思潮は社会主義思想を教条的に信奉する態の、いわゆる“進歩派”が圧倒的にリードしていた。この人たちの主張に反対の意を示す者は“反動派”だった。山田宗睦の『危険な思想家』が大ベストセラーになったのは六五年である。「日本文化会議」が結成されたのは六八年だが、そこに集ったのは論壇では白眼視されがちなグループだった。「要するに一見進歩的と思われる言論については自由過剰であり、一見反動的と思われている言論については不自由」、とその派の一人と目された福田恆存が書いた七五年までは、そのような雰囲気が確かに残っていたといっていい。六八年は、中国では文化大革命がピークに達し、日本では学園紛争が始まり、パリでは五月革命があった。そんな時期だった。
    > 池島は小林秀雄らの要請を容れて、文化会議の機関誌を文春が編集することにしたが、社内に大反対が起こる。結局、機関誌ではなく、社の独自の雑誌として発足するという形で妥協がはかられ、『諸君!』が創刊されたのは六九年五月である。「世の中どこか間違っている――事々に感じる今の世相を、その間違っているところを、自由に読者と一緒に考え、納得していこう」という、池島の「創刊のことば」は、固定観念で歴史と社会を裁断しようとすることへの反撥(はんぱつ)であり、ひそかに同じ思いを抱いていた人々は喝采(かっさい)してこれを迎えた。四年後にはほぼ同じ傾向を目指す『正論』が世に出る。
    > しかし、きっかけは連合赤軍事件(七二年)あたりか、左翼理念的な言説は次第に力を失い、韜晦(とうかい)を深めていった。高度成長がもたらした経済の豊かさも、社会意識の保守化に拍車をかけただろう。この現象を象徴するのが、島田雅彦が八三年に発表した小説のタイトル、「優しいサヨクのための嬉遊曲」だ。左翼はサヨクと矮小(わいしょう)化され、戦闘性を捨てて“優しく”なったと認識されるのである。この退潮はソ連の解体によって決定的なものとなった。
    > 左翼の隆盛に挑戦することによって党派性のいや増していた言説は、巨大な攻撃目標を見失ってなお虚空に敵を求めることを止められず、その実は同質の読者に向かって内向きの発信を競う形になった。その分だけ言論空間の内圧は上がり、ナショナリズムへの指向、戦後体制の否定、戦前の昭和の歴史の正当化の主張は過激化の度合いを増していった。過激化は一部の者をますます惹きつけはするが、「付き合いきれない」脱落層をも作り出す。一方でインターネットの普及は、より過激な言説を求めるもの同士が同感を確かめ合う、無数の村落共同体的ブログを生んだ。ある時代の要請が生んだ“保守系論壇誌”は、かくて自家中毒症状によって退潮を免れぬ次第となったのである。
    > 異なる立場の者同士が、お互い敬意をもって対話し、議論し合う場としての「論壇」ジャーナリズムは、ここまでついに成立し得なかった。
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     …これを読むと、論壇(ジャーナリズム)と書壇(展覧会)との相似がいっそう予言的に思えてくる。論壇は雑誌毎に棲み分けた。書壇は読売、毎日、サンケイ国際、東京などの新聞社主催展があり、一見棲み分けているかの様ではある。
     しかし必ずしもそうとは限らない。頂点には「日展」の権威が聳え立っているし、重鎮は主に読売展や毎日展と重なり合う。しかもそうした「重鎮中の重鎮」二十人を集めた展覧会が朝日新聞の主催。つまり左右の「巨大な保守の塊」を具現したのが全体像としての展覧会システムで、このピラミッド階層のどこかに所属していない者を書家と呼ぶのが今では躊躇われるほどになっている。従って殆どの社中は何らかの形で展覧会を実施するが、付随する階層・階級に社中間の互換性はない。
     『諸君!』の執筆者が『正論』に書く様に、読売展の出品者が毎日展に出品できるかと云えば抵抗がある。それぞれの展覧会でそれなりの地位を占める社中にとって、余所の展覧会に門人が出品するのはマズイ。…出品にも色々ある。読者投稿レベルならどうにかなろう。しかし社中内の指導者レベルとなると困った事になりやすい。

     …更に妄想(汗)。
     もし、『諸君!』の中身を「社中」化すればどうなるかしら。読者が買う様に執筆者も本を買うが、原稿料はない(!)。その代わり執筆者は読者を門人に見立て、「読者が執筆者に謝礼を納める」かの様な意識で捉えるのである。つまり謝礼が原稿料に相当する訳だから結局は同じ事になろうが、そこでは決定的に「意識が違ってくる」。読者は執筆者の思考を模倣し翼賛する。つまり読書が稽古に相当する。師匠同士の喧嘩は弟子同士の喧嘩に見立てられ、とどのつまりは「不自由」となる。
     「文化会議の機関誌」と聞いて社内に大反対が起こった背景には、どこかそんな怯えがありそうな気がしてならない。…昔は多くの子供が習字塾に通っていた。占領時代は学校書教育が禁止されたから書教育を受ける機会は家庭か書塾で、その頃の子供が成人するのは大雑把に見て1955~65の前後数年。上手くなろうとなるまいと、書塾通いの経験があれば「師匠の背中を見て育つ」面くらいはあったろう。戦前・戦中・戦後それぞれ、どの世代がどんな不自由を見て育った事か。(関連旧稿、No.7437再録↓)
    http://otd2.jbbs.livedoor.jp/231124/bbs_plain?base=7437&range=1
     なお、上記は『WiLL』2009.5号P.32の感想を兼ねる(緊急対談「渡部昇一vs西尾幹二」)。~それにしても、「社員約百二十人の猛反対で、賛成は七人しかいなかったらしい」(西尾発言)ってぇのは尋常でない。「一つの団体のヒモつきになるのはよくない」との理由は記されているけれど、その先どうなるかを見通していた社員が多かったという事ではないか…てぇのが苹の見方。
     渡部先生へのインタビュー記事が『墨』155号(2002年3・4月号)P.162に載っている。「二十二、三年前から先生に月三回来て頂いて練習しています。初めは家族五人で習って(中略)今は私一人になってしまいました」との事だが、七年後の今も続いているのだろうか。福田恆存も宇野精一も書をやった事だし、福田先生の御尊父は大恐慌で馘になり子供相手の書塾を開いた(師系は西川春洞→安本春湖→福田秋湖)。「わが妄想」の元ネタはこんな所にもある。
    【2009/05/16 20:21】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔 さん
    東京では1100名くらい集ったそうです。

    心狭くてもしかたないよ~

    【2009/05/16 22:37】 URL | 奥様 #- [ 編集]


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