奥様
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    子育て終了の奥様でございます。 最近本格的にブログにチャレンジ。 硬い話、介護の話、日常の話をちょこちょこっと書いていきます。
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    つくる会20周年記念集会
    29日日曜日、市ヶ谷のグランドヒルホテルで、
    つくる会の大きな集会がある。

    西尾先生は欠席なのだが、
    メッセージを下さることになって、
    っていうか、無理やりお願いして、
    文章を書いてもらった。

    私はボランティア先でその原稿を受け取り、
    端からタイピングをした。
    集会の資料の準備もあったし、
    いつもは4時頃にはお暇するのに、
    遅くまで残って仕上げた。
    な、な、長い!
    これは単なるメッセージではなく、
    論文だ~~~

    当日の資料の準備もあって、
    今日はよく働いた。
    明日が土曜日で良かった。

    いまさらながら思うけれど、
    西尾先生は文章を書く天才だ。
    少年の頃の作文?も上手だったように、
    根っから文章を書くのが得意なんだと思う。
    いや、先ほども書いたように、
    天才なんだ。

    頭の中に起承転結がしっかり組み立てられていて、
    無駄なく、すっぽりとそれがはまっている。

    疲れたけれど、有意義な一日だった~

    さて、日曜日には、私がその文章を読むことになってしまった。




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    【2017/01/27 21:36】 未分類 | TRACKBACK(0) | COMMENT(12)
    この記事に対するコメント
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    【2017/01/27 22:55】 | # [ 編集]

    大役
    奥様
    さっきコメント送りましたが、
    出てないから、電話していいですか?
    【2017/01/28 16:11】 URL | bunn #- [ 編集]

    佐藤和夫さん
    奥様

    おはようございます。
    今日は、孫のお誕生日のお祝い、七五三祝いを併せてやるから来て欲しいと、次男から
    という訳で残念ながら会に出れませんが、
    以前西尾幹二さんの正論の記事をFBでご紹介


    今日の西尾幹二先生の正論、今の外務省の外交を見事に言い当てている。

    日韓合意でもオスプレーの事故でもロシアの択捉島ミサイル設置についても事なかれが如何に国益を毀損しているか。

    ともかく御身大切、昔の日本人ならこんな腰抜け外交は決してしなかったと。


    居られた、佐藤和夫さんが出席なさるというので、奥様のこの記事をコピーして佐藤和夫さんに送っておきました。
    会場でお声かけがあるかもしれませんので、
    【2017/01/29 06:06】 URL | bunn #- [ 編集]


    >bunnさま
    七五三ですか・・・・・いいですねぇ~~

    うちも今年七歳になる女の子がいます。

    こういう行事に子供たちが誘ってくれるって、
    最高の人生ですね。
    佐藤さんにお会いできたら、
    話しかけてみますね。
    【2017/01/29 09:03】 URL | 奥様 #- [ 編集]

    ご盛会のご様子が
    奥様
    ご盛会のご様子を
    佐藤和夫さんがFBに写真を何枚も載せていまたよ
    【2017/01/29 20:15】 URL | bunn #- [ 編集]


     待望の奥様代読稿が「日録」に載った(↓)。雑誌掲載の増補稿より簡潔で、それぞれ完成度の高さに戸惑う(動画音声との対照は断念)。
    https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=2124
     後半に「例えば、漢唐時代の中国の官僚制度に私は「近代」を認めるのにやぶさかではありません」とある。この箇所を読んで真っ先に思い出したのが「2014/09/05 02:58」稿。苹は当時、こんな見方を書いた(↓)。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1679.html#comment
    --------------------------------------------------------------------------------
    > 朝鮮半島の近代化は支那化に始まる。それを支那への従属と見なしたものだから、支那化が近代化だとは誰も思わない。この意味では日本の近代化も支那化であって、時代は遣隋使以前にまで遡るから近代とは無関係。しかしそれでは言葉の辻褄が合わないし、近代化と欧米化の類義性を乱す訳にもいくまい。少なくとも日本や欧米の基準ではそうなるだろう。しかし韓国ではどうだか。あの国は先進国なのか。そもそも先進国とは何か。
    > 第一の近代化を支那化、第二の近代化を欧米化と捉え直せばどうなるか。朝鮮は近代的な国で、日本は遅れた国だった。朝鮮は日本に先進的な支那文化を「教えてあげた」。やがて朝鮮は第二の近代化に迫られるが、同様の清末中国は失敗して崩壊。片や日本は明治維新に成功し、日清日露の戦勝を踏まえて朝鮮を中国から引き剥がす。しかしあちらにしてみれば近代化とは中国化なのだから、中国が先に欧米化すれば朝鮮も後に続いて欧米化できた筈。ところが「独立」させられると、朝鮮は自前で近代化を進めねばならなくなる。つまり「近代化の源泉」たる中国との縁が切れる結果(←これも近代化の一面なのに)、近代化が阻止された形になる。
    --------------------------------------------------------------------------------
     先生の云う「漢唐時代」が示唆的に思えた。苹の視点は隋唐時代(以前)に留まった。そこに漢を引き込むと、支那文化の輪郭が起点めいたものをいっそう露わにする。
     日本に漢魏晋唐の書字文化が一括タイムスリップしてきた。しかし苹には実用書体/楷行草の印象が根強く、正倉院の鳥毛篆書屏風なんざ装飾性が目立つばかり。他/後には空海の篆隷万象名義って字書もあるけれど、あれだって実用書体と云えるかどうかは甚だ疑問。だから漢まで遡るのは「日本の識字史」にそぐわない気がして躊躇した。
     漢まで含めるには別の包括的理由/視点が要る。それが官僚制度の諸々ならば、事務的な簡牘マテリアル以降の蓄積/書字文化がいったん横並びに組み換えられた時点で「近代」は支那そのままのオリジナリティを喪失する筈。比較文化の領分となり、国際的な「文化圏」へと開かれる。律令制を取り入れたからといって、支那の歴史的経緯までをも日本に引き継ぐ訳ではない。その辺を苹は先年「アナキズム文化圏」と形容した(「2014/07/01 23:34」稿↓)。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1648.html#comment
     もっと掘り下げてみたくなる…が、その前に温めていたネタを書いとかないと。予定では先ず「少年記」の方から、全集P.122とP.184の図版を中心に。(続く)

    (備忘録)
    http://www.sankei.com/column/news/170406/clm1704060005-n1.html
    --------------------------------------------------------------------------------
    >2017.4.6 10:00更新
    >【正論】
    >崩壊したエリート…近代教育は終わった 何を教えるべきか? 筑波大学大学院教授・古田博司
    >(1/4ページ) .
    > なんとも凄(すさ)まじい怪物が国会を通り過ぎていった。虚構を微細に語り、現実を曖昧にやり過ごす怪物だった。現実の物は豊洲市場同様、あの安全性を欠いた土地の売買である。「微細な虚構と曖昧な現実」が大手を振って徘徊(はいかい)する。賢い民衆は、そんなことは百も承知でテレビやネットを見ている。野党は怪物の詐術に乗ったふりをして彼の復讐(ふくしゅう)心を増幅している。だから私は火の粉が降りかからぬよう散文ではなく、いま韻文で書いているのだ。
    >
    > ≪崩壊してしまったエリートたち≫
    > 思い出すべきことを告げなければならない。彼は幼稚園を経営し、小学校を建てようとする教育者であった。まずかったことは、「親切心を欠いた教育者」だったことだ。近代の教育とはペスタロッチ先生を挙げるまでもなく崇高なものだった。知識は玉のように貴重なものであり、教授するものは威厳と品格のある人格者である(ことが求められた)。こう語ると微苦笑が漏れるほど、いまや近代教育理念は崩壊した。
    > ドイツ観念論が投網のように人々に掛けたバリヤーは穴だらけ、「バリヤー内に意味のないことはない。それを学ぶほどに知識は蓄えられ、それが教養になり、立派な人格になれる」、ということはついになかった。インターネット、スマートフォンがそれを教えてくれたのである。検索すれば、画面にずらりと知識が並ぶ。玉もあれば石もある。
    > ああ、私のこれまでの人生は石ころばかり拾ってきたのかもしれない。で、何だこんなものとばかりに大学院生が専門書を放り投げる。スマートフォンを手に取る。考えてみればこれは百科事典だ。もう秀才の知恵を仰ぐ、知的に隷属的だった私は解放されたのだ。
    > 頼られることのなくなったエリートたちは、前東京都知事を筆頭に自己愛だけだったことが露顕し、バラバラと落ちてきた。「日本の最高学府で得た英知をよそへ教え広めるという使命を遂行するため、敢(あ)えて若年で去る」という、秘められた天下りのロジックはただのフェイクに成り果て、高級官僚出身の教授らは次々と大学を去る。当たり前だ。
    >
    > ≪時代に適応することを教えよ≫
    > 教育とは何だったのか。古代のブリタニアでは、教育を受けようとして多数の青年たちが高貴なドルイド僧の元に集まった。沢山の英雄詩を暗記し、霊魂が不滅であることを習い勇者が育てられた。
    > 李氏朝鮮では両班の若者たちが書院に通い、朱子学を漢文で一生懸命に習った。科挙試験の出題は学閥が握るので官僚になりたい者は必死だ。江戸の寺子屋では千字文と算盤(そろばん)で子供たちが手にマメを作っていた。今の英国にドルイド僧はいない。韓国人の多くは漢字が書けない。日本の習字と算盤は片隅に追いやられ、細々と命脈を保っている。
    > 教育とは「その時代と社会に順応することを教える」ということである。だから順応できなくなるようなことを教える「教育者」は傲慢で不親切な人なのだ。ではどうするか。子供や人々に親切になればよいのである。その時代や社会、国家に現実に適応でき、役に立ち、将来もできるだけ長く使えるような先見性のあることを親切に教えればよい。
    > いま盛んに言われているアクティブ・ラーニングはそのようなものでなければ意味がない。医者になりたい者には、手先が器用でなければ手術できないから手先の器用さを教える。自然科学の研究者になりたい者には、有意義な結果を生み出せるような実験方法を考案させる。人文社会科学ならば「微細な虚構と曖昧な現実」の逆をやればよい。「現実を見つめる態度と虚構を見抜く力」、つまりそれを人に語って納得させることのできる説得力である。
    >
    > ≪溢れる現実の恐怖に立ち向かえ≫
    > 要するにもっと現実をみつめ、役に立つことを考え、親切にすれば、「善」に近くなるのではないかと今の私は思う。というのも、私が大学で育てたエリートたちが今どうしようもなく困っていて、どうすれば「善」なる行為ができるかしょっちゅう聞いてくるのである。真善美はこちら側では概念化できない。
    > しようと思っても、いろんな神様になってしまったり、さまざまな偉人伝を並べたり、ドラクロワとかラファエロとか自分の好きなのを挙げられるだけだ。だから、それらのマーカーを集めて、どうすれば真善美に近づけるか、一生懸命考えるのである。考えていると、わりといい人になれる。
    > 今次日本は、近代教育の育てた、親切心を欠いた一人の「教育者」に振り回された。その間、北朝鮮からはミサイルが「飽和攻撃」で飛んできているのだ。日本の今の技術では迎え撃てない。早く敵基地攻撃の是非を問う論議をしなければならない。朝鮮半島の北からは「恐怖」が、南からは「憎悪」が溢(あふ)れ出している。正義なぞ振りかざすと某新聞社の記者みたいになる。日本国民に親切にするために、彼らとしっかり戦えばよいのである。(筑波大学大学院教授・古田博司 ふるた・ひろし)
    --------------------------------------------------------------------------------
    【2017/04/12 09:00】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    > 苹@泥酔さん
    読んだ読んだ、それ・・・・

    古田さんって、面白い視点で物を書く人ですよね。

    うちの孫は二人そろばんをやっています。
    本当はお習字もやらせたいけどね。
    【2017/04/12 22:09】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >本当はお習字もやらせたいけどね。
     管見の範囲では、どの書塾も稽古は時代錯誤の儘かと思われます。大抵は団体/社中の競書雑誌に依拠する筈。その中身(手本以外の記事)が豊富な場合~例えば巻菱湖の門流ネタ/国定手本乙種系統(第三期まで)だったりすると、下手すりゃ苹みたいな中二病が出来上がる(?)。因みに第四期甲種は鈴木翠軒、第五期(国民学校「芸能科習字」)は広島高等師範の井上桂園が揮毫。概ね大正生まれは第三期で、西尾先生の頃は第五期。(この続きは後日の稿にて。)
     また落ち着きだの精神修養だの、まるでトンチンカンな事を期待すると却って言語文化の伝統的特徴が遠退いてしまう筈。学問以前の基礎は昔、実務的/実用的必要と通底してました(今なら「受験上の必要」に近い?)。それが今は雲散霧消したから、学問までが歪んで「読めなくなる」。…教育勅語も和文から漢文に復文してみりゃどうなるか。「一旦緩急、義勇奉公、可以扶翼天壌無窮之皇運」なら少しは印象が変わるのでは。そうした読み替えを怠って、「勅語」(帝から臣民へ)という形式により遠ざけられた内容をひっくり返した上で(市民から天皇へ)近付けるから、「皇運」への仮託/意味も「ひっくり返って」読み違えるのではないか(抑も「勅」は支那由来~王羲之「十七帖」末尾の例↓)。
    http://www.skyren-art.com/images/stories/shi-qi-tie/wnagxizhi_shiqi28.jpg
     写本を含めた原文/原典表記の幅が明治期程度には母語の儘なら、それだけ翻訳的操作の余地が少なくなる。差し当たっては読み書き実務だけ掘り下げればよいのに、余計な精神所作/修養でごまかせば忽ち児戯か寝言同然になっちまう。でも既に「読めない時代」となった今は、西尾先生も親切にならざるを得ない模様…(「日録」コメント欄の池田俊二「2017年3月30日 5:41 PM」稿↓より)。
    https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=2106
    --------------------------------------------------------------------------------
    >①今から7~8年前になるでせうか、西尾先生に「先生は歴史的假名遣、正字で原稿をお書きになるべきです」と申し上げ、「それをやつてゐたら、商賣にならん!」と御不興を買ひました。
    --------------------------------------------------------------------------------
     どちらが不親切か分からなくなるほどの「無惨な親切」を鑑みると、西尾先生は先ず「仮名遣いよりもむしろ旧字に躓いている人が多いように思います」とする(『江戸のダイナミズム』文藝春秋版17章P.449、「「現代かなづかい」の矛盾」より)。次いで同「あとがき」P.586を見ると、そのものズバリの語彙が出てくる(↓)。
    --------------------------------------------------------------------------------
    > 一、二の例外の方々を除いて、江戸の思想家の研究をなさる専門の方々の引用は、訳文をつけず、原文でこと足れりとしています。読者に分らない親切、不親切の問題もありますが、それだけではなく、引用の原文主義が必ずしも厳密とは限らないと申し上げておきたい。例えば荻生徂徠の原文は漢文、それも返り点をつけない白文です。
    --------------------------------------------------------------------------------
    (『江戸のダイナミズム』出版記念会の記事は2007.4↓以下2007.7まで連載。)
    https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?m=200704
     …前掲稿で、古田先生はこう書いた。
    「子供や人々に親切になればよいのである。その時代や社会、国家に現実に適応でき、役に立ち、将来もできるだけ長く使えるような先見性のあることを親切に教えればよい。」
     また、こうも書いた。
    「江戸の寺子屋では千字文と算盤(そろばん)で子供たちが手にマメを作っていた。」
    「日本の習字と算盤は片隅に追いやられ、細々と命脈を保っている。」
     習字と千字文を書き分けた点が興味深い。今やっているのは習字であって千字文ではない。つまり千字文の本文が読めないばかりでなく、三体千字文に埋め込まれた書体横断性が読めなくなっている。だから「旧字に躓く」様で実は「新字にも躓いて」居て、しかもその事に気付かないという、謂わば三重苦の状態にある。旧字体は楷書に近く、新字体は草書に近い面がある。草書を角張らせれば漢字、曲線的なままなら平仮名として機能するケースもある。そうした過去の横断法則が読めない結果、「旧字に躓く」という「見え方」が「見方」に先立つ。
     だから、

    >古田さんって、面白い視点で物を書く人ですよね。
     ホント、そう思います。
     ところで…筑波でも書道(芸術学群)。古田先生とは学部が違うけど、その気になれば情報は適宜なんぼでも入手できそう。あっし程度の知識は誰でも持ってる筈だから、そっちに照会すれば何事も手っ取り早く済むだろう。でも私見では大学教官たるや例外なく勿体振り(?)なイメージで、親切に教えてくれる人と出会った事がない(単に苹が質問下手なだけかも)。筑波はどうだか知らないが、皆よほど忙しいのだろう。もはや「親切にしてる暇がない」らしい…今はどうだか知らないが。
    【2017/04/20 21:43】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔 さん
    では、お習字はやらなくてもいいってことかな・・・・。

    言語、言葉、文字・・・・・・大事だけれど、変わっていきます。
    でも、無理やりの変化は抵抗がありますね。
    【2017/04/23 20:47】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    ど素人の私が本当に語っちゃいますが、「字がきれい」というのは、練習すればなんとかなります。手本を見て、要するに「真似」すればできることです。
    でも、芸術の世界のものは、自分にしか理解できない世界であって、基本他人が見ても「なんじゃこりゃぁ!」の世界なのではないかと思います。

    そんな事例はけして芸術の世界だけではなく、商売の世界にも存在しています。

    真面目な仕事をしていればお客様はついてきてくれる・・・というのが大方の印象ですが、真面目だけでは足りないのが本当のところで、もう一つ欲しいのは、真面目なのにまじめすぎない印象を与えることができる人です。
    真面目だけでは暑苦しいだけ。
    やっぱりどんなことでも叶えてくれそうな、安心感を与えてくれる人。そんな人が一番営業には向いています。
    だからといってなんでもかんでも受け入れるだけなら、やっぱりそれは「ダメ」で、ちゃんと会社が損をしない営業をこなせる人。

    つまり商人は「普通」が一番大切です。
    お客さんもたぶん「普通」を求めているはずです。
    おそらくそれが一番難しいことなんだろうと思います。
    でも、「普通」は誰にでもできるチャンスがある「技法」だとも思います。

    【2017/04/24 00:28】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    >では、お習字はやらなくてもいいってことかな・・・・。
     …これは言葉が足りなかった(汗)。習字で使う教材が千字文。~以下は七年前に天バカ旧板で引用した、宇野精一博士米寿記念対談集『書香の家』(明治書院)P.37~38の記述。聞き手は石川忠久。戦前こんな具合だったそうな。
    --------------------------------------------------------------------------------
    >宇野 小学校時代のことで特筆すべきことは、小学校の一年のお正月、だからもう二年になるときですが、親父がぼくに習字を習わせた。その先生というのは、田口米舫という先生です。この先生は米フツ(草冠に市)を非常に尊敬していましてね。先生のお父さんは東大の昔の医学部の教授だったらしい。ぼくが通ったのは駕籠町四十四番地というところなんだ。
    >石川 つい最近まで駕籠町と言っていましたね。
    >宇野 ぼくは電車で通っていたのですが、駕籠町の一つ白山寄りに「原町」という電車の停留所があった。その原町で降りて、ちょっと入ったところに先生の家がある。そこへ一週間に一遍通いました。先生がお手本を書いてくださって、一週間かかってそれを書いていく。「千字文」を四字ずつ書いていく。一枚の半紙に二字だから、二枚書くわけだ。それを一週間お稽古して、先生のところに持っていく。先生が見て、よければ「次」と言い、悪いと「もう一度」と言われる。先生の前で新しいのを書くんです。だから、筆と墨と紙を持っていかなければいけない。
    > それはかなり長続きしまして、中学の四年までやりましたね。さすがに中学の三年ぐらいのときに千字文も上がったんですよ。たった一週間に四字ずつだから、二百五十週かかるわけだな。一年五十週としても五年ですよね。まともにいけばそうだけれども、夏休みや冬休みは休むから、中学の二年か三年までかかったんですよ。楷書が終わってから、篆書の真似ごとをやったり、隷書の真似ごとをやったりしていましたが、中学五年になったら、習字なんかやっていられなくなった。こっちは必死で受験勉強をしなきゃならなくなってやめちゃったんだ。
    > 高等学校に入ったら、寮に入ったでしょう。寮に入っていちゃできないわ。おまけに弓引いているから、できないというのでやめちゃったの。いまでもそれは残念ですけれどもね。
    --------------------------------------------------------------------------------
     書教育最大の欠陥は実技至上主義にある(「手習い」の優位)。天真爛漫な子供なら「上手いバカ」でも通用するが、中高生へと成長するにつれ「頭のいいヘタクソ」までもが「ただのヘタクソ」と分け隔てなく取り残される(「目習い」は評価不能?)。~教材の時代錯誤を「改善」したら、指導法の時代錯誤が取り残されて前より数段ひどくなった。それまでは二つの時代錯誤が調和していた。つまり時代錯誤が「活きて居た」。そんな調和を破壊したら、「本物の時代錯誤」と相成った…。
     ふと思い出すのは「日録」の記事(↓)。
    http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=788
    「西洋文化は調和と進歩、文明と破壊の二つをもつ双面神だったので、進歩と破壊だけが入ってきたのではない。背後にある調和と文明も同時に入ってきた。」
    https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=789
    「私はたったいま「進歩と破壊だけでなく調和と文明をもたらした」と言ったのであって、「破壊だけでなく進歩をもたらした」と言ったのではない。「進歩」と「破壊」は私の文脈では同義語なのである。」
    【2017/04/24 01:35】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    でも、上手いバカは、それなりにバカっぽくないですよね。

    頭のいいヘタクソは損をします。
    せっかく頭がいいのに・・・・。
    【2017/04/25 10:56】 URL | 奥様 #- [ 編集]


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