奥様
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    怪我の功名?
    6歳の二人の孫は同じ幼稚園に通っていて、
    年長なので最後の運動会。

    年長さんは組体操に力を入れていて、
    靴下のかかとのところを利用して作ったサポーターを膝にはいて
    土の上で膝をついたり、
    ブリッジをしたり、扇型を作ったりする。
    その雄姿?を見学するのを今年はあきらめていた。

    ところがである。

    前述の夫の急病により、
    急きょ広島に帰還!?したところ、
    土曜日に予定されていた幼稚園の運動会が雨で、
    月曜日に順延されたのだ。
    夫もかなり回復したので、
    予定外の運動会を見に行くことができた



    クラス対抗リレーが最後のあるのだが、
    これがまたとっても盛り上がる。
    Sちゃんのクラスは少し障害のある子がいて、
    その子が走ると大きく差ができる。
    背丈の順に走るのだが、
    順番を飛び越えて、
    足の速いSちゃんがその後をまかされて走った。
    かなり差を縮めることができて、
    パパも、ママも、二人のばぁばも大喜び。
    T君も障害物競走で一等賞になって、
    とても嬉しそうだった。

    夫が病気になったおかげで!?
    運動会を見ることができてほんっと、良かった。

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    【2016/10/04 21:44】 未分類 | TRACKBACK(0) | COMMENT(13)
    この記事に対するコメント

    オリンピックで日本が堂々の銀メダル・・・誰一人9秒台で走れる選手がいないというのに、為せた快挙。

    これって単純な出来事ではないんでしょうね。
    今考えてみても、鳥肌が立つ結果です。

    団体競技の良さってなんだろう。誰か一人でも失敗するとすべてがおじゃんになってしまう、運命共同体であるところが魅力なのかも。
    自分の実力が反映することには違いないのだが、でも引っ張ってくれる選手というのが間違いなくいて、その上下関係が理屈抜きで暗黙の理解を示しているところに、人間の内面からもそれがうかがえて、結局人間は自分一人の勝利には満足できない資質が備わっているということなのかもしれない。

    陸上という特に単純で奥が深い競技の中で、速さ以上の技術を伴うリレーという競技の面白さは、そこらへんの下らない映画を見るより、ずっとずっと感動が沸きあがるということなのかな。

    私の長男が子供のころ水泳を習っていたんですが、指導者曰く「団体リレーこそが一番大切な競技なんです。子供たちが素直に練習に励むことができる種目の第一人者がこれなんです」と言ってました。

    わかるような気がします。
    【2016/10/04 23:44】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]

    良かったね〜
    何が幸いするかわかりませんよね〜
    【2016/10/05 16:27】 URL | bunn #- [ 編集]


    >あきんどさん
    そうそう、あのリレー、本当に感動しましたね。
    でも、今度は外国の選手も同じように練習してくるでしょう。

    いかにスピードを落とさないで、
    相手を信じてバトンを渡す・・・・・
    リレーって、見ていても本当に燃えますね。
    幼稚園でもでした。

    >bunnさま
    本当に災い転じて福となすでした。
    よかったぁ~
    【2016/10/05 19:28】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    さてどうなんでしょうか。
    本当にそんなに簡単に真似のできるバトンリレーなんでしょうか。

    私はこの四年間では追いつけない技術だろうと思っています。
    その理由は、参加する四人が日々訓練を要する技術だからです。
    この技術を訓練するには、ただ単に速い選手ばかりを集めるだけでは可能でないことが、今回のオリンピックで証明されちゃったわけです。
    誰か一人でもこのリズムを乱す選手が出てしまうと、本番では発揮できないという一つの実証です。

    その意味から行くと、他国の選手は、リレー専門の選手を養成する覚悟が必要となります。
    はたしてそれが可能でしょうか。
    もしもその覚悟が各国で成された場合は、日本も危ない位置になりますが、おそらくそれはかなり難しいというのが現状ではないかと私は思います。

    よって次回の東京オリンピックで、日本が金メダルを獲得する可能性はかなり濃厚でしょう。
    その理由はジャマイカのボルトが引退を表明しているからです。
    本質的に陸上競技というのは、個人主義です。団体競技には無縁な世界です。
    ですから本来リレーというのは、個人主義の「余力」を楽しむ競技でした。
    そのセンテンスはたぶん今後も続くでしょう。

    しかし、陸上の個人主義はやはり君臨していて、リレーという競技には各国が本腰で取り組むことが不可能なのと同時に、日本も将来はそうならざるを得ないことが予測できます。
    たとえば日本で誰か一流のスプリンターが出たとするでしょう。
    その選手を抜きにリレー競技が可能でしょうか。
    おそらく彼はリレーの練習には参加しないでしょう。
    そうなると団体競技の「和」が乱れるわけです。

    変な話ですけど、例えばサッカーなんかその典型なんですよ。
    海外組がかなり増えた今の日本サッカーですが、なかなか進歩したようには見えませんね。
    これは完全に海外組と国内組との連携が不足している伝統化となってしまっていて、さらには海外組においても、感覚だけでプレーする技量が求められすぎたここ数年の傾向が弊害しているんです。
    このことは選手ばかりではなくサポーターもそれを望んできたわけで、サッカーが団体競技であることの本質を、どこかに置き去りにしてきた可能性もあるんです。

    スペインが過去のワールドカップで優勝できなかった時代は、それが典型的で、やっと優勝できた時はいわゆるバルセローナのチームにメンバーを集中させ、結果を残せた原因だというのが大方の意見です。

    結果はうそをつかないんですよ。ちゃんと正しい結果しか生まないんです。

    サッカーワールドカップというと、誰もが興奮する大会ですが、本来この大会の魅力の原点は何かというと、寄せ集めた選手の余力を楽しむ娯楽から始まっていると、私は思っています。色んなサッカー環境が最初からあって、世界で統一した協会ルールというものがなかった時代、この競技が出発するわけです。

    この大会の魅力の原点は実はここにあるんですよ。
    世界がまだサッカーというものに精通していなかった時代から、この大会が始まったというのが現状なんです。ですから当初は参加国も少なかった。
    現代サッカーを誇示していたイングランドが優勝できず、弱小国のウルグアイが最初の優勝国になったというのが、まさにサッカーという競技を栄えさせた原点でしょう。

    もしも今から陸上競技が団体戦の意識に傾注していくならば、もはやその時代には個人の記録には関心がなくなり、結果現代陸上の本質が違う方向に進んでしまうこともあり得ます。
    でも私はそれでもいいのではないかと思っています。
    陸上競技というものは、本来が力の余力を試す競技だろうと思うからです。
    何を言いたいかというと、陸上競技というものが、本当はオリンピックの本質ではなく、色んな競技に出ている選手が寄せ集めされてできた競技が「本当の陸上」なんだろうと思うからです。

    日本の「銀」の意味はそうした観点からも意味深いものがあるんです。

    私はオリンピックとパラリンピックが将来同じ土壌で戦える時代が来るだろうと予測します。
    本質的には正しいことだと考えます。しかし、そういう時代になったとき、正しく考えてほしいのは、この私の理論なんです。

    本来の競技というのは個人の余力を競うものだという観点です。
    本気であったならすでにオリンピックではなくなるんです。
    ここがおそらく誤解されやすいところでしょう。

    あらためて説明しますね。今回はここまでとします。
    【2016/10/07 02:49】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    時間ができたので続けます。

    オリンピックが来なければ、がっかりする・・・という方、かなりいるでしょう。
    オリンピックを開催しないと言ったら、もっと問題になるでしょう。
    でも、過去に日本は東京オリンピックを、開催できなかったときがありました。
    一度決まった開催が、世界戦争を理由に、開催できなかったわけですが、たぶん知らない日本人も多いのではないでしょうか。

    そのころの有名な選手といえば「前畑」」さんですね。平泳ぎの金メダリストです。
    他にもたくさんいますが名前が出てきません。
    間違いなく立派な方々ばかりです。
    日本の飛び魚・・・だとか、いましたよね。当時は世界記録を持っていたという事実。
    棒高跳びでも、銀と銅のメダルを半分にして分け合ったというエピソードだとか、まさにNHKが泣いて喜ぶような話題がたくさんありました。

    しかし、その後の彼らはマスコミが煽ったほどの夢の世界にいたわけではなく、地道に現実と向き合って生きたはずでしょう。
    前畑さんなんか死ぬまで水泳教室に通っていたと聞きます。
    つまりこれが「余力で金を取った」証なんです。だから感動できるのです。

    何かが何かに縛られている・・・。
    こんなに便利な社会なのに、本当の自由がわけわからない社会になろうとしている。

    「自分の本当がわからなくなってきている。」

    私はこれをまず言いたいです。
    どうか流し読みしないでください。立ち止まって考えてみてください。

    先日会社でふざけた話に盛り上がり、私が提示した話題に認識のない若者が、こっそりスマホで検索してその話題に参加する場面があったんです。

    私はそれを見て、「あぁ、これが現代というものか」と思いましたね。
    彼らにはまったく余力という文字が存在していません。
    自分の実力以上のものが身にまとって生活しているわけで、なおさら自分が見えなくなってしまっているに違いないでしょう。

    簡単に言ってしまえば「ドラえもん現象」ですよ。

    夢の世界ばかりを想像に描いているうちに、現実の自分が見えなくなっている。
    そうした人間が引き起こす現象の悲惨な現実は何かというと、自殺ではなく他殺なんですね。ここ最近それが多発しています。この20年間でどれだけそういうニュースを見ましたかね。驚くほど多発していませんか。

    しかも個人的理由以外にほぼ原因がないパターンで。

    話は変わりますが、本当においしい料理というのは、「余力」の世界で味わえるものだと思っています。
    本気でいくら頑張っても、自分本位で作った料理はおいしくないんです。
    食べる側の気持ちを感じて作った料理は、けして偏った味であってもおいしくなるんです。
    私はそのことを言いたいのです。

    正しいものなんかこの世には存在しません。それを追及するのではなく、みんな頑張って生きている人生の中で、「余力」を味わえる瞬間を大切に生きたら、生きる価値の本質が少しは感じることができるんじゃないかと言いたいのです。

    人生まっしぐらもいいですが、その休憩場所で少しは余談を交わせる人生でありたい・・・と私は考える人間です。


    ということは、開催拒否権が双方に存在することを協会はみとめているということです。

    西尾先生が冗談交じりにそれを促したのは、印象的でした。
    様々な不利な日本の条件を正してくれるなら、オリンピックを犠牲にしてもいいという先生の根幹には感服しました。

    それくらいの度胸が足りないと先生は言いたかったわけでしょう。
    日本という国の本当の豊かさというのは、誰もが並立な立場で仕事ができる環境だと私は言いたいです。
    そうした環境の中にあれば、多少の不満は一掃されるんですが、なにか見えない鏡に向かって社訓を繰り返さなければならない会社に就職しますと、結果自分を失う方向にしか向かわないわけです。
    そこにはっきりと自分を映し出してくれる鏡を置いてくれている会社は、多分常識のある会社でしょう。それさえもおけない会社は根本的に問題ありだと考えるべきです。

    何を言いたいかというと、自分を正しく言える環境が保たれた会社かどうかというこtです。

    これって重要ですよ。
    この査定で例えばですね、新しく入ってきた社員が、なにか違和感を感じる会社だと感じる場面があったとします。この時点でこの会社はどこか傾いたところがあるという証明です。
    勿論入ってきた社員の側にも傾いた人はいるのかもしれませんが、普通に何かがおかしいと感じる要素があった場合、その時点でその会社は何かがおかしいのです。

    こうした実態を極力少なくするためには、やっぱり底辺にいる社員がしっかり意見できる環境であること。そして一番大事な事は、中間管理職が一番活躍する環境をもたらすことです。
    この立場にいる方々が本当の苦労をどれだけ受け入れることができるかどうかが、その会社の社運を握っていると私は考えます。

    日本の社会の根本の貧しさを照らすならば、実はここの部分が一番重要なのではないかと私は考えます。わかりやすく言えば「課長」くらすです。今でいえばセクション長ですね。

    ここが本当に大切な任務を背負っています。
    【2016/10/07 08:13】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    会社で一番大変な任務を背負っているのは、社長職です。これは間違いありません。
    しかし、それを表面化して経営している会社はあまり優れた会社とは言えないのではないかと私は考えます。
    社長の苦労をいかにその部下たちが担っているかが、会社の本質の中で問われていることだと私は考えます。
    これこそが、会社の「余力」の原点だろうと・・・。

    そなると、そのしわ寄せは課長さんに集まる方程式となる。
    上司からの要求と部下たちの要求の中間で、実に本当の苦労が凝縮された場所、それが課長というポジションでしょう。

    年齢で言えば30歳から40歳あたりでしょうか。
    でもこの役職は会社の責任からは免れていて、いざ会社がポシャっても、本人には責任がありません。
    ここが「課長職」の余力の範囲です。
    この「余力」を十分理解して仕事をしている人間と、全く理解できていない人間の差が、職場での現実の差となって動いているんだろうと思います。

    課長さんたちはオリンピックに例えると、「大会に参加する現役選手」の立場なんですよ。
    脂が乗りきった頃の社会人たちが競うオリンピック選手そのものなんです。
    そしてその勝敗を分けるもののキーポイントが「余力」の「差」ではないでしょうかね。

    この世代の方々の考え方が裕福か否かが、もしかすると国家の安定の土台になっているのかもしれません。

    どうかこの役職に就く方がた、この私の意見を少しでもいいから気にしていただきたいです。
    あなた方は一番輝いている時間の中にいるんです。その輝きをもう少し磨く時間の「余力」を養ってほしいのです。
    【2016/10/07 09:17】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    (今日はなんだか書きたくて仕方がないので、どんどん書きますよ)

    昨夜から一睡もせずこの論文を立ち上げています。
    滅茶苦茶でもいいやと思いながら書いています。

    ある意味これが私の今の「余力」です。

    36歳の時私は社長になりました。
    今思えば無謀でした。まったく余力がなかったわけです。
    でも、学ぶものは多かった。

    本当に苦労しました。でも、今があります。
    どうにかこうにか生きることができました。
    40歳の時大病にもなりました。これからだっ・・・ていうときの頃でした。

    考えてみると滅茶苦茶な人生です。
    でも私に「余力」をもたらすことが39歳の頃にありました。
    「国民の歴史」という本との出会いでした。

    この本との出会いに関しては、日録や奥様のここのブログでも、何度も何度書きました、
    私は一生それをしつこいくらい書こうと思っています。
    なぜなら、これこそが私の「余力」の原点だからです。

    この本がいかに私に作用したかなんか、私にもわかりません。
    実は直々に先生からも質問の葉書をいただいたのですが、私本人がわからない以上、何も答えることはできませんでした。
    ですから、その意味もあって、色んな感情の流れを、奥様のブログを通じて語らせていただこうと思っているわけです。

    その後の年賀状で先生から「いつも投稿を読ませてもらってます」というお言葉をいただき、私は奥様のブログに、「自分の余力」を語る意欲を決心したのです。

    つい今年の年賀状のお話なんですよ、これ。
    それまでは、一心不乱に書き込んできた自分がいるんです。
    けして誰かに促されてやってきたことではないのです。
    でも、そんな私のつたない文章を、逐一読んでくださった方の中に、西尾先生が存在していてくれた喜びは、代えがたいものがありました。

    あらためて本当に西尾先生の存在を知りえてよかったと思う瞬間でした。

    私の「余力」はこうして評価されました。

    まだまだ他人に言葉を告げるには、至らない自分ですが、自分らしさを失わずに、時には大やけどをしてもいいから、思い切って意見しようという精神だけは失わずに生きてきました。
    ですから、ネットで知り合った方とせっかくいい関係になりながら喧嘩したこともありました。
    得ることも多々あり失うことも多々ありました。
    しかし、なぜそんなことがあっても自分を見失わなかったkというと、「余力」の範疇だったからでしょう。

    自分と密接に関係している事柄であっても、それがシビアかシビアでないかの判断が大切で、ここを厳しく自分に言い聞かせることができるかできないかが、現実とネット社会の関係の立ち位置なんだろうと考えます。
    自分の本当の「力量」を見失わないこと。私はそれを自分に言い聞かせています。
    しかし、だからといって何かに縛られて生き方には抵抗を素直に感じ、ましてや言論の世界では、そこに縛られていることを「苦痛」だということの感覚も見失わないように、時には身の丈に合わない意見も述べることをチャレンジしています。

    すべては「余力」が味方してくれていることなんだろうと思います。
    実は現実社会でも私は昨年、「口から炎」を噴射したんですよ。
    会社を辞める決意で為しました。
    しかし会社は私を必要としてくれて、収まりやすい場所に就業させてくれました。

    本当なんですよこれ。

    そんなことがあって、今月で一年経ちました。
    その時の私の本心は、「自分にうそをつかない」でしたね。

    今もいろんなことが起きるというこの人生の中で、奥様をはじめ、ここに集う方々のご意見が本当に大切なんであります。
    そこから開く私の人生観なのです。
    私は少しでもいいから戦っている人が大好きです。

    なぜなら、その方から「余力」を感じることができるからだと思います。
    【2016/10/07 10:51】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    ごめんなさい、しつこいくらいに書いちゃうあきんどをお許しください。

    昔日録で出会ったメンバーのオフ会が広島で行われて、そこで私は初めて海軍の基点である江田島に招かれました。
    皆さんもご存知の通り、当時はこの海軍学校は東大合格よりも厳しいとされた学校で、戦前の生まれの方々には当然の常識でした。
    私は少しだけ聞き入ったことがある程度の知識でそこを訪れました。

    昔からこのブログにかかわっている方なら当然ご存知の「ミッドナイト蘭」氏もそこには同行していました。私と蘭氏と今は亡き不動さんは、当時とにかく息が合い、この三人が初めてであったこのオフ会は、とても価値の高いものだと今も認識しています。
    この時奥様とも出会えましたね。本当にチャーミングでお美しい方でした。

    さて私が申し上げたいのはその江田島での発見です。

    とにかくこの島の記念館の凄さは想像をはるかに超えていました。
    例えば案内をされている方が「私はあの教室で学んでいたんですよ」というその一言の重さと言ったら、何と申しましょうか、いきなりボウリングの球を抱えきれないくらい預けられた瞬間でしたね。
    静かに響く言葉の素晴らしさを、私はこの時はじめて体験したのかもしれません。
    そのあとメインになっている東郷平八郎とネルソン提督の遺髪がある記念の場所に接したとき、日本人がこの遺髪の存在をどれだけの割合で知りえていて、さらには関心があるのかを想像したんです。
    私は当時、おそらくここに来た人とほぼ同数の人数しかこれを知りえないのだろうと想像しました。

    ところがこの旅の帰り道でたまたま高校時代の教師と出くわし、同じ町に住んでいることでもあり、千歳からは私の車で伊達市まで同行してもらったんですが、その際私の旅の内容を説明したところ、江田島に行ったことには本当に感心されていました。
    どうしてそんな場所にわざわざ行ったんだというのが最初の質問でした。
    色々説明していると、この先生の口からも、池田君あそこはね当時東大よりも難しいと言われた場所なんだよ・・・と提言され、なるほど知る人ぞ知る動かしがたい歴史の一つなんだろうと思ったわけです。

    そんな流れで田舎に到着し、家に着いた私は当時まが尊命中の父と旅の話になり、「いや実は今回江田島に行ってきたのさ」と語ると、昭和3年生まれの父は、「おまえ江田島に行ったのか。どうしてそこに行けたんだ・・・」から話がはずみ、父は私の話にくぎ付けでした。

    そのあと昭和15年生まれの伯父にこの話をしても、江田島の存在の凄さは共有できました。

    さてここからが大事な話になります。
    私がこの記念館を訪れて一難印象に残ったのが、戦時で亡くなられた方々の家族への手紙でした。
    どのお手紙もそれはそれは素晴らしく達筆で、いかに当時書道というものが正しく教育されていたかを認識できる時間でした。そうした認識を一つ一つ確認している最中、蘭君が私にこれを読めと促す手紙があったのです。
    その内容を記憶は確かではないため、少し違ったニュアンスになるかもしれませんが、そこはご了承願って、あえて書いてみますね。。

    「敵は今眼下にある。狙う敵の姿を確かめながら、今ポケットからチョコレートを出し食らう」というようなニュアンスの手紙です。

    蘭君からこの手紙を示唆された瞬間、私は当時の青年たちの「本当のカッコよさ」を感じたんです。
    凄いと思いましたよ。この手紙を書いた青年のその余裕感というものが、逆に戦場の厳しさをリアルにし、当時の本当の人間の内情を映し出すものとなって、私の記憶に深く残る手紙の一つとなったわけです。

    さてこの手紙を書いた主人公は今もご尊名かどうかは知りません。
    その瞬間私はこの戦士こそ、本当の余力の持ち主だと思ったんです。
    私が「余力」という「モチーフ」にこだわる理由は、実はここにあるんです。
    【2016/10/07 17:08】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    >あきんどさん
    どんどん書いちゃってください。

    江田島の教育参考館、知覧、靖国
    同じ若者の手紙がありますね。
    精神的に大人でしたね。



    【2016/10/09 09:14】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >奥様

    はい頑張って書きます。

    日本の「余力」ってどんなもの?何が有名?・・・とちょっと考えてみました。
    農村の田園風景・・・緑いっぱいの山々・・・様々な海流が寄せ合う日本の近海・・・などなど、挙げればきりがないくらいあります。

    でも本当に一番輝いているものはというと、私は「日本国民」そのものなのではないかと考えます。
    「何を言っているんだ、今の日本人なんか地に落ちているじゃないか」と言う方もいるでしょう。でもそうでしょうか。例えば普段の生活の仕方や、ものの考え方が、これほど穏やかな国民が他にありますでしょうか。
    我先にと先を急ぐことなく、何事にも穏やかに順番が来るまで出番を待つ習慣だったり、与えられた食べ物を残さず食べようとする礼儀作法や、自分の住む町の近辺をできるだけきれいに整えておこうとする集団意識などなど、ごく普通の行いがとても礼儀正しい日本人。
    我々日本人こそが「宝」であり、時には「神」に匹敵するのだはないでしょうか。

    八百万(やおよろず)の神という言葉がありますが、これは当時の日本人の人口が800万人ぐらいだったことから、この言葉が生まれたという話を聞いたことがあります。つまり日本人は「神」なんだということを示す言葉です。

    菅原道真が遣唐使を廃止する際、当時政治の中枢にいた藤原氏の権力と財宝が中国との商取引によるものが多かったということで、その見返りがあまりにも一部の人間に集中しすぎ、まったく国全体に行きわたらない結果を憂い、道真は廃止を決断します。
    その際この決断が自分の独壇場ではなく「天の声」つまり「民の声」なんだと訴えたと言います。
    この話はあまりにも有名ですね。でもどうして廃止したのか本当のところがあまり知られていません。
    これからその辺を詳しく調べていきたいと考えています。

    それはさておき日本国民こそが神であるという理論。
    これはつまり、天皇中心の国家が富める国であることの象徴でもあったと考えます。
    ですから、今の憲法は実は間違いで、本当は日本の象徴は国民だったんです。
    私たち国民の在り方そのものが、日本そのものであり、象徴だったわけです。

    我々の側にこの国家を大切にする気持ちがあったからこそ、ここまで長い歴史が続いたのです。
    ところが我々はそういわれてもそうだとは言わないでしょう。確かにそうだがでもそうではないと謙遜するでしょう。すべては陛下のおかげだと思うでしょう。

    私は陛下と国民がこのように関係しているこのことこそ、「余力」だと思うんです。
    これが日本の最大の魅力であり、力でもあるでしょう。

    皆さんはどう思われますか・・・?

    とりあえずここまでとします。
    【2016/10/10 10:59】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    一旦中止しようと思ったんですが、アメリカ大統領選挙の討論会を見て、「そっかこの点を抜かしてしまったな」と感じたので、少し書かせてもらいます。

    皆さんはたぶんいつの時代でも、アメリカ大統領の選挙はアメリカ人が決めることであり、と我々はそれを受け身で構えるだけだ、という認識で受け入れてきたと思うんです。
    それが良いとか悪いとかが問題ではなく、私がここで考えたというか、感じたのは、アメリカ国民の気分になってこの選挙を考えたことがあるかどうかなんですが、どうですか皆さん、この視点に立って考えたことってありますか。

    よくよく考えてみると、我々は高みの見物ばかりで、実際にアメリカ国民になった気分でこの選挙のことを考えたことって、意外と少ないんじゃないでしょうかね。
    どうやら今回の討論会(ディベート)は不人気だったようで、アメリカのマスコミは「最悪のディベートだ」と酷評していますね。
    いや確かにこれはひどいを越してますね。ある種角質高きこの「ディベート」という言葉自体に、失礼な結果をもたらしたと言わざるを得ないほど成り下がっています。

    下種な言葉には下種な言葉しか生まれてこないの典型で、いわゆる格言高きアメリカンジョークはいずこへ・・・みたいな気分にならざるを得ないわけです。

    昔観た映画だったかどうか記憶が定かではないのですが、西部劇の一場面で、こんなジョークがあったのを記憶しています。
    主人公の友人がクライマックスで死ぬ場面なんですが、まだ息が残っている友人に水を飲ませながら主人公が「おい大丈夫か」と声をかけると友人は「あまり荒い息で声をかけるなよ、お前の口臭で死にそうになる」と答えた場面が印象的で、私はこの時のアメリカの文化には、「余裕」があったと感じます。
    いわゆるアメリカンジョークの典型的なセリフですね。
    勘違いしてほしくないのは、西部劇の時代ではなく、西部劇を作っていた時代に余裕があったということですよ。

    それに比べ今のアメリカはどうなのだろう・・・「X?%*:@¥+#”!」ですよね。
    つまりわけわからないわけです。
    日本の選挙演説や討論会の方が、まだ見応えがありますよ。

    まさかお互いに、これからの時代予測などは軽々しく語るべきではない、なぁ~んて感じながら討論しているはずはないでしょうから、間違いなくガチンコで下ネタ攻撃合戦だったんでしょう。
    はたしてもしやこれがアメリカの文化的「余裕」だとは思えないので、投票者にはこんな意見もおそらくあるんじゃないですか。
    「神様たのむから、こいつら以外に誰か立候補してくれないか」

    アメリカ国民ははたしてどれくらいの人種の集まりなのかわかりませんが、その弊害がここにきて完全に露呈していると認識すべきでしょう。
    まさかこんな選挙を露呈するところがアメリカの「余裕」ではないはず。
    完全にガチンコですよ。つまり「余裕」なんかかけらもない。

    しかもこの二人、おそらくアングロサクソンですから・・・たぶん・・・白人の国民層はどう感じているんでしょうね。

    そこで、いつも通り外野から意見しますと、「かわいそうなアメリカ人たち」と叫んでしまうのは間違いでしょうか。
    それをひっくり返してアメリカ人になったつもりで言わせてもらうと「オーマイゴッド」でしょう。
    【2016/10/11 23:06】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    >あきんどさん
    オーマイゴッド

    でも、ここまでの間にちゃんと大勢が立候補したんですから、
    自業自得・・・・・高みの見物で申し訳ないけど・・・・・
    と、私は思います。
    【2016/10/12 21:04】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >奥様
    そんな小さなお身体で高みの見物だなんて・・・。
    (これアメリカンジョークですからね)

    いや結局そうですよ、奥様がおっしゃる通り「高みの見物」がベストなんです。
    ただですね、私はここに来てフィリピンが厄介で仕方がないのです。
    いきなりすみませんね、話題を振って。

    一部の情報ではドゥテルテは中国べったりなんだそうで、それこそトランプやヒラリーもびっくりなほど下ネタ公然わいせつな大統領の、本質がどうなっているのか気になって仕方がありません。

    考えてみるとフィリピンという国の場所的条件が、実に不幸なくらいアジアでは目立つ場所にあります。
    大航海時代以来、真っ先に西洋の見せしめ場というか、それこそコロッと死んだコレラに侵されるがごとく、スペインとアメリカの両国に苦しめられてきた国ですね。
    果たしてフィリピンの歴史がどんな経路を辿ってきたのか、私にはまったく知識がございませんが、ただ何となくなんですが、私の薄い頭で想像してみたら、こんなことがもしかしたらあったんじゃないかという、妄想を語ってみます。

    とにかくこの国は目立つ場所に位置しています。というかどうしてもたどり着いてしまう岸辺のごとく存在する国だったのでしょう。大航海時代はそれがまさしく国運で、こんなに外国人がわっさわっさ集まる国もめずらしいのが現状でしょう。
    そんな国の末路と言ったら失礼かもしれませんが、目先外交の連続で、いつでも態度を変えられる立場に固執している国の代表だろうと考えます。

    ですから、ドゥテルテさんも今は親中派ですが、将来はとにかくわかりません。

    それこそトランプ氏にとっては、どんなカードにも化けてしまう、「ジョーカー」的存在なのがフィリピンでしょう。

    トランプさん。あなたが「親」の時ぐらいは、「ジョーカー」の位置くらいは、こっそり確認していた方が無難ですよ。
    【2016/10/13 16:53】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


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