奥様
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    定点観測?
    夫の同期会・・・・仲良しクラブ?の集まりが、
    一年に一度あると書いた。

    もう44年目で、そのうち二回休んだから、
    今回は42回目ということになる。
    で、
    皆若者だったころからの様子が、
    奥様も含めて一年ごとに観測?できる。

    私も、結婚後から出席する権利?を得て、
    もうかなりの回数出席している。
    夫の学校は東京でも、
    同期生の出身が南は熊本から、北は水戸までなので、
    幹事が変わるたびに、あちこちで開催される。

    薬学部との交流が沢山あったとみえて、
    奥様が大学時代からの付き合いという人が多く、
    最初の頃は、
    〇〇ちゃんと呼び合う奥様達に溶け込めなかったが、
    今では自分も長い付き合いに入る。

    一人、奥様を癌で亡くされた人がいて、
    その人には子供もいなかったので、
    当然孫もいず、
    両親もすでになく、天涯孤独。
    小さな診療所を、何時閉鎖しようかと考えているそうで、
    毎日の暮らしがわびしくて仕方ない様子だった。

    60代に入って、
    身体の不調がそれぞれを襲い、
    来年会えるかどうかも分からなくなった。
    だから、つい、別れる時、ハグをしてしまう。


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    【2017/10/12 20:28】 未分類 | TRACKBACK(0) | COMMENT(41)
    この記事に対するコメント

     定点観測…だんだん頭が禿げていく。お肌の皺/たるみも見慣れりゃどうって事はないけれど、下から照らされた選挙演説の場合、陰翳がテレビ画面に映えて怖かった…。
     先日こう書いた(↓)。三日ほど寝かせてたら新稿が出たのでボツにした。
    --------------------------------------------------------------------------------
     苹は未読だが、エーコ『完全言語の探求』(平凡社ライブラリー)てな本があるとやら。ネット上の印象(例↓)では、この辺が田中純による前掲論考のネタ元くさい。
    http://okirakukatuji.blog129.fc2.com/blog-entry-276.html
    http://hon-bako.com/category/bookbox/bookbox_majo/gakuma/
     この一ヶ月、「日録」の更新がない。そう云や『正論』連載「戦争史観の転換」も滞り気味で、西尾先生のが載ってる2017.11号を買ったのは久しぶり。P.225にツーショット写真がある。先生は少し痩せてきた様に見え、対談相手の高市早苗議員は…気のせいか往年の美人女優、清川虹子の風貌に似てきた様な?
     出馬でござる。~嘗て小泉、父は「どうして立たないの」と女性(田中眞紀子)に言われてもネェとぼやいた。子の方は「キャンキャンと囃し立てるが、お父さんと約束しているから出馬はない」(小池百合子)と切り返された。~それ見て思い出したのが呂温の五絶「鞏路感懐」。馬嘶白日暮、劍鳴秋氣来。誰か選挙演説で、これ持ち出す人は居ないかな?(ただし「徘徊老人みたいだ」と揶揄されないイケメンに限る。)
    --------------------------------------------------------------------------------

    (近況~愚痴)
     何度も読み返しながら、慎重に続稿を書いて居る(「少年記」ネタ、其三)。どう表現すれば、書塾体験のない人にも分かりやすくなるだろうか。形骸化した学校書写(主に中学)はレベルが低過ぎて話にならないし、高校書道とは別の観点がテーマになるため勝手が違う。専門家/書家/教育家の過眼にも堪える内容にしたい。欲張るつもりはないが、誰もが知っている/いた事を言葉にするのは難しい(←この意味に近い?↓)。
    http://1000ya.isis.ne.jp/0833.html
     ともかく、もう暫くかかりそう…。
    【2017/10/20 00:46】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    書写のレベルが高いってのは、どういうことか?
    レベルを高くしなければならない・・・・ってことか?
    学校教育の書写が間違っているのは分かるけれど、
    それは教師をちゃんとしなくちゃいけないけれど、
    そのことを文部科学省が全然分かっていないってことか?

    私にも分かりやすくお願いします。
    【2017/10/20 22:07】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >書写のレベル
    >私にも分かりやすく
     戦前の習字レベルを雑駁な指標イメージとして捉えるなら、占領期を経て国語科書写に引き継がれた書字教育は数々の後遺症を抱えた形になる。武道を中心に、書道もまた軍国教育の咎で禁止された。その影響か、書教育復活後も教員社会全体が及び腰だったらしい。嘗て広島の因島高や広大付属中高にも勤務した小竹光夫教授(1948~)は先年、兵庫教育大を定年退官して奈良学園大に移籍した模様。以前「書道美術新聞」948号の連載で、「担当教諭は前にいながらも、書道塾に通っている子を次々に指名しては、「今日は**が先生役!」で過ぎていった、いいようのない六年間であった」と回想していた。
     しかしそこに観点/論点があるのではない。「少年記」ネタは国民学校「習字」期の話で、戦後の書写レベルとは予め別物だった。昔に遡るのではなく、幕末から戦前へと時間や意識が流れていく。そうした中で実用の規範が楷書中心に変貌する一方、民間の実用書字は相変わらず草略中心でもあった。ところが書写では中学単元に行書が少し出てくる程度で、今度の学習指導要領改訂で国語科書写の高校延伸が漸く取り沙汰されつつある段階(芸術科書道との共存/重複?)。草書や変体仮名の扱い、すなわち古文書/古典原文の読字基礎については今のところ皆目不明。
     書塾体験(書字の稽古)とは別の領分で、漢学塾や寺子屋レベルを前提すれば戦前読字から幕末読字への遡行が国語畑らしく展開できる筈。それに比べれば書写レベルは低い次第…ではあるものの、この辺どちらかと云うと「書字と読字の、どっちが大事なの!」と迫られるがごとき痴話喧嘩レベル(?)に近かったりして?

     ところで今朝方、珍しく高校時代の同級生からクラス会の連絡が来た。あたしゃ出席できそうにない。卒業翌年の会に出た時、「影を慕いて」を唄ったのが最後である。今なら中には禿げあがったのも居るだろう。女は皺だらけに違いない(←見てみたい♪)。電話をくれた彼は苹と同様の独身だそうな。最初に死んだ同級生は確かK君だった。
     …それはともかく。
     あちら(↓)のが長くなったので、続きの稿を此処に連ねる事とする。気の変わらぬうちに取り敢えず、書きかけの前半部分を以下に出して置く。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1993.html#comment

    (「少年記」ネタ、其三)
     「この後の「少年記」ネタでは、上手下手の話に踏み込む予定です。」~先日そう書いてはみたものの、相変わらずスランプが続いて居る。予定した内容の儘では済まなくなりそうで気が滅入る。気がして気になり気が散って、挙句の果てがこれだ…(orz)。
     当初(春先)は西尾少年と同級生の清書比較に観点の差異を見た。緻密に表現できず苛立ちながら話を端折ると、芸術的観点では同級生、実用的観点では西尾少年の側に分がある…と苹なら評価する次第(←元教員モード)。その理由をしつこくクドく掘り下げるつもりだった。平たく云えば「上手下手の根拠は何か」。~以下は全集15巻P.184写真説明。
    --------------------------------------------------------------------------------
    >わたしはお習字で三重丸をもらったが、ある日母から「お前が逆立ちしたってあの子にはかなわないよ」と言われ、記念に1枚もらっておいた同級生の星野幸子さんの見事な習字。
    --------------------------------------------------------------------------------
     上記の母君発言には別の教育的意図があったのかも知れない。しかしともかく筆勢や筆脈の一貫性と流暢さでは、苹なら西尾少年のを佳とする筈。他方、同級生のは布字バランスと転折・結体の確かさが上回る分、西尾少年のより「ずっと」品位が高い。ただし教科書的/模範的意味での硬質さはそこそこ気になるけれど。行書で「工夫力作完成」と書いてあるうち「夫」と「作」は西尾少年が上で、ただ全体が見えていないだけ。大袈裟に喩えるなら同級生のはアポロン的な整正、西尾少年のはディオニュソス的な力動を優先したかの様な。授業中(かしら?)に何枚練習したのか分からぬが、お互い二帖(四十枚)を過ぎた頃にはどうなって居ただろうか。
     ここから少し、書塾での実感をば。~練習し過ぎると見えなくなるものがある。もちろん個人差はあるだろう。苹の場合は半紙二十枚と五十枚と百枚くらいが分岐点だった。最初は手本をよく注意して見る。だんだん慣れてきて注意力(観察)が散漫になると、今度は別の注意力(再現)がはたらく様になる。そのうち自己模倣が過度になると観察と再現とが頻繁に切り替わり、やがて両者の接続状態/自己化に至る。つまり観察と再現が同一化に向かい始める。その先が個々の領分/記憶に於て「文文一致」の世界となり、過去を読むための歴史的要領が内発的に育っていく契機となる。
     見えなくなったのは現実の方だった。苹は専ら自分の記憶を見つめ、反復し、夢中になった。子供の盲目的情熱と云ってもいい。練習/稽古という行為に必須の条件は、時に見えなくならねばならぬ事があるのかも知れない。そこに芸術との違いや共通性、或いは抵抗の起源が宿るのではと思う事がある。
    (続く)
    【2017/10/22 21:45】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん

    今回、習字?書道?の歴史、凄く分り易かったです。

    全集15巻、取り出してみました。私も西尾先生の字の方がすきです。
    【2017/10/24 08:53】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    横レスをお許しください。

    ディオニュソス・・バッカス・・・飲んだくれ・・・あきんど・・・肝臓が最近・・・気になる。
    これが悲劇の始まり・・・と私は勝手に決めつけている。

    太陽が昇れば安心・・・でもその太陽も照り過ぎると嫌がられる。
    そんな地域がアラビア諸国に集中している。
    だからなのか彼らは月夜を好む。
    ラマダンの儀式。
    とにかくすべてをさかさまに受け入れて考えると、ようやく納得できる彼らの風習。

    月夜を好むのは彼らばかりではなく、我ら日本人も大いに好む。
    太陽の恵みがあるからこそ月夜の恵みが風流になる幸せな土地だといえる。
    でもその感性がどこかでアラビアと近しいのかもしれない。
    よく言われる日本がアラビア諸国の方々に好まれる話は、おそらくそうした感性がお互いあるからじゃないかと思う。

    でも実際彼らと一緒に仕事をできるかどうかはかなり疑問視である。
    実は今、私の職場に、イスラム教徒の中国人がいる。
    彼女は毎日レストランで食器を積む係と、ドリンクを任されている。
    それ以外は仕事が不可能で、なぜならお客様が食べ終わった食器は基本的に触ることができないからで、その理由は豚肉が混入している可能性があるから。

    よって彼女は今まで食器下げを一度も行ったことがない。

    当然周りの社員はブーブー言い出す。
    しかもイスラム教のイメージさえ変わってしまっている。
    民族や宗教というものが我々はすべて平等に扱わなくてはならない教え込みがあるが、そのむつかしさがここに凝縮されている。

    照らし合わせて世界にはいろんな人間がいるという欧米感覚が日本人にはほとんどない。
    色々学んできても日本人は絶対感覚でそれを受け入れられない過去を継いでいる。そんな出来事がおそらく日本各地で細かく起き始めていることを予測しなければならないのかもしれない。

    さぁいよいよ始まりますよ、西尾先生が警鐘を鳴らした世界が。
    北海道の土地が中国人に爆買いされていることも大問題ですが、それよりももっと危険なのは、中国人やアラビア人が町中にいても違和感がない子供たちがいずれ大人になるっていうこと。

    そういう観点から推測すると、末恐ろしい結果しか待っていないんですが、かろうじていえることは、私たち世代よりも、若い世代が完全にインバンドをけぎらっているし、さげすめて見る風習が根付いているんです。
    レストランという場所は、一種人種の坩堝でして、いろんな方が来ますから、瞬間的に人間の裏側が見えてしまうときがあります。笑い話ですがこの前もかなり変装した「ミスターガール」をみんな見抜いて笑い転げていたこともあるんです。
    そんな瞬間的な感覚を研ぎ澄ましてる我々が、いちばんほっこりするのは、帰り際に「ご馳走様でした、おいしかったです」という、なにげない短い言葉で感謝をされるとき。長ったらしくあれこれ言われるのは、正直かえって面倒くさいのが本音。なにしろ瞬間的な業務にかかわっているせいなのだろう。
    言葉は短い方が印象的だということなのか。
    それに比べれば私の投稿はいつも長い。反省・・・。

    それはさておき、坦々塾にお誘いを受けながら、上京できなかったことを心からお詫び申し上げます。実は11月6日から9日にかけて上京します。
    女房の実家がいわきなんですが、お墓参りと震災のときに実家がお世話になったことで、何も対応できなかったこれまででしたが、ようやく日取りが取れたのでそれを兼ねて女房と上京します。
    6日7日はいわきで7日の夜から二日間東京で宿泊し、9日に帰ります。

    最後に上京したのが15年以上前でしょうから、完全に浦島太郎です。
    なにせ茨城空港というものの存在を今回チケット予約で知ったくらいです。
    まさしく18歳の時の自分に戻れる瞬間かなと予想します。

    私が書いてきた「東京時代」は私の中の戦中の物語で、この後訪れる東京はその意味では私の「戦後」なのかもしれません。
    いずれにせよ私にしか記憶にとどまらない旅を、4日間やってきます。
    【2017/10/25 09:56】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    >あきんどさん
    久しぶりの上京、楽しんで来てくださいね。

    民族の混在って、難しい問題ですよね。
    【2017/10/25 11:02】 URL | 奥様 #- [ 編集]


     前稿で小竹教授のを持ち出した。天バカ旧板に偶々メモしてあったのを思い出した。新板では「【再掲】「俺妹」受難曲02」所収で、その四ヶ月後に東日本大震災がくる。前夜に出したシリーズ最終稿(2011/03/10 20:23)は同「15」所収。あの時は無意識の動物的予感でもあったのか、不吉な終わり方になってる気がせぬでもない(↓)。
    http://imoshiori.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7361138

    (「少年記」ネタ、其四)
     習字段階で手本の芸術性を強めた国定第四期、新時代としての昭和に文化的な息吹もて民度を高めようとした意図はよく理解できる。それまでの間に過去の芸術概念(東洋的)は破壊され、翻訳語(西洋的)としての内容が定着した。第三期(大正)の所謂「ノメクタ」教科書の様な、同じ左払い(掠法)を纏めて学ぶ機能的指導法もそれなりに有益ではあったが、どちらも学習者側にしてみれば「余計なお世話」と云えなくもない。
     小学生の苹は半紙課題の練習中、うまく書けない点画に拘った事があった。どうやら、やり過ぎた。だんだん纏まらなくなってきた。特定の部分に拘ると、その点画が文字意識から切断される。つまり筆脈に支障を来す。そこに気付いて以来、これから学ぶ行書に既習の楷書が次々と接続していった。楷書で筆脈が意識されると、今度は行書の方が書きやすくなる。調子に乗って勝手にくずせば、自然と正しい草書になるのが面白くて仕方がない。しかも一々書体を分けて学ぶ必要がない。草略原理を一つ(一纏まり)体得すれば済む話ゆえ、江戸時代の子供が草書変体仮名交じりをスラスラ読めるのにも合点がいく。
     まだ書塾や学校で行書を学んでいなくとも、目習いだけで手習いの予習が丸々三年分くらい進んでしまう。苹の中二病は千字文の丸暗記だったが総て目習いで、実は手習いした事がない。その記憶を今も引きずっている。基礎を多く見るだけで世界が違って見える。そうした意味で、手習いの必要を過大視すべきではない。~ただし高校では基礎がスッポリ抜け落ちる。実用では基礎を多く見るが、芸術では古典を多く見る。ここでは古典が基礎となるから話が噛み合わない。芸術書道は筋金入りの古典病で、それが保守の立場を惑わせる。
     書道界の中に、書を学問から解放/追放しようとする勢力がある(様に見える)。彼らは芸術や教育を標榜し、それぞれ異なる形で活動し続けてきた。そこに最大の矛盾を抱えたまま利用されたのがズバリ「古典」。どちらも古典を「尊重する」事により古典主義を破壊し、古典と現代との関係性/連続性/継起性を逆向きに切断してきた。~あたしゃ「其二」稿(2017/08/27 18:18)でこう書いた。「ここでは接続(読める過去)と切断(読めない過去)が現在に折り畳まれて同義語となる」と。
     或る意味、古典と師匠をめぐる葛藤と云えなくもない(「私と仕事と、どっちが大事なの!」型?)。どのみち師匠は古典を尊重するのだが、「古典を学ぶ師匠」の姿を通して学ぶタイプの稽古以前に、先ず「古典を咀嚼した師匠」の「古典なき姿」があった。そこでの古典は予め噛み砕かれ消化されて居る。だから稽古に古典それ自体は出てこないのが普通だった。古典は高等教育の領分で、子供の学ぶものではなかった。予め師匠の側に権威があった(宿った)。ところが師匠はやがて自分より古典の方を、正面切った権威として打ち出す様になる。「貴方と古典と、どっちが大事なの!」と来られたら古典と応えるしかない。そこから幕末/唐様タイプの古典主義が変質し始め、主体(読める主観)なき主体(読めない客観)の古典至上主義へと「進歩的に」エスカレートしていった。
     古典は大昔の痕跡であって、どの時代でもリアリティやダイナミズムに於ては、師匠という「現代人」の営為に及ぶべくもない。しかし彼らは属する時代風潮(差し当たっては明治~現代)の影響を受けやすく、如何に古典の後ろ盾もて自己を阻もうと目論んでも、大物/重鎮ともなれば尚更の事、却って自分が流行の首魁となってしまう。都会の大物であれ田舎の小物であれ、結局は否応なく~師匠が古典を呑み込まざるを得ないのに。ありのまま生徒/弟子に直面せざるを得ないのに。そんな師匠「として」の同時代性が皮肉めきめき、西尾先生の少年時代なら書塾でも学校でも権威たっぷり、まだ残存していたのではなかろうか。

    (備忘録)
     産経記事末尾、抄録。
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    > 著者はまえがきで「このごろ、歴史小説を読んでも、面白いものが少ない」と嘆く。なぜか。「古文書が読めない書き手が書いた歴史叙述は、結局、情報を、どこからかコピーして借りてこないといけないから、面白味がなくなってしまう」。古文書をはじめとした歴史資料をつなぎ合わせ、どう説得力あるオリジナルな歴史像を描き出すか。方法論こそ違えど、実は歴史学者と歴史小説家には共通点が多い。最近は小説も書き始めたと仄聞(そくぶん)する著者の巧みなストーリーテリング力からは、そんなことも感じさせる。(磯田道史著/中公新書・840円+税)
    >(磨井慎吾)
    --------------------------------------------------------------------------------
    ●【話題の本】TVでもおなじみの著者が歴史の楽屋裏を描くエッセー 磯田道史著『日本史の内幕 戦国女性の素顔から幕末・近代の謎まで』
    http://www.sankei.com/life/news/171028/lif1710280023-n1.html
    ●【赤字のお仕事】取材後記(2) 学問と清流(上) 飛躍を後押しした「世界一」の寺子屋教育
    http://www.sankei.com/premium/news/171029/prm1710290017-n1.html
    【2017/10/30 00:05】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    > 苹@泥酔さん
    日本にはいろいろな古文書が残っていますよね。

    でも、読めない。
    韓国人のことを笑っている場合じゃない。

    成熟?した風変わりな小学生だったんですね。
    【2017/10/31 10:45】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    (上手下手の根拠について)
     可読性と上手下手と芸術性は三竦みの関係にある。互いに縛り合いながら互いに緩め合う様な、フレキシビリティの自己限定がある。…実のところ可読性にとって、芸術性は邪魔なのだ。味わいの幅も深度も豊か過ぎて、上手下手の判断からさえも逸脱したりする。上手いからと云って「よい」とは限らず、下手なのでも結構「よかったりする」(昨今の所謂「ヘタウマ」イメージで捉えられても困るが)。ここに芸術上の難所がある。
     先に「江戸時代の子供が草書変体仮名交じりをスラスラ読める」と書いた。さはさりながら、可読性の要請する実用性との関わり/距離次第で、「スラスラ」の時間や意味は自ずと鷹揚に変わってくる。速さと流暢さが別物である様に、訥々とした味わいもまた読む対象に含まれる。~そう云えば先日トイレでキャンベル編の東大駒場連続講義『読むことの力』(講談社選書メチエ)を再読したところ、P.33の林望「「読む」「聴く」そして「時間」」にこう書いてあった(↓)。
    --------------------------------------------------------------------------------
    >つまり「歌」というものは、「詩をできるだけゆっくり読むための装置」だと言ってもいい。しかもそれにこういう美しい曲がついてくると、メロディが醸し出す快さがある。これすなわち近代の歌曲でなくても、能楽なんかの読み方でも一緒です。五秒で読めるものを四十秒かける。それが「歌」だということです。
    --------------------------------------------------------------------------------
     文字と音声の違いはあれども、読める文字を聴こえる音へと変換する所に「読む」行為があるし、わざわざ音を媒介せずとも読む事はできる。読字の前に先ず、音符や文字などの「書字/複製/印刷」されたものがある。書かれたものにイメージが宿り(エンコード)、そこから我々はイメージを読み取る(デコード)。
     あたしゃ昔クラシックを聴く様になると、だんだんスコア(楽譜/総譜)が欲しくなってきた。でも音符が読めない(読める様になれ?)。勿論こちとら外国語も読めないのだが、実際の音楽/演奏/録音と楽譜を照合するには声楽含みの曲がそこそこ便利だった。マーラー《大地の歌》などの曲は音楽之友社の黄色い本で、青い本はマーラー《角笛》やシューベルト《冬の旅》。どれも字や符が横に流れて居る。片や日本や支那の本は、書道と同じく縦へと流れる。
     近代の西洋音楽では印刷譜が実用に供されるが、原典研究(クリティーク)では自筆譜にあたるのが基本。それと同様、書道における古典至上主義もまた近代主義の一環にあった。読めても読めなくても…実は読む対象が違うのだが。つまり読まれるテクストとしての同一性が、読み手の側で文字と書表現とに分裂する(見方次第ではクリステヴァの云う間テクスト性とも繋がりそうな、テクストの内部に潜む同一性自体の相互引用/循環?)。
     ソシュールの云うシニフィアンは聴覚映像を指すらしい。…この辺どうだろうか。素人感覚の書道ヲタにしてみれば、例えば同書P.168の齋藤希史「隠者の読書、あるいは田園の宇宙」に出てくる「仲長統」(人名)の場合、苹にとっては疑う余地なき視覚映像が記憶として先立った。幕末陰刻の木版本…それは隷書で書かれていた。ただの活字/文字意識では説明できそうに思えない、書表現からの刺戟が「そこにある文字」を呪縛する。過去との接続/読字へと「いっそう言葉らしく」、歴史的特質が方向付けを強いる。
    (ややこしい話になってきた…いったん休憩。)

    (禿げを慕いて)
     先日の電話によるとクラス会は今月。日付は聞かなかった。
     あっしの対人恐怖はジョークと少し関わりがある。昔ユーモアとエスプリについて勉強を試みたのは、なかなか苹の冗談が通じなかったからでもある。…或る高校で応援団の顧問をした際、併設チアガール達と他の顧問とで缶ジュースを飲んだ。乾杯で「チアーズ!」と言ってみた。全然ウケなかった。他の顧問は「まあ…チアーズと云うよな…」と言ったきり押し黙った。
     次の高校に居た時、パフィーと云う女性二人組の曲が流行った。「なんだ、このローカルな歌詞は…」と思った。本当は「カニ食べ行こう」だと後で知った。苹は「蟹田へ行こう」だと思い込み(↓)、そう言ったら職員室で少しだけウケた(ただし冷笑)。
    http://www.tokyo-kurenaidan.com/dazai2-tsugaru2.htm
     今もたまには、渋面で深刻そうにジョークを捻ったりする。山が噴火したらイワン雷帝のコスプレ姿で「火山!」と叫ぶとか、アニソン「宇宙戦艦ヤマト」の替え歌を思いっきりローカルに「陸奥の名産ナマコ」(↓)にしてしまうとか…。
    http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1706/27/news049.html
     どアップのナマコが潜水艦の様にゴゴゴゴゴ…(ほら…そう見えてきただろう?↓)。県でCM化する気があるなら、歌手ささきいさお氏の存命中がベスト。
    https://www.youtube.com/watch?v=7BkppT5YNjU
    >さらば漁港よ 旅立つ船は 陸奥の名産 ナマコ
    >漁場の彼方 いざ全国へ 乾物背負い いま旅立つ
    >必ずそこで 美味しくなると 鍋振る人に 笑顔で応え
    >漁場(いさば)を離れ いざ全国へ はるばる運ぶ
    >陸奥の名産、ナ~マ~コ~♪
    >さらば漁港よ 鍋振る人よ 陸奥の名産 ナマコ
    >漁協を救う 使命を帯びて 戦うナマコ 燃えるロマン
    >誰かがこれを やらねばならぬ 期待の品が これ達ならば
    >漁場(いさば)を離れ いざ全国へ はるばる運ぶ
    >陸奥の名産、ナ~マ~コ~♪
    https://www.youtube.com/watch?v=v9GPQP5Treg
     …以上、どうでもいい話…。
    【2017/11/04 22:53】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (備忘録)
     …前稿後半で気晴らしするうち、魔が差して(?)前半とは無関係の替え歌に熱中、何度も改稿し直した。「還ってくると」(水で戻す意)を「美味しく…」にすると音韻が外れて苦しくなるが、これは「燻製→乾物」共々やむなし。意味の通じやすさと正確さを優先した(乾燥ナマコは燻製に非ず)。最後まで迷ったのは「漁場→漁港」の変更。これで「ナマコの思い」への仮託が消え、ヤマトとナマコの重複イメージが大幅に減じた様な。結局、三日がかりで落ち着いた。
     あらためて全文再読すると、なにやら「歌」の話や間テクスト性の敷衍がありそうに思えてくる。気が付いたら前半の続きになっていた様な。~下記産経稿(↓)を読んだら、そんな気がしてきた。記憶の出方にも意識と無意識の間/差があるらしい。意識は記憶の反復に伴う錯覚かも知れない。あたしゃ「記憶は嘘を吐く」と覚えていたが…と書いて十数年ぶりに下條信輔『〈意識〉とは何だろうか 脳の来歴、知覚の錯誤』(講談社現代新書)を捲ったところ、P.195の小見出しに「無意識に錯誤はない」と書いてあった(「錯誤はむしろ、その先で定義される」)。
    http://www.sankei.com/column/news/171107/clm1711070004-n1.html
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    >2017.11.7 09:00更新
    >【正論】
    >なぜ韓国の文化は「ウリジナル」なのか? 「『分からないもの』に対して何をするかが問われている」 羽生善治さんの至言が示す人文科学の危機 筑波大学大学院教授・古田博司
    > 命題に気づくのは一瞬の直観
    > 最近私は、民族には「脱落のプロトコル(命題)」があると主張している。歴史上、その民族が関心を持たなかったものは、どうにもこうにも分からないのである。
    > たとえば古代エジプト人の「歴史」、だから歴史書が一冊も残っていない。日本人の「奴隷制」、故にシベリア捕囚を抑留と勘違いして、奴隷労働をさせられてしまった。韓国人の「文化」、文化はシナ文化しかなく、自分の文化には関心がなかった。だから彼らは「入ってきたら内の物」だと思う。剣道も華道も韓国起源、孔子は韓国人だったという。外国人はこうのたまう彼らの文化(?)を俗にウリジナルといっている。
    > 実に身もふたもない。だが、はじめから分かっていたわけではない。今から30年前の自分の本を読み返してみると、「なぜ彼らは受容しても自分の文化だと思うのだろうか」と、真剣に考えているのである。人間が真剣に何かしている過程は美しいので、文章も国語の入試問題に使えそうなできばえだ。今は一言でいえる。「コリアンはシナ文化しかなかったので、文化に関心を持たなかった」。書いている私がえげつなく見える。
    > もちろんこの思考過程では、いろいろと勉強するのであって、大阪市大の野崎充彦さん(朝鮮古典文学の専門家)は、長い研究の末、「朝鮮古典文学の特徴は朝鮮の不在である」という結論に達してしまった。舞台も主人公もほとんどシナだから。ウソをつかない、立派な学者だと私は思った。
    > でも、脱落のプロトコルに気づくのはほんの一瞬の直観なのだ。
    >
    > 世界認識に必要な「因果律」
    > 真剣に考えに考えた末、30年後に、ハイデッガーの言葉を使えば急に「到来」し「時熟」したのである。「韓国人は文化が何かよく分からない」という単文で到来する。到来したら、自分が勉強した思考経験や現地で体験した知覚経験から、自分の体内時間を「今」のカーソルのようにして、記憶から次々とコマを切り出していく。
    > そしてならべて因果のストーリーを形成する。これが「超越」だ。なぜそうするか。人間は因果のストーリーなしには世界を認識できないからである。人間の体内時間はベルクソンにならって「持続」というが、これには明らかに流れがある。フィルムのコマみたいに現実を写し取って記憶の方に送りこんでいく。だから因果のストーリーがないとダダモレになってしまうのだ。地図なしに世界中を運転するようなものである。
    > 新聞は、天気予報と今日のテレビ番組表以外は、ほとんど昨日以前のことが書かれていて、これはもう「歴史学」といっていい媒体なので、未来のことを書くとボツになりやすい。だが、あえていえば、AI(人工知能)は生命体ではないので、「持続」を生きることはできない。だから、人間とは別の量子物理学の時間で生きることになると思う。
    > 当然、因果の意味は分かるわけがない。鉄骨が人間の頭に落ちてきたら、人間は死ぬくらいの「直近の因果」は分かるらしいから、もう意識を持っている。ただそれは植物以下の「静謐(せいひつ)な意識」だと思われる。
    >
    > 人文系が生き残るのは難しい
    > 将棋の羽生善治さんが、すごいことを言っている。「分かっていることに対する答えや予測は、どう考えてもAIの方が得意です。残されている『分からないもの』に対して何をするのか、が問われる。それは若い人たちだけにかぎらないと思います」(月刊「正論」11月号)
    > どこがすごいのかといえば、大学ではそれが今問われているからである。うちの大学などでは、文系の人文社会科学はもう、のけもの扱いである。なぜなら、知識を教えることしかしてこなかったからだ。そんなものはもうネットで簡単に手に入る。問題があるとすれば、学生がどの検索サイトに現実妥当性と有用性があるのか、分からないことくらいである。新しい知識もやがて一般人とAIが供給することになるから問題ない。
    > ほかの学科は元気である。物理学、化学、工学、農学、生物学などは全部実験という、知識以前の「分からないもの」を扱っている。医学、体育、芸術、看護学、コーチングなどは、みな体得の科目だ。「分からないこと」を考える余地がある。
    > さて、わが人文社会系はどうするのか。因果律の形成を体得させるという教育方針以外に、生き残る道はないと思われる。人文系はさらに難しい。歴史学ならば、渡辺浩さん(東大名誉教授)がいうように、文字記録というタイムマシンに乗って記録の向こう側へと超越し、戻ってきて報告してもらわなければ有用性がない。今を説明できる歴史学でなければ、その研究者の懐古趣味で終わってしまう世の中になったのだ。
    > 私は今、ゼミの新入生たちに言っている。「君たちは入試まで既に分かっていることを考えさせられてきたのだ。これからは分からないことを考えなければならない」と。(筑波大学大学院教授・古田博司 ふるたひろし)
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    【2017/11/08 19:35】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (休憩後の続き)
     思えば昭和末期以降、土着的な習字/書塾イメージが廃れゆくにつれ、その分を書道イメージが吸収していった様な。書店の棚は嘗て実用・生活書コーナーと芸術書コーナーに分かれていたが、今では区別なく並んでいる。それだけイメージの集約化が進んだという事なのだろう。見聞きするところでは今も昔も、学習指導要領に準拠する中学校は殆ど存在しなかった(国語科書写)。どの教員も高校受験を里程標とし、書写にかまける時間も余裕もなかった。…中学時代の或る日、国語の若き女教師が「生」の字を行草(行書も草書も同じ形なのネ)で板書し、怪訝そうに「これ読める?」と聞いた。クラスの半分が「読めない」と反応したのには私も先生も驚いた。それが却って新鮮だった。なぜ読めないのか。私は同級生達に、或る神秘を感じた。
     それもその筈、これには戦前からの根深い来歴が関わる。全く研究されないまま時代が丸ごと手遅れとなり、神秘的とならざるを得なくなった。そも被験者が居ない(探しにくい)。だから管見の範囲では、脳機能研究の総てが偏った出発点から始まる。すなわち漢字と仮名の二分法。例えば酒井邦嘉『言語の脳科学』(中公新書)P.186に出てくる山鳥重なら『脳からみた心』(NHKブックス)P.194や『言葉と脳と心』(講談社現代新書)P.166などの知見が参考になるし、岩田誠の編著なら総花的な『神経文字学』(医学書院)がスタンダードな所。詳しいのは杉下守弘『言語と脳』(講談社学術文庫)P.230以降だが、しかし誰も漢字と仮名の幕末的境界には言及していない模様。研究の嚆矢が三浦謹之助の1900年(この年は草略排除・変体仮名廃絶の「国語」教育元年)とあらば仕方なき面もあろう。つまり最初から出鼻が挫かれてきた事になる。
     歴史的には可読性や上手下手の判断における認知システム遷移が関わる筈なのに、現代の医学界隈は過去など相手にせず専ら未来ばかり追っている。開国前の文化が閑却されがちなのは、研究態度の盲目性に依る所も大きかろう。可読性の下位概念(?)たる上手下手の基準は時代によって変わるのかも知れない。昔は規範たり得ても今は書道自体が癖字の巣窟で、精々「手本に似せる」のが関の山。手本なき所に上手下手の判断は成り立ちにくく、しかも手本ですら規範たり得るとは限らない(規範概念の喪失)。~西尾先生の言い回しでは下記の通り。
    https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=1810
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    >(6-28)過去は現代のわれわれとはかかわりなしに、客観的に動かず実在していると考えるのは、もちろん迷妄である。歴史は自然とは異なって、客観的な実在ではなく、歴史という言葉に支えられた世界であろう。だから過去の認識はわれわれの現在の立場に制約されている。現在に生きるわれわれの未来へ向う意識とも切り離せない。そこに、過去に対するわれわれの対処の仕方の困難がある。
    >(6-29)過去とのつながりを切られたときに、人間は歴史的基盤を失う。そういうとき、人間は単なる現在のうちに立ちつくし、未来への方途をも見失う。
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     この言葉を苹は重く受け止める。閑却された文化そのものばかりでなく、周辺で互いに影響し合う筈の網目/諸学全体が既に立ち後れてしまった。…医学畑は一体どう思って居るのか。古文書が読める人ばかり被験者として集め、民衆に膾炙したレベルの幕末版本から漢字と仮名を読み分けさせても、脳機能は現代の一般人と同じ検証結果を呈するのだろうか。それ次第で上手下手の判断に「基準が生まれる/認識される」筈。活字基準で見れば古典的な楷書/漢字は下手に見えるらしく、また漢字と仮名の二分法では草書や変体仮名の出る幕はない。ところが幕末書字では同一字形を漢字と仮名に読み分けるプロセスが介在する。そうした特徴が日本人の脳機能研究に一大変化を齎す可能性だってなくはない。
     春先から「上手下手の根拠は何か」と自問してきた。根拠は客観的な実在でなく、歴史に支えられた世界に属するのだろう。~嘗て苹にも結婚願望がなかった訳ではないが、もし子供が出来たら暴走してしまうのではないかと恐れた。子供を幽閉し活字に全く触れさせず、幕末文字文化の世界で純粋培養し、脳機能研究者の人身御供にする…。これでは結婚できる訳がない(苦笑)。たぶん児童虐待で逮捕されちまう…てな事を昔、書いた事があったっけ(「2015/06/22 06:07」稿↓)。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1776.html#comment
     もっと古いのは2009年頃の「場所の喪失(其二)」稿。天バカ板「【再掲】投稿日時不明稿(其五)」所収(↓)。
    http://imoshiori.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8005106

    (宇宙戦艦ヤマト)
     成り行き上、調べてみた。…テレビ作品(1974)の映画化(1977)では青年層までもが劇場前に長蛇の列をなした事で知られる、SFアニメ史上の先駆。もちろん苹の興味は題字の方にあり、あれは企画・原案・プロデューサーの西崎義展(1934~2010)自身か、もしくはスタッフの誰かが書いたらしい(↓)。
    http://web.archive.org/web/20041009191106/http://homepage3.nifty.com/newyamato/omoi.html
     今世紀の毛筆アニメ題字に比べれば質も風格も遙かに上で、戦前世代(たぶん?)が書くと素人でもここまでやれるのかと驚嘆させられた。…ただし昔の環境なら普通レベル。どちらかと云えば「ヤマト」は力み過ぎの字と映ったかも知れない。昨今のはインパクトを出そうと力むほど却って軽薄に見えてくる面もあるが、そこまで極端ではない(数年前にアニメや戦隊/ライダー物を観察してみた上での比較印象)。
     それはそうと波動砲…内臓プシャー!(←ナマコの場合)
    【2017/11/18 23:50】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    最近では、お酒の名前なども毛筆のものが多いですが、
    残念・・・・・なもの、多いですよねぇ~

    よく恥ずかしくないものだ・・・と思います。

    【2017/11/23 20:49】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >最近では、お酒の名前なども毛筆のもの
     そうだった…お酒のラベルもあったっけ(あたしゃビール以外は飲めない)。そう云や昔PTA絡みで、青森の酒造会社「桃川」役員と話す機会がありました。あたしゃ真っ先に「あのラベルはいい!」と絶賛したんだっけ(小杉放庵の行書)。誰の字か知らないけど、白梅(隷書)や喜久泉(草書)も良かったな…(↓)。
    http://www.saturn.dti.ne.jp/anonyme/hoan/traces/4-north/oirs/n-oi_003.jpg
    http://www.kuramotokai.com/images/kikou/49_rokkashuzo/rokkashuzo22.jpg
    http://www.yajima-jizake.co.jp/kuramoto.old/image/denshu03.jpg

    (備忘録)
     …どうも煮え切らない様で後味が悪い。手本が上手なのは分かるが、手本のイメージは十人十色だから困った事になる上、手本が上手に見えないならお手上げだ。好きな手本でやるのは構わないが、中には下手な手本が好きな人も居る。主観と客観、或いは立場で見え方が違う。差異と可塑性の許容範囲が狭いと、書く立場なら特定の書風/書流(実現範囲)で凝り固まるのが普通でもある。師匠は「これが上手な手本」と胸を張っても構わないが、その根拠は昔なら単線的な師授伝承、今なら社中/団体の茫洋たる規範もどき(?)に依る所が多い。つまり戦前は教科書を書いたり文検と関わったりして権威を保ち、社中を主宰して師授伝承。歿後は社中が書風をそのまま護持し続けたり、或いは書風が時代と共に変容、時には社中が分裂したりする。
     活字の側ではどうか。~こんな記事があった(↓)。
    http://www.sankei.com/life/news/171120/lif1711200027-n1.html
    --------------------------------------------------------------------------------
    >2017.11.20 11:30更新
    >【広角レンズ】
    >いまやフォント(書体)を味わう時代…理想を求めて写植が残す本への思い
    >(1/4ページ) .
    > 日本語の「文字」に関する書籍の刊行が続いている。印刷用の書体(フォント)をつくるデザイナーの仕事が注目され、さまざまな書体の違いを味わう本も人気だ。パソコンでだれでも文字印刷ができる時代、文字を楽しむ新たな視点とは。 (永井優子)
    >◇
    > 「もっと湿り気のある、遠くから響いてくる声のようなフォントがいいんだよね」
    > コミック誌編集部を舞台に、出版界の人間ドラマを描く人気漫画『重版出来(しゅったい)!』(小学館)。先月発売の第10巻では、本のフォントをめぐるエピソードが登場する。
    > 人気女性小説家が、自作の世界観に合わせたフォントを新たに作ってほしいと言い出す。そこで登場する書体デザイナーのモデルとなったのが、フォント制作会社「字游(じゆう)工房」代表の鳥海(とりのうみ)修さん(62)だ。
    > 本や新聞、パソコンなどで目にする文字は、読みやすさや美しさを追求するデザイナーの手で生み出されている。鳥海さんが理想の文字作りへの思いをつづった『文字を作る仕事』(晶文社)は、今年の日本エッセイスト・クラブ賞に選ばれている。
    > 鳥海さんが手がけるのは、「本文書体」という小説の文章や新聞記事に使われる3ミリくらいの小さな文字。その理想は、「水のような、空気のような」と例えられる。「本文書体は活字のデザインの幹のようなもの。文章を読んでもらうための文字であって、個性を主張するものではない」
    > 漫画のエピソードのようなことも実際にあり、舞城王太郎さんの作品のために「濁流を流れる流木」のイメージで、仮名文字を作ったことがある。また、組み版会社の依頼で、近代文学向け、女流文学向けなどの仮名書体も制作した。「パソコンで書体を選ぶ経験も日常的になっている。しかし、それとは一線を画す『ハレ』の場面の書体の重要性を知ってもらえれば」
    >
    >コミケでも…
    > 「この3、4年で文字の本がすごく増えた」と話すのは、文筆家の正木香子さん(36)。
    > 正木さんは、子供の頃から書物で親しんできたさまざまな書体の印象を、食べ物にたとえて語るサイトを平成23年に開設。25年に『文字の食卓』(本の雑誌社)として書籍化した。
    > サイト開設のきっかけは、慣れ親しんできた雑誌の書体がある時期に姿を消してしまったこと。調べると、それらはパソコンで版下作成を行うDTP(デスクトップパブリッシング)のデジタル書体に代わられ、使われなくなった写植(写真植字)の書体だった。「活字を使うのは出版・印刷業界の専門家だと思われているが、本を読むのはまさに文字を使うこと。読者の立場から、知的資産としての書体の評価を発信していきたい」と語る。
    > 担当編集者の金子哲郎さん(49)は「メールやSNSなどで、今ほど文字に触れる時間が多い時代はない。ちょっと変わった字を使いたいと思う人たちを対象とした本が出ても当然」と分析する。コミックマーケット(コミケ)で売るリトルプレスに、あえて写植書体を使いたいという人も増えているという。
    > 11月に刊行された正木さんの新著『文字と楽園』(同)は、「精興社書体」と呼ばれる独自の明朝体で読む現代文学がテーマ。文字と言葉がおりなす味わいを語り、書体によって作られる文学の系譜を語る意欲作だ。
    >
    >規格1万4000字
    > 日本人にはもともと文字を楽しんできた歴史がある。今野真二・清泉女子大学文学部教授(59)の近刊『図説 日本の文字』(河出書房新社)は、経文の絵画化や文字尽くしのパロディー版、現代の高速道路標識までを紹介している。「言葉はコミュニケーションの道具というが、文字が言語を書くこと以外に広がっていく面白さに注目した。それは人間が持つ多様性の表れでもある」と今野さん。
    > 日本語は表意系文字である漢字と、それを元に生まれた平仮名、カタカナから成っているため、「形の面白さを残していて、文字そのものが価値を持ちやすかったのでは」という。
    > 現在の常用漢字は2136字だが、コンピューターで使う漢字のフォントの規格は約1万4000字にも及ぶ。文字への関心の高まりについて今野さんは、「手で書けるのは1つの文字だけだが、過度のデジタル化でスマホやパソコンの中に文字があふれている。それを見て、使い分けようという気分が出てくるのでは」と分析している。
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    【2017/11/24 02:28】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


     なぜ字は読めるのか。~脳機能の話を持ち出すと尚更、そこで正面から躓いてしまう。漢字と仮名のを調べて当てが外れ、認知心理学に視点を寄せても被験者は当然ながら現代人。「読めなくなる」方も脳損傷や心の病が相手では些か歯痒い。ドゥルーズの云う包含的離接は分裂症の絡みだった(「2017/06/29 08:39」稿、他)。それを幕末健常者の識字システムと結び付ける方に無理があるのでは…とまでは思わないものの、現代識字システムで構築(洗脳?)された人格が幕末識字システムと邂逅した場合、何らかの心理的/文化的ダメージがありそうな気はする。学校教育上の国語信者から古文書を遠ざけるのが精神衛生上の配慮だとしたら、果たして学問とは何だろうか。
     事実、そうした国語政策が開国後に要請されてきた。西洋の言語学は音声中心主義が優位で、書道畑にはしっくり来ない。彼らは仮名を頭からアルファベット視する。予め漢字と切り離してかかる。脳機能上の認知プロセスにおける漢字と仮名の連合は、日本人が却って「近代化(西洋化)されていない」事を指し示すかも知れない。かてて加えて検査対象は同じ漢字でも、支那人と日本人とでは脳機能に差異が出るのではと苹は予測して居る。相対的意味での変質を促すだろう点で、やはり鍵は仮名にあるのだろうと。
     参照するは以下の前掲、杉下本P.130の記述。
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    > アメリカの神経学者ゲシュウィンドは、左角回損傷で「失読‐失書」が生ずるとしているが、左角回を文字の視覚性心像中枢とは考えない。彼によれば、文字の視覚性心像は左後頭葉にある。左角回は、この視覚性心像と左上側頭回移動のウェルニッケ領にある語の聴覚性心像、および左前頭葉にある語の書字運動の運動感覚心像という計三種の感覚心像の連合が成り立つところと考えるのである。
    > 字を読むには、文字の視覚性心像と聴覚性心像の連合が必要であり、書字は、語の聴覚性心像と語の書字運動感覚心像の連合が必要であると考える。したがって、左角回の損傷はこれらの感覚心像の間の連合の破壊を生ずる。すなわち、文字の視覚性心像と話し言葉の聴覚性心像との間の連合の破壊で失読が生じ、聴覚性心像と運動感覚心像との連合の破壊で失書が生ずると考えている。
    > 失読が失書にくらべて軽いことや写字障害がないことなどは、左角回皮質が視覚性心像中枢であるという説に不利である。また、左角回損傷例の多くは、その左角回の皮質以外に皮質下の白質が損傷されているので、ウェルニッケの説やゲシュウィンドの説の方が、デジェリーヌの説より妥当と思われる。
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     …例によって脳損傷の話(↑)。あちら西洋は元々アルファベット専用の世界だから、こちらから見れば表意/表語文字との関わり方や解釈(キルヒャーとか)に、少なからぬ疑念なきにしもあらず。しかし語の連合については興味深い所もある。~心当たりは畑違いの言語学方面。以下は今村仁司編『現代思想を読む事典』(講談社現代新書)P.643の丸山圭三郎。
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    > まず、意識の表層における〈連辞関係〉とは、コード化した言語(ラング)内の形態論・統辞論にあたり、シーニュとシーニュの結合のルールであるのに対し、〈連合関係〉は、シーニュ群のなかから唯一のシーニュを選択するルールである。前者は線状性・一次元性・不可逆性という拘束性のもとにあり、後者は相互排除の原則に縛られている。
    > 他方、意識の深層における〈連辞関係〉とは、コード化されないランガージュの場における結合であるから、そこでは必ずしも文法的とは限らない〈シーニュの連鎖〉が移動する不断の動き(=〈置き換えdeplacement〉、〈換喩metonymie〉)が見られるのに対し、〈連合関係〉にあっては一つのシーニュが他のシーニュを排除することなく互いに重なり合って(=〈圧縮condensation〉、〈隠喩metaphore〉)豊かな表象が形成され、表層の言語とは異なる多次元性・可逆性・ポリフォニー性を生み出す。
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     これまで苹は漢字の草略アルゴリズムを表層構造と深層構造に分けて考え、その横断的認知過程で仮名=表音文字への機能転換が起こり、日本語書記に定着したと見てきた。これは言表作用の質的転換であり、文字自体/像の話ではない。文字自体は同一でも、機能は同一でなくなる。同一性と差異は共立するどころか互いに折り畳み合う(褶曲/襞)。同一性の中に差異があり、差異の中に同一性がある。そこで読み分け/書き分けのための副次的指標たる痕跡が歴史的な必要/利便上、様々な形で字/語/文の中に埋め込まれてきた(書表現が読字ツールだった頃の話)。
     シーニュの重合を胎んだ文字自体の内的可塑性は、どう考えてもアルファベットより漢字の方が地獄の様に深い気がしてならない。それを当たり前の様に使いこなしてきた~しかも漢字と仮名の連辞的結合を文字自体の内側にも含めるとあらば、文法ならざる用字法の変形生成は文法側との共振を内側/深層から支え、かつ侵蝕し合う事にもなろう。

    (余談~人生クソまみれ)
     苹は近年、排便後の尻拭きを諦めた。なぜかって…痕が残るから。たぶん俄には閉じきらないのだろう。以前偶々猥褻動画を目撃した時、その女性のも暫くは開いたままだった。ハッと閃いた。出すか挿れるかの違いだけで、開く事に変わりはない。だから閉じるまで待つ必要がある。こんな話にトイレ読書の効用を持ち込めば一気にややこしくなるのだが、そこまでは踏み込むまい。…シャワーしたら紙を添えて置く。読書後に拭けばよいのだろうが、最早めんどくさくなった。暫くして排尿の際、紙を取り替えれば事は済む。すると「痕が残らなくなる」。
     これには前史がある。~うちの爺様が死んだ後、紙オムツが残った。勿体ないから使ってみたくなったが、なぜか婆様が猛反対したので今も死蔵ちゅう。(…使って癖になったら、どうしよう?…要するに、あたしゃ筋金入りの「めんどくさがり」なのネ。)
    【2017/11/28 01:32】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (妄想~過去の封印、意識の焚書)
     日本人は大方、書字の読解を諦めた。なぜかって…痕が残るから。たぶん俄には封印できないのだろう。以前偶々古文書を目撃した時、その書跡のも暫くは読めたままだった。ハッと閃いた。書くか読むかの違いだけで、読める事に変わりはない。だから封印まで待つ必要がある。こんな話に書教育の功罪を持ち込めば一気にややこしくなるのだが、そこまでは踏み込むまい。…活字化したら書字意識を捨てていく。書籍化後のを読解すればよいのだし、既に機は熟した。暫くして読字の際、文字意識を取り替えれば事は済む。すると「痕が残らなくなる」。
     …以上、気が向いたので改変してみた。先に書いたのは前稿末尾の方だが、無意識の領分では一体どっちが先だったんだろう?(…気がして気になり気が向いて、挙句の果てがこれだ…。どうやら廃人にしては、まだ「詰めが甘い」みたいネ。)

    (備忘録)
     仮名の形態は漢字だが、機能はアルファベットである。極端な場合は漢字と見た目の区別が付かないのに、昔の日本人は文脈と字の書きぶり/雰囲気(?)から両者を区別できた。だから田舎の民衆でも「平然と読める」。にもかかわらず「読めない」今となっては、未知の色や味を言葉で説明するのと同じくらい難しそうだ。…他の方々なら、どんなふうに教えられるだろうか。「なぜ字は読めるのか」を。それも、出来る限り科学的に。(←この問い自体が罠?)
     どうやら苹は学問~中でも科学に囚われて居るらしいのに、傍目そう見えないのでは(学問的でないのでは)と常々恐怖している。…そんな折、興味深い記事があった(↓)。
    http://www.sankei.com/west/news/171129/wst1711290002-n1.html
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    >2017.11.29 16:00更新
    >【理研が語る】
    >原理的部分の説明重視「物理学」に対し“意外性”重視!? 理論未整備「生命科学」の理論をつくる
    >(1/2ページ) .
    > 近年、「科学とは何か?」という問いに思いふけることがよくある。「物質科学」と「生命科学」、分野は違えど同じ科学だという認識が一般的である。対象、原理、道具、学問的な進度など、知識の詳細に違いはあっても、科学としての基本的な考え方やアプローチにそんなに違いはないはずだ。むしろ、共通する「科学的な思考」があるからこそ「科学」として成り立ち、分野が違っても同じ視点で見ることが可能になる。
    > しかし、驚くことに「物質科学」と「生命科学」は正反対の性格を帯びており、しかもその違いは「文化」の違いとして形容されることが多い。
    > 例えば、プレゼンテーションの仕方が違ったりする。研究の中心をなす原理的な部分の説明を重視する物理学に対して、生物学の場合は研究結果の新規性や意外性を重視しているように感じられる。他にもいろいろあるが、両者の決定的な違いは「理論」の有無だと思う。
    > 物理学の場合だと、「ガリレオの落体の法則」や「アインシュタインの相対性理論」といった法則や理論がたくさんあり、物理学の教科書も大抵は理論の説明から始まる。しかし、生物学の法則や理論を学ぶことはほとんどない。実例がたくさん並べてあり、それらの知識に通じる理論は整備されていない。
    > ここ半世紀の生命科学の発展には目覚ましいものがあり、実験を中心としたアプローチで、さまざまな遺伝子やタンパク質などが複雑なネットワークを形成して生命機能を制御していることが分かった。また、人工多能性幹細胞(iPS細胞)による新しい技術も実現されはじめて、われわれの生活にも大きな影響を与えようとしている。しかし、生命現象の「理解」という意味では、生命科学にはまだ解決すべき課題が数多く残されている。
    > 徐々にではあるが、近年、生命科学における理論的アプローチが発展してきている。例えば、大腸菌の細胞を制御するすべての分子ネットワークの設計図を書き出す研究が盛んになってきた。近い将来、「実験」と「理論」が両輪をなし、互いに支え合うことによって発展していくような生命科学が確立されることを期待している。
    >◇
    > 渡部匡己(わたべまさき) 理研生命システム研究センター(QBiC)生化学シミュレーション研究チーム研究員。米テキサスA&M大学院で物理学の学位を取得。生物画像シミュレーターの開発や、人工知能・ロボット技術を利用した科学的方法論の自動化に取り組んでいる。趣味は料理のほか、美術史や美術鑑賞。
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     …科学にも色々あるらしい。「文化」の違いに比せられる所からすると、前稿の疑問/切り口とて或いは思ったほど噴飯物ではないのかも。しかしそれにしては日本人自身、「読めない事」に居直り過ぎる。科学的イメージ同様、その方がスマートに感じられるからだろうか、だんだん過去の日本文化が外国文化に見えてくる。だから仮名を教える/読める様にすると、周囲の教員は「中国に行けばいいのに」などと反応する。
     …教員時代の記憶に拘り過ぎだろうか。過去を水に流すのは簡単かも知れないが、それでは余りに歴史と文化が可哀想。もっと愛があってもよい筈ではないか。とは云っても研究の当事者(科学者など)ならともかく、大方の一般人には無縁な話だろう。生活上それどころではないから「何の役に立つのか」となる。理解は出来るが、悲しくもある。

    (補遺~書字と写字、習字と書写)
     杉下本の前掲引用に、「失読が失書にくらべて軽いことや写字障害がないことなどは」云々とあるのが気になった。書字障害でなく写字障害。ただ書写するだけなら失読状態でもよい筈。つまり「読めなくてもよい」と~それで思い出したのが「2013/12/25 22:35」稿での引用。以下は『正論』2013.12号P.326「読書の時間」インタビュー(島谷弘幸『書の美』毎日新聞社刊)冒頭。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1580.html#comment
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    > ――「書は、読めなくてもいい!」と帯に大書してあるのに引かれて手に取りました。
    > 島谷 あれは編集者がつけたもので、自分ではそう書いた記憶はほとんどなかったのですけど、実際にここに書いておられますよとページを示されて…。だったら帯に使ってもいいけれど、続きの「読めなくても、見る人の能力に応じて楽しめる」というところまで入れてとお願いしたんです。
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     「読む」と「見る」が異なる様に、書字と写字も別物なのだろう。杉下本の記述(翻訳?)では、それぞれが失書と写字障害に対応する書き方となっている様に見える。~この辺、いったんメモして置こう。習字と書写との関係誤認にも絡みそうな話ではある。
    【2017/12/02 21:07】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (反省)
     どんな本を読んでも読み落としはある。文脈は雑駁に読めても、語彙理解が足りなかったりする。その一例が苹の場合は「写字」で、書道畑なら「書写」と云えば国語上の文字理解が伴うものと予め決めてかかるから、「まさか読めないまま書くなんて」となりがちだったりする。つまり書道教員は予め「それは国語の領分」と云わんばかりに度外視し、生徒が脳損傷と似通った状態になる様「わざと又は無意識に」教育する事ができる。特に戦後の高校芸術科書道では、そうした教育が一般化してきたかの様な。だから読めなくても構わない。読めないまま書かせても、視覚芸術としての評価は成り立つからだろう。ここでは言語教育としての在り方が、教員採用自治体の方針を巻き込んで(と云うよりは率先垂範?)堂々と「放棄されている」事になる。
     青森県では高校書道教員採用試験が二十数年に一度のペースで実施されたらしい。苹の確認できた事例は1979年(青森県教育庁県立学校課課長2001.10.26付、電子メール回答より↓)と2002年(2003年度)の二回しかない。その前は宮川翠雨と入れ替わる形で採用された遠藤雨山の1972年頃かしら(未確認)。他には2011年の特別支援学校(高等部)もあったが、これは普通高校と別枠だし、その意味を深読みすると前稿末尾の視点が新たな角度から気にかかる。
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    >書道専門の教諭がいない場合でも、他の書道免許所持者が担当しており、学校として不具合がないことから、書道専門の教員を採用して欲しいとの要望はほとんどありません。そのようなことから、書道の試験についても昭和55年度以降実施していないものです。
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     文中の「他の書道免許所持者」とは概ね国語教員を指す。高校国語に書写はないから、当然そちらの筆記も実技試験もない。私も国語の採用候補者名簿登録を経て書道を担当した。そこで取り敢えず国語/日本語の枠組を前提に、一応「謙虚なつもりで」書道選択生の全員が仮名を読める様にし、その上で実技を指導した。或る日、教頭先生から「謙虚になれ」と言われた。何の事か分からなかった。その後「読めないもの(←仮名の事?)は教えるな」との指導を校長室で受け、1998年度末クビになったのは何度も書いた通り。
     国語の教員は字を読める様にしてはいけない。そう云うと角が立つだろうし、抑も認識がない場合さぞ不本意だろう。ならば毛筆書体を「日本語の字ではない」と判断しているか、書道(芸術科)を担当した途端「国語科」の教員ではなくなるか。前者なら「国語」における「文字」定義の教育的改変(?)となり、教育が学問から切り離される筈。また後者ならば正規もしくは臨時採用された時点で、採用試験の科目分類が合否を問わず「直ちに」無効化される慣行/システムを意味する筈。後は教員免許の有無が問題化しない様に対策/工夫すればよい(実例~「東奥日報」2000.11.10付↓)。
    http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_p_416.html
     いづれにしろ、書字からの脱却教育/「脳損傷」擬態が歴史断絶の根本的操作となってきた事に変わりはない。ならば…と思い当たる。たとい健常者でも、誰もが脳損傷と似通った状態ならば、ワンサカ被験者が居る事になるのではないか。問題はリファレンスとしての過去だ。現在が失われているのではなく、過去の「生きた痕跡」が欠如しているから「科学的な」比較のしようがない。…たぶん苹の夢想した「人身御供」教育も失敗しただろう。環境は環境を組み換える。環境/歴史に抗う余地など、ありはしない。(→引き籠もり~♪)
     そこで浮かび上がるのが特別支援学校「高等部」。脳損傷でないのに同然の状態を前提するなら、何かそこに特別な未来がありそうな気さえしてくる。脳損傷「状態」は伝染する。その役割を担うのが教員(他科を含む)。寄って集って普通高校の生徒に遍く感染させてきた。しかし特別支援学校なら「木を森に隠す」様な仕方で、感染自体を予め環境に埋没させられる。~昔読んだ本に水島恵一『人間性心理学大系 第3巻 イメージ・芸術療法』(大日本図書)がある。P.176に「書道と水墨画」が出てくる。以下はP.180の記述。
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    > ただし、現今実際に施設や精神病院などで行われている芸術療法は、まだその入口にあるというべきで、しかも多くはより指示的、教育指導的、ないしレクリエーション的な書道である(水墨画を導入している例はそれほど多くはない)。それは一般に趣味、教養として行われているものとそれほど大きな違いはない。もちろんこうした中でも、それなりに治療教育過程(とくに上述の伝統的な独自の過程)はみられるのであって、具体的にどんな展開が適切かということは患者の状態やグループの性格によって、決められるものである。
    > たとえばある精神病院では、毎週一時間、十数名の慢性分裂病者中心の集団(自由参加)によって書道が行われているが、そこでは種々の手本類が用意され、各自その中から好みのものを選び手本としてもよいし、また自分でかきたい言葉をかいてもよい。新聞紙が練習用紙として十分に用意され、最後に清書用紙として半紙が与えられる。そして各自は最も好きな清書作品を選択してホール壁面に掲示する。こうした中で、書道独自のさまざまな過程が観察される。
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     義務教育の書写とさほど変わらない。学問ではない。しかし稽古でもない。治療の一環である。学問の代わりに治療を持ち込めば、それが直ちに教育となって機能する。相手は所謂「健常者」でも構わないが、現今それが一般化しているとは考えにくい。だから特別支援にシフト?…こんな話は妄想じみているかも知れないが、しかし慢性的な高校書道教員「不足」(←正規採用の意味↓)を踏まえてなお、県教育庁は嘗て「書道専門の教員を採用して欲しいとの要望はほとんどありません」と返答した。その意味をずっと考え続けて居る。向こうは単に事務的に回答しただけなのかも知れないが、どっこい無意識という難物が控えている事に変わりはない。
    http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_r_356.html
     書写とは「書き写す」事である。中身がどうであれ。(さすが戦後の新造語)
    【2017/12/05 07:55】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (備忘録?~いや、ただの妄言だ…)
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1452.html#comment
     苹はビールしか飲めない(↑)。飲んで酔っ払うのではない。仕事中は飲んでる時で、そうでないなら飲む必要はない。独りで飲むと集中力が高まり、頭脳がよく働く様になる。クドくネチネチ何年も前のを…性格が悪いだろw(拙稿を振り返れば一目瞭然)。おまけに食べ物を流し込む事ができる。食べている事を忘れ、飲んだ量も忘れる。…「ビールは飲むパン」だそうな。これには納得がいく。ただし肝臓にはよくないらしい(汗)。十数年前に医者から指導された通り、味は度外視してプリン体ゼロの銘柄(発泡酒)しか飲んでないのにナァ。
    http://www.sankei.com/wired/news/171208/wir1712080001-n1.html
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    >2017.12.8 20:30更新
    >飲むアルコールの種類によって感情がこんなに変わる?  21カ国での調査から明らかに
    >WIRED (1/2ページ) .
    > アルコールはさまざまな感情を引き起こす。その感情の種類が、実は飲むアルコールの種類によって異なることが、21カ国の約3万人を対象に行われた調査で判明した。ワインや蒸留酒、ビールといったお酒の“効果”のほどは--。
    >人間の感情はもともと不安定だが、それを操る手段としてアルコールは非常にすぐれている。嬉しいときに飲めば気分はさらに上がり、悲しいときに飲めば気分はさらに下がる。エネルギッシュにもなるし、リラックスもさせてくれる。過去についての後悔があっても、短期的には忘れさせてくれる(新しい後悔が生まれるかもしれないが)。
    >だからといって、実はすべての酒が同じように感情を操る力を提供するわけではない。「BMJ Open」に発表された新しい論文によると、21カ国の約3万人を対象に行われた飲酒に関する調査から、酒を飲む人は異なった雰囲気と目的を求めて、異なった種類のアルコールを飲もうとすることがわかった。
    >
    >赤ワインを飲むと「リラックスできる」
    >例えば、回答者の約53パーセントが、赤ワインを飲むとリラックスできると考えており、60パーセントは眠くなると報告している。このため、クリスマス休暇に短気な親戚を大人しくさせる酒を探しているなら、熟成したメルローがいいだろう。
    >もっと一緒に楽しめそうな客には、カクテルがお勧めだ。回答者の約60パーセントが、カクテルはエネルギーを与えてくれるし、気分が向上すると考えている。また42パーセントが、カクテルを飲むとセクシーな気分になると述べている。だが、短気な親戚にマティーニ(ジンとベルモットのカクテル)は飲ませない方がいいだろう。回答者の約30パーセントが、蒸留酒を飲むと攻撃的になると答えているのだ。
    >この研究は、英NHS(国民保険サービス)の一部局であるウェールズ公衆衛生局(Public Health Wales)のキャサリン・アシュトンを中心として行われたものだ。同局に勤務している共同執筆者のマーク・ベリスは、次のように述べている。「何世紀にもわたって、ラム、ジン、ウォッカなどの蒸留酒の歴史には暴力が付き物でした。今回の世界的な研究により、蒸留酒は今日でも、ほかのアルコールと比べて攻撃的な感情につながりやすいことがわかりました」
    >鎮静効果のある選択肢としては、ビールもお勧めだ。回答者の約50パーセントが、ビールを飲むとリラックスできると答えている。また、45パーセント近くが自信を感じる、38パーセントが眠くなると報告している。
    >すべてのアルコールのなかで、最も感情を左右しなかったのは白ワインで、どの感情とも強い関連性を示さなかった。だが18パーセントは、白ワインを飲むと疲れを感じると回答している。
    >
    >ただし、自己申告でバイアスあり
    >この研究では、年齢、性別、出生国、教育レヴェルといった一部の人口統計データが考慮されている。その結果、女性と若年者は、感情を飲酒と結び付ける傾向が高いことがわかったが、その感情に攻撃性は含まれていない。これに対して男性は、あらゆる種類のアルコールに攻撃性を結び付ける傾向が高かった。だが今回のデータは、ビールを飲む男性は蒸留酒を飲む男性より攻撃性が低いという、以前の研究結果を裏づけるものでもある。
    >今回の研究には多くの限界がある。まず、これが自己報告データに基づく観察研究であるという点だ。また、自分の状態を思い出す際にさまざまなバイアスがかかるという問題もある。特定のアルコールを飲みながらどんな行動をしていたのか、アルコールをミックスして飲んだのかどうか、特定のアルコールを飲み始めた時点ではどんな気分だったのかといった多くの要素が絡み合っている。
    >それでもこの調査結果は、飲酒問題に介入する際に役に立つ可能性がある。調査に携わった研究者たちは、このデータを参考にすれば、「アルコール消費行動をより深く理解でき、特に飲酒量の多い人に対して、酒量変化を促す戦略や介入に関する情報を得ることができる」と述べている。
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     …殆どがピンとこない。むしろ感情は消えるし、落ち着くし、酔う訳でもないし、他の酒の事は分からない。ただビールだけは「よく体得して居る」。鎮静効果がリラックスなのか精神的緊張なのか判然としないけれど、多分どちらも同じなのだろう。もし音楽に陶酔するのと大差ないなら、車の運転中も陶酔している事になる(アルコール入ってないのに!)。また飲んでも飲まなくても、攻撃性は確かに低い。
     教員時代の飲み会で、音楽の先生が「あんまりだ!」と涙ながらに悔しがった事があった。何を言われたか分からぬが、同じ高校だから苹が言われたのと大差なかろう(芸術教育の全否定とか?)。あんなふうに感情が高ぶるのは珍しい。私の場合は罵倒されると冷静に相手を観察し始め、沈思黙考のスイッチが入るのになあ。でも傍目にゃ、こんな感じ(↓)だったかも。
    https://sp.jorudan.co.jp/zoo_aqua/hashibirokou.html
     前任校での飲み会では、めんどくさいから視点を据えて沈思黙考モードに入った。視線の先に偶々「人が居た」。事務室の未婚女性で、三十分くらいは視線を逸らさなかっただろうか。ただし私は何も見ていない。単に視線を固定していただけである。

     ところで、冒頭リンクの旧稿を読み返してたら「三十年後」話にも言及してたのを思い出した。近年は河合雅司本の大ヒットが有難い(↓)。
    https://shuchi.php.co.jp/voice/detail/4421
     西尾先生出演の「プライムニュース」については、何か書きたくなったら後日。
    【2017/12/09 11:53】 URL | 苹@変態 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@変態さん
    あれ・・・・・泥酔が・・・・・

    プライムニュースの感想よろしくお願いいたします。

    私はアルコールは殆ど飲みません。
    肝臓がちゃんと毒消しをしないみたいですから・・・・
    ビールをのどが渇いたときに、ほんの一口飲むくらい。

    30分、視線を固定された女性、お気の毒でしたね。
    【2017/12/09 21:55】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >30分、視線を固定された女性、お気の毒でしたね。
     その女性は数年後、同じ高校に勤務する国語の先生と結婚した様ですヨ(おめでとう♪)。あんな傍迷惑(?)な飲み方が一方または双方をハッスルさせたのなら、苹が反面教師ならぬ反面キューピッドになった可能性なきにしもあらず?…なにしろ彼女はあの時、私(←傍目にゃ変態?)が懸想していると誤解した様子に見えてたし。でも私の方は、ただ行動抑制/身体硬直を徹底した結果、頭の方に妄念を省力化/集中できていただけなのにねぇ。

    >プライムニュースの感想よろしくお願いいたします。
     録画を二度見たけど、まだ書けません。そればかりでない。本日ふと気付いたら一ヶ月ぶりとなっていた三浦淳ブログを覗いたところ、忽ち頗る気が散った。すなわち「こんな本も出てたのかあ~!」と。~「日録」で出す予定があったなら申し訳ないけど、先に紹介文の全部を出しちまいます(↓)。
    http://blog.livedoor.jp/amiur0358/archives/1068563035.html
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    >2017年11月22日
    >読書/ 西尾幹二 + 中西輝政 『日本の「世界史的立場」を取り戻す』 (祥伝社、2017年11月)
    >評価 ★★★☆
    > 著名な言論人ふたりの対談集。司会は柏原竜一が務めている。
    > 第一章は「「近代」とは何か」。
    > ルネッサンスを近代の出発点とするブルクハルト流の見方はおかしいので(ルネッサンスは中世の延長である)、アングロサクソンはそうは考えていないという指摘が興味深い。中西氏によればアングロサクソンのピューリタニズム(清教徒革命が17世紀半ば。本書はこの革命を内乱と呼んでいる)と普遍志向、それに金融が乗っかって近代が成立した。イングランド銀行ができたのが17世紀末のことである。
    > ホッブスは「万人の万人に対する戦い」という言葉で有名だが、そもそもホッブスが『リヴァイアサン』を書いたのは清教徒革命のすぐあとであり、「万人の戦い」という表現はこの内乱をバックとして言われているのである。
    > 西尾氏はアメリカという要素の重要性を指摘している。ヨーロッパがアメリカを発見することで、ヨーロッパ自体が変化してゆくのである。ホッブスと正反対の思想家とみられがちなジョン・ロックが「アメリカ大陸は万人のものである」という言い方でアメリカ「開拓」への理論的根拠を与えたという指摘は貴重。また中西氏は、ロックはアメリカでは評価が高く日本もその見方を輸入しているがイギリスでは評価は低いと述べている。
    > また、国際法の父とされるグロティウスは「懲罰戦争」という概念を提示して正義の戦争という観念を生んだが、中西氏によるとグロティウス(17世紀)の考え方はエメリック・ド・バッテル(18世紀)により否定されており、バッテルの論がその後の国際法の流れになるという。バッテルによれば、主権国家が自分の判断で戦争を始めても、その是非は問われるべきではない。「人類」などいう概念を持ち出さない方がいい、そのような概念を持ち出す方がむしろ危険だから。そしてヨーロッパは基本的にこうした思想に拠っているのに対し、アメリカはグロティウスの「正義の戦争」論に依拠しているところを問題視する。
    > 結局、ウェストファリア条約以降のヨーロッパはエメリックの考え方をもとにしており、主権国家間の戦争もあるがその是非は問わないというルールでやってきたのが、アメリカの登場で覆されてしまうという流れになる。
    > さらに、ピューリタニズムはほぼ無神論であって、ハーバード大学はそういう流れでできている大学だという指摘もある。
    > 以上、対談者ふたりの基本的な考え方が出てくる第一章をやや詳しく紹介した。
    > 以下、この基本線に則って議論が展開される。
    > 第二章は「アメリカの正体」、第三章が「反日と戦争」、第四章が「日本が取り戻すべき大義」となっている。
    > 最近の国際情勢(アメリカの衰退、イスラムの台頭)は、日本の世界史教科書的な見方では世界は理解できないことを教えてくれている。こういう時代には、一般に流布している史観を基本から洗い直してみることが必要で、本書はそのような観点から意義深い一冊と言えるだろう。 
    > なお、捕鯨問題への言及もある(第三章)。
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    (2017.12.12追記)
     …さんざん迷った挙句、「プライムニュース」の感想は結局こうなりました。
    「私は、正直者で、ありたい。」
    【2017/12/10 18:54】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    今その本を読んでいる真っ最中です。

    面白いですよ。

    学校で習った世界史が全く違って見えてきます。
    【2017/12/13 21:43】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    (備忘録)
    http://www.sankei.com/column/news/171213/clm1712130007-n1.html
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    >2017.12.13 11:00更新
    >【国語逍遙】
    >(92)清湖口敏 「くずし字アプリ」 若者に倣って古文献の解読を
    >(1/4ページ) .
    > 11月10日付で各紙が報じた今年の「ユーキャン新語・流行語大賞」の候補30語には、恥ずかしながら知らない言葉がたくさん交じっていた。「刀剣乱舞」もその一つで、ネットで調べてみてそれがゲームの名前であることを知ったとき、「そういえば」と頭をかすめるものがあった。「コレが例のアレだったか」…。
    > 実は最近、くずし字の解読に興味を覚えだした。若い頃に少しばかり書をかじり、変体仮名なども学んだはずなのだが、どうやら一向に身についていないものと思われる。
    > 新聞ではしばしば、龍馬や漱石といった歴史的人物の手紙などが写真で紹介され、その達筆ぶりに感銘を受けたりはするのだが、では、そこに何が書かれてあるのか解読せよといわれると、悲しいかなさっぱり読めない。古文献が今、私たち現代人にとって確実に近しい存在になりつつあるというのに、である。
    > 国立国会図書館や国文学研究資料館などが大量のデジタル画像をウェブ上に公開しており、わざわざ所蔵館に出向かなくともパソコン等で古人の筆跡に手軽に触れることができる。ただ、くずし字が多用された文献は、私たちが常用する文字に翻字されたテキスト類がなければ、読むのは極めて困難だ。
    > 解読したい…。そんな思いが膨らんでいった頃、スマートフォンやタブレット向けの「くずし字学習支援アプリケーション」が無料で入手できることを知り、さっそく『アプリで学ぶくずし字』(飯倉洋一編、笠間書院)なる本を手に取ってみた。
    > そこに紹介されていたのが「刀剣乱舞」で、私はその名前をすっかり忘れていたのである。刀剣を擬人化したこのゲームは若い世代に人気を呼び、ゲームをきっかけに若者の間でくずし字への関心が高まったそうだ。実際の刀剣を見に博物館や美術館に行くと、くずし字で書かれた折り紙(鑑定書)も同時に展示されてあり、「くずし字を学びたい」との意欲が湧き起こるのだとか。
    > そんな彼らの強い味方となるのが先のアプリで、名を「KuLA(クーラ)」という。私が宣伝してあげる義理は全くないのだが、このアプリ、実にスグレモノである。3つの機能があり、「まなぶ」機能では変体仮名や漢字の草書体が学べる。ここでの学習やテストを一通り終えたら、次は「よむ」機能へ。方丈記や新刃銘尽後集(あらみめいづくしこうしゅう)(刀剣書)など実際の和本の画像を翻字テキストなしで読めるかどうか、成果を試せるようになっている。
    > 残る3つめが「つながる」機能だ。何か読めない文字に遭遇したとき、文字の写真を添付し、フェイスブックやツイッターなどのネットワークを通じて同好のユーザーに助けを求めることができる。まさに至れり尽くせりではないか。
    > KuLAはもともと、国文学研究資料館が作成する30万点もの古典籍の電子画像を、いかに活用するかという課題から着想されたもので、大阪大学を中心とするプロジェクトによって開発された。経緯は『アプリで学ぶ~』にも詳しいが、目を引いたのは、くずし字解読への欲求がとりわけ古地震学研究者に強かった事実である。過去に発生した地震の詳細を知り、そこから将来の災害に対する教訓を得るのは、地震学者にとって必須なのだという。
    > 思い起こせば東日本大震災直後の平成23年3月28日付の小欄でも、日本書紀や方丈記における地震の描写をご紹介したことがあった。KuLAの「よむ」機能に方丈記の冒頭部が収められているのも、この鎌倉初期の随筆が地震や竜巻などの災害を詳細に記しているからだろう。
    > 現在のわが国では毛筆を使う習慣がすっかり薄れてしまい、正真正銘の日本の文字であるくずし字が、外国語以上に難解なものになってしまった気がする。日本文学研究者のロバート・キャンベルさんはそんな現況を憂え、「日本人はくずし字を学ぼう」と提唱した。「江戸時代に書かれたもので、いま活字で読むことのできるものは恐らく全体の一割にも満たない。版本や写本など、多くがくずし字のまま放置されている」「たかだか百四十年前でも、くずし字で書かれた和本を読む基礎的なリテラシーがないと、この資料にはアクセスできない」(文芸春秋2015年8月号)
    > よし、若い刀剣ファンに倣って私もゲームに、いや、くずし字の解読に、真剣に取り組んでみよう。
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    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1850.html#comment
     「2016/06/19 10:13」稿末(↑)で、以下の産経記事二本とリンクした。
    ●刀剣女子、歴女…「くずし字」学習アプリと解読システム、開発者も仰天の意外な需要
    http://www.sankei.com/west/news/160606/wst1606060004-n1.html
    ●署名もタブレットに書くデジタル時代 「書は人なり」は健在か 論説委員・清湖口敏
    http://www.sankei.com/column/news/160612/clm1606120008-n1.html
     これらを承けての話かしら。若い頃に囓ったのは高校書道の事かと察せられるが、仮名が身に付くほど執拗な授業をやらかす変態教員は大学受験の邪魔で、少なくとも青森ではお払い箱となっている。もし入試の国語古典が活字以前の文字で出題されたなら、さぞ現場は慌てふためくに違いない。苹も半分程度ならともかく、全部を正しく読み下せる自信はない(自嘲)。それだけ国語と書道には隔たりがある。あちらは読む人、こちらは書く人。しかも「正しく書く」ための模範的古典(支那物や平安物)しか学んでないから融通が利かない。江戸時代の版本は論外で、拓本と同列には扱われない。
     そこを別の角度~書道側ならではの視点で苹は考えようとしてきた。難易の差こそあれ、「読める字」として機能しなければ実用にならない。しかし古文書字典などを見ると、読む視点ばかりでは奇妙な限界がありそうだ。「読まれる」前に「書かれる」プロセスが必ず伴う以上、書く視点からのアプローチが要る。その共通原理が自力では未だ簡潔に纏められず、どの本にも今のところ見当たらないのは苛立たしくもある。(近年は専門書を買いに行く余力なく…健康面でも金銭面でも)
    【2017/12/15 21:28】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    > 苹@泥酔さん
    YouTubeで仕入れた話しで、本当かどうかは分かりませんが、
    しかも、この記憶が正しいかどうかも分かりませんが、
    「行」という漢字、中国の呉の時代には「ギョウ」と読み、
    漢の時代には「コウ」と読み、
    唐の時代には「アン」と読んだそうで、
    日本には全部の読みが残っていて、
    中国では一つの読みしか残っていないそうです。
    なんて読むのかは・・・・聞き漏らしましたが。

    中国は広すぎて、方言が多すぎて、発音が違い過ぎるから、
    毛沢東が、言葉を北京語に統一したんだそうです。
    これって、青森の方言で日本全国を統一したようなもの・・・って。

    だから、パソコンの入力も北京語発音入力しか受け付けないとか・・・・・。

    中国語って、全部漢字だから、大変だろうなぁ~~~
    【2017/12/16 22:22】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >中国は広すぎて、方言が多すぎて、発音が違い過ぎ
    >中国語って、全部漢字だから、大変だろうなぁ~~~
     日本は方言が通じなくても識字力抜群で全国共通なのに比べ、支那は漢字が多過ぎるし文盲の民衆が多かったとか。~そう云や前稿末のと同じコメント欄の、「2015/12/31 23:51」稿で少し触れてましたっけ(「津軽弁でニーチェ」稿の次)。
     あと2ch…でなく5ch経由で、こんな記事(↓)を見つけました。
    ●「縄文人」は独自進化したアジアの特異集団だった!
    http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20171214-OYT8T50003.html

    (前稿補記)
     リファレンスがないと、読字対象との距離/差異が比較できない。せめて画一的な環境が保たれていれば環境自体がリファレンスとなるのだが、それまでもが崩壊して今は基準が活字に置き換わった。幕末庶民レベルの環境は漢字も仮名も御家流が中心だった。開国後は漢字の唐様が更に支那化、仮名は平安朝へと遡行して共に中心からの距離が開き、やがて御家流は書字のリファレンスでなくなった(失われた)。
     昔の規範/教本で典型的なのは三体千字文で、実用書道の手本類も多数ある。より初歩的なのは教育書道と呼ばれたが、それとて明治戦前から昭和中期までのは恐らく今のと相当イメージが違う筈。当時の教育書道は当然のごとく行草や変体仮名を含み、一通り読み書き出来る様になってから実用書道や芸術書道に進んだ(建前では)。だから「読めない」のは古文書/古典レベルに限られた。その部分が学校教育の書写/書道では壊れている。ただし補完システムは昔からあり、書塾でも独学でも努力次第で不自由はなかった。
     とは云っても、基礎が読めれば応用も読める/解ける訳ではない。また応用だけの読字からは、往々にして書字の基礎(書写体/書体間の横断的フレキシビリティなど)が欠落しがちになる。今の古文書界隈では教育書道を学んでこなかった人も多い筈。彼らはどんなふうにリファレンスを補って居るのやら~古文書字典や書道字典のごとき網羅的体裁ではなく、より体系的な学習システムの領分で。例えば初心者用の或る本では字画の中に骨法を、外には筆脈の流れを補助線で加えて分かりやすくしていた。すると書字プロセスが容易に想像でき、それが読む上でも役立つ。ただし…手習いすると自分の下手さ加減に気が萎えたりもする(眼高手低?)。その点では目習いの方が書字シミュレーションに相応しい。我々は目習いからイデアの様なものを学ぶ。
     しかしそれとて所詮は身近な(?)模範に過ぎない。書家/師匠は教育的な規範を教えるが、基礎と応用の距離/隔たりには歴史的な諸々の幅が関与する。室町時代や江戸時代の様には書けない分、古文書畑から見れば必ずしも研究的とまでは映らないだろう。また教育と研究の相剋に実作/創造圧力が加わると、書家は教育者でも研究者でもない存在~今なら芸術家らしきものへと「画一的に」分類され、観念的に隔離されたりもする。音楽方面ならまだマシな方かも知れないが…「レコ芸」2017.6号の伊東信宏連載「東欧採音譚18」は冒頭こう始まった(↓)。
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    > 理科系が強い大学に勤めていると、江戸時代の絵画の研究なんかして何の役に立つのですか?と真顔で同僚に問われた、というような話をよく聞く。「そんな気楽な研究して我々と同じ給料もらっていいですね」という意味だ。音楽ももちろん他人事ではない。
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     その後「なんだか最近疲れてきた」「あんまり手応えがないからだ」とぼやいては、続けて学生についてこう語る(↓)。どうやら実情は書道と似たり寄ったりらしい。
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    >音楽は、学校でも主要ではない遊びみたいな教科である(あるいは課外活動の領域である)のと同じように、社会にとってもあくまで害のない「気晴らし」に過ぎないのだから、そんなものが時には魂を揺さぶられるような経験をもたらしたり、あるいはそれを利用することで人間を思いもよらぬ方向に駆り立てたりするのだ、ということは彼らには想像し難くなっている。
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     因みに筆者は大阪大学文学研究科教授だそうな(↓)。
    https://www.let.osaka-u.ac.jp/ja/academics/undergraduate/interview/ito_n
     ところで一時期、このレコード批評雑誌には書とのコラボ記事があった。海老原露巌(書家)の少字数作品と記憶するが、場違いゆえか不人気か早々に連載を終えた。~書には基礎との距離を味わう面がある。音楽だって、例えばブラームスやメンデルスゾーンのsym.4でパッサカリアだのサルタレロだの云われても知らなければピンとこないし、リストの交響詩は文学の教養が前提となる。それらに近い(?)面が書にもある。尤も基礎自体は数学の公式みたいに、応用の手前で先ず公式自体への理解を要する。数理と教養は元々音楽に近しく、東洋の四芸(琴棊書画)は音楽・数理・文学・絵画の教養を指す。ただしこれらは鑑賞の領分が主となり、制作の方は極めて高度な応用が多い。また東洋に顕著なのは所謂「文人の余技」で、そこでは鑑賞と制作が判然と分かれている訳ではない。
     この歴史的性格(游藝)が「遊びみたいな教科」との印象を非西洋的に呪縛しているとしたら、日本は支那的にも西洋的にも不完全かつ不充分なまま、輸入文化の交差点で自己歪曲を余儀なくされている形になるのだろう。…それを苹は「2016/06/25 17:51」稿で、「東西双方に開国したから、日本文化が鎖国した」と書いた。輸入文化の洪水に、日本文化が押し流されていく。それぞれのリファレンスが三つ巴で秩序/伝統/歴史を過剰に失い始める。神仏習合ならぬ内外文化習合により、自他の区別が麻痺状態に至る。自己でも非自己でもない「自覚と理解の暴走」が明治以降の日本を坩堝にする。これでは過去の日本文化が外国文化に見えても全く不自然ではあるまい。

    (附録~今夜のBGM)
    ブラームスsym.4(パッサカリア35:41~)
    https://www.youtube.com/watch?v=LY2BJYBw7TM
    メンデルスゾーンsym.4(サルタレロ23:03~)
    https://www.youtube.com/watch?v=_HX_jF1_Tgc
    【2017/12/20 01:35】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (年末近況&大学回想)
     そこはモール内の小さな書店で、いつ見ても西尾本はない。~西尾先生のが載ってないのに『正論』2018.2号を買ってきた。目当ては古田博司「近代以後」。産経サイトの目次に「言葉にとって「美」とは何か」とあった。吉本隆明みたいなタイトルに騙された。「美」を持ち出した点がピンと来ないが、思い起こすと吉本のもそうだった(『言語にとって美とはなにかⅠ・Ⅱ』角川選書)。国語畑には向いて居るのかも。同時購入の河合雅司『未来の年表』(講談社現代新書)は年末年始のトイレで読む。
     ところで。
     苹は書道畑を自称してきた。出来が悪くて二年半も留年した。二年の秋から書き始めた卒論(「書法の概念と人間の分裂」)は四年になってすぐ断念して今に至る(ライフワーク化)。アッサリ別のテーマにしたが結局これも三部構成の大風呂敷になって、本来の卒業予定時には第一部しか書けなかった。中国絵画の話で、中身は一応パソコンに保存してある。そこから書の話に繋げるつもりだったのに、ずぼらな教授が「やけに内容が濃いな」とそのまま通して単位取得。今ならコピペ問題になるかも(ただし参考文献は明記)。残りの留年期間は一般教養の物理で迷惑をかけた。
     グループ展の名票(名前と釈文)を書いた時は、たぶん妙な拘りがあったのだろう。こちとら中学の時分から巻菱湖系に由来する細字は得意だが、そればかりでは面白くないので友人と大学にビールを持ち込んで徹夜。どうするか考えながら長酔自失(醒?)しながら書いた。劉石庵や鍾元常のをイメージしたけれど、無意識の記憶は楊凝式か誰かに寄り道したらしい。どれとも似つかぬ、まるで自分らしくない(?)出来映えとなった。一つ会場での書き直しがあったが、書風は気分に左右される事が多い。ガラリと変わっちまって困った。
     巷間、書塾より縁遠いのは大学の書道だろう。多分イメージが湧かない筈。皆が部活の延長みたいに書いてばかり居る訳ではない。書道史などの講義や演習、国語科と合同の科目もある(各大学のカリキュラム参照)。もし子供の書塾イメージで捉えているなら大間違いで(←おい、そこの教員w!)、中国文学科や国文科に近いと考えて構わない。ただ実技イメージが強過ぎるので、そこだけが取り沙汰されがちではある。実際、各大学の卒論タイトルを見れば「こいつホントに書道?」と思われそうなのがズラリと並ぶ。ただし読んだ事はない。余所より相当レベルは低いかも知れない。
     あれから私は「進歩」できて居たのだろうか。よく分からない。…職場で求められる水準とは別の領域に踏み込んだのを言葉の形で自覚したのは、嘗ての同期生から入院の報があり、いつも不義理の苹にしては珍しく車を飛ばして見舞いに行った時だった。
    >助教授「俺、癌なんだよ。」
    >後衛苹「ガーン!」(いや、ホントにそう言った訳ではない…)
     その場を取り繕おうとして、あたしゃ思わず「読める書を書かせるのではなく、読める人を育てる」と口走った。初めての学校勤務で仮名指導に直面した時から、「先ず読める様にせねばならぬ」との直観は既に授業での行動と結び付いていた。言葉になる方が後だった。いったん助教授(その時もう教授になってたのかな?)は恢復したけれど、やがてゲッソリ痩せてから死んだ。青森では通夜の方が人の集まるメインの場で、葬式はフォーマルな場か内輪の営みとなる。ところが助教授の地域では逆らしい。行ったら驚いた。
    【2017/12/28 07:03】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (例示~苹の卒論後半)
     世紀末のワープロで作成した外字に「文字化け」あります。間違いが結構あるかも知れないけれど、そこは所謂「黒歴史」。今更こればかりは読み返したところで仕方がない。
    --------------------------------------------------------------------------------
    第三章、宋時代
     南唐の董・巨は山水画の大家であり、徐煕・徐崇嗣は花鳥画に秀でていた。いづれも宮廷直属の職業画家であったと目され、特に山水画は大規模な画壁の制作がなされた。唐代における大画面壁画の伝統は、中和元年(八八一)、黄巣の長安侵入によって僖宗が蜀に蒙塵したこと、會昌五年(八四五)の廃仏等によって一時中断したが、これらは蜀の画院制と宮廷画院画家の入蜀により承け継がれ、五代南唐の絵画史とともに宋代に画風の差違を超えた大画面の制作で宇宙の規模を現わす様式として結実した。現存する作品にも巨大な画幅が多く、画巻を含めて山水画の頂点を成した時代といえよう。なお、ここでは山水画史を分割して文人画の勃興を特に抽出し、花鳥画等で画院を担った画家共々、南宋画史全般については割愛する。

    第一節、北宋の山水画
     五代から宋初にかけて展開された南北二つの山水画風は、董・巨に発する江南画派が史書に現れなくなる一方、北シナ画派と称される北方画派を中心に展開していく。宋初の北シナ山水画を代表するのは關同と李成であり、荊浩の画風を継承している。關同の画については「蓋し(關)仝(同)の畫くところは其の毫楮を脱略し、筆いよいよ簡にして氣はいよいよ壮んに、景はいよいよ少なくして意はいよいよ長し。而も深く古淡に造ること詩中の(陶)淵明、琴中の賀若の如く、碌碌たる畫工の能く知るところに非ざるなり〔北宋、『宣和畫譜』巻一〇〕」と云う如く、形象の簡略化された溌墨画を作したと創造できる。ここに示される陶淵明は六朝時代の代表的な文人であり、また關同について「畫工」の浅薄な知の届かない領域として扱っているが、鈴木敬氏はある程度の学問教養の持主と推察される荊浩と違って關同の教養を裏付ける何物もないとしている。仮に關同の教養を疑うとすれば、文人≒教養人である陶淵明を關同の賞賛に引く事例と整合しない。しかしながら、北宋士大夫画は当時まだ普及せず、絵画を教養人の餘技として認知する状況ではなかった。その事情は李成についても同様である。
     李成は中国山水画史上、北シナの最大の画家として大きな地歩を占めている。歐陽修は「近時の名畫は李成、巨然の山水、……成は尚書郎に至る。その山水寒林は往往、人家之れを有す〔『歸田録』巻二〕」、王闢之は「(李)成の畫ける平遠寒林は前人未だ嘗て爲らざるところ、氣韻蕭灑にして煙林は清曠、筆勢は穎脱し墨法は精絶、高妙、神に入る。古今一人、眞に畫家百世の師なり〔『繩水燕譚録』巻七〕」といい、李成の主要モティーフが寒林であることを示す。寒林は李成のみならず北シナ山水画全般に共通したモティーフであり、唐朝山水画の「山水樹石」「松石山水」の延長線上に位置付けられる。やがて荊浩を経て李成に至る頃には、意志的且つ放埒な運筆による溌墨・刷墨を承けて変容の端緒となる。寒林は山水画の中でも一格性の強い画題であり、この後文同、蘇軾等の古木竹石圖へ発展すると考えられている。その意味で荊浩の縦横刷墨は、淡を混えた墨法を伴う描写形式へ移行する萌芽となる。尤も李成の寒林に触れる宋代の文献は少なく、李成を寒林圖の創始者とする考え方は明末清初に下るらしい。
     さらに伝李成画には、後に郭煕の北宋グランド・スタイルで頻用される蟹爪樹と平遠景を見ることができる。伝来の過程で李成画の特点となる平遠寒林は、いわば贋作模本の横行した唐宋の流れに乗じた産物であり、既に米の頃には真の李成画は稀覯となっていたらしい。誇張癖のある米ならではの考証に云う、「山水、李成只だ二本を見るのみ。一は松石、一は山水、……秀なることはなはだしく不凡、松は勁挺して枝葉は鬱然として陰あり。荊楚小木には冗筆なく、龍蛇鬼神の状に作らず。今世貴侯收める所の大圖は猶ほ顔(眞卿)・柳(公權)の藥牌の如く形貌似るのみ。自然なく皆な凡俗なり。林木怒張し、松幹は古痩、節多く、小木は柴の如く、生意なし。……其れ是れ凡工をして衣食の仰ぐ所、是の如くの多きに如かざらしむ。皆な俗手の名を假るもの、余、無李論を作らんと欲す〔『畫史』〕」と。極論とはいえ李成画が後世に与えた影響は、文献上米から発動している。董・巨を同系に論じ、李成等の北方画風と対立させた核論は董其昌に至って頂点に達する。新藤武弘氏によれば、董源の画に米が期待した「一片の江南」的画風は一側面に過ぎず、実際は李思訓風の画も画いているという〔『山水画とは何か』〕。また巨然は、江南画を学ぶほか宋都京で李成の画風に影響を受けており、南北二派の画風を総合して郭煕に伝えている。これらの研究から、宋初における画風の伝承は南北相互のスタイルを保持しつつ総合的発展過程にも安定した成熟を留めているといえよう。なお、以後の南北画派それぞれの特性については伝承の系譜別に論じられることが多い。
     北シナ山水画の系譜は地方様式の総合に向かう。一つは李成の河南・山東様式、一つは范寛による陜西様式である。李成画が平遠式を基調として「近視するも千里の遠の如く〔『聖朝名畫評』〕」消失に向かう表現法を用いているのに対して、范寛画は「遠望するも坐外を離れず〔同前〕」、構図形式と空間の表現には対称的な地理的差違が見られる。また技法面では、李成の墨法が「淡墨は夢の如く〔北宋、米、『畫史』〕」「墨を惜しむこと金の如き〔南宋、費樞、『釣磯立談』〕」遠山表現に傾くのに対して、范寛の墨法は「深暗なること暮夜の晦瞑なるが如く、土石分かたれず〔『畫史』〕」に濃墨の中に微妙な諧調を表現する。いずれも根底の表現指向を同じくしながら手法の多様化は地域性に応じてなされており、これらは共に現実世界と感興の融合が直截に内蔵されている。郭煕はこの二つの様式と江南画風から影響を受けて北宋グランド・スタイルを確立し、文人画の台頭以前の芸術的頂点を形成した。
     なお宋代の絵画史と書の関連を考察する上で、郭煕より約三十歳年長の李成派画家である許道寧について触れて置く。書道史上では革新派の台頭に始まる保革交互の活躍が見られるが、宋代における一事例として蘇軾・黄庭堅の周辺を顧みると、許道寧には非常に興味深い位置付けができる。新藤武弘氏の要約によると、晩年の彼は大変な酒飲みで、奔放な性格であり、神出鬼没の風来坊であったらしい。黄庭堅の父黄庶とは交流があり、幼き黄庭堅は二人の様子、画の制作を見て強く印象づけられた。その詩に云う、「往て醉許(道寧)の長安に在るに逢う、蠻溪の大硯に松烟を磨し、忽ち絹素を呼び硯水を翻し、久しく筆を下さず或は年を経たり。異時、門を踏みて白首を闖し、巾帽は欹斜し猶ほ酒を索めるが如く、杯を擧げ意氣、盆を翻がえさんと欲し、虚樽を倒臥すること八九ならんとす。醉ひては枯筆を拈り墨淋漓、勢、山の崩れるが如くなるも手を停めず。數尺の江山、邁里遥かに、滿堂の風物、冷蕭蕭たり。……我れ此の圖を持すること二十年、眼に見る緑髪、盡く華顛となるを。許生(道寧)縮手して黄泉に入り、衆史は筆を弄びて青天を摩す〔北宋、黄庭堅、「王道濟寺丞に許道寧山水圖を觀るを答ふ」〕」と。本草学者であり奔放な個人主義者、稀にみる天分を持つ視覚芸術家でもあった許道寧が後の大文学者、書家、そして禅林にも通ずる黄庭堅に与えた影響は測り知れないものがあっただろう。李成以上に職人的且つ奔放な画家がここで伝えたものは、中唐の気風と酷似した逸格のみずみずしさ、力強さであり、墨を溌ぐという偶然性への期待がなかったとは考えられない。ここから顔眞卿以来の書の革新と溌墨画における主観的精神は、“気”を重視する芸術観の覚醒を意味する最上の「書画一致」理念として黄庭堅に予め提示されていたと思われる。また同様の経緯が蘇軾等にもあったと目され、文人画が直截的に発動する底流として育ちつつあったのではないかと思う。
     許道寧の作品と伝わるものは少ない。鈴木敬氏は〈晴巒蕭寺圖〉〈秋山蕭寺圖〉等について、郭煕以後の空間表現が目立ち、郭煕画の蟹爪樹と異なる筆描や複雑な画面構成、画中人物の動きがあることから許道寧派の画家が後に模写した作品ではないかと疑問視している。ただし晩年の山水画風については、郭煕の様式からの影響が考えられなければならないという。なお、北宋の李成派画家は必ずしも多くないが、十一世紀中頃のグランド・スタイル成立後は李成風の平遠山水は郭煕画の様式に収斂され、後に李・郭派と併称されるようになる。
     郭煕は神宗即位後に宮廷画院を代表する程の実力を示し始める。グランド・スタイルを確立した上、子の郭思の編纂による『林泉高致集』で山水画論の画期的発展を示している。記述や論旨は具体的作品に基づき、特に「山水訓」では形象把握の相異を“三遠法”と称して解明した。以後の画面構成は大抵この方法を用いる様になり、画面を上中下の三段階に分割してそれぞれを高遠法、平遠法、深遠法で画くことで散点透視による無限の奥行きの表現が確立された。李成の平遠山水以降、溌墨画法の遠近感を伴って発達した手法は郭煕を頂点とする条幅・壁画の様式でより整理されたが、神宗崩じて以後李・郭派の画は急速に支持を失う。沈括は李成の画について、「大都、山水の法は蓋し大を以て小を觀ること人の假山を觀る如きのみ。若し眞山の法に同じく下より以て上を望めば只合せて一重山を見るのみ。豈に重重悉く見るべけんや。兼ねて其の谿谷の間の事を見るべからざるなり〔『夢溪筆談』巻一七所収、「書畫」〕」と評している。その主旨は李成画の咫尺千里の構成を全く非自然主義的視点形式によるものとしているが、これは李成のみに留まらず、李・郭派全体に共通する「以大觀小」の画法の確立自体を否定する論拠であり、虚構による非虚構の完成という意味でのリアリズムを根底から覆す傾向にある。この立場は米によって一層の徹底がなされており、その一環に董・巨の復活があると見てよかろう。無論、近代的・西洋的視座から云うリアリズムは固より望むべくもなく、寧ろ山水横巻に顕著な視点移動を含む“溌墨”の写生否定から見直すべき事柄と考える。さればこそ、これら伝統的中国絵画の特点は南宋画家や元の四大家によって回復されたのではなかろうか。
     郭煕は晩年、蘇軾と交流があり、多分に影響を与えたと目される。古人の言葉を引用して「詩は是れ無形の畫、畫は是れ無形の詩〔『林泉高致』〕」とし、また「世人將に率意觸情に就かんとし、草草便ち得〔同前〕」と批判し、文人画風の制作意識と異なるリアリズムへの志向を「眞に此の中に在るが如く〔同前〕」あらんと表している。この事から、蘇・米に代表される文人画の盛行は古法より感興の表象を宗とする一時的な断絶とも受け取れるであろう。とはいえ書画一致の論理を実現する精神的リアリズムの起点となっただろうことは十分に想像される。尤も、郭煕の画は神宗没後の評価激変により、徽宗の代には彼の筆になる宮殿の壁画が総て剥がされてしまった。なお郭煕以外の画院画家は燕文貴、郭忠恕、宋迪、王、趙令穰等が挙げられるが、ここでは詳説しないで置く。

    第二節、文人画の成立
     文人画の成立は、北宋末の墨竹画中興から始まるとされる。端緒は文同の墨竹から始まり、その影響は蘇軾、華光仲仁の墨竹、枯木竹石圖に及んだ。その精神を黄庭堅は過たず述べ、「(蘇)東坡居士、管城子・楮先生の間に遊戲し、枯槎壽木・叢篠斷山を作る。筆力、風煙無人の境に跌宕たり。蓋し道人の易くする所にして畫工の難しとするところ、印泥に印するが如し。霜枝風葉、先づ次に成る者か。六反震動するは草書三昧の裔苗なる者か〔『豫章黄先生文集』巻一〕」と書画一致の境涯を仄めかしている。ここで初めて使われた文人画の解釈は「墨戲」の精神であり、従来の水墨画とは異なる自由な絵画制作を志向した。やがて米の独創的画法に及んでは、山水画法にも「墨戲」的要素が確立されてくる。
     これまで概説してきた北宋絵画史は、言い換えれば画院作家による歴史といえよう。この項で扱う立場は、六朝以来の士大夫画の精神を画院画と対峙する関係で復興しつつある新たな士大夫画の態様であり、その主流は元代の歳寒三友-松竹梅へ繋がる枯木竹石圖として顕れた。しかしながら、北宋における墨戲は黄庭堅等の鑑賞者側からの認識を主軸に発達した観があり、『宣和畫譜』の段階では文同、閻士安の画に限り墨戲と規定する。その他墨竹画家については五代の李頗以下、北宋の九人を掲げているが、墨竹を画いただけで士大夫画の精髄を解するとは認めていない。寧ろ墨戲の精神は、樓鑰の「老融に墨戲を催す〔『攻集』所収〕」と題する詩に云う如く、「惜墨如惜命」の墨法で、「人、似ることを求むるに非ざるも韻自ら足り、物已に形を忘れ影なお映るが如き」態度で制作することにあり、且つ閻士安は文同以前の画家であることから、文人画の成立に影響する鑑賞者の思想が詩文と画の同化を揚棄させていることがわかる。墨戲の規定には樓鑰詩に見られる芸術的価値を伴った形式の他、米の「其の墨戲を作すに筆を用うるを専らにせず。或は紙筋を以て、あるいは蔗滓を以て、あるいは蓮房を以て皆な畫を爲るべし〔『洞天清祿集』古畫辯〕」といった解釈、湯の牧溪画に対する評の「近世、牧溪僧法常は墨戲を作せども悪にして古法無し〔『古今畫鑑』〕」という芸術的問題を度外視した解釈があり、必ずしも意義自体は一定していない。いずれにしろ「戯び」の意識を持ち、筆墨を縦横粗放に運用する逸格の芸術と考えてよかろう。
     宋代の士大夫は科挙の制度的実質的な完成から、唐朝五代の儒教より文学を重視した傾向を脱却して広汎な儒学古典を身に着けた。そのためか文人画の精神的基盤には六朝的な風潮と異なる支配者層の逞しい理念の現れたものが多く見られる。また科挙の受験者は自ら経済的余裕のある地主、富商層に限られたところから、その芸術観にも門戸特有の気質の相違が多少なりとも影響しただろう。一般的に、宋代士大夫の墨竹画には戸田禎佑氏のいう「節操・高潔」即ち倫理的イメージが強いが、この点では文同画派や米等を含む文人達に元祐黨と関わる者が多いことから江南の経済的発展を背景とした新法加担者達-蘇軾を領袖とする蜀黨との関係で解釈されている。
     蘇軾の芸術は前項で述べた通り、弱年に郭煕から影響を受けたと目される。『林泉高致』の著録は子の郭思に委ねられたものであるが、蘇軾が王維の〈藍田煙雨圖〉に題して「(王)摩詰の詩を味うに詩中に畫あり。摩詰の畫を觀るに畫中に詩あり」とした論拠は依然師授伝承の形態を継いでいるらしい。半端伝説化されたきらいのある王維の芸術について、ここでは詩文と絵画の共鳴を指摘したと考えられる。また、いわゆる詩書画三絶の発現を恣ままにした文同の芸術の理解者を自認し詩に叙して云う、「亡友文與可(同)四絶あり。詩一、楚詞二、草書三、畫四なり。與可嘗て云へり、「世に我を知る者無し、惟だ子瞻(軾)のみ一見して吾が妙處を識る」と〔蘇軾、「文與可の墨竹に書す」敍〕。」蘇軾自身も文同の芸術観を止揚して、黄庭堅と並んで題画文学の発展に寄与し、宋の三大家と称される書人であり、文人画の基礎を築く論客、画人であった。その詩画一致の見解は「書陵王主簿折枝」詩に端的に示されている。「畫を論ずるに形似を以てするは、見るところ兒童と鄰る。詩を賦すに必ず此の詩あれば、定ずしも詩を知る人に非ず。詩畫は本と一律にして、天工與に清新なり。」根本には文学的独創から発した先述の『典論』的要素が窺われ、詩画の創作と古典の引用の相関について写意を重んじる一見識を示したものといえよう。
     北宋末になると、書畫學博士・米による董・巨の復権が行われた。それまで江南画の拾遺は顧みられず、已に董源観も定かではなかった。『宣和畫譜』の董源観では著色の山水だけに片寄り、「さながら李思訓の風格があるようだ」と見做していることからも後世における董・巨観が歪められていることがわかる。一方、北方画風が主流の時代に江南画を“天眞”の価値観で評価した上、北シナ山水画の奇矯な形態を天真に乖くものとして否定するのは聊か困難を伴ったであろう。鈴木敬氏は米が傑出した同時代の江南画人を求めえない悲哀を味わったと想像し、その救いとなる唯一の江南画法の消化者として江參を評価している。〔『中國繪畫史』中之一〕。
     米の山水画の特色は、いわゆる米点山水の技法であり、私は後世の水墨山水画法に重大な影響を残す一種の点描的没骨法であると解釈する。伝承された作品の中で米の真蹟と断定できるものはなく、徽宗に寵遇された身でありながら『宣和畫譜』にも収載されていないのは、伝説上の米と画人としての実像が大きく離れていることの証左であろう。鈴木敬氏は董其昌の米観について、高房山を通してその先にある小米(米友仁)を見、その見解の究極に大米(米)を見ようとしているにすぎないと考え、また御府に入れるべき作品がなかったか、或いは自信のある書に比べて画は秘したものと考察している〔同前〕。南宋ですら趙希鵠は「今ま見る所の米畫にして或は絹を用いし者は皆な後人の僞作、米父子は此の如くならざるなり〔『洞天清祿集』〕」としていることからも、墨戯の「戯び」たる所以を発表如何に窺うことができよう。米法による山水画=米家山が主として米友仁の画を中心に論じられることが多いのは、偏に小米画法が専門画家としての性格を色濃く残し、大米の墨戯的要素を超える明確な意識を現している為である。現存する二米の伝承作品によると、大米のものは凡そ無款であるのに比して小米は戲作・戲筆・戲墨・墨戲と款している点からも、米画法は米点としての意図的定着を自身に顧みた証拠はないと思われる。
     墨戯の根本技法は黄庭堅の云う「草書三昧」や渇筆に技巧を凝らした飛白書法の影響を強く受けている。趙希鵠は米の画も墨戯の系譜に置かれるべきであると考え、その先例を呉道玄にあるとした。実際、蘇軾は「……故に詩は杜子美(甫)に至り、文は韓退之(愈)に至り、書は顔魯公(眞卿)に至り、畫は呉道子に至って古今の變、天下の能事畢る〔『東坡題跋』〕」、米は「行筆磊落、揮霍蓴菜の條の如し。圓潤折算、方圓凹凸、装色新なるが如し。子瞻(蘇軾)のものと一つに同じ〔『畫史』〕」と評して呉道玄以来の「山水の變」を受け継ぐ形となる。また米は殆ど絹を用いず専ら紙に画いたと目され、北宋末の用材の変化に対応した画法の発達に寄与したと思われる。紙を多用することで李成や許道寧の溌墨とは質的に異なる用法を開発せざるを得なかっただろう中、「平淡天眞」を論じ自然を重んじた芸術的手法を工夫するための原動力となったものは江南畫風に対する独特の絵画観であった。因みに『畫史』中の江南画観を鈴木敬氏の要約に借りて示すと凡そ次の様になる。
     (1)江南画とは江南で制作された絵画作品のことで、単に山水画にとどまらず花鳥画・道釈画を含むが、これらは共通する様式または描写形式上の特色を示す。
     (2)山水画においては林木奇古で、筆は粗にして清趣があり、それらは董源を師とした結果でてきたものである。
     (3)江南山水画の祖は董源であり、平淡天眞、峯巒出没、雲霧顕晦、技巧的ではなく、自然であり、枝幹勁挺、渓橋漁浦、洲渚掩映、江南の自然そのもの。
     (4)小木は一筆もて纏起、枝葉を作るに草書の法の如く(奔放)、不俗である。また江南では屡々飛白の筆法を用いて樹石を作る。
     (5)しかし江南画の筆描形式には書法的骨格がない。〔『中國繪畫史』中之一〕
     書法の大家でありながら、(5)は逆説的な見方によるところ没骨法への方向性を示唆し、反面(4)では筆描の可能性に着目していたことを示す。また『畫史』は凡そ賞鑑家の立場から「寓意」=雲烟過眼的に批評した芸術論集であって、技法批評としての性格は極めて薄いと思われる。さらに米の画法は米友仁に至って本来青緑になる山水画にも適用され、或いは画布をも用いた形跡が伝わる事情を考量すると、米家山の草創期における姿は専門画家の精神的拡張が墨戯を通してなされた江南画法の投影であるといえよう。
     なお、米と書画の関係に二つの仮説を留めて置く。一つは「臣の書は字を刷す〔『海岳名言』〕」との謂いに伴う拾遺、一つは米点の前象である。前者は「刷」字の解釈について、『説文』では「刷、也、从刀省聲、禮有刷巾」とあり、『大漢和辭典』では「かきとる、けづる」の意。或いは「はらふ」「ととのへる」「きはめる」等が適当であろう。私は中でも米が書線と画線の両面に(学問的な意味で)通じていたものと考え、「けづる=刮」、「はらふ=(掃)」に注目する。従来は書における錐画沙や印印泥を塗線に比べて刻意を含むとして「勒」字に関連付けたが、「刮」字は杷に通じることから鋒を開いて勒す状態に近い。しかしながら前述の呉道玄に始まる「山水の變」で顕著な線質追求の傾向は、寧ろ荊浩に至って「縦横に掃く」様になる。尤も『畫史』には「荊浩の畫は……未だ卓然として人を驚かす者を見ず。(范)寛は固より藍よりも青し」とあり決して至高のものとは認めていないが、画法解釈の余地と字義の正統性から見て「刷==杷」と「刷=」の二系統を同列に考えるのが適切と思う。
     また米点の前象については、披麻皴を用いた董・巨の画法に加えて北方画風との親和性が強く感じられる。伝来する范寛画-〈溪山行旅圖〉等には芝麻皴、雨点皴と目される画法があり、藤原楞山氏は芝麻皴の成立を范寛の周辺に看取している〔『水墨画法』第七巻〕。雨点皴は「岩塊と岩塊の間は白く墨をぬいて〔『中國繪畫史』上〕」、漆黒に近い濃墨描を示していることから米点の如き淡墨を交えた積墨の前象と考えられる。積墨自体は逸品画風の影響が察せられ、例えば『筆法記』の「張員外(官名)の樹石は氣も韻も倶に盛んにして、筆墨微を積み、眞思卓然として五彩を貴ばず。曠古絶今、未だ之れ有らざるなり」という記述は米以前に張の積墨法による画が高く評価された事例を示す。ましてや張は筆ではなく手模によって画いた点から、米画法との因縁めいた共通性が窺える。ここから米点と皴法の関係は、歴史上の影響を鑑るところ古法としての披麻皴と没骨技法の起点が同居する画法史的転回点=中国画におけるマニエリスムの出発を意味すると解釈できる。以上の見地から推すに、米点は墨(輕重・向背・雲影・明晦の表現)を江南的性格と逸格の気風から得、筆(輪廓と区別された皴法)を
          (江南的) 披麻皴  芝麻皴  米点

          (北方的)      雨点皴
    の図式に沿って簡略化し、江南画風に顕著な皴法のみならず北方的要素を含めた画法全体の意識的変容に至ったと考えられる。ひいてはそれが文人精神の復活を支える遠因になったのではないだろうか。
     蓄積された技法と多様化された画法の認識によって伝統技法と新法はより独創的な発展を期し、やがてそれらは対峙する芸術的爛熟に到る。中国絵画史では、『芥子園畫傳』の総括を採れば「山水は大小李(思訓・昭道)が一變した。荊(浩)・關(同)・董(源)・巨(然)が又た一變した。李成・范寛が一變した。劉(松年)・李(唐)・馬(遠)・夏(珪)が又た一變した。黄公望・王蒙が又た一變した〔初集巻一、畫學淺説〕」となり、それぞれ変節として瞠目すべき位置にあることを示す。以降の記述は趙子昂・沈石田・二米・王蒙が拠所とした画法や伝承系列を示している。この点からも、王洽に始まる溌墨法、王維に始まる淡(破墨)法が時代に応じて“山水の変”を表出する様が偲ばれる。曰く、「然らば變ずる者は膽力が有り、變ぜざる者も亦た見識が有るのである〔同前〕」と。ここから書道史における保守派と革新派の大別が絵画史にも適用し得ると想像できよう。私が論じたい主眼は、その中核に南北の別を超えた二次的分類-写実と写意は米の影響に始まるらしいところにある。
     なお念のため留意すべき点は、二米の筆と確実視される作品が現存せず、且つ董其昌の画いた米点山水等が二米の伝称作品とは画巻全体の構成技法上異なることから、米点技法と米家山本体の構造を混同すると歴史化される諸事象が個人の芸術に集約されて別個の事態を形成することである。例えば『芥子園畫傳』には米家山を「全く墨點で暈して形を成し、輪廓を描かないもの〔初集巻三、石法〕」と記してあり、「米氏父子の石法」とする解説に「此れは米點で、少し其れに芝麻皴をまじへてゐる。米元暉(友仁)父子は高山茂林の中に、時たま之を置くことが有る。重ね重ねて點を打ち、ぼやけ潤ふた趣を主としてゐるので、石法の稜角は露はではないが、然し其の輪廓の描き始めの處を視ると、實は披麻皴である〔同前〕」とするのと比べると誤解を招く要点は歴然である。これを更に歴史化した技法の分類がいわゆる大米点・小米点であり、孫過庭の『書譜』に云う「古質今妍」は技法・学問の両面に通じた解釈ができる。従って、米法の評価はこれまでの“南画”じみた日本的解釈や北方画風主体の批判的絵画史研究より一歩踏み込んだ位置に在って然るべきであろう。
     しかしながら江兆申氏が「南宋は畢竟、李唐ら院体派の天下であって、文人画は馬和之に到ってその発展は止まった感がある」と述べている通り〔『出版ダイジェスト』1017号、「法書名画の選定にあたって」〕、蘇・米に代表される北宋末から南宋初にかけての文人画は一時期停滞する。以後、新たな態様による文人画が中国絵画史の主流として復活するとき、董・巨画風の匂いを湛えて山水画の歴史は流れていく。この息吹がより明瞭な形で書法と関連していくのは元代の趙孟以降であり、或いはまた別の歴史を俯瞰することになろう。 (終)
    --------------------------------------------------------------------------------
    【2017/12/28 07:39】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    私には理解不能ですが、
    なんだかすごい内容のように思います。

    ・・・・・・本にすれば?
    【2017/12/31 00:26】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    (年末稿、拾遺)
     卒論での引用文献出版年から世代がバレる事に気付いてない訳ではないが…要するに、そう長くは書けなかったと。一年足らずでは間に合わなかった。頭の程度も低く、目新しい事は概ね書いていない(一部を除く)。コピペ同然どころか誤読の可能性すらある(その「一部」の事)。熟成不足なのに納豆みたいな羅列がネバネバ続き、更に書き足せば腐ってしまうから「もうやめとけ」と、もしかしたら教授は匙を投げたのかも知れない。そう解釈する事にして居る。土台まともに卒論指導を受けた記憶がないし、作法も分からない。普通「氏」は使わないらしい。それだけで論文に値しない事を意味できるとしたら、幼稚な二十歳そこそこの学生(苹)が気付かぬ/傷付かぬ程度に、それとなく「正しく評価する」手があったのかも知れない。
     正直なところ大学の役目は不可解で、専門家を育てる場所としてより、大卒者への求人/採用試験を支える機能が主であってもおかしくない。それでも専門家になりたければ…しかし書道の場合、大学院(修士レベル)どころか大学(学士レベル)でも教育システム自体が消滅しつつある。取り敢えず後者のを具体的に例示してみたけれど、この程度では済まないレベルの大卒が巷間ウジャウジャ居る。まともな指導を管理職や同僚から禁止された(評価されない)まま、講師待遇のが全国各地の学校で燻っているらしい。一同ひっそり押し黙っているのはネットを活用できる世代でないか(高齢)、もしくは活用する暇がないほど忙しいからだろう(現役)。
     謹賀新年。(と、お辞儀をする。)
    http://viva-wmaga.eek.jp/wp-content/uploads/2017/02/shoebill-greeting-with-keeper01.jpg
    https://www.youtube.com/watch?v=_4qiM8fn-qw
    【2018/01/01 17:25】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    あけましておめでとうございます。

    誰も、苹@泥酔さんが嘆く状況に対して、
    責任をとらず、改善も見込めず、
    どうなるんでしょう。このまま・・・・・日本は・・・・・
    【2018/01/03 20:55】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    (続・大学時代の思い出)
     あの留年時代、苹は迷って居た。出来れば青森に帰りたい。でも専門を活かす就職口がない事は分かりきっている。なぜなら採用試験自体「ない」のだから。県教委/教育庁と現場/各校がグルになり、昔からそうと定めている=伝統となっている。多分あらかたGHQの指示だったのだろう。それが今も続いて居る。だから大震災直後のNHK朝ドラ「あまちゃん」第145回に「駅長!大変です!GHQが来てます!」との台詞があったのには途轍もないリアリティを感じたし、ともすれば自身にフラッシュバックかPTSDを疑いそうになった事も。教育界の現実そのまんま。
     …それにしても、学生時代は懐かしい。卒論予定のを断念する前、苹は二玄社の故宮複製(第一期)に魅了され、寝床の壁に取っ換え引っ換え掛けていた(絵画中心)。当時そうした贅沢な生活が可能だった。だから卒論テーマの変更も容易かつ自然で、例えば范寛と郭煕の比較を前提すると元末四大家のが些か貧相に見えたりもした。そんな鑑賞経験が日常生活にあったから、俄仕込みでも卒論が書けた。~その後の教職時代は当時購入したのを活用し、授業や文化祭で生徒に披瀝したり。学校の予算では無理で、私物を持ち込むのが合理的かつ公益的と判断した。
    (↓念のため二玄社サイトを確認したら驚いた。第二期の刊行中だった1987年の目録では15万円の范寛や12万円の郭煕が、今どちらも38万円する…。安い時期に買っといてよかった。当時は書が2万円台、絵画は3万円台からあった。)
    https://www.nigensha.co.jp/kokyu/top.html?lang=jp
     しかし数十年後の新年、あらためて読み返すと卒論は荒い。例えば最後の方に出てくる「変節」。当時の苹には変節漢~「節を変える」といった政治的(?)感性がなく、てっきり「時節の変化」転じて「変わる節目」の意味かと思って居た。言葉を急ぐと碌な事にならない。推敲するには「気付く/気になる」感覚が必要で、それを「気にする」所まで持って行かないと。これがなかなかウマク出来ない。ネット時代は俊敏な対応能力が不可欠らしいのに、そこまで拙の頭/言葉が追い着かないのは…困ったもんだ…(汗)。

    (備忘録)
    ●【正論 新春対談】渡辺利夫氏 明治人を育んだ幕藩体制「明治150年、覚醒始まる」 新保祐司氏 強い民族に歴史回想の力「海道東征」はモーセ
    http://www.sankei.com/column/news/180103/clm1801030005-n1.html
    【2018/01/06 15:24】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


     中国絵画の魅力…良し悪しは正直よく分からないが、出逢いは昭和五十年代後半の『出版ダイジェスト』二玄社特集号だった。盛んに故宮複製の記事を載せていたし、広告にあった鈴木敬編『中國繪畫總合圖録』(東京大学出版会)が欲しくなったのもその頃だった。あれこれ買い込み色々な皺法(山襞の表現技法)を知るにつれ、俄然これが面白くなってきた。どうやら苹には感覚的吟味より分析的知識の方が親しみやすいらしく、感覚的には肌が合わなくても分析的には「鈍感になれる」。…そう云えば昔、似た事があった。
     東京は昭島市出身のU先輩が大学の夏休み中、新入生の苹を実家の東京学芸大ドイツ語教授宅に泊めてくれた(民泊?)。神田の古本屋に初めて行った。飯島書店で巻菱湖のや国定手本類などを買い込んだ際、ふと水野栗原『現代千字文』(日貿出版社)に目が留まった。先輩は「こんなのが書きたいの?」と疑問に思った様だが、こちとら字/書きぶりの良し悪しはどうでもよい(ほら、鈍感だろw)。後ろの本文より前半に興味を持った。標準字体に関する考察、日中常用漢字の対比など色々と書いてある。また中二病の千字文丸暗記時代から世話千字文などの国産物が他にある事は知っていたから、珍本として取り敢えず買って置こうと。そんな事があった。
     …苹はつらつら振り返る。抑も何故、私は感覚的吟味を気にするのか。向き不向きは誰にでもあって、それらを丸抱えに出来たのが広義の書道/書学や国語であった筈。ところが狭義の書道となると、所謂お習字も含めて「筆で字を書く事」へと印象が一本化されていく。まるで音楽が「演奏する事」であるかの様に。そこからは作曲も譜面/文献考証(クリティーク)もスッポリ抜け落ちる。それらは音楽学(?)であって音楽ではないかの様に。転じて書道は「書道学」でなく感覚的吟味の世界であると。しかしそれだけでは足りないのが「ナントカ学の世界」で、そこを「ナントカ」の領分が雑駁に包含しながら発展してきた。この歴史は文献上、西洋音楽より書の方が長い。
     かと云って歴史の短い「クラシック」を誹謗するつもりはないし、それどころか尊崇して居たりさえする。いつもの様に夢の中で考え事をすると、記憶三百年分の一つが脳内ガンガン鳴り響いて飛び起きたりする。夜でも昼でも寝ていても、夢見ていても苹には同じ。聴いてさえいれば苹は幸せなのだ(←こんな感じ?↓)。謂わば「憧れ」の世界である。
    https://www.youtube.com/watch?v=PKnOIihaUQM
     音楽は毒だ。薬にもなるけれど、興奮すると鼻血が出たりする。昔テンシュテット指揮の全集盤、マーラーsym.6第四楽章でそうなった(こっちは1991年盤↓…耳を劈く大音量再生推奨)。いかがわしい事に、テンポの遅い箇所では却って時間が凝縮されてくる。その感覚を書に突き詰めると如実に分かる。たぶん静かな興奮(?)は思考の誠実に通底するのだろう。その根底に言葉が宿る。音楽も言葉と似たり寄ったりの表現だからこそ、感覚的吟味はどことなく危なっかしく感じられたりもする。
    https://www.youtube.com/watch?v=DrhsSYhuoUQ
    【2018/01/12 02:29】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    私は初めて聞く音楽でした。

    音楽と書・・・・・・極めるタイプですねぇ~

    【2018/01/12 21:33】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >私は初めて聞く音楽
     シューベルトのは以前、鳩山由紀夫ネタで出したヒュッシュの再掲でした。…鳩は飛ぶ鳥。ハシビロコウは動かない鳥。鳥仲間の仁義ではないけれど、自分を鳥に喩えてからは少しずつ「無駄に」気になってきて…(苦笑)。なるべく飛ぶ鳥を落とす勢い(?)で書かないと失礼にあたるのではと気に病んで居りました。そこで取り敢えずマーラーの出番。鼻血を出した手前、緊張感みなぎる「スローテンポの勢い」をとでも。因みにバルビローリやシノーポリの他、バーンスタイン新盤も所によっては遅い方。
     前稿を読み返してふと気が付いた。共感の有無を問わず(マルクス主義とか)、分析的知識の操作「だけ」なら大概どうにかなるものなのだろうと。しかし感覚的吟味となるとそうはいかない。心に響く共感と愛が要る。或いは「共に悩みて悟りゆく、純粋無垢の愚か者」(パルジファル)かしら。支那的表現なら「聖賢」への道かしら。後者は江戸時代の学問にも通ずる道徳的要諦だった模様。事実の考証から見えて来る筈の「現実」としての到達点ではなく、そこに別の角度から向かう行動/過程としての「理想」のまま踏み留まってくる。だから聖賢は立派な人で構わない。けれど隣国では「理想のゴールポストが動く」らしい。あちら半島流通版の千字文に「女慕貞烈」の句がある様に、それを今は慰安婦像の前で宗教的に繰り返してる…とか?

    (余談~ふと気になった方言ネタ)
     「2016/01/15 05:38」稿で、こう書いた。
    --------------------------------------------------------------------------------
    > 標準語後遺症~てな切り口なら、方言不具の弁解にはなるだろう。実際、そうした教育しか受けてこなかった。コミュニケーションに障碍のある人を方言の流暢さで弁別できそうな気がせぬでもないが、そんな手口は勿論「都会にゃ通じない」んだろうなあ(西尾先生の疎開当時は、どうだったのかしら?)。…それと同じ事が、古語や書字言語の「時代錯誤性」一般にも云える筈。言葉の規範がコミュニケーション自体を排泄すると世代間の断絶が「自然に」促進され、それがやがて文化間の断絶へとすり替えられ、世代との関わりは間接的/婉曲的なまま歴史感覚の鈍磨に揉まれつつ消滅/変質/再生に向かう(文化はコミュニケーションを双方向に捕食する?)。
    --------------------------------------------------------------------------------
     あれから丸二年が経過した後、偶々こんなブログ記事を見つけた。
    ●自閉症はなぜ方言ではなく共通語を話すのかーHSPの脳機能との違いを考察する
    https://susumu-akashi.com/2017/08/dialect-2/
    【2018/01/19 19:01】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    方言はその集団にいるなかで、
    真似ながら会得するものなんですね。

    国民の歴史の中に、方言は原縄文語からの
    発達段階で、
    それぞれ分かれて行った・・・・とかなんとか書いてありました。

    方言と標準語、面白いですよね。
    【2018/01/19 22:55】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    (前稿補記~或る妄想)
     「日本は神の国」~そんな面妖な思いが、このところ唐突に浮かんで困った。誰にとっての神なのか。もしや「隣国にとって」ではないのかと。だから彼らは今なお神に追い縋り、永遠の救済(?)を執拗に求めてくる。甘えている、と見るのは間違いかも知れない。嘗て自分達の「国」を救済/共同管理してくれた「戦前の神国」に対し、愛憎を綯い交ぜにしながら事ある毎に蒸し返す。云うなれば「わが神、わが神、なんぞ我を見捨て給ひし」の類か(動画6:30参照↓)。…あちらでは戦後、韓国式のキリスト教が普及した模様。「あちらのイエスが、こちらの神を呼ぶ。」
    https://www.youtube.com/watch?v=aHSEfcqjFv4
     この発想で行けば、産経などの諸紙で流布されてきた対外的観念も別の角度から再考できるのでは。読む度どこか引っ掛かってきた。まるで隣国が悪辣または原始的な未開国家であるかの様な印象ばかり独り歩きする。これでは「反日なのに日本旅行を楽しむ」メンタリティが説明しにくかろう。しかし無意識の巡礼めいた「過去への憧憬」と捉えるなら、秘められた歴史/幻想を取り戻す上でのカタルシス含み(?)と受け取れなくもない。これなら愛憎どちらに傾こうと「日本に比べて韓国は」式で一向に構わないだろうし、多分それよりは歴史上、半島を取り巻く四方八方の距離と事情が優先する。
     …奇矯な見方と映るだろうか。こんな事は考えもしなかった。それだけ隣国のイメージは遠く無関心に近い。にもかかわらず神は生成途上のイエスを「愛してしまった」から、敗戦から時が遠離るほど/或いは逆に時を遡るほど、彼ら自身のために新たな「神の死」が必要となってきた。そこでイエスは世界中に神を説き、従軍慰安婦などの福音(?)を見境なく告げ回る。とは云え「まだ死んでいない」かの様に訴えてはみても、世界は別の神を信じているから~イエス側としては「神隠し」する他に手がない。そんな事情が歴史認識問題に絡むのではなかろうか。
    【2018/01/23 21:27】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (前稿蛇足)
     …宗教と云えば、オウム真理教のが一冊だけ買ってある。その頃は例の事件の前だったし、勧誘に来た事は幸い一度もなかった。来るのは真光や統一教会(?)ばかりだった。その他、聖書はないけれどモルモン教のならある。勧誘の人が勝手に置いてった。昔はテレビの大橋巨泉番組、近年は著書で人気の米人弁護士が信者だそうだが、まだ読む気にはなれない。勿体ないから捨てる気にもなれない。なんてこった。
     「幸福の科学」という変な名前の団体に興味を覚えたのは、「何故そこで科学が出てくる?」との疑問からでもあった。…行きつけの名曲酒場はマスターが信者。付き合いと興味半分で角川文庫のを何冊か読んでみた。色々と勉強になった。あれがなかったら西尾先生が宗教右翼(四人組)を云々した時「谷口雅春?…霊言集で見た事ある!」とはならなかったし、多分それどころか「なに言ってんだ、このジジイ?」と怪訝に思った筈。宗教への無教養は無関心の暴走を招く。その点で宗教と軍事は似て居る(たぶん経済も?)。
     そこは名曲喫茶なのに、苹達(二人組)が行くと名曲酒場になった。飲むのは勿論ビールだけ。他の酒は置いてないから基本的に喫茶と変わらず、とにかく楽しく「黙って飲む」。…無銭飲食が何回かあった。支払う代わりにLPレコードを持って行った。すると店のマーラーやワーグナーが充実した…例えばショルティ指揮のリング全曲とか(あんなのリクエストする客は居たのかなあ)。
    https://www.youtube.com/watch?v=SViLdNJKhE0

    (分析的知識に対する感覚的吟味の優位)
     世紀末の大学書道を四半世紀くらいの幅で見ると芸術への拘り/偏りが余りにも強烈で、古文書学的視点は皆無に近かった気がする。また変則的な切り口(苹の場合は水墨画)から書にアプローチする向きも、田舎の大学ではさほど見かけなかった。卒展や科展などの実作ではどうしても感覚的吟味に傾きがちで、いくら卒論があるからと云っても比重の話はやはり別となる。つまり習い性としては感覚的吟味の領域を分析的知識に言い換える形で、「芸術」の枠組から離れられないまま他の学術的/学際的分野から自己を閉ざす。
     あたしゃ学内では、ワープロ専用機で卒論を書いた最初の世代らしい。その前は和文タイプライターに憧れていた。昔は就職活動の履歴書も半紙を横に毛筆で書いた。手書き提出の時代ゆえ、原稿用紙のペン字/筆字にも当然それ相応のクオリティが要求されてくる。字が下手との理由で却下された例は流石に聞いた事はない。~それは扨て置き、当時ワープロで書き始めた途端に頭を抱え込んだ。必要な漢字が出てこない。そこで百に及ぶ外字を作った。ドット打ち打ち、あれでタイポグラフィへの視座が拓かれた。外字データを初のパソコン(win3.1機)に移し替えた/作り直した時も勉強になった。自分で作ると何かが違う。これも別の意味で感覚的ではある。
     昔ながらの画題に四君子(蘭竹菊梅)てぇのがある。こちとら植物には全く興味がないので、自ずと分析的知識の領分に傾く。それも画法限定で植物自体の知識は皆無。現物を知らぬまま書いたって碌な物にならないし、山水画でも徹底して観念的な「リアリティ無視」状態なのに、そこが却って夢幻的世界を擽っていくのは不思議な気分であった(誰か江戸時代に、黄山そのものを見た人いるかい?)。…どうやら感覚的領分にも色々あるらしい。そんな多様性が夢そのものを充実/暴走させる。道教の本を読んだ際は神仙理解の限界に「知の危険」すら感じた。この感覚は、今も昔も心に留め続けて置きたい。

    (備忘録)
    ●【明治の50冊】(4)文部省音楽取調掛編 小学唱歌集 理想に終わった和洋折衷
    http://www.sankei.com/life/news/180129/lif1801290016-n1.html
    【2018/02/03 05:04】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (承前脱線~2017.12.7「プライムニュース」感想追記)
     無関心は暴走する…との直観をもう少し掘り下げてみたい。必ずしも消極的なばかりではなく、いかなる理屈/論理/説得をも撥ね付ける否定的積極概念としての根源的暴力性/野蛮性が宿るとしたら。関心が動機となった事例なら「話せば分かる」「問答無用」の遣り取りが近そうに見えるが、多分そんな生易しいものではない。もはや言葉の要らない領分で、思考停止の行動は生活と合一しつつ脈々/粛々と連続する。
     前稿で「なに言ってんだ、このジジイ?」と書いた。無知/無教養が無理解に留まるだけなら説得の余地はある。しかし無関心に起因するならば、これは元々「聞く耳を持たない」事にもなろう。~ああ書いた後、無礼の度が過ぎるのではと自省した。でも私は正確な表現をしたのだから、どこか文中に軋みの原因も書き留めた筈だ。無意識と無関心は畢竟、或る正直の背後で肩を組む。
     そう考えると、先日「プライムニュース」末で西尾先生が掲げた「正直」の二文字に恐怖が芽生えてきた。誰にでもある心性が、正直になる事で却って双方向に暴走し始めるかも知れない。だから正直は難しい。或る正直は別の正直と喧嘩する。その困難を織り込んだ上での提言だったのかも。~この感想が出るまで、番組視聴から二ヶ月かかった。相変わらず頭の回転が遅いナァ。ここは平生ビールを飲んで、ネチネチ思い出さなきゃダメみたい(orz)。

    (いったん休憩~備忘録)
    ●【日曜に書く】「出ていけ!」「連載中止だ!」怒鳴り合った夜…西部邁さんの柔らかく温かい手のひら 論説委員・河村直哉
    http://www.sankei.com/column/news/180204/clm1802040006-n1.html
     …またまたアルコールの話(最近このネタ多いな…ボソッ)。~苹は今世紀に入ってから人と飲んだ事がない。動かず黙って飲むタイプは「居るだけで迷惑」だろう。こちらとて人と飲むのは苦痛だから自ずと足は遠退くし、冠婚葬祭にも出ない(人付き合い自体ないから当たり前かw)。音楽と考え事と書き物だけで苹は幸せなのだ。それが誰かの役に立つなら、たぶん仕事(?)と云って差し支えないのかも知れない。しかし言い換えるなら、他人の仕事に役立たない投稿は仕事のレベルに達していない。だから苹は盲滅法、なるべく読み手の参考になりそうな事を綴りたがる(傍目にゃ未遂?)。…論文は引用数がものを云うらしい。ネット投稿もアイデアの影響という意味では、せめて同じ水準にあらまほしきものと思う。

    (気を取り直して、今夜の本題)
     学校教育に科学は必要か。~不穏当なら言い換えよう。青少年の「保育」に科学教育は必要か。これだと却って奇矯な言い回しに見えるだろうか。
     実のところ、学校に学問教育を期待する人など殆ど居ないのではと思う事がある。実態は受験教育が主流、と云うより親子共々それしか知らないからピンとこない。受験を伴わない教科は学問ではないと思う人が圧倒的に多い、と書けば通じやすいかも知れない。受験教育と学問教育は同一で、それを学校と塾(進学塾)が担い/取り合い/取り仕切る。受験科目の分類が学問の分類基準で、これに基づき学部や学科の割り振りが決まる。ところが大学では受験勉強という「目的」がない。「結婚は人生の墓場」と云うごとく、「大学は学問の墓場」と化す。学問が行き場を失うかの様に大学が学生から拒絶される形となり、学生の方は「学業の傍ら」入社試験や公務員試験などに取り組む。
     教員採用試験しか眼中にないなら学業一本で構わないのかも知れないが、それとて結局は冬眠前の食い溜めみたいなもので、なかなか怪しい気配が漂う。学者/大学教員になれなかった落ち武者が屯しても学問に取り組む余裕などない。誰も彼もが忙しい。授業準備/教材研究で精一杯ならまだしも、校内分掌(雑務)や部活指導が重なると心身が破綻したりする。そして学問の方は、退職までの長い冬眠期間に入る。
    【2018/02/07 19:48】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (承前独白~愚痴)
     右の人はどれだけ長く深く、左の人とも「親しく」付き合えるだろうか。元々そんな事に興味はないけれど、加齢と共に別の意味で身に詰まされてくる(?)点では大差あるまい。~書道畑は無理解/無関心の人とどれだけ深く親しく付き合えるだろうか。あくまで書道の話を中心としつつ、根掘り葉掘り自己の限界を超えようとするくらいには。相手の抱く書道イメージは後年になるほど戦後の環境/風潮にいっそう凝り固まるケースが殆どなのに、それを解きほぐす言葉が在職中は紡ぎ出せなかった。私に足りないのは言葉だ(シェーンベルク《モーゼとアロン》第二幕ではO Wort, du Wort, das mir fehlt!)…と云うよりは実情、こっちの方が近いかも(マーラー「私はこの世に忘れられ」↓)。
    https://www.youtube.com/watch?v=tjMk8uke_pI
     例えば自民党と共産党の野合が成り立つとする。それと似た模範(?)をまざまざと見せつけてくれた政党があった。名前を変えてチョロチョロと、政党支持率を粉飾するかの様に命脈を保とうと。だからと云って、耳を傾ける気が失せるほどではない。失せたら最後、或いは民主主義が全体主義的なものに対する説得力を減退させ始めるからだ。しかしそれはそれで「傾聴の強制」にも独自の気配が説得力を持つだろうし、中国の場合はヨーロッパ的なものを学習した結果、必ずしも全体主義的とは限らないロシア的/脱ソ連的な緩衝作用(?)との調和を振りまいているのかも。
     学校の場合はどうだろうか。一部地域に校内党派はあるかも知れないが、むしろ組合の弱い~党派なきメタ党派(?)としての調和システムが伝統的に仮構され続けると、今度は呉越同舟めいた調和システムの方が、どちらにも属さない見方/考え方を排撃すべく協調し始める。味方は内輪の「敵の敵」ではない。そんなものは存在しない。これも或る種の全体主義に見立てられるだろう。子供の頃から青森のをずっと観察してきたが、教員のメンタリティは基本的に揺るぎなき同一性を継承しているかに見える。学習指導要領がどう変わろうと、心や常識の在り方は頑として変わりそうにない。
    http://imoshiori.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8005106
     大震災後は古文書解読のニーズが高まったそうな。~青森県では「東奥日報」H12.6.23夕刊11面「あすなろ交差点」欄で、鬼柳恵照という古文書研究者が「古文書解読に思う」と題する提言をしていた(天バカ板「【再掲】投稿日時不明稿(其五)」稿中、「場所の喪失」稿に記事全文あり↑)。「高校の部活で古文書を」との趣旨だったが、その前から苹は書道教科書掲載の基礎中心に、授業で解読原理指導を取り入れてきた(↓)。国語科との連携を目指し、実験的に「奥の細道」自筆本(岩波刊)から国語教科書掲載部分を解読させた年もあった。…しかしどうやら壁があった模様。国語は受験科目で芸術科書道は非受験科目。書道を学問/国語らしく教えてはいけないらしい。
    http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_topic_pr_333.html
     産経には先日も日教組の大会記事が載った(毎年恒例)。相変わらず伝統的な反日傾向が出ていた。学習指導要領改訂に関する書教育ネタは次号の「書道美術新聞」に載るだろう。ともかくどうあれ、教科間の壁は間違いなく厚い。

    (追憶)
     昔の卒論をネチネチ遡って居たら思い出した。あの時かの有名な「論畫以形似、見與兒童鄰、賦詩必此詩、定非知詩人」云々を書き下すにあたり、普通は「定めて」とするだろう所を「かならずしも」と読みたくなったのを(ちと苦しいが諸橋大漢和にあった)。あれはフライングだったかも知れない。しかし読み返してみたら…(卒論原文↓)
    ●「畫を論ずるに形似を以てするは、見るところ兒童と鄰る。詩を賦すに必ず此の詩あれば、定ずしも詩を知る人に非ず。詩畫は本と一律にして、天工與に清新なり。」
     …或いは中間部分、こう書いた方がよかったかも?(↓)
    ●「詩を賦すに必ず此の詩あるは、定ずしも詩を知る人に非ず。」
     素人に書き下しは難しい。今も迷って居る。どのみち翻訳的解釈が入るものの、前者の読みの展開性より後者の対句性(?)の方が相応しそうな気もする。

    (近況)
     うちの婆様が昨年の爺様命日を過ぎた頃から寝込みがちとなり、要介護認定の更新は1から3に上がった。今日の通院には初めてケアマネージャーさんが同伴。医者からまだ動けるうちの施設入居を勧められたが、どうするかは今のところ白紙状態で今後相談。婆様が大好きで乳離れ(?)したくない苹も、そうなれば即座に独居老人の予備軍と化す。
     いつも婆様は嫁が欲しいと繰り言をする。けれど変態に嫁ぐ物好きなんて滅多に居るものではなかろうし、第一あちらの親御さんが猛反対するに決まっている。勿論「養ってください、その代わり結婚してあげます」てな自衛隊アニメの台詞を試すまでもなく。
    【2018/02/16 22:42】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    どこでも介護の問題は追いかけてきますね。

    食事などは作っておられたのでしょうか?
    それとも、苹@泥酔さんが作ってる?
    時間は過ぎ去っていきます。
    【2018/02/18 21:17】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >介護の問題
    >食事など
     こちらでは出来合いのを買ってくるのが精々です。苹は食事の半分をビールで間に合わせてる様なものだし、婆様は獣肉全般や刺身(海老・蟹・貝以外)などが昔から一切ダメ。だから近所での外食も行き先が極端に狭められてきた。結果的に慢性的な節約状態とならざるを得ず、旅行に至っては論外の極み。
     その理由を婆様は語る。昔の田舎には今の様な料理店などないのが普通だそうな。とどのつまり一家の時間は、ゆるりと今なお流れ続けて居るのでありまするぅ…。

    (備忘録)
     青森県の事例(「東奥日報」2000.11.10付)は「2017/12/05 07:55」稿でも出してあるが、全国規模の状況については知らなかった。それが出てきたのは有難い。
    http://www.sankei.com/life/news/180223/lif1802230031-n1.html
    --------------------------------------------------------------------------------
    >2018.2.23 11:10更新
    >【教育動向】
    >免許外の担任、なぜなくならない? 依然1万件余り
    >(1/2ページ) .
    > これからの時代を生きる子どもの育成には、質の高い先生の役割が重要であることは言うまでもありません。先生の質を最低限保証するものが、教員免許です。しかし現在でも、免許を持たない教科を担当する「免許外教科担任」が、年間1万件ほどあります。
    > 文部科学省は先頃、有識者や教育委員会の担当者などから成る調査研究協力者会議を立ち上げて、対策に乗り出しました。免許外教科担任の現状は、どうなっているのでしょうか。
    >
    >約20年前に比べれば3分の1でも
    > 小中高などの教員は、担当する校種や教科に応じた免許状を持っていなければならない、というのが教員免許制度の原則です。これに対して「免許外教科担任制度」とは、校内の教員に、免許を持たない教科を担任してもらうものです。都道府県教委に申請のうえ、1年ごとに認められます。
    > 1994年度には、免許外担任の許可件数が中高合わせて3万4,000件余りありました。当時は校内で教員一人当たりの授業の持ち時間数をならすために免許外の授業を持たせることが横行しており、文部省(当時)は見直しを通知しました。その後、現場の努力もあって件数は減少したものの、2014~16年度は1万1,000件前後で推移しています。
    > 政府は昨年6月に閣議決定した「規制改革実施計画」の中で、教育の質が心配されることはもとより教員の負担にもなっているとして、インターネット授業などの「遠隔教育」も含めて対策を取るよう提言しました。今回の協力者会議は、これを受けて設けられたものです。
    >
    >もはや現場の努力だけでは限界
    > しかし、どうやら現場には、免許外担任をゼロにできない事情があるようです。
    > 文科省の調査を見ても、都道府県教委の許可理由として、確かに今でも「教員間の持ち時間数の平準化」(15%)や「校務分掌も含めた勤務時間の平準化」(32%)はあるものの、「定数内では全教科の免許を持った教員を配置できないため」(85%)や「免許保有者が病気休暇や育児休業中であるため」(64%)といった理由で免許を持った教員がいなかったり、免許を持った教員がいても「少人数指導・TT(チーム・ティーチング)を行うため」(40%)や「特別支援教育や外国人児童生徒への指導のため」(45%)、他の教員に教科外の担任を肩代わりしてもらわなければならなかったりする実態があるのです。
    > これに拍車を掛けるのが、少子化に伴う小規模校化です。公立小・中学校の場合、1学級に1人の教員を配置するというのが教職員定数の基本ですから、学級数が減っていけば当然、1校当たりの教員も少なくなります。中山間地域や離島の学校を多く抱える都道府県では、更に深刻です。そのうえ、近年はベテラン層の大量退職に伴って新規採用も増えましたが、一時は極端な採用抑制によって、実技系教科の募集がほとんどできない時期もありました。実際、免許外担任の許可件数のうち、中学校の80%、高校の46%を実技系教科が占めています。
    > さらに10年以上、国の財政難に伴って公立学校の計画的な教職員定数改善が認められてきませんでした。そうした中でも、学力向上や特別支援教育・外国人指導といった課題に、指導力のある教員を振り向けなければいけません。もはや現場の努力だけでは、限界があるのです。(筆者:渡辺敦司)
    --------------------------------------------------------------------------------
     文部科学省のサイトを見ると、「免許外教科担任制度の在り方に関する調査研究協力者会議(第1回)」の議事録はこちら(↓)。
    http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/136/gijiroku/1401436.htm
    【2018/02/24 20:06】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥さん
    そう、昔は外食先そのものが少なかったですよね。

    私が通っていた中学校では、
    書道専門?の教師がいました。
    美術も、音楽も、体育も、それぞれ専門だったなぁ~

    娘たちが通っていた学校は、
    書道を重要視する?学校だったので、
    二人とも字が上手です。
    字が綺麗に書けるって、とても大切だと思います。



    【2018/02/26 21:07】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    (金言邂逅~朝っぱらから妄想全開)
    https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=1812
     言葉はそれ自体が毒で、迂闊に読むと心が怪我をする。読む時を慎重に選ばないと、感動を逃してしまう事がある。そこで取り敢えず読む前の予感めいたものを嗅ぎ取るまで待つと、お預けをくらった飼い犬みたいに言葉を食べる楽しみが得られてくる。自分の様に他者の言葉を読む錯覚は、果たして食言と云えるだろうか。それが受け売りにならぬ様、読む前に考える。(…言葉が私の中に入ってくる…痛くしないで…やさしくして…)
     とすると本は言葉の外食みたいなもので、食べ散らかすのはいかがなものかと。多読も熟読も精読も、その基本は大差あるまい。写本する様に読む姿勢あればこそ、国語と書道は今からでも遅くはない、きっと復縁できる筈。そこでは言葉が黄金の神様となって、私の体を貫くのだ?
    VIER NACKTE JUNGFRAUEN
    O goldener Gott,
    o Priester goldener Götter,
    das Blut jungfräulicher Unberührtheit,
    gleich Goldes metallischer Kälte
    zur Frucht nicht erwärmt,
    oh, Götter, entzückt eure Priester,
    entzückt uns zu erster und letzter Lust,
    erhitzt unser Blut,
    daß es zischend am kalten Gold verrauche!
    O rotes Gold!
    (コピペ↑↓~シェーンベルク《モーゼとアロン》二幕三場より)
    https://www31.atwiki.jp/oper/pages/1377.html
    四人の裸体の××
    おお 黄金の神さま、
    おお 黄金の神々に仕える祭司さま、
    触れられていぬ純潔な××の血は
    黄金の金属めいた冷たさにも似て
    煖めて実を結ばせることはありませんでした。
    おう 神々よ、あなたがたの祭司たちを魅惑し
    私たちを恍惚とさせ、最初にして最後の快楽に
    赴かせ、私たちのこの冷たい血を熱し、
    冷たい黄金に触れればはじけて飛び散るほどに
    熱くさせてください! 真紅の黄金の仔牛よ!
    (ブーレーズ指揮CBS盤、深田甫の歌詞対訳1975.9改訂、一部伏字)
    【2018/02/28 06:02】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


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