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人間の存在感というのは「いる」ときでなくて、「いない」とき、いなくなったときの方がはるかに圧倒的なんでしょうね。とりわけ死という深く長い不在が醸しだす存在感は、残された人に、言い知れない寂しさを与えてくれるのかもしれません。
「物に心がやどっているという古人の言葉を決して軽視してはいけない」という小林秀雄の言葉がありますが、つまり、不在という存在感に寂しさを感じる、残された人達は、故人の使っていたものを見つめる通じて、故人の存在感を再び生きていたかのように思い出すことができるのです。 「もの」には、本当はそれだけの力があるんですね。私達の心をそこまで動かしてしまうんですから。何気ない生活用品が、どれも言葉で表現できないほどの何かをもって私達に迫ってきます。ところが、大量消費社会では、こうした「もの」の力はすっかり軽くみられてしまっていますね。 数年前、自分にとって父母より大切な存在だった祖父が交通事故で不意にこの世を去ってしまったとき、私は「不在」ということの存在感、そして祖父のことを思い出させてくれる祖父の生活品の「もの」の力というものを半ば茫然として感じました。私はそれまで死ということを安易に唯物論的に考えていて、死はいなくなっただけ、ものはものに過ぎない、なんて思っていましたが、そういう自分の考えが甘いということを、身に染みて感じさせられました。 お寂しいことと思いますが、どうか亡くなられた義母様の思い出を大切にされて、ご自愛ください。 >うさねこさん
うさねこさんにとって、おじいさんがとても大切な存在だったのですね。ご両親より・・・・? 義母が亡くなったことは、確かに淋しいのですが、私にとってはやはり義理なので、もうひとつ実感がありません。(悪い嫁だな) 私には、義母の家の中に誰もいなくなる・・・・ということが、何か不思議な重い、暗い、喪失感です。
2008.03.01 (23:49) / URL / 奥様 [EDIT]
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