奥様
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    子育て終了の奥様でございます。 最近本格的にブログにチャレンジ。 硬い話、介護の話、日常の話をちょこちょこっと書いていきます。
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    つくる会20周年記念集会
    29日日曜日、市ヶ谷のグランドヒルホテルで、
    つくる会の大きな集会がある。

    西尾先生は欠席なのだが、
    メッセージを下さることになって、
    っていうか、無理やりお願いして、
    文章を書いてもらった。

    私はボランティア先でその原稿を受け取り、
    端からタイピングをした。
    集会の資料の準備もあったし、
    いつもは4時頃にはお暇するのに、
    遅くまで残って仕上げた。
    な、な、長い!
    これは単なるメッセージではなく、
    論文だ~~~

    当日の資料の準備もあって、
    今日はよく働いた。
    明日が土曜日で良かった。

    いまさらながら思うけれど、
    西尾先生は文章を書く天才だ。
    少年の頃の作文?も上手だったように、
    根っから文章を書くのが得意なんだと思う。
    いや、先ほども書いたように、
    天才なんだ。

    頭の中に起承転結がしっかり組み立てられていて、
    無駄なく、すっぽりとそれがはまっている。

    疲れたけれど、有意義な一日だった~

    さて、日曜日には、私がその文章を読むことになってしまった。




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    【2017/01/27 21:36】 未分類 | TRACKBACK(0) | COMMENT(46)
    この記事に対するコメント
    管理人のみ閲覧できます
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    【2017/01/27 22:55】 | # [ 編集]

    大役
    奥様
    さっきコメント送りましたが、
    出てないから、電話していいですか?
    【2017/01/28 16:11】 URL | bunn #- [ 編集]

    佐藤和夫さん
    奥様

    おはようございます。
    今日は、孫のお誕生日のお祝い、七五三祝いを併せてやるから来て欲しいと、次男から
    という訳で残念ながら会に出れませんが、
    以前西尾幹二さんの正論の記事をFBでご紹介


    今日の西尾幹二先生の正論、今の外務省の外交を見事に言い当てている。

    日韓合意でもオスプレーの事故でもロシアの択捉島ミサイル設置についても事なかれが如何に国益を毀損しているか。

    ともかく御身大切、昔の日本人ならこんな腰抜け外交は決してしなかったと。


    居られた、佐藤和夫さんが出席なさるというので、奥様のこの記事をコピーして佐藤和夫さんに送っておきました。
    会場でお声かけがあるかもしれませんので、
    【2017/01/29 06:06】 URL | bunn #- [ 編集]


    >bunnさま
    七五三ですか・・・・・いいですねぇ~~

    うちも今年七歳になる女の子がいます。

    こういう行事に子供たちが誘ってくれるって、
    最高の人生ですね。
    佐藤さんにお会いできたら、
    話しかけてみますね。
    【2017/01/29 09:03】 URL | 奥様 #- [ 編集]

    ご盛会のご様子が
    奥様
    ご盛会のご様子を
    佐藤和夫さんがFBに写真を何枚も載せていまたよ
    【2017/01/29 20:15】 URL | bunn #- [ 編集]


     待望の奥様代読稿が「日録」に載った(↓)。雑誌掲載の増補稿より簡潔で、それぞれ完成度の高さに戸惑う(動画音声との対照は断念)。
    https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=2124
     後半に「例えば、漢唐時代の中国の官僚制度に私は「近代」を認めるのにやぶさかではありません」とある。この箇所を読んで真っ先に思い出したのが「2014/09/05 02:58」稿。苹は当時、こんな見方を書いた(↓)。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1679.html#comment
    --------------------------------------------------------------------------------
    > 朝鮮半島の近代化は支那化に始まる。それを支那への従属と見なしたものだから、支那化が近代化だとは誰も思わない。この意味では日本の近代化も支那化であって、時代は遣隋使以前にまで遡るから近代とは無関係。しかしそれでは言葉の辻褄が合わないし、近代化と欧米化の類義性を乱す訳にもいくまい。少なくとも日本や欧米の基準ではそうなるだろう。しかし韓国ではどうだか。あの国は先進国なのか。そもそも先進国とは何か。
    > 第一の近代化を支那化、第二の近代化を欧米化と捉え直せばどうなるか。朝鮮は近代的な国で、日本は遅れた国だった。朝鮮は日本に先進的な支那文化を「教えてあげた」。やがて朝鮮は第二の近代化に迫られるが、同様の清末中国は失敗して崩壊。片や日本は明治維新に成功し、日清日露の戦勝を踏まえて朝鮮を中国から引き剥がす。しかしあちらにしてみれば近代化とは中国化なのだから、中国が先に欧米化すれば朝鮮も後に続いて欧米化できた筈。ところが「独立」させられると、朝鮮は自前で近代化を進めねばならなくなる。つまり「近代化の源泉」たる中国との縁が切れる結果(←これも近代化の一面なのに)、近代化が阻止された形になる。
    --------------------------------------------------------------------------------
     先生の云う「漢唐時代」が示唆的に思えた。苹の視点は隋唐時代(以前)に留まった。そこに漢を引き込むと、支那文化の輪郭が起点めいたものをいっそう露わにする。
     日本に漢魏晋唐の書字文化が一括タイムスリップしてきた。しかし苹には実用書体/楷行草の印象が根強く、正倉院の鳥毛篆書屏風なんざ装飾性が目立つばかり。他/後には空海の篆隷万象名義って字書もあるけれど、あれだって実用書体と云えるかどうかは甚だ疑問。だから漢まで遡るのは「日本の識字史」にそぐわない気がして躊躇した。
     漢まで含めるには別の包括的理由/視点が要る。それが官僚制度の諸々ならば、事務的な簡牘マテリアル以降の蓄積/書字文化がいったん横並びに組み換えられた時点で「近代」は支那そのままのオリジナリティを喪失する筈。比較文化の領分となり、国際的な「文化圏」へと開かれる。律令制を取り入れたからといって、支那の歴史的経緯までをも日本に引き継ぐ訳ではない。その辺を苹は先年「アナキズム文化圏」と形容した(「2014/07/01 23:34」稿↓)。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1648.html#comment
     もっと掘り下げてみたくなる…が、その前に温めていたネタを書いとかないと。予定では先ず「少年記」の方から、全集P.122とP.184の図版を中心に。(続く)

    (備忘録)
    http://www.sankei.com/column/news/170406/clm1704060005-n1.html
    --------------------------------------------------------------------------------
    >2017.4.6 10:00更新
    >【正論】
    >崩壊したエリート…近代教育は終わった 何を教えるべきか? 筑波大学大学院教授・古田博司
    >(1/4ページ) .
    > なんとも凄(すさ)まじい怪物が国会を通り過ぎていった。虚構を微細に語り、現実を曖昧にやり過ごす怪物だった。現実の物は豊洲市場同様、あの安全性を欠いた土地の売買である。「微細な虚構と曖昧な現実」が大手を振って徘徊(はいかい)する。賢い民衆は、そんなことは百も承知でテレビやネットを見ている。野党は怪物の詐術に乗ったふりをして彼の復讐(ふくしゅう)心を増幅している。だから私は火の粉が降りかからぬよう散文ではなく、いま韻文で書いているのだ。
    >
    > ≪崩壊してしまったエリートたち≫
    > 思い出すべきことを告げなければならない。彼は幼稚園を経営し、小学校を建てようとする教育者であった。まずかったことは、「親切心を欠いた教育者」だったことだ。近代の教育とはペスタロッチ先生を挙げるまでもなく崇高なものだった。知識は玉のように貴重なものであり、教授するものは威厳と品格のある人格者である(ことが求められた)。こう語ると微苦笑が漏れるほど、いまや近代教育理念は崩壊した。
    > ドイツ観念論が投網のように人々に掛けたバリヤーは穴だらけ、「バリヤー内に意味のないことはない。それを学ぶほどに知識は蓄えられ、それが教養になり、立派な人格になれる」、ということはついになかった。インターネット、スマートフォンがそれを教えてくれたのである。検索すれば、画面にずらりと知識が並ぶ。玉もあれば石もある。
    > ああ、私のこれまでの人生は石ころばかり拾ってきたのかもしれない。で、何だこんなものとばかりに大学院生が専門書を放り投げる。スマートフォンを手に取る。考えてみればこれは百科事典だ。もう秀才の知恵を仰ぐ、知的に隷属的だった私は解放されたのだ。
    > 頼られることのなくなったエリートたちは、前東京都知事を筆頭に自己愛だけだったことが露顕し、バラバラと落ちてきた。「日本の最高学府で得た英知をよそへ教え広めるという使命を遂行するため、敢(あ)えて若年で去る」という、秘められた天下りのロジックはただのフェイクに成り果て、高級官僚出身の教授らは次々と大学を去る。当たり前だ。
    >
    > ≪時代に適応することを教えよ≫
    > 教育とは何だったのか。古代のブリタニアでは、教育を受けようとして多数の青年たちが高貴なドルイド僧の元に集まった。沢山の英雄詩を暗記し、霊魂が不滅であることを習い勇者が育てられた。
    > 李氏朝鮮では両班の若者たちが書院に通い、朱子学を漢文で一生懸命に習った。科挙試験の出題は学閥が握るので官僚になりたい者は必死だ。江戸の寺子屋では千字文と算盤(そろばん)で子供たちが手にマメを作っていた。今の英国にドルイド僧はいない。韓国人の多くは漢字が書けない。日本の習字と算盤は片隅に追いやられ、細々と命脈を保っている。
    > 教育とは「その時代と社会に順応することを教える」ということである。だから順応できなくなるようなことを教える「教育者」は傲慢で不親切な人なのだ。ではどうするか。子供や人々に親切になればよいのである。その時代や社会、国家に現実に適応でき、役に立ち、将来もできるだけ長く使えるような先見性のあることを親切に教えればよい。
    > いま盛んに言われているアクティブ・ラーニングはそのようなものでなければ意味がない。医者になりたい者には、手先が器用でなければ手術できないから手先の器用さを教える。自然科学の研究者になりたい者には、有意義な結果を生み出せるような実験方法を考案させる。人文社会科学ならば「微細な虚構と曖昧な現実」の逆をやればよい。「現実を見つめる態度と虚構を見抜く力」、つまりそれを人に語って納得させることのできる説得力である。
    >
    > ≪溢れる現実の恐怖に立ち向かえ≫
    > 要するにもっと現実をみつめ、役に立つことを考え、親切にすれば、「善」に近くなるのではないかと今の私は思う。というのも、私が大学で育てたエリートたちが今どうしようもなく困っていて、どうすれば「善」なる行為ができるかしょっちゅう聞いてくるのである。真善美はこちら側では概念化できない。
    > しようと思っても、いろんな神様になってしまったり、さまざまな偉人伝を並べたり、ドラクロワとかラファエロとか自分の好きなのを挙げられるだけだ。だから、それらのマーカーを集めて、どうすれば真善美に近づけるか、一生懸命考えるのである。考えていると、わりといい人になれる。
    > 今次日本は、近代教育の育てた、親切心を欠いた一人の「教育者」に振り回された。その間、北朝鮮からはミサイルが「飽和攻撃」で飛んできているのだ。日本の今の技術では迎え撃てない。早く敵基地攻撃の是非を問う論議をしなければならない。朝鮮半島の北からは「恐怖」が、南からは「憎悪」が溢(あふ)れ出している。正義なぞ振りかざすと某新聞社の記者みたいになる。日本国民に親切にするために、彼らとしっかり戦えばよいのである。(筑波大学大学院教授・古田博司 ふるた・ひろし)
    --------------------------------------------------------------------------------
    【2017/04/12 09:00】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    > 苹@泥酔さん
    読んだ読んだ、それ・・・・

    古田さんって、面白い視点で物を書く人ですよね。

    うちの孫は二人そろばんをやっています。
    本当はお習字もやらせたいけどね。
    【2017/04/12 22:09】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >本当はお習字もやらせたいけどね。
     管見の範囲では、どの書塾も稽古は時代錯誤の儘かと思われます。大抵は団体/社中の競書雑誌に依拠する筈。その中身(手本以外の記事)が豊富な場合~例えば巻菱湖の門流ネタ/国定手本乙種系統(第三期まで)だったりすると、下手すりゃ苹みたいな中二病が出来上がる(?)。因みに第四期甲種は鈴木翠軒、第五期(国民学校「芸能科習字」)は広島高等師範の井上桂園が揮毫。概ね大正生まれは第三期で、西尾先生の頃は第五期。(この続きは後日の稿にて。)
     また落ち着きだの精神修養だの、まるでトンチンカンな事を期待すると却って言語文化の伝統的特徴が遠退いてしまう筈。学問以前の基礎は昔、実務的/実用的必要と通底してました(今なら「受験上の必要」に近い?)。それが今は雲散霧消したから、学問までが歪んで「読めなくなる」。…教育勅語も和文から漢文に復文してみりゃどうなるか。「一旦緩急、義勇奉公、可以扶翼天壌無窮之皇運」なら少しは印象が変わるのでは。そうした読み替えを怠って、「勅語」(帝から臣民へ)という形式により遠ざけられた内容をひっくり返した上で(市民から天皇へ)近付けるから、「皇運」への仮託/意味も「ひっくり返って」読み違えるのではないか(抑も「勅」は支那由来~王羲之「十七帖」末尾の例↓)。
    http://www.skyren-art.com/images/stories/shi-qi-tie/wnagxizhi_shiqi28.jpg
     写本を含めた原文/原典表記の幅が明治期程度には母語の儘なら、それだけ翻訳的操作の余地が少なくなる。差し当たっては読み書き実務だけ掘り下げればよいのに、余計な精神所作/修養でごまかせば忽ち児戯か寝言同然になっちまう。でも既に「読めない時代」となった今は、西尾先生も親切にならざるを得ない模様…(「日録」コメント欄の池田俊二「2017年3月30日 5:41 PM」稿↓より)。
    https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=2106
    --------------------------------------------------------------------------------
    >①今から7~8年前になるでせうか、西尾先生に「先生は歴史的假名遣、正字で原稿をお書きになるべきです」と申し上げ、「それをやつてゐたら、商賣にならん!」と御不興を買ひました。
    --------------------------------------------------------------------------------
     どちらが不親切か分からなくなるほどの「無惨な親切」を鑑みると、西尾先生は先ず「仮名遣いよりもむしろ旧字に躓いている人が多いように思います」とする(『江戸のダイナミズム』文藝春秋版17章P.449、「「現代かなづかい」の矛盾」より)。次いで同「あとがき」P.586を見ると、そのものズバリの語彙が出てくる(↓)。
    --------------------------------------------------------------------------------
    > 一、二の例外の方々を除いて、江戸の思想家の研究をなさる専門の方々の引用は、訳文をつけず、原文でこと足れりとしています。読者に分らない親切、不親切の問題もありますが、それだけではなく、引用の原文主義が必ずしも厳密とは限らないと申し上げておきたい。例えば荻生徂徠の原文は漢文、それも返り点をつけない白文です。
    --------------------------------------------------------------------------------
    (『江戸のダイナミズム』出版記念会の記事は2007.4↓以下2007.7まで連載。)
    https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?m=200704
     …前掲稿で、古田先生はこう書いた。
    「子供や人々に親切になればよいのである。その時代や社会、国家に現実に適応でき、役に立ち、将来もできるだけ長く使えるような先見性のあることを親切に教えればよい。」
     また、こうも書いた。
    「江戸の寺子屋では千字文と算盤(そろばん)で子供たちが手にマメを作っていた。」
    「日本の習字と算盤は片隅に追いやられ、細々と命脈を保っている。」
     習字と千字文を書き分けた点が興味深い。今やっているのは習字であって千字文ではない。つまり千字文の本文が読めないばかりでなく、三体千字文に埋め込まれた書体横断性が読めなくなっている。だから「旧字に躓く」様で実は「新字にも躓いて」居て、しかもその事に気付かないという、謂わば三重苦の状態にある。旧字体は楷書に近く、新字体は草書に近い面がある。草書を角張らせれば漢字、曲線的なままなら平仮名として機能するケースもある。そうした過去の横断法則が読めない結果、「旧字に躓く」という「見え方」が「見方」に先立つ。
     だから、

    >古田さんって、面白い視点で物を書く人ですよね。
     ホント、そう思います。
     ところで…筑波でも書道(芸術学群)。古田先生とは学部が違うけど、その気になれば情報は適宜なんぼでも入手できそう。あっし程度の知識は誰でも持ってる筈だから、そっちに照会すれば何事も手っ取り早く済むだろう。でも私見では大学教官たるや例外なく勿体振り(?)なイメージで、親切に教えてくれる人と出会った事がない(単に苹が質問下手なだけかも)。筑波はどうだか知らないが、皆よほど忙しいのだろう。もはや「親切にしてる暇がない」らしい…今はどうだか知らないが。
    【2017/04/20 21:43】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔 さん
    では、お習字はやらなくてもいいってことかな・・・・。

    言語、言葉、文字・・・・・・大事だけれど、変わっていきます。
    でも、無理やりの変化は抵抗がありますね。
    【2017/04/23 20:47】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    ど素人の私が本当に語っちゃいますが、「字がきれい」というのは、練習すればなんとかなります。手本を見て、要するに「真似」すればできることです。
    でも、芸術の世界のものは、自分にしか理解できない世界であって、基本他人が見ても「なんじゃこりゃぁ!」の世界なのではないかと思います。

    そんな事例はけして芸術の世界だけではなく、商売の世界にも存在しています。

    真面目な仕事をしていればお客様はついてきてくれる・・・というのが大方の印象ですが、真面目だけでは足りないのが本当のところで、もう一つ欲しいのは、真面目なのにまじめすぎない印象を与えることができる人です。
    真面目だけでは暑苦しいだけ。
    やっぱりどんなことでも叶えてくれそうな、安心感を与えてくれる人。そんな人が一番営業には向いています。
    だからといってなんでもかんでも受け入れるだけなら、やっぱりそれは「ダメ」で、ちゃんと会社が損をしない営業をこなせる人。

    つまり商人は「普通」が一番大切です。
    お客さんもたぶん「普通」を求めているはずです。
    おそらくそれが一番難しいことなんだろうと思います。
    でも、「普通」は誰にでもできるチャンスがある「技法」だとも思います。

    【2017/04/24 00:28】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    >では、お習字はやらなくてもいいってことかな・・・・。
     …これは言葉が足りなかった(汗)。習字で使う教材が千字文。~以下は七年前に天バカ旧板で引用した、宇野精一博士米寿記念対談集『書香の家』(明治書院)P.37~38の記述。聞き手は石川忠久。戦前こんな具合だったそうな。
    --------------------------------------------------------------------------------
    >宇野 小学校時代のことで特筆すべきことは、小学校の一年のお正月、だからもう二年になるときですが、親父がぼくに習字を習わせた。その先生というのは、田口米舫という先生です。この先生は米フツ(草冠に市)を非常に尊敬していましてね。先生のお父さんは東大の昔の医学部の教授だったらしい。ぼくが通ったのは駕籠町四十四番地というところなんだ。
    >石川 つい最近まで駕籠町と言っていましたね。
    >宇野 ぼくは電車で通っていたのですが、駕籠町の一つ白山寄りに「原町」という電車の停留所があった。その原町で降りて、ちょっと入ったところに先生の家がある。そこへ一週間に一遍通いました。先生がお手本を書いてくださって、一週間かかってそれを書いていく。「千字文」を四字ずつ書いていく。一枚の半紙に二字だから、二枚書くわけだ。それを一週間お稽古して、先生のところに持っていく。先生が見て、よければ「次」と言い、悪いと「もう一度」と言われる。先生の前で新しいのを書くんです。だから、筆と墨と紙を持っていかなければいけない。
    > それはかなり長続きしまして、中学の四年までやりましたね。さすがに中学の三年ぐらいのときに千字文も上がったんですよ。たった一週間に四字ずつだから、二百五十週かかるわけだな。一年五十週としても五年ですよね。まともにいけばそうだけれども、夏休みや冬休みは休むから、中学の二年か三年までかかったんですよ。楷書が終わってから、篆書の真似ごとをやったり、隷書の真似ごとをやったりしていましたが、中学五年になったら、習字なんかやっていられなくなった。こっちは必死で受験勉強をしなきゃならなくなってやめちゃったんだ。
    > 高等学校に入ったら、寮に入ったでしょう。寮に入っていちゃできないわ。おまけに弓引いているから、できないというのでやめちゃったの。いまでもそれは残念ですけれどもね。
    --------------------------------------------------------------------------------
     書教育最大の欠陥は実技至上主義にある(「手習い」の優位)。天真爛漫な子供なら「上手いバカ」でも通用するが、中高生へと成長するにつれ「頭のいいヘタクソ」までもが「ただのヘタクソ」と分け隔てなく取り残される(「目習い」は評価不能?)。~教材の時代錯誤を「改善」したら、指導法の時代錯誤が取り残されて前より数段ひどくなった。それまでは二つの時代錯誤が調和していた。つまり時代錯誤が「活きて居た」。そんな調和を破壊したら、「本物の時代錯誤」と相成った…。
     ふと思い出すのは「日録」の記事(↓)。
    http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=788
    「西洋文化は調和と進歩、文明と破壊の二つをもつ双面神だったので、進歩と破壊だけが入ってきたのではない。背後にある調和と文明も同時に入ってきた。」
    https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=789
    「私はたったいま「進歩と破壊だけでなく調和と文明をもたらした」と言ったのであって、「破壊だけでなく進歩をもたらした」と言ったのではない。「進歩」と「破壊」は私の文脈では同義語なのである。」
    【2017/04/24 01:35】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    でも、上手いバカは、それなりにバカっぽくないですよね。

    頭のいいヘタクソは損をします。
    せっかく頭がいいのに・・・・。
    【2017/04/25 10:56】 URL | 奥様 #- [ 編集]


     こんな記事を見つけた(↓)。前半抄録。
    http://toyokeizai.net/articles/-/169947
    --------------------------------------------------------------------------------
    >斜陽の「そろばん塾」がにわかに増えた舞台裏
    >「右脳を鍛える」をウリに、500教室を突破
    >秦 卓弥 :東洋経済 記者
    >2017年05月01日
    >一昔前にはどの街でも見かけた、そろばん教室だが、近年めっきり姿を消してしまった。1986年に1万3010教室あった(事業所統計調査)ものが、2014年時点で6753教室に減っている(総務省経済センサス基礎調査)。
    >しかし、口コミだけで全国532教室に広がっている異例のそろばん教室がある。現在、全国で1万人以上の生徒が通う「そろばん塾ピコ」だ。
    >ピコはそろばん塾の看板を掲げているが、「そろばんのプロ」を育成することが目的ではない。「そろばんの学習で右脳を鍛え、IQを高める」ことを目指しているという。そのため、昔からある街のそろばん教室のように、そろばんそのものの技術向上や有段者育成を目指さない。
    >ピコに通っている主な生徒層は、幼稚園の年長生から小学校2年生の子どもたち。週2回1コマ50分の授業でそろばんの基礎を習い、ある程度習熟したらフラッシュ暗算を追加で10分学ぶことができるという、独自の教育プログラムを展開している。
    >3年ほどで取得できる2級の検定取得を目標としているが、飽くまで2級を取得するまでの過程で、自然と右脳を使って計算・暗算力が鍛えられ、受験勉強の下準備ができるためだという。
    >
    >京大生の習い事の2位は「そろばん」
    >ピコを創業したのは、現役の京都大学生が提携塾を通してインターネットTV電話で個別指導をする、「京大個別会」の代表者・孝橋一(たかはし はじめ)氏だ。孝橋氏がアルバイト講師の京大生120人にアンケートを取ったところ、習い事の1位がピアノで、意外にも2位がそろばんだった。
    >3位の水泳を上回り、半数に当たる約60人が幼少期にそろばんを習っており、その多くが2級取得者だったことに着目。そろばんが右脳を活発化させるという研究成果も出てきたことから、全国のそろばん教室を見学・研究し、2007年にそろばん塾ピコを開設した。
    --------------------------------------------------------------------------------
     なぬっ?…京大生の習い事…だと?(汗)
     書道/習字も…斯くありたい…(ボソッ)

     子供の書塾の「上手いバカ」は、二十歳を過ぎてもバカのまま…とでも映るのかしら。苹の教員時代、その校長は「オマエ読めるか、読めないだろ」と前置きした後、「読めないもの(=平仮名)は教えちゃいけない」と真顔で続けた。どうやら「書道教員はバカ」が基本認識って事になるらしい。中には筆文字の平仮名が中国語に見えるとおぼしき先生も居た(どちらも英語畑)。青森県外でも現場は似たり寄ったりだとしたら、これは相当に深刻な筈。抑も大学の水準自体がイメージできないのかも知れない。弘前大学教育学部に書道科はなく、国語科の書写方面は高校教員経験者が担当してきた(宮川某とか工藤某とか)。
     「調和の破壊」が「文明の進歩」へと繋がる様に教育すれば、もはや日本語/国語は無用の長物。英語国語化論の付和雷同性は百年かけて文化畑から経済畑に引っ越した様だが、まだ中文国語化論は出てないし中韓語が英語を阻む構図にもなっていない。それどころか中韓の英語熱は凄まじいらしく、どちらも移民予備軍が「ムスリムに続け」とばかり(?)、傍目にゃ手薬煉を引いてる気配ムンムン。
     今そんな目で見られたら、さぞ泉下の書人達は嫌がるだろう。~先夜は漢学との絡みで、昭和七年の追憶を見つけた(上條信山「天来先生のおもかげ」より↓)。
    http://www.shodo.co.jp/unknowntenrai/episode_23/
    --------------------------------------------------------------------------------
    >長いこと長峰で回腕により、ゆっくりと形をこしらえていた私にとっては、短峰のかため筆で、バリバリと歯ぎれよく颯爽と運筆される先生の姿は、異様のものに感じられた。筆をおかれた先生は、欧法の説明を二、三してくださったがさらにつけ加えて、ほんとうに書をやろうというなら、書の根本である漢学をやっておくことだ。字ばかり習ってみてもいい書はできるものではない。書には書巻の気といって、読破万巻という学問の裏づけがたいせつになってくる。まず文字がわからなければ書は書けない。字がわかれば文章がわかり、詩文がよめ、経書もわかることになる。経書に目が通れば、聖賢のことばにふれ、しぜん聖賢の魂にふれることになり、人間が内につくられることになる。そこにほんとうの書ができる。漢籍の勉強をやりたえ......と一介の書生である私に、じゅんじゅんと説いてくださった。春風のごとき温容であった。
    --------------------------------------------------------------------------------
     或いは『現代日本書法集成 上條信山』(尚学図書)P.6の記述(↓)。
    --------------------------------------------------------------------------------
    > 今から考えてみると、呉石先生の書は、根源は歐陽詢の九成宮醴泉銘にあったわけで、それをごく平易に、一般化したもの、入門期の手本としては最適なものであった。当時は、鳴鶴や、一六の三体千字文も流行していたが、風格や、味わいがあるにしても、少年時代の手本としては少々無理なところがあった。呉石先生の千字文に出会ったことは、少年時代の私にとって大変な仕合わせであった。
    --------------------------------------------------------------------------------
     その西脇呉石が書いた大正7年(1918年)の「文部省国定教科書 書キ方手本乙種」は、こちらに例が載っている(クリック拡大↓)。
    http://bunkashodoukai.com/goseki.html
     これが第三期までの折帖仕立て(一頁一行ベース)。第四期からは半紙仕立て(一頁二行ベース)となり、それが現在の書写教科書まで続く。ただし西尾先生の頃は半紙六字大なのに対し、国語科書写(解禁1951、必修化1971)は中学段階でも半紙四字大のが多い上、青森では実質未履修が戦後の常識/伝統と化して久しい。
    (続く)

    (近況)
     「2017/04/20 21:43」稿の十七帖ネタまで書いた後、当初こんなふう(↓)に続けた。朝七時半頃に削除し、親切ネタを書き足すのに一週間かかった。
    --------------------------------------------------------------------------------
    (余談)
     以下は旧稿群(↓)の続きにて。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1937.html#comment
     病院に行ったら、またまた「転院して欲しい」との事。あたしゃ通院するのも転院するのも両方めんどくさい(「2017/02/05 02:08」稿で書いた通り)。帰宅して検索したら「セルフメディケーション」てぇのがあるそうな。今の薬は処方箋なしでも買えるのかしら。どっちが安上がりになるのかも心配。いづれにしろ目的は入院予防。
     今月の予定では、
    ・うちの婆様の通院日(2017.4.25)、掛かり付け医に転院できるか聞いてくる。
    ・今の病院に転院相談し、処方薬か代替薬がセルフでも入手可能か聞いてくる。
    (通院をやめ、薬もやめる…てぇのは入院予防にも通院予防にもならないなw)
    【2017/04/14 01:50】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
    --------------------------------------------------------------------------------
     …で今日、紹介状を貰ってきた。先日セルフの件を婆様の掛かり付け医に尋ねたところ、医者経由でないと無理らしいので転院(転医?)予定と相成った。隣の薬局にも処方の内訳を見せて、話は通してある。
    【2017/05/02 22:44】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (前稿補記/備忘録)
    ●「今タイム何時?」韓国キッズの韓国語が“ルー語”化しているらしい!=韓国ネット「ここまでくると病気」「そんなに米国がいいなら移民したら?」
    http://www.recordchina.co.jp/b175044-s0-c30.html
     あたしゃ「中韓の英語熱は凄まじいらしく」云々と書いたけれど…(絶句)。

    ●地方から病院が消滅する日…経営難で年3百件ペースで廃業等、路頭に迷う患者と看護師
    http://biz-journal.jp/2017/05/post_18973.html
    https://news.nifty.com/article/item/neta/12111-33344/
     そう云えば紹介状の待ち時間、転院をどちらが希望したのか、看護師さんが気にしていた。先生の方から言い出したと聞いて、なにやら安堵した様子だった…。
    【2017/05/05 21:21】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔 さん
    だましだまし、長生きしてください。

    日本以上に、外国では薬を手に入れるのは難しいようですね。

    今日テレビで、熊谷真美さんが書道家中澤希水さんと
    結婚していて、書道展なんぞが映っていた。
    【2017/05/06 21:13】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    (間奏~「みんなで遊ぼう千字文」)
     なかなか予定の「少年記」図版~半紙清書(?)に話を進められないのは、西尾少年が書教育史上の新世代だから。先ず幕末の御家流から明治の巻菱湖系(後の教科書乙種系)、行草中心から楷書中心への大変化があり、やがて教科書の国定化で選択肢が甲乙二種となる(その前は自由選択制)。暫くして第四期、昭和に高まる芸能/芸術化の機運は却って、実用書道の衰退に棹さす遠因となったかの様な。その辺からのを新世代と見なしても、マア雑駁には構うまい。いづれにしろ少数の民間書塾は別として、学校で千字文はやらない。
    http://www.geocities.jp/qsshc/cpoem/qianziwentate.html
     セレブ奥様の尊名で拾うと靡恃己長/空谷傳聲/川流不息/守真志滿/篤初誠美。そんな教材に先達は、小二の頃から触れて居た(宇野精一は宇宙洪荒/鉅野洞庭/用軍最精…因みに一は出てこない)。中学まで続かぬのが普通なら、やめる前に覚えちまうのが好都合。続句それぞれ信使可覆/虚堂習聽/淵澄取暎/逐物意移/慎終宜令と、連想ゲームで遊んだ子供だって居るだろう。…それにしても奥様は、なんとまあ面白い名前を貰った事かと。(がっかりネームの西尾幹二にゃ、東西二京しか出てこない…あ、筆が滑った…汗)
    http://1000ya.isis.ne.jp/0357.html
     長崎遊学時の福澤諭吉は、デタラメお経を暗誦して小遣い稼ぎしたそうな(「福翁自伝」)。種本は千字文や蒙求。もっと優秀な子供は四書五経でも充分リアリティがあったろう。幕末明治は大体そんな時代らしい。三体千字文なら行書も草書も瞼裏に並んで当然である。
     ~熟知の果ての未練(?)は重い。米寿の碩学かく語りき。「できないというのでやめちゃったの。いまでもそれは残念ですけれどもね。」
    【2017/05/12 22:04】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    へぇ~~~
    靡恃己長/空谷傳聲/川流不息/守真志滿/篤初誠美

    千字文・・・・・四字熟語のようなんですね。
    同じ字は二度出てこないのですか?

    つまらない質問でごめんなさい。
    【2017/05/12 22:40】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    (蛇足~悪乗り千字文)
     例えば昆池碣石/雞田赤城/俊乂密勿/東西二京などと片っ端から遊び倒すと、よほど変な(?)名前/字でない限り結構すぐに飽きてくる。そもそも千字文はナンバリングにも使われてきたくらい汎用性が高いから、続きの字で碣赤乂京みたいなハンドルネームを拵えたところで目新しさはない。通信傍受する米軍をさんざっぱら悩ませた薩隅方言ならまだしも。晩年のソシュールはアナグラムに興味を持った。

    >同じ字は二度出てこないのですか?
     はい、そうです(ただし女慕貞ケツ(三水なき潔)とガン(糸丸)扇圓潔の字義重合を避けて女慕貞烈とする版も稀にある)。…今は中二病と云うらしい。あっしの場合は般若心経や東照公遺訓や軍歌「戦友」全14番などでは物足りず、何を血迷ったか千字文の丸暗記を始めちまった。年内に約半分、中三では六割以上がスラスラ出てきたけれど、高校に入ったら頭の出来が悪くてそれっきり。残りは順番も字面もバラバラ…だからかナ、数十年後も未練がましく名前で遊んでみたりする。今の気分はボケ予防に近い。
    http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_r_718.html
     それをもっと早い時期に刷り込んだなら?(明治九年の埼玉は簡易な本朝三字経だったけど↑)…そんな余計な劣情(?)を、あたしゃ騒動前の森友/塚本ネタに催したのでござんした(奥様稿で初めて知った↓)。この点、古田先生と違って(?)若干の割り切れなさが残る…。尤もアノ騒動では、しつこいコテコテの夫唱婦随/同氣連枝ぶりに辟易してたんだけど。(あっしが東北気質だからか?)
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1996.html
     …気質と云えば、ウィーンを連想(小澤が見当たらないからインド人↓)。
    https://www.youtube.com/watch?v=aCuB6KxXb58

    (追記~同日19:00頃)
     すっかり忘れてた。あたしゃ2008年、こんなの書いてたんだなあ…(コメント後半、書道/萩野貞樹ネタの方↓)。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-511.html#comment
     近稿と絡めたら、自分では意外と新鮮に読み返せた。関連事項多数。
    【2017/05/15 02:32】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (前稿追記の補記)
     当時新刊の萩野貞樹『舊漢字』(文春新書)について、綿貫明恆の酷評を天バカ板に転載した事がある。興味あらば新板最下の「【再掲】国語問題01」(2011/09/24 (Sat) 22:41:12)稿中、2008/03/08 20:46の「7036 【追悼】全文転載【No.6788補記】」稿を参照されたし(↓)。
    http://imoshiori.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7438296
     これだけでは物足りないか…(書き足すと却って煩わしくなる?)。

    (書き足し)
     …で、同「03」の遣り取りでは2008/03/12 21:52の「7052 No.7045の続き。」稿中、こんな事を書いたりもした(↓)。前置きを省いて抄録してみる。
    --------------------------------------------------------------------------------
    > 以下本題。
    > 打鍵と選択は「記憶からの抽出」を省略するシステム…とも云える。つまり我々は結果的に「常に略字を打っている」事になる。わざわざ漢字を想起しなくとも音だけ想起すれば打鍵できるし、選択する際は機械が候補を提示してくれるから、ここでも脳内記憶の何割かは抽出の手間をかけずに済む。
    > この手の省略を「記憶の分担制」と言い換えてみようか。書字側に見立てるなら、点画を一々ハッキリ書くのはめんどくさい。そこで省略して書く。細部は読み手の側で補ってくれ。とどのつまりは書き手と読み手との間で、「想起されない記憶」を「恰も既に想起されたかのごとく」ヴァーチャルに分担し合う訳だ。すると読む際も書く際も細部を一々想起する必要がなくなるから、当然「草書は読み書きできるが楷書の読み書きはてんでダメ」ってケースが出てくる。~これらを現代の眼差しで顧みればどうなるか。
    > 一方は「記憶が記憶を騙す」。もう一方は「記憶が記憶を省略する」。恰も自分が記憶していたかの様な振る舞いを予め機械任せにすれば前者となるし、初手から細部の記憶を必要としなくなれば後者となる。~先日、奥様ブログのコメント欄にこう書いた。
    >--------------------------------------------------------------------------------
    > 「草書は読めても楷書は読めない」ケースが江戸時代には結構あったそうな。草略体を基準にすれば、そこから分岐していく正体字は(楷書であれ活字体であれ)あくまで「一つで多数」のまま、深層の文字像に収斂する一方で表層の文字像への分化と共立する。そうした視点で旧字を「草略体の仮の姿」と捉えれば、萩野先生の旧漢字への視点は必ずしも「表層での収斂」を前提したものではなくなる訳ですな。あたしゃご存命のうちに気付くべきだった(…と今は思ってるけど、まさか誤読・曲解じゃなかろーな)。
    >--------------------------------------------------------------------------------
    > いづれにしろ実用上、我々が文字に纏わる何らかの省略を免れ得ないとすれば、省略自体の位相転換と表層の文字像とを分けて考える必要が出てくる筈。そこに「仮の姿」の真骨頂があるだろう。元々の字が複雑だから省略の必要が出てくるのではなく、省略された形の記憶が「駄目押しの正確さ」に到達するまでの過程が複雑なのだ。旧漢字がどんなに正確であろうと、その正確さが思考の正確さを担保する訳ではないし、むしろ未完の段階で幻視される「正確な記録」への先走った強迫観念が記録以前の「思考の自由」を阻害するケースの方が多いのではなかろうか。思考の流れを阻む正確さは百害あって一利なし。そうなるくらいなら、文字など初めから無い方がよい。しかしそれでは情報伝達の都合にそぐわない。なればこそ、伝達システムと思考システムとの狭間で流動する文字は「文字らしさ」を思考の側に向けて溶解・消尽させねばならなくなる。
    > 勿論、正確さの極北を旧漢字に見出すのは一向に構わない。新字体や簡体字を金科玉条とするよりはマシな筈。それとほぼ同じ意味で、「書字/書写体」より「活字/旧漢字」の方に分がある事も認める。しかしこれはあくまで最終段階の話。生きた言葉の世界とは何かが違う。古典がゾンビの様に甦る時、ゾンビをゾンビたらしめる規範が必要となる事に我々は畏敬の念を抱くべきだろう(たぶん畏敬以前に恐怖してもいいんだろうけど)。
    > この畏敬が存外厄介で、下手をすると祭り上げられた挙句の果てに、旧漢字は日常使用を目的とした書写体・草略体・新字体を滅ぼそうとし始める。そうなると居心地が悪い。旧字・旧仮名の復活を目指す人々が日常性の回復を望んでいるなら尚更の事、非日常の領分となった伝統が日常性を取り戻すには今、日常性を取り仕切っている新字体・現代仮名遣いを過剰に敵視する訳にはいかないのである(福田・渡辺両氏が云わんとしたのは、多分そーゆー意味じゃないかしら)。
    --------------------------------------------------------------------------------
     最後の「渡辺」は渡部(昇一)の誤記。
    【2017/05/20 17:21】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (雑感~言葉は仮面に宿る)
     以下は「日録」コメント欄の、阿由葉秀峰「2017年5月24日 9:16 PM」稿より。
    https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=1806
    --------------------------------------------------------------------------------
    >長年西尾先生にお会いしたい気持ちも強かったのですが、次の『対話』の一節により慎んでいました。「 正直いって私はこういう青年に訪ねて来られるとたいがい困惑するし、迷惑である。彼は自分の問題しか眼中になく、ニーチェにしても、私の文章にしても、自分の気に入った言葉だけを拾い読みしているにすぎないからである。否、本人は丁寧に全文を味読しているつもりでも、結果的に、自分を正当化してくれる言葉、自分にのみ都合のいい言葉にばかり目が向いてしまう危険には、気がついていないのが普通だからである。(『ニーチェとの対話』第二章・孤独について「純粋さという錯覚」46頁)」
    --------------------------------------------------------------------------------
     そんな事も書いてあったかナァ…当方すっかり忘れている。忘れた頃にやってくるのは天災だが、忘れた頃に読み返す凡才は、いつも雑誌を見て斯う思う。「よほど頭の回転が速くないと、対談/対話なんて出来るものではなかろう」と。勿論それ以前に、対面自体どうだか。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-825.html
     セレブ奥様の「日録はじめますた」宣伝が支援板に載って以来、ストーカー(?)が最も嬉しがったのはコレだった(空行省略↓)。有難かった。読んだ気分は「勝手に幽霊部員」(?)。叶うものなら幽体離脱して飛んで行きたかった(←多分お金がかからないw)。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-824.html#comment
    --------------------------------------------------------------------------------
    >苹さんへ
    >西尾先生からの伝言です。
    >もし坦々塾に一年に一度でも来ることが出来るようなら、是非来てください・・・とのことです。
    >いろいろ、聞きたいことなどがあるそうですよ。
    >コメント欄に非表示でも結構ですから、お知らせください。
    >本来ならば、坦々塾への招待状は西尾先生から直接メールをさし上げるようになっているのですが、メルアドも不明、住所も不明なもので・・・・。
    >【2009/10/27 22:01】 URL | 奥様 #- [ 編集]
    --------------------------------------------------------------------------------
     あれからずっとスローテンポの書き込みを続けてきたけれど、その「聞きたいこと」に何かしら/少しでも接近できた点はあるだろうか。あたしゃ質問下手である以上に返答下手なのだから、盲滅法この手を続けるしかなかった。
     推敲は仮面が素面に近付く自己欺瞞(?)の様なものなのだろうが、さりとて素面が仮面に近付けば正直になれるというものでもあるまい。或いは素面と仮面が同一だったりすると、その恣意的分割はドッペルゲンガーとしての在処を自己言及的に問い直す堂々巡りに過ぎなくなるのかも知れない。
     これを書字に見立てれば、素面は深層の文字像(心像)に近い気がせぬでもない。総ては表層に於てのみ綴られ/語られ、深層のそれは外/表層の言葉を夢見つつ牛耳るもなお、表層の側から同様の意識で顧みられる/読まれるとは限らない。昔ながらの表層パターンは漢字の場合、五つのシニフィアンの中で一般に楷行草の三体が多く用いられてきた。これは書体であって構造ではない。書体の内部構造はあるが書体が構造なのではなく、それに対して流派/書風は構造と云える形で書体を包み込む。~今のところ苹は大体そんなふうに捉えているが、多分まだ多くの吟味を要するだろう。
    【2017/05/26 23:28】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    お願いがあります。

    昔の祖父のはがきのコピーが手に入りました。
    ところどころは読めるんだけど、
    読めない方が多いんです。

    ここに一枚ずつアップするので、
    解読?してもらえませんか?
    【2017/05/29 15:36】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >昔の祖父のはがきのコピー
    >一枚づつ、アップするので解読お願い
     はい、どうぞ。

    (妄想~二つの看板)
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1957.html
     下手な方は放っておくとして、セレブ奥様は徘徊中に二つ看板を見かけた筈(↑)。地味で平凡で教科書的な文部科学省は今井凌雪。黒澤映画では題字のみならず大量のクレジット「も」書いた。筑波大教授で日展参事なのに、普通の字で有名な例は稀。NHK教育「書道に親しむ」では裏方の松岡正剛と共に書教育番組の質を高めた(『墨』241号P.52)。
     もう一つは文化庁…こちらは少し説明が要るらしい。看板が出来た当時は「そう来たか」と面白がった記憶がある。芸術系の六朝風が、教育系の隣に並ぶ。つまり歴史的観点では、幕末明治以来のを反映した二枚看板という訳だ。ところが十数年後、ネットを見て驚いた。なべて評判は「下手」のオンパレード…どうしてこうなった?
     書いたのは成瀬映山。日展参事…の肩書きはどうでもよい。問題は師系で、青山杉雨から西川寧へと遡る。寧の父は西川春洞で、幕末期は「菱湖遺法帖」の序を書いた(跋は萩原秋巌)。「支那への開国」後は六朝風の盛んな清朝書道が日本で大ブレイク、春洞は様々な清人(徐三庚など)の書や古典を学び、かつ教えた。確か教科書も幾つか書いて居る。
     役人に教養があったのか、ともかく「同時に」二つの看板が新しくなった。依頼された側も滅多にない機会ゆえ、あれこれ考えない方がおかしい。或る意味あの二枚看板になる/書き分けられるのは必然だった。(…と、ここから苹の妄想が始まる。)

     …椅子に二人の少女が座る。当初そうなる筈だった(たぶん)。ところが相手は米軍で、事はすぐに頓挫した。すると少女が一人になった。米軍に轢きころされた筈が、日本軍に連れさられた従軍慰安婦になっちゃった。そうして像は、いつしか使い回されていたのだそうな。(←ここでは念のため真偽不明の扱いとして置く。)
     門前、二枚の看板が掛かる。確かに当初そうなった。ところが時は移ろうもの。やがて下手なのが増えた。すると全部で三枚になった。二枚で歴史が表現されたと思ったのも束の間、マトモな看板を挟むヘタな二枚…の構図になっちゃった。いつしか文科省は、自ら歴史歪曲する羽目になっていたのだろう。(ほんまかいな?)
     …嗚呼、妄想。誰も看板に歴史を思わない。上手いか下手か、その基準も怪しい。しかし話はそれで済まない。文化庁の看板は本来あの書風でなくてもよい筈なのだ。もっと相応しい六朝風がある。春洞門の倍くらい国民に膾炙していた、日下部鳴鶴の系統/門流である。後の比田井天来も含まれる。すると春洞系の数倍になる(豊道春海を含めても?)。
     にもかかわらず何故、春洞系になったか。…ここで一枚の有名な看板が思い浮かぶ。典型的な鳴鶴流である。物騒なイメージを喚起するには充分だろう。「たかが看板でイチャモン付けられたくない」と思う役人が殆どだろう。前にも出したが御覧あれ(↓)。
    https://pbs.twimg.com/media/C5nrSqSUwAAVIZB.jpg
     こんな感じで文化庁…。旧字の廳を避けた理由も、一つだけではあるまい?
    【2017/05/30 21:11】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    ああ~~~そういう目で、しっかり見とけばよかったなぁ~~~

    あれから5回くらい、行きました。
    例の官庁。
    【2017/05/31 09:07】 URL | 奥様 #- [ 編集]


     現役老人(?)の祖父世代~その前の漱石・鴎外世代も原稿には硬筆を常用していたが、どのみちハイカラには違いなさそう。明治時代は西洋筆記具の他、支那からは巻筆でない毛筆の製法も入ってきた(水筆↓)。日清戦争の頃、広島の筆は需要過多で質が低下したらしい。教育現場での毛筆廃止論が取り沙汰されたのは大正。
    http://fude.or.jp/jp/2009/06/897/
    http://www.pencil.or.jp/company/rekishi/rekishi.html
     実用重視なら毛筆より硬筆がよいとする見方と、書の芸術性を主張する立場と。それらが相俟ってか、やがて毛筆実用から鉛筆普及への流れは不可逆となる。毛筆書字は大字(主に半紙六字大)が中心となり、精密な小字教育は急速に廃れ、筆順の正しい「可塑性」なども乱れていった。
     「正しい筆順がある」と曲解するから硬直的になる。正しいのは書体横断原理に基づく歴史的可塑性の許容範囲であって、必ずしも筆順自体ではない。それをいきなり子供に理解させるのは難しい。子供は先ず「習熟してから」次なる理解へと踏み込む。そこに「上手いバカ」と「頭のいいヘタクソ」の分岐点がありそうではある。
     開国前の子供が学んだ事を、今は大学か大学院でやる時代となった。「分数の出来ない大学生」は驚かれても、「平仮名の読めない大学生」は当たり前。それもその筈、教わらないものを読める訳がない(ただし独学は別?)。その中間を「英語の出来ない日本人」に反映すれば、環境の影響が誰でも肌身で分かる筈。分数は受験に必要。平仮名は最高学府の領分ゆえ不要。英語は歴史的にも文化的にも、根っからの植民地ならともかく。
    (…と書いた後、続きが旧稿と重複しそうな気がしたので休憩…)

    (備忘録)
    http://www.sankei.com/life/news/170607/lif1706070017-n1.html
    --------------------------------------------------------------------------------
    >2017.6.7 12:30更新
    >「宝の山」身近な古典へ 国文学研究資料館長にロバート・キャンベルさん 資料画像DB化、画家ら招き創作支援も
    >(1/3ページ) .
    > 日本文学に関する文献収集や調査研究などを行う大学共同利用機関「国文学研究資料館」(東京都立川市)の館長に、米国出身の日本文学研究者、ロバート・キャンベルさん(59)が就任した。昭和47年設立の同館館長に外国出身者が就任するのは初めて。約40年にわたり日本文化に親しみ、同館での勤務経験もあるキャンベルさんに、同館の役割や今後の抱負を聞いた。
    > 「『国文学研究資料館』という言葉の響きからは、静かな感じを受けますよね。まるで静物画みたいな。でも、実際は古典籍の収集や調査、補修、保管に加え、世界中の研究者も出入りするなど、すごくアクティブな場所なのです」
    > 話しぶりこそ穏やかだが、言葉の端々から日本文学への情熱が感じられる。
    > キャンベルさんは1957(昭和32)年、米国生まれ。ハーバード大学大学院などで日本文学を学び、同館の助教授を経て、平成12年から今春まで東大大学院で教鞭(きょうべん)をとった。江戸~明治期の文学を研究する一方で、テレビ番組のコメンテーターとしても活躍する。
    > 経歴や研究が評価され、今年4月、同館の第7代館長に就任した。同館には50万点以上の所蔵資料があるが、大多数が古文や漢文。崩し字で書かれており、現代の日本人が読める活字になっていない。日本全国から収集したこれらの資料を精査し、広く公開することで研究を促すのが同館の役割となる。「江戸期以前に生きた人は、何に喜び、悲しんだのか。文字文化の断絶により、これらを知ることは意外と難しいのです。日本文学は、文字と絵が密接に絡んで成り立つ芸術品。これらを読み解くことは、日本の真の歴史を知ることと密接に関わっています」
    > 資料のデータベース化にも力を入れる。同館や各地の大学が所有する約30万点の資料画像をデータベースに構築。検索しやすくすることで新たな発見を促し、さまざまな研究分野を連携させるのが狙いだ。今後は、優れた画家や小説家らを同館に招き、一定期間滞在してもらうことで作品作りに生かしてもらう取り組みも検討する。「古典と身近に接することで、他分野で活躍する若者らの創作活動に生かしてほしいし、日本文学の要素を取り入れてくれれば」と語る。
    > 同館では崩し字を読むための市民セミナーなども実施している。「国文学研究資料館の知名度は決して高くありません。ですが、このような施設は欧米にもなく、日本文化にとっていわば“宝の山”なのです。ぜひ多くの人たちに広く生かしてほしいですね」(本間英士)
    --------------------------------------------------------------------------------
    【2017/06/08 00:31】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    見ました、見ました。テレビで看板映っていました。
    (文科省、今話題ですからね)
    で、以下のような文章を発見しました。

    ==============

    真実を知ると、「へー、あの文化庁の文字は有名な書道家の作品なんだー」となるが、知らなければ、相変わらず私は「やめとけよ!」という気持ちを持ち続けたかもしれない。
    でも、まてよ!文化庁以外の看板はまともな文字なのに、なぜ文化庁だけ、へにょへにょ文字にしたのか? 私にはどうしても合点がいかない。
    看板の目的はいったい何んだろう。国民や関係者が文化庁を訪問するさい、あの霞が関にたくさんある政府や官庁の建物に無事たどり着き、その建物が間違いなく文化庁であることを示すのであって、何も芸術性を求めなくてもよさそうに思えるのだが・・・。
    =============
    苹@泥酔さんの書いておられる意味が、
    ほんの少しわかりました。

    私は、実はあの文化庁の看板は好きじゃないです。
    【2017/06/08 20:38】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >実はあの文化庁の看板は好きじゃない
     分かります(笑)。どの辺の古典/碑碣から採ったか想像は付きますが、小さな字の欠けた/古びた趣を大字に拡大する場合、偶然の風味を「書法」(骨法)として再構築しないと筆力不足でヘロヘロになる。明治の碑学派は大抵やってます。特に隷書。戦後は殆どやらなくなりましたが、途中で何度も瘤をつくる「三折法」(今の意味とは違う)が当時は主流でした。例えば西脇呉石の「西狭頌」臨書(↓)。
    http://www.bunkashodo.co.jp/goods/images/22IMG_2189.jpg
     それを極端にすると西川春洞みたいになる…普段こんなヘンなのばかり書いてた訳じゃないけれど(↓)。中林梧竹の場合は「点線」とも云われたが基本は同じ。
    https://s-media-cache-ak0.pinimg.com/originals/da/90/25/da902515fcb7e8eca081aaa4f62edb86.jpg
     漢碑(隷書)と違って、楷書では普通やらない。しかし中には春洞の様な、碑碣の風合いを工夫した人も居る。その一例が中字の「鷹栖村墾田碑」。これが最も文化庁の看板に近そうだけど、風格も技法も全くの別物。八字だけ肉筆原本の図版が二玄社『書道講座』第一巻「楷書」に載っている(新版P.157)。現行のは新装版(三代目↓)で、たぶん書店にあると思う。
    http://kawachi.done-labo.com/?eid=1005942
     ネットでは画像が出てこない(泣)。現物は旭川にあるらしい(P.55↓)。
    http://w1allen.up.seesaa.net/image/E38282E38190E38289E9809AE4BFA1EFBC88E7ACACEFBC99E58FB7EFBC89.pdf
    --------------------------------------------------------------------------------
    >4 鷹栖邨墾田碑(大正2年8月建立)
    > この碑は大雪土地改良区(東鷹栖4条5丁目)の敷地内にあります。近文土功組合(大雪土地改良区の前身)が巨額を投じて石狩川の豊富な水源を利用してかんがい溝を開墾し,それによって稲作及び造田事業に一大飛躍をもたらせたことを記念して大正3年に建碑されました。
    > 祖父・安部勝三郎は近文土功組合の議員として,碑陰(碑の裏側)に名前が刻まれています。ちなみに表側の碑文の書丹(刻んである字の下書き)は当時の書の大家であった西川春洞です。どういう経緯で春洞に依頼したかは不明です。
    --------------------------------------------------------------------------------
    【2017/06/09 05:42】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    西脇呉石の「西狭頌」臨書

    は結構好きです。

    もう、芸術性とかいっても、好き嫌いでしか、判断できないです。

    高校生の頃、書道を選択していました。
    音楽、美術、書道の中からの・・・・
    先生がいい先生で、好きだったなぁ~~~
    墨をする時の、あの香りが特に好きです。
    【2017/06/09 08:50】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    (休憩後の続き)
     幕末から明治にかけての文字環境には、もう少し留意して置かねばなるまい。大方の人は見た目の変化、例えば楷書と草書の違いや文字連綿の有無に囚われがちな傾向がある模様。しかしこれらは表層の文字像が「違う様に見える」だけであって、深層構造における文字知覚/認識は殆ど変わらない。欧文の例で云えばローマンもゴシックも筆記体も、共に同一の深層文字像/認識へと収斂する様に。
     「殆ど」変わらないと書いたのは、例えば草書を楷書に書き換える場合、殆どの点画が複雑化して同一文字内に細部の差異を発生させるからである。楷書の輪郭は細部に宿る一方、草書の輪郭は骨格へと沈潜したまま再び表層の形に近接する。邉も邊も草書の形は同じ構造下で草略変化(行書水準を含む)の幅を持ち、草略の度が進むほど同一の形となる様に。つまり草書における細部の省略は、楷書における骨格の細密化/分化と相補的に機能する(ドゥルーズの表現を借りると、省略は文字認識の差異化=微分化(différentiation)、細密化は差異化=分化(différenciation)に相当する?)。
     微視的な差異/特徴を文字骨格から捉まえて、草書の之と足を読み分ける類は難しい(真草千字文では如松之盛と矯手頓足を参照)。どちらも同じ形で書かれたりする。こんな場合は文脈に任せて判別するのが古文書方面では普通だろう。…くだくだしく書かなくとも、「見れば/読めば分かる」で済ますのが書教育では常套だった。しかしそれでは現代人に通用しない模様。或いは稽古が通用しないのかも知れない。あたしゃ書塾の稽古で無心に慣れるうち「自然と読める様になった」側なのに、畑違いの哲学/言語学用語まで巻き込む羽目になっている。(なんてこった…憐れみたまえ?)
    https://www.youtube.com/watch?v=dTQrHrC7wJs
     これでは却って分かりにくくなるかも知れない。しかし楷書を基準に草書へ遡行すれば、そうとも考えてみたくなる。骨格の外延に発生した細部/点画の厳密さは手に負えない。楷書の手口は「規範なき不自由」に見えるものを新たな規範で縛る。文字認識が雁字搦めになって、差異ばかりが罷り通る。草書や仮名はもっと自由だった。規範の幅(差異の内包)自体がもろとも自由にうねり流れた。だから連綿も読み書き双方にとって必然だった。連綿の切れ目が文脈の仮象を呼吸する場合もあれば、そこに別のニュアンス~言葉自体とは別の音楽的重層性が宿る場合もあった。
    (続く)

     先月末から休み休み探していた、架蔵の『ニーチェとの対話』が見つかった。トイレ蔵書の、上から五冊目くらいの所に埋もれていた。心身ともにスッキリした。
    【2017/06/16 22:40】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (追補/備忘録)
     以下は宇野邦一『ドゥルーズ 流動の哲学』(講談社選書メチエ)P.149。
    --------------------------------------------------------------------------------
    > ここで「包含的離接」と呼ばれているのは、ドゥルーズが他の書物でも繰り返している奇妙な論理のことである。「離接的概念」は「選言的概念」ともよばれ、概念の外延が重なることなく、全く分離していること、AかBか、生か死か、男か女か、表か裏か、といった、ふつう相いれないとみなされる概念の組み合わせをいう。それゆえ「離接」は、必然的に排他的であるしかないのだが、ドゥルーズ=ガタリは、分裂症者にとっては、「生者あるいは死者であり、同時に両者なのではない」というような状況または論理が成立していることに注目している。
    --------------------------------------------------------------------------------
     これまでドゥルーズの術語を借り出す際は、包含的離接の話が殆どだった様に思う。微分化と分化の組み合わせに言及したのは今度のが初めての筈で、いつも通り誤読/誤解に基づく展開となっていないか疑い続けている。
     江戸時代の識字層/民衆は経験的すなわち理屈抜きに、日本語書記様式から既にそれを体得していたのではないか。そうでなければ草書も楷書も、平然と読み書きできる訳がない。あからさまな言葉/論理を経ずともイメージの潜勢は日本の庶民に予め親しみやすく、たまたま論理をフランス人が言葉に変換するまで/日本人が体験を喪失するまで、共に百年かかっただけではないのか…と。日本人自身の言語破壊は文明開化の暗黒面だった。表面はただの転写/活字化に過ぎないが、過去を読み取る能力の衰弱は内々メタボリックに慢性化する結果となる。
     念のため検索したところ、こんな記述があったので抄録する(↓)。
    ●「差異」の差異──ドゥルーズとデリダ── 檜垣立哉
    http://d.hatena.ne.jp/araiken/20120817/1345183199
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    > それはどのように提示されるのか。ひとつ明快な解答は、両者の哲学史的背景に言及することであるだろう。ドゥルーズの差異概念は、ベルクソンの議論の吟味からとりだされている。つまりこの概念は、流れを強調する生の哲学が、固定された定点に自らを位置づけることを拒絶しながら、それらを生みだす生成の力に着目したことを展開させたものである。そこでドゥルーズが見いだすベルクソンの差異概念のポイントは、何をおいても、それが流れの内的な力とその現実化としての差異の働きを提示することである。だから、このラインでの差異の探求は、弁証法的な統合・矛盾・他性という概念に行き着くことなく、生成変化としての流れを記述しうることになる「 cf. 「ベルクソンにおける差異の概念」)。そして、このように展開されるドゥルーズの差異の概念には、流れにはらまれている微小な差異をきりわける微分( différentiel )と、流れにはらまれる差異が自己展開を遂げて姿をあらわす分化( différenciation )という2つの主題とが、緊密に連関する。ドゥルーズの差異とは、『差異と反復』での différent/ciation (微分/分化)という両義性を含ませた表記によってこそ、十分に表現しうるものなのである。ドゥルーズにおいて差異とは、未決定的な見えない力(潜在性)を示す微分という装置と、未決定的な力が現実化して姿を現す分化において描かれうるのである。未分化な質料として力をはらむ卵細胞が、さまざまな細胞や形態へと多様に生成していく光景が、ドゥルーズの差異概念の根底にある。
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     ところで、ドゥルーズはニーチェの研究家でもあった。
     あたしゃ忘れた頃に掘り返す。西尾先生の『ニーチェとの対話』もその一つだが、またぞろトイレで読み返す。そんな事も書いてあったと「思い出す様に読む」訳だ。追憶だか読書だか判然としないものを読み分けるのは、ただ読むのとも読み返すのとも違う。嘗て読書した自分の方を、向こう側に思い出そうとする。しかし読書自体は二の次で、考え事を優先すると追憶する閑がない。…読書は苦手だ。

    (江戸のリベラルアーツ)
     日本は昔、西洋とは別のリベラルアーツ大国であった…てな事を書くと奇天烈に見えるだろうか。これまで引用してきた諸資料に、少しは片鱗が窺える。例えば高斎単山の塾(「2015/01/04 02:44」稿)。次にアマチュアコンクール(「2017/01/22 17:08」稿)。~読み合わせると幕末期、日本には既にダブルスクールが存在したのだと知れてくる。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1720.html#comment
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    >私は学僕(塾に住み込んで塾の雑用をしながら学ぶ若者)でしたから、月謝も食費もいりませんでしたが、その代りに、炊事もやれば拭き掃除もやりました。それはこき使われるという感じのきつい仕事で、昼間はいろいろな用事を言いつけられ、とても落ちついて勉強などできませんし、夜は仕事がすむと漢学塾(植村蘆洲の塾)へ漢学の勉強に行きましたから、書の練習は、しばしば夜通しの修業になりました。夜も寝ずに夢中になって漢学の書物を開き、筆をとり、その場に疲れ切ってぶっ倒れるまで学んだものです。
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    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1937.html#comment
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    >これはおそらく、音楽家育成の専門教育機関ととらえられている日本の音楽大学と、音楽を教養の一環としてとらえるアメリカなど海外の総合大学との考え方の違いなのかもしれません。もうひとつ決定的な違いは、日本では“ダブルスクール”が認められていないこと。海外では“ダブルスクール”が当たり前で、アマコン上位入賞者たちの多くは、医学部や理工系学部などと音大を掛け持ちして学んだ“ダブルスクール”出身者たちです
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    (以下は2ch掲出稿と未出続稿)
     稽古事としての書道は通用しなくなっていると思う。たぶん学問が消えたからだ。学制後、学問がそっくりそのまま学校に引っ越した。その後、学園天国がやってきた。つまり学校にも学問がなくなった。受験教育は学問でなく、競争だから紛らわしい。学校のは授業という名の稽古事。中身は塾と大差なく、むしろ塾の方が洗練度は高い。受験無用の進学時代、学校や進学塾は受験競争から排除された書塾と変わりなくなる。ならば書塾は「未来的」かもしれない。学問は大学からも、大学院や海外に逃れ去る。大学から受け皿を排除する動きがある。再び書道から学問、学問から書道が消える。書道は民間に潜り続ける。中野三敏によると、大学の古文書学は民間に勝てないとか。
     学校は不思議な所で、学習指導要領を守らないのが当たり前となっているらしい。筆を持つのが小学校以来という事はない。中学国語科書写でもやる事になっている。第1学年と第2学年では年間20単位時間程度。第3学年では年間10単位時間程度。高校書道選択者は最低でも変体仮名単体が読める。読めないなら授業形骸化の証拠。芸術科の各科目、国語科、商業科の「文書実務」などとの関連にも注意を要する。しかし現実は学習指導要領の水準に達していないらしい。入試科目の水準はともかく。違法な教育が慢性化し、それが2006年の未履修問題で表面化したのは衆知の通り。授業の形骸化自体は違法でない。皆様は芸術科書道の定期考査、どうだったろうか。
     学校と進学塾の融合体を進学校と見るなら、学習指導要領に従わないのは当然だろう。進学塾に非受験科目は要らないから、学校にも要らない。でも学校を擬装すると好都合。卒業証書が出せ、大学受験に有利で、教員採用は教委任せで、なにより県費が貰える。卒業生の最終学歴が「そこ」でない限り、学校は総て受験システム準拠の進学校である。だから「選択と集中」の原理と経済効率に基づき、教科・科目の精選が不可避となる。関係者大半にとって不要科目は時間の浪費。しかし未履修問題となっては元も子もない。そこで授業から部活へ内容移植するか一体化するかして、カリキュラム崩壊を模索する。多くの学校は前者。授業形骸化=ゆとり科目化と、部活への選択的生徒集約で対処する。指導力の有無とは別の部活指導による多忙化は、教員側の「ゆとり=無駄」でもあろう。しかし大分高のケースは、反ゆとり化の悪循環とも映る。ゆとりが今、ゆとりでない。
     殆どの書家は反日である。大方は無意識に、日本文化の殺害者たるべく活動してきた。彼らは「芸術」の行動原理による文化破壊を目指す。芸術でない文字文化を粛清する。従って古文書の殆どは書道教育の範疇外。戦後一貫、学習指導要領に明記されてきた。国語科書写と芸術科書道の分離により、後者では読める人材の育成が禁止されている。高校書道の実態は「教えたふり」が大半で、定期考査による読解力の確認義務はない。つまりわざと教えない事により、昔の字は読めないのが正しいと教えてきた形になる。その結果、日本人ほぼ全員が文盲になれた。欧米以上に識字率が高かった昔とは違う。たまに識字率調査が話題になる。結果ばかり取り沙汰されるが調査方法は出てこない。楷書の読める知識人は少ない。多くは草書変体仮名交じりの御家流しか読めなかった。そんな人々に活字や楷書を見せ、「読めるか?」「書けるか?」と試験したらどうなるか。
     書道の根本的救済策は高校教育の厳格化にある。学習指導要領の完全遵守を目指す。すると全員卒業は不可能になる。大量留年や退学者激増の覚悟なしに教育は出来ない。そこで国立高校の創設だ。代わりに今の高校は非高校化。概ね総て予備校化して貰う。これで旧高校=新予備校から箍が外れる。受験不要科目は消滅。生徒は高卒資格不要。大学に入学できるのは国立高校卒業者と、高校卒業程度認定試験の合格者のみとなる。新予備校は後者を生徒に要求して構わない。受験科目外の教科は専門の塾に委託する。全教科を新予備校が整備しても高卒扱いにはならないが、従来の予備校とは合併可能。今も学校と予備校と塾を掛け持ち通学するケースは数多い。これは明らかに非効率だ。しかし海外の場合、特に大学レベルでダブルスクール経験のあるケースが少なくない。そのモデルで高校を分割すれば、大学も高校もそれぞれ必要な教育水準に特化できるだろう。

    (またまた備忘録~追記)
     …と纏めた後、痛快な文章を見た(↓)。「2017/04/20 21:43」稿の「「勅語」(帝から臣民へ)という形式」については偶然、貝塚先生も産経稿で指摘していたので嬉しかったが、加地先生の方は見ていない(買わなかった…残念orz)。
    http://www.sankei.com/column/news/170628/clm1706280005-n1.html
    --------------------------------------------------------------------------------
    >2017.6.28 10:01更新
    >【国語逍遥】
    >(86)清湖口敏 一旦緩急あれば 「文法の誤り」とは何ごとぞ
    >(1/5ページ) .
    > たまの涼しい朝には家を出る時間を少し早め、湯島天神(東京都文京区)に寄り道してから出社することがある。日頃の運動不足の解消を兼ねた、ほんのささやかな「逍遥」である。
    > ♪湯島通れば思い出す
    > お蔦(つた)主税(ちから)の心意気
    > 境内を歩くと決まって口ずさみたくなるのが、子供時分からの聞き覚えの流行歌「湯島の白梅」だ。そしてこの一節を口ずさむたびに必ず想起されるのが、教育勅語に対する昨今のつまらぬ批判である。歌と勅語に何の関係があるのかは結末に譲るとして、まずはその批判の一端を。
    > 昭和23年に国会で失効宣言が採択されてから70年目の今年、教育勅語は予期せぬ“復活”をとげた。森友学園問題が発端となって、にわかに世間の関心を集めることになったのである。
    > 「憲法や教育基本法などに反しない形で教育に関する勅語を教材として用いることまでは否定されることではない」との答弁書が閣議決定されるや、一部のマスコミは「戦前の価値観に回帰しようとする動きの一環」(4月2日付朝日社説)などと反発した。
    > しかし武蔵野大教授の貝塚茂樹さんは「教育勅語の歴史を直視せず、徒(いたずら)にこれを全否定することがさも民主的であるかのように振る舞うのは歴史に対する欺瞞(ぎまん)である。こうした態度が逆に、教育勅語を『神懸り的なもの』として扱うことになることに気づくべきだ」と叱正する(4月26日付本紙『解答乱麻』)。
    > 批判は、勅語の中の「一旦(いったん)緩急あれば義勇公に奉じ…」の「あれば」は文法的に誤っているといった方向にまで及んだので、さすがに小欄も取り上げないわけにはいかなくなった。
    > 『週刊文春』(3月30日号)ではジャーナリストの池上彰さんが、文法の間違いがあるとの指摘も紹介しておくと断った上で、「もしも国家に危機があるとするならば」の意では〈「あり」の未然形+ば〉の「あらば」が当時の文法では正しく、「一旦緩急あれば」では「危機は必ず来るから、そのときには」の意になってしまい、誤用である-と書いていた。
    > 反論したのが大阪大名誉教授の加地伸行さんである。月刊誌『WiLL』(6月号)で、まこと懇切丁寧に「あれば」の正当性を主張した。全文を引けないのは残念だが、概略を以下に示したい。
    > 古文の立場からは、助詞「ば」には3種のつながり方がある。(1)「あらば」(未然形+ば)は「もし~であるならば」(仮定)を表す。(2)「あれば」(已然(いぜん)形+ば)は「~ので」(理由)や「~したところ」(契機)を表す。(3)「あれば」(已然形+ば)は(2)の意味のほかにも、「或(あ)ることが有ると、いつでもそれに伴って後(あと)のことが起こる」という〈一般条件〉を表す。「一旦緩急あれば…」も「国民として、危急が起きたときには当然、戦う」の意だから(3)に相当し、文法として正しい。
    > 漢文の立場からも加地さんは、漢文訓読では例えば「行いて余力あらば~」と未然形で訓(よ)んでもいいが、一般的には、未然形相当のときに已然形で訓む慣行がある-と言及している。
    > 教育勅語は井上毅(こわし)の草案を基に元田永孚(ながざね)が成文化に協力したといわれるが、加地さんは「井上、元田ともに漢詩漢文の造詣の深さでは超一級の人物である。その成果としての名文、教育勅語に対して文法の誤りの指摘とは、身の程知らずのチンピラである」とバッサリ。いやもう、なかなかの快気炎であります。
    > 「あれば」の正当性は以上の「加地説」で言い尽くされ、付け加える余地は全くないが、かといって「では今回の小欄はこれにて」ともいかないので、古文の「ば」の用例をもう少し詳しくみてみたい。
    > 万葉集に載る山上憶良の長歌「瓜(うり)食(は)めば子ども思ほゆ…」の「食めば」がまさしく右の(3)に該当し、「瓜を食うといつも子供のことが思われ」の意味になる。
    > 百人一首の「明けぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな」も「夜が明けてしまうと、必ずまた日が暮れるものとは知っていながら…」と、やはり(3)の例に挙げられよう。旺文社全訳古語辞典は「『ぬれば』は『已然形+ば』で、ここは恒常条件を表す。『…と、いつもきまって』の意」とわざわざ注記している。
    > それなのにどう勘違いしたのか、「夜が明けてしまったので、再び日が暮れて…」と(2)の「理由」に解した古語辞典が、私の知る限りでわずか1点とはいえあったのには驚かされた。
    > さて、冒頭の「湯島の白梅」に戻ろう。既にご賢察かとも思われるが、「湯島通れば思い出す」の「通れば」も、古文法上では(3)の「(湯島を)通るといつも…」の意味になると考えられる。いや、そう考えないことには、文語調の詞に漂うせっかくの情緒も台無しになってしまう。
    > それでも「文法上は『湯島通らば』が正しい」と言い張るのであれば、作詞者の佐伯孝夫さんも泉下から一喝を見舞うのではなかろうか。
    > 「身の程知らずめ!」
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    【2017/06/29 08:39】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    ためこんできましたねぇ~~~

    いっぺん読んだだけじゃ、分かりません。
    【2017/06/29 22:17】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >ためこんできましたねぇ~~~
     中盤のリベラルアーツ云々は当初、もう少し寝かせてからにするつもりでした。備忘録だけでは短いかナと思って、急遽2chでの散発的な書き込み(段落毎)を取り敢えず途中から纏めてみた。それから産経のを読んで、コピペしたら今度は長くなり過ぎて…。
     ダブルスクールへの言及後が尻切れトンボになっちまってた事に気付いたのは夜になってから…マァ、出しちまったものはしょーがない。産経のを読む前は、こちら(↓)を準備してました。踏み込むと更にややこしくなるので削除した次第。虚数の話が出てきます。
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     その他、こんなのも見つけた(↓)。時折なんとなくソーカルの件が気にならぬでもなかったものの、いざ理系の話を持ち出されると予想通り付いていけなくなる…。
    ●ドゥルーズの差異化=微分化と量子論的差異
    http://noos-academeia.com/archive/paper/difference_in_quantum.html
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    【2017/06/30 00:03】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (しつこく備忘録)
    http://www.sankei.com/west/news/170701/wst1707010029-n1.html
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    >2017.7.1 09:14更新
    >大久保利通暗殺で駆けつける場面も 明治政府の動きをつづった巖谷一六の日記を復刻
    >(1/2ページ) .
    > 明治政府の内閣書記官などを務め「明治三筆」の一人に数えられる書家でもあった滋賀県甲賀市出身の巖谷一六(いわや・いちろく)がつづった日記が初めて見つかり、市教委が復刻して書籍にまとめた。明治天皇や政府の中心人物だった大久保利通など、公務で関わった1000人以上が登場しており、当時の政治史を探るうえで貴重な資料となっている。
    > 水口藩の藩医だった巖谷は明治維新後、新政府に出仕。政府の公文書作成などに携わった。書家としても名高く、清(中国)から学んだ当時の最新の書体を広めたとして、明治時代を代表する「明治三筆」の一人と数えられる。
    > 寄贈された日記は明治4~12年に書かれた13冊。政府の中枢にいた人物との交流などが詳細につづられている。
    > これまで日記の存在は知られていたが、関東大震災などで焼失したとされ、1冊も見つかっていなかった。平成26年、巖谷の関係者が市に原本を寄贈、初めて存在が明らかになった。市教委は多くの人に読んでもらおうと内容を読み下して出版を試みることにし、研究者らと作業を進めてきた。
    > 日記には、大久保利通が暗殺された明治11年5月14日の記述もあった。暗殺の知らせを聞いてすぐに現場に駆けつけたが巡査に制止されたこと、また、翌日に大久保の功績をたたえる天皇の勅書の草案を起草したことなど、政府の動きがうかがえる描写が随所にみられるという。
    > 編者の1人で、京都教育大の杉村邦彦・名誉教授は「近代書道史はもとより、明治の政治史、文化史の研究のうえで無二の資料だ」としている。
    > 復刻した日記はA4判で275ページ。1800円。同市教委で販売している。問い合わせは同市教委歴史文化財課((電)0748・86・8026)。
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     …先日、文化庁の看板ネタで西川春洞と日下部鳴鶴に触れた。続稿では戦前コレクターの海老塚四郎兵衛(的傳)が「点線」と呼んだ中林梧竹にも触れたが、六朝風にしては滑らかな書きぶりの巖谷一六はスッカリ忘れていた。…さほど目立たないかの様で昔はそうでもなく、周囲には結構あるけれど「単に我々が気付かないだけ」だったりする。
    http://www.park-mente.jp/park1-1.html
     例えば青森市の合浦公園(↑)なら、最も目立つ入口の碑刻大字が巖谷修(一六)。園内には鳴鶴の一番弟子、近藤富壽(雪竹)の書碑もあるそうな。桜で有名な弘前公園には鳴鶴の書いた鷹揚園記碑がある。そんな例が全国各地にゴロゴロある。看板より石碑の方が目立ってもいい筈なのに、昨今なぜ従軍慰安婦の像や碑ばかりが目立たねばならぬのか。これでは感覚のバランスが悪く不健康、二重の意味で理不尽だ。
    http://livedoor.blogimg.jp/otakarajoho/imgs/e/6/e6d97d5b.jpg
     一六も鳴鶴も、官吏時代は大久保(↑)の世話になったらしい。鳴鶴は勅撰の大久保公神道碑を書いた(代表作)。因みに義父の日下部三郎右衛門は桜田門外の変で殉難。鳴鶴の書碑がある(↓)。こちらの方が東都界隈の人には身近だろう。
    http://www.shodo.co.jp/blog/monument/2008/03/13.html
     ところで広島や長崎の場合、その辺にあった筈の石碑はどうなったのか。検索したところ広島では日清戦争凱旋碑とやらが出てきたけれど、あんなハイカラな改竄済みのではなく、昔ながらの漢文の。なんぼなんでも爆心地には…残ってないんだろうなあ。
    【2017/07/03 05:28】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    石碑・・・・・今度写真とってこようかな。

    うちの近くにはありますよ。
    【2017/07/05 21:21】 URL | 奥様 #- [ 編集]


     過日ふと新聞を見たら、「円城塔の文学散歩」連載第七回が載っていた。写真は碑前の雨傘姿、大佛次郎の碑文は川端康成の書だそうな。どの作家にも云えそうな事が、一応こう書いてある。
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    > どことなくおさまりの悪い石碑の文字を眺めているうちに、やはり日本の小説というものは、まだ未完成なものだという気持ちがしてきた。
    > 漢字かな交じり文という形で小説をかたちづくる文字の並びは、美的な落ち着きどころを探し求めているように見える。漢文のように四角く並べるわけにも、和歌のように踊らせるわけにもいかず、どうしても力みが残る。
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     さりとて自然に和漢混淆、燃える老魂「御家流」…まで引き返す訳にもいくまい。昔は頗る実用的だが、今の文体とは喧嘩する。教科書筆者の鈴木翠軒ですら、戦前は生硬な気配が少なからず残っていた。所謂「翠軒流」の様式が出来上がる頃から段々こなれてきて、その辺の書翰あたり参考になりそうではあるけれど、これくらい(↓)読みやすい書きぶりでも今は覚束ない時代となっちまった。封筒の消印は昭和32年末。当時は読める老人がウジャウジャ居た。
    https://www.syodou.net/column/masters-of-modern/
    (「謹啓愈々/御健祥大/慶に存上升/小生/罷出御挨拶/可申上候處/略儀歳末/之御印にと/粗品拝送/御笑味下さい/ますやう御願/申上升/大変お世話/様に相成感/謝に堪へませぬ/御多幸なる/御越年を/お祈申居升頓首/十二月廿一日翠軒/和田先生/侍史」…誤読あったらゴメン)
    http://www.all-japan-arts.com/rekishi/1004rekishi.html

    >石碑・・・・・今度写真とってこようかな。
    >うちの近くにはありますよ。
     書棚から三十年ぶりに駒井鵞静『全国書の名蹟めぐり』下・西日本編(雄山閣)を取ってきたけれど、そちら近辺のは載っていませんでした。無名のも含めると余りに沢山あり過ぎて、網羅したデータベースは全国どの自治体も皆無なんじゃないかなあ。
     熊野毛筆元祖頌徳碑の説明(P.242)には、こう書いてありました。~「井上桂園書 一九四七年(昭和二二)建立 井上治平・乙丸常太の二人は弘化のころ製筆の法を修得して帰郷し村人に伝えた これが熊野筆のおこりで、その頌徳の碑」

    (余談~またまた千字文)
     トイレで頁を捲ったら周發殷湯が目に留まった。殷の草書は敦とも読める。そこで直ちに孟軻敦素と見比べた。書き分けてあるが、読み違える可能性が低い場合は同じ形で書いてもよい筈だ。殳の草略は攵になる。攵をくずせば又になる。しかし殳をくずしても又にはならなかったりする。偏が同じ形になった場合、旁までもが同じだと困るのだ。だから殷の旁は攵となり、敦の旁は又になる。(智永の場合は旁が同じで偏が違う。)
     くずさない方が読みやすいとは一概に云えない。ただし、くずし分けによる判別基準が要る。その根拠を苹は点画痕跡と呼んできた。例えば殳の上部、すなわち几/々の痕跡が「ノ」型で残ったり、攵や又をくずせば「く」型になったりする。つまり殳/攵/又を貫く様な線状の草略アルゴリズム/優先順位は概ね部首毎かつ相互に、可読性の差異に応じて変形生成の幅と向きが交換し、効率的に揺らいでくる。
     くだくだしい説明かも知れないが、「見れば分かる」ものを「読めば分かる」様にしようとすれば大体こんな具合になってしまう。…こればかりは今のところ、相変わらず仕方がない。
    【2017/07/10 04:44】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (アブナイ川柳)
     以下は名児耶明『書の見方 日本の美と心を読む』(角川選書)P.205より。
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    > ところで、家の三代目の特色を表すものとしてよく取り上げられる、「売家と唐様で書く三代目」という川柳がある。初代は文字を勉強もせず商売に専念し店を大きくする。二代目になると遊びも覚えて初代の財産を減らしてゆき、三代目あたりになると、教養は身につけるが家をつぶしてしまうことが多いことを皮肉ったものである。ここでは、自分の家を売るにあたって、「売家」と書いた貼り紙を教養があることを示す唐様で書いたということである。
    > この教養の象徴とされる唐様とは、一体どんな書なのか。それは、黄檗宗が江戸時代の初めに重用され、その禅僧たちのもたらした明末期の書風が出発である。唐様は新鮮な書風として黄檗僧侶、文人ほか当時の知識階級に広まっていた。それは、漢詩をつくることができるのが前提で、それなりの教養を身につけなければその仲間には入れなかった。しだいにそうした教養をもった人たちの書く書風も唐様とされ、その後江戸時代の書として、御家流に対する一方の主役になるほどであった。
    --------------------------------------------------------------------------------
     戦後七十年も経てば、近年の話とは云えまい。~敗戦日本はこれから英語の時代になる。日本語をやっても無駄だ。そう考える人は少なくなかった様だし、GHQも識字調査を踏まえて実行しようとした。これが「近年の話」で、その前は明治の文明開化があった。もう漢学の時代ではない。これから英語の時代になる。漢学教養は遊芸放蕩の類で役に立たない。…そんなイメージで「教養の分裂」が常態化してきたのではなかったか。真っ当な教養は洋学で、漢学は教養に値しない。就中、非エリート大多数の欲望/憧憬に準じては…いっそう極端な様相を帯びて?
     戦後の「一億総中流」は、裏を返せば「一億総エリート」幻想へと向かう学歴競争の最中、漢学の非教養化と表裏一体であり続けたのではなかろうか。例えば「達筆で読めない」との言い回しには、斜に構えた軽蔑の気配が付き纏う(そんな気がするのは苹だけではあるまい?)。ここまでくると、昔の教養にしがみつく時代錯誤、との解釈だけでは済まなくなる筈。教養そのものに対する蔑視とデカダンスが濃厚に感じられてくる。大正教養主義にピンとこなくなった世代なら、尚更それを絡め違える向きとて少なくはなかろう。だから苹は迂闊に読む(↓)。
    https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=1808
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    >(5-2)教養主義こそが今日の教養の衰弱の原因である。
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     「読む人の身になって」との言い回しがある。或いは「読めない人の」。達筆は相手に不親切という事らしい。書く側への論難であって、読む側に落ち度はないらしい。あたしゃ「読める様にする」のが教育上の親切と思って授業したが、爾後のニーズは「踊り書き」の方にあるらしい。先ず実用を諦め、次に学問を諦めた。つまり目標がなくなった。どうやら書道の教育現場は、外野の煽動~「ええじゃないか」然とした狂態からピュアな迷惑を被り続けて居る模様(六根清浄?)。
     結局こういう事になるのだろう。~字が読めないのは、開国後の日本人が進歩したからだ。そもそも日本語は劣等言語であり、欧米と違って大量の漢字を要する(支那語ほどではないが)。昔は仮名も複雑だった。それをどうにか整理した。今よりずっと劣等な言語や文字は、読めなくて当然なのだ。嘗て三代目は唐様にうつつを抜かしたが、現代人は唐様を捨て財産を殖やし成功した…と。
     たかが川柳、されど川柳。昔の教養を引き剥がして進歩的に読んでみると、なにやら教育勅語への批判と似通った意識が通底するかの様に思えてくる。
    【2017/07/14 21:22】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (余談~中高生時代の思い出)
     西尾先生が英米の、海内版図の講演録を出し始めた(↓)。続きが楽しみ~♪
    https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=2203
     ところで…苹は英語が嫌いだ。周囲は外国語と云えば英語だらけなのに、学校でも興味が持てない。高校時代の模試で一度だけ実験した時は確か200点中4点、偏差値20台だった。「確実に覚えていると確信できない限り回答しない」方針でやってみた。大学入試の本番では偏差値60台だったから、ほぼ同じ条件下(碌に受験勉強しない)での差異が確認できた事は「記憶とは何か」を意識する最初の一歩、高校英語で最も有意義な体験になったと自分では思って居る。~当時の苹にとって、英語とは綴りである。断じて生身のコミュニケーションではない。
     あれは中学だったか高校か、隣のクラスから英語の時間に音楽が流れてきた。これも苹には通じなかった(初期体験のハレルヤですら独語版w)。あっしの様なタイプにはゲーテがギョエテの類、各国語比較の方が馴染みやすかったかも知れない。アレが出たらアノ言語かと、小中学生でも見当くらいは付くだろう。その程度の所から外国語教育を始めたらよかったのでは。いきなり初手から英語ってのは、むしろ外国語差別になるのでは。(蓮舫ともかく、民進党の方々は感想どうよ?)
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-2046.html#comment
     英語と云えば、先日こんなのも書いた(↑)。外人相手に(「私が」ではなく)「煙草が私を吸う」と言いたくなった元ネタ/記憶が、今夜の検索で判明した。昔どこかで読んだコレだった(↓)。まさか動画が残ってるとは思わなんだ。カラヤンがドイツ語で喋ってる。字幕は英語。
    http://wjf-project.info/blog-entry-493.html
    【2017/07/20 21:00】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (記憶と記録)
    https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=2205
     「日録」の続き(↑)。…あたしゃスッカリ忘れていた。「脱領土」との表現に久々おののいた。あの語を先生が最初に持ち出したのは、大体この頃だったかしら(↓)。
    ●GHQ焚書図書開封 第92回:アメリカの脱領土的システム支配[桜H23/12/21]
    http://www.youtube.com/watch?v=K8CJ-Nx3Cjk
     これもドゥルーズの術語にあったっけ。「再領土化」との組み合わせで、訳書を見ると難解で手に負えない。でも何か引っ掛かっていた。一方、西尾先生の言い回しはえらく分かりやすい。その所為か当時ドゥルーズのとは違う気もしたが、今あらためて五年半前の旧稿群(↓)を読み返すと存外そうでもなさそうに思えてきて困った。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1228.html#comment
     あの時さほど気乗りせぬまま、パラパラ捲って「脱領土化」が出てくる箇所をチェックした。すると偶々「移民」に目が留まった(「2012/01/14 02:47」稿)。こちらの方がピンとくる。そこで引用し始めたら止まらなくなった。~今では中国による再領土化(?)が沖縄よりも先に北海道へと及び、海では境界線をトレースするがごとく津軽海峡を遊弋している模様。脱領土化と再領土化は畢竟、どちらが先でもよいらしい。日本の南北で両方を使い分けている様にも見える。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-916.html#comment
     更に遡ったら…あたしゃ昔こんなのも書いてたのね…(「2010/05/04 21:32」稿↑)。
    【2017/07/22 18:29】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔 さん
    こういうのを上手にまとめて、日録にコメント書いてくれればいいのになぁ~

    え?無理?
    【2017/07/22 20:52】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >こういうのを上手にまとめて、日録にコメント書いてくれればいいのになぁ~
    >奥様

    苹@泥酔さんはシャイな方なので、頼まれると考えこむけど、いつかその期待には応えてくれると思います。
    実際今の日録がなんとなく面白くないコメントばかりなので、どうにか場を盛り上げたいなと感じています。


    やっぱり、西尾先生自らおもわず書き込んでしまいそうなコメントを、連ねてみたいという思いは強くあります。
    たしかかなり前、苹@泥酔さんの書き込みに感動した先生が、苹@泥酔さんに対して「草カンムリに平というハンドルネームの方へ」と呼び掛けて、先生はその知識の豊富な姿に驚いて、ご感想を述べておられましたね。
    キルドンㇺさん・・・キルムンドさん・・・どっちだっけ?も、苹@泥酔さんの知識には一目置かれていますし。

    そして何よりわたくしあきんどが一番驚いたのは、時計の話題です。
    単に時計のブランドを言い連ねるのではなく、時計のメーカーの絶対地図をちゃんと認識されていること。
    私は一応ブランド時計も扱っていましたので、少しは時計の世界を知ってます。
    有名ブランド時計会社と、そうでない偽物有名ブランド時計の存在の在り方を、一般ユーザーはほとんど認識していないのが現実で、時計を専門に作っているブランドは、自社工場で生産していますが、洋服やバッグなど、総合装飾品ブランド会社の場合は、時計に関しては生産委託しているのが現実で、それを請け負っている有名な会社が「エタ」というスイスの会社です。
    時間がある方はこちらをご覧ください。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%BF_(%E6%99%82%E8%A8%88)

    なんと苹@泥酔さんはこの会社の名前をご存じだった。
    まぁ確かに時計専門雑誌を読んでいる方ならご存知なメーカーですが、果たしてそんなことまでに興味を持っている方がどれほどいるのだろうか。
    私は仕事柄得た情報であって、誰もが認識するようなものではないのです。

    苹@泥酔さん、この話懐かしいでしょう。
    【2017/07/22 23:33】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    >こういうのを上手にまとめて、日録にコメント書いてくれれば
     纏まらないし勉強不足なんですよ。ドゥルーズ達の纏め方ひとつ取ったって、目次を見れば『千のプラトー』は歴史書だ。そこに多様体だのリゾームだのが絡み付いて哲学書に「なる」。こう書いて構わないなら、歴史が哲学に「生成する」(その逆かも?)。西尾先生は「脱領土」になら言及する。けれど再領土化については「まだ」語ってない。
     あっしの場合は一切合切が書道ネタに立脚してますから、微分化と分化のイメージがありありと浮かぶまで二十年かかりました(気付けなかった)。…書けないとは、そういう事でありんす。
     あきんど様の時計ネタは懐かしい話。
     こちらデジタル頭が勉強を始めたのは、毎日「針にしろ」と電話が来てウンザリした1997年。まさか時計の構造から歴史までやる羽目になろうとは。果てはスイスとEUとの経済史的アクチュアリティに傾いたり、ユグノー教徒と来ればマイアベーアに脱線しそうになる。今は電波ソーラーのデジタル愛用だけど、当時そんなのアリマセン。あったら勉強せずに済んだのに。とにかく間が悪かった…。

    (クラヲタ余談)
     「2017/03/03 05:21」稿末、客演のシューリヒト指揮で戦前ACOのマーラー《大地の歌》を出した。~その後メンゲルベルク指揮ACOのチャイコフスキーsym.5が見つかった(↓)。この39年盤は昔キングからCD化され(KICC-2059)、40年のBPO盤(K30Y-257)よりずっと濃厚なポルタメントやルバートが楽しめた。
    https://www.youtube.com/watch?v=NfHnMLD6pGU
    【2017/07/23 06:46】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >あきんどさん
    私は時計には全く、本当に全く興味がありません。

    で、お姑さんが残していった時計を、
    どうしても必要な時にねじを巻いて使うだけ・・・・。

    >苹@泥酔さん
    すべての事象へのものさしが書道なので、
    或る意味、とてもなんというか、正確というか、
    狂いがないというか、苹@泥酔さん独特の切り口は
    どんなに時間が経ってもまっすぐですね。

    うまく言えない。
    【2017/07/23 21:32】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    (覚え書き)
     肝腎な点に触れねばならぬのは分かっているのに、その前で躓き「脱領土」でゴネるのは、それが言葉の鍵と映るから。脱領土的支配とフロンティアの間には消滅への予兆が潜むだろうに、そこから結果(隘路?)へと論述が直行する。ここはもっと丁寧に読まないと、続きで西尾先生が何を書くか/何処へ行くか読む楽しみが減る。~(前述の通り)一つ気付いたのは脱領土化と再領土化の同時進行や使い分けで、それも格差拡大に関与しているのではないかと。つまり中国はただの謎ではなく、逆に中国から見たフロンティアとの関わりに於て、それを魅力と取り違えた者が自己を食い潰す面もあろうかと。
    http://aclo.wpblog.jp/?p=952
     支那では昔から人が矛であり盾だったり、中国という国があるのではなく、支那という土地があったりした模様。…ここでノマドやプラトー(↑)を持ち込むのは一応やめとく。ただし土地の再分配ではなく、人/家畜を土地に再分配する手口には注意を要する筈。難民や移民の様にはいかず、発生したのか存在したのか区別できなくなるほどの大群がいつの間にか消えている事もある。限られた土地があるのではなく、土地が限られる以前のごとき「移動を伴わない」脱領土的支配があった様な気もする。
     ~誤読かも知れない。しかし西尾先生は「それは余りにも遅れていたからであり、余りにも多くの人口をかかえているからです」と語った。これでは気にならない訳がない。そろそろ続きが出る頃かしら。
    【2017/07/28 19:19】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (ヨーロッパから見た支那と漢字)
    http://www.1101.com/kyuyoh/index.html
     どちらを先に出そうか。~石川九楊のを検索したら先ずコレ(↑)が見つかり、次いでコレ(↓)に目をひん剥いた。ライプニッツと漢字に言及した箇所がある。
    http://dokushojin.com/article.html?i=1672
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    >――ご著書を拝読していると、漢字というものが誕生し、様々な経緯を経て生まれ変わっていく。そして今我々がその漢字を使い考え、思いを伝えていくことができる。その奇蹟を感じずにはいられません。誕生そのものも奇跡ですが、現在まで伝わってきたことも奇蹟であり、石川さんのように、後世に伝えようという書家の営みがあったからなのではないかと思います。ただ、この先どうなるのか。何万年後かはわかりませんが、「かつて「漢字」という文字があった」と振り返られる時がやってくるかもしれない。そうした事態が今始まっていることに対する「警世の書」としても読むことができるのではないでしょうか。
    >石川 逆に言うと、ヨーロッパ世界が漢字を使いはじめることだって考えられるわけです。ライプニッツは、自分たちの言葉に、漢字を当て嵌めて読めばいいと言っています。そういう世界になるかもしれない。ただ、私が常々言ってきたのは、こういうことなんです。漢字語を使わないと、日本は政治と宗教と倫理の面で瓦解していく。そうした領域は、日本の場合、漢字の言葉によって形作られてきた。ひらがな語では作り得ない。真に民主主義になるためには、漢字語を吸収し、咀嚼しないといけない。そのことによって初めて、みんなが政治の主役になれる。それが東アジア漢字文明圏の言葉の構造なんですね。漢字語で考えることを弱めてしまうと、政治や宗教、倫理の面が弱まってしまう。むろん漢字語は皇帝制に色濃く染められた言語。為政者としての倫理、あるいは易姓革命の思想はあっても、民主主義を知らないという限界はある。極端に言えば、お金さえ持っていればいいんだという言説さえまかり通る。いわば大国意識ですね。そうではない。かつての日本という国を思い浮かべてみてください。たとえ小さくて豊かでなくても、道義や礼儀の面で尊敬されていた、宣教師たちがやって来た時代、清潔な生活をし、学習することに貪欲であった。それが今、ある程度のお金を持っているだけの、だらしのない国民文化になってしまった。人々が漢字で考えることをしなくなった結果だと思いますね。
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     大体いつもの言い回しで、あたしゃ見慣れているせいかサラリと読めるし理解もできる。ただしよく読まないと誤読しそうになる面もある。例えば「日本語は存在しない」との表現は現代国語批判が骨子にあるらしく、漢字語と平仮名語と片仮名語を分けて考えるから日本語の単一性/独立性を否定する形になる。また書展での分類は殆どの場合、漢字と仮名を別の部門とする。書道畑には、そうした諸々の仕掛けがある。また他の畑には、東アジア漢字文明圏に華夷秩序を連想する向きだってあるだろう。苹は苦し紛れにアナキズム文化圏と言い換えたが、どちらの表現にも難がある。

     ヨーロッパから見た支那、そして漢字。~この観点では多分、他者を主体/基準とした幻想的理解に引き寄せられがちとなるだろう。読める主体がわざわざ「読めないガイジン」の「理解」に憧れる必要はない。しかし「読めなくなった日本人」ならどうだか。呆気なく「グローバル理解の罠」に引っ掛かり、「文盲と無理解の普遍性」らしきものに理解を示す様になってもおかしくないのでは。~田中純の論考(↓)はドギツイが勉強になった。徹頭徹尾、書道畑とは全く異なる「アチラ側の理解」と思索が展開する。以下抄録。
    http://db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/879/
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    >マテオ・リッチなどをはじめとする一六、一七世紀のイエズス会士の報告によって流布されたこのような神話は、中国語がアダムの言語にも似た完全な言語であるというイメージを流通させていった。武田雅哉はその背景に、一七世紀ヨーロッパにおけるさまざまな普遍言語構想の存在を見ている★三。こうした構想を生んだのは、地理上の発見に伴う非ヨーロッパ系言語との遭遇や俗語革命以後のラテン語の衰退であった。普遍言語構想は観念を正確に表わす、数字に似た真正文字のあらたな創造のために、バベルの塔の崩壊以前の言語を探し求めていくことになる。中国語は古代エジプトの象形文字に通じる表意性をもつとともに、あるいはそのことによって、世界最古の言語という神話的な性格を与えられる。漢字という異質なエクリチュールはこうしてアルファベットを非中心化する一方で、ユダヤ・キリスト教的な神話のなかへと組み込まれていった。
    >ライプニッツは、声から解放された人工的で恣意的な記号である点において、漢字を哲学的言語のモデルと見なした。彼は漢字をあくまで非=表音的な人工の文字と位置づけ、古代エジプトの聖刻文字とは異なって、物体との類似には依拠しないものであることを強調する。デリダはこの時代の普遍言語あるいは普遍文字の企てが相互にいかに異なっていようとも、それらは〈単純な絶対〉という無限論的神学の概念を伴っており、表音的なものではないライプニッツの普遍記号学の企図もまた、音声中心主義と共犯的なロゴス中心主義に深く結びついているとしている。ライプニッツの論述において〈シナ的モデル〉が参照されるとき、見かけ上は確かにロゴス中心主義が阻止されるのだが、このモデルは〈単純な絶対〉である理想的普遍言語へと向けて修正されるためだけに存在しているのである。この意味において、漢字(シナの文字(エクリチュール))という概念は〈一種のヨーロッパの幻覚〉として機能していた★四。
    >この幻覚は、当時すでに存在していた漢字に関する知識を無視して形成された。それは〈万能書法(polygraphie)〉の構想によってライプニッツに影響を与えたアタナシウス・キルヒャーの、聖刻文字の奇怪な魔術的読解に代表される古代エジプト幻想に通じている。ライプニッツの合理主義とキルヒャーの神秘主義はともに、漢字と聖刻文字への同化の身ぶりによって、その歴史性を無視する。こうした傾向に対する批判から、文字の歴史や文字言語と音声言語の関係をめぐる体系的な考察が生まれ、それがやがて一八二〇年代のシャンポリオンによる聖刻文字の解読へとつながっていく。
    >このような後世のパースペクティヴからすれば確かに、一七世紀における漢字あるいは聖刻文字の概念とは、一種の〈幻覚〉にほかならない。しかし、この幻覚は任意の対象に投影されたのではなく、漢字や聖刻文字という非アルファベット的なエクリチュールとの遭遇によってもたらされた産物である。音による媒介を欠いた(あるいは無視された)視覚イメージとしての文字が、普遍言語の構想をキルヒャーやライプニッツに強いる。なるほど、普遍言語、普遍書法とは、シニフィエを単純かつ絶対的に視覚的に伝達するシニフィアンにほかならない。だがそうした記号への憧れは、シニフィエを欠いたかのように見える文字が、もはや言語なのか絵なのか線の集積なのかを不分明にしながらシニフィアンの境界を越え出ようとしている、その過剰さと裏腹なものではなかっただろうか。『シナ図説』でキルヒャーが掲げている、龍蛇、鳳凰の羽根、草の根、魚などの形に由来する中国古代の漢字字体の図には、この過剰そのものへの耽溺さえ認められる。ライプニッツの合理的な計算言語の企ての裏面には、中国文明のエジプト起源説を唱えるキルヒャーの、寄せ集められた雑多な知識からなるバロック的に混乱した言語思想がある。ライプニッツにとって、非=表音的文字が孕みかねないこの過剰さは回避されなければならない危険だった。ライプニッツは自らの構想する普遍記号を漢字と比較して、次のように述べている。
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     その後は凡そ実用的でない漢字のヴァリエーションが図版に出てくるなど強烈な違和感ばかり残るが、こちらの方が却って「客観的かつ知的」には共感しやすいのかも知れない。一方では古き理解が新しき無理解から隔絶され、他方では過去への無理解が新たな理解を真っ当らしく構成しつつ整合する(日本の作曲家では細川俊夫のが近い?)。
     ところでラフカディオ・ハーンの引用後には、こんな記述がある(↓)。
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    >この夢のなかで反芻されているのは、文盲であることの悦楽である。音を欠いた夢のなかに立ち現われる無数の漢字はすべて、秘密を孕んだscryptにほかならない。カフカの物語同様、ここでも死んだ文字が生命を得て動き始めるのだが、ハーンはそれをもはや読もうとはせず、文字との触覚的な接触の官能性にマゾヒスティックに身をゆだねるばかりなのだ。西はハーンにとって日本は〈文字の王国〉であったという。ロラン・バルトのいう〈表徴(シーニュ)の帝国〉は、ハーンやバルトにとって、文盲状態を余儀なくさせることによって逆に文字とのエロティックな(しかし時には脅威的な)関係を復活させる空間であった。〈復活〉というのは、この文盲状態は〈書くこと〉と〈読むこと〉の根源的な差異に由来するのであって、漢字との遭遇だけに固有なものではないからだ。西欧にとっての夢の空間であるシナとは、同じ意味で〈scryptの帝国〉である。そこは音声中心主義的な言語に内在する分裂が文字の哀悼劇として上演される架空の舞台にほかならない。このような文字は、ラカン的な意味における〈対象〉であり、意味を消尽されたあとの不活性な物質的残滓である。何度も繰り返して筆写されたために、しまいに意味の痕跡を失って、読むことも理解することもできなくなってしまった文字のように。
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     …それにしても、こんな先行論文があったとは知らなんだ。苹の言い回しでは、後に「書き言葉と読み言葉の分裂」となる話。それが日本に西洋を取り込み、百年かけて日本語書記様式を進歩的没落へと導き、平成に加速し成就していく。「読めない日本人」を否定/拒絶する非国民は、もはや教育界にも社会にも必要ないらしい。だから今世紀初頭、苹は「つくる会」の存在を知った時点ですぐさま期待と賛同と行動を予定したのであった。

     以上、差し当たり自習してみた。~気を取り直し、あらためて西尾先生の続稿(↓)を読む…「今フロンティアの拡大が中国へ向かっているわけで、そこから現代の目の前の話に移ります。無理にこじつけるようですが、怪しい動きが中国とヨーロッパの間に拡がっているようです」…。
    https://ssl.nishiokanji.jp/blog/?p=2208
    【2017/07/30 09:17】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    苹@泥酔さん的には、石川九楊さんはどうなんですか?

    大作なので、咀嚼?するのに時間がかかります。
    っていうか、難しい~~~
    【2017/07/30 21:03】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >苹@泥酔さん的には、石川九楊さんはどうなんですか?
     この十日間、難問に唸って居ります(熟女の誘惑?↑)。…その多面性を斟酌する前に、ひとつ参考までに「出来れば根掘り葉掘り」聞いて置きたい事があります。
     その昔セレブ奥様は、なぜ教育委員になれたのか。なってからの活躍ではなく、なるまでの過程について。新任委員の研修(?)などについて。そもそも選任基準は何か。有識者の定義や、それ以外も含めた選任過程について何か仄聞した事があれば。
     と云うのも、たぶん石川氏は今や有識者。他には本格の医者や教授などが多々あるでしょう。だからこそ、候補者の来歴や素性が気になったりする。例えば医者の場合は、大半が洋学信奉者ではないかと。日本文化そっちのけ、専ら英語(昔はドイツ語?)を中心とする学術/文化基準で研鑽を積んできた人が殆どではないかと。これは前稿後半とも繋がる懸念の話でやんす。
     で…結局どう書き始めても、すぐさま後が続かなくなる(取り敢えず先月末から一週間分の「書き出し」三つ↓)。~それなりに構想はあるんだけど、膨らみ過ぎてて書けないかも…。
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    > うーん、そう問われてもなあ…。正直よく分からない。1990当時新刊の『書の終焉』(同朋舎)を読んだ頃、それとは別に~氏の書作品の方が傍目には「写真ばかり」故か全然。
    > その本に収録されてた「諧調の美学―鈴木翠軒」は初出が1987の『墨』67号P.36~39だった。その頃から論考には注目してた。
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    > 平たく云えば「主流ではない」となりますが、「主流が正しいとは限らない」点を暴露した功績には多大なものがあります。詳しく書けば長くなるけど…程々にしてみます。
    > 副島種臣は歴史上、見方次第で評価がガラリと変わる。
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    > 『誰も文字など書いてはいない』は、数ある石川本の一冊。こんな書名センスだから分かりにくいし、読んでみれば分かりやすい面もある。しかし分かった上で氏の作品/書を見ると、途端に「読む前よりも」分からなくなるから厄介だ。「誰も書など読んではいない」と言いたくなる。そんな馬鹿げた話はない筈なのに、石川作品を見ると「読めない世界」を共有できた気がする。そこから筆蝕のエロスが浮かび上がる。なにやら西洋人にでもなっちまった気分(苦笑)。
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     …初期のはどうだか知らないが、多くの石川作品は頗る凝縮性に富む。それが傍目には写真的不可読性の誘因となる面もある。これは古典も同じ事であり、どのみち全体が細部を隠してしまう(「小さくて読めない」)。拡大写真は予め「全体からの抽出」を前提せざるを得ない点で、「帖」的性格を別の意味で近代化するだろう。…それはともかく、あの字はどうやら「読めない訳ではない」らしい(←実際、読めたら驚いた)。
    【2017/08/09 22:06】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (補記~石川九楊について)
     狭い概念で漢字の規範を縛ると大方は五体(篆隷楷行草)に収まるが、それ以外の特殊な書体は明治に入ると従来以上に書かれなくなった。幕末以前も殆ど目にする機会がなかった筈。今では連想される事すら皆無に近いのではないか。そんな古文や雑体書にまともな範型があるのか、苹には全く分からない。因みに石川九楊の「作品」はオーソドックスな五体から大きく外れており、そこが書家や漢学者を含む「こちら側の」鑑賞者全員(?)を戸惑わせる主因となっているのだろう。
     書を純粋かつ無根拠のまま味わうのは難しい(不可能に近い?)。規範がないと分からないし、読める/読めないだけの話ではなくなる。それを無理矢理アッサリ乗り越えてくるのが洋学畑で、中でも自由な美術系や知識人。東洋知の欠如と西洋知の蓄積とがいびつな形で交錯するのか、存外「読める」事に怯える(?)例が多い様に見える。伝統理解に引け目でもあるのだろうか。理解と無理解を巻き込む近代的倒錯の前では、自分の居る側が揺らぐ場合も結構ありそうに思えてくる。
     実のところ、書体の規範が親切に組み立てられたのは幕末(唐様ベース)から明治(支那書法ベース)にかけて。そこで書的イメージが五体の規範へと狭められていった。ところが石川はそうなる前/狭間へと遡り、五体とは別の場所から副島/碧梧桐と共振する。制度化された書家規範の側から見れば傍迷惑な話かも知れない。実際あれは稽古にならない。石川の稽古はどの本を見ても古典的で、そこに作品との不気味な断絶が感じられる。どうやら「作品」という概念や実際には、書道でも習字でもない/切断された「書」が似つかわしいらしい。
     つまり、以前に二つの明治がある。一つは唐様後の書体整理時代として。一つは西洋的「美術」概念化を踏まえた再解釈時代として。前者は書塾や学校を模範的に縛る形で雑体や逸格の淘汰に向かい、後者は後の展覧会時代を準備した。だから苹の石川観は前者に於て「主流が正しいとは限らない」と感受し、かつ後者の「帖」的性格に戸惑った。展覧会の過剰にうんざりする時代がやってくる/本格化してくると、前者の猛毒化を踏まえて後者の〈単純な絶対〉が綻ぶ。大々的に書教育を巻き込んで破滅に直面する(書の終焉?)。それを予見しての事か、石川は自己の作品に抵抗するかのごとき保守的啓蒙文をも全集に纏め、自身の展覧会との調律を目指したかの様な。
     私は上京できなかったし、九楊展の最終日ギリギリ朝方に出した前々稿(夜に追補)を見て足を運んだ人も多分いない筈。…見に行った人は、どんな感想を持ったかなあ。今のところ、本格的なのは読んでいない。

    (附記)
    ●【新・仕事の周辺】円城塔(作家) もっと気楽に生きたい
    http://www.sankei.com/life/news/170813/lif1708130015-n1.html
     ふと気になって「円城塔」を検索したら、王羲之が出てくる小説「天書」を書いたとの事で驚いた。で…苹とは無縁な掲載誌『新潮』2017.9号のサイトを見たところ、偶々こんなのを見つけた(↓)。前々稿との隙間を想像しながら面白く読んだ。
    ●【特別対談】日本語の危機とウェブ進化/水村美苗+梅田望夫(「新潮」2009年1月号より転載)
    http://www.shinchosha.co.jp/shincho/tachiyomi/talk_200901.html
    【2017/08/15 03:40】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


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