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    【2020/03/25 10:23】 未分類 | TRACKBACK(0) | COMMENT(76)
    この記事に対するコメント

    >苹@泥酔様

    宇宙・・・果てしない世界です。
    しかしそれを私たちはどこか限りのあるところでいつも接していたい気持ちもあります。
    その思いがこの文字の中に現れているようなものを、貴殿の作品から感じとりました。
    おそらく「ウ冠」は「無限を」意味しているのではないでしょうか。
    しかし同時に有限であってほしい人間の感情の限界も表していて、心が平静でいられる事を望む、安心感の表記なのかなと感じました。
    「宙」の中の由はおそらく地球を表しているのではないでしょうか。
    その「由」が苹@泥酔様の表現によって、ちゃんと自転しているようにも見受けられます。
    宇宙の中で地球が生きていることを、一つの文字で表現できる貴殿のその才能に、あらためて驚愕の想いです。
    【2020/03/26 14:09】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


     天地玄黄、宇宙洪荒…と始まる千字文でお馴染みです。どの字であれ実用的/古典的な書きぶりから離れ表現的な方向に行くと余計な手が加わって、これでいいのかと別の疑念が付き纏います。バカボンのパパみたいに「これでいいのだ」とはならない。近代詩文書講座だかどれだか忘れたけれど、本で似た表現を見た記憶に囚われたりもする。字が筆を択ぶ事もあれば、筆が字を択ぶ事もある。今回は後者でどっちが余計か分かりませんが、筆と字のお見合い(?)みたいな所があるのは否めません。
     書き方次第でどうにでもなるから、却ってどうすりゃいいのか分からなくなる。型に填った方がよほど書きよい。その「型」が見えるかどうかが判断基準になる。自由とは自分の型を探す事だという気もします。でも自分が型だという事ではなく、より大きな型に包まれる自分へと再帰する気分と云っていいのかどうか。
     …そんなのを子供の頃からやっていると、今度はモラルなき芸術が理解できず困った事になる。書家は芸術家ではないと割り切ればよいのかも知れませんが、それでは現代に通用しない模様。…開国前は芸術なんて概念、なかったのにねぇ。あれも西洋からやってきた。片や漢字は支那からやってきた。
     支那文化を日本的に昇華する手札なら、範型は沢山あります。わざわざ西尾先生から講釈されるまでもない。問題はそこから先で、支那には西洋がない。ここからが西尾先生の出番になる。日本を経由地/母体としてよいのか。東西どちらも純然たる他者ではないのか。その他者を日本人は自覚してきた。
     体験と照合すれば、江戸時代と触れる事ができる様な気がします。苹の場合は中学時代に触れた子供向け競書誌連載「近世習字教育のあゆみ」から始まりました。幕末前後の歴史叙述と、具体的な石碑などの史料がたんとある。子供向けの本だからといって馬鹿にできない。そう中学時代に思いました。
    【2020/03/27 05:05】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    苹@泥酔 様

    奥様がアップされたいくつかの書を拝見して、私も何だか苹@泥酔さんのファンになりそうです。
    二つの「宙」を見て、何秒くらいで書くのかな?と思いました。苹@泥酔さんが、字を書かれる時、そんなに色んな想念を思いめぐらせながら書いてらっしゃると思うと、その何秒間はとても充実しているんじゃないか、と思いました。

    「支那には西洋がない」・・・「他者を日本人は自覚してきた。」・・・
    他者を他者と意識できた、それでこそ日本人ですよね。つまり日本人である自分と同一のものは存在しない・・・。そんな孤独な意識を持ちながら字を書く苹@泥酔さんは、カッコいいと思います。

    私は書は全くの素人ですが、中国の書を見ても、あまり感じる所がないんです(ちょっとしか見たことないけど)。やっぱり日本の昔の人が書いた手紙とか、いいな~と思います。
    それに漢字を見た時、どうしても発音をしますよね。一字であろうが、熟語であろうが、中国人と日本人は、選ぶ字が全く違うと思います。名前の付け方もそうですね。

    例えば昔の空母、「赤城」、「加賀」、「瑞鶴」、「翔鶴」など、カッコいいな~と思います。でも清国の「定遠」、「鎮遠」なんてピンと来ない。言葉が違うから当然ですが。野球のことを棒球というのはよく知られているけど、感性の違いが、典型的に現れていますね。
    【2020/03/27 23:00】 URL | 黒ユリ #- [ 編集]


    >奥様がアップされたいくつかの書
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-2276.html#comment
     こちら(↑)にも転載してある画像ですね。それなりに長くなったから、続きの稿は此処に書こうかな。あれらは書と云うより、どれも単なる墨色見本の景品です。墨色は実物を見るに限るという趣旨ですから、セレブ奥様に連絡を取れば送って貰えるかも。

    >字を書かれる時、そんなに色んな想念を思いめぐらせながら
     いや、な~んにも考えてません。ただ記憶がドドドッと押し寄せてくるだけで、考える暇がない(苦笑)。だから書くのは一瞬。その一瞬が充実していれば「考える前に行動」する稽古となる様な。…そう云えば山本五十六だったかな、書家で中国通の宮島詠士と交流していた大物軍人は。当時、書は軍事の稽古でもあったのでしょう。(だからGHQ/CIEは書教育の廃止に動いた?)
     判断/行動は一瞬の煌めきでも、そこに至るまでの蓄積が肝腎。ゆえに行動とは、動かない事をも含むのでは。例えば映画に出てくる親玉が、子分の前でどっしりと構えて動かない。或いは剣豪の構えに隙がない。あれが「動かないという行動」を裏付ける準備運動なのだろうと思っています。見える外面でなく、見えない内面の世界。それを職人は誰もが持っている筈です。
     他者に学び、稽古する。しかし他者ばかり見て自分の足元を忘れては元も子もない。書道の場合、厄介なのは日本文化ですら他者の様に遠離った事。支那のが他者なのは当然ながら、日本のは過去という他者で、千年の隔たりがある。学べば読み書きできる様になるけれど、そこにはもう一つの罠がある。二十世紀直前の世代が学んだものを忘れてしまう。古典ばかり学ぶ弊害は古典に囚われる事で、自分に至る直前すなわち足元は見えなく/使えなくなったまま放置される。少し前までは毛筆の手書きで半紙に履歴書を書いた。草書変体仮名交じりの書翰を郵便局に出しても相手に届くのが当たり前だった。
     今そんな事をしたら、「丁寧に書け」と最長老からも叱られるでしょう。丁寧にって何ですか。楷書で書けって事でしょう。実用書翰手本として出版された草略書体の本は、もはや実用書ではない。これが足元を忘れた状態で、平安時代のは読めても明治時代のが読めない。昭和、大正、明治と遡って学び、そのずっと先に古典がある。もちろん途中で古典を学んでも構いませんが、直近のを忘れない姿勢が伴わないと自分で自分の首/歴史を絞める事になる。
     書道の話をネットの言葉で書く時、その辺にも気を付けてきたつもりなんですけどねぇ…。纏めサイトの天バカ板、さっさと続きを出し直さないと。しかし一々読み返すだけで相当キツイ。西尾先生の全集は超人的な仕事だと、身を以て知れてくる心地です。
    【2020/03/28 20:36】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >あきんどさん
    現代アートは分からないけれど、
    書の方は、素直に自分の好き嫌いで判断すればいいような気がします。
    書は芸術そのものですよね。
    あきんどさんのウ冠は無限、
    中の由は地球っていう解説、面白いですね。

    >黒ユリ様
    最近のコロナウィルス問題を見ても、
    本当に中国人と日本人は全く異なるということが分かります。
    感性、本能、全然違うから、人格も異なる。
    西洋の人から見たら、顔が似ているから
    同じように思うのかもしれませんが、
    全然違いますよね。

    >苹@泥酔さん
    GHQが禁止したものこそ、
    日本にとって、大切なものだという証拠ですね。
    外国人の方がよくわかっているのでしょう。
    【2020/03/28 21:40】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >苹@泥酔様

    私は何も考えないで書を描くことの意味がなんとなくわかりますが、元々何もない何も持っていない自分にとっては、何も考えるものがないってことで、最初っからこりゃダメかなって思います。
    何もないところから始めたって、やっぱり駄目なんだと思います。
    いろいろ自分にあって、迷いなども当然あって、そのうえで無心になるなら、「何も考えない」という意味が生かされるんだろうと思います。
    そんな意味合いから考えると、書道もやっぱり失敗の連続の中から生み出されるものではないかと、素人は思うのですがいかがなものなんでしょうか。

    話は少し反れて、私は日本語の美しさというのは、平がなが存在していることに理由があるように思えるんです。
    昔は漢字オンリーの世界でしたが、それをすべての日本人が話し言葉と同じ感覚で書の写しにも平がなが許される時代になり、より一層日本語の美的感覚が増したのではないかと思うのですが、この点は専門家の方々はどう考えていらっしゃるのでしょうか。

    実際素人の私が書を描こうとした際、案外難しく思うのが平がなだったりします。
    西尾先生にも年賀状などを出す際、筆ペンで書いたりしたことも有るんですが、けっこう平がなが難しいし、漢字よりも平がなの字の方が上手い下手がわかりやすくて、「上手に書く」ことを強いられる部分は、もしかすると「平がな」なのかなと思った次第。

    漢字は我流でも案外うまく描けたりするので、いつも筆ペンで年賀状を描く際は、「平がなは難しいなぁ」と思います。
    広島に行った際、江田島の海軍基地にも連れてってもらったのですが、そこに展示されていた兵隊さんたちの「書」が、ものの見事に美しくて、どうして当時の方々はみな達筆なのかと思いました。半端な数ではありませんし、抜粋されたとしてもあまりの数なので、こりゃあ今の人間には無理だなと最初に思いました。
    そんなことも奥様と初めて出会った際に話にしました。
    当時蘭ちゃんは、その兵隊さんが残した書のなかから、こんなフレーズのものを見つけ出し私に「これ最高ですよ」と言いながら教えてくれたのがこんな感じのものでした。

    『今敵は目の前まで迫ってきている。これから始まる戦いの前にそっと自分は懐からチョコレートを出してそれをカジっている。さぁ来いよ・・・』

    いかにも蘭ちゃんが目を留めそうな文章でした。
    結局人間の心に残るものというのは何なのかと問われれば、一緒くたなモノではダメで、一種派手さなものが目立つという典型なんだと思います。

    しかしそれは、たくさんの美しさに支えられながら存在しているということも言えるかもしれないわけで、私は蘭ちゃんが教えてくれた書もすばらしいと思うし、その他の純粋な書もやっぱり素晴らしいと思うのです。
    こんな風にして何が美しく何がダメ・・・みたいなものは結局決められないという陥穽にはまっちゃうわけですが、苹@泥酔様はおそらくそのステップを超えた時点で「無」を語っていらっしゃるんだろうなと思った次第です。

    >奥様
    宙の字のウ冠・・・本当に無限ならば文字として表せることが不可能なんでしょうけど、宇宙という存在を文字に表すなら、好都合なものなんだろうなと思ってそう書きました。
    【2020/03/29 09:26】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    >書道もやっぱり失敗の連続の中から生み出されるものではないかと
     考えながら書かないと言葉にならないのが本筋で、そこでは字面の表現/多様性など二の次です。むしろ言葉を紡ぎ出すだけで精一杯、他の副次的表現など考える余裕がない。そう捉えると腑に落ちる。字の特徴が金太郎飴なのは、地が出るくらい言葉を優先して考えているからで、言語としての表現と字面としての表現とでは書く目的が異なる。だから文士の言葉に書家の表現は勝てない。昔は書家が文士~すなわち文人なら勝ち目もあった。身の丈に合った字面が自己限定の表現となる。そこに筆跡鑑定が成り立つ。
     しかし規範となる手本の幅が狭いと差異がますます微細となる。地味な美しさを学んだ字ほど判別が難しい。でも長く見慣れていると「これは親父の字だナ」と一目で分かったりする。目習いは多く見るより一人のだけ見る方が精度は高い。遠くの専門家より近くの身内で上手下手は関係なく、心当たりがある人は多そうな気がします。もちろん見る側と書く側とでは審美の姿勢が大違いで、他人/師匠の字と似てくるのは当然とも云えますが限界はある。或る意味「手本の幅が狭い」一例かも知れません。
     失敗の連続は手習いなら日常茶飯事、気にした事はありません。書かないよりも、むしろ書き過ぎて失敗する方が多いとも感じます。抑も実用書に味なんか求めない。読み書きできればよく、その根底に読みやすさの裏付けたる古典的基準がある。ここを突き詰めていくと、幕末文人以降の教養世界が実用の基盤を支える形になる。

    >案外難しく思うのが平がな
     漢字と仮名は大差ないと感じるか、別物と感じるかにもよるでしょう。~以下の回想には大正時代の国定手本系による実用書翰手本や仮名手本が出てきます。苹の場合こうした草書変体仮名交じりを思い浮かべるのですが如何。
    https://ameblo.jp/3722km/entry-12341355622.html
     こちら(↓)は変体仮名を現行平仮名にすると、差し当たり「酷暑の節益御清/栄奉賀候逾御入隊/の由御苦労に存候/此上は衛生に御註意/偏に御國の為御奉/公専宜祈上候/西脇家は代々武士の家/殊に貴下の父は軍醫と/して従軍頗もの/家聲を汚さぬ様/祈上候目下何處も手/不足の折柄身體を/大切にして御奉公祈上候/聊御餞別の印まてに/別封呈上仕候御笑/納被下度候草々/八月二日 静/勉様」と読める。
    http://bunnkasyodoukai.blush.jp/uenoten54/Resized/IMG_7341.jpg
     当時の基準だと実に平明で読み書きしやすい。幕末から昭和前半までを繋ぐ実用書風の時代、国民的基準/模範は甲乙二種の国定手本に収斂した。活字のない幕末期、印刷物の御家流には今の活字と同等の機能がある。しかも殆どの実用漢字が草略体で通用したので、漢字と仮名の字形差は小さい。謂わば明治以降、活字基準の国語系と書字基準の習字系は母語記述教育上の共立状態にあった事になる。
     仮名は草書を更に草略して連綿機能を活用、いっそう「仮名らしく」仕立てました。してみると印象の問題は仮名の側にでなく、草略を排除した漢字/活字の側にありそうです。
    【2020/03/29 19:37】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


     ネット上には比田井天来の書翰も幾つか見える(例↓)。
    http://www.shodo.co.jp/blog/hidai2018/2018/02/13/post-136/
     天来系は広島の筆と縁が深いらしい。こちら青森では天来系の場合、見るところ奈良の文宝堂のが多かったと思う。三十数年前、岩手で初めて広島や愛知のを買い込んだ。中でも一休園(広島)の山馬筆は、明清調の長条幅を書く時えらく使いやすかったのが印象に残っている。(ホウ古堂のビデオは33:18以降↓)
    https://www.youtube.com/watch?v=cjJyZkdZYYQ
     広島のを応援しようと先日は色紙の墨色見本を送ってみたが、その後どうなっているかしら。天来書院と接触するなら話の種に如何かとも思った。地域分布の都合で筆の産地話が次回トリエンナーレに回るなら、それはそれで準備時間がたっぷりある。またコロナの状況次第では、今年予定のトリエンナーレ自体どうなる事やら。
     …しかし昨夜そればかりが理由ではなくなった。兵庫では「書作品」への批判が出たそうな。歪み同士の歪んだ融合と云うべきか、論点/基本姿勢の在り方がどうも気になる。
    https://www.asahi.com/articles/ASMC54F5MMC5PIHB00L.html
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    >美術展書道作品に市教委が差し替え要請 兵庫県相生市
    >伊藤周
    >2019年11月5日 20時02分
    > 10月に開かれた兵庫県相生(あいおい)市と市教育委員会主催の美術展で、市内の書道家の男性が出展した作品「滅び行く町相生」について、市教委が「共感を得にくい」として差し替えを求めていたことがわかった。書道家は「表現の自由の侵害」と応じず、最終日まで展示された。市教委は「市を盛り上げるような作品になるよう期待した」と説明している。
    > 美術展は10月17~20日、市内の会場で開かれ、市内外からの絵画や写真、書など計233点を展示。書道家は過去に市長賞などの受賞歴があり、無審査で作品を展示する「委嘱者」として、事前に教育長名で出展を依頼されていた。作品には毛筆で「文化の発展しない所はやがて衰退して行く運命にある 我が町相生はその典型的な一例である 市長をはじめすべての市民がこの危機的状況を深く肝に銘じるべき時ではないか」としたためられていた。
    > 市教委によると、市展の運営委員会では事前に「内容がふさわしくないのでは」などの意見が出ていた。このため委員長が作品の差し替えなどを依頼し、市教委側も開会日に会場で、翌日夜に自宅を訪れて差し替えを要望した。会期中、市には電話や口頭で「ふさわしくない」など20件ほどの意見が寄せられたという。
    > 浅井昌平教育長は「一般の応募者なら問題ないが、書道家は無審査で展示できるほどレベルも高く、市民の模範となる立場。個人的には題名が『頑張れ相生』など前向きならば内容は同じでも辛口だが問題はなかったと思う」と話す。
    > 書道家側は「これ以上ことを荒立てたくない」として取材に応じていない。(伊藤周)
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     寄せられた意見は愛知の騒動に触発されたのか、文章表現と書表現を取り違えつつ敢えて混同する。また市教委の立場/視点は過度に迎合的となった様な。彼らは書表現にスローガンを期待したのだろうか。何か予言的な出来事だった気がしてならない。
    【2020/04/01 13:11】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    苹@泥酔 様

    最後に書かれた、相生市の件ですが、同市に備前焼作家の知人がいるので目を引きました。その方の奥さんが私の友人で、都会好きの彼女から、「田舎の古い習慣があったりするのがいや」などと聞いていたので、余計心に刺さりました。
    「滅びゆく町相生」・・・
    この表現が、市教育長直々に依頼した書道家から出されたのを見て、関係者がショックを受けたのは分からないでもない。もし自分の故郷で行われた美術展で「滅びゆく街金沢」なんて書かれたら、私はやっぱりいやだと思います。

    こうした問題は、昔からありました。思い出せないけど、小さな自治体や学校ほど、在り得る問題じゃないでしょうか。例えば地域内の作文コンクールでも、小中学生が我が町の悪口を書いたら、きっと最初から入選させないでしょう。

    しかしこの書は、結局最後の日程まで展示されたんですよね。問題になったとはいえ、書道家の「表現の自由」は守られた訳です。附記として、「文化の発展しない所はやがて衰退して行く運命にある 我が町相生はその典型的な一例である 市長をはじめすべての市民がこの危機的状況を深く肝に銘じるべき時でないか」とあるので、辛口の書とはいえ、この書道家の相生市への住民としての愛情でもあることは、どんな人も納得するでしょう。
    恐らく、この書を見た住民は、痛い所突かれた気持ちだったでしょう。分かってるから、言われると余計辛い・・・ 時代劇なら、さしずめ「先生もお人が悪い・・・ここはもうちと穏やかに」ともみ手をする所じゃないでしょうか?

    この書道家が「これ以上ことを荒立てたくない」と言ったのは、予想外に問題になったのに驚いたのでしょう。私は、この書道家は、それほど分別のない人物とは思えません。恐らく、市の教育委員会となると、当たり障りのない平凡で刺激のない作品ばかりが並ぶであろうことへの反発もあったかもしれませんね。
    私は、この事件は、従来の「常識の範囲内」なのではないかと思います。

    しかしトリエンナーレは違うと思います。あいちトリエンナーレであれ、ひろしまトリエンナーレであれ、「滅びゆく町相生」ならぬ「滅びゆく国日本」どころか、「滅びてしまえ日本」なんですから・・・(笑)
    これで教育委員会や市や県民から文句が来ない方がおかしい。相生市の場合は20件の意見があったそうですが、そんなもんじゃないはずです。
    ところが問題は、このトリエンナーレが国から援助金が出るという所ですよ、やっぱり。文化庁の上部組織が文部科学省ということですから、未だにカネを出す出さないレベルで、うやむやになってるって事は、いかに我が国が国家として弱ってるかということですね。
    あんな滅茶苦茶な作品が含まれるトリエンナーレに、国民から反対の大合唱が出てくるのが本来の姿ですね。自戒をこめて、ホントにそう思いました。


    筆を作っている所の動画ですが、職人さんの手の動きが早くて、早回しかと勘違いしました(笑)。凄いですね~ 「筆が割れないように」手間をかけているんですね。学校で使ってた筆が安物なのが分かりました(笑) 私たちの時は、初心者だからといって筆の半分まで糸で縛って書いていました。でもしっかりと洗わなかったから、次の時間にはカチカチに固まってて、硯に押し付けて柔らかくしてた・・・これはダメなやり方ですね。小学校の時、一時期書道を習っていたのですが、先生が柔らかい筆全体に墨をつけて、サッサッと書いてるのを見て不思議に感じました、どうしてフニャフニャの筆で、あんな風に書けるんだろう?って。
    動画の先生の筆の運びを見ていると、どんな筆でも書けるんですね~ 見ていて気持ちがいいです。「この道は いつか来た道」・・・
    「腰のない筆」という表現が笑えました。
    【2020/04/01 16:52】 URL | 黒ユリ #- [ 編集]


    >苹@泥酔様

    筆が作られる動画拝見しました。
    なるほど、綿毛は全部取り除かれるんですね。
    差し毛のみで筆は作られていることを初めて知りました。

    私は東京時代の呉服問屋で毛皮部に永くいましたので、なおさら驚きました。
    「筆が書を選ぶのか、書が筆を選ぶのか・・・」の言葉にとても感銘しました。

    商売をしていると必ず必要なのが、売り出しの時などにつかう値札の表記です。
    親父は毎回この値札を書く係でした。
    今ならポップと呼ばれる作業です。

    短冊に商品名と価格を書く仕事なんですが、これが結構大変な仕事なんです。

    当時は筆を使って書いていました。一人の字体でないと統一性がないので、必ず父親一人で作っていました。けして字が達筆ではないのですが、他の誰よりも短冊に書き込むバランス感覚は飛びぬけていました。

    そんな父親が私に一つだけ筆使いのコツを教えてくれたことがありまして、筆は表と裏があるんだと言ってました。果たして本当なのかどうかわかりませんが、父はそれを意識して短冊に価格を書き込んでいたようです。

    ゼロの表示を{0」で表さなければならなかったため、そう言っていたのかもしれませんが。

    いずれにしましても、普通に我々が美しいと感じる世界と、書道の世界で認められる世界が、言葉で言い表すことができないなにか宇宙の空間のようなものを感じる次第です。
    ピカソが昔「私はようやく子供の意識と同じレベルで絵が描けるようになった」と言ったそうです。そのピカソのデッサンはというと、ちょっと素人が軽く描けないほどのタッチで描かれたものが多く、実写をこなしきったのちの感覚が彼の後期の作品に多いため、何が土台になっているのか誰にも分らない独特の世界を生んだのではないかと、あきんどは思っています。

    また、文章の表現なんかにも使われる言葉ですが、文章の間には、語られていない文字が存在すると言われていますが、おそらく書の世界にもそれは存在するのではないかと思います。読み手や書を見る側に、理解力の才能が求められているという事なのか。それともまた別の世界でそれがリンクしているのか、私にはわかりませんが。
    【2020/04/01 17:00】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    >書道家の「表現の自由」は守られた訳です
     愛知でも最後まで展示し続ければ、所謂「不自由」との物言いは自ずと空回りした筈です。なのに政治家や組織が横から余計な真似をした。動く/動かない事の意味を分かっていない。愚かな政治介入は主催者をも振り回す。その事を「2020/03/13 04:30」稿末で書いたつもりです。

    >「腰のない筆」という表現が笑えました
     要はバランスの問題で、穂先が腰に影響する。どんな柔毫でも相応の腰はありますが、デリケート過ぎて活用するのが難しい。かと云ってバリバリの剛毛だと穂先も腰になる(苦笑)。架蔵の山馬筆を見たら剛い順に松泉堂、一休園、玉川堂のがありました。穂先は玉川堂のがよく利きます。

    >売り出しの時などにつかう値札の表記
     私の場合は展覧会の名票でした。出展者全員の小さいカードに、氏名と作品名と釈文を書くの。これに凝っちまって徹夜で書いた事もあった。ただ書くだけではツマラナイから、書風の基層を一から組み立て直す。結果それまで書いた事のない字に仕上がったのは、作品を書くよりずっと充実した仕事でした。

    >筆は表と裏がある
     表裏は書けばすぐ出来、すぐ裏返ります。その繰り返しを八面出鋒と云います。紙面に接する穂先側が表で、接しない側が裏。その出し方にも色々あって、所謂「中鋒」がややこしい。大体は穂先が線の真ん中を後から通ります。起筆は穂先から入り、送筆は腹側から送る。それらを後方支援するのが腰の部分。
    https://boku-undo.co.jp/story/st4.html

    (近況)
     天バカ板にスパム投稿が来て、蘭様が削除しようとしたら「掲示板の権限は凍結されたまま」だそうな(↓)。でも、まだ動きがありそう。今は待ちの姿勢にて。
    http://midnight-run.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=12924444
     あと、うちの婆様はそろそろ退院できそうな気配。4.3に病院で会議があるとの事。昨年の入院時と同様であれば、この日に退院日が決まる筈。今回はコロナ対策で全員が原則見舞禁止だった。早く会いたいわぁ。
    https://www.youtube.com/watch?v=DHtojYUEVz8
    【2020/04/01 21:49】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔
    蘭ちゃんの話題は私も時々するので、おそらくお気を使ってくださって、彼の板のご紹介をされてくれているものと思います。

    でも私は彼の板には参加しません。
    なぜなら彼は私に謝罪していないからです。
    仮に別の場所で謝罪していたとしても、私には直接していません。
    おそらくこのままでいけば彼は私に謝罪する意識は生まれないでしょう。

    私は彼がちゃんと大人になれるには、そういった礼儀を踏んだ行動がとれる人間になってからだと思っています。
    彼は西尾先生のことを相当罵倒しました。それはある意味「公共」に対する人間の怒りなのかもしれません。先生自身はかなりがっかりしているのかもしれませんが、これくらいのことは覚悟のうえでお仕事をされていると思うんです。
    でも、私の場合はそうはいきません。蘭ちゃんと同じ土俵で書き込みをしている人間です。そういう立場の人間を、自分の目的のためには手段を択ばず、自分の保身に走っていったあの姿は、今も忘れていません。

    残念ながら私は普段はあまりこんなことを考えない人間なんですが、きっかけが生まれるとどんどん記憶がよみがえってくるタイプです。
    もうこれ以上は良いでしょう。一々今更あーだこ-だと騒ぐレベルの問題でもないので。

    それよりも 苹@泥酔様が時折ご紹介してくださるクラッシック音楽には、毎回心が打たれます。私はそのジャンルに疎い人間なので、どんな風にその世界と向き合えば楽しめるのかを知りたいです。一応妹が習っていたピアノを見様見真似に弾いたりした時代もありました。エリーゼのためにの最初の部分は多分今も弾けると思います。月光の最初の部分も手取り足取り教わって弾いたことがあります。でも聞いた音楽の音と題名が自分の中で整理がついていないため、クラッシック音楽は私の中では宇宙より複雑な世界なんです。

    自分としてはあまり構えないで接しようとして入るんですが、どうしても頭の中が綿あめ状態で、今一つのめり込めないでいます。ツァーツストラを初めて聞いたとき、「そうかそうだったんだ」と思った時もあるんですが、それから前には進まないんです。やっぱりギターの音についつい傾いてしまうあきんどであります。
    【2020/04/02 15:45】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    >きっかけが生まれるとどんどん記憶がよみがえってくるタイプ
     おお、同族ぢゃ(←映画「戦国自衛隊」より)。それを書道ネタで続けるとどんどん考が深まって、誰も書かなかった領域に踏み込める様な気がする。それを誰かが読んで、何かの参考にしてくれたらと思っています。(そのためには苹にゃビールが必要…)
     ところで蘭様との件、何が起きたか分からない事については触れません。「なんだか揉めてるナァ」程度の感覚でボーッと見てました。掲示板も拙稿を纏めるために用意してくれた場所だから紹介した迄。2011年に壊滅した初代板とは中身がガラリと変わっています。「日録」の管理人がセレブ奥様で主筆が西尾先生な様に、管理人が蘭様で主筆が苹。あっし独りだけの過去録掲示板なんて誰が見るのやら。そうした点では特殊です。
     ただ「苹@泥酔」で検索すると、セレブ奥様ブログ(初出)と掲示板(纏め)とが拮抗する形で表示される事が多い様です。大学入試の面接で受験生がいきなり拙稿レベルの話を始めたら試験官は吃驚するでしょう。拙稿の受け売りでないかチェックするのに好都合な面はあるのかも。なにしろ中身が毒気たっぷりですから(笑)。「書道を滅ぼすのは書家である」と学問の大切さを訴える学生に、果たして大学側はどう応えるか。
     こちらとしては、そうなる方が面白い。耳年増の頭でっかちでも、勉強してないよりはずっといい。そこまで学生/受験生レベルを引き上げるのが拙稿の目的の一つです。高校教員時代の延長で、呪いの様に延々と書き続ける。主要教科と違って、高校の芸術科目は週二時間が精々ですからね。週五時間レベルを念頭に置いたって構うまい。教員時代にやり残した事が山ほどある。それを二十年かけて紡ぎ続けて居る…。

    >ギターの音についつい傾いて
     あたしゃギターのは山下和仁のバッハ無伴奏vnとvc全曲録音(クラウン盤)しか持ってない筈です。vnの方は再録音した様ですが未聴。大体こんな演奏です。後者の動画はギター・デュオによるヴィヴァルディ《四季》。
    https://www.youtube.com/watch?v=VY0n8L8Z2Kc
    https://www.youtube.com/watch?v=qh60qjA_kJ4

    (翌日追記)
     婆様は二、三日前に発熱したそうで、退院は繰り延べと相成り候。
    https://www.youtube.com/watch?v=Rb52-bYvAbg
    https://www.youtube.com/watch?v=bOZIGGV55Pg
    https://www.youtube.com/watch?v=8UUm9lhyEm8
    https://www.youtube.com/watch?v=Q4wKy5KshiA
    https://www.youtube.com/watch?v=-4t0Tr-0MqY
    https://www.youtube.com/watch?v=b9pb9VjZpEk
    【2020/04/03 06:35】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔様

    まぁ蘭ちゃんの件はやめておきましょうか。
    それより、音楽ネタでいくと、私は専らこっち方面でして、おそらく苹@泥酔様にはうるさくて仕方がない音でしょう。
    https://www.youtube.com/watch?v=RXKBCJMjCsE

    ↑のURLは2005年の映像です。1970年に解散したクリームというバンドで、リードギターはエリッククラプトン(ギターの神様)。
    この映像は私の奇跡の映像に近いものです。
    なんと申しましょうか、私たち世代にとっては、これから人生を歩むうえで、一度は経験しなければいけない流行の病気みたいなものですね。

    新型コロナウイルス・・・発症までの期間が長く、しかも潜伏期間にも他人に移す可能性があって、既存の病気を持っている患者さんに移ると効力が発揮してしまうそうです。
    何か今までの自分の生き方をリトマス紙試験紙で試されているような、憎たらしい感染病です。仮に世界中の人間がこの病気に侵されたとします。今までたばこをスパスパ吸ってきたり、大酒を飲んできたり、夜更かしが大好きで陽の目を見ない場所で行動をしたり、ETC。
    そんな人間に威力を発揮すると言うこの実態。

    まるで秋田のなまはげみたいなウイルスです。

    【2020/04/06 05:10】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    >おそらく苹@泥酔様にはうるさくて仕方がない音でしょう
     今(?)のは超絶技巧系でも叙情系でもないんですかねぇ。かと云って情熱系となると、これはこれで身に余る。今はそっち方面が多いのか、弱音のない大声ばかり。私の場合はボソボソ呟く恨み節みたいなのが性に合っている様です(例↓カラヤン1984)。
    https://www.youtube.com/watch?v=KvGC8hZC29U
     昔から、こっち系が好きでした。もちろん軍歌のも。同じ曲でも元気(?)な演奏となると、こうした方になるのかな(カラヤン1973↓)。年を隔てた同曲異演の聴き比べも、また格別の味わいあり。
    https://www.youtube.com/watch?v=idn06SarCRI
     極め付けは、超絶スローテンポのチェリビダッケにて。(なぜか音質が悪い↓…二十数年前このCDを女性英語講師に送別会で贈呈した事がある…同じチェリEMI盤でもブルックナーsym.8とどっちにするか真剣に血迷ったのは実話なの…)
    https://www.youtube.com/watch?v=X4s4Fiec6qA
     デュナーミクが顕著になると、それはそれで、うるさい。しかし必然あっての事でもありましょう。ピアニッシモが聴こえない音量を避けると、フォルティッシモが大音量になるのはやむを得ない。そうした制限(?)を免れたのが現代ギター等々の進化形「室内楽」だとすると、もはや巨大編成オーケストラの方が時代遅れなのかも知れません。そうした風潮あっての事か、クラシック界でも古楽器、所謂HIP(Historically Informed Performance)演奏が人気の様です。具体的には、ヴィヴァルディ《四季》だとこんな具合(↓)。
    https://www.youtube.com/watch?v=A0NgTqvGS0s
     現代のバンドに近い傾向はありそうですが、それにしては土俗的に過ぎる気がせぬでもなし。遡ると結局そうなるのでしょう。土俗性のグローバル化と云ってよいのかしら。
    【2020/04/06 11:03】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (続き)
     歴史的な土俗性は民族性の根幹と絡む模様。「民族」という言葉を嫌ったヒトラーは代わりに「人種」という栽培的概念を持ち出した。もしかしたらグローバル化も、栽培的意味では近似した行動様式かも知れない。人材輸入の形で経済的奴隷制が復活するケースでは、輸入側を輸出側が支配するタイプの植民地モデルも当然あり得る。或る民族の土俗的生活様式が遊牧的に世界を支配して回る。入植された側にしてみれば迷惑な話だが、それをグローバリズム名目で正当化すれば国家モデルは足元から揺らぐだろう。
     従来は巨大編成の国家が互いに争い、或いは壁を構築してきた。それが国家も壁もないグローバルな時代になると、多様な侵入ルートを移民がそれぞれ発掘した上でコロニー化/自己集団化するのか、都会では顕著な風景らしい。ドイツの移民労働者は社会的に欠かせない役割を担っている模様。こちら青森の感覚ではピンとこないものの、あきんど様は北海道の皮膚感覚で現場への浸透具合に触れる。してみると生活者と労働者の~謂わば「土着性の壁」との折り合いが気になってくる。
     ローカルな筈の土俗文化が地域性の洗練を伴う例は多い。青森ねぶたは昔と大違いだし、京都文化の世界化は「どこの国だか分からない」錯覚へと誘う。差し詰め広島の筆はどうだろうか。書画用の筆が衰退(?)する一方、化粧筆は世界市場に販路を拡げる。…先日、月に一度くる店に行ってきた。最近の羊毫を見たところ、飴色に透き通った穂先のは少ない。昔は結構あった。穂先2cm以上の毛質が細く照りがある(細光鋒)。特注した時のは皆そうだった。それが今はない。原毛不足の影響らしい。
    ●和筆≠日本製
    http://diary.sousokou.jp/?eid=987
     こうした事は、実物を見ないと分からない。ネット画像で「見たつもりになる」のは単なる皮膚感覚の鈍磨で、使う身になって考えないと気が付いた時は手遅れかも知れない。…しかし思えば四十年前の時点で既に語られてきた事だった。榊莫山の本によると、ホウ古堂の思斉(当時の店主)や中国の職人がこぼしていたらしい。莫山が文革前のや思斉の作を持参したところ、湖筆の老工が「こんなの滅多に作れない」と感嘆したそうな。~そうした勉強を踏まえての広島応援である。
     約三十年前に特注した文宝堂の羊毫「渭苹珎玩」は13mm径80mm長、無銘あかしや筆は7mm径92mm長(どちらも奈良)。毛質はいいが前者は贅沢な出来なのに腰が弱く、腹の屈曲を活かして初めて腰が反発するタイプ。後者には「鯰の髭」と呼ばれた中林梧竹の筆を妄想したけれど予想より小さ過ぎた。半紙六字大くらい迄なら楷書に向いていて面白かったが…もう一回り大きい飴色3cmの10mm径130mm長にすればよかったと反省。
    【2020/04/07 18:23】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (今日は短く、覚え書き)
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-2319.html
     例のコロナ絡みで、広島トリエンナーレ中止(↑)の可能性に触れたのが2020.4.1稿だった。痒くはないが痛い。炙り出したら筆ネタの方が暴走したらしい。トリエンナーレはともかく、地域振興は欠かせまい。地道な努力の陰に中国からの原毛輸入が関わる。昔のストックを小出しにするにも限度はあろう。先年は日本のウイスキーが売れ過ぎて品薄になったそうだが、十年以上これから寝かせるとなるとねぇ。
    http://www.kumanofude.com/
     それでも広島は恵まれている方かも知れない。男に無縁な化粧筆、毛が短くてよいなら当面どうにかなりそう。試しに特注「渭苹珎玩」をヘルパーさんに見せたら、お顔を撫で撫でして「気持ちいい」と言っていた。三十年前の五万円、女なら涎が出るのかな。長いと却って不便なのかな。飴色部分の長い極上品なら特注になるんだろうな。
     筆屋にしてみれば不本意なのかも。本来の用途で錬磨した技術が生かせない。しかし需要が先細りでは仕方がない。いくら此処で書道の宣伝をしても効果は見込めまい。大正以来の書展ブームで筆のサイズが大きくなり過ぎた(昔は実用の小筆が中心)。今は書道パフォーマンスで毛質への拘りが失せた。そうした時代に相応しい頑健な筆が求められている様な。商業と文化は密接に繋がっている…なんだかなあ。
     月に一度くる店で4.5に景品用の色紙、紅星牌の本画仙を補充した。そこにトリエンナーレ中止の報きたる。あたしゃ書きたかったんだろうな。なんとなくガッカリ。
    【2020/04/10 18:26】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (続き)
     その後、こんな論考(↓)を読んだ。基本的には拙稿と通じる面が多く感じられ、大局的には賛同できる。ただし私は一部から「検閲」と見なされているものを、さも絶対悪の様に(?)語る姿勢には疑問が残る。…大学関係者に問う。論文の査読こそ、典型的な検閲ではないのか。発表の場に自由はあるのか。今はネットなどで、昔よりは自由に公開できるだろう。しかしそれを誰が読むのか/読めるのか。
    ●「ひろしまトリエンナーレ」の「中止」はもっとも悪い選択―-The Way We Were 志田陽子 | 武蔵野美術大学教授(憲法、芸術関連法)、日本ペンクラブ会員。 4/10(金) 22:58
    https://news.yahoo.co.jp/byline/shidayoko/20200410-00172603/
     こうも書いてある。本当に「手厚い保護が実現している」のだろうか。
    --------------------------------------------------------------------------------
    >また、現代美術の専門家がゼロになったことによって、すでに確立し固定した芸術観による選別が行われることが見えている。それではすでに各地域で手厚い保護が実現している古美術・伝統美術への文化財保護との違いが不明になり、「芸術祭」を銘打つ意味が見いだせなくなるだろう(筆者自身は古美術への愛好心もあり、古美術・伝統美術の価値を軽んじる意図はまったくないが、現代美術への理解と支援を見失った芸術祭は、明日の芸術の苗床としての役割を果たすことができない)。
    --------------------------------------------------------------------------------
     古美術の国外流出はどうか。買われたり盗まれたりしても、対策が充分に機能しているとは思えない。所蔵者や作家の遺産を遺族が売却/寄贈しようとする。博物館や美術館は予算不足などの理由で引き取ってくれない。中には誤って廃棄処分される例まである(↓)。
    ●東京大学中央食堂の絵画廃棄処分について
    https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/articles/n_z1602_00002.html
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    > 東京大学中央食堂は、東京大学140周年記念事業の一環として、老朽化が著しかった内装の全面改修工事及び厨房機器一式の取替を行い、2018年3月末に完成して皆様にご利用いただいているところです。ところが一部マスコミ等でも報道されたように、1977年の竣工時から約40年にわたって食堂の壁面に展示されていた宇佐美圭司氏の絵画作品が、改修工事の過程において廃棄処分とされていたことがこのほど判明いたしました(詳細な経緯につきましては、東京大学消費生活協同組合のホームページに掲載されている「東京大学中央食堂の絵画廃棄処分についてのお詫びと経緯のご報告」をご覧ください)。
    >  この絵画の所有権は東大生協にあり、東京大学の資産管理下にはありませんでしたが、工事の監修にあたった本学の教授は、作品を保存するべきであるという立場から、打ち合わせの段階で、意匠上も機能上も問題のない新たな設置場所を具体的に指定しておりました。ところがそのことが関連の会議では情報として適切に共有されず、絵画をそのまま残して設計を変更するか、作品を廃棄するしかないという誤った認識のもとで、所有権者である東大生協が廃棄処分の判断を下したというのがおおよその経緯です。廃棄処分は2017年9月14日に行われましたが、そのことが大学側には伝えられないまま、中央食堂の利用者から指摘があるまで半年以上の時間が経過してしまいました。
    >  当該作品が東京大学内の公共空間に設置されていた貴重な芸術作品である以上、所有権の如何に関わらず、大学側としてもその文化的価値についての認識を全教職員が共有し、情報の伝達に万全を期して細心の注意を払うべきでした。かかる事態に至ってしまったことは痛恨の極みであり、慙愧に堪えません。作品の保存可能性について正確な情報が共有されなかったこと、また現場の議論の流れで最終的な処分の決定を生協に委ねたために取り返しのつかない結果を招いてしまったことについては、本学にも少なからず責任があると認識しており、深く反省しております。宇佐美圭司氏のご遺族・関係者の皆様を初め、お問い合わせをいただいた多くの皆様、そしてこの貴重な作品に触れる機会を失ったすべての方々に、心よりお詫び申し上げます。
    >  東京大学では今回の事態を重い教訓として受けとめ、今後は同様な過ちを二度と繰り返さぬよう、学内に存在する数多くの学術文化資産について関係者間での正確な情報共有を徹底し、適切な保存・管理に一層の努力を重ねて参る所存です。
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     「芸術祭」とて所詮は一過性、発表と保存は別問題だろう。発表の機会は保護されてよいが、そこから先は面倒を見きれないのが実情ではないか。まさか保存すべき芸術作品か否かを、溢れる傷病者の群れの様にトリアージ(廃棄?検閲?)する訳にもいくまい。そこに矛盾があるのは認める。問題は矛盾の「向き」と質にある。
    【2020/04/12 23:32】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (以下、前稿と並行執筆した余談)
     時には奇妙な思いがよぎる。なぜ我々は、読む事を諦めるのだろう。さも当然であるかの様に。現に誰もが読めないならば、民主的に皆が読めなくなればよいではないか。その一相を人は芸術と云う。分からなくて当然なら、そんなものは「必要ない」と思いたくなるのも無理はない。
     痛感したのは世紀末、高校で芸術科書道を担当していた時だった。或る日、教頭先生から礼法室に呼び出された。「教育に芸術は必要ない」と言っていた。学習指導要領の根本否定で、批判なら幾らでも出来る。しかしそれが教育現場の現実である以上は無視できない。教頭は後に校長となり、やがて弘前市教育長となり、2016年の秋には叙勲を受けた。
     校長室に呼び出された時はトップ三名が揃って居た。「お前、読めるか、読めないだろ、読めないものは教えちゃいけない」と窘められた。総ての書道選択者が平易な平仮名を読める様にしただけだが、どうやら昔の日本語が読めてはいけないらしい。また別の先生(後に校長)は職員室で「書道は芸術でないもんな」と笑っていた。ただの軽口だから、本音の可能性が高かろう。
     私は本音を重視する。だから本気で分析し、何を意味しているか考える。その成果が此処、セレブ奥様ブログのコメント欄に眠っている。日本に芸術が西洋から入って以来の歴史的視点は避けられない。十七世紀の西洋(キルヒャーやライプニッツ)まではどうにか遡れた。なぜ昔の人は字が読めたのか、ドゥルーズ哲学の概念を手懸かりに解釈を試みたりもした。
     疑問は尽きない。芸術専門家の気持ち(鬱憤?)は忖度できる。しかし過激に煽ると却って逆効果となるのも分かる。抑も伝統の裏付けが希薄な場合、論争や世間からの拒絶は避けられなかった。「やがて私の時代が来る」と言ったのは指揮者で作曲家のマーラーだったか、当時シェーンベルクほどではないにしても前衛的だった筈。ツェムリンスキーの評価は遅れた模様。

    (以下資料、2ch旧稿の再掲)
    https://academy2.5ch.net/test/read.cgi/gallery/1002529942/
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    302 :わたしはダリ?名無しさん?:02/10/25 16:39
    全日本高等学校書道教育研究会調査「公立高校書道専任採用試験実施状況」(△印は実施状況不明)
    …年度∥五九|六〇|六一|六二|六三|平元|平二|平三|平四|平五
    北海道∥…△|…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×
    青森県∥…△|…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×
    岩手県∥…△|…○|…○|…△|…○|…○|…△|…△|…△|…○
    宮城県∥…×|…×|…×|…○|…×|…○|…×|…×|…×|…×
    秋田県∥…△|…×|…○|…○|…○|…○|…×|…×|…×|…×
    山形県∥…○|…△|…△|…○|…×|…×|…×|…×|…×|…○
    福島県∥…△|…△|…△|…○|…×|…×|…△|…△|…△|…×
    茨城県∥…○|…○|…○|…○|…×|…×|…×|…×|…×|…×
    栃木県∥…○|…○|…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×
    群馬県∥…×|…×|…×|…×|…×|…×|…○|…×|…×|…×
    埼玉県∥…○|…○|…○|…○|…○|…○|…○|…○|…○|…○
    千葉県∥…○|…○|…○|…×|…○|…○|…△|…△|…○|…○
    東京都∥…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×
    神奈川∥…×|…○|…△|…○|…○|…○|…△|…△|…×|…○
    新潟県∥…△|…×|…×|…×|…×|…○|…△|…×|…×|…×
    富山県∥…△|…○|…○|…○|…○|…○|…○|…○|…○|…○
    石川県∥…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×
    福井県∥…○|…○|…○|…○|…○|…×|…△|…○|…○|…○
    山梨県∥…△|…×|…×|…×|…○|…○|…×|…×|…○|…×
    長野県∥…△|…○|…○|…○|…○|…○|…○|…○|…○|…○
    岐阜県∥…×|…×|…×|…×|…×|…○|…×|…×|…×|…×
    静岡県∥…○|…○|…○|…×|…○|…○|…○|…○|…×|…×
    愛知県∥…△|…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×
    三重県∥…△|…○|…×|…○|…×|…×|…○|…○|…×|…×
    滋賀県∥…△|…×|…×|…○|…○|…×|…×|…○|…○|…○
    303 :わたしはダリ?名無しさん?:02/10/25 16:41
    …年度∥五九|六〇|六一|六二|六三|平元|平二|平三|平四|平五
    京都府∥…△|…○|…○|…○|…○|…○|…○|…△|…△|…×
    大阪府∥…○|…△|…△|…○|…○|…○|…○|…○|…○|…×
    兵庫県∥…○|…○|…○|…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×
    奈良県∥…○|…○|…×|…○|…×|…×|…×|…×|…×|…○
    和歌山∥…△|…×|…×|…×|…×|…×|…○|…×|…×|…×
    鳥取県∥…△|…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×
    島根県∥…×|…×|…×|…×|…×|…×|…△|…△|…×|…×
    岡山県∥…×|…○|…○|…○|…○|…×|…×|…×|…×|…○
    広島県∥…△|…△|…△|…○|…○|…○|…○|…○|…×|…×
    山口県∥…○|…×|…○|…△|…×|…×|…×|…△|…×|…×
    徳島県∥…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×
    香川県∥…△|…○|…○|…○|…○|…○|…×|…△|…×|…○
    愛媛県∥…×|…○|…○|…○|…×|…○|…×|…○|…○|…×
    高知県∥…△|…×|…○|…×|…×|…×|…×|…△|…△|…×
    福岡県∥…○|…×|…×|…×|…○|…○|…×|…△|…○|…×
    佐賀県∥…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×
    長崎県∥…△|…×|…×|…×|…×|…×|…×|…△|…△|…×
    熊本県∥…△|…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×|…×
    大分県∥…△|…○|…×|…○|…○|…○|…△|…○|…○|…○
    宮崎県∥…△|…×|…○|…×|…○|…○|…×|…×|…○|…×
    鹿児島∥…△|…×|…○|…×|…×|…○|…○|…○|…○|…×
    沖縄県∥…△|…×|…○|…×|…×|…×|…×|…△|…△|…×
    …○計∥十二|十八|十九|二十|十九|十六|十一|十一|十三|十三
    (情報源/『書道美術新聞』平成元年1月25日付、平成6年3月21日付)
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     苹がネットにデビューした翌年、楽しい論争となった。それと同様のコミュニケーションが「ひろしまトリエンナーレ」関連でも出来ていたらと思う。今はコロナにより中止となったが、再始動への期待がない訳ではなかろう。~最後に魅惑的な一曲をば。
    ●Berlioz - Fantasy Symphony Op.14 Karajan Berlin Philharmonic 1974
    https://www.youtube.com/watch?v=sK4dz6Gbcdk
    【2020/04/16 00:18】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (備忘録)
     こんな記事が出ていたので、取り敢えず記録する。
    https://www.asahi.com/articles/DA3S14443216.html
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    >(社説)芸術祭の中止 うやむやは許されない
    >2020年4月16日 5時00分
    > 広島県尾道市などで今秋予定されていた国際芸術祭「ひろしまトリエンナーレ2020 in BINGO」の中止が決まった。新型コロナウイルス禍が理由だというが、額面どおりには受け取れない。うやむやな対応は将来に禍根を残す。
    > 県が2月下旬、展示内容を事前に確認する方針を打ち出し、美術関係者からは「公然たる検閲」といった批判や懸念の声が上がっていた。企画統括の総合ディレクターが辞任を表明し、参加予定だったが出展をとりやめる意向を示したアーティストも多数いるという。
    > 湯崎英彦知事は、行政当局ではなく、新設する外部委員会が確認する仕組みであり、検閲との指摘は当たらないとした。だが、その委員会は観光や地域経済などを含む各分野のメンバーで構成され、原則として全員の同意がなければ出展を認めないというものだ。多様な表現のゆりかごであるはずの芸術祭にはおよそそぐわない手法で、受け入れられるものではない。
    > 昨年大きな波紋を呼んだ「あいちトリエンナーレ」の企画展に加わった作家たちの作品を、プレイベントに登場させたところ、多くの批判が寄せられたことが、唐突な「事前確認」方式につながったようだ。
    > 「あいトリ」は、表現の自由の重要性、芸術監督の権限と責任、行政がすべきこと・してはいけないことなど、多くの問題を提起した。その教訓を正しくくみ取らず、むしろその逆を行った揚げ句、暗礁に乗りあげたというのが実態ではないか。
    > 観光客の誘致や地域おこしをねらった芸術祭が花盛りだ。それ自体は悪いことではないが、集客第一、トラブル回避の発想で、既成の価値観や常識に沿う作品を展示するだけでは、新しい文化は生まれない。ましてそのために検閲まがいの事前審査を導入したらどうなるか。民主主義の土台である表現の自由は名ばかりとなり、国際芸術祭と銘打ちながら国際的な信用も失ってしまうだろう。
    > 近年、美術展や映画祭などをめぐり、表現活動を抑え込む動きが目につく。様々な意見や苦情が寄せられ、警備などの業務にも万全を期す必要がある自治体の苦労は理解できる。だが、事なかれ主義に流れた先にあるのは、生気と創造力を失った社会であり、地域だ。
    > 「あいトリ」では、批判や抗議に出展者らが直接耳を傾け、新たなコミュニケーションの回路を切り開く成果もあった。広島にもまだ多くの可能性が残されているはずだ。コロナ禍が収束した後に向けて態勢を立て直し、あるべき芸術祭の姿を探ってほしい。
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     「広島にもまだ多くの可能性が残されているはずだ」…その通り。だからコミュニケーションの門戸は常に開かれている。右も左もないし、伝統芸術と現代芸術の区別もない。総ては歴史的に連続している。仮に歴史から逃れる事ができるとしたら、それは歴史から排除(検閲?)された作品くらいだろう。どのみち何らかの形での「検閲」は避けられないのだから、克服するとしたら作品自体が内包するだろう潜在的/未来的な力に頼る他あるまい。それを発見する仕事が鑑賞者/観光客に託される形だが、お客としては余所者から勝手に託されても困るだろう。却って客を遠ざける方向に行っていないか。芸術家の内輪で勝手にやってくれた方がいい。そこが心配ではある。なぜなら、見て貰う事それ自体が一種の「検閲」なのだから。
    【2020/04/17 05:13】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


     うちの婆様が2020.4.21退院した。時間はかかったが病院で隔離された状態ゆえ、余計かつ過剰な心配は要るまい。これから回復の程度がどうなるか気懸かりなれど、ヘルパーさんが来てくれるのは有難い。久々に手を握ると少しは食欲が戻る模様。今のところ粥状。

    (前代未聞の覚え書き)
     コロナ騒動で田中貴金属が民間売買を停止したのには驚いた。それも1980年以来、国内金相場の最高値更新というタイミングで。英のEU離脱直後からコロナはヨーロッパで蔓延するし、ニューヨークの動きも実際どうなっているのやら。原油は需給関係が激変したらしく、なんとマイナス…「カネ払うからブツ引き取ってくれ」状態に仰天。今の時代は先物などの情報/売買が世界規模で機械化・自動化されているから直接の影響は少ないのかも知れないが、人が止まっているのに機械は動くってのも奇妙ではある。生身の売買が閉め出されている様な。中国などの動きはどうだろうか。ともかく、どんな形であれ今回の出来事は経済史に残る筈。

    (ちょっと妄言)
     御家流で書いた方の色紙画像を見て居て、ふと思い付いた。どうせトリエンナーレも中止になった事だし、売れるものなら買ってくれる人からカネを巻き上げ、全額「つくる会」に寄付したら如何なものかと。教科書検定が最悪の事態とあらば、暫く厳しい状況が続くだろう。あっしのネット文章はカネにならないけれど、色紙の方は試してみないと分からない。そこんとこはセレブ奥様に一任します(←悪徳業者?)。…でも万が一、買う人が居たら損な話だよなあ。所詮は二束三文以下のゴミなんだから。私なら絶対に買わない。出して貰った二つの画像(「雅」と「宙」)なんざ、特に右の方はどちらも裂いて捨ててオシマイになる。もし高く買ってくれる奇特な人が居るとしたら、それは「つくる会」を応援する人に違いあるまい。(どっちみち景品だw)

    (追記~1989年の話)
     カラヤンが四月ベルリンを辞任し、ウィーンは「俺達の番だ」と思ったという。しかし七月に死んだ。ザルツブルク音楽祭では代わりにショルティがヴェルディ《仮面舞踏会》を振った。カラヤン最後の録音となったオペラCDで(DG F00G20468/9)、ショルティ翌年の上演はDVD化された(TDK TDBA0092)。記録が残るのは大切な事だと思った。古典であれ何であれ、保存された作品/出来事は尊い。トリエンナーレの場合はどうなのか。ただ展示/公開される事だけが目的だったのか(まさかネェ…?)。
    http://www.karajan.info/concolor/1957/SalzburgFestspiele1989.html

    (またまた回顧のBGM)
    ●Lazar Berman & Herbert von Karajan - Cjaikovskij; Piano C.to n. 1 op 23
    https://www.youtube.com/watch?v=mvQ51wI7lDg
    【2020/04/22 01:25】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (妄想追記)
     歌劇場では演出家と芸術監督の対立や支配人との関係の他、政治家の関与する例が結構あると聞く。カラヤンの場合、wikiには「ベルリン・フィルやドイツの野党からも退任を求める声が高まった」と書いてある。そんな話題を色々と読んできたせいか、愛知や広島のにも「何かゴチャゴチャやっとるな」程度の感想しか湧かなかった。私は芸術祭それ以前に広島自体を応援したつもりだし、政治家の関与にも抵抗はない。辞任やボイコットどころかドタキャンだって「ま、そういう事もあるさ」となる。広島交響楽団は参加するのかな、といった興味はあるけれど青森からでは遠くて行けねぇ(苦笑)。
     新聞では批評と「検閲」の区別が付かない論調ばかり目立ってゲンナリする。例えば、かの有名な佐村河内守(新垣隆)のsym.1《HIROSHIMA》を演奏すれば話題になるだろう。それを残念がる論調や要望などがあってもよいのに、皆なぜ金太郎飴なんだ。もっと面白がればよいではないか。作曲者は著作権を放棄したそうだから、カネの節約にもなる筈。その代わり所謂ビッグ5を招聘したらどうなるか。原爆を落とした国の最高レベルが広島で演奏…想像するとゾクゾクする。それだけでは勿体ないからライヴ録音ね。ベルリオーズの幻想交響曲では、アバド盤(1983)に広島の鐘が使われたという。
    ●Berlioz - Symphony fantastique, Op 14 - Abbado
    https://www.youtube.com/watch?v=SCuKg6Dgc6I
     この際、最初から企画し直せばよさそうに思える。作曲者は或る意味「現代のモーツァルト」になった。最晩年のレクィエムの様に注文を受けて曲を書いた。注文主が作曲者を偽装する予定だった点、似ている。~こんなのが実現すれば、愛知とは全く別のインパクトを持つだろう。ザルツブルク音楽祭ならぬ広島音楽祭、美術なども絡んで芸術祭となれば別府より大規模になる。カネは食うけれど集客も見込めそう。んでもって公金投入、補助金の有効活用という訳だ。ただし交渉には何年もかかる筈。その時コロナ騒動は終息している可能性が高いが、まだ世界経済面での影響は残り続けるのかも。

    (蛇足BGM)
    ●長崎の鐘 藤山一郎 昭和の歌
    https://www.youtube.com/watch?v=z-000VudpMg
    【2020/04/24 05:46】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (脱線補記)
     ここから先は物騒な話になる。広島と云えば延々と続く平和の大合唱、思わず「それって平和ビジネスかい」と揶揄したくなっても仕方がない。まるで宗教の儀式、日本生まれのミサみたいなものか。しかも「怒りの日」(神の軍勢?)の類は想定されていない。ならば平和軍/平和維持活動にも違和感が残るだろう。「向き」が違い質も低ければ現実的とは云えまい。実際、自衛隊はあっても日本軍はない。そこで自衛隊を軍と同一視して「現実」に見せかけようとする。それよりは憲法九条を変えて自衛隊を国軍化し、真っ向から「取り戻された現実」を批判する方が真っ当ではないのか。
     他方には、例えば日本の核武装を望む声もある。これが呆れるほど不徹底らしい。軍事の目的は勝利であり敗北ではない。具体的かつ緻密に攻撃方法を研究し、計画の完成度や対戦能力を高めないと兵器など役に立たない。核兵器も予め使える兵器として考えない限り現実的にはならない。米ソ冷戦の発想が実戦の前提から生まれた様に、どんな形の勝利を目指すか目標がないと忽ち綻びが出る。…こう思った事はないか。生物兵器は制御不能に陥りやすいが、核兵器は制御可能であると。この点では核兵器の方が「使いやすい」条件を満たす筈。平和獲得手段の一つとして開発された模様。
     こんなふうに書くと「ほら、戦争したがっているじゃないか」と思う人が出るに違いない。…必ずしもそうではなくなった。戦争の手段が戦争抑止の手段にもなる、両義的な時代が到来した。しかし軍略が貧弱だと戦争は敗北の手段と化し、勝利と呼ばれる平和は遠のく。敗北と平和が混同されるケースはむしろ例外的で、植民地化政策の緩和と連動した錯覚の一つではないかと思う。大抵の敗北は悲惨な結果となる。平和実現手段としての国連中心主義も考えられぬではないが、来歴が連合国軍の儘では説得力に欠ける。国連軍が戦争に負けたら、却って取り返しが付かなくなるのではないか。
     軍人や自衛隊員の居ない世界と、警察官の居ない世界…どう違うのか。どちらも相手が平和的な犯罪者なら暴力もて取り締まる必要はないし、そうした前提に立つなら警察も解散して構わないだろう。或いは警察官に拳銃や警棒などの武器や盾を持たせないと仮定して、当事者に対し「丸腰の姿勢で犠牲者になればよい」と云えるか。警察にも当然「軍略」はある。適切に人員配置し、容疑者の円滑な逮捕を目指す。警察が負ける訳にはいかない。軍隊同様、目的達成のため手段を選ぶ。もちろん容疑者にも言い分はあるから、次は裁判の段階となる。昔の軍事裁判/軍法会議も含まれる筈。

    (備忘録)
     前稿を踏まえると、この記事(↓)は興味深かった。参考までにリンクして置く。
    ●東京都のアーティスト支援プロジェクト ――そのエールは誰にどこまで届くか 志田陽子 | 武蔵野美術大学教授(憲法、芸術関連法)、日本ペンクラブ会員。 4/25(土) 4:55
    https://news.yahoo.co.jp/byline/shidayoko/20200425-00175135/
    【2020/04/26 05:54】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (続報)
     次回の愛知では広島方式を参考にするのだろうか。それとも偶々、似通った発想になっただけだろうか。先の騒動を踏まえ、ともかくあれから検討を重ねてきたらしい。
    https://news.yahoo.co.jp/articles/4c4be50a42440efc74641f3c9308e257638fd36b
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    >2022年『あいちトリエンナーレ』 組織委会長候補に大林組会長 芸術監督やテーマ等を決定
    >4/27(月) 16:25配信
    >東海テレビ
    > 2022年、次回の「あいちトリエンナーレ」に向け、芸術監督やテーマを決める組織委員会の会長候補として大手ゼネコン大林組の大林剛郎会長が選ばれました。
    > 愛知県の大村知事は27日の会見で、次回2022年の「あいちトリエンナーレ」の組織委員会の会長候補として大林組の大林剛郎会長が選ばれたと発表しました。
    > 大林会長は現代アートのコレクターとして知られ、東京にある森美術館の理事やアメリカのニューヨーク近代美術館の国際評議員などを務めています。
    > 去年のトリエンナーレを巡っては企画展「表現の不自由展・その後」で慰安婦問題をテーマにした作品などの展示に抗議が相次ぎ、一時展示が中止される混乱がありました。
    > これを受け、愛知県は次回の開催に向けて体制を見直すことを決め、知事が会長を務め運営にあたってきた「実行委員会」を改め、新たにトップを民間から起用して「組織委員会」を立ち上げることを決めていました。
    > 組織委員会は夏ごろに設立される予定で、会長は運営責任者として芸術監督やテーマ、予算などを決めます。
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    https://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2020042702100153.html
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    >あいちトリエンナーレ、組織委会長候補に「大林組」会長 芸術監督の権限縮小しテーマ、作品選定をチェックへ
    >2020年4月27日 22時25分
    > 愛知県は27日、2022年に予定している「第5回あいちトリエンナーレ」の組織委員会会長候補として、建設会社「大林組」会長の大林剛郎(たけお)氏(65)を選んだと発表した。少女像など作品に抗議が殺到した昨年の第4回からの組織見直しを受けた新しい役職。芸術監督が選ぶテーマ、作品を承認する。
    > 大林氏は創業家出身で、ニューヨーク近代美術館国際審議委員など、国内外の文化団体委員を務めており、東京都港区の本社では、草間彌生さんらの作品を展示している。
    > 昨年12月、大学教授、美術館長らでつくる検討委員会で会長を民間から起用すべきだ、との意見があった。夏の組織委の正式発足後、就任する。
    > あいちトリエンナーレではこれまで、愛知県、名古屋市、地元経済界、芸術界による実行委員会が運営していたが、組織見直しで、組織委に運営が移行する。テーマ、作品選定を担っていた芸術監督のこれまでの権限は縮小し、会長がチェックする。
    > 実行委は第4回の負担金の一部不支出を決めた名古屋市に、負担金支払いを求めて提訴するかどうかを現在、メンバーにはかっており、4月30日までに寄せられた賛否に従って決定する。芸術監督は通常、開催2年前の夏に決めるが、第5回は今秋にずれ込む見込み。
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    【2020/04/29 22:23】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (追憶)
     当方、コレクターの世界とは縁がない。抑も作品制作しないし買う訳でもない。本で読むと青山二郎や白洲正子など審美眼イメージが重なるけれど、骨董と現代美術との懸隔となると手に負えず判断できない。誰が持っていたかが重要、との見方がある所からすればコレクターの役割/機能は無視できない。さりとて権威化した歴史に阿るのも癪に障る。出来る事があるとすれば自分の書いたものを破り捨てるだけ。…三十年ほど前、いったん表装する所まで行ったのを先輩宅で掛けたらムズムズして衝動的に切り裂いた事がある。表具師には申し訳ないが…ナントカに刃物と云うではないか。
     他に表装したのは、その前後の一度だけ。これは切り裂き魔(笑)の手を逃れ、某精神科医(先輩の友人)へと渡った。私は一度しか会った事がないが、盛岡から佐賀に転勤すると聞いたので先輩経由で贈ってみた。日下部鳴鶴の隷書を真似た対聯、記憶の中では美しい儘だから「もう二度と見たくない」。何が起こるか分からない…とまでは云わないものの、苹にとって唯一の「作品」ではある。たとい一点しか持っていなくても、コレクターは作品を庇護できる。お金は関係ないと思って居る。商売人と決め付ければコレクターの本質を見誤る。コレクター気質の商売人は少なくないらしい。
     いつ頃からコレクターに金持ちのイメージが付き纏う様になったのか。蒐集癖を前提すれば納得できぬでもないが、書の場合は特殊で安値安定が続く。人気がないと云えば身も蓋もないけれど、それだけ掘り出し物が埋もれている可能性は高い。…昔のコレクターが死に、遺産を二束三文で売り払う。価値が分からないし読めない。そうした出物が結構あると聞く。高値ばかりが注目されると、コレクターのイメージが民間から乖離しやすいのかも。西洋や支那の舶来品は人気があるのに比べ、日本の骨董は論外となっていく。価値を値段で格付けする風潮が目立つと暗澹たる気分になる。
     コレクターとパトロンの違いはよく分からぬが、いづれにしろ作家にとっては庇護者と云えるのだろう。作品が作家自身から危害を加えられる前に、両者を分かち隔離してくれる。だから後に作品が残る事もある。この心理は実作した人でないと分かりにくかろう。未完の自作を破棄してくれと言って死んだ作曲家や、若い頃のを「自作ではない」と否定し続けた画家などが思い浮かぶ。ただの不出来とは違い、微妙に出来の悪い作ほど苛立ちは増してくる。庇護されぬまま自作に直面し続けたゴッホの結末は極端な例だろうが、似た気分に駆られる事は今の学生にも屡々ある筈と思う。
     なお前稿の大林剛郎氏については当方、何も知らない事を断って置く。
    【2020/04/30 21:35】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    あれ、売りに出してもいい?
    いや、出さないけど・・・・
    やってみる?

    トリエンナーレ、結構お気に召したようですね。
    行政は、みんなこりごりなんじゃないでしょうか。
    【2020/05/01 23:15】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >あれ、売りに出してもいい?
     三十年も経ってから「作品と呼ばず、景品と呼べばよいのだ」と気付いたのは…やはり遅過ぎたんでしょうなぁ(苦笑)。試してみて幾らになるか興味はあるけれど、発送料が売価を上回るとセレブ奥様の方が損をする。余りに低額だと寄付できませんわいナァ。因みに原価は色紙一箱(五十枚)八千円くらいでした。
    http://www.tsukurukai.com/kikin.html
     べらぼうな金額で買ってくれる人が居たら有難いけれど、あくまで目的は「つくる会」への寄付でござんす。だから「作品の売価」ではなく、「寄付してくれる人への景品」扱いとして貰いたい。気に入らなかった場合、さっさと裂いて捨ててくれたら本望です(自分なら、自作をそうする)。
     売れなかったら、そのまま「ひろしまトリエンナーレを考える会」解散時の景品として無料配布でもして下さいな。ただし~これまで送った五枚の色紙、ゲットする優先権は西尾先生とセレブ奥様に委ねます。

    (蛇足~アンフォルタス再掲)
    https://www.youtube.com/watch?v=DdaX3fVaQXA
    【2020/05/02 08:05】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (雑感追記)
     寝たきりの婆様がヘルパーさんに「お尻が痛い」と訴えた。ドーナツ型のクッションがあった筈と探したが見つからない。…代わりに余計なものが押し入れから見つかった。
     これまた三十年ほど前のもの。何かの書展に出した小さなパネル仕立てに、「興来恣佳遊」と書いてある。…思い出した。ベニヤ板や角材を切って組み立て、裂を張る。そこに裏打ちした本紙を両面テープか何かで貼り付ける。所詮は素人の作りだから、普通の表具と違って売り物にはならない。表具もどきの体裁は元々「売れる訳ない」のが前提で、誰もが皆そうやって出品していた。とっくに諦めているのだ。もはや書は作品にならないのに、さも作品であるかの様に出品する。後には何も残らない。出した後、さっさと処分する場合もある。
     こんなのを出すくらいなら、ただの色紙に書いた方がよほど売り物になりやすかろう。手間もかからず書きたてホヤホヤ、…しかし実は色紙に書く方がずっと難しい。小さいから展覧会形式にも似つかわしくない。だから皆、大作を書く。サイズは概ね半截が下限で、二×八尺が標準。大きなものでは全紙六枚継ぎとか、それくらいのが会場では見映えがする(これでもまだ小さいくらい)。最高峰の日展にでも行くか、そんじょそこらの大学書道科展を見れば分かる。買っても仕方のないサイズで、飾る場所がない。どれも展覧会専用作品、もはや床の間に掛ける時代ではなくなった。
     西尾全集に若き日の写真がある。床の間に仮名の掛軸が見える。今は昔の、家庭にあった風景だった。~書が家庭を見放した。飾られる事を断念した。家庭も書を見放した。古臭い日本的なものより、「先進的」な西洋美術に基づく態度を優先した。
    【2020/05/03 10:39】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


     続ける。~以下は西尾幹二『歴史の真贋』(新潮社)P.167より。
    --------------------------------------------------------------------------------
    > 自身が身体を動かしてやるわけではないから、という絶望も語っている。批評家の悲しみも語っている。ここはキーポイントです。物を作れない人間の閉塞感。批評の世界は要するに鑑賞の世界です。
    >「美を創りだす世界ではない。どうしてもそのことを意識せざるを得ない。この意識は実に苦痛なものだ。これも地獄だ。それが嫌なら美学の先生になりゃいいんだ」
    > 美学の先生はダメだと言っているのです。この辺りのことには小林さんの芸術と人生の関係をめぐる本質的な観点が現われているように思えてなりません。坐っているだけの学者を見下しているが、一方では美を創りだしている人に対して劣等感を持っている。
    --------------------------------------------------------------------------------
     ここでは「作れない人が作る人を救う」という観点が薄れる。作る側から見れば「そこまで卑下する事もなかろう」となる。P.163には「偽物の効用を認めなければ、書画骨董界は危殆に瀕する」(小林秀雄)とある。…何かで読んだ記憶がある。明治を代表する書家の中林梧竹かと思うが、自分の贋作を見つけると面白がって本物の自用印を捺したらしい。ここまでくると別の意味で真贋の「向き」がガラリと変わる。そうした世界が床の間にはあった。ところが床の間を喪失すると、真贋の必要がなくなる。真贋がなくなるのではなく必要の方がなくなり、本物だらけの世界となる。むしろ失われるのは贋物の方だ。それが真贋の「向き」を左右する。必要とされない本物の世界が贋物を駆逐する。
     贋物を作る必要のなくなった時代、作る技術のある人は仕方なく(?)自分の名前で出さないと当人が駆除される。生活と趣味の倫理的断裂と云っていいかも知れない。書ける人は今も沢山いるのに、存在の必要がない。5chを見ると贅沢の扱いで、コロナ含みで「要らない」の大合唱が異様なほど巻き起こっている。皆ネットで充分と云う。質はどうあれ、本物の必要自体が疑わしい。贋物より本物の方が品質は低いのかも。嘗てカラヤン批判で聞かれたのと同様、本物を編集した贋物の方が完成度は高い。今はそれを無料で読んだり聴いたりできるのだから、こんな魅力的な複製世界では誰もが病みつきになるだろう。…芸術上の阿片性は昔、クインシーからベルリオーズに伝染(?)した模様。
     本物は透明になり過ぎた。神秘性を失い価値も落ちた。そこに骨董の魅力(魔力?)が息を吹き返すのかも知れない。…作れないのではなく、作るべき時代を失ったとしたらどうか(生まれるのが遅過ぎた?)。絵画や音楽と違って書ならどうにかなった面もあろうが、その機会も今では大概なくなった。かと云って、書き過ぎると野暮になる(良寛の過大評価?)。本物なのに贋物に見えるのは、真似事の真価が排斥されてしまったからではないかと思う事もある。今は狂気じみた(?)独創性ばかりが重視され、奥底の基礎には目が向きにくい。独創性と本物とは殆ど関係がない。独創性と無媒介な本物には、他方の極で平凡な正気が成長する。~「2020/02/11 08:20」稿で、こう書いた(↓)。
    --------------------------------------------------------------------------------
    >奇妙な言い方になるが、狂気には正常なものと異常なものがあるだろう。その認識は他者の見方次第で変わる。盲目の手探りに直面した時、歴史と伝統の地図を参照しないと何処に行けばよいのか分からない。たぶん歴史と伝統、正常と異常、狂気と正気は全く別の判断軸かも知れない。にもかかわらず、互いに交じり合ってしまう。歴史は正常な狂気、伝統は異常な正気と言い換えてもよさそうに思えてくる。
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    【2020/05/04 10:29】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (続き)
     「2017/10/22 21:45」稿(↓)で、西尾少年の清書に触れた。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-2084.html#comment
     その時の井上桂園「工夫力作完成」教科書手本画像が見つかった(↓)。小林秀雄の頃は国定第二期。甲種は日高秩父(梅谿)、乙種は香川熊蔵(松石)が書いた。大正七年からは第三期、西尾少年の頃は第五期だった。
    https://ameblo.jp/3722km/entry-12585642273.html
    https://ameblo.jp/3722km/image-12585642273-14735631779.html
     この世代、宇野精一の様な中二病(?)少年は篆書の真似事などして遊んだという。私も中二病で千字文の丸暗記を始めた。草書や変体仮名は既に読め、古典にも触れていた。誰も何も言わなかった。それに比べると今の中二は大変だ。アニメやゲームへの傾倒が問題視されたり揶揄されたり散々らしい。どうして昔式の中二病は廃れてしまったのか。友達と般若心経の速読み比べを楽しんだ(二人とも丸暗記)。クラスにギョクランズイという言葉を流行らせた(唐筆の玉蘭蕊)。面白い遊びは幾らでもあった。ただし中二病を卒業せずに拗らせると、苹の様な変態書道オタクになる。
     …私は逃げる。とにかく自分から離れたくてしょうがない。自分に追い込まれるのが嫌で、その自分が作品の様に見えると余計に始末が悪い。これでよかったのか、などと思い始めるともういけない。作品なんか書きたくない。作品と思いたくもない。でも世間が勝手に作品という見方を強いる。しかし結局は流され、作品らしき体裁で自分を飾る事になる。作品に自分が食われる。好きで自分を飾っている訳ではないのに、これではまるで緩慢なる自殺だ。自分の内なる切り裂き魔は、自分を守るべくして自分を切り裂こうとする。
     とは云っても、別に自分が嫌なのではない。自分が自分と近過ぎて表裏がなく、自分の鏡に鏡が映り無限回廊のごとき光景がひたすら向こう側へ遠離っていく。平たく云えば自分(こちら側)の底が浅い。にもかかわらず底の下(向こう側)は地獄の様に深い。そうした風景が日常にある生活は、実のところ慣れてしまうと大した事はない。自分と作品、二つの鏡に自己嫌悪が宿るに過ぎない。たぶん鏡の向こう側が遠過ぎて見えてこないからなのだろう。たぶん見る態度の問題が大きい。見方と見え方は違う。
     鏡を見て「私って綺麗?」と問いかける様な真似はしたくない。すると地獄の門が開く。してみると、ナルシストの方がよほど幸せだろうと思いたくなる。ところが地獄は動くので、今度は自然と地獄の方が追いかけてくる。~以下は前掲書P.183より。
    --------------------------------------------------------------------------------
    > オウムというカルト教団の事件に出会って、私は三島由紀夫のことを考えずにいられませんでした。「楯の会」は言うまでもなくカルトです。そして三島は作家です。作家の基本は身体なんです。身体で時代の病を表現している。作家とはそのような存在です。
    (中略)
    > 彼はそのつど病を先取りしているのです。果てしなく現実から遠く、それでいて、果てしなく狂気からも遠い。垂直の洞窟を掘り進むかのようにまっすぐに穴の中に墜ちていく。日常市民生活からかけ離れていく。このような行動の在り方において、オウム真理教と三島由紀夫は同じでした。もちろん三島さんには最後まで言葉があり、自己意識があり、日本の社会に対する強い倫理的意識がありました。そして他を破壊するのではなく、自分を破壊するのですから方向は逆です。しかし、ラディカリズムとカルトという点において、一致していたとあえて言ってよいと思うわけです。
    --------------------------------------------------------------------------------
     …昔、こんな出題があった。「スーパーの棚にて熟れてゆく××× 冷凍野菜より悲しいか」(俵万智「サラダ記念日」)の空欄を埋めよ。正解は「トマト」。そこに「私」と入れて発表した。微笑を誘った様だが、「冷凍野菜…」と続けたら皆、冷たく押し黙った。

    (蛇足BGM)
    ●Mravinsky - Shostakovich Symphony No.5 ムラヴィンスキー - ショスタコーヴィチ 交響曲第5番
    https://www.youtube.com/watch?v=sh936XImR_o
    【2020/05/06 04:45】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (続ける)
     無私とは一種の自己救済なのかも知れない。ありのまま在るだけで充分なのだから、わざわざ地獄を自分の中から手繰り寄せる必要もない。むしろ地獄なんか、作品の様にさっさと捨ててしまえばよい。「作れない人が作る人を救う」契機にもなる。作る人の地獄など知った事ではない。すると一切合切が他人事になり立場が変わる。結局、立場という地獄からは逃れられないと知る事になる。地獄の中身を別のものに変えない限り、この連鎖は際限なく続くのだろう。

     今世紀になってから、殆ど筆で書いていない。教員時代に買った巨大羊毫を試した全紙二字のは既に捨てた筈(2002頃)。キルドンム様が校訂した中文を書いてみた便箋(2009年末)は「つくる会」東京支部板に画像を出してから行方不明。別の便箋に書いた脅迫状(2012年初)は手元にあるけれど今後どうなる事やら。色紙景品群までの間は爺様が死に、婆様は寝たきり。苹も俄には外出ままならず、気分は晩年と相成った。チャイコフスキーは53歳でベルリオーズは65歳、ショスタコーヴィチは68歳と長生きしとるなあ。人間五十年も経てば、いつ死んだっていい頃合いではある。ただし何を遺したかとなると話は別…あっしのネット文章は目下どんなレベルかしら。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1937.html#comment
     定年基準で云えば今は任期定年の時代(雇用期間五年とか)、三十代でも充分まともに逝ける形となってきた。その辺については「2016/12/11 00:24」稿(↑)などで書いてある。バブル崩壊の頃から、嫌になるほど人材流動性が求められてきた。今のコロナ対策だって似たり寄ったりの面はあるだろう。肝腎なのは中高年以下の淘汰=流動で、彼らの経営する企業の倒産や、彼ら従業員の解雇へと繋がる筈(外国人労働者を含む)。今のところ、年金を貰う老年世代まで波及するとは限らない…もう少し後になるかと思う。
     成果主義が即戦力の若手という「幻想」を期待するなら、それは現役世代への失望と裏腹になるのだろう。育てる視線より使役する使命を優先しつつ、学校もまた生徒の使役を通して教育する。…昔、テレビで「使えねえ奴だな」との台詞を頻繁に聞いた。「これまで何を学んできたのか」の意味かと思った。今は文科省が学校にオンライン授業を期待する。少なからぬ一部の教員はICT(情報通信技術)に不慣れだから使えないらしい(例↓)。機材が使えないのと、教員が使えないのと。ネット信仰の陥穽/地獄が待ち受けている。
    https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1588808575/l50
     過大な期待が現実/未来への要請に変わると、過去を引きずる現実が消化不良を起こす。この手の流れはトリエンナーレでも同様だったろう。「今」が相手とすべきものは自分の足元に実在している筈。それがなかなか見えてこないから困る。「今」が胎む予兆を見抜くのは難しいとつくづく思う。自分の事とあらば尚更そうだろう。

    (記事転載)
     「書道美術新聞」改め「美術新聞」1167号(2020.5.1付)4面より。
    --------------------------------------------------------------------------------
    >公立高校書道教員“採試”実施は14府県確認
    >京都、10年ぶりに実施 未発表12県 昨年比、同等かダウンも
    > 今年も、毎年夏に全国の各都道府県で行われる公立学校教員採用試験(令和三年度採用)の募集要項の配布が始まり、美術新聞社の調べで全国の公立高校・芸術科「書道」の教員採用試験の実施状況がほぼ判明した(別表は、本号締め切りの四月二十八日時点で判明した実施状況)。
    > それによると、今年実施を決めているのは、岩手、茨城、埼玉、千葉、長野、京都、大阪、兵庫、鳥取、岡山、広島、山口、徳島、宮崎の一四府県。
    > また、北海道、青森、宮城、山形、福島、栃木、群馬、東京、神奈川、新潟、石川、静岡、愛知、滋賀、和歌山、島根、愛媛、高知、佐賀、長崎、沖縄の二一都道県では実施しないことも分かった。なお、秋田、富山、福井、山梨、岐阜、三重、奈良、香川、福岡、熊本、大分、鹿児島の一二県は、まだ募集要項を発表していないが、このうち昨年実施した県は四県に留まることから、見通しとしては今年は昨年と同等程度か、昨年を下回る可能性もある。
    (以下略)
    --------------------------------------------------------------------------------

    (打鍵、疲れた)
     この後、上記「別表」の「令和3年度採用・全国公立高校「書道」教員採用試験実施状況」も打鍵する予定。…気分転換に、ぶっ飛んだアニメの紹介でも。金曜深夜BS11再放送中。
    ●アクア(CV:雨宮天)、めぐみん(CV:高橋李依)、ダクネス(CV:茅野愛衣) / おうちに帰りたい(TVアニメ「この素晴らしい世界に祝福を! 2」エンディング・テーマ)
    https://www.youtube.com/watch?v=4LBpo1NxeLY
    ●PV「この素晴らしい世界に祝福を!」~冒険者カズマの奇跡~
    https://www.youtube.com/watch?v=OAnW7RA3tIY
    ●TVアニメ「この素晴らしい世界に祝福を!2」PV
    https://www.youtube.com/watch?v=9jVxMt845AY
    【2020/05/09 21:52】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    井上桂園さんの書いたお手本、
    すごくいいですね。
    でも本当に不思議、美しい文字の形って、
    誰が決めたんだろう。

    でも、確かに美しいと感じます。

    歴史の真贋読んでいるんですね。
    私には難しくてなかなか読み進めません。
    なんて書くと、また池田さんに罵倒されるけど。
    【2020/05/12 21:57】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >歴史の真贋読んでいるんですね。
    >私には難しくてなかなか読み進めません。
    >なんて書くと、また池田さんに罵倒されるけど。
     少しばかり疲れ気味の苹は、まだ前稿で予定の「別表」を打鍵する気になれない。そろそろ新聞、次号が出た頃か。数日後に届くのを待ってからにしようか…。
     …そう云えばセレブ奥様の名前で遊んだ後、池田様の名前でも悪乗りしてみた事がありました。あれは「2017/05/15 02:32」稿。こんな具合(↓)になったのを覚えて居ます。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1993.html#comment
    --------------------------------------------------------------------------------
    > 例えば昆池碣石/雞田赤城/俊乂密勿/東西二京などと片っ端から遊び倒すと、よほど変な(?)名前/字でない限り結構すぐに飽きてくる。そもそも千字文はナンバリングにも使われてきたくらい汎用性が高いから、続きの字で碣赤乂京みたいなハンドルネームを拵えたところで目新しさはない。通信傍受する米軍をさんざっぱら悩ませた薩隅方言ならまだしも。晩年のソシュールはアナグラムに興味を持った。
    --------------------------------------------------------------------------------
     『歴史の真贋』はかなり刺激的な本だと思いました。旧稿と絡む回想が別の形で押し寄せてきたりする。例えばP.176の記述(↓)。これを読んで、「2014/06/11 23:10」稿を思い出しました。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1648.html#comment
    --------------------------------------------------------------------------------
    >「俺は通だ」という人間はみんな通ではない。「半可通」になる。つまり偽物になってしまう。通ぶると言いますね。山東京伝などの示す通と野暮の関係はめまぐるしく変わる人間心理の世界です。野暮ったい格好しているのが通になったりする。粋がっていればたちまち野暮になる。
    > そのような通と野暮の関係は近世の江戸文学の繊細な人間関係を反映していて、フランスのモラリズムやパスカルの世界と江戸時代の戯作はどこか繋がっているものがあるのだと思います。
    --------------------------------------------------------------------------------
     この前後の記述が連想を駆り立てる。難しいと云うよりは、どことなく戸惑わざるを得なくなる表現もしくは視点が嗅覚を刺激するのでしょう。こちらとしては、それだけ自分に近寄せる読み方をしているのかと。さもなくば、本との接点が遠離ってしまう。後は何を、どう認識するか。これが時には数年かかるから困る。

    (今夜も蛇足BGM)
     その昔、最初に買ったクラシックの音楽ソフトは2600円のカセットテープ(CG3269)だった。掲出の前者は映像付きで、後者は高音質。…今にして思えば、何もかも懐かしい。
    ●Antonín Dvorák Symphony No 9 E minor From the New World Karl Böhm Wiener Philharmoniker
    https://www.youtube.com/watch?v=zHLYjGcge1M
    ●Karl Böhm Dvořák - Symphony No.9 (1978) VPO
    https://www.youtube.com/watch?v=ZnhrtLvIudg
    【2020/05/15 22:41】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (続・「つくる会」への寄付について)
     ここらで涎の出る話。~或いは、大いに迷惑な話(苦笑)。
     なぜ思い付かなかったんだろう。よくよく考えると、ずっと高値の期待できる景品が~最有力候補があるではないか。「つくる会」に×十万円以上を寄付いただいた方には、もれなく西尾幹二初代会長の揮毫した肉筆色紙を…てな企画はどうだい。(本人から断られる前に、取り敢えず書いてみる。)
     四十年近く前、大修館書店『大漢和辭典』縮刷版キャンペーンに諸橋轍次の揮毫した「天地無私春又帰」複製色紙が付いてきた。落款に「丁未春日 止軒」とあるから84歳になる直前ので、印は「諸橋轍」白文だった。…西尾先生に雅印はあるのかな。「俺に刻らせろ」と立候補する暇な読者なら数人は居るだろう。それを無料でやられたら、嫌でも書かざるを得なくなるに違いない。全集の題字だって毛筆だ。直筆を欲しがる人は多いと思うぜ。
     あっしの試した景品で少しくらいは希望的観測が見込めるなら、次は大御所ご老体の出番となっても不自然ではない。夏目漱石や川端康成だって、山ほど書を遺しているではないか。もちろん書く側の気苦労は熟知の上だから、そこまで老人を虐めなくても(?)…とは思う。しかしながら何の因果か、たぶん読者の涎は全国に滔々と流れる筈。
     以下は榊莫山『文房四宝 筆の話』(角川書店)冒頭。
    --------------------------------------------------------------------------------
    > 旅先や訪問先で、筆を出されて色紙とか画帖をつきつけられることがある。
    > たいてい「こんな筆よりないのですが……」というようなことを、はじめのうちは遠慮気味に言うくせに、もぐもぐ断っていると、かならず次に、
    > 「弘法筆をえらばず……なんて言いますから」
    > と押しつけてくる。嫌な気分のやりとりだ。わたしは、そういう押しつけに出会うと、なんとなく頭ごなしの威圧を感じる。
    > そういう画帖にかぎって、ページをくってゆくと、〈誠〉だの〈天真〉だの、さては〈無一物〉だのと、麗々しい言葉がならんでいる。
    > きっと「弘法筆をえらばず」で押しまくられて書いたのだろう。冴えた書はめったにない。見惚れるようなのもいない。
    > そんなのを見ていると、まるで刃のこぼれた包丁をつきつけて、名だたる板前さんに、刺身をたのんでいるような滑稽さが、その書の彼方に浮かぶのだ。
    --------------------------------------------------------------------------------
     西尾先生にも昔、そうした体験があったのではなかろうか。

    (今夜のBGM)
     この際、読者を音楽で煽ってみよう。
    ●Rimsky-Korsakov: Scheherazade / Gergiev · Vienna Philharmonic · Salzburg Festival 2005
    https://www.youtube.com/watch?v=SQNymNaTr-Y
    【2020/05/19 22:14】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    おもしろいアイデアですねぇ~~~

    う~~~む、私も書いてほしい。
    【2020/05/20 21:39】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    (断想)
     真贋の「向き」について「2020/05/04 10:29」稿で書いた。その後ふとした事から西尾幹二『人生の深淵について』(洋泉社、2005)を引っ張り出したところ、こう書いてあった(P.54↓)。
    --------------------------------------------------------------------------------
    > しかし私はこうした事態の到来を嘆いているのでも、悲観しているのでもない。もともと芸術とか文学とか学問とかいう仕事においては、真物と贋物の間を仕切るけじめが制度化していること自体がおかしい。「大衆受けしている彼らは贋物で、われこそは真物である」という選民意識、あの虚栄心の成り立たなくなった今、われわれはようやくにして、本当のものを相手に虚栄心を発揮することが可能になりつつある時代を迎えているのだといえよう。すなわち、他人を相手にする虚栄心ではなく、何か別のもの、自分を相手にする、と言ってもいいし、天を相手にすると言ってもいい、一層大きなものを相手にした虚栄心を発揮すべき時代を迎えているのだと言い換えても、これは同じことになるであろう。しかし裏返せば、真贋の区別をつけるのはもう天以外にはなく、現実には、贋物のはびこる時代の到来という結果になって終わることを避けることはできまい。
    --------------------------------------------------------------------------------
     初出は昭和末期の『逓信協會雑誌』。著者覚書には「同誌編集長の池田俊二氏の肝煎り」とある。平成が過ぎ去った後の拙稿では、この本が完全に脳味噌から滑り落ちていた。
     ここにある「真物と贋物の間を仕切るけじめ」の制度化は、一種の秩序を表現するだろう。私なりに言い直すと、それは「地獄の到来」に関わる「向き」の一つかも知れない。つまり大雑把に云えば「本当のもの」、すなわち「地獄は動く」という事になる。天国か地獄か、本当のところ分からない。その上どちらも見方次第では本物らしく(?)映るから、輪を掛けて始末が悪い。
     ~西尾先生が初出のを書いてから、かれこれ三十年以上が経つ。編集長も二人とも、今や見事ご老人らしくなってきたらしい(なんてこった?)。そしてセレブ奥様は見事…いい妖怪らしく…なった?(ネタ元は「2017/04/04 20:39」稿末参照↓)
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1937.html#comment
    https://www.youtube.com/watch?v=B59lCPGKsdE

    (今夜のBGM)
    ●Beethoven: Symphony No.4 / C.Kleiber Bayerische Staatsorchester (1986 Movie Live)
    https://www.youtube.com/watch?v=_Lihw4pQMF0
    【2020/05/22 20:36】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    つぶやきあきんどです。

    久々に書き込む気になれた。
    どこに書こうかなと思っていろいろ悩んだ。
    最初はコロナ関連に書こうかと思ったけど、うさねこ様と池田様の書き込みがあまりにも完璧すぎて、突っ込みができなかった。

    しかし悶々とした気持ちだけは内臓にたまる一方で、このままだとコロナにかかる前に自己破綻しそうなので、甘える気持ち丸出しで苹@泥酔様のところに書かせてもらうことにした。

    最初は「悲劇」を主題に書こうと思っていた。
    そんな時突然雷が鳴り始め、五月にしては珍しい響きを久々に聞き、私の悲劇論文なんか、この現実の世界の「音」に完全に負けることを自覚し、あえて「喜劇」に頭をスイッチした。ところがこのご時世、なかなか「喜劇」の題材が浮かばない。
    今の世の中余りにも現実が悲壮的で、私の足りないお頭では、そこまでもっていく才能が完全に乏しい。

    仕方がないので「ヴェニスの商人」でも読み返そうかなと思ったが、正直今自分がそれをする気持ちにどういうわけかなれず、もっと単純なものをきっかけにしようと模索したが、これまたいい材料が見当たらない。

    こうなったらとことんくだらないものにもそれを求めてみようと思い、ようやく思いついたのが、私の初恋でもある「小さな恋のメロディ」という映画を観ることで決心がついた。
    この映画は私が11歳のころ、イギリスの小さな映画会社で製作された、ローカル映画である。ところがなぜか日本で大人気となり、当時の日本の映画雑誌を。賑わした。
    当時私もこの映画は2回見た。
    そして主人公のメロディーを演じたトレイシー・ハイドに生まれて初めて恋心を抱いた。
    これがきっかけで、私は女の子を見る角度が変わっていった。
    女だらけの家族に育った私は、正直女性をその性別通りに見る感覚がそれまで全然なく、この映画によって「恋心」というものに初めて出くわしたと言って良い。
    以来、メロディーに似たような女の子が現れ自分の中でそれをしっかり印象付けた時から、どんどんその子が気になりだすという状況になった。

    とまぁ、こんな感じで私は思春期を過ごしていた。
    そして先ほどの「喜劇」の話題だが、実はこの映画、「ロミオとジュリエット」の喜劇版だと思えば良いのだろうと思うのだ。最近の若者の恋愛物語の実態は把握していないが、おそらく想像するに、女性と男性の垣根がない、中性的な恋愛が横行しているのではないかと、勝手に思い込んでいる。ところが最近、韓流ドラマが再燃しているらしく、純粋な「性」の欲望を求めている日本人が相当いるという事を、この事実からも伺える。
    はたしてどれくらいの割合で「悲劇」と「喜劇」が存在しているのか全く分からないが、恋愛ものでの喜劇という演出は、案外簡単そうでそうではないということに、今回私は初めて気づいた。普通に笑わすことで片づけてしまう物語なら、それは喜劇ではなく「お笑い」で終わってしまう。この映画のように、同世代の子供たちの心をえぐる恋愛喜劇は、なかなか作れそうで作れないのではないかと正直思った。
    この物語は、けして笑いを求めているのではなく、「悲劇」の裏っ返しをちゃんと心がけている結果を生み出していて、大人が見れば単なる下らない子供の火遊びにしか見えないが、同世代の子供が見れば、ちゃんとした「恋愛喜劇」なのだ。

    実は私も20の頃再度偶然この映画をテレビで見て、懐かしいなぁと思いながらも、めちゃくちゃ恥ずかしい気持ちで見ていた記憶がある。
    こんな子供じみた物語に胸きゅんした自分が恥ずかしくて仕方がなかったのだ。
    これがもし、「悲劇」であればおそらく重みのある物語として、20歳の私にも当時と同じ心境にさせてくれたのかもしれないが、正直途中で観るのをやめてしまった。

    つまり、20歳の私は、「喜劇」の本質を理解していなかったのかもしれない。いや間違いなく理解していない。「ロミオとジュリエット」と「小さな恋のメロディ」が悲劇と喜劇で対になっていることなんて、全く認識していなかった。
    この映画は当時現地のイギリスでさえまったく認識がなく、日本以外は全く無視された作品だった。

    ここでもう少し掘り下げてみよう。
    英語をヒヤリングできる人とできない人の差がまずあるのかもしれないと言う点。ここがおそらくかなり大きな影響を与えているんだろうと思う。
    役者のセリフがあまりにも下品で、聞くに余りある事実が耐えられないという評価が当時あった。私は今だってほとんど耳は日本人なので、そこまで探る能力がない。でもヒヤリングができる人にとっては、おそらくこんな下品な映画はないと最初に思うのだろう。しかも12歳以下の子供たちが見る映画ではないと単純に思うのかもしれない。

    実際20歳の時にテレビで観たとき、解説者は淀川長春さんだったが、彼はこう言っていた。
    「この映画はけして大人から観ると、質の高い映画だとは言えません。ところが日本人の若者はとにかくこの映画が大好きで、人気があるのです。どうか視聴者の皆さん、それがどうしてそうなっているのか探ってみてください。どうしても見るに耐えないのなら、音楽だけでも聴いて楽しんでください」と。

    私はこう思う。日本人はおそらく、戦後とか戦前とか、そういう区分けに関係なく、ハピーエンドが基本大好きで、過激な悲しみや、余りに現実的な悲劇は、受け入れることが苦手なのではないかと。日本人は「悲劇」的現実の中に生きることは可能でも、「悲劇」的夢想を好まない体質なのではないか。大げさかもしれないが、そんな感じがする。しかし、当時の子供たちはこの映画を「喜劇」だと思って観ていない。おそらくどこか可哀そうと思いながら観ていたのではないだろうか。どうして大人は純粋な子どもの気持ちを理解してくれないんだ・・・と、思いながら観ていたと思う。

    ただ、今の子供たちにこの映画を見せても、おそらくあまり感動しないのかもしれない。
    彼らの中の恋愛意識はもっと簡素か、もしくは複雑で、しかも物語の展開が奇想天外なものでないと、見る気になれないのではないだろうか。
    私が20歳の時、この映画を観て恥ずかしくなったのは、おそらく18歳の時に「スターウォーズ」を劇場で観て、その時すでにこの二つの映画を比較すること自体無理で、その時の自分に「小さな恋のメロディ」の価値観を再確認させることの方が、かなりの無理があった。その点においては時代に関係なく、基本物語がしっかりしていて、映像も完璧に近いものを見せられると、ちんけな恋愛ものなんか見る気が起きないという心理はよくわかる。
    私がこの映画が「ロミオとジュリエット」を意識していることに気が付いたのは、33歳の時だった。妹がたまたま「メロディ」を録画していて、そのビデオを借りて観たのだ。31歳で結婚した私は、かなり家庭的な環境のなかにあり、ほのぼのとした映画を観たい心境にあった。
    そして映し出された最初の映像を観てハッと思った。ロンドン(だと思うのだが)の街の上空から映し出されたその映像は、「ロミオとジュリエット」の映像と瓜二つだったことに初めて気が付いたのだ。
    どちらの映画も朝もやのロンドンの姿を最初に映し、徐々にそこに生きる人々にカメラが近づいていく。今思えば完全にパクりなのだ。
    たしかオリビアンハッセイが演じた「ロミオとジュリエット」は「メロディ」が作られた2年前くらいではなかったか。
    当時の若者は、立て続けに心をえぐられたという事なのかもしれない。
    【2020/05/25 06:46】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    苹@泥酔様が常々語っている、本物と偽物の「差」は何かであるが、どこまで幅を広げるかということが普通に査定基準になると思う。
    ではその幅は誰が決めるのかというと、ある程度目利きができる人間が競いあって選ばれるべきだと考える。
    難しいのは書の世界だけではなく、芸または道と名のつくものの査定は専門家でさえわからないのなら、素人は臆せず堂々と語ればいいという理屈になる。

    仮に「メロディ」がほぼ贋作に近いものだったとしても、間違いなく恋愛喜劇に挑戦した作品なのだ。
    我々日本人はそれに気づかずに今日までこの作品と付き合ってきたことになる。
    そんなことに今まで気づかずに・・・・
    これを見た後、姉は私にこういった。「メロディーはもう今かなり太っちゃって、いいお姉ちゃんになっちゃったみたいだよ」と。
    「へぇーそうなんだぁ、がっかり」と、一応は言いつつも、即座に自戒し自分にこう叫んだ。
    『だったら何であの時胸キュンしたんだ。どうしてあんなに感動して劇場を去ったんだ。』
    おそらくこの質問が、眠っている心に一番刺激があるに違いない。

    現実の話をしよう。今自分のことで精いっぱいな方々が大勢いると思う。
    自分もけして余裕はないが、給料が満額払ってもらえるだけ恵まれた存在だと思っている。
    世の中には、明日のお金さえも、持ち合わしていない方もいるだろう。
    色んな苦しい思いをされている日本人が大勢いるっていうことだけは、胸に刻まなければいけないと思っている。自分はだから何かに新しい視線を注がないと、自分が納得できない状態に成ってきている。

    はじめて「国民の歴史」と接したときと同じ波長が、今自分の中にある。
    【2020/05/25 13:54】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    意外にも、ロミオもメロディもあからさまにイギリスの貧しい部分を映像に映している。
    貴族の国というイメージがこの映像からはほとんどない。
    ただ、唯一あるのは「階級」という人種差別である。
    そして普段人間はいかにそれに従って生きているかをまざまざと描いている。

    まさしく洗脳教育そのものなのだ。
    成績が悪い生徒はいつも決まった人物で、成績が見込める子はやっぱり決まった子になる図式。
    かの国はこの図式から逃れられない。
    「小さな恋のメロディ」は本当ならもう少し評価が高くてもよかった作品ではないかと思っている。一番最後に「喜劇」に収めるため、教師と生徒が逆転する立場を描いてしまった。

    この部分が正直欧米人にはリアリティが欠けていて、陳腐に映ったんだろうと思う。

    日本人は最後のこのどんでん返しがたまらなく痛快で、大人に教えられなくても、この部分は感動する部分だよと認識しているところが特質なのかもしれない。

    だから本当は、欧米で出されている歌舞伎の演技も、現地の反応ははたしてどうなのかなと疑っちゃうのは事実。
    例えばの話、刺身がものすごくきれいにカットされている事だけに注目され、一番大事な味に気付いているのかどうか、これが一番疑わしい。

    刺身と言うのは一番的確な時間に出されたものが最高の「味」を出す。
    そんなに単純な食べ物ではない事を知っていれば、美しさにのろけている場合じゃないのだ。しかし職人はその条件の中で「美」を求める。
    味の旨味と形のおいしさに惚れて、刺身の味は一番おいしさを感じることができる。

    誰でもクッキング・・・で出来るのなら、職人という言葉はこの世から無くせばいいだけの話だ。それで満足させないように、あとは文化が守るしかない。
    極端な事を言えば、宮中料理を隣のお母さんが作らないといけない世界になりかねないわけで、そんな時でも「私頑張ります」とか言って、言われたように頑張ったんだけど、そのあと来賓がみんな下痢しちゃったらどうするの・・・?てな話もあり得る。
    仮にそうなったとしても政府は何とかしなければなりません。
    そんな時絶対聞きたくない言葉はと言うと、「ごめんなさい、気を付けていたんですけど、どうしてなんですかねこうなっちゃったの?」という、一番返ってきそうなこの言葉。
    想像もしたくないのですが一応シミュレーションするとこんなこともあり得るんです。

    苹@泥酔様が再三おっしゃっている、「芸」に形はないが「結果に」形は生まれるという意味。そのことをおそらく理解しきれていない我々サイドがわんさかいるに違いない。
    「小さな恋のメロディ」が実は恋愛喜劇だったということに、大勢の方が気づいてもらいたい。

    それによって、我々の思春期のあの感動は、初めて堂々と語れることができると信じている。
    【2020/05/25 15:15】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    >あきんどさん
    ありましたね・・・・そんな映画・・・・。

    でも、私ほとんど覚えていないです。

    イギリスの階級社会、日本では理解しにくいですが、
    マイフェアレディもそういうことを知らなくちゃ、
    ぜんぜん理解できない映画でしたね。

    日本って、つくづく平等な社会なんだなぁと思います。
    【2020/05/25 23:02】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    (喜劇的?脱線)
     喜劇と云えば差し当たり、思い付くのはコレ(↓)。
    ●J. シュトラウス:こうもり (C. クライバー, 1986年)【全曲・日本語字幕】
    https://www.youtube.com/watch?v=1H6wSC4GFtw
     面白いのだろうが…そして実際LDで見た時は面白かったのだが、どうした訳か記憶が余り持続しない。お笑い番組を見て笑った記憶がない程度には、そこそこ東北民らしい(?)と云えるのかも知れない。笑うと頬や顎が引き攣って痛いから面倒臭い。そんな客が無表情の儘お地蔵さんの様に居座っていると、演じる方もさぞやりにくかろう。だから抑もライヴに行った事がないし興味もない。
     私が笑いを工夫すると変な形になるのだろう。これならどうかナと「2016/09/02 05:14」稿で出したのはシューベルトのネタだった(↓)。歌曲集《白鳥の歌》終曲で鳩山由紀夫を連想しながら日本語字幕を読むと、だんだんムカムカ腹が立ってきて面白かろうと思った。前稿のセレブ奥様ネタもまた同様、挿入したCM動画の台詞「長生きして下さいね」で苦笑を狙った。たぶん元から性格がねじ曲がっているのだろう。
    https://www.youtube.com/watch?v=PKnOIihaUQM

     日々の生活、馬鹿々々しい話なら結構ある。
     …食べるものは限られている。食べた事のないものは食べない。嫌いなものは食べない。すると食べられるものが減っていく。多分そのうち餓死するだろう。必ずしも食物が嫌いなのではない。食べた事のないものに恐怖するのである。食べ物だから売っている、という事は分かっているのに買わない。だから私にとって食べ物ではない。そこが他者には理解しにくいらしい。私自身も、食べてみたらいいのにとは常々思って居る。しかし昔から家族で外食する事は滅多になかったし、よりによって嫌いな店で、嫌いなものばかり食べさせられた。家で食うチャーハンだって同様だった。うちの爺様はネバネバしたのが好きらしく、大学時代になるまでパラパラしたのを食った事がなかった。今も食べ物には絶望し続けて居る。普通なら主食(という秩序)になる筈のパンも飯も苦手となれば、ここはもう開き直って笑い飛ばすしかない。

    (気分転換動画)
     以下はアニメ「幼女戦記」各話。
    https://www.youtube.com/watch?v=ZJzMoYBWRjM&list=PLo3plSGANr5WW0pYU5vlrJVWi_gBQzfeG
    【2020/05/29 05:34】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    「喜劇」というくくりは「笑い」とどう違うのか・・・ここが難しい。
    でもおそらく、物語の主人公が最後に悲しまないで済んだものが「喜劇」なのかなと思う。

    好き嫌いが多くて、美味しいものを一度も口にしたことがないという話は、一種の悲劇なのかもしれないけど、当人にとっては一生食べなくてもいいものならば、食べなくて済んだと言う点だけは「喜劇」の部類なのかも。
    ただ、せっかく美味しく食べる方法があるのに、世間では美味しくないと言われている方法でしか食べたことがないのは、それは間違いなく「悲劇」だと思うわけですが・・・。

    考えてみると落語にもそんな感じで見極めが難しい「おち」が相当あるんだと思う。
    でも、この古典落語だけは間違いなく「喜劇」だと思う。

    おそらく私が好きな話の三本の指の一つがこれ。
    特に古今亭志ん朝の話は日本一だとおもう。
    暇があったら是非ご覧いただきたい。
    https://www.bing.com/videos/search?q=%e8%90%bd%e8%aa%9e%e8%8a%9d%e6%b5%9cyoutube&&view=detail&mid=F031B4BF8CAE2DD4AA71F031B4BF8CAE2DD4AA71&&FORM=VRDGAR&ru=%2Fvideos%2Fsearch%3Fq%3D%25E8%2590%25BD%25E8%25AA%259E%25E8%258A%259D%25E6%25B5%259Cyoutube%26qs%3DSC%26form%3DQBVDMH%26sp%3D4%26pq%3D%25E8%2590%25BD%25E8%25AA%259E%25E8%258A%259D%25E6%25B5%259C%26sk%3DSC3%26sc%3D7-4%26cvid%3D5EFBEC5013844973A0B90D2EBB8FFECF
    【2020/05/29 11:48】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    (閑話)
     書道の社中の集まりで三十年ほど前、生涯に一度だけ行った事がある(食事)。
    https://www.asahi.com/articles/ASN5V6WR9N5VULUC00C.html
    --------------------------------------------------------------------------------
    >青森の老舗ホテル破産、コロナで打撃 後継は蔦温泉運営
    >新型コロナウイルス
    >仲川明里
    >2020年5月27日 15時06分
    > 青森国際ホテル(青森市新町1丁目)を運営する「国際ホテル」(中山大輔社長)が25日に青森地裁に破産手続きの申請をしたことがわかった。すでに同社は建物と土地について、「ホテル城ケ倉」(青森市)や「蔦(つた)温泉旅館」(十和田市)などを運営する城ケ倉観光(青森市)と売買契約を締結しており、城ケ倉観光は今後ホテルやレストランとして活用する。
    > 民間調査会社帝国データバンク青森支店によると、青森国際ホテルは1948年に開業。全客室は67室と市内のビジネスホテルに比べて少なく、宴会やレストラン部門主体の事業を展開してきた。多額の改装費をかけるなどしてブライダル部門に力を入れてきたが、少子化による市場の縮小などで集客は伸び悩んでいた。2013年3月期は約9億円あった売上高は、20年3月期には約7億円まで落ち込んでいた。
    > 新型コロナウイルス感染拡大による緊急事態宣言が全国に拡大されたことを受け、ホテルは4月21日から宿泊、宴会、レストランを含む全館休業に入っていた。過去の建物改修による負債を抱えていたところに新型コロナウイルスの影響が重なり、資金繰りが立ち行かなくなったという。負債額は約16億円に上るとみられる。
    > 城ケ倉観光は1966年創業。ホテル、レストラン事業や病院給食事業を手がけている。4月28日に国際ホテルから売買に関する相談があり、5月20日に契約締結に至ったという。青森国際ホテルの従業員約80人はいったん解雇される。
    > 城ケ倉観光の丹野智宙・最高経営責任者は取材に対し、「新型コロナウイルスの影響で自社のホテルも厳しい状況にあるが、青森市を代表する老舗ホテルがなくなるのはつらかった。全従業員は厳しいが、少なくとも10人前後は雇用を継続したい」。施設の再開時期については、「宴会自粛のムードも続いており、全く見通しが立っていない状況。今後行政側と相談して決めたい」と話した。(仲川明里)
    --------------------------------------------------------------------------------
     …ホテルなど滅多に行かない。レストランとも宿泊とも無縁である。近場の盛岡には頻繁に行ったが殆どは車中泊で食事抜き、可能な限り青森に日帰り。でも金遣いは荒かった。きづや西林堂(書道専門店)では総額百万単位、学校教材も自腹だった。これでホテル宿泊でもしようものなら私の方が破産する。偶々寝違えた時は職場で「借金で首が回らない」と冗談めかしたが、どうやら相手には本当の話と受け止められたらしい。五所川原で一度に二管、二十万の巨大な羊毫を買った頃だった。月賦だから間違いではないが。
     近年は食が細く、回転寿司やラーメン屋にも行かなくなった。嘗て連れて行った婆様が今は寝たきりだから自然な流れではある。救急搬送で入院(2016.10)するまでは行きつけだった書店も、いつの間にか撤退したと聞く。西尾全集の購入用に取って置いたポイントカードの点数が総て無駄になった。書店側にしてみれば多分いい客だったのかも。欲しい本を売ってくれた事には感謝して居る。自分の事はどうでもよいという綯い交ぜの「喜劇/悲劇」路線が、そこには内在しているのかも知れない。

    (今朝もBGM)
    ●Beethoven String Quartet No 14 Op 131 in C♯ minor Alban Berg Quartet
    https://www.youtube.com/watch?v=pA4_FnH49tA
    【2020/05/30 05:58】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (余話)
     前にも書いたが…盛岡の遙か遠く、東京に行った時だった。新幹線で日帰りしたかったが無理だった。ふらふら夜道を歩いていたら、ラブホテルがあったので入ってみた。あそこは一人だと追い出されるらしい。そこから更にとぼとぼ歩き、大学受験で泊まった事のある茅場町パールホテルまで行ったら宿が得られた。昭和の頃だった。
     受験当時、宿ではウォークマン(?)でクラシックのテープを聴いた。勉強はしなかった。のんびり構内を歩いていたら、なぜ受験勉強しないのか先輩方が不思議がっていた。盛岡出身の先輩と初対面、方言を発したら隣の先輩が盛岡人と「おら、って云うのか?」「言うよー!」と会話していた。私は合格した。どのレベルの大学だろうが構わない。何を目的に進学したかが重要、自分の問題だ。
     目的が定まっていれば勉強に迷いがない。目的なく進学する神経が分からない。それだけ私は近視眼だったのかも知れない。目的の延長上に興味対象が拡がるのは、与えられるのではなく自発的に見つけるとスムーズだ。ここでも迷いがない。幸せな大学生活だった。或る意味バカと云ってもいい。幸せ過ぎる恐怖は後からやってくる。幸福は地獄への一本道、レベル向上という自分の目標が地獄を招き寄せる。地獄は動く。
     だから融通がきかない。昔から苦手なのは「臨機応変」で、こればかりは致し方ない。あの頃は大学のレジャー産業化が進みつつあり、学問が何処にあるのか不明瞭となってきた。視野が狭過ぎるのも広過ぎるのも困る、中途半端な時代が到来した。あれがあったから、ドゥルーズの差異概念に接近する契機が得られたのかも知れない。楷書と草書との「間」の様なもの(微分?)が手懸かりとなっていった。
     諦める事にも迷いがないらしい。諦めるのと未練は同義でない。ただの方向転換で、捨てるのとは違う。むしろ諦めの向こう側に到達するという目標が生まれる。「三つ子の魂、百まで」という事なのだろう。結局、何も変わらない。今は地獄を捨てる事に興味がある。動く地獄を動かせばよい様な気がする。所詮は距離の問題かと思う。
    【2020/06/02 02:25】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (近況)
     今日は此処(↓)に出張って居る。長崎大学の書教育とは無縁だが、取り敢えず書きたい事は書く。今の段階では下記の通り。
    ●【長崎大】「10万円でスキャナーを」 学生ら憤慨、教授が謝罪 ★3 [蚤の市★]
    https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1591444907/l50
    --------------------------------------------------------------------------------
    574不要不急の名無しさん2020/06/07(日) 07:05:56.87ID:PeBS2g3s0
    実技系は難しい。オンラインでなく対面指導の場合でも伝わりにくく限界を感じる。書写だろ。殆ど素人だ。しかも硬筆、小字だから毛筆より精緻な画質でないと困る。最悪なのは筆脈やリズムの指導が困難な事。もうスキャナどころの話ではなくなる。撮影ノウハウのある天来書院でも招いたらどうか。時間かかるから無理だろうけど。実技系はオンラインにもスキャナにも不向き。体験が総てだから独学するしかない。となると大学の役割はネット上の言葉にしか居場所がなくなり、文章力が問われる。
    588不要不急の名無しさん2020/06/07(日) 07:52:47.98ID:PeBS2g3s0
    うちの書道科では学生が小学書写の学生を指導した。それで皆、指導経験を積んだ。この形が一年は続く。数週間の教育実習とは雲泥の差。要するに下積み時代なのだ。それがオンラインでは教官に集中する。教育の効率も学生間の相乗効果も減退する。教官の指導で学生を指導する機会がなくなると、指導する学生にも影響が連鎖する。
    644不要不急の名無しさん2020/06/07(日) 13:09:44.00ID:PeBS2g3s0
    字は読めるかどうかでなく、正しく整えて書けるかどうかが書写教育の基準になる。ここを精密に判別できないとまともな指導ができない。そこに突如コロナの災難だ。緊急避難の筈が長期化した形で、碌に準備できないまま対応せざるを得なくなった。まして>>574や>>588で書いた事情が重なると、実技系指導の難しさが顕在化する。筆順など細部を読み取るのは筆跡鑑定に近いレベル。それを全学生相手にやる訳だ。指導者の養成では書道より書写の方が難しい。芸術性や個性は論外となるのだから。
    695不要不急の名無しさん2020/06/07(日) 21:10:39.32ID:PeBS2g3s0
    >>655
    習字教室に通った経験のある学生は適応できるが、受講する相手は書道科生でない。書道科生が書写指導を練習する相手が同じ学内の学生なのには、相応の理由がある。指導経験と学習経験は別物。書写学習中の学生に指導経験させる機会は大学にない。現場に出てから指導する。それが不充分だから高校書道で中学書写をやったりする。これでは指導内容の先送り。大学で高校授業するのと同然で、学力低下の根は深い。
    --------------------------------------------------------------------------------
     切れの悪い小便みたいにダラダラ短いのばかり書いて居ると、一稿完結型の長い文章を書ける人が羨ましくなる。でも性分だから仕方がない。
     …そう云えば中学生の頃、学校の便所が詰まった。当時は陶製でない。コンクリート製で、下の回廊型(?)に暫し溜まっていた。或る日、用を足しに行くと色が違う。黄色い筈のが赤味を帯びて香ばしい。まるで私の文章だ(…オホホ、小便小僧とお呼びw)。此処のコメント欄だけでも十数年分は溜めてある。腐っていなければよいが。
    【2020/06/07 22:48】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (雑感)
     西尾先生が「つくる会」を退会、との噂があるけれど真偽は不明。そのうち本人から一言くらいあるだろう。近年の会に不満があるのでなければ、最も可能性が高そうなのは「高齢だから引退させて」になるのかしら。文筆活動からの引退ではあるまい。また理由が「資金不足のチャリティー景品色紙など書きたくない」だと言い出しっぺの私が袋叩きに遭いそうだけど、別段こちらはそれで構わない。支持者自身の問題で、元会長のネームバリューに甘えるのが筋違いなのは当初から分かっている。そこまで「つくる会」は落ちぶれていない。歴史教科書の検定再申請を決定したそうな(↓)。
    http://www.tsukurukai.com/News/index.html#20200605
     しかしながら、ない袖は振れない。皆コロナ騒動で余裕がない。各自が出来る事をするだけで精一杯、今や寄付は集まりそうにないだろう。~かなり前の話になるが、高校芸術科書道の教科書でそれなりのシェアがあった中教出版ですら破綻した(↓)。世紀末からの一時期は「書道芸術」と「書法芸術」、二種の教科書を出していた。資料集の方の「書道芸術 漢字編」は現在、萱原書房から改訂版が出ている。
    http://kayahara.com/modules/column/index.php?page=article&storyid=9
     会員でもないのに「つくる会」を気にする方がおかしいのかも知れない。本音は無関心に近いが、接点は西尾先生の著作だった。おまけにこちらは書道畑。歴史畑に文化史の「ごく一部」が出る事は殆どない上、内容は浅い。美術でダヴィンチの名前は知っていても、書道で王羲之の名前を知る人がどれだけ居るだろうか。

     前稿の5ch投稿でウッカリ出しちまったから、この際あっしの素性でも書いとこうか。…苹は岩手大学教育学部中学校教員養成課程書道科卒。東京での入試で合格したのは大東文化大学と二松学舎大学。それ以外は学力不足で受験しなかった。入試科目以外の勉強(?)で中学時代から忙しかった。或る大学の面接で「他の勉強も必要」と言われ、「勿論です」と即答した時は試験官達が一斉に何かをメモしたのが印象に残った。
    【2020/06/11 05:14】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    久しぶりに西尾先生から電話がかかってきました。

    退会なんかしていないと。
    会費納入が遅れただけだと。
    【2020/06/11 10:06】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    「国民の歴史」によって、私は救われた。
    このフレーズが私の代名詞になっていますが、そのこと自体は真実なんですが、それとは別にこういう場所に書く際にはもう一つの私なりの想いがそこにはあります。
    それは・・・自分がいかに未熟であっても、信じるものが生まれた瞬間に、人間は生まれ変われる・・・まさにキリスト教そのものであること。
    こんなこと私が一々説明しなくたって、ここに集う方々はすでにご承知の認識だと思いますが、私は多分そういう風に思われたくない気持ちで、何度も同じことを書き連ねてきたんだと思うんです。
    どうやったら日本人的な感覚を伝えることができるのか、ただそれだけに固執して書いてきただけです。

    おそらく苹@泥酔さまと私はそう遠くない所で心が一致していると思います。
    時々苹@泥酔様の書かれている内容を把握できない自分がいることは確かですが、それは単に自分が未熟なだけで、苹@泥酔さまが描こうとしている
    機軸を読み取れないだけの話。

    いずれにしても一安心。
    【2020/06/11 17:06】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]

    お詫び
    奥様

    桜子です。
    ご無沙汰しております。
    このコメント欄を、お借りしますことを、お許しくださいませ。



    苹さま

    ご無沙汰しております。

    苹さまには、「新しい歴史教科書をつくる会」の「東京支部掲示板」に、投稿してくださり、掲示板の質を高めて戴きましたことを感謝しております。

    いろいろなことから、その掲示板を閉鎖する方向で、進めておりました。
    内容は別にうつすつもりでした。

    ところが、あるとき、その掲示板に、突然つながらなくなりました。

    問い合わせますと、レンタル掲示板が少なくなって、やっていけなくなったから撤退したとのことでした。

    掲示板に投稿された文書は、投稿があったことを知らせるときのメールとして、こちらに保存されていますが、添付ファイルは、あったことがわかるだけで、こちらには添付されるようにはなっていません。

    そういうわけで、再構築ができません。

    すぐに、掲示板のキャッシュを、ネットで探しましたが、サーバーごと、なくなったようで、ひとつも見つけることが出来ませんでした。

    私もたいへん残念に思っております。
    他の所の掲示板は、よく保存していましたが、ここは、自分の所でしたので、保存していなかったのです。

    そういうことで、申し訳ありません。

    お詫び申し上げます。
                        桜子 拝
    【2020/06/11 22:00】 URL | 桜子 #aEmTB4nk [ 編集]


    >久しぶりに西尾先生から電話がかかってきました。
    >退会なんかしていないと。
    >会費納入が遅れただけだと。
     おお、それはよかった…のかなあ。口実としては、あっしのネタがアッケラカンと使えただろうに。少なくとも、真面目で深刻な理由よりは後腐れがない筈。~書道の巨大公募展では上位の指導者層ほど会費は高額で仕事の負担も増える上、老人が多く七十、八十は当たり前。五十代くらいから若手とか俊英と呼ばれる。昔よりずっと年齢感覚の麻痺が進んでいる。いつからか毎年、「書道美術新聞」には高齢番付(?)が載る様になった。
     「つくる会」の場合、分裂前後は酒の席で「西尾先生の葬式に行く?」が話題となったらしい。当時「日録」でぼやいていたと記憶する。~さりとて老後のない時代は幸せなのか(終生現役)。若いうちから戸惑いを覚えるのが自然ではないのか。昔のテレビCMを思い出す。きんさんぎんさんの出た頃だろうか、「ピッカピカの一年生」。就職氷河期前後の就学予定児が将来の目標を問われ、疲れた様な目で「長生き」と答えたのには驚いた。
     むろん無病息災がいい。ライフワークを熟成し続けられるに越した事はない。しかし老後にも色々ある。年下に「使えねえな」と罵られながら働かざるを得なくなるのは困る。しかし今後そんな時代が来る。蓄えのないまま老いを重ね、時代に適応できない。たぶんコロナ騒動で加速した筈。たとい皆がパソコンやスマホを使えたとしても、すぐ更新され付いていけなくなる。過去と未来の衝突が激烈になる。文明の衝突にも色々あるだろう。

    >桜子様
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-2276.html#comment
     お久しぶりです。東京支部板については「2019/12/31 15:40」稿以降で触れた通り(↑)。電子メールが使えないためUSBメモリをセレブ奥様宛に郵送したらどうかと潜伏先(?)までは見つけましたが、ビスタ以前と違いwin10でのコピーの仕方ひとつ分からない(苦笑…「2020/02/21 22:25」稿末)。下手にいじって機械やデータが壊れると困るので放置状態、景品色紙が先となった次第。画像も文章も手元にあるのに勿体ない。ただし画像は支部板に出した後のでなく、元となった大きいサイズの筈です。
     あれも所詮は書道ネタ、筆文字判読の基礎以前でした。目的は歴史畑との共闘で、畑違いでも「つくる会」サイト経由で何か役立てばと。書教育畑の某教授は十数年前、新聞連載でネット上の拙稿に触れた際「イデオロギー」との言葉を用いました。それを読んだ私は「書道イデオロギー」と書いて対抗した。どれも使いたくない言葉です。当時は会への偏見が根強かった。そのイメージを払拭したかった。まだ使い道がある様なら、いつか電子媒体を広島経由で郵送(転送?)できるかも知れません。
     …機械は…苦手だ…(ボソッ)。

    (追記)
     以下、原文抄録。支援板「私のイデオロギー」稿(07/6/11(月) 23:17)より。

    ●本題(其一)
     6月1日付『書道美術新聞』870号(↑)が8日に届いた。トップ記事は高校生ビデオの一件。「俺はパクってない!」と喚くふりをしてみた夜、連載記事の方に興味深い表現を見つけた(↓)。
    --------------------------------------------------------------------------------
    > 「●@泥酔」氏の発言に満ちているイデオロギーの部分を云々するつもりはない。各個人の発言は尊重されるべきだし、このような取り上げ方の中で論ずべき問題でもない。もし行うとしても、それは「●@泥酔」氏と対峙して行うべきことであろう。(狭い業界内のことである。この書き込みを読みながら、「●@泥酔」氏に思い当たる人物を想起している。かつて私に超特大のメールを送ってきて、ついでにメールボックス自体を破壊し、逆鱗に触れた御仁ではないかと…。違ってたら、ゴメンよ!)
    --------------------------------------------------------------------------------
     初めは戸惑った。「俺ってイデオロギーに満ちてるのかよ♪」と。
     そしてこう思った。「いやぁ、滅相もない。お代官様の方こそ。」(なんのこっちゃ)

     …まあ、確かにそれらしいものはあるよな。強いて挙げるなら「書道イデオロギー」か(苦笑)。もしかしたら「つくる会」等々と書道界は似ているのかも知れない。内紛は結構あるし、分裂した例は書道界の方が多そうに見える。~因みに私は「つくる会」会員でも「再生機構」サポーターでもない。国語教科書方面(出来れば書教育方面)に延焼するのを何年も待ち続けている「予備軍」に過ぎない。
     無理に視点を変えて、教科書採択数と教員採用数を比較すればどうなるだろうか。「つくる会」の教科書は1%に満たないそうな。今度は育鵬社の教科書が出るらしいから、合わせれば少しは増えるかも知れない。~ところで、正規の書道教員数はどうか。正規の高校芸術科教員採用試験に合格した教諭のうち、正規の高校書道教員採用試験に合格した教諭の数はどれくらいの割合になるだろうか。
     そこで2000年1月17日付の同紙674号を引っ張り出してみた。当時ビビビと来たらしい。画像をスキャナで取り込んでたのを思い出した。~打鍵・投稿の都合で漢数字にするけど、見づらかったらゴメンね。
    ●高校芸術科の教員免許状取得者とその教員就職状況の推移(文部省調べ)
    \教科∥………音楽………∥………美術………∥……工芸………∥………書道………∥
    年度\∥免許取得|就職者∥免許取得|就職者∥免許取得|就職∥免許取得|就職者∥
    昭五五∥六〇四八|一三四∥二六七五|…五七∥…八一九|…一∥一七〇八|…五四∥
    昭六〇∥五五四九|一一〇∥二六三五|…四六∥…四九二|…三∥一三三〇|…三八∥
    平成二∥五二五一|…六九∥二二三七|…二四∥…六五七|…〇∥一三一〇|…一七∥
    平成三∥五五三三|…八八∥二二九三|…二九∥…六〇九|…〇∥一三〇五|…一〇∥
    平成四∥五四三二|…七七∥二一六四|…二七∥…五六一|…〇∥一二九三|…一二∥
    平成五∥五四七九|…七二∥二一四二|…四七∥…六〇五|…一∥一二〇二|…一三∥
    平成六∥五二六〇|…六二∥二〇〇五|…四〇∥…四八八|…一∥一〇二四|……九∥
    平成七∥五六五〇|…五〇∥二一二二|…二五∥…五三二|…〇∥…九九五|……五∥
    平成八∥五五五八|…四六∥二三四一|…二五∥…五七四|…〇∥一〇三二|…一〇∥
    平成九∥五六六六|…七一∥二五二四|…二七∥…六四八|…一∥一〇三一|……六∥
    平一〇∥五六一六|…四八∥二四九九|…三七∥…六二一|…二∥一〇五三|……九∥
     以下、同じく674号記事本文から部分転載。
    --------------------------------------------------------------------------------
    > しかし、全高書研(全日本高等学校書道教育研究会)の最近の調査によると、全国の公立高校約四、九〇〇校における「書道」の開講校数は約三、六〇〇校あるが、この各校で「書道」の授業を担任している教員数は、専任と兼任(他教科との)を合わせても約一、八〇〇人しかおらず、文部省調査による高校教員中の「書道」免許状所有者、計約四、一〇〇人とのギャップが、ひとつのナゾともなっている。
    > 結局これは、「書道」の免許状をもちながらも「書道」を担任していない教員がそれだけいると考えるしかないわけであるが、この辺の実態が「音楽」や「美術」との大きな違いになっているともいえそうだ。
    --------------------------------------------------------------------------------
     まあ…碌でもない比較なんかしたって仕方ないんだけど、あたしゃ以前「つくる会」支持教員が歴史担当から他教科担当に飛ばされる可能性について書いた事があるから、書道ネタは相変わらず「お誂え向きの比較材料」のままなのだぁ。
     偏狭な(?)「書道イデオロギー」を国語教育界は認めないだろう。歴史教育界が「つくる会」を嫌悪する様に、国語教育界は書教育界を嫌悪するだろう。書教育界に課せられているのは「読める書」の普及であって、「読める人」の育成ではない。そもそも国語側の基準から見れば、書道は「誤字教育」の総本山だろがぁ。
     礼儀正しく国語側に申し入れても徒労に終わる…そんな経験を散々してきた筈なのに、この期に及んでなお「座して死を待つ」つもりか。それともハッキリ国語「原理主義」に屈服して、従来通り逆らわぬよう「国語のテリトリーとニアミスしそうな方面では基礎指導を放棄し続ける」肚なのか。そうではあるまい。
    【2020/06/13 04:21】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]

    (グーグルに)
    苹さま

    ありがとうございます。
    もし、画像を投稿して戴けるのでしたら、

    tsukurukai_shien@googlegroups.com
    に、お願い致します。

    メールで、このアドレスに送信なさるときに、添付なされば良いのです。

    このアドレスは、昨年まで、つくる会支援MLに使用していましたアドレスと同じですが、中身は違います。
    使用していません。
    添付の画像の容量が、有料のレンタル掲示板より、多いのです。

    お返事は致しませんが。

    編集できるときに、使用させて戴きます。
    働き方改革で、頼まれ仕事で、ちょっと、忙しいのです。

    では、ご無理なさらずに、お気に召されたときに、よろしくお願い致します。


    奥様 

    失礼致しました。


    【2020/06/13 22:31】 URL | 桜子 #aEmTB4nk [ 編集]


    >桜子さま
    直接?お話するのはずいぶん久しぶりですね。

    苹さんの画像についてご配慮いただき
    ありがとうございます。
    【2020/06/16 22:27】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    (機械…パソコン…雑感)
     その時が来たら、セレブ奥様から桜子様に画像データが転送されるかも知れません。…今の記録媒体はUSBメモリやSDカードなど色々あるんだなあ。郵送可能かも封筒への入れ方も分からない(入れていいのか?)。現金書留は専用の封筒、切手は普通の封書が五十円、葉書なら二十円だったが消費税導入以来ややこしくて億劫となった。職場では毛筆の年賀状を机の上に配って歩いた。郵送した事は一度もないし、送られてきた事もない。この頃(↓)よりずっと後だが、とっくに私は時代の常識から離れていた。
    ●『ダメおやじ』と高度経済成長期の狂気――古谷三敏インタビュー【あのサラリーマン漫画をもう一度】
    https://hbol.jp/138118
     時流に乗るにも、知らぬものは仕方がないから流されない。候文は失礼な文体と化し、草書は読める相手が居ない。ワープロなら打鍵できるが、代用品のパソコンを使えるとは言い難い。道具と中身のミスマッチ、いっそパソコンで筆字が書けたらいいのに。硬筆の文字認識が可能らしいとは聞くが音声認識ならどうか。方言に対応できない機械が外国語に対応できるとは信じ難い。東京オリンピックの先進的「おもてなし」技術は画餅としか思えない。急ぎ過ぎて置いてきぼりにされるのは誰か、よく考えた方がよい。
     あと…携帯端末を持っていないからだろうけれど、アプリとは一体ナニモノぢゃ。沢山あるらしい。使いこなせる人がどれだけ居るのか。パソコンにプリインストールされているソフトは結構あるが、今では画像処理すら碌に出来ない。win7まではどうにか使っていたスキャナ付きプリンタも調子が悪く、今のwin10機にはドライバを入れて貰っていない。消費増税直前のパソコン購入時、必須ワープロソフトの一太郎は古いのを業者に入れて貰ったが辞書統合を忘れていたので、漢字を一々打鍵するのがキツイ。
     …こんな愚痴を書いても仕方がない。また音楽でも聴こう。
    ●Bach Suite No.2 in B minor, BWV 1067 (Willem Mengelberg 1931)
    https://www.youtube.com/watch?v=IIRpm0jei0Y

    (蛇足)
    ●バッハのカツラ ヽ(´o`; | INClaireの音楽な日々
    https://ameblo.jp/voix-claire/entry-12158460993.html
    【2020/06/20 00:06】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    プチプチのビニールで包んで、封筒に入れ、
    郵便局にもっていったら、重さや厚さをはかって、
    必要な切手代を教えてくれるから、
    送れますよ。
    【2020/06/21 21:34】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    (近況)
     生まれて初めて歯が欠けた(2020.6.20)。我が身の衰えにショックを受けた。海沿いの親戚から送られてきた鮑を食った時だった。突いて獲った家庭用なのか、身の中に貝殻の破片が埋め込まれたりする(つまり売り物にならないw)。昔から気を付けていたが、とうとう今回やっちまった。爺様に似たのか歯は丈夫で虫歯にならない。彼女に捨てられてから無精に拍車がかかった。生徒への欲情防止という自戒もあった。してみると、所謂セルフネグレクトが常態なのだろう。事前の歯磨きが億劫だから、今のところ歯医者に行く予定はない(俺の歯ブラシどこ行った?)。
     その後、また婆様が救急搬送で入院した(2020.6.23)。最初の見立ては前回(2020.3.12~4.21)と同じ誤嚥性肺炎。昭和4年生まれの91歳、今後どうなるか分からない。同伴してくれたヘルパーさんは数日前、老衰大往生の可能性を苹に警告していた。肺炎と聞いて逆に少し安心したとの事。「まだ」であれば有難い。爺様(大正11年生まれ)の場合は享年93歳だった。…こんなのを読むと西尾先生、ますます滅入るのかな。こちらのコロナ対策は緩和して、病院は原則見舞禁止から見舞予約制に移った。まだ暫く件の給付金は出ないらしい。来たら入院費に使おう。

    (回想)
     私は言葉を信じていない。書を信じるとそうなる。書は言葉として成り立たなくなった。言葉を自分で紡いで初めて信じる契機が生まれる。書から離れて言葉を綴る様になったのは、書の補完作業としての必然だったからでもある。書を言葉で語る。限界を感じ画像投稿も試みた。気付いたら二十年が過ぎていた。その前は――
     中学時代の塾で戦争放棄が出てきた時、私は直観的に選挙権の永久放棄を決めた。たぶん死ぬまで続くだろう。言葉の重さを感じたのかも知れない。既にどっぷり書に浸かっていたし、だからこそ言葉を信じていなかった。誰も読めない字を書く所に言葉の出番はない。勝手に勉強したら変態書道オタクの人格が形成されてしまった。
     正しく通じる言葉を紡ぎたい。高校卒業時そう思いながら式に臨んだ。自分で自分を予言したのか、ただの偶然か。いづれにしろ、そうなる様に自分を追い込む形となった。それが予言の正体ではないかと思う。ノストラダムスにヒトラーに偽文書の数々、どれも似たり寄ったりの効果を及ぼした。共感作用を軽視してはいけない。
    【2020/06/23 22:36】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


     葉書が来た。給付金は2020.6.26振込との事。~それとは別に、このところ最高値更新の国内金価格が気になっていた。金に興味を持ち始めた経緯は「2016/01/24 05:44」稿(↓)で書いた通り。やがて道を踏み外したら、各国の通貨を相対化する手懸かりが得られた。
    http://www.youtube.com/watch?v=YT9ata0sIdQ
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1850.html#comment
     一体、あの給付金は何処から出てきたのやら。ただ刷ればよいというものでもあるまい。何処かに皺寄せが行っている筈だ。それもコロナ含みだから世界規模で。~一部の通貨は拡散するらしい。中でも米ドルは世界共通の外貨として準備される。今は商品の扱いとなった金も通貨(の裏付け)として流通したが、そこに国境や国籍はない。してみると或る意味、国境なきウイルスは通貨状(?)に機能し得るのかも知れない。ただ需要と消費を喚起するだけで充分な効果がある様な。真っ先に乗ったのはマスク製造/転売業界なのだろう。今後もワクチン等々、利益は後から付いてくる。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1452.html#comment
     軍産複合体の後、医産複合体の時代が本格化するとしたら。…患者や医療者の「輸出入」を含む(「2013/05/07 07:10」稿↑)。既に高齢化圧力の皺寄せは下の世代を貧困化と少子化に導いているため、そこから先の経済は頭打ちになる可能性が高かろう。そこに突然コロナがやってきた。世代横断の国際的な病とあらば経済的影響は甚大、今後どう転ぶか分からない。新たな中世が猛スピードで近現代を取り戻しにかかる。その一環にオンラインやテレワークがあるのかも知れない。
     先日、過去と未来の衝突に触れた。それを文明の衝突に擬えた。まさか金本位制ならぬウイルス本位制(?)が到来する事はあるまいが、何らかの契機にはなるだろう。僅かに「コロナ後」への影響は見えてくるものの、まだ本質は見えてこない。恐怖と不安を紛らわせるには、その辺を考えてみるのも無駄ではなかろう。

    (BGM~日曜の朝っぱらから)
    ●1927 - Oedipus Rex - Stravinsky
    https://www.youtube.com/watch?v=eYypSAC9uKA
    【2020/06/28 05:33】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    金は今ものすごく値上がりしているそうですね。

    結局一番価値があるのかもしれませんね。
    この前、着物を処分したとき、
    その業者はやっぱり本当は「金」が狙いでしたよ。

    予約見舞制ですか・・・・。
    またすぐ帰ってこられるような気がしますね。

    【2020/06/29 22:03】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >この前、着物を処分したとき、
    >その業者はやっぱり本当は「金」が狙いでしたよ。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-2314.html
     …そうでしょうなあ。世紀末はグラム千円台で年間200円台の上下変動だったのが、近頃は六千円台で年間1500円の変動(値上がり基調)。~初めて紺紙金泥のを書いたのは崩御直後。それから金相場が気になり始めた(道を踏み外した)。当時は下落基調で、意地になって買い増した。平均購入価格を上回る相場では絶対に買わなかった。専ら平均額を下げるべく、給料日は銀行預金せず相場の下落を待った。預金すると使ってしまいそうな自分を信用できなかった。手元の現物自体が心強い預金通帳の様なものだった。
     ここ十年ほどの中国は個人保有も国家保有も国内採掘も大量で、西欧もリーマンショック以後に金保有へと舵を切った。今は田中も三菱も、金貨がコロナ余波で輸入できず品切となっている模様。その影響か此度、北海道銀行は純金積立から撤退した(北海道拓殖銀行の金定額積立〈金字塔〉と似た名前↓)。…金には一種のストレスがあるらしい。経済の強烈な軋みが世界を表徴しているかの様に思える。
    https://www.hokkaidobank.co.jp/business/news/detail.php?id=207
    https://www.hokkaidobank.co.jp/common/dat/2020/0423/15876049071596222363.pdf
    --------------------------------------------------------------------------------
    >この度、北海道銀行では「道銀純金積立『金未来』」(以下、「金未来」)につきまして、業務委託先である田中貴金属工業株式会社の申し出により、2020 年 12 月 25 日(金)をもって取り扱いを終了させていただくこととなりました。
    >また、取扱終了に先立ち、新規お申込みについては 2020 年 5 月 29 日(金)をもって受付を終了いたします。
    --------------------------------------------------------------------------------
     他の金関連では…「2008.03.19 (21:29)」非表示稿、まだ読めるのかなあ(↓)。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-524.html#comment
     入院中の婆様を担当しているヘルパーさんが2020.7.1昼に来た。あちらの仕事中、こちらは金価格の検索中に見つけた格言を色紙に書いてみた。「人の行く 裏に道あり 花の山」…相場の世界では有名らしい。現場では誤解されそうな文句なので、社長室ならどうかと帰り際に手渡した。
    【2020/07/02 22:59】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    その後、退院されたでしょうか?

    私の父も、10日入院して、今日退院したそうです。

    行ったり来たりです。
    【2020/07/13 14:58】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >その後、退院されたでしょうか?
     深夜の電話で病院に行きました。2020.7.11午前二時頃には生きていたそうですが、三時前の巡回では心臓も呼吸も止まっていたとの事。享年92でした。私は7.9に見舞ったのが最後でした。その数日前は、青森と八戸の弟達も見舞っていたそうです。
     そう云えば私が高校生くらいの頃に聴いていた時、「(昔)この曲が好きだった」と漏らした事がありました(↓)。…婆様、何十年前に聴いたのかなあ。ふと思い出したので、ちょいとばかり回想して置きます。
    ●DerFreischutzOverture
    https://www.youtube.com/watch?v=zCswDKCxf70
     暫くしたら金売却モードへと入る事になるでしょう。今後あたしゃ何年くらい生きられるのかしら。抑も自分の文章や字がカネになるとは思っていないし、レベルが低く人脈もない。妻子が居なくてよかったのかも。今のところ概ね総て、三十数年前からの予定/予想通りには進んでいます。
    ●マーラー:《大地の歌》テンシュテット 1982, 84
    https://www.youtube.com/watch?v=TStQ4oCqDGo
     明日は火葬と通夜、明後日は葬式と納骨。東京方面とは順番が違うらしい。

    (以下、明日の挨拶予定稿)
     本日はご列席下さいまして、誠に有難う御座います。そのうえ過分なる御深慮を給わり、心から御礼申し上げます。また生前中は格別の御厚誼を給わりました事、厚く御礼申し上げます。
     父の死後、母は掛かり付け医やヘルパーさんの前で「早く迎えにきて欲しい」と何度も繰り返して居りました。最期は父と同じ誤嚥性肺炎でした。私は早く逝かれると困るのですが、母は自分が生きていると息子が困ると思って居る様でした。母の弟達が見舞に来、そのあと私が来た翌日の深夜に息を引き取りました。
     私はお母ちゃんが大好きです。寝たきりになっても時折寝床に潜り込み、ピタッとくっつきお手々を握り、「お母ちゃん大好き」「安心する」と甘えると、「ありがと」と繰り返して居りました。子供は幾つになっても子供です。一緒に買い物に行った時、「子ガモは親ガモの後を付いて歩くもんだ」と言ったら店の人が変な顔をして居りました。
     簡単では御座いますが、以て御礼に添える記憶の一例とさせていただきます。
     本日は誠に有難う御座いました。
    【2020/07/13 22:09】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    お母様のご逝去、心からお悔やみ申し上げます。

    ・・・・・私の母も、眠ったまま逝ってしまいました。・・・・・・
    眠るようにではなく、眠っている途中?で・・・・。
    夜中にトイレに自分で行ったそうですが、
    明け方には心肺停止になっていました。
    行ったら、まだ布団の中は暖かかったです。

    私も子供のころ、どちらかというと末っ子の妹に比べると、
    甘え下手でしたが、
    たまぁに母の寝床に入って、
    腕を抱きしめて眠った思い出があります。

    確かに葬儀の順番が違うようですね。


    【2020/07/14 16:57】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >私の母も、眠ったまま逝ってしまいました。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1389.html
     この時(↑)の話ですね。うちの爺様の場合、末期に至る一連の流れは「2013/01/25 00:14」稿(↓)から始まりました。そしたら今度は婆様の番だ。此処=奥様ブログを借りた形ではあるけれど、両親どちらも記録を残してあると後になってから役に立つ。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1249.html#comment
     婆様の納骨を済ませた後の車中、拙宅への帰路で婆様の弟と会話した時。うちの爺様が介護施設や病院に入っていた期間はどれくらいだったか曖昧になった。記憶の時間は伸び縮みする。お互い長く感じていた。爺様は2014.10.23死去だから、調べてみると実際さほど長引いては居なかった。結局は気苦労の問題なのだろう。自分と時間を取り戻すためには記録が要る。大袈裟に云えば、これもまた極小の「歴史問題」に含まれよう。
    ●歌劇《魔弾の射手》序曲(ウェーバー)
    https://www.youtube.com/watch?v=6yWsBGLrovs
     葬儀は一通り済みました。郵便局に行ったら、婆様の通帳からは下ろせなかった。~昔、村に郵便局はあっても銀行はなかったからだろうか。なんでもかんでも郵便局が最優先だった。私の名義の通帳でも、ATMからは引き落とし出来なくしていた。いつも機械の前で、私に「ハンコ要らねがあ?」と言っていた。この手の老人…今でも都会には残存しているのだろうか。

    (補録)
    ●金価格高騰もまだまだ破格に安い?「金レシオ」でわかる今後の伸び代とリスク=吉田繁治
    https://www.mag2.com/p/money/940120
    【2020/07/17 01:24】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    一連の行事が終わり、ふっと、もう居ないんだ・・・・と
    急にさみしさがこみあげてきますね。

    痴呆になりかけの母が、たびたび銀行のATMで
    暗証番号を忘れ、
    銀行の窓口で大騒動していたそうです。
    ハンコの方が、分かり易いですね、年寄には。

    でも、そのハンコがないない・・・というようになりましたっけ。

    金はまだまだ上がりますぞ~~~
    【2020/07/18 10:21】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    (気分転換の脱線話)
     語尾に「~ズム」の付く言葉がよく分からない。ファシズムとかポピュリズムとか、中でも厄介そうなのはナチズムだろうか。かなり前に幾つか読んでみたが、世界平和の理想を追求したら「ああなった」としか思えない。ヒトラーが政権を握った頃、側近(?)のラウシュニングが亡命して本を書いた。戦前のドイツ人が何を考えていたか、戦後の見方では分からぬ点が多かろう。西尾先生の名前や著書と出逢う前、そんな事を考えていた。当然「つくる会」なんか知らないし、抑も存在しない。
     話は変わってポピュリズム。…大衆迎合と云われても困る。熱狂する感覚が分からない。ちまちま書道でもやる方がいい。するとポピュリズムの奥底に別のものがありそうな気がしてくる。熱狂は冷める。或いは飽きる。そうして別のものを学び始める。でも暫くすると元の道に戻り学び直したりする。浮気と本気の違いが分からなくなる。洗練されたものほど飽きられやすい。荒削りなものには、むしろ幻滅する方が多い。我々は興味の対象に飽きるのか、それとも自分の興味に飽きるのか。
     苹の場合、初めの興味は書字技術の洗練にあった。漢学との共通点や細字が多い。しかし既に教育書道は衰退期、新参の芸術書道が表舞台/展覧会で華々しかった。…実は書教育にも或る種のポピュリズム(?)がある。皆が国定手本で学び、同一の書風が普及した。その意味では全体主義との区別が付かない。書風が多様に細分化されれば画一性は遠退くが、美的基準の共通認識は揺らいでいく。多くは大昔の古典に頼る。しかしそれまで古典の役割を代行してきた生々しき時代性は教育から引っ込む。
     古典は既に死んでいるのかも。「お前、読めるか。読めないだろ。読めないものは教えちゃいけない。」…平成初期、某高校長は古典中心の教科書や指導法を真っ向から否定した様に見える(反‐学習指導要領?)。今やポピュリズム自体が学問と縁を切り、古典と現代の双方から丸ごと失われているのかも知れない。すると愚劣な(真の?)ポピュリズムが標準化されてくる筈。一切合切が軽薄で野蛮なイメージへと収斂していくなら、中身より自分の戸惑いの方に却って納得できてしまう。
     昔のと今のとでは、ポピュリズムの中身が違うのではないか。草書変体仮名交じりの和本を大衆が読めた時代は、どう見ても現代の活字文化と縁遠い。どちらも大衆文化なのに、この違いは何か。~畑違いの書道側/文化的視点からすれば、そんな疑問/発想が素朴に先立ってくる。
    【2020/07/21 23:04】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (前稿補記)
     洗練された書は、やがて「習気」が嫌われる様になっていった。これは唐様にも云える事だが、典型的なのは御家流だろう。庶民の目に触れるのは木版の印刷物が多く、また商売などの実用記録に見られる様に、巧緻な肉筆は相対的に少なかった。寺子屋の師匠レベルになると少しは巧い。それより巧くなると版元が放って置かず、「師匠の師匠」経由で肉筆から印刷物の世界に入っていく。荒削りの書はお呼びでない…ただし文人の書は漢学教養の領分だから例外に近い。
     印刷物の環境は、今で云う活字/フォントの世界(明朝体など)と似通っている。巧い人ほど「大衆迎合」の、誰もが読みやすい「似たり寄ったり」の字を書いた。そこが支那との決定的な違いかも知れない。あちらの巧い人は多くが科挙の受験生/合格者で、識字率の低い庶民(商人などを除く?)とはさほど関係がなかったらしい。世界規模で見ても、来日した外国人達は日本人の文化度に特殊な印象を持ったと聞くし、当時の漢学は日本文化の一環に取り込まれていた。
     してみると、高度なポピュリズムには文化的効用がある/あった筈。皆に高度な教養があればポピュリズム文化の担い手は庶民。エリートは単なる支配者階級に過ぎない一方、パトロンとしての側面では審美的効用もあった。しかしながら、西洋準拠の区分では当事者と不釣り合いな見立てもあろう。どちらも日本では相応の文化人であり、画然たる隔たりはない。明治初期の話ではあるが~支配者階級の子弟が民間私塾の師弟から教わると学力が伸び喜ばれた旨、当事者証言もある(「2015/01/04 02:44」稿↓)。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1720.html#comment
     今は学問や思想を取り巻く混同/混濁要素が特定用語に統合、搦め取られつつある気がする。不釣り合い以上の違和感を禁じ得ない。尤も、幕末期のポピュリズムを勉学の場で取り戻そうとするなら話は別…ではある。しかし他方には別の興味もある。もし国文学系で国際的に「くずし字」の教育研究、すなわち「和本リテラシー」の普及等々に取り組む人々(中野三敏系↓)を、明治の「国語ポピュリズム」に文脈を沿わせて批判したらどうなるかしら。(…と、面白がってみる。)
    ●忘却散人ブログ
    http://bokyakusanjin.seesaa.net/archives/201912-1.html
    【2020/07/24 11:59】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔 さん
    高度なポピュリズムには文化的な効用がある あったはず。
    これはなんとなくわかる。

    しかしながら、西洋準拠の区分では当事者と不釣り合いな見立てもあろう
    これは意味が分からない。

    いろいろなブログ発見して読んでいるんですね。
    【2020/07/26 16:44】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >しかしながら、西洋準拠の区分では当事者と不釣り合いな見立てもあろう
    >これは意味が分からない。
     要は西洋の階級社会が相対的に、日本とは別物だったって事です。それを過剰に見立て過ぎたから、日本の士農工商が西洋と似たり寄ったりの階級イメージに引きずられた。ただの生業/役割分担だった筈が、厳然たる階級の扱い/違いという色眼鏡で見られる様になった模様。…武士が農民から搾取し、やがて農民が立ち上がる。さあ、社会主義/共産主義の夜明けだ。(←どこかの教科書にあった様な?)
     調和より対立。そして我が闘争。自分が誰と闘っているのか正確には分からぬまま、まるで自分がそこに居るかの様に振る舞わないと気が済まない。生々しいのは構わないが臭みタップリで、好悪のどちらにも狂気が宿る。しずかに出来んものかと嫌になる。ありのまま佇まいを閑却すると狂気は洗われ正気に戻るのに、そこが気に食わないからか能動的に突出してしまう。黙って考えればいいのにねえ。
     それが青年の情熱というものなのか私には分かりませんが、学ぶ事と煽られる事との区別が学校では曖昧になる向きもあったらしい。教員も教員で、分かりやすく煽ればそれが教育になると思い込む節があったかの様でもある。~教育実習で先生の授業を見る機会がありました。頭の中で褒め言葉を探した挙句、「アジテーションの才能を感じた」と言ったところ周囲の雰囲気が一変してしまい困った(苦笑)。
     で…ポピュリズムですが、ああした横文字由来の言葉にも歪曲や扇動などの効果が埋め込まれて居るのではないかと。言葉が国際的な狭間で自分の立ち位置を見失いウロチョロする。かと云って日本語に置き換えようにも、自分の歴史記憶をどう表現してよいのか分からない。大衆は自史を知った上でなお大衆たらんと自覚できるのだろうか。この場合「迎合」よりは「肯定」と続ける方が似つかわしかろう。
    【2020/07/29 18:26】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    苹@泥酔さんは頭が良すぎて、人も理解するだろうと思っていることを、
    さらさらっと省略して書くから、
    凡人の私にはわからなかった。

    丁寧に説明してもらって、
    おお~~~なるほど~~~そういう意味だったのか・・・・

    金が高騰しています。
    まだまだ?
    【2020/07/29 21:14】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >さらさらっと省略して書くから、
     …前々からの課題。推敲すると言葉の多くが削られ短くなる。~2chで昔こんな反応がありました(改行略、抄録↓)。
    https://academy2.5ch.net/test/read.cgi/gallery/1002529942/
    --------------------------------------------------------------------------------
    374 :わたしはダリ?名無しさん?:02/11/18 01:34
    >>333=340=346=361-364=368-369
    366です。ようやく拝見しましたよ。(w
    仰ること、正しく理解できたかどうかは解りませんが、まさに正鵠を射ていると思います。まず読めることから始めなきゃいかんですよ。視覚的にイメージできない(読めない)ものを、(いつか機会があれば)表現できる(書ける)わけない。理想的には、読むと書くは車の両輪のように同時進行させるべき関係にあると思うが、実際にはバランス崩れている。というより日常生活で草書を「書く必要性がない」から「別に読めなくてもいい」となっているのか?このヘンはどうもよくワカラン。司馬遼太郎なんかは、欧米の文明を日本語化することでシェイクスピアの翻訳本に感動することができるようにはなったが、西鶴や近松門左衛門が読めなくなった、と「功罪」を述べていたが。それから蛇足ですが、よくもまあそんなに高密度な文章が書けますね。(皮肉じゃなくて)
    (以下略)
    --------------------------------------------------------------------------------
     そうした練習を経て歴代「日録」付属掲示板に書き込んだ…(「つくる会」分裂騒動の前)。そう云や荒間管理時代、一度だけ藤岡信勝先生も書き込んだ事があった様な。(長谷川管理時代になると遠藤浩一先生も登場。)

    >金が高騰しています。
     …なにやら様子が違う。あっしが貯金したのは在職時の世紀末だから今は成り行き任せ。その頃は相対的意味で「貧者の金」だった。月に1oz売れば生活できるとの話が本に出ていたけれど、どうしたら五万円以下(当時の相場)で生活できるのか非現実的としか思えなかった。それが今は現実になりつつある。これは一体、どうした事だろう。
    【2020/07/30 05:22】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (備忘録)
     …その後「ひろしまトリエンナーレ」関連の後始末どうなった?
    https://mainichi.jp/articles/20200804/k00/00m/040/026000c
    --------------------------------------------------------------------------------
    >観光客の救急搬送当面取りやめ 香川の離島・豊島 消防団「島民守れなくなる」
    >毎日新聞2020年8月4日 09時43分(最終更新 8月4日 12時17分)
    > 「アートの島」として近年多くの観光客が訪れる離島の豊島(てしま)(香川県土庄町)で、救急搬送を担う地元消防団が観光客の搬送を当面取りやめることを決めた。団員の新型コロナウイルス感染を防ぐのが理由だ。落ち込んだ経済を立て直そうと国は観光振興を図っているが、医療や救急体制が脆弱(ぜいじゃく)な地域での観光客受け入れは大きなリスクを伴う。消防団の今回の決定は、コロナ禍の中で離島が観光客を迎えることの難しさを突きつけている。
    > 「島の観光客には関東や関西から来る人も多く、団員の中からも『搬送したくない』という声が上がるようになった。僕らが感染して動けなくなると、本来やらないといけない島民の救急搬送ができなくなる」
    > 土庄町消防団豊島分団で団長を務める多田初(はじめ)さん(56)が取材に対し、苦渋の表情を浮かべながら語った。分団は1日に開いた会合で、団員の安全が確保されない限り観光客の搬送を当面取りやめることを決定。2日には町にも方針を伝え、対応を求める申し入れを行った。
    >
    >分団員は非常勤公務員、「リスク回避の仕組みを」
    > 人口779人(7月1日現在)の豊島には消防署がなく、豊島分団(6班61人)が救急搬送を担っている。要請を受けると車で港に搬送者を送り、チャーター船を手配して総合病院のある島外まで運ぶ。非常勤公務員として1回の出動で1人2000円の手当が町から支払われるが、団員は普段それぞれ別の仕事に従事。多田さんもイチゴ農家だ。
    > 平時なら機能するこのシステムも、新型ウイルスの流行という危機下では別だ。豊島は近年、美術館を中心とした「アートの島」として注目され、毎年10万人以上の観光客が来島。その結果、島外から来た人を救急搬送するケースも増えている。搬送時に接した観光客がもし感染者だったら――。都道府県をまたぐ移動が制限されていない今、感染への不安が団員の中で高まっているという。
    > 多田さんは「(感染症に対する)専門的な知識を持つ人が来てくれて、その指示の下で消防団が動くといったリスク回避の仕組みが必要だ」と訴える。島の高齢化率は5割を超え、団員が感染すれば同居する高齢の家族も命の危険にさらされることになる。
    > 国の「Go Toトラベル」事業がスタートし、夏休みシーズンも本格化する中、観光客の来島は今後も見込まれる。三枝邦彦町長は「できるだけ早く方向性を決めたい」と、早急に対応を検討する考えを示している。【金志尚】
    >
    >感染予防にマスク、手袋など提供
    > 香川県内には計24の有人島がある。消防署がない島がほとんどで、豊島同様に消防団が搬送を担っているところが多い。
    > 高松市は男木島、女木島、大島と三つの離島を抱える。いずれも消防署はなく、国立ハンセン病療養所がある大島以外は地元消防団が急病人らを港まで搬送。港からは市消防局の救急艇が引き継いでいる。市消防局は消防団員らの感染防止用にガウンやマスク、手袋を定期的に提供しているという。
    > 計5島を持つ丸亀市も港までは消防団が搬送し、そこから丸亀港までは民間の海上タクシーが運ぶ。市は消防団と海上タクシー業者にそれぞれマスクなどを配布している。
    --------------------------------------------------------------------------------

    (翌日追記)
     池田様の述懐を読んだ。こう書いてある。
    https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=2601#comment-6404
    --------------------------------------------------------------------------------
    >そんなことを考へながら、ダイニングキッチンで晩酌を始めました。燒酎を二口呷つて 立ち上り、背中の右うしろの壁にかかつてゐる額を仰ぎました。ガラスの中には、便箋 三枚の手紙と、表裏を一面にした封筒が竝んで掲げられてゐる。ペン書きだが、骨法の正しい達筆が美しい。「平成二十六年十二月二十二日 福田敦江」とあります。福田恆存未亡人です。私は福田恆存にも未亡人にも面識はありませんが、西尾先生の御配慮により拙著をお送りしたところ、鄭重な禮状をいただいたのです。「西尾樣からお 聞き及びかとも存じますが、私も卆なかばにさしかかりました」とあり、續けて、ユーモ アを交へた的確な、優しい感想がヴィヴィッドにつづられてゐます。字にも文にも寸分 の亂れもない(未亡人は瀬戸内寂聽と女子大で同級だつた由、西尾先生から教へられました)。
    --------------------------------------------------------------------------------
     これを読んで思い出した。以下は『書を語る1』(二玄社)所収の福田恆存。初出は昭和五十六年五月の「出版ダイジェスト」。西尾全集第二巻P.395も参照あれかし。
    --------------------------------------------------------------------------------
    > 私が多少本気になつて習字に身を入れ始めたのは、ロックフェラー財団の助成金を得て、昭和二十八年九月から約一年間、欧米で過し、二十九年の九月に帰国した後の事である。留守中、家内が比田井抱琴師に仮名を学んでいた事を知り、俺は仮名は苦手だから漢字が習ひたい、抱琴先生に相談して、大磯近辺に在住の信頼出来る書家を教へて貰へまいかと頼んだ、その抱琴先生が紹介してくれたのが平塚の田中真洲師である。
    > それにしても、不思議な縁である。早速真洲氏を訪ねたところ、書は初めてかと問はれ、正直に言つた方がよいと思い、父に就いて多少半紙を汚した事はあるが、初めても同然だと答へた。すると、師は急に膝を乗り出し、あなたのお父上といふのは、春湖師の弟子の秋湖、福田幸四郎さんではないかと言ふ。「その通りです。でも、どうしてそれがお解りになりましたか」と反問すると、真洲氏は自分も東電に奉職し、主に辞令を書いてゐたが、お父上とは二三度、会つて書の話をした事もあるといふ、父の馘首の辞令も恐らく師の手によるものであらう。が、師は何事も合縁奇縁だと、私の弟子入りを快諾して下さり、家内も一緒に漢字を習ひたいといふ要求から、週に一回、拙宅にお越しを願ふ事になつた。大層、我が儘のやうであるが、こちらから伺ふ事にしたら、仕事に逐はれて、きつとさぼるであらうと思ひ、師を迎へるといふ事で、私は自分で自分を縛らうとしたのである。
    --------------------------------------------------------------------------------
    【2020/08/04 20:39】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    格調の高いお話ですね。

    お酒などに、美しくもない筆の字で
    酒の名前が書いてあったりしますが、
    わたしはあれが嫌いです。

    本当に良い字を知っている人が、どんどん少なくなっていくのでしょうか?
    【2020/08/05 21:40】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >本当に良い字を知っている人が、どんどん少なく
     香川の離島記事から、いきなり瀬戸内一帯へと視野が拡がるとは思いも寄らなかった。愛知と違い、広島のトリエンナーレには前々からの伏線があったと考えねばなるまい。多分これは単なるアートの問題でない。瀬戸内全域を地域振興するため様々な企業体が関与する、壮大な開発計画が予定されてきたのだろう。表向きアートを持ち出したのは悪くない発想と思うがドッコイどうだか、それを支える地場産業が既に広島のみならず日本全体の毛筆文化を支えていた。
     ここから先は本格的に、西尾先生達の出番がくる予定だったのかしら。~アート方面は非力ながらも、こちとら出来る限り協力するつもり(←余計なお世話?)。それが自分の勉強になるから好都合この上ない。あちら側/アート方面とて、あっさりコロナで沙汰止みになる訳でもあるまい。四月段階では納得していない様に見える。私は美術が苦手だが、音楽なら鑑賞方面から四の五の言うくらいは出来る。もちろん書道ネタ(広義)が書き足りないのは云うまでもない。「良い字」とは何か、まだ納得のいくまで考察できて居ない。
     昔ながらの「良い字」は幾らでもある。見慣れた字の見た目は教科書とさほど違わず、技術的にも秀抜だ。それを当面「良い字」のイメージとしても構わない。片や「風情のある字」の多くは芸術性に富むが必ずしも「良い字」とは限らず、基礎と応用の違いに似ている面もある。中には私から見て面妖な風情と感じられるもの(日本酒のラベルなど)もあるが、その一部書風については「2017/08/27 18:18」稿で言及して置いた(↓)。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1993.html#comment
    --------------------------------------------------------------------------------
    > 一体、実用とは何だろうか。今でこそ国語科書写は硬筆が基本で、それを疑問に思う人は殆ど居ない。毛筆指導は硬筆の模倣となった。この領分から書道に「逸脱」するのを避けながら「書道らしさを演出」すれば、待望のスター(?)武田双雲の様な説得的誇張表現が魅力的に映るのだろう。書道でなく書写模範の擬態/変奏と見る方が苹には納得しやすい。しかし世人には十把一絡げに書道と映る。書写と書道の区別が付かない。学習指導要領には「芸術科書道と国語科書写の接続」が盛り込まれてきた。芸術書道「らしさ」を実用化すれば書写らしさへの反転が起こるという事だろうか。
    > 斯くして書写の分裂が起こる。あの無個性な書写教科書手本からの逸脱を書道に期待してなお、書写の呪縛は残り続ける。実用上は手本がお払い箱となり、書写がデザイン書道へと化けていく。そこに「過去の実用」への視線はない。第一、読めない。過去を読むには「読める様にする」必要がある筈なのに、ここでは接続(読める過去)と切断(読めない過去)が現在に折り畳まれて同義語となる。~この場合、教科書の手本は「読める過去」に属するだろう。人は歴史(読めない過去)を生きていない。自分の過去/現在/未来だけ読む様に生きている。
    --------------------------------------------------------------------------------
     蒸し返す材料は色々ある。そのうち別の切り口も見つかるだろう。

    (翌日ぼやき追記)
     今更ネタは「ひろしまトリエンナーレ」だぜ。所詮、他人事なのに。
     …時には自分の思考や行動を他人事と割り切る勇気も要る。他人事とは自意識から他者を開放するための手段であり、そこにいかなる責任も付帯させてはいけない。例えば植木等の映画。「無責任」のキャッチフレーズで、どれだけ多くの庶民を解放し癒してきたか。その功徳を自己の智慧に窯変させなかったら、あんなものは「ただの面白い映画」になってしまうではないか。そもそも自己には他人事もへったくれもないのに、そんなものまで自己責任にされてたまるか。無責任でよいのだ。無責任は責任意識/良心の裏返し=限界で、それを他者が勝手に四の五の云う。
    【2020/08/07 00:37】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (重闢ぼやき追記)
     露悪的な自己告白が偽善的に見えた場合、告白自体(責任意識?)が無責任と真っ向から衝突するだろう。見方次第では過剰な自意識に歪められた挙句の責任中毒か、左翼的な反省の文脈に実例が多いらしい。私から見れば「無責任」は右翼的な裏返しとも云えるが、ふざけ過ぎとも思える言葉となるとコメディー/ユーモア近辺に居場所が限られそうだ。それをさも他人事である「かの様に」徹底し過ぎると、却って反撃を食らいやすくなるかも知れない。「自分」など、所詮どれほどのものかと。むしろ遠い場所から他人事を手放さない方がよい。「自分」が破綻せずに済む。
     ちと大袈裟な言い回しになるが、ワーグナー最後の楽劇《パルジファル》に「共悩で悟る純粋な阿呆(»Durch Mitleid wissend, der reine Tor ...«)」というキーワードが出てくる。この「共悩」という言葉、或る意味「他人事」と似ている気がせぬでもない。「畢竟それは他人事なのだ」とする自覚により、自意識が余計なものとの間で開放される。他方、「出入り勝手の他人事」は自意識の壁をも兼ねるがゆえに、内側まで侵入したところで壁自身の免疫性を損なう事はなさそうに見える。その境界を見定めろと西尾先生は示唆している気もするが、そうでないかも知れない。
     壁を卵殻、或いは浸透膜に喩えた事がある。往来の調整機能が壁の役割を担う。ここでの境界は壁の機能を示唆するので、物事の限度を測る里程標みたいなものとでも云えるだろうか。地図の中に書かれるべき指標がないと役立たない上、壁は完全封鎖の道具ではない。そうした要素が精神や思考の壁にもあってよい。お互い石頭だったり忖度過剰だったりするのでは話にならぬ。だから対話は難しい。にもかかわらず会話は成り立ち、井戸端会議の様に流れては消えていく。相手は所詮そっちのけ、会話の中から対話を掘り下げようとする幻想こそ自意識そのものだろう。
     自意識が他人事を呪縛するとする。…逆の場合はどうだろう。パルジファルに独特の自意識はあったか。純然たる他人事が自意識を丸ごと呪縛/溶解する場面はなかったか。蠢く他人事の巨大な塊が国民の自意識を呪縛する様な見え方を、占領軍側の人々は「宗教的に」解釈したかも知れない。ところが六十年安保の頃、ええじゃないかとばかり素直に無責任の映画が開き直った(昔からあった諧謔の末裔?)。近代主義に呪縛された一部の知識人は、無責任の伝統を前近代の枠として相対化しようとしたかの様に見える。彼らに近代主義から自意識を切り離す発想はあったのだろうか。
     かと云って当方、自意識を軽視しているのではない。自意識の強度が増すと、壁もまた分厚くなる。真面目な中高生なら大抵その辺で躓くだろう。頭がぼんやりして「自意識しか見えなくなる」。そこを他人事の様に自己から切り離し開放すれば、解放すべきだった筈のものから元の根拠が自ずと霧散し、いつしか我に返ったりするだろう。あの熱病の様な感覚は何だったのか…これとて気分転換と云えば身も蓋もない話だが、教職経験者としては捨てて置かれぬ気分にならぬでもない。

     こうした事とも、何か関係があるのではないか。~以下は西尾幹二「人生批評としての戯作」、全集九巻P.129~130。
    --------------------------------------------------------------------------------
    > 江戸の戯作家たちはなぜいくつもの名前をもっていたのだろうか。他人の作品を自由に模倣したり、あるいは弟子に書かせて平気でいられたのはなぜだろうか。文学者の個性とかモチーフの独創性とか、われわれが文学に関して平生にいだいている近代的な固定観念を一度こわしてかからないとよくわからないことが余りにも多い。江戸の泰平の文化が、もう二度と戻ってはこない一回的な、密儀的な閉鎖空間であったと以前に述べたのはその意味からである。
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    【2020/08/13 13:54】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    > 苹@泥酔さん
    瀬戸内海全体、それぞれ島々が生き残りをかけて、
    アートにすがっていますね。

    本当にいいものならいいのに、
    とんでもないものが紛れ込んでいる。

    【2020/08/15 21:54】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    (備忘録)
     「2020/07/21 23:04」稿で「中でも厄介そうなのはナチズムだろうか。かなり前に幾つか読んでみたが、世界平和の理想を追求したら「ああなった」としか思えない」と書いた。それを別方向から~つまり後世からの視点として~圧倒的に補強する書評があったので紹介する(三浦淳ブログ)。
    ●読書/ ノーマン・G・フィンケルスタイン(立木勝訳)『ホロコースト産業 同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』(三交社、2004年12月)
    http://blog.livedoor.jp/amiur0358/archives/1077789026.html

    (近況)
     どうした訳か、従来のIE11経由でyoutube動画を出すとEdgeが立ち上がる様になった。今後の転載要領を確認するため、試しに一つ出してみよう。~来週は婆様の四十九日。
    ●R. Strauss: Metamorphosen For 23 Solo Strings
    https://www.youtube.com/watch?v=awLkK-9lTBg
    【2020/08/21 16:24】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (四方山話)
     婆様の四十九日、法要は無事に済んだ。
     このところ隣国では元慰安婦が支援団体(?)への不満をぶちまけた結果、「同胞の苦しみを「売り物」にする朝鮮人エリートたち」が話題になったりして居る模様。片や日本では田舎のアートにまで「とんでもないものが紛れ込んでいる」とやら。思い浮かぶ雛型は所謂「ホロコースト産業」だが、同じ産業同士なら性質上、仲良く提携できるという事だろうか。自作自演の慰安婦像ブーム(?)等々、変な意味でグローバル化しとるなあ。…それとは別に、これまた変な意味で一曲追加(↓)。
    ●R. Strauss: Don Juan, Op.20
    https://www.youtube.com/watch?v=dgxH3NHeuIM
     精神科医でもあった指揮者シノーポリが演奏するとこうなる。終盤のテンポが落ちる辺りなど、私はテンシュテットのマーラーと同じくらい好きだった。~慰安婦達は政府からも支援団体からも捨てられてきた。私は彼女に捨てられた。その前に振られた時は表現の仕方が頗る素直で、「こんなので一生を送りたくない」と言われたものだった。…比較にならぬものを持ち出しても仕方のない事、取り敢えず頭では分かっているつもりではあるけれど。しかしどのみち時間/記憶は、過去に踏み留まりたがるがごとく嘘を吐く。

    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-2363.html#comment
     …いつの間にか、セレブ奥様の御子息に彼女が出来たそうな(「【2020/08/18 22:43」稿↑)。もしかして色男(イケメン?)かしら。あっしと同様、留年経験があるらしい。こちらの場合は正規の教員採用試験が実施されるまで繰り返したかったが無理だった。案の定、実施されたのは私が非正規の教職を終えた後だった。(二十年ほど前、県教育庁に問い合わせた。昭和55年度以来、実施していないとの事だった。)
     あちらの場合は医療関係だろうか。とすると命に関わる仕事だから無責任では居られない。~職場の飲み会で、書のリズムや呼吸の調和/タイミングをラマーズ法に喩えた事がある。養護教諭には書教育が気楽な無責任仕事に見えたらしい。失敗が許されないとの意味なら分かるから論駁しなかったが、現場では色々とあるだろう。だからこそ「遠き場所からの無責任」たる視点がないと却って重圧に押し潰される。また医者でなくとも誰だって、言葉などの「遠き無自覚」もて誰かの何かを屠ってきた可能性はある。
     自分が生き続けるため、無責任「らしきもの」が必要となる場面はあるだろう。しかしそれは遠き光景、または記憶を踏まえた在り方であらねばなるまい。「近場での責任」への反動と言い換えて差し支えないなら、こちらは取り敢えず言葉を惜しむ所から始めたい。可能な限り推敲する。そこから先が無責任の世界。責任意識を踏まえた裏返しの世界。時には沈黙への傾斜でもあろう。それらを記憶に留めた上での無責任なら如何なる形であれ、いつしか智慧と功徳を結ぶ渡し舟となり得るかも知れない…とは思って居る。

     苹の見方には重大な欠陥がある。
     あっしには「責任とは何か」も、責任の取り方も全く分からない。それを以て無責任を難じられても困るのだ。子供にも分かる仕方には「辞める」という手もあろう。それとて実際は裏と表、どちらが無責任なのか分からなくなる事が多い。犯罪者なら尚更そうだ。謝れば済むのか。服役すればよいのか。そうとは限らないらしいから恐ろしい。責任を取る能力のない者が責任を背負わされるケースに至っては、むしろ可哀想にさえ思えてくる。謝罪の仕方が分からず五里霧中のまま、ついつい逃げてしまう場合も多かろう。
     いじめ問題は実のところ、責任を強いる側と強いられる側との無自覚な関係に起因するのではと疑って居る。当事者の大多数はこう思うだろう。いじめたつもりはなかったと。自分が「何を」強いたのか分からない。隠れた責任ごっこは時間と記憶の闇に埋もれ、やがて忘れられていく。「何を」の根幹にある双面神は実相から抜け落ち、何事もなかったかの様に天上の言葉となって空回りする。後に残るは「強いた」という外面的事実のみ。責任の追及は出来事の終わった後になってから始まる。そうして無責任ばかりか責任の方にも、過剰で潜在的な犯罪性が宿っていく。
     私は責任と無責任の違い/境界がよく分からない。
    【2020/08/29 02:29】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


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