• ☆セレブな奥様は今日もつらつら考える☆
    子育て終了の奥様でございます。 最近本格的にブログにチャレンジ。 硬い話、介護の話、日常の話をちょこちょこっと書いていきます。
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    コメントへの感想?
    >あきんどさん
    >黒ユリさま
    >池田俊二さん

    どんどん話が膨らんでいて、びっくりしました。

    実は今娘一家(旦那以外)が滞在していて、
    毎日バタバタしています。
    あとどのくらいいるのかは娘次第ですが、
    こうやって、三世帯同居のまねごとをしていると、
    帰られたあとのわびしさを
    今から恐れてしまいます。

    昔はこういった核家族ではない同居世帯が多かったのに、
    今ではとても少なくなりましたね。

    子供の人数はやはり一人っ子より、兄弟がいた方がいいでしょう。
    兄妹はなにかとうるさく争いますが、
    小さいうちからのその人とのやり取りが、
    大人になってからの人間関係の築き方に影響してきます。
    中国の一人っ子政策により、
    乳母車の中でふんぞり返っている小皇帝と形容されるように、
    無意識のうちに自分中心で、利己的な人間に育つように思います。
    もちろん例外はあるでしょうが・・・・・・・

    日々、うるさく騒ぐ孫たちを見て、
    これでいいんだ・・・・・と思う毎日です。
    それにしても、幼稚園や小学校の教育力はありがたい!!!

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    【2018/10/24 20:26】 未分類 | TRACKBACK(0) | COMMENT(39)
    この記事に対するコメント

    奥様

    やはりお忙しかったんですね。ブログ主を差し置いて、勝手に会話していたみたいで、済みませんでした。
    でもお話を伺うと、昔ながらの大家族、とても羨ましいです。奥様は三人兄弟だと仰っていましたね。私もそうです。でも昨年姉が亡くなって、今では兄と私だけになりました。

    それでも、4,50年前、私の子供の頃でも三人兄弟は多い方だと言われていました。親の世代はもっと多かったですが・・・ 同級生でも二人兄弟という人が多かったように思います。でも一人っ子も少なかったようですね。高校の同級生にも一人娘の人がいましたが、聞くと、靴は十足持っているということで、驚いたことがあります。

    イギリスのメイ首相もお父さんが司祭の一人娘さんで、結婚は早かったけど子供がいないそうです。だからとても子供が欲しかった、というインタビュー記事をネットで見た事があります。

    中国も一人っ子政策が長く、第一陣の子供たちももう四十近くですから、向こうもこれから色々な変化が訪れるでしょうね。いいことばかりではないみたいです。
    【2018/10/24 21:48】 URL | 黒ユリ #- [ 編集]


    奥様へ

    お留守(御多用)中、勝手にお邪魔し申し訳ありません。

    >子供の人数はやはり一人っ子より、兄弟がいた方がいいでしょう。兄妹はなにかとうるさく争いますが、小さいうちからのその人とのやり取りが、大人になってからの人間関係の築き方に影響してきます。

    仰せのとほりですね。

    今、坦坦塾の仲間からもらつた、田中角栄回顧談(動画)の一本を視聴し終つたところですが、角さんが全く同じことを言つてゐます。曰く「子供を三人以上作らない場合は罰金を取るべきだ」。 曰く「親の膝を独占できたやうな子が将来ろくなものになるわけがない」。

    かういふ当たり前の考へが当たり前でなくなつてきました。その理由を私などが論じても意味がないので、何も申しません。
    「毎日バタバタして」「うるさく騒ぐ孫たちを見て、これでいいんだ」ーー御尊家はまともですね。邦家のために、お慶び申し上げます。
    【2018/10/24 22:20】 URL | 池田俊二 #- [ 編集]


    ようやく書き込みできる環境が整ったあきんどです。
    過去ログを拝見させていただきましたが、池田様や黒ユリ様」から、多大なる私へのお心遣いと申しましょうか、私から申しますとあまりにもあきんどへの過大評価が繰り広げられすぎやしないかという気持ちが正直なところございます。
    有り余る光栄であることには間違いございませんが、ここは一つもう少々冷静にと申しましょうか、どうかゆるやかな感覚で待ち受けていただけたら、幸いであります。

    私はけして文章の天才ではございませんし、そんなにもちあげられますと、かえって委縮する気弱な部分も実際ございますので、とにかくどうか穏やかにというのが素直な自分です。

    現在115ページまで読み終えております。
    まだまだページ数は残っております。
    明日の休みの日に完読したいと思っています。
    ただし、一回読んだだけでどれくらいのものが書けるか、そこですね問題は。

    多分自分の中に生まれた素直な印象を元に書くしかないと思っています。
    「自由」というテーマは実は扱いが一番厄介なテーマだと思うのです。
    そこに先生がどうして執着されているのか、それが私にとっては一番の疑問点なんです。
    その答えを生む側の先生にも、もしかしたらはっきりとした答えは存在しないんじゃないかなというのが私の印象なんです。
    つまり「自由」というものは、本当はこの世には存在しない概念なんだろうと思うんです。
    都合よく生まれた現代言葉の象徴なのではないか・・・私はそう考えています。

    ところが現実社会はこの言葉を多用します。
    どうしてなんだろう。それが普通に生まれる疑問だと思います。

    そこに至る具体的な例は、おそらく我々の普通の生活の中でかなり接している可能性があるんじゃないかと最初は考えました。
    でも意外と、そんなに普通の生活って「自由」ではないように思うのですが、皆さんはどうですか。

    人間は本当はそんなに自由ではないけど、自由じゃない自分が幸せだと思うようにしていませんか。ここがこの本のポイントだと思うんです。

    多くの人間は、守られて生きていたい・・・私はそう思っています。
    しかし、それは自分が弱い時で、仮に反対に強くなれたらどうなるか。
    その象徴的な事は、自分に子供が出来たときが一般的な感覚だと思います。
    戦時中結婚したばかりの夫婦に礼状が届いて、にこやかに戦地に赴くというその現実を、当時どうして受け入れることが出来たのか、ある意味現代人の最大の疑問だと思うんですが、けしてにこやかなはずはなく、嬉しいはずはないでしょうが、呼ばれないという方がもっとも恥ずかしいという気持ちがあり、その恥をかかないで済んだという安堵の方が勝っていたんだと思います。

    つまり、こういう場面での人間の心理の中心をなすものは、「羞恥心」以外に勝るものはないんだろうと思います。
    西尾先生は「人生の深淵にて」で、羞恥心というのは他人なら誰も立ち寄れない世界の心理だと語っていました。
    おそらくそうでしょうね。私はこのことを知るきっかけを持てただけで、この本の価値は高かったです。

    この「羞恥心」というものが「自由」という言葉とリンクしているんじゃないかと思うんです。
    ですから、親が子育てで悩む一つの例として、どうしても教えられない部分が「羞恥心」であって、この部分で壁を感じた親子は、なかなか難しいですよ解決が。

    昔カルーセルマキさんという、男性が女性に性転換された方がいましたね。
    彼?彼女?まぁどっちでもいいのですが、マキさんはそれはもう家族や親せきはもちろん社会からも度外視された経験の持ち主で、それは自業自得なんでしょうが、どうやら彼は作られた女性心理だと言うんです。自分がどこか弱いという子供の頃からの「弱気」があって、それをどうやって自分らしくするかで葛藤があったそうです。
    その時思いついたのが、いっそうのこと自分は女になりたい・・・という発想だったそうです。

    確か彼女は釧路当たりのご出身で、最初に出家先と決めた地は札幌でした。
    右も左も知らない彼女が、道行く人に聞いたそうです。
    「すみません、ゲイバーはどこにありますか」と。
    すると、それを聞かれた道行く人は「競馬場は遠いいよ」と言ったそうです。
    (この話、昔私が大学生の頃、テレビで見て知った情報です)(たしか「徹子の部屋」だったはず)

    この映像は私には最高に笑える瞬間でした。
    こんなギリギリの言葉を電波で言えるというその瞬間が痛快でした。


    この映像をみて、どういうわけかいつかゲイバーというものに侵入したいという心理が私の中に生まれたのですが、けして本気ではなく興味本位だと言うことだけはご承知おきください。
    この念願が叶うのは、それを見た15年後くらいだと思います。
    私が社長という立場になって、大阪に仕入れに行った際、仕入れ先の連中とゲイバーに初めて行きました。それ以来一度も行ってませんが、そこにはいろんな「彼女」がいましたよ。
    もう手術した人と、これからだという人が。元々男同士なので、変に気持ちが移入する瞬間があることを、その時知りましたね。その時知ったのは、彼女をかわいいという気持ちで接するのではなく、男同士というきもちで接する方が、案外お互いの心理面は普通で、かっこうつけなくてもいいんだよ・・・みたいな気分にさせてくれるユーモア感はありました。

    ここまでくると、「自由」というものが、どのような定義で”まもられているか”がこれを読まれている方々に、最初の違和感だと思います。
    何が「自由」で何が「自由でないか」という問いです。

    普通に考えると難しいです。でも私はあまりそう感じないんです。
    だからといって万人を納得させるほどの「定義」は語れませんが。

    簡単な表現ですみません。
    「自由を感じない人」がいたとします。
    だったら「自由になればいいでしょう」というしかありません。
    例えば会社がいやで出勤したくない。
    だったら出勤しないという自由を選べばいいでしょう。
    親が塾に行けと言うけど行きたくない。
    だったら行かなきゃいいでしょうという自由を選べばいいでしょう。

    どっちも他人に少し意見を乞う気持ちで甘えている代表例です。
    だから本人の気持ちと反対のことを言えば、案外素直に気づく場合があります。

    でも深刻なのは、やる気が起きないという妙な「自由感」の中にいる方。
    あえて「深刻」と言わざるを得ないのは、彼らは、気持ちの扉を開けるんですが、アドヴァイスする方の言葉尻をつまんで、くだらない屁理屈を並べて、自己保身に走るんです。

    そんな時思うことは、やっぱり幸せすぎることの一番象徴的な弊害だなと思うんです。
    不幸があまりにも局所的すぎていて、一般的な不幸が必要以上に減少してしまっている。
    簡単な言葉で言うと「忍耐」するチャンスをことごとく奪われているのが現代社会ではないか。条件を提示して「契約」的な雇用関係を色んな会社が静かに結ぼうとしていることに、どれだけの人がお気づきだろう。

    さらにはここに中国人雇用者が当たり前のように存在します。
    彼らは物販にはあまり登場しませんが、なんといっても製造業にその比重が大きく、その次がレストランなどの接客業を選択するケースが多いようです。

    中国人の殆どはもう一人っ子です。
    兄弟がいません。
    数年前は兄弟がいる子供たちが来日していましたが、そろそろそういう家庭は消滅して、ほとんどの中国人労働者は一人っ子になりそうな気配でs。

    そんな心配を案外日本で働く中国人も実感していて、ある中国人の青年は、お客さんとしてやってきた中国人の家族の中の子供の反応に、腹が立ってしょうがないと言い出したことがありました。食べ物を母親が進めても、いやいや顔でしかもそれが普通じゃ考えられないような言葉を発しながら拒んでいるんだというんです。

    それを見た中国人労働者は腹が立って仕方がなかったというんです。
    でもこんなこと中国ではよくある光景だというんです。
    しかも、彼が言うには最近は特にそういう現象が多くて、とにかく腹が立つんだと言います。

    そういった現実を、どうやって我々一般人は受け止めなければいけないかが大切なテーマとなります。私が働いている職場には年間最低でも10人くらいの中国人が現場に来ます。
    そんな環境なもんですから、現実路線はかなり豊富に経験させてもらっています。
    ただし、あくまでも労働者という受け入れですので、単純な見地で意見するのは良くない事だと思います。できるだけパラレルな感覚で、臨みたいと思います。

    以上です。
    【2018/10/25 02:03】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    前文はあえてどこかの宗教団体が勧誘するときに使うようなイントネーションで書いてみました。一度書きたかったんです。こういう文章。

    まぁ、実に不愉快ですよね。
    わかりきったようなことばかり書き連ねて、終いには固有名詞までだして。

    このようにならないように、頑張って書きます。
    昔、西尾先生が、こう宣言されたのが何よりも印象的でした。
    「私は書きますよ。いつでも書けます。どんな時も書けます・・・」と
    これがプロの魂だと思うんです。

    つたないことを語らせてください。

    私が文章を書くことに抵抗がない理由の一つに、高校から大学時代に付き合っていた女性との文通が支えになっているんだと思います。
    彼女も手紙が大好きで、恋文の中で培ったものが、妙な事に西尾先生の気持ちを撃ってしまったというのが笑えない現実なんです。

    さてさて更なるハードルを自ら招いているあきんどです・
    ご期待ください・・・でもご期待しないでください。
    それが本音です。
    【2018/10/25 02:46】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    あきんど さん

    一日のお仕事が終わって、夜中に書いてらっしゃrんですね。お疲れ様でした。
    過大評価なんてしてませんよ。今回あきんどさんが書かれた、「自分の中に生まれた素直な印象を元に書く」というその事が、普通はなかなかできないんです。

    「自由」という言葉一つとっても、これだけ流れるように出て来るんですから、読んでいる者は共感するんです。先日、私があるSNSに参加したと書きました。でも残念だったのは、仮に私が今のあきんどさんのように、素直な気持ちを書こうとしても、ちょっとでも政治や民族問題に触れかかると、皆だんまりになるんです。例のLGBTの件もあるから、私がカルーセルマキのことを書いても引くと思います。

    マキさんは、当時女よりきれいだと言われてましたね。「作られた女性心理」ですか。確か歌舞伎の女形坂東玉三郎も、鏡を見るのは自分に見とれてるんじゃなくて、客観的な女らしさを確かめてる、というような事を言っていました。俳優でもミュージシャンでも、芸術的なことというのは女性的な要素があるから、「カミングアウト」しなくても、私から見ると、この人はきっと男が好きなんだろうな、と思える芸能人何人もいますよ(笑)。

    あきんどさんはラブレターも上手だったんですね、私もそんな手紙読んでみたかったです(笑)。でも一般的に男性は、恥ずかしいのか、書きませんよね。昔、母が父からの手紙(ラブレターじゃないけど)を見せてくれました。候文に、最後は「以上」で終わりですよ。母が「これ見て、愛想も何もない」と笑っていました。

    先生は「どんな時でも書ける」のですか・・・だから、あれだけの膨大な著作があるのですね。
    そういえば、シェークスピアは、生涯書いた字数を計算すると、何秒かに何文字を書き綴ってる計算になる、と聞いたことがあります。先生もそうだろうけど、「書くために生まれてきた」のですね、きっと。

    感想文はなかなか難しいです、何を中心にして書くか、それを自分なりに筋を通しながら最後まで書き抜ければいいですけど。私もあきんどさんと同じ気持ちですよ。期待しないでください・・・(笑)。
    長くなりましたので、今回はこれで失礼します。
    【2018/10/25 07:39】 URL | 黒ユリ #- [ 編集]


    二つ前の書き込みの続きです。
    なるべく、宗教性を省いて表現することを心がけます。

    今月私はついにお爺ちゃんになりました。娘は26歳になる歳に子供を産みました。私の女房は27歳で子供を産みましたので、ほぼ同じ時期に二世代が同じ経験をしたということになります。色々遡ってみると、私の父が初めて孫を授かったのも58歳で、今の私と同じ年齢です。
    こうしてみると、不思議な偶然ですが、でも昔はそういうことをかなり意識して教育していたんじゃないかと思うのですがいかがでしょうか。
    今も少しはそういうことが意識されてはいるんでしょうが、昔はかなりそれを意識しながら人生を歩んでいたような気がします。
    人間は「自由」でありたいと漠然と思いつつも、なぜか自然と親の歩みを見本としながら生きている部分があって、こうした条件反射的な認識の仕方は、少なからず子供がどこかで親に対して感謝や威厳を感じながら生きてきた証ではないかと思うのです。
    そして同時に自分中心に置き換えたとしても、何かの運命的な物を摺り込まれている現実に、ハッとする自分がいることを感じるはずです。

    そんな時人間はおそらく、自分中心だったこれまでの人生が少し違って見えたり、もしくは少々否定も交えて歯がゆく感じることがあるかもしれません。
    他人に言われてもなかなかうなづくことが出来なかった今までの自分の過ちを、そんなときに受け入れることが出来たりするきっかけにもなったりするのが、そうした親子関係の不思議な年齢的な縁ではないかと思います。

    先生は「自由」の反対は「宿命」だとおっしゃっていました。
    まちがいなくそうだと思います。人生は気づかないうちにどこかで束縛され、どこかで自ら意識し、ついにはそれにもたれかけながら生きている。

    初孫が生まれるまでは、私も案外他人事でした。
    ところが臨月となると、高まる気分をなかなか抑えられない自分がいて、久々に自分を失いそうな時間に襲われました。そして孫との初対面。自分の娘の横に孫がいるという不思議な光景。自分が苦労しなくてもこうして宝物が目の前に現れる現実。果たして自分はこんなに幸せでいいのだろうかというのがその時の本音です。
    その瞬間この子に及ぶ今後の不幸は、自分の人生と引き換えになってもいいから防ぎたいと本気で思いました。
    これが本当の自由の象徴であり、自由とは何かを語るうえで一番理解しやすいことだと断言します。自分が命を投げ出してもいい瞬間。それが自由の象徴ではないだろうか。

    私はそれを孫の誕生の時に知りました。初めて気づいた感情でした。
    もう何を語りたいかお分かりかと思います。
    戦場に行く人たちは、自分の命が犠牲になることの「価値」を「自由」に変えて向かったのではないか。かっこよく生きたい人生・・・そう表現してもいいのかもしれません。なかなか他人には理解しがたい決断です。

    戦争に向かう人生を自由という枠に収めることは難しい概念ですが、それはあくまでも他人事の世界で、実は本人はこの時ほど「自由」を勝ち取った瞬間はないと思うことが出来れば、戦場に向かう人間の心理が理解できるのではないかと私は思うのです、

    現代のようにあまりにも幸せすぎる時代に甘えすぎた我が人生。ようやく孫が生まれてそれに気づくこの幼稚さ。その時代ならおそらく自分の子供が生まれる瞬間に、先の私と同じ心境になったはずだと思うのですが。

    日録ではこの辺を強調して書きこもうかなと思っています。





    【2018/10/25 07:48】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    >黒ユリ様
    書き込みしている間にレスをいただき感謝します。
    少しタイムラグがあるようですがそれはどうでもいいことです。
    黒ユリ様という素晴らしい理解者がいる現実に私は感謝しています。そしてそのご期待に沿うよう頑張らなければという本音が今あります。

    これこそが本当の私の自由なのかもしれない。そう、これこそが本当の自由です。

    昔西尾先生がおっしゃっていました。
    「世の中で私ほど自由な論陣はいない」と。
    何でも語れる立場を構築した西尾幹二先生。

    素晴らしい生き方だと思います。
    【2018/10/25 08:12】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    中国人労働者の問題に触れたいと思います。
    少し話題がそれますがご容赦ください。
    最近の日本の若者は、もうすでに日本人よりも外国人の異性に興味が湧いているという事実をご存知でしょうか。
    女の子は男の子を。男の子は女の子を。これがけっこう本当のところの心理なんだそうです。いよいよはじまりますね国際結婚の国内上陸が。

    これ数年先にはもっと広がるでしょう。
    どうしてこのようなことになるかというと、ちょうど適齢期の若者たちは、いわゆるゆとり教育世代です。これがけして無縁ではないのがかなりの可能性で今後発生することになるでしょう。予想していましたかこんな事。特に男の子が中国人女性と結ばれるケースが多くなるといううわさですがあるんですよ。
    なぜなら、今の若い日本人女性はだらしなくて言葉もきつい。それなら中国人の方がたどたどしい言葉でかわいいし、なんとなく自分がリードしやすいというんです。
    これ本当の話です。サイレントマジョリティというものに則れば、かなりの数になってしまいそうな感じです。
    いよいよここまできてしまいました、日本は。
    昔から女性の能力をどのように社会に貢献させることが出来るかという問題は、世の常だったと私は思っています。
    日本の女性の猛々しい部分は、けして今に始まったわけではなく、昔は男女が接する場所が少なかっただけで、現実は昔から女は猛々しいというのがあきんどの印象なんです。

    我が家の家系は女性陣が皆そのまま戦場に行っても通用するような猛者の集まりで、3年前でしたか久々に大勢の親戚が集まったんですが、70歳過ぎのおばたちのまぁ元気な事。ビックリです。お酒もガンガン飲みますし、説教もガンガン来ますから。若いころの姿がこの時の飲みっぷりを見ただけで納得できます。

    それとは別に同世代の女性が何人か職場にいます。
    彼女たちもかなりガンガン来ます。
    たまたま独身だと言うこともあるんでしょうが、とにかくガンガン来ます。
    気に入らない事はドンドン言います。
    羨ましいくらいに。
    負けちゃいけないと思って私も瞬間レスで社内で叫んでいますが、けして彼女たちを罵倒してはいけません。これだけはご法度なのです。お局様には絶対反抗してはいけないのです。それが男の度量というやつで。
    でも、ある程度役職に就いた女性とは議論します。そうしないとそのお局様たちをコントロールできませんから。

    日本ほど女性に優しい男性がそろっていることがいないという事実を、どうか世の女性たちよ気づいていただきたい。もっと日本の男性たちを支えてほしい。

    何かに縛られてキュンとなった時、それが本当の自分の求めていた愛の入り口で、何も感じないままに出会う異性は、どんなにすばらしいものであっても、何も感情が生まれないという皮肉なものに終わってしまいます。
    何かに縛られる・・・という現象は、人それぞれでしょう。
    不自由が自由の価値を見つける瞬間だと思います。
    【2018/10/25 08:56】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    あきんど さん

    「血の宿命」みたいなもの、私も感じたことがあります。自分が意図したわけでもないのに、親と同じようなことをしていたり、実際親から「何という、嫌なところが似ている」と言われたり・・・両親がいなくなってみると、自分の身も心も両親からもらったものなんだ、とつくづく思います。

    以前、伊藤桂一さんという作家の本に、「戦中派には戦死した戦友たちが乗り移っている」、と書いてあるのを読んだことがあります。当時は、「そんなもんか」、と思いましたが、父を見ていると、「マジでそうなんだ」と思える瞬間がありました。死んだ戦友たちといっしょに、生きていたんだと思います。

    あきんどさんは「いちのちゃん命」ですね(笑)。でも分かります、親は(孫でも)皆そうです。例のSNSですが、ある奥さんが料理を作る時も、ダンナに対してはそうでないけど、子供や孫が来ると、手のかかる料理でも何でも俄然やる気が出てくるそうです(笑)。

    「世の中で私ほど自由な論陣はいない」・・・本当にそうですね。皆、自分は言わないくせに、先生が書くと、内心「そうだ、そうだ」と思っている、でも自分は当たり障りのない格好つけたものしか書かない・・・
    何せ、先生は「平成の本居宣長」(「江戸のダイナミズム」の帯)ですものね。

    「宗教性を省いて表現する」・・・私の方は、宗教について書いちゃいました~
    でも戦争についても少し書いたので、もしかしたらその点はあきんどさんと共通するかもしれませんね。
    それでは、また。
    【2018/10/25 09:37】 URL | 黒ユリ #- [ 編集]


    あきんど さん

    私がコメントを出したつもりが、その前に、すでにあきんどさんのコメントが入っていましたので、また感想を書かせてください。

    中国人労働者と日頃から接する機会が多いんですね。でも今のお話伺うと、びっくりです。
    あきんどさんが、「日本ほど女性にやさしい男性がそろっていることがない」と書かれたのは同感ですし、事実全くその通りだと思います。

    日本人男性が中国人女性を可愛いですって?はぁ~? それって、日本語ができないだけでしょ?と言いたいです。(人によっても、、もちろん違うでしょうが)
    だから、「日本人男性はやさしい」んです。
    私なら「やめとけ」と言いますね(笑)、正直、私が男でも、中国人の女だけは御免ですね。

    「昔から女は猛々しい」・・・これも納得です。私もそんな感じの人見た事あるし、身近にもいます。でも家庭を守る時は、そのくらいでもいいんじゃないですかね。例の高齢者のSNSでも、女性たちは皆「すれっからし」ですから、文章見ても、強いのが分かります。
    でも彼女たちも、最初からそんなんじゃなかったんです。主婦も年季が入ると、色んな経験積んでますから、そうなると思うんです。私も言われたことあります「あんた、ようしゃべるようになったね~、昔はそんなんじゃなかったのに」(笑)。

    中国人夫婦だって、ダンナは結構大人しくてハンサムだったりするのに、奥さんはガミガミ言うタイプというケースが多いみたいですよ。でも全体的にダンナが締めてるというか・・・

    結局よく言われるように、今の日本は男性が女性化して、女性が男性化している、ということでしょうか?私はそうでもないと思うんですが・・・
    ただ教育のせいか、何でも「表面しか見ない」傾向がありますね、確かに。日本の男性も優しそうに見えて、奥に秘めた強さを見抜けない女性が増えたとすれば問題ですね。

    芸能人の、勝新太郎と中村玉緒の夫婦でも、勝みたいに繊細な感覚を持った男と、大雑把な女房、と聞いたことがあるので、見かけによらず、あの夫婦はそういうカップルだったのか、と驚いたことがあります。

    「お局様」・・・私も勤め人だった時、そんな人がいました。男性も気を遣ってるの分かりました。あきんどさんも大変ですね。でもそういう周りに負担をかけている人って、案外特定の人には甘えん坊だったりします。彼女らは、周りからエネルギーを吸収してるから、ホントはみんなから嫌われてることに気付かないんですね。ちょっと可哀想な人、と見た方がいいかもしれませんね。
    余計なことを書いて済みません。
    【2018/10/25 10:21】 URL | 黒ユリ #- [ 編集]


    >あきんどさん
    女性は確かに強いですよね。
    私の兄嫁は、私より年齢が下なのに、お姉さんという感じの人です。
    ものすごく賢いのに、兄をちゃんとたてて、
    兄はその兄嫁を尊敬しているという感じ・・・・・
    或る意味、理想の夫婦です。

    >池田俊二さん
    父は七人兄弟、母は四人、
    夫の父親はやはり七人兄弟(しかも全部男)
    夫の母親は六人・・・・・
    昔は本当に子だくさんでした。
    文明が発達すればするほど、子供の数は減少するんですよね。

    よく、保育園の子供の声がうるさいとか、
    最近では子供の声を騒音のようにとらえる人がいると聞きますが、
    人間として、どうかと思います。
    通学路の傍なので、
    学校の行き帰りに聞く子供たちのこえは、
    本当にいいものです。

    >黒ユリさま
    はい、三人兄弟で、私には兄と妹がいます。
    妹は川崎に住んでいて、
    三人の子供たちが、早く結婚してほしいと願っています。
    いつかここに書いたフランス人と結婚した長女は、
    離婚して帰国し、
    またまたフランス人と付き合っています。
    英語とフランス語が話せるから、
    どうしても日本人男性に魅力を感じないみたい。

    父もまだ97歳で生きていてくれます。
    昨日は両手、両足の爪を切ってあげると、
    ありがとう・・・という仕草をしてくれました。

    ここ、どんどん利用してくださいね。
    皆さんの会話を読むのが楽しいです。
    【2018/10/26 21:00】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    奥様

    >父は七人兄弟、母は四人、

    お父様が普通、お母様は少い方でせうね。

    私の父は、7~8人、母は12~13人です。どちらも佐渡の産で、父が役人として、一年か二年で転勤になる旅烏でしたので、特に記憶に残るをぢやをばはゐません。父方の叔父の一人は共産党員として獄死し、母方の叔父の一人は陸軍少尉として、二・二六の叛乱に加わつて銃殺刑になりましたが、いづれも私の生まれる前のことです。と言ふと、この二人は思想的に離れてゐるやうですが、さうではなく、どちらも佐渡出身の北一輝に強烈に影響されたやうで、一枚のコインの裏表でせう。イデオロギーの元は同じです。

    私は4人ですが、兄(長男)も、私の生まれるかなり前に亡くなりましたので、末っ子の私が実質的には長男です。親が年取つてからの子ですので、まともには躾けられれませんでした。長姉は14歳上、次姉は8歳上ですが、二人は、私があまりに可愛いので、取り合ひになり、仲が悪かつたやうです。そのために私はスポイルされ、支那の小皇帝みたいなものにされてしまひました。

    今日句会で一緒になる御婦人は私と同年ですが、13人きょうだいの7番目ださうです。我々の年代では、さして、珍しいことではありません。その点が奥様や黒ユリ様と違ふところでせう(正確な年齢差は存じませんが)。


    【2018/10/27 01:30】 URL | 池田俊二 #- [ 編集]


    奥様  池田 様

    お二人のお話を伺うと、世代によって、こんなにも違うんだなとつくづく思います。
    戦後70年ちょっと経って、子供がぐっと減ったのは色んな理由があるでしょうが、自分もそんな時代の波の申し子なんだな、と感じます。

    奥様の姪御さんは国際結婚の体験者なんですね。私の友人の娘にもそんな人がいます。今アイルランドにいるんですが、友人の方はご主人といっしょにやきもきしてます。何せ婿の方は、日本留学経験者で日本語達者なのに定職がなく、娘の方は旅行社なんかでアルバイトしてるのですが、婿の方はそんな移民がやるような仕事はしない、と言ってるそうです。
    国情が違うから何とも言えませんが、端から見ると心配ですね。
    私の実家の向かいの家も、男三人兄弟で、長男は中国人女性と結婚して、今幼稚園くらいの男の子が一人います。でも不思議ですね、その子はいかにも中国人らしい顔をしてるんです。一度その家から、嫁さんの「触らないで!」というどでかい声を聞きました(中国人は声が大きいんです)。子供をしかってるようなのですが、流石にゾッとしました・・・

    池田様のご両親も、御兄弟が多かったのですね、私の父も9人兄弟だったのですが、普通だったんですね。以前両親の家の家系図作ったのですが、昔の女性は十代でお嫁に行っていたので驚きました。それに小さい頃亡くなる子供も多かったのですね。うちの両親の家にもそんなケースがいくつかありました。
    池田様の家系に思想的なことに関わった方がいらっしゃるということは、今の池田様にも伝わっているということですね。

    私の父方の大伯父は日露戦争で亡くなったので、お嫁さんは弟と一緒になりました。それが私の祖父母です。だから祖母は祖父より5、6歳年上だったんです。それで結婚した時、おじいちゃんはまだ17歳でした(笑)。でも昔の女性は、沢山の出産に耐えて、本当にすごいと思います。
    亡くなった母を見ても思うのですが、自分は変な知恵ばっかりついて、とても昔の女性の強さにはかなわないんじゃないかと感じています。


    【2018/10/27 09:19】 URL | 黒ユリ #- [ 編集]


    黒ユリ 樣


    >子供がぐっと減ったのは色んな理由があるでしょうが、自分もそんな時代の波の申し子

    團塊の世代は混みあつてゐるやうに言はれますが、その點では、我等産めよ殖やせよ世代の方が上でせう。

    >今アイルランドにいるんですが、・・・婿の方はそんな移民がやるような仕事はしない、と言ってるそうです。

    私は平成7年にアイルランドに行つて大好きになり、翌年再訪しました。前囘パブで仲よくなつた男が家に呼んで、夫婦で大歡迎、車であちこち案内もしてくれました。ただし4人の子供は全員アメリカに住んでゐる(アイルには仕事がない)とのことでした。
    愈々好きになつて、翌年三度行くことにしてゐたら、直前に怪我をしてパー。旦那とは、文 通を續けましたが、やがて夫婦もアメリカに移住。カリフォルニアの家に來いと誘つてくれましたが、實現してゐません。
    「移民がやるような仕事」の意味がよく分りません。アイルへの移民といふことでせうか。
    後に、IT産業が殷賑とか聞きましたが、詳しいことは知りません。

    >結婚した時、おじいちゃんはまだ17歳でした(笑)。

    戰爭未亡人が御主人の兄弟と再婚といふ例はよくあつたやうですね。それがなければ、黒 ユリ樣はこの世にお出ましにならなかつたのですね。
    人類の出現以來、無數の偶然の積み重ねで、我々の今があるのですね。

    昨日は、文化勳章受賞者の發表。山崎正和氏も這入つてゐましたね。西尾先生によつて、 そのインチキ、ペテンぶりを完膚なきまで暴かれた山崎さん。この章の正體は前から明かですが、一段とはつきりしてきましたね。

    もつといかがはしいノーベル賞を受けて、文化勳章を蹴飛ばした大江健三郎。
    それよりもずつと前、先生と電話でお話した際、私は大江を罵倒しました。4~5年後にふと氣づくと、その罵倒は先生の大江批判の請け賣りでした。序での折、先生に「御本尊に對して請け賣りをしてすみません」とお詫びすると、「まあ、いいさ」と許して下さいました。 妄言多謝

    【2018/10/28 14:28】 URL | 池田俊二 #- [ 編集]


    池田 様

    アイルランドの御友人一家はアメリカに移住でしたか、そうかもしれませんね。
    私の友人の話では、婿さんは(顔は完全に白人)両親のどちらかが南米人との混血とかで、どちらかは英国人だったとか。どっちにして向こうの血統は複雑でよく分かりません。

    結婚ビザというのがあって、手続きに事務所(何でも田舎だそうです)に行っても、書類が山積み、「今日はここまで」といってドアを閉めるそうです。でも私が「わざとチンタラしてるんじゃない?」と言うと、友人は「そうかなあ」と言ってました。
    婿さんの両親も、父親が建築家・・・じゃなくて、建築デザイナーか知りませんが、建築業界の何か中間の仕事をしているそうです。また母親は、芸術家みたいな、近くの森の木で椅子を作ったりする人だそうです。婿をつれて日本に帰国すればいいのに、と言うと、それも今のところはなし、だそうです。

    文化勲章といえば、先生も以前受賞されましたね。でもその時、他の受賞者を見ると、山ほどいて、芸能界からスポーツまで・・・こんなにもらう必要あるのかと思いました。
    何だか昔ほど権威がないような気がしました。確かにもらった本人は、大変な記念になるとは思いますが。
    私は、そんな安売り勲章より、先生は「人間国宝」の方が相応しいと思います・・・

    知人に人間国宝を目標にしている陶芸家がいるのですが、例えもらっても売れることとは別だそうですが。
    【2018/10/29 10:34】 URL | 黒ユリ #- [ 編集]


    黒ユリ 樣

    >文化勲章といえば、先生も以前受賞されましたね。

    「先生」とは? まさか西尾先生ではないでせうね。もしさうなら、初耳で、驚き・桃の木・山椒の木です。文化勳章についての、前囘の惡口を訂正・釋明しなければなりません。
    西尾先生が、この章について觸れられたのは、私の記憶では、福田恆存を追悼する文で、「國はせめて文化勳章くらゐを以て、生前の福田先生に報いるべきであ
    つた」とお書きになつたことくらゐです。

    >例えもらっても売れることとは別

    さうかもしれませんね。以前は照れ隱しに「年金を貰へるのがりがたい」と言ふ受章者がゐましたね。因みに、今の年金は350萬円(年額)。

    >「わざとチンタラしてるんじゃない?」

    とまでは感じたことはありませんが、あまり勤勉ではなささうですね。そのかはり、滅法人懷つこい。
    これはスコットランド(エジンバラ)を經て行つて際、如實に感ぜられました。エジンバラの街がきちんと整ひ、清潔で、しかしやや冷たい感じなのに、ダブリンは雜然としてゐて、”裏” がありさうで、どことなく暖かい感じで、全く對照的でした。

    同じケルトなのに、かくも違ふ(仲も惡いとか)のは、宗教の違ひ(プロテスタント長老派〈プレズビテリアン〉ーカトリック)によるといふ解説に、私は完全に納得しました。

    アイリッシュのフレンドリーなことは、屡々お節介にも通じますが、私には極めて快く、強く惹かれました。
    二度めには、次女を連れて行き、歸りにロンドンにも寄りましたが、彼女に「お父さんはしょっちゅうロンドンに來てゐるのに、家に呼んでくれる人はゐないの?」と訊かれ、「ゐない」と答へざるを得ませんでした。

    私は海外勤務の經驗がないので、代りに國内で英會話教室に通ひ、その成果を外國で試すのが樂しみで、ロンドンのイェ・オールド・チェッシャー・チーズといふ、ドクター・ジョンソンが通つたとかのパブには、それ以前に20囘は行つた筈ですが、自宅に呼ばれるほどの仲になつたことはありません。

    アイリッシュが特別なのでせう。娘はダブリンで、いきなり家に招かれたり、古墳に案内されたので、ロンドンでも、と思つたのでせう。

    アイルランドは英國に徹底的に痛めつけられました。クロムヱルによる虐殺の跡があちこちにあります。インドなどの植民地統治にあれほど巧みで、無用の紛爭を避けた英國がどうして、アイルに對してのみ、ああも苛酷だつたのか分りません。にもかかはらず、アイリッシュがどうして人を恐れずに寄つて來るのかも謎です。

    日本で言へば、沖繩の人の暖かさに似てゐると思ひました。親切・お節介は全く同じです。こちらも、薩摩藩などにひどい目に會はされた筈なのに。
    強いパワーがそばに控へる島國に共通な性向でせうか。

    もつとも、沖繩では時に、ウチナンチューに對する反感をチラと感じることがあります。さういへば、ダブリンでも、煙草屋で1ポンドコインを出して” This is English money.”と斷られた時などは少し冷たいものを感じました。
    家に招いてくれた人はインテリとは見えませんでしたが、それでも、宗教の話になつた時、” We obey pope’s words” と儼然と言はれ、一瞬ヒヤリとしました。
    どこも、内面は複雜なのでせうね。

    長々と駄辯失禮しました。
    【2018/10/29 17:05】 URL | 池田俊二 #- [ 編集]


    (訂正)文化勲章と人間国宝を取り違へました。
    【2018/10/29 17:16】 URL | 池田俊二 #- [ 編集]


    (訂正)「ヤマトンチュー」を「ウチナンチュー」と誤記しました。すみません。
    【2018/10/29 17:32】 URL | 池田俊二 #- [ 編集]


    池田 様

    勲章のことは詳しくしらないので、文化勲章というのはそれで一つとしてあるんですよね。
    私こそ間違えたようです。
    紫綬褒章とか、藍綬褒章とか、色々ある、あの勲章とか褒章のことを言ったので、済みませんでした。
    でも西尾先生が受賞されたのは、いつでどれだったか思い出せずに、適当に書いて申し訳ありません。
    実はネットで調べたのですが、出てこなかったので、どこで調べたらよいのか分かりませんでした。
    【2018/10/29 17:51】 URL | 黒ユリ #- [ 編集]


    黒ユリ 様

    御丁寧に恐縮です。お気になさらないで下さい。

    こちらこそ、ポカの連発、お恥づかし限りです。
    【2018/10/29 19:04】 URL | 池田俊二 #- [ 編集]


     横から失礼します。西尾先生が2015年に貰ったのは瑞宝中綬章(昔の勲三等)でしたが、それとは別の話でしょうか。あの頃は傘寿賀筵で3D立体印刷(制作?)の「西尾お面」を作ったらどうかと無駄な思案をしていたので、よく覚えています。(「2015/05/09 23:34」稿に書きました↓)
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1776.html#comment
     「日録」では、こちら冒頭(↓)。
    https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=1523
    【2018/10/29 19:24】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    さすが苹@泥酔さん。

    お久しぶりですと言わなきゃならないほど、お久しい感じになっちゃってます。
    その間に、黒ユリ様池田様ご両人が、このスレッドを色々と賑わせていらっしゃって、それに参加できなかった私は悲しいばかりです。

    ここ数日、とてつもなく忙しい毎日でした。休みの日も返上される始末で、とにかく読書自体が進んでいません。本当に申し訳ございません。これを書く数時間前、読書しました・・・が、実はまだかなりの量が残っています。今日でなんとか読み切りたいと思っています。

    苹@泥酔さん。いつも貴重な情報ありがとうございます。
    そうでしたね、なんとなくその記憶がありましたが、ごめんなさい、この件に関しては完璧に記憶の外にありました。

    黒ユリ様が宗教を柱に書きこむ意図が、読み続けているうちになんとなく理解できるようになりました。私も宗教性は外せないセンテンスだと感じています。
    先生にこの感想文を書くのか、それとも一般の方にそれを示すべきなのか・・・自ずとそれは答えがはっきりしていて、一般人の方々に我々の言葉は届かなきゃならないということですよね。私にはその責務はありませんが、ところが何かが行動を促します。

    それが何なのか、私にもわかりません。ただ言えることは、日本人だから、日本人らしい感覚をどうにか維持したいというのが、本当の気持ちだと思います。
    無関係ではない何かが、心の憶測にあるってことに気づいたんです。
    おそらくそれが最初に読んだ「国民の歴史」の私の本音だと思うんです。

    先生がこんな直球質問を私に投げてくれたことがあるんです。
    「あきんどさん、どうして『国民の歴史』がそれほどまで貴殿の心に響いたのですか」と。

    たしかこれは葉書だった記憶があります。これにはまいりました。
    年賀状だったかな?
    なにせそういうことに無頓着な自分ですので、ご容赦ください。

    それに対する答えは確か一遍も応えていないのが現実でして、先生からの「課題」は募るばかりです。

    困っちゃうくらいに私は劣等性です。
    こんなに手厚く講じられているのに、このざまです。




    【2018/10/30 06:43】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    あきんど さん

    お忙しかったのですね、お疲れ様でした。
    感想文の方は、まだ先になると言うことですね、そんなにお忙しいなら当然です。

    実は私の方は、何とか(本当になんとか)書きましたので、本日にでも日録にアップさせて頂こうかと思います。この前も言いましたが、何を中心に書こうか、難儀しました。あんまり、あれこれ書こうと思うと、書けなくなりました。

    アマゾンのレビュー見ても、紹介するだけでも長~くなるみたいです。真面目に書こうと思う人ほどそうなるみたいです。私もそうなると思います。

    あきんどさんは、お仕事もあるし、いちのちゃんのお世話もあるし、じっくりと腰を据えて書いて下さい、楽しみにしています。奥様のブログや日録を見ている方々は皆そうだと思います。
    【2018/10/30 06:59】 URL | 黒ユリ #- [ 編集]


    苹@泥酔 さん

    瑞宝中綬章、そうです、それでしたね。ありがとうございました。
    もう三年前になりましたか・・・
    何だか難しい名前だな、と思ったのを覚えています。

    立体「西尾お面」ですか、面白いですね。最近流行りの3Dプリンターで作るんですかね。
    でもTVなどでよく見ますが、まだ本当の彫刻と違って、玩具みたいに見えますね。
    私でも、そんな自分のフィギュア見せられたら、恥ずかしいと思います。
    【2018/10/30 09:08】 URL | 黒ユリ #- [ 編集]


    泥酔 様

    御教示忝く存じます。

    お懐しい。
    ーーと申すのは、今は泥酔」のほかに「草」のお名前をお持ちですが、以前は「萍」でしたね。坦坦塾のブログをやつてゐた大石さんに、そのよみ方を訊かれて、漢和辞典で確認した上、「うきくさ」でせうと答へたことがあります。

    さて、図々しのですが、もう一つ、お教えを。
    私は改正後の叙勲制度には疎いのですがーー「瑞宝中綬章(昔の勲三等)」とのことですが、区分からすると、旧勳三等瑞宝章と旧勲四等旭日章の中間ではなかつたでせうか。新旧の図解を一度見ましたが、記憶が曖昧です。よろしく。

    私は役人に近い場所にゐて、叙勲については、裏も表も、様々な悲喜劇を見る機会がありました。

    役人は、一定ランクのポストを占めると、ほぼ自動的に然るべき勲等を得るので、民間人なら感涙にむせぶやうな勲章を貰つても、感激せず、当り前だといつた顔をして、可愛げがありませんが、その「然るべき」が たまにずれると大波瀾が起きます。

    等級の基準(それは公表されません)が変つて、たとへば、それまで、一度でも地方長官を務めると三等だつたのが、一度だけでは四等といふことになつた際、勿論その変更は知らされないので、「俺は長官をやらなかつたから四等。同級生の何某はやつたから三等。面白くない」などと、あらかじめ ふてくされる者が出ます。それが発表を見て、「なんだ、あいつも同じ四等か」とニヤニヤ。一方、「あいつ」は不愉快、心外の極み。祝賀会の案内に返事もよこさないといつたことも屡々。

    逆に、それまでなら四等だつた筈の人が三等になつたりすると、祝賀会で機嫌のいいこと! 愛嬌をふりまき、何度も握手を求めて回りーーそれでも足りず、日を改めて、料亭での豪勢なリターン・バンケットに呼んでくれたり ・・・
    標準より低いと感ぜられた場合、目白に頼みに行かなかかつたからだ、などと言はれた時代もありました。

    春秋の叙勲(新聞発表の数日前に一覧表が手に這入りました)の際は忙しかつたですね。その横流しを多方面から頼まれてゐるし、また上記のやうなその異変や、当然今期に貰ふべき人の名がないと、その理由を詮索したり・・・

    あまり地位の高くなかつた人でも、叙勲には関心がありましたね。どのあたりの地位にゐたら貰へるのか、自分にも望みはあるのかなどと考へるやうです。中には、貰へる人と貰へない人の違ひは何かなどと訊いてくる人もゐます。人事課長と相談しても、「国に対する功績があつたと天皇陛下がお認めになるか、ならないかの違ひ」とでも言ふしかなくて、往生しました。

    人間の名誉欲の深さは分りきつたことで、人に等級をつけるのはよくないなどと偽善を申す気にはなりません。ですから、17~18年前の制度改正には反対でしたが、今や遠いことになりました。役人は瑞ばかりで、旭がなくなつた理由も忘れてしまひました。冒頭の質問と併せて、お分りでしたお教へ下さい。

    因みに、西尾先生の叙勲については、お祝ひは一言も申し上げませんでした。
    【2018/10/30 13:35】 URL | 池田俊二 #- [ 編集]


    黒ユリ 様

    日録の貴文冒頭「amazonのサイトには、早々と数人のレビューが公開されていた。その中の一人は、この本を安易な気持ちで読めば全身火達磨になり大火傷を負うだろうと書いているが、同感だ」を読んで苦笑しました。そして自分はどうやら火達磨にはならずにすんだやうだと、ホッとしもました.

    日録に前触れが掲載されると同時に、あとがきのコピーが先生から「御参考」として、ファックスで送られて来たのを併せ読んで恐れをなしました。そこですぐに「これはとても私の手に負へないかもしれません。途中で挫折する可能性もあります」と御返事しておきました。一種の予防線でもあります。

    実際に読み始めると、それほどのことはなく、チンプンカンプンではありません。字句の意味はほぼ理解できます。しかし、理由は省きますが、難渋して、まだ半分くらゐのところに留まつてゐます。この点『江戸のダイナミズム』と大変な違ひです。あちらは、自分でも、驚くほどのスピードで、憑かれたやうに進み、あの大作を四度も読みました。その差も、私には意味がありさうな気がします。

    貴文についての感想は、もしも本体の感想を記すことができたら(ダメかもしれませんが)、その暁に申し上げることとし、今は、お見事! excellent! の一語のみでお許し下さい。すみません。



    【2018/10/30 21:06】 URL | 池田俊二 #- [ 編集]


    池田 様

    早速読んで下さったそうですが、ありがとうございました。
    お褒めのことばも恐縮です。
    (感想文の最終形に至るまで、あちこち直しながら、何度も読み返しているので、自分ではもう、うんざりしています)

    奥様のこのブログでの、池田様やあきんど様との会話は、とても参考になりました。自分一人だけ、感想文書かねばならないとしたら、やっぱりやる気も半減したかもしれません。

    アマゾンのレビューも何度も読みました。土屋六郎さんは、日録でもよくコメントされる方ですね。何度かコメントを拝見しましたが、真面目な方だと思いました。

    「江戸のダイナミズム」は四度も読まれたのですか、凄いです。
    私はやっぱり本当に難しかったです。
    池田様は、歴史的仮名遣いにも慣れていらっしゃるし、古典にも造詣が深くていらっしゃるからだと思います。私もまた時間をみつけて、じっくり読み直したいと思います。

    10年ほど前ですか、文京シビックセンターの会議室だったと思いますが、先生の講演会があった時に、この「江戸のダイナミズム」にサインをして頂きました。
    【2018/10/30 23:25】 URL | 黒ユリ #- [ 編集]


     池田様からは途方もない難問を頂戴した様な。あたしゃ全く詳しくないので申し訳ありません。ただ~浦島太郎状態となった入院中、こちらでは嘗て「教育に芸術は必要ない」と明言した学習指導要領「全否定?」派の教頭(後の弘前市教育長)が叙勲。退院の翌年に知ってガックリきました(「2017/09/23 22:10」稿)。
     苹は大学三年時から雅号を渭苹と名乗りました。渭は徐渭(アブナイ明代文人)から採り、苹の元は萍。鈴木翠軒(書家)の別号が流萍で、渭とサンズイが重なるから省いた次第。やがて苹果に林檎の意味があると知り、青森県人だから「まあ、いいか」と。読み方には拘りません。ハンドルネームでは渭を省きました。自殺未遂を重ね妻を殺害しても、才能があれば歴史には残る模様(最も気に入ってる作品例↓)。
    http://www.geocities.jp/qsshc/cpaint/xuwei/grapes.jpg
    (半生落魄已成翁。獨立書齋嘯晩風。筆底明珠無處賣。間抛間擲野藤中。)
     …それにしても西尾先生の3Dお面、あの当時でも相当リアルなものになっただろうに。初めは全身フィギュアを想定していたけれど、NHKニュースで見た驚愕のリアリティに感動して直ちに顔面へと転向。
    http://real-f.jp/
     でも、昔の手作りと比べれば…どうかしら(こっちは全裸の全身像↓)。
    http://shiroshitashimauma.blogspot.com/2013/08/blog-post_22.html
    【2018/10/30 23:31】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    黒ユリ 樣

    >あちこち直しながら、何度も読み返して

    まことに、さもありませう。さうでなくては・・・
    おつと、一度さつと目を通しただけの貴文について云々するのはまだ早い。
    本體に自分が相對する方が先、然る後、貴文を精讀してからのことにべき
    ですね。

    『江戸のダイナミズム』とは、よほど相性がよかつたやうです。感想など、い
    かやうにも書けさうな氣がしましたが、當時日録には投稿してゐなかつたの
    で、先生宛に葉書による禮状を一通出しただけです。

    著者の久松潛一著『契冲傳』に對する批判ーー契冲の呻吟し、言葉選びに苦勞する姿が泛んでこないーーを借りて、『・・・ダイナミズム』は、その正反對で、全ての登場人物が活々と動いてゐると評しました(正直な所感です)。
    これが先生のお氣に召して、出版記念会で本と共に配られる小册子に採用されました。

    のちに、先生のベスト2は『ヨーロッパの個人主義』と『江戸のダイナムズム』
    と申したところ、「生意氣を言ふな」と叱られかと思つたところ、「3册めを書かねばなりません」と優しく應じて下さいました。

    同書についての苦い思ひ出は、手許に3册溜つたので、知友の中からマシと思はれる二人を選んで、讓つたところ、どちらも、豚に眞珠だつたことです。類は友を呼ぶで、祿な友人がゐません、今、『・・・自由か』は2册あり、1册をどうすべきか、おつと、その前にすべきことがありますね。

    あれだけの感想文を仕上げられ、相當な達成感がありませね・・・おつと、それよりも、自分のことが先ですね。Mind your business!失礼しました。

    【2018/10/31 01:46】 URL | 池田俊二 #- [ 編集]


    泥酔 様

    いやはや、雅号の由緒を拝しても、恐ろしく深淵にして、小生などには窺ひ知る由もなく、三舎を避けざるべからず。
    ただ御健勝を祈るのみ。
    【2018/10/31 02:05】 URL | 池田俊二 #- [ 編集]


     渡部昇一先生の話が「日録」新稿(↓)に出て気が変わりました。西尾先生と同時受章だった事もあるけれど、それより何より「中世」の件が出ていたので、取り敢えず月末いったんボツにしようと思っていた軽口を以下に留めて置きます。
    https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=2364

    (思い出~渭苹の頃)
     ちと蛇足をば。~大学三年と云えば卒論予定「書法の概念と人間の分裂」を断念する半年前、中国史における中世の見立て(谷川道雄)を知った頃で、書道界の徐渭ブーム(?)が始まる前でした。日本より支那の方が興味深かった反面、日本への入口は専ら母語としての古文・漢文。つまり日支間で言葉の概念が「ねじれていた」訳です。総て独学で真面目なのか不真面目なのか、大学の講義は「この話ならアノ本のアソコに出てきたナ」となる始末、人と違う新しい発想が浮かぶと未発表のまま独りニヤニヤ楽しんだ。そうした意味で、大学生活は天国でした。
    (流行歌「学園天国」では冒頭、苹の名前が連呼される?↓)
    https://www.youtube.com/watch?v=IqYnEiNrDSA
    (マーラーsym.4再掲、第四楽章「天上の生活」47:35~↓)
    https://www.youtube.com/watch?v=YnfhInZLmUQ
    【2018/11/02 20:15】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >あきんどさん
    >黒ユリさま
    >池田俊二さん
    >苹@泥酔さん
    コメント欄の活用、本当にありがとうございます。

    「あなたは自由か」は、私思うに、
    球体の「自由」を、あちこちの角度から表現していて、
    一か所だけに関わってもいくらでも広がっていくような気がします。

    で、「自由」そのものが人間にとっての「価値」として、
    可能なのか・・・・

    ううむ~~~リバティとフリーダム・・・・・

    今日、例の安田さんが記者会見していたけれど、
    あの人に「自由」について聞いてみたい。
    【2018/11/02 21:31】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >ここにご参加の皆々様

    本当にありがとうございます。
    ようやく明日・・・いや、すでに今日の日付になっちゃいましたね・・・とその次の日はお休みをいただきました。
    いやぁ、なにせこの時代、雇用環境が実に「平等」を忠実にこなさなければならない時代でして、社員には平等に「リフレッシュ休暇」というものが与えられていまして、5日間の有給休暇を実施するノルマがあるんです。
    それをこの時期に実行する社員が重なってしまい、その被害を受けたのが私でした。
    まだ、その休暇をとる社員は続くのですが、今はひと段落がついて、明日と明後日は休みとなりました。

    ところが今度は孫の一ヶ月検診が明日(5日)の午後一時からあるということで、これも付き合わなければならないのです。やれやれ本当に時間がないです。ですからここに書き込みする時間帯は当然夜中になっちゃいます。

    もちろん読書は心がけて、1日一ページでもいいから読むようにしていました。少ない休憩時間でも、できるだけ読書に充てていました。

    ようやく5章を読み終えました。こんなに時間がかかってしまうとは夢にも思いませんでした。
    でも、こういうときこそ書く価値があると思います。
    まっすぐ自分と戦っているときこそ、何かが鋭くなる時があります。
    何を書こうかという余裕の世界ではなく、何かを書かなきゃいけないんだという自分を作るというか、追い詰めるというか、そこになにかポジティブなものがあるんじゃないかと思います。

    黒ユリ様の日録への書き込みも読ませていただきました。
    さすがに、素晴らしい出来栄えです。
    羨ましいくらいに作品の内容をバランスよく解釈されていて、この人の紹介する作品なら安心して読むことが出来るという印象を持てます。

    私はこんなに細部に至っての作品紹介は到底できませんので、以前も述べました通り、「孫のためなら死ぬ覚悟もできる」という心理を代用して語りたいと思っています。
    実はこれを述べた3章のころから、段々多岐に渡る内容になっていき、黒ユリ様がおっしゃる通りこれは宗教というものを外して語ることは困難かなと思うようになっていきました。

    ところが、途中から「自由」というテーマを忘れてしまうほどの内容が展開されていき、この文章の立て方の意図は何なのだろうというのが率直な気持ちでした。
    もっと「自由」というものに固執して、哲学的な論説を予想していた私には、意外な内容だというのが正直なところです。

    おそらく誰もが最初はそう予想したのではないかと思うのです。
    西尾先生なら、そういう切り口があってもおかしくないわけですから。
    でも、この本の帯にある「この本は私のツァラトゥストラだ!」というコピーが、どうにもきにかかってしかたがなかったのが最初の印象で、この意味がどのように解読できるのかが一番気にかかるところになっていくんです。

    しばらく読んでいてもそれがよくわからないという状態が続きます。
    読み込んでいくと、「西尾先生、あなたはいったい何を言いたいんですか」・・・という単純な疑問がどんどん膨らんでいきます。
    入り口はわかり易かった、でも途中から「あれ、あれ?」という方向に行ってしまう。

    私はこの時先生のあるご忠言を思い出したのです。
    それは「悲劇の誕生」の文庫本を購入した際、先生にメールでそれを報告したことがあったんです。すると先生は「第一章を読んだら最終章を読み、そこから次の章を読んでください。そうすればこの本は理解しやすいです」とおっしゃったんです。

    私は最初「まさかそんなこと、うそでしょ」と思い、先生のご忠告を無視して最初から最後まで普通に読み終えました。
    ところがなるほど先生が言わんとするものがどんどん来るんですよ。
    そうかこれなんだ・・・と思い、結末を読むのですが、結局何も私の中には残らないままで読み終えたという印象でした。

    しかし、本当に何も残っていないんでしょうか。
    おそらく自分が気づいていないだけで、かなりの部分で何かを感じているはずなんです。
    それがうまく説明できないまどろっこさだけが、今も案外根強くあるんです。

    そうやって考えると、帯のコピーはどう受け止めるべきかが、私の中ではなんとなくですが理解できるようになっていきました。
    つまり、「あなたは自由か」の章立ても、もしかすると「悲劇の誕生」と同じ手法なのかなと想像するようになったのです。

    ツァラトゥストラをあえて帯に入れる理由がそう言う意味合いも含めているか、それとも意外と作者が意図しない構図が、そういう形で生まれる場合があるということも聞いたことがあります。そのどちらかなのかもしれません。

    池田様や奥様がどのような意図で今回の作品の感想文を書く事に不参加されたかを考慮した場合、深い意味があったのかそれともそれとは別の理由があったのかはわかりませんが、いずれにせよ何かの理由でそれが出来ないのでしょうが、その要因の一つに、この作品が、「悲劇の誕生」と似た章立てであることが、遠因としてあるのではないかと想像しました。他人を寄せ付けないようなイメージがまずあって、読み込んでいるうちになおさら読解が困難になり、その結末すら答えにならない世界のままで、何が本当に問われているのかが実のところ理解不能なくらいの、幅の広さに横たわってしまう自分が一人いる気分になってしまうあの孤独感。

    人間は結局一人で生まれて一人で死んでいく・・・この宿命を誰もが背負っている以上は、独自の思想はそれぞれ保持していても許されるのがこの世の世界だが、それを盾にした瞬間にその思想は死んでいく・・・と、私は「悲劇の誕生」を読んだ際の読後感でした。
    いかに人間はひそかに強く生きなければいかないか・・・それをこの本から学びました。
    しかしそれは同時に、個人の中ではどんなに広く希望があってもいい証で、それをどうやって利用できるか、それは個人の能力に委ねられているという風に理解しました。

    おそらく西尾先生はニーチェのこの教えをどうにか伝えたいという思いがまずあって、そこに類似する自分の立場と、同時にある違和感も含めて、それを表現しなくともどうにか具体例と解説の中から、西尾イズムの中核である「ニーチェ」を読み取ってほしいという思いがあるんじゃないかと思うのです。

    それを感じ取ってもらうには、帯のコピーを外すことが出来なかったと私は予測します。
    【2018/11/05 02:11】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    あきんど 様

    お疲れ様でした。社員が休んでも、責任者は休む事ができない・・・そんな忙しい日々でも、読書は欠かさない、凄いです。そんなあきんどさんのご文章を堪能しました。

    私の文章について「作品紹介」と書かれましたが、確かに私のは、感想文なのか紹介文なのか、自分でも分かりません。「感想文」というと、学校時代皆苦労しましたよね、夏休みの宿題でも、感想文が一番いやだという人が大部分でした。気に入った本をガ~ッと通読するのは快感でも、いざ感想文を書くためだ、と思った途端にスピードダウンする・・・自分もそうでした。

    だから若い時は、課題は課題として、それ以外は感想文なんか関係なしに乱読していました。そこで何かを感じるという経験を積み重ねることが大事なんじゃないですかね。でも若い時はそれだけ。読んだ内容が頭に残っていて、それを元に自分が何かを書くというのは、色んな人生経験が必要でした。
    先生も教育についての文章の中で、「日本の国語教育は、若い感受性をずたずたにする」というような事を書かれていたと思います。

    でも感想文とはいえ、他人が読んだ時に、ある程度内容を説明しないと分かってもらえないから、話の筋を説明して、そこで自分がどう思うか、みたいに書かざるを得ませんね。
    でも、今のあきんどさんの書かれたことを読んでいても、「この本は私のツァラトゥストラだ!」がどういう意味なのか、ということより、あきんどさんが、その事が気になったとか、この本を読んで、「あれ、あれ?」と思ったとか、最後の方で「・・・予想します。」の前までの、内容が面白いんです(笑)。

    それに私の場合は、「ツァラトゥストラ」が気になったことは確かですが、あきんどさんと違って、「ま、いいや」と飛ばしてしまいました・・・というのも、私は「ツァラトゥストラはかく語りき」(もちろん翻訳ですが)を手に取ったことはありますが、とても自分にはついて行けない感じがするし、これは原文で読まなくちゃいけないんじゃないかと思って、しっかり読んだことがありません(こんなことを書くと、先生の読者としてはアウトかもしれませんが)。

    私は読書と言っても、雑誌のちょっとしたエッセイから漫画まで、あんまり高級といえないものまで含めてまして、私が一番読みやすくて好きなのは映画評論です。だから私の文章は、映画評論だと思ってもらったら一番いかも、です(笑)。
    今はネットで、映画のレビューを書いている人、山ほどいますが、いいと思えるものはなかなかありませんね、プロでも・・・
    やっぱり昔の淀川長治さんとか、荻昌弘さんの文章は勉強になりました。淀川さんは、子供の頃から映画館に通い詰めたというその年季や、ハリウッド俳優とも交流したその経験や人柄からくるものが凄かったです。荻さんのは、内容の賛否はともかく、教養からくる選別眼みたいなものが、今の人と違ってたと思います。

    とにかく、あきんどさんみたいに、読んでる人の共感を呼ぶほど、流れるように率直に表現できる人は少ないです。
    私は経験ありませんが、商売というのは本当に厳しいと思います。人に使われる方がホント楽ですよね。そんな体験が、あきんどさんの文章力につながってるんですよね。それにもちろん、いちのちゃんも。私もつくづく感じますが、子供から学ぶことは大きいです。

    と、ついついあきんどさんにつられて、長々と書いてしまいました。
    本日はゆっくりとお休みください、それではまた。
    【2018/11/05 10:13】 URL | 黒ユリ #- [ 編集]


    つづき

    「自由」という冠が掲げられていることに、実は読者に迷いが生じていないだろうか。
    あくまでも西尾先生は「あなたは自由ですか」と単純に問いかけているだけなのかもしれません。何に自由か…とか何から自由を感じるとか・・・を問うているのではなく」、「あなたは自由に言葉を発せていますか」と言いたかったのではないかと思うのです。

    だすから、冒頭のリバティとフリーダムの違いは、おそらく読み手が先入観で間違いなく想像するだろう」「定義」に、わざわざ付き合ってくれた文言だという判断もできると考える。

    そうした裏技に近い先生の読者の心理を探った書き出しに、まずはあっぱれと申すばかりです。でもそうした読者心理を探るうちに、読者側の心理も確かに正しいということに先生は察知されていて、結論をすぐに導き出すのではなく、「自由」という題材を前にした時の人間の心理を重く感じ、たやすいか帰結策はあえて遠のき、できるだけ答えを出さないことを意図して、ご自身の研究をそれに添えた形の問題定義を展開された作品だと思うのですがいかがでしょうか。

    されとて問題定義だけではあまりにもお粗末ですから、もちろん先生の思い切った独壇場も展開されています。その極端な書き出しがもしかすると西尾ファンには違和感があるかもしれませんが、しかし私はそれにも一言申したい。

    「自由」という冠を掲げているその底辺には、同時に「自由」とは何かを見出す意図も当然目的の一つとして存在し、このテーマはとにかくいつの時代においても厄介で、難題で、重すぎる問題提起であることは重々承知であり、あえてそこのポイントを外さない理由は、この本を読めば答えが見えてくるという、作者の壮大なロマンが込められていることを、読者に響き渡らせているという、著者の意図しない作戦がそこに存在していると私は感じるのである。

    先生はあくまでも続けて問いかけています。
    日本人よこの現実をまず認識しよ・・・と。
    そこで感じる自由なら、本当の自由だという叫びに換えても、私は不満を言わないかもしれないと、この本のツァラトゥストラは語るかもしれない・・・ということなのかもしれない。

    西尾幹二が叫ぶのではなく、ツァラトゥストラがそう判断するのだ・・・という具合に。
    【2018/11/05 10:31】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    >黒ユリ様

    投稿が重なってしまい、折角の貴殿のレスに対して、無礼な書き出しを露呈してしまったことをお許しください。
    あらためて貴殿のレスにお応えさせていただきます。

    確かにおっしゃるように貴殿の書き出しは色んな形でとらえることが可能かと思います。しかし誤解しないで頂きたいのは(これをお読みいただく他の方々にですが)黒ユリ様のご投稿が単なる作品紹介だという断定は、私はけしてしているつもりはございません。
    黒ユリ様のご投稿の内容の一部に、この作品をご紹介されている文面があることは認めます。がしかし、全文がそれであるということは間違ってもそう思っておりません。
    もしもそう思われたのであれば、それは単に私の文章力のなさが原因であり、黒ユリ様には一切の責任はそこにはございません。
    そのことを心から申しあげ、重ねてお詫び申しあげます。
    「感想文」という書き出しで言葉を容易く利用した私の責任は重いですね。
    ご容赦ください。

    ここからはあらためまして黒ユリ様のコメントに対するレスを書かせていただきます。
    おっしゃるようにここ10日間ほどはかなりしんどい日々が続きました。
    具体的に言いますと、朝5時に起きて11時にいったん帰宅します。朝飯と昼飯を兼ねた食事をとり、またベッドに入り3時半に起きます。そこから準備して再度出社。夜10時頃まで働き帰宅するのは10時45分頃。食事とお酒を少々飲んで就寝。また翌朝5時に起床・・・と言う毎日が10日間ほど続きました。

    この間パソコンはほとんど開けませんでした。
    それより読書を1ページでもいいから続けたい一心でした。
    今朝になって、女房が、「お父さんそんなにパソコン開きたいのなら、私一人で付き添うから無理しなくていいよ」と女房が言ってくれました。

    ですので、今から思う存分書きだします。
    もう少しで完読です。もう少々お待ちください。
    【2018/11/05 11:09】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    宗教について

    私の勝手な想像ですが、西尾先生は今回の作品では、宗教の題材は一部であり、主たる問題ではないと私は思います。何故かというと、西洋を統治する心理として宗教は欠かせない題材ですが、日本にはそれに充当するものがそれほど確固たる存在としてあるとは言い難く、その点でヨーロッパっと日本を並列する趣旨は誤解されやすいと考えます。
    よってあくまでも日本の場合は宗教性を排除して、人間性の個人的認識をまずスポットしたいと思うのです。

    そうすることによって日本人はどの部分で強く、どの部分で弱いかを確認し、その弱い部分はどのように補われているのかを確認する必要があると思います。

    ここからが長くなりますので、本題は日録に書きこみたいと思います。
    【2018/11/05 11:29】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    すみません。
    たった今病院から戻ってまいりました。
    日中は女房も私に「お父さん自宅待機でかまわないよ」と言ってくれたんですが、娘が「お父さん一緒に行かないの」と言われた瞬間心が揺らいでしまいました。
    実に情けないおじじです。

    一ヶ月健診なんかすぐに終わるだろうと思って一緒に行きましたところ、待たされる待たされる・・・。
    まいりました。病院で4時間近くかかりました。甘かったです考えが。
    子供が少ないからこそ、どうやら熱心な検査が行われているようです。
    おかげで午前中盛り上がっていた私の感情は、すっかりリセットされてしまいました。

    これから必死になって読み終えます。なんとか明日までには書き終えたいです。
    もう少々お待ちください。
    【2018/11/05 17:37】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    あきんど 様

    毎日、本当にお忙しいんですね。特に朝と夜に仕事が集中するというのは、大変と思います。どうかお身体に気を付けて。

    私の感想文については、お気になさらないでください。あきんどさんの気持ちを曲解してはいませんから、ご安心ください。

    「裏技に近い先生の読者の心理を探った書き出し」「著者の意図しない作戦」・・・そうですね、「自由」というテーマを「ポイントを外さない」で、書き続けられるのは、先生だからできることでしょう。読むだけで、息切れがするのに、です。

    ただこの本は計画されてから出版に至るまで時間が経っていることもあるし、先生が一人原稿用紙に向かって書いたらしい所と、講演録みたいな部分もありますね(言い回しが)。

    何度か先生の講演会に参加しましたが、先生はしゃべるのも上手いですよね。大学の先生だったのだから、当然といえば当然かもしれませんが・・・ でもしゃべるのが苦手そうな教官もいますよね、聞いてても眠~くなるような(笑)。

    でも先生の文章は、そのまましゃべっても全然おかしくないと思います。それでどんなに長くても、一気に読めるような気がしてくるんです。

    例えば、全然関係ない話ですみませんが、フィギュアスケートというスポーツ(一応スポーツらしい)がありますね、あきんどさんは興味ないかもしれませんが・・・
    過去には浅田真央さん、今は羽生弓弦君が大スターですね。あの二人の演技を見ていると、3分とか4分ちょっとの時間が、非常に短く感じるんです。もちろん、あれだけの選手ですから、一流の振り付け師がプログラムを考えている・・・そのプログラムがいいから、とも言えますが、彼らがそれを自分のものにして表現している訳です(蛇足ですが、ソチ五輪でメダルを逃した真央ちゃんですが、彼女のプログラムは、出場した全女子選手の中で、もっとも難しい内容だったそうです)。

    あんまりパッとしない他の選手の演技を見てると、なんとなく同じことを繰り返しているみたいに見えてしまうんです。次にステップが来て、次が三回転で、次にスピンだな、と見てる方が数えてるみたいな・・・(笑)。

    またまた、あきんどさんの邪魔をしているみたいですから、ここまでにしておきます。




    【2018/11/05 17:42】 URL | 黒ユリ #- [ 編集]


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