奥様
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    移民問題
    中国人国家ニッポンの誕生~移民栄えて国滅ぶ~中国人国家ニッポンの誕生~移民栄えて国滅ぶ~
    (2014/11/10)
    西尾幹二責任編集

    商品詳細を見る


    世界中で、移民問題が沸騰しているというのに、
    日本政府はなぜその現実を見ようとしないのか。
    なぜ先例を教訓としないのか。

    アヘン戦争などで苦しんでいた中国を見て、
    外国に支配されることの脅威を学んだのに、
    現代の日本は、何も学ぼうとしないのか。

    それとも、強制的に日本を他の国と同じようにさせたい勢力がいるのか。

    グローバリズムで国境をなくし、
    人も金も物も、
    なんの障壁も税金もなく、
    自由に行き来をする世界が本当に理想の世界なのか?

    この本を読むと、
    小学生の頃に読んだ「里見八犬伝」を思い出す。

    それぞれ専門が異なりながら、
    同じ目的に一人、二人、三人・・・・・と集い、
    西尾先生のあとに五人もの有志が現れた。
    以前、一人孤独に戦っていた西尾先生は、
    今はもう一人ではない。

    心ある政治家よ、
    選挙の後は、ぜひ日本が日本らしくあれるように、
    移民を入れる方向で動かないようにしてほしい。
    政治に携わる人たちに、ぜひ読んでほしい本だ。


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    【2014/11/21 22:08】 硬めな話題 | TRACKBACK(0) | COMMENT(29)
    この記事に対するコメント

    (愚痴の様なもの)
     アベノミクスの奏功が話題になった頃からか、それとも「すき家」の労働環境破綻が顕在化した頃だったか。巷では人手不足が問題視され始めた様子。…実際どうだろうか。人手は相変わらず余っているとしか思えない。正規雇用と非正規雇用の割合(?)を見る限りでは前者が余っており、後者はそうでない。つまり、足りないのは必ずしも「人手」ではない。必要なのは従来のそれと異質な、人手よりも下位の存在…すなわち奴隷だ。むろん正規雇用を非正規雇用と同質化する向きはあるが、この場合ともすれば正規雇用の方がいっそう奴隷らしく酷使され、非正規雇用は奴隷より自由(所謂「使い捨て」を含む)となりかねない。
     興味津々「奴隷制の復活」がどこから出てくるか観察していたら、露骨に打ち出したのが「イスラム国」だったのにはガックリきた。復活と云うより軟着陸なら、半世紀以上前~或いは戦前のアメリカで既に始まっていた筈。この辺を苹は先年「自由な奴隷」「自発的に奴隷がやってくるシステム」と表現した(「2013/09/21 20:53」稿など↓)。その前はユダヤ/シオニズム偽書(?)中の、所謂「経済的奴隷」にも言及した(「2009.04.21 (22:39)」稿など↓)。かてて加えてアメリカの反ユダヤ主義を勉強し過ぎたせいか、糞真面目かつ極端な形で実践しちまったのが第三帝国の面々だった(政権奪取前のヒトラーは自動車王フォードに魅了された)。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1520.html#comment
    http://imoshiori.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7743504
     そろそろ古代奴隷制とも近代奴隷制とも異なる新たな奴隷概念を前提しないと、更なる進化形~例えば従軍慰安婦を性奴隷と言い換えるタイプの絡繰りが論理的に説明できなくなるのではないか。ここでは従軍慰安婦の有無と関係なく、先ず予感めいたスタイルの概念があって(潜在して)、それが性奴隷という「モデル」に膠着する。つまり「性」が「奴隷」状態に付随したり、「奴隷」概念を質的に特徴付けるのではない。むしろ「奴隷」概念の方が「性」を隠れ蓑にしながら、グローバルかつ「移民」状に自ら増殖/成長/進化していく。さもなくば「奴隷による支配」という新たな段階が未成熟なうちに、「移民」の正体をも無分別に暴露してしまうだろう。
     国家を根本から揺るがすものが突如、姿を変えて規模ありのままに出現したらどうなるか。反ユダヤ主義と反移民主義との歴史的相関は多分、国家と移民の双方に破壊的かつ平等なリスクを獰猛に迫るだろう。また移民が国家を内側から脅迫する時代、在米韓国人や黒人やヒスパニック系やイスラム信者達は銘々に薄氷を踏む事になる。それが一時は中国の戦略的利益となる目もあろうが、中国自身の多民族性へと倍返しされたら当然ただでは済むまい。言い換えるなら、依然「相互確証破壊」的なままであるがゆえの「より安全な冷戦」の始まり。…そんな迷惑な発想など、世界中の誰もが望むまい。「望まれない事」は「望む事」よりも純粋無垢な悪として受け容れられやすい。
     こう書くと極端かも知れないが、移民イメージがユダヤ化するためには「これから虐げられる」か、もしくは「今、虐げられている」かの様に演出する必要がある。「嘗て虐げられた」なら申し分ない。そこに「奴隷」というキーワードが役立つとする。差し詰め捕囚は強制連行。それらを中韓が日本に見立ててアメリカで宣伝する。当のアメリカでは黒人が暴動を起こしたりするが、あちらに現代の強制連行はない(らしい)からピンとこない。ただ差別だけが水面下で郷愁のごとき歴史認識と資本主義とを混ぜ返す。純然たる差別撤廃をグローバリズムの担い手達が仕組む時、「強制連行なき移民」と「自由な奴隷」は素性を超えて繋がり始める。
     もしアメリカでも本格的に、「反‐移民」の動きが中韓出身移民への牙を剥き始めたら、ユダヤ団体が今後どう出るか興味深い。ホロコーストの種は中国側にもある。にもかかわらず中国人はアメリカに逃れ、そこで中国を愛国的に代弁/擁護したりもする。ここに「自由な奴隷」のエッセンスが凝縮されている気がしてならない。勝者になりたい者が「移民の国」アメリカにやってくる。だからアメリカは「勝者の帝国」であり続けねばならない。また、敗者なき勝者は敗者を欲望する。そこが隣国と似通っているかの様でもある。日本だった韓国は大戦中、日本と戦った事がない。そこで韓国系アメリカ人は勝者の立場/国籍を後から掠め取りつつ、アメリカの特権的ユダヤ性を模倣する。
     これらの観点も含めて、新刊の移民本を読んでみたい。が、巡回先の店頭には未だ並んでいない。当方そろそろ痺れを切らしつつあるけれど、あからさまな記録が残るだろうから、なるべく注文はしたくないんだけどなあ…(泣)。
    【2014/12/09 00:59】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (備忘録)
     先夜「正規雇用を非正規雇用と同質化する向き」について、かなり控え目に書いたつもりではある。それにしては後の全部が奴隷云々、見方次第では過激かも(汗)。~もっと率直な遣り取りを2chで見つけた(↓)。良くも悪くも、大いに参考となる。
    http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1418455572/l50
     他にも幾つか覗いたところ、三橋貴明ブログで気になる記事を見つけた。以下「先進国の問題 ~フラット化する世界~」(2014-12-07 06:42:52)より、後半を抄録する(↓)。
    http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11961563752.html
    --------------------------------------------------------------------------------
    >『先進諸国の賃金横ばい、国際労働機関が警告
    http://www.afpbb.com/articles/-/3033519
    > 先進諸国で賃金が上昇せず、さらに一部先進国では賃金が低下さえしており、金融危機以後の経済成長を抑制しデフレの危険性を高めていると、国際労働機関(International Labour Organization、ILO)が5日、警告した。
    > またILOは、結果として生じている格差に対する税や福祉での対策が不十分だと述べ、各国政府に対し最低賃金の導入または引き上げと、団体交渉の強化などの措置を取るべきだと提言した。
    > ILOが2年に1度発行している「世界賃金報告(Global Wage Report)」によると、金融危機以前に約1.0%上昇していた先進国の実質賃金平均は、2012年にわずか0.1%の上昇で、13年も0.2%しか上昇しなかった。またギリシャ、アイルランド、イタリア、日本、スペイン、英国では、2013年の実質賃金は07年レベル以下まで低下した。
    > 対照的にアジアでは賃金が上昇。その結果、世界の賃金平均は12年に2.2%上昇、13年に2.0%上昇した。金融危機以前の3.0%からは低下した。
    > ユーロ加盟国に対する国際的な救済措置では、賃金カットが主要な要素となった。また欧州中央銀行(ECB)のマリオ・ドラギ(Mario Draghi)総裁は先週、ユーロの成長強化のために賃金カットを呼び掛けていた。しかしながら、ユーロ圏の物価上昇率が極めて低いことが、長期的な低成長をもたらす恐れがあると懸念する声も出ている。』
    >
    > すでに、日本の実質賃金はリーマンショック前の水準を下回っています。(本当にそうなのです)
    >  経済学者は「実質賃金が下がれば、企業が失業者を雇用する」と主張するでしょうが、経営者の立場から言わせてもらえれば、実質賃金や「実質金利」がどうであろうとも、
    「仕事が十分になければ、人材は雇用せず、設備投資も拡大しない」
    >  のが真実です。
    >
    >  また、実質賃金が下がれば「国際競争力(グローバルな価格競争力)が高まる」と反論されるかも知れませんが、何が悲しくて日本の労働者が中国の労働者とガチで賃金切り下げ競争を繰り広げなければならないのでしょうか。日本が「底辺への競争」に巻き込まれた場合、国民の賃金水準は下がらざるを得ません。
    >
    >  日本国民が中国人民と「賃金切り下げ競争」をすることが、果たして本当に正しいのでしょうか。(日本国民にとって正しいのか、という意味です)
    >
    >  結局、問題は「国内の仕事」「国内の需要」が不十分であるという話です。国内の需要が不十分とは、「=潜在GDP-名目GDP(総需要)」で計算されるデフレギャップが拡大しているという意味で、実際に拡大しているのは昨日のエントリーの通り。
    >
    >  十分な仕事、十分な需要が国内に存在すれば、実質金利の低下は設備投資を活性化させるでしょうし、経営者は「少し高い賃金」であっても、人を雇用するようになるでしょう。すなわち、実質賃金が上昇に転じます。
    >
    >  「底辺への競争」は、先進国共通の問題です。「政府が財政出動で、十分な仕事、需要を創る」という正しい解決策を講じなければ、先進国の賃金水準が後発国に近づき、「世界はフラット化する」ことになります。そういう世界を、日本国民は望むのでしょうか。少なくとも、わたくしは真っ平御免でございます。
    --------------------------------------------------------------------------------
    【2014/12/13 20:11】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    なかなかするどい考察だと感じました。

    ユダヤと移民

    アメリカには都市の中に、他人?を入れないようにする
    大きな塀があって、
    そこが小さな都市?になっています。
    移民国家といいながら、
    中では分断化が進行しています。

    【2014/12/16 09:08】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    (またまた備忘録)
     先夜、「むしろ「奴隷」概念の方が「性」を隠れ蓑にしながら、グローバルかつ「移民」状に自ら増殖/成長/進化していく」と書いた。
     移民を云々する上で奴隷概念を経由すると、却って奴隷概念の方が「移民とは異なる概念」として切り離されていく面もあるだろう。例えば「性奴隷」の場合は概念分類上で隔離される特徴=強制性ゆえに、移民(性産業の出稼ぎ移民を含む)との関与/重合が原則的には否定されてくる様な。すると下記事例の場合、外国人労働者(移民を含む)の奴隷性もまた意識/常識に於ては否定される事にならないか。韓国人にとって奴隷と云えば、厳密な意味で「強制連行と性奴隷」。そのどちらにも該当しないがゆえに、外国人労働者は奴隷ではない(決め台詞は「日本人のやった事に比べれば」?)。
    http://www.sankei.com/west/news/141217/wst1412170002-n1.html
    --------------------------------------------------------------------------------
    >2014.12.17 11:00更新
    >【経済裏読み】
    >また“不都合な真実”韓国の外国人労働者への“ブラック”ぶりに仰天…アムネスティも激怒
    > 不都合な真実が、またひとつ明らかになったのだろうか。非正規雇用と正社員の待遇格差が社会問題化している韓国だが、肉体労働に就く外国人労働者に対する仕打ちの厳しさは尋常ではないようだ。国際人権団体アムネスティ・インターナショナルが、「韓国の農場で働く外国人労働者が蔓延する虐待の犠牲になっている」と警告したのだ。日本より稼げるとの期待から東南アジアの労働者を中心に人気のある韓国。その現実は決して甘くはない。
    >
    >殴打…理由は野菜の切り方が悪い
    > アムネスティが10月下旬に公表した報告書。そのタイトルは「Bitter Harvest」(ビター・ハーベスト)。苦渋、厳しい、つらい収穫といった意味だ。韓国の農場で働く外国人労働者に対して行った聞き取り調査の結果をまとめたもので、リアルな労働現場の一端が浮き彫りとなった。
    > AFP通信は、25歳のカンボジア人労働者のケースを紹介した。
    > 自分が雇い主から殴られている様子を撮影した携帯電話の録画映像を持って、政府機関に飛び込んで惨状を訴えた。だが「キャベツの切り方を間違えた自分が悪い。早く帰って雇い主に謝るようにいわれた」という。
    > 労働環境の改善を求めようとした労働者が韓国政府当局から妨害を受けているため、報告書は政府がある程度関与している可能性さえ疑った。
    >
    >虐待の連鎖、韓国人は耐えられるか
    > 韓国にいる外国人労働者25万人のうち、2万人が農業に就いている。カンボジアのほか、ネパールやベトナムなど東南アジア出身者が多くを占める。
    > 外国人労働者に対する暴力だけでなく、長時間労働や拘束的な扱い、脅迫まがいの対応が横行。AFPによると、アムネスティで移民人権問題を担当する調査官が「もし韓国人が同じような虐待の連鎖の中に追い込まれたならば、間違いなく激怒の声を上げる」と指摘したほどだ。
    > 報告書が問題視しているのは、韓国の「雇用許可制度」(EPS)と呼ばれる制度だ。
    > EPSのもとでは、外国人労働者が転職する際は、雇用主がサインした解雇証明書が必要だ。これが過酷な労働の温床になっているとみている。仕事を変えたくても簡単にはできない仕組みが韓国の雇い主を増長させる環境を生みやすいからだ。
    > ちなみに日本で「強制労働」の違反に対して、労働基準法で最も重い法定刑が課せられているのも、国際社会が認める基本的人権を守るため。民法上は、労使対等とされていても、実質的には弱い立場にある労働者を保護するための特別法として労働法は整備されてきた経緯がある。
    >
    >「非道な扱い」韓国政府は否定
    > 英紙フィナンシャル・タイムズ(FT)もアムネスティの報告書を取り上げた。
    > 報告書の指摘について韓国政府が「否定」していることを伝えたうえ、高齢化により外国人労働者への依存を高めていかざるをえない国での移民問題としてとらえた。
    > 韓国の雇用労働部は、労働者の権利を強化するため、これまで継続的に規制を変更してきたと主張。EPSの就労許可は特定の雇用主との「契約」に基づいているとの立場を説明したという。
    > ただEPSは、2004年に、低賃金労働者の確保で苦労している小規模事業者の支援策の一環として導入された過去がある。背景にあるのは労働者不足だ。韓国の外国人労働者は貧しく、韓国人がやりたがらない仕事に就くケースが多い。
    > 経済協力開発機構(OECD)によると、高齢者人口に対する生産年齢人口比率は、2010年は6倍だったが、50年には1・3倍にまで縮小する見込み。出生率が極めて低く、人口構成の変化が移民の大量に受け入れの呼び水になりえる。韓国は海外志向が強く、若くて優秀な人材が韓国を出て北米に移住したり、働きに出ることが多いことも、人材難に拍車をかけている。
    > 一方で11月には韓国と中国が自由貿易協定(FTA)で実質的に合意。聯合ニュースによると、コメや牛肉など主な農水産物を開放の対象から外すことができたが、それでも、農水産物輸入額のうちFTA締結国分が占める割合は64%から80%にまで高まる。このため、韓国の農業の競争力の低下が懸念される。
    > 経営が苦しくなった農家は人件費の安い労働者への依存を強めかねない。自国の労働現場を支えるために外国人労働者をもっと増やしていくなら、待遇のあり方が議論の的になるのは必至だ。
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    【2014/12/19 21:13】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (続き)
     先夜さりげなく(?)「反ユダヤ主義と反移民主義との歴史的相関」に触れた。ここが勘所で、ちと大袈裟かも知れないが、ともすれば件の移民本が「反ユダヤ主義の復活」を目指すかのごとき「日本型ネオナチ」本と位置付けられる可能性もなくはない筈。そうでないだろう事は雑誌初出稿の方から汲み取れるけれど(新刊=移民本の方は未入手)、反ユダヤ主義が戦前世界のリアリティを生々しく宿していた当時とて、反移民主義が反ユダヤ主義を内包していた事に変わりはあるまい。すると対極にあるのが反差別なのは誰でも分かるのに、どうした訳か苹には今や、そこの所の印象が「不覚にも、薄い」。そればかりか従来以上に、頭の中では反移民と人種差別とがごく自然に融合してしまって居る。この点、一面では興味深くもあるが…困った。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1501.html#comment
     史料の記述を真に受ければの話だが(「2013/07/25 21:18」稿の後半参照↑)、嘗てヒトラーが問題視していたのは「民族」の方だった。これを解決するための新たな政治的/栽培的概念が「人種」らしい。それどころかヒトラーは、科学的意味における「人種」の存在を全く信じていなかった。してみると反移民は民族問題の範疇にこそあれ、人種差別とは縁もゆかりもなかった事になる。或いは「人種」概念と反移民の結合自体、差別へ向かう触媒となった可能性も考えられなくはないが、この場合アメリカ人やイギリス人やフランス人やドイツ人の中に居る「同じ人種」(!)の糾合を目指したヒトラー思想は、今の硬直的な「人種」イメージから見れば不可解な妄想でしかなかろう。意味が時代の推移に伴い歪められているのは、むしろ「人種」の方かも知れない。
     従軍慰安婦と性奴隷の同一視にも、それと似通った構図が垣間見えるのでは。民族問題に浸潤する文化や伝統の齟齬ではなく、概念や印象を操作する上での「仕組まれたジャルゴン」について。…民族と人種の何が違う?…慰安婦と性奴隷の何が違う?…そんな「理解の定型」を政治的に敷衍したプロパガンダに、術語の方が巻き込まれ振り回されているかの様な。現実は過去そのままに動かずとも、解釈の方は時分勝手に揺れ動く。そもそも「プロパガンダ」自体が長らく聞かれなかった死語もどき(?)で、その「古めかしさ」たるや戦前/戦中気分に満ち溢れている。忽ち陰謀論のニオイが漂ってくるのは致し方ないにしても、デマゴギーへの言い換えまでもが古びた昨今、更なる古色に惑わされる現実隔離/逃避の効果は流石に否めまい。
     歴史の遠さに惑乱されると、過去の移民と現在の移民との比較検討に支障が出る。此度の移民本は現在のを扱っている様なれど、いったんヒトラーの模索と失敗を省みる切り口を交えてみるのも無駄ではあるまい。~いづれにせよ本書に対する誤読や曲解、イチャモンの類は予め「願い下げ」でござんす。(←だから…大袈裟、杞憂だってば?)

    (以下、移民本ネタの仕切り直し。)
    http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1488
    http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1489
     こちら(↑)に続き、そのうち「日録」にも載るのかしら。…取り敢えず備忘録。
    http://www.sankei.com/life/news/141213/lif1412130026-n1.html
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    >2014.12.13 11:52更新
    >【編集者のおすすめ】
    >『中国人国家ニッポンの誕生-移民栄えて国滅ぶ』 真剣に総合的に移民問題考察
    > 「中国人国家」とややセンセーションなタイトルをつけたのは、政府が推進する“移民政策”の本質を、人ごとではなく自分自身の問題として真剣に考えていただきたいためである。会社や学校や近所が中国人だらけになり、日本語だけでは就職も生活もできなくなる社会を、望むひとはいないはず。
    > 移民問題に対し四半世紀まえから警鐘を鳴らし続けている西尾幹二氏を中心に、移民政策の本質は中国人問題であると喝破した関岡英之氏、外国での移民の失敗事例を紹介した河添恵子氏、坂東忠信氏は外国人犯罪の実態を明らかにし、三橋貴明氏は経済政策としての矛盾点を突き、河合雅司氏は少子高齢化問題の深刻さと移民政策では人口減少が解決しないことを説く。一冊で移民問題をこれだけ総合的に論じた本はないだろう。
    > 本書は上記6氏がパネリストとして登壇した産経新聞の雑誌『正論』が主催したトークライブ「日本を移民国家にしていいのか」を元に、『正論』にも一部紹介された原稿をほぼノーカットで再編集した(第一部)。各氏が用意した図表やデータや写真も盛り込み、ナショナリズムをあおるのではなく、客観性を追求している。
    > また第二部の論考集では、トークライブでは言及できなかった論点にも踏み込んだ。
    > 移民反対を外国人差別とする論調に惑わされることなく、反対に国民に対し冷酷に差別助長を要求するのが移民政策の正体であることを知ってほしい。(西尾幹二編/ビジネス社・1200円+税)
    > ビジネス社編集部 佐藤春生
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    【2014/12/24 00:18】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (承前~年末進行の独り言)
     こうして西尾本~関連の移民本について、まだ読んでも居ないのに云々するのは如何にも不作法、気が咎めなくはない。が、内容に言及しているのではないし(雑誌初出稿を除けば「抑も言及できない」)、寧ろ想像を膨らませて「読む準備を、私なら」てな切り口で敷衍しているに過ぎぬ。要は感想でなく期待。もし正真正銘の読後感想が「日録」に載ったなら、更なる期待の膨らませ方がもっと面白く試せるに違いない。いづれにしろ書店に並んで居なければ入手は年明けになるだろうが、実物を読んだからと云って感想がポンポン出てくるものでもない。何を読んでも、先ずは戸惑いを見つける事。共感してもしなくても、そこで仕舞いにしては思考停止と大差なくなる。あたしゃ戸惑う読み方こそが、書物と読者の双方を一方から自由にすると思って居る。
     …ところで、西尾先生は時に面白いキャッチフレーズを繰り出す事がある。これまで読んだ中で最高傑作と思った表現は、対談中アメリカ絡みで飛び出した「闇の宗教」発言だった。あれには宮崎哲弥氏も田久保忠衛氏も仰天してたし、『諸君!』誌の掉尾を飾るに相応しい名文句だと思った。…あれから何年経つだろう。この程度の感想ですら、書くまでには相応の時間がかかる。より正確には、「何故そう思ったのか」を自己咀嚼するための時間が要る。その一環/文脈に前掲の、アメリカにおける反ユダヤ主義なども絡んでくる。感想と解釈は紙一重なのに、どちらに偏り過ぎてもいけない。しかと両者を峻別できるだろうか。別種の角度では、主観と先入観の様に。そんな所にも戸惑いはある。曖昧で無限な意識の階調がある。だから読書は面白い。
     さりとて他方では、人によって「書いてはいけない」表現もあるだろう。例えば苹のよく遣う言い回しには色々な癖が滲み出るが、他の方々の言葉としては相性が悪かったりして。中でも「皺ひとつない脳味噌」なんてのがアブナイ。もし先生が一度でも遣おうものなら、誤解と心配と見舞いの束が瞬時に殺到するのでは。早とちりする人は認知症の介護施設紹介…畢竟「年齢ならでは」の話になるってこった。そう云や似通った筋でドキリとさせられた「日録」稿があったっけ。六年前の「私の墓」稿(↓)には「新年早々、なんて事を書くんだ!」と肝を潰したもんだ。或いは先生、アレで周囲の反応を観察したのかも。苹の場合は、いつの間にか先生を老人扱いしていた事に気が付いた。先生も「唐突に過ぎた」と思ったのかしら、あの時すぐに冒頭の数行を追記してた。
    http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=775
     その三年後、先生は新年を斯様な具合に書き初めた(↓)。こちら今度は読む側にも免疫が出来ているから、余程の事がない限り驚いてなんかやらないゾと。当時そう身構えて読んだ訳ではないが、後から思えば…との「ささやかな時間超越」を訓練する上で、少なくとも苹にとっての「日録」は恰好の場へとスクスク育ち続けて居るのかも知れない。
    http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1130
     以上、振り返れば謹賀新年「日録」史。次はどうなるものやらと、たまには年末から期待を寄せてみるのも一興だろう。…と書いてはみたものの、実は前々から気になってるのがセレブ奥様の旅行なのネ。あれって、事前に新年稿を準備してから出掛けてるのかなあ。だとしたら、今こう書いても既に「手遅れ」って事になる訳だ。今回は「セレブな奥様ニューヨークへ行く」んだそうな。(…ん?…四半世紀前の映画連想↓)
    http://www.youtube.com/watch?v=j3A-47wG5uY
     冗談めいた悪態ひとつ。~北朝鮮の映画館テロはシャレにならないんで困るけど、地下鉄の巨大ネズミ(元ネタ↓)になら、いっそ敢然と囓られて(?)しまいなされ。…でも先年フランス旅行を西尾センセから「無謀」(「2013/09/28 23:29」稿)と評された前科のある奥様ならば、逆に大和魂で囓り返しそうな妄想こびり付いてて却って安心?
    http://www.sankei.com/premium/news/141227/prm1412270009-n1.html

    (以下余談)
     坊主がウチにやってきた。爺様の仏壇の魂入れ。空きのある日はクリスマス・イヴだったが他にも予定があるそうで、何も食べずに風のごとく去って行った。(…師走だなあ。)
     その後、書店で年末進行の『WiLL』2015.2号を見かけた。買うのは『正論』が出てからにする予定。ただし少しだけ立ち読みはした。すると西尾先生達が審査する懸賞論文の募集が載っている。苹は一瞬、カネに目が眩んだ。もし私が書いたらどうなるか。…で、その夜いつも通りの泥酔モードで試しに書き出してみたら、ものの見事にテーマから外れている(↓)。それを無理矢理「こじつける」のが苹の真骨頂とも、また反則技とも云える。しかしどのみち表に出せる訳がない。苹の素性がばれてしまうではないか。
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    > 「さあ、書道を始めよう。」…何故じゃ。誰がじゃ。どうしてじゃ。
    > 敗戦で日本は占領され、武道も書道も軒並み教育禁止となった。以来なぜか教育界は及び腰で、高校書道教員採用試験は全国どこでも滅多に実施されない。中でも東京都は徹底して居て、都立は無試験教員が担当する「しきたり」らしい。指導主事ゼロ、専任と兼任が各一名、残る百三十数名は総て非常勤講師。これが帝都の誇る「伝統文化の尊重」とは恐れ入る。義務教育の国語科書写も必修化は昭和四十六年(告示四十三年)で、つまるところ四半世紀の空白期に育った書文化音痴が後の教員を拡大再生産する訳だ。正しい筆順は教えても、正しさの根拠までは教えない。「文部省の手引きに書いてあるから」では九九の丸暗記みたいなもので、同時に足し算や引き算を筋道立ててやらなきゃ駄目。そこを出鱈目な九九同然に読み書きするから、昔の字が読めない。
    > 平成二十五年の講書始で中野三敏・九州大学名誉教授が「江戸文化再考」を御進講した通り、読めない遠因は明治三十三年にある。以後、草書や変体仮名は世間から失われ続け、戦後になって途絶えた。敗戦の頃に生まれた某高校事務長は世紀末、年賀状の「元旦」が「うんこ」に見えると笑った。くずし過ぎたか翠軒流。菱湖流ならよかったと反省したが、誰でも書ける字を書くのは恥ずかしい。だから書家は書けないのではなく、書かない。相手が読めないと決めてかかるのも習い性で、実用書道と芸術書道の間を教育書道が老人の様に徘徊する。…老人文化の回春は難しい。少子高齢化の特徴を、書道界が半世紀は先取って居る。朝日新聞は日展問題を大々的に報じたが、日展トップは朝日二十人展のお歴々でもある。戦前世代から戦後世代への若返りで、日展書道は共産中国に接近できるのではと勘繰ってもみた。
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     …結局は旧稿の焼き直しになる。こりゃアカン。註の扱いも気になる所で、下手すりゃ本文より長く…いや、そこまで突っ込まなくてもいいだろ。勿論これまで書かなかった事にも触れとかないと。が、そうした事はネット上でも書ける。帰りなん、いざ。
     察するところ、学校教育の目的は日本文化の撲滅=国際化にある。かつ、それを目的と自覚しないまま進歩=国際化を追い求める。つまり日本文化撲滅と進歩は別物でありながら、国際化を目的とする点では同一となる。そこに役立つのが移民政策。嘗て日本は近代教育の黎明期に外国人教員を招聘したが、その効果は分裂的に承け継がれた。一つは教育内容の国際標準化指向(日本基準無視)。一つは教育成果の国際化指向(教育移民から労働移民への変質/進歩指向)。ここでは文明開化以来、教育条件(シニフィアン?)の英語化と教育内容(シニフィエ?)の非日本化とが夢想の中で予定調和している点に目を向けねばなるまい。
    【2014/12/27 23:21】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


     「2014/11/22 22:22」稿と絡みそうな話ではある。昨年、こう書いた(抄録↓)。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1679.html#comment
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    >苹の場合は半世紀くらい前の実用書道本を目習いするだけで、基本的な「読む」コツは身に付きました。後から考えると松岡正剛の云う「推感編集」の手口に近かったみたい(前掲シービオク本の解説リンク参照)。頭の中で文字を解剖し、分析し、推論し、再構築し、復元結果が正解なら「読めた」事になる。その繰り返し。私にとって書字は視覚の論理学です。一言で云えばそうなる。
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     これを踏まえて新年早々、挨拶抜きで(汗)外国人の文語学習に思いを馳せる。

    (備忘録)
    http://www.sankei.com/premium/news/141228/prm1412280020-n1.html
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    >2014.12.28 09:30更新
    >【赤字のお仕事】
    >日本語習得に懸けた情熱~アーネスト・サトウ
    > 市川清流が書き上げた遣欧使節団の旅行記「尾蠅欧行漫録」を英訳し、国内外の外国人たちに日本人の一典型を示したのが英国人、アーネスト・サトウ(1843~1929)である。サトウは在日英国公使館で外交業務の傍ら正確な日本語を学び、正しい日本の姿を欧米諸国に紹介した。
    > サトウの経歴や外交官としての事跡は、幕末・維新史を題材にした各書に数多く取り上げられており、ここでは触れない。「日本人よりも日本語に詳しい」と言われたサトウが、どのように語学を習得したのかに注目したい。
    > 横浜開港資料館(横浜市中区)では企画展「チェンバレンとアーネスト・サトウ 近代日本学のパイオニア」を開催中だ。幕末から明治の激動期に来日し、日本文化に親しみながら日本と日本人を研究し理解しようと努めた2人の英国人、バジル・H・チェンバレン(1850~1935)とアーネスト・サトウの関係資料約130点を展示。サトウ直筆の墨書「敬和」や和歌に傾倒したチェンバレンが自ら筆を執ったとみられる短冊など、今回が初公開となる資料も含まれている。同館によると、10月下旬以降これまでに約8000人が来場したという。来年1月12日まで(年末年始、月曜日は休館)。
    > 企画展の資料の一つに幕末の英公使館通訳生たちが日本語習得のため用いた「学習帳」がある。武士らが書いた手紙の行間に鉛筆でローマ字が書き込まれている。同館の主任調査研究員、中武香奈美さんは「外交業務をこなしつつ熱心に日本語を学んだ真摯(しんし)な姿勢が資料から伝わってくる」と話す。
    > サトウは来日後、まず米人宣教師、サミュエル・ブラウン(1810~80)から口語を学んだ。ブラウンの著した「会話体日本語」(Colloquial Japanese)を教科書に本人から直接指導を受けた。サトウは「大いに役立った」と回想している。著書は外国人による本格的日本語会話書の最初の出版とされ、普通と丁寧の2種類の表現法を解説。「当時の江戸言葉と階級・身分による言葉の差をいきいきととらえている」と今日なお研究者の評価は高い。
    > 文語は紀州出身の日本人医師、高岡要らから学んだ。サトウ著『一外交官の見た明治維新』(坂田精一訳、岩波書店)によると「彼は、草書で短い手紙を書き、これを楷書に書き直して、その意味を私に説明した。私はそれの英訳文を作り、数日間はそのままにしておいて、その間に原文の写しのあちこちを読む練習をした。それから、私の英訳文を取り出して、記憶をたどりながら、それを日本語に訳し直した」。書簡文を用いたこの方法が語学力を高めるのに、いかに効果的だったかを後年力説している。
    > サトウの熱心な学習ぶりは、明治初期に滞在したオーストリア外交官も書き残している。「彼は出会った日本人の誰とも言葉を交わし、注目すべき新しい表現や文句にぶつかると必ずノートに書きとめる。こういうメモを丹念に付き合わせることで、日本語の言葉の意味を定義し確定することを学んできたのである。これは瞬時も休むことを知らない知的労働である。(中略)サトウ氏が実行している方法こそ、この国の言葉を発見する唯一可能な方法だと思われる」
    > 学習と並行し、サトウは通訳生として日本語原文を英訳し本国に報告した。最初の仕事は、幕府が朝廷に攘夷決行を奏上(そうじょう)したことに伴う「外国人追放令」(文久3年5月9日=1863年6月24日=付)で、この文章はのちに英国議会報告書に掲載された。一方、新聞や雑誌への投稿も活発化。1865年には横浜の英字新聞ジャパン・コマーシャル・ニュース紙の1月4日号に鎌倉事件(元治元年10月、英陸軍の将校2人が鶴岡八幡宮の参道近くで攘夷浪士に斬殺された)下手人の自白記事を掲載した。通訳官に昇任した同年5月(慶応元年4月)にはロンドンの雑誌に「日本語書体の種々の様式」という記事を投稿。新井白石「読史余論」などの文例を引き、日本語原文とローマ字の書き下し文、英訳の3種類を示して日本語の文体を紹介した。
    > こうした流れの中で、サトウは市川清流の「尾蠅欧行漫録」英訳文の連載をロンドンの雑誌チャイニーズ・アンド・ジャパニーズ・レポジトリー誌に開始した。初回は1865年7月1日(慶応元年閏5月1日)号に掲載。同年9月15日(同年7月26日)からは横浜の英字新聞ジャパンタイムズ紙に転載し、翌年3月(同2年1月)まで続く。清流はこのころ、松平康直の家中を離れ幕府の外国方(外国奉行)に出仕していた可能性が高く、外国方が定期的に日本語に訳す同紙の記事を読み、同僚らから何がしらの評判を聞いていたのかもしれない。
    > 「適切な教科書がなく(日本語の)教師らしい教師もいなかった」状況でサトウたち英公使館員は日本語習得に多大な努力を払った。横浜開港資料館の中武香奈美さんは「英国には通訳官を育成する独自の制度があった」と話す。通訳生は中国の領事館で2年間外交業務をしながら語学を習得するシステムがあり、サトウも来日前北京に赴任した。ここで漢字を文脈で読む訓練をし、日本の漢文も文章の流れで判読することができたという。「サトウの真面目で勤勉、研究熱心な性格が日本語と日本への理解を高めることに結びついた」と中武さんは分析している。
    > 清流の「漫録」英訳文は1866年3月9日(慶応2年1月23日)号の紙面で連載が打ち切られた。突然の終了だった。その7日後、同じジャパンタイムズ紙にサトウの論説記事が掲載される。有名な「英国策論」であった。(稚)
    --------------------------------------------------------------------------------
     で…サトウ直筆とされる扁額「敬和」をネットで見たところ、解説に菱湖流の書家、高斎単山の名前が出てくる。これで書風には納得したが、どう見ても字は「敬」でなく、それよりは「敷」と読める。誤読じゃないのか?…と、それはともかく。
     遠い記憶を揺さぶられて三十年以上前の蔵書を読み返したら、確かにサトウの名前があった。それによるとサトウが単山に学んだのは明治元年(単山は満五十歳、サトウは満二十五歳)以後の年で、と云う事は単山が住居を摩利支天横丁から牛込(新小川町一丁目十二番地)へと移した後になるそうな。あと、単山の墓を守る滝沢家の話では「高斎」を「たかなり」と読むのが正しく、村松梢風『本朝画人伝』(昭和十六年二月、中央公論社発行)第二巻P.378にある奥原晴湖の伝記でも、そうルビが振ってあるとの事。
    【2015/01/02 03:53】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (前稿補記、新春附録)
     話の種に、もう少し続けてみる。以下は「三十年以上前の蔵書」の巻末にある「ご家族のためのページ」より。御覧の通り連載物で、実は学童向けの雑誌記事。
    --------------------------------------------------------------------------------
    > 文政から天保年間にかけて江戸の書家として知られた巻菱湖の直門で、その歿後菱門四天王の一人萩原秋巌の門に入って技を磨いた高斎単山について、二回に分けお話をいたします。実は、先にお話を終えた萩原秋巌の事蹟をあれこれ調べているうちに、その門に高斎単山という人がいて、お墓が東京都台東区谷中の天王寺にあることを知りましたので、お寺に法名などを問合わせたところ、そのお墓を守っておられるのが、劇団「民芸」の代表者で俳優でもある滝沢修氏であることを教えていただきました。意外な方とのつながりに驚きましたが、早速手紙を差上げ、奥様から単山ならびに滝沢家とのつながりについてお教えいただいた次第です。天王寺は、菱湖のお墓のあるお寺ですから、単山の霊も師の霊の近きにあることを喜んでいることであろうと思います。
    > 上の図版は、文久元年(一八六一)発行の「江戸諸家人名録」にのった単山の名で当時下谷三枚橋に住み、毎月四と九の日に家にいたことがわかります。隣りに記された石井潭香も当時知られた書家の一人です。
    --------------------------------------------------------------------------------
     学童向けの本文も平易な書きぶり。内容は…色々あるけど一例こんな具合(↓)。

    単山の書塾(高田竹山の話)
    「単山の弟子には大名も五、六人おりましたが、これらの人々は毎月一日・六日・十一日・十六日・二十一日・二十六日というように一と六の日が稽古日でした。その間に、月六回ほど、清書を書いて出す日があって、その時には筆や紙などもたくさん使って練習しますが、清書を提出しない日の練習には、草紙(半紙を綴じて作った練習帳)の他は新しい紙を使いません。草紙の一枚に書いてそれが乾くとまたその上に書き、こうして真黒になった紙の上になお何回も書くというふうにして、一枚の紙を何百回となく使ったものです。当時の書家の稽古日は、一と六の日ということが多く、巌谷一六(明治時代の書家で、貴族院議員にもなっている)の雅号の一六も、この一と六の日にちなんで付けたものと聞いています。
     単山の塾は多くの弟子を集めて非常に盛んとなり、毎年半期(六ヵ月)の収入が、当時のお金で四、五百円もありました。当時の四五百円は、今(昭和七年)の金高にして二、三千円という額になりましょう(現在の金額では五、六百万円をこえる額になる)。入門料というのは普通の人で二分ぐらい(一両の半分。今の二万円ぐらい)でしたが、そのなかにお盆の頃や年の暮れの付け届けが一人二分ぐらいもありましたから、そのような大きな金高になったのです。内弟子として先生の家に住む塾生は十人ほどいましたが、そのような贈り物の砂糖や、かつおぶしが使い切れずに、よその家へやってしまうほどでした。当時の先生というものがどんなに権勢があったかは、こういう事でもおわかりになると思います。
     先生は、弟子に対してとても厳しい人でした。私達のような内弟子には、決して手を執って教えることをしません。初めて書法を教えてくれるのは三年以上たってからですし、七年以上も先生のそばに内弟子として仕えなければ、書論の講義をしてもらえませんでした。どんなに書技が早く進んでも、年数による階級の区別は厳重だったのです。そこで、年数が少ないものは、毎月五日か六日、先生が揮毫して見せる日に、そばで墨を磨ったり紙を抑えたりして、先生の揮毫の仕方を覚えたものです。私は学僕(塾に住み込んで塾の雑用をしながら学ぶ若者)でしたから、月謝も食費もいりませんでしたが、その代りに、炊事もやれば拭き掃除もやりました。それはこき使われるという感じのきつい仕事で、昼間はいろいろな用事を言いつけられ、とても落ちついて勉強などできませんし、夜は仕事がすむと漢学塾(植村蘆洲の塾)へ漢学の勉強に行きましたから、書の練習は、しばしば夜通しの修業になりました。夜も寝ずに夢中になって漢学の書物を開き、筆をとり、その場に疲れ切ってぶっ倒れるまで学んだものです。冬の夜は、他の塾生が起きているうちは火の気もありますが、他人が寝てしまえば広い稽古場は火の気がなくなります。まだ十代なかばの私は、ついうとうとと眠ったりしますが、目が覚めると手が寒気ですっかりこごえてしまい、文字を書こうにも動きません。息を吹きかけたり、もんだりするぐらいでは全く利きませんから、そういう時は庭へ下りて井戸まで走って行き、はだかになって頭から一気に水を浴びるのです。山の手の井戸はしゅろの葉の繊維で編んだ縄の十三、四ひろ(約十四、五メートル)も下る深さがありましたから、冬の水は温かく感じます。それを何度もかぶると、体や指先がポカポカしてくるので、そこでまた机に向かって稽古を続けたものでした。
     また、昔の書家は、木版の版下(印刷用に文字をきざむ版木に、はりつけてほるための文字の下書き)を書いたものですが、私も若いころによく書きました。もちろん修業を積み、先生に許されてから版下書きができるのですが、木版の版下はそれほど細かい字ではありません。細かすぎては版木に彫るのもむずかしいし、彫れたとしても刷るのがまたむずかしくなるからです。明治時代に入って木版に代わり銅版が使われ出しました。銅の板で造った印刷用の原版で、原稿を手彫りしないですみます。薬品で腐食させて作るのですが、今のような活字がない時代ですから、文字は書家が書かねばなりません。しかし、銅版は手彫りの必要がないからと、三ミリぐらいのごく小さな文字を書かされることになりました。もちろん、銅版の版下書きは値段が高いわけです。私はまだ少年のことですから、目に自信がありましたし、お金も多くもらえるので、進んで銅版の版下書きをしました。昼は学僕ですから、先生の用事も多く、時には先生の代りに子供の弟子へ稽古をつけることもしなければならなかったので、仕方なく夜の間に版下を書くことになります。今のような電灯はありません。魚油をともした行灯の薄暗いあかりで書いたのです。行灯は三方を墨で塗り、一方に光を集める工夫をしてはありますが、その暗いあかりで三ミリ以内の小さな文字を根気よく書いたわけですが、今考えると、よくあの様な仕事ができたものだと思います。
     書家になろうとする者は、大字は方一丈といって約三メートル四方、小字は方寸といって約三センチ四方に、千字は書かなければいけないと言われますが、大きな字を習うには普通の紙に書くわけにはいきません。そこで朝早く掃除をする時に、玄関の広い式台(玄関の上がり口にある土間)に、しゅろの葉で作ったほうきを水につけて書いたり、砂場へ行って竹ぼうきで書くということをよくやりました。そうすると、思い切って大きな字が習えたのです。
     また、昔の師匠は早起きの人が多く、日の出るころには起きて庭先の手水(手や顔を洗う水)を使いましたが、単山先生もその例にもれません。先生の屋敷には、差し渡し三尺(約一メートル)ぐらいの手水鉢があって、私ども学僕は毎朝、先生の起きる前に、それにいっぱい水をくみこんで用意しておかなければなりませんでしたが、それがなかなかいっぱいにならず、実につらかったものでした。冬の最も寒い朝は、手水鉢の底まで氷が張っているので、くんだばかりの井戸水をどんどんかけて、氷を井戸水の温かさで溶かさなければなりませんでした。それをどんなに寒い朝でも、はだしで、針のようにとがった霜柱をふんでしたものです。
     私が単山先生の門に入ったのは、明治二年で数え年九歳の時です。私は十二、三の時に先生について萩原秋巌の根岸の塾の新年会に行き、単山先生の揮毫の後で書いてみせましたが、その時の秋巌の顔を今も覚えています
     単山先生の代りとして、東京山の手に住む仙台の若殿(私より三つか四つぐらい歳下だった)のところへ教えに行ったことがあります。私も十代なかばで、お互い子供同志の遠慮のなさでの稽古ですから、先生が教えるより、私が教えた方がよく覚えるというので、その後たびたび代稽古をしました。単山先生も、もちろんそこへ、出稽古をすることがありました。
     こうして私は、十四、五歳まで先生のところで過ごしましたが、そのころから時勢が段段変わってきて、年二回の御礼が月謝となり揮毫料なども決まって、先生の家の収入は次第にふえてきました。ある時、先生がいつものように私に代稽古を命じて、熱海温泉へ二週間ほど遊びに行かれましたが、あいにく、私はかぜがもとで肺炎を起こし高熱を発してたおれてしまいました。心配した父母が私を実家へ引き取って看病してくれたのですが、先生が帰ってこられてそれを知り、ひどく怒って私の家へ来られ、「いやしくも師匠の代理をしておりながら、師匠の留守中に自分の家へ帰るとは何事だ」と言いました。私の父はカンカンに怒って、「伜が重病だというので連れて帰ったのがなぜ悪い」と言いましたから、とうとう二人でけんかになり、父は「そんなわからない師匠なら、もう行くに及ばん」と言い出しました。そのため私は住みこみをやめなければなりませんでしたし、父の怒りもしばらく続きましたが、その後また稽古に往き来するようになりました。
     明治五年に初めて小学校の制度ができて、これまでの私塾などがほとんどそのまま小学校になりましたが、単山先生の塾は、そのような小学校よりずっと高等なもので、普通の小学校の卒業生などに教えていました。私などは、先ず最初に草書を一字ずつ大きく書いてから、楷書を習ったものです。そうすると手がほぐれて、腕の回転が自由自在になるからです。
     私は十八歳の時に単山先生の塾をやめて、薬研堀(今の中央区東日本橋二丁目あたり)に書塾を開きましたが、やめる時は私の苦しい修業振りを理解していた植村蘆洲先生が同情して下さって、私の退塾に不機嫌な単山先生から私をかばってくれました。書家の高林五峰さん(父の高林二峰も書家で、菱湖の高弟達と親交があった)は私と同じ年齢ですが、私より三年前から蘆洲塾の門弟です」
    【2015/01/04 02:44】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    いつも留守にするときは、原稿を管理画面に下書きという形で用意しておいて、
    日録のバックアップなどをしてくれている人に、
    頼んでアップしていました。

    でも今回は、用意はしておいて、
    自分で謹賀新年をアップしました。

    でも、でも、準備に失敗していて、先生のコメントがすっぽり抜けていた~~~~

    スマートフォンに変えて、海外でも使える設定にして、
    出先で管理をしたのであります。
    スパムコメントの削除も・・・・・

    【2015/01/06 22:41】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    (承前回想)
     どうせ長くなるのなら、名のある先人のを転載する方が宜しかろう…とはただの方便。本当は劇団云々の記述を見て、福田逸「つくる会」元理事の三世代に連想が及んだ。後で検索したところ「民芸」とは無関係の様だが、祖父(幸四郎/秋湖)が書家でもあった件や、父(恆存)の稽古時期が逸先生の小学校入学と重なるらしい点も気になった(親子一緒に手習いしたのかしら?)。~秋湖は西川春洞の孫弟子で、幼少時の春洞は中沢雪城の門に学んだ。雪城と秋巌は共に菱湖の高弟で、春洞と単山はそれぞれの弟子にあたる。
    http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_r_718.html
     明治中盤以後の「書き言葉」は楷書先習だが、それ以前は行書や草書を先に書いた。楷書は漢学塾でやる「読み言葉」の領分。楷書が読み書き双方の基礎とは限らないのに、今は先入観で過去を見る罠が教育で予め「植え付けられている」。…そんな昔時の懐疑心が後年、まさか「歴史問題」とも共振し始めるとは思わなかった。ここでは「草書の読める常識人」が非常識人となっていくプロセスが、他の歴史認識を交える上でも切り口の基準となる。その代わり「草書の読めない感覚が分からない」逆説的盲点もあるにはある。草書が読めなかった時期はどことなく余りに短く、当時の感覚/記憶はそれだけに薄い。
     苹の場合は小二の夏から書塾に通った。小四か小五の頃には半紙五十枚ほど。百枚書いて物足りず、行書に憧れたのは小六。初めて見た草書変体仮名交じり手本「東照公遺訓」がスラスラ読めた事に驚いたり、千字文の丸暗記を始めたり藤原鶴来『和漢書道史』(二玄社)等々を読んだりしたのは中二。高校入学を控えた中三の新年試筆は欧陽詢「仲尼夢奠帖」と王献之「地黄湯帖」の小字全臨だった。他の記憶は容易に出てこないが、「学童向け」の連載意義ならよく分かる。竹山には及ばずとも精緻な版下書きに感嘆、真似した後で芸術書道に手を染めるのが望ましい(高校で芸術科書道を学ぶ前に)。
     書塾の高校生は学童から一般の扱いに移る。やがて細字課題に王羲之「黄庭経」が出た。師匠は細字も懸腕法で書く人で、苹も当時それに倣った。肉筆の手本と似せて書くのは相応に難儀したが、手本が原拓から離れた「臨書の臨書」(又臨)だった所為か、相応に書きやすかった。より精緻に原拓を真似ようとする場合は話が別で、今度は懸腕法が苦痛になってくる。書きやすい提腕法や枕腕法は「怠け癖」と云えるか否か(明治期に輸入された廻腕法は趣味的なため論外)。江戸時代の史料が不足している分だけ、その辺については今も不安を抱えて居る。仮名方面で見られる懸腕の書きぶりが気になる(↓)。
    http://musuidokugen.tea-nifty.com/makoto/images/2009/12/08/suikenleaf.jpg
     版下サイズの中でも特に小さな字を、支那では「蠅頭」に形容する。それを廻腕法で書いた清代書家が居たそうだが、頭から誇張と決め付ける訳にもいくまい。常人には無理だから伝説が残るのだし、同じ廻腕でも人によって差異がある(日本では日下部鳴鶴のが有名↓)。苹の師匠の懸腕法も黄庭経では臂を脇腹に付けて書いていたから、実質は提腕法に近かった。高校の師匠は臂を真横に突き出す「水平な」懸腕法だったが、小字には使わなかった。俯仰法で知られる比田井天来は先ず廻腕法で腕を鍛えた。最初から俯仰法で学ぶと悪弊が出るそうな。
    http://www.shodo.co.jp/blog/hidai2010/2010/11/post-99.html
     版下は筆耕とも呼ばれるが、芸術書道から見ればかなり格下か時代錯誤と映るだろう。その筆耕に作品以上の執念を籠めると色々な問題点が見えてくる。卒業証書の仕事では点画の長さが取り沙汰された。「天」の横画は上が長いと信じている教員に古典の話は通じないので、同じ長さでごまかす様な例が沢山あった。楷書古典と比べて遜色ない出来映えを目指すと、この手の食い違いは避けて通れない。「令」の終画では欧陽詢のを少し誇張するなど、活字の形に配慮した工夫がないと文句が来る。そうした諸々を統一的に訓練できるヒントが版下にあった。活字に移行する迄の期間、細部に様々な工夫がなされてきた。
    http://1000ya.isis.ne.jp/0236.html
     松岡正剛は「菱湖の書は現代に継承されてはいないのだ」と書く(↑)。この主語を「版下の書字技術は」と置き換える事も出来よう。支那の館閣体と日本の版下書法の違いは「仮名との調和」にもあり、読字/読書用の御家流や唐様は巷間実用の印刷技術に支えられてきた。この点を無視してきたのが肉筆/真蹟中心主義の唐様イメージで、他方では「御家流が顧みられなくなった」理由の一端をなしているかの様でもある。~とかく真贋の筋目は難しい。「真蹟を下るること一等」という言葉がある。真の中に贋が蠢く場合もあれば、贋中すれすれに真が宿る場合もある。
    【2015/01/10 05:16】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    今回の文章は、 苹@泥酔 さんの書につながるいままでの経緯が書かれていて、とてもよく苹@泥酔 さんのことを理解することができました。早熟?だったのですね。書に魅せられたのですね。できれば作品を見せてほしいです。
    デジカメで写真をとって、アップしてください。
    【2015/01/12 09:42】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >できれば作品
    >デジカメで写真
     「つくる会」東京支部板に画像投稿し始めた頃、迂闊に恥を曝した事ならあります。あの時は中国製の赤い便箋(原寸は天地19.6cm)に即興で書いたのをスキャナで取り込み、画像の左右を二度に分けて出しました(↓)。一応これで我慢していただきたく。挨拶か何かの機会あらば本人確認用に役立つ事もあるのではと、まだ実物は捨ててなかった筈。
    http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_topic_pr_351.html
     これよりはずっと丁寧で数倍大きな字の、卒業証書の書き損じなら少しは手元に残ってますが総て生徒の実名(当たり前か)。またデジカメ、ケータイ、スマホの類には一度も触った事がなく、A4サイズより大きいのは出せない上、大抵すぐに反古となってます。生き残り(?)の殆どは人手に渡ってて行方不明。多分とっくに捨てられてるでしょう。
     セレブ奥様には早熟と映るかも知れませんが、昔の環境なら苹は明らかに水準以下です。幕末当時の筆記具は殆どが毛筆、識字は教養の初歩でした。生活に必要な寺子屋の草書は読めても、漢学塾の楷書は読めなかったりする。つまり「草書変体仮名交じり書記様式しか読めない」大人が存在する。そんな世代が「活字規範書記様式しか読めない」子供から字を教わると、「大人は字が読めない」と誤認する子供が大量に出現してもおかしくない。
     こうした識字史上の規範変化/断層を無視すれば、自ずと最悪の「ゆとり」書教育が出来上がる。以来百数十年間、子供の多くが「活字規範の字しか読めない」まま大人~老人になっていったのでしょう。義務教育で分数をやらなくなる時代、「分数の出来ない大学生」が昔の子供を早熟と見る様なものかしら。すると中学レベルと大学レベルの関係が顛倒し、経験上の異質性がいっそう際立って感じられるものほど過度に難しく見えてくる。

     もう一つ。~書に関しては当方内心、「作品」という外来概念に未だ納得できて居りません。「教養は作品だ」と言い切る様なもので、「文学は教養だ」の方がまだ足腰にしっくりくる。もしくは教養芸術から視覚芸術への変質が前提となるかしら。甚だしきは専ら他者の文学に寄生、あたら書の脳細胞が筋肉に近くなる(ここで連想…アニメ「寄生獣」第10話より↓)。筆を刀の様にぶんぶん振り回されたら、危なっかしくて仕方がない。
    http://www.youtube.com/watch?v=qiJJg2t3YqE
     それにしても、何がどう転ぶか分からない。読者葉書を出したら届いた「出版ダイジェスト」二玄社特集号に、中高生が目を通したらどうなるか。夢中になると学校のが疎かになるけれど、後から思えば内容は(今の)大学レベルだったらしい。すると教育実習を二度やる結果になる。先ずは生徒の立場。次は実習生の立場。そこでやめときゃ教職クビにならずに済んだのかも。授業の追究は私塾/予備校の領分で、学校でやれば民間の営業妨害になる。ならばいっそ、塾が学校になればよい。…で、昔そうなったのが明治五年。
     公教育では相変わらずグローバル化が取り沙汰されてる模様。仮に拙稿を英訳すれば、専門用語などの扱いは一体どうなっていくのやら。漢字や仮名のあれこれを、横文字で説明するのはさぞ難しかろう。母語/日本語による「画像抜き」の説明工夫でさえ四苦八苦するばかりの身にしてみれば、よほど達者でないと務まるまい。書道畑にとっての英語/外国語は、変わり果てた母語世界を挟む分だけ余計に「翻訳の翻訳」の印象を強くする。

    (以下、世間話)
     先週「朝生」録画を倍速で見てたら、竹中平蔵「正社員をなくしましょう」発言にビックリ。ネットでは大賑わいらしいし、こちらはこちらで2009年の書き込みを思い出したりして。~実は苹ちゃん、「WiLL」ブログのコメント欄で「正規雇用を法律で禁止する」案を出してたのねー。応対してくれたのは瀬尾友子ブログ係(?)で、今は産経で編集長やってるみたい。ただ…今回は発言したのが竹中氏って所に、なんとなく引っ掛かるものがある。あの時もしや、苹は間違った事を書いたのでは。少なからず不安になってきた(汗)。てな訳で当時のを休み休みor恐る恐る、慎重に読み返してまっす…(↓)。
    http://monthly-will.cocolog-nifty.com/log/2009/01/post-3124.html
    【2015/01/16 06:08】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]

    信頼に足りる人とそうでない人と
    芋さま

    瀬尾友子さん
    素敵な女性で憧れます。
    一度お目にかかっただけですが
    http://www.zassi.net/detail.cgi?gouno=35661
    竹中平蔵氏
    ウーンの人ですね。
    【2015/01/16 08:22】 URL | bunn #- [ 編集]


    > 苹さん
    うぉ~~~~~

    流れるような、勢いのある字なんですねぇ~~~~

    【2015/01/16 22:25】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    (補記)
     少年時代の竹山が書いた版下の三ミリを昔式に云えば一分角で、この単位は今も篆刻の印材に用いられる。半截サイズの掛軸には六分角から一寸角くらいが多く、そこに朱文なら二字、白文なら四字程度を刻る。その前に先ず、朱筆と墨筆で印稿をつくる(例↓)。この感覚で実用の書を捉えてみるのも悪くはない。
    http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_pr_423.html
     すると字の丁寧さや趣の変化は別として、これが意外と身近なサイズに思えてくる。また、少し冷静になれば日記はともかく、自分の書いた字が「まだ手元にある」事の不自然さに思い至る筈。そもそも「出されない手紙」や「譲られない作品」に、一体どんな意味があるのやら。人に譲るのが惜しい、ずっと手元に置きたい心情なら分からぬでもないが、そのうち忘れてしまうのが普通だろう。ふと思い出した時に見直す/読み返す。ゆるゆると時間が流れ、勢いや若さなどを思い返したり。もちろん中には「思い出したくない事もある」。そこに生活と記録がある。
     やがて筆者は世を去って、他人が読めば古文書同然。まだ捨てられずに残っているなら、これはこれで異常なのかも知れない。果たして読める状態だろうか。或る意味「達筆で読めない」型の感覚は死語の世界へと通じていく。~そう云やカントが、こんなのを書き遺してたっけ(何度も引き合いに出して恐縮…↓)。『判断力批判』(岩波文庫)上巻P.122。
    --------------------------------------------------------------------------------
    >言語芸術に関しては、趣味の模範は死語或は古典語によって綴られたものでなければならない。死語でなければならない理由は、現代語にとって避けることのできない変動―即ち高雅な表現が平板になり、普通に用いられている語が時代遅れになり、或はまた新造語がほんの僅かの期間しか通用しないというような変動を蒙ってはならないからである。また古典語でなければならない理由は、古典語が流行のほしいままな変動に左右されない一定不変の規則を保持するような文法を具えているからである。
    --------------------------------------------------------------------------------
     昭和の小楷で思い当たる書家は色々あって、中でも戦前の文検に絡む人々のが印象深い。ただし鈴木翠軒の川谷尚亭碑は小楷より一回り(二回り?)大きい中楷のため割愛。それより小さい字となると香気の松本芳翠、風格の相沢春洋などが戦後まで生きた口だった。学者では戦前の長尾雨山に惹かれるが、戦後の学者となるとすぐには思い付かない。仮名の田中親美や植村和堂の写経はどうだろうか。版下世代ほど精緻ではないが、中島司有のは俗スレスレに模範的だった。平成に入ると一色白泉の日展写経が変態的…じゃなくて(汗)、良心的かつ啓蒙的に執念深く思えた。
     いづれにしろ明治終盤以降の人に、一般的な写経サイズより小振りの細楷を見た記憶はない。稽古では手掛けるかも知れないが、細楷/細字の大元にある実用/版下指向はどう見ても展覧会には不向き。でありながら、にもかかわらず古典は大概それを前提する以前の代物が全部であった。古典は変わらずとも解釈は変わる。どちらが不自由か分からない。無前提の自由がない。
    (くどくなるけど、念のため追記。~より正確には「前提内無前提」の自由を指す。前提の解釈変化に伴い前提自体がいったん無前提化するため、その内側にあった無前提/フレキシビリティまでもが無化してしまい、「無前提」本来の自由が失われる。つまり無前提は、前提を前提した場所に内在する可能性の場/空虚/無でもある。また~それとは別にドゥルーズの見方を参照すると、ヴァーチャルに対してアクチュアル、リアルに対してポッシブルが意識されるらしい。)
     開国後に生まれた「作品」の群れは、場所と中身の両面で概念自体が進歩的に「狭められていった」。これを仮にデフレ的「概念肥大」と見るならば、当時の西洋音楽がインフレ的「規模肥大」傾向にあった事と対照的に見えてくる(前衛音楽を育む前夜~後期ロマン主義)。規模それ自体が問題なのではない。拡大と縮小のどちらに向かって肥大の印象を保てるかが「作品」の変質を促すと共に、規模の性質を「肥大」の印象が行き当たりばったり規定する。

    (補註)
     明治以来、学校教育には相対的「反日」が暗黙の不文律となって組み込まれている。当初の基礎は所謂「文明開化」「和魂洋才」姿勢の下で培われ、この時点ではむしろ有益な面が大きい(開国効果)。一部では廃仏毀釈などの逸脱が見られたものの、二十年後の教育勅語(1890)による軌道修正で内発的な日本文化破壊(反日)のムーヴメントは道徳的に調整される。ただし基本は西洋文化の摂取にあるためか、開国以前の伝統文化については批判的な評価姿勢が目立つ。国語の場合、肯定的批判成果としては歴史的仮名遣いの厳密化、否定的批判成果としては言文一致運動の推進などが挙げられよう。教育科目の「国語」が初めて設置された明治三十三年(1900)には事実上、草書や変体仮名の国語機能が排除された。~因みに高田竹山と中橋徳五郎は共に文久元年(1861)生まれ。前者は長じて書道畑の説文学者となり、後者の文部大臣は毛筆教育廃止論に与した。
     開国後の日本書道は、支那と同じくらい西洋から影響を受けた。支那からは文物と技法。西洋からは概念と解釈。日本は清朝崩壊に伴う火事場泥棒的な売却の場で、拓本や文房四宝などの文物が大量に持ち込まれた。それらがやがて財閥の好事家達に集まっていく。技法は書家の領分で、宮島詠士、北方心泉、中林梧竹らが支那に滞在した(鳴鶴や天来らは短期旅行組)。そうこうしているうちに日本では西洋美術の概念が在来の形式/様式を組み換え、書道でも作品(嘗ては未分離の「書画」)や展覧会(嘗ては宴会的な「書画会」)などが導入されて現在に至る。
    【2015/01/21 00:39】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (雑感)
     複式簿記ならぬ複式書記…と形容すれば、的外れの度が過ぎるだろうか。例えば真草千字文は同じ文句の楷書と草書を並べて書く形式で、単に読むだけなら書体を重ねる必然性がない。それより多いのが日本では三体千字文(楷行草)で、中には五体、六体の例まである。古文、篆書(小篆)、隷書(八分隷)、楷書、行書、草書がズラリと並べば、クドさを通り越して最早(普通に)「読むものではない」事が誰の目にも明らかだろう。しかし見た目の字姿は違えども、字それ自体の同一性を総覧できる所から自ずと勘がはたらき、特段の労なく皆々「法則を読む」事ができる様になる…。
    http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_p_468.html
     先年、三体千字文から「宮殿盤鬱」の画像を出した(↑)。活字とは異なる書写体で、点画や部首を見比べるとそれぞれの草略法則や、同字(異体字)の「盤」と「磐」に交換法則が成り立つ事などが分かる。つまりここでは「縦に読む」よりも、「横に読む」方が主たる目的と云ってよい。この一点だけで読み方が、今とはガラリと変わる筈。明治以前はそれが当たり前だった。わざわざ常識を敢えて説明する必要がない。教える必要がないとまでは云えないものの、「見れば分かる」で済むレベルゆえ、明治になってからも百年くらいは、教え方を抜本的に工夫する必要が生じなかったらしい。
     草書変体仮名交じり書記様式から活字規範書記様式への転換が進むにつれ、明治三十三年以降の初等教育(国語)では本当に「教える必要がなくなった」。しかしながら社会通念上ではそれなりの素養を求められるケースが極めて多く、実用書道でも芸術書道でも様々な書物が出版され続けた。その水準を見れば分かる通り(↓)一切合切が応用的で、千字文の様な基礎レベルでは全く話にならない。さっさと仕事に役立てねばならない。法則だの何だのと理屈で考えるよりも、先ず実務の感覚で捉えねば間に合わず、基礎は後から付いてきた。この時点では基礎が社会で「宙に浮いた」か、もしくは綺麗に「社会が学校を補完した」とも云える。
    http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_r_390.html
     理屈抜きの基礎教育が「伝統らしさ」を纏う以上、伝統文化の教育に理屈を持ち込んではならない…と考える人が、世間には想像以上に多いらしい。それも戦後ますます非道くなっている。話の流れで昔「書の本質を教えねば…」と口にしたところ、商業科の同僚が猛烈に怒り出した。書の本質は至極単純で「読む事」と「書く事」。つまり書と字の同一性で、他は考えにくい。「本質」は誰でも分かるが、「奥義」等々はそうでない。この点を勘違いしたのでは。理屈抜きの人々に話が通じないのは、「行為から理屈を排除する」純粋性、神秘性、呪術性に魅入られているからだろうと思ってきたが、そればかりではないらしい。もっと深刻な、文化そのものの断絶がより深く影響している。
     …冒頭、複式簿記を持ち出した。門外漢の苹には分からない領分だが、ネットを見ると「全ての簿記的取引を、その二面性に着眼して記録していき、貸借平均の原理に基づいて組織的に記録・計算・整理する記帳法」云々と書いてある。そこから真草千字文を連想した。(借方と貸方ならぬ)読方と書方が文字概念上で常に一致するから、原理上は誤読も誤記もない。何が草略(増減)されているか一目で分かる。実画と虚画の合計=文字は左右で変わらない。どれくらい的外れかはともかく、似ている面はありそうに思える。商業科の先生ならば、細部まで容赦なく比較できるに相違ない。実際あれは、根拠豊富な「本質」観に基づく“激怒”だったのだろう(たぶん)。
     実務の軛を離れた現代なら、学問的に筋道立てて教えても構わない筈。ところが英語科出身の校長によると、「読めないものは教えちゃいけない」との事。今なら「(校長先生の学んだ)GHQ占領時代の教育方針ですか」と聞き返す所なれど、当時の苹は「つくる会」を知らない。伝統文化の神秘性はオウム真理教と同じくらいボルテージいかがわしく、原因の一つが社中の存在自体にあると勘付いては居たものの(日教組みたいな組織/流儀ウジャウジャ)、その社中を追い詰めつつ取り込んだのが学校側でもあるだけに、現実はいっそう複雑怪奇だった。~そこには二つの学問否定があった。一つは学校自身の予備校化で、非受験科目の非学問化に繋がる。もう一つは書道自身の学問否定。実務時代への郷愁を保守すれば当然、学問する余裕のない時代を取り戻す事になる。

    (「2015/01/10 05:16」稿について)
     稿末で「読字/読書用の御家流や唐様は巷間実用の印刷技術に支えられてきた」、「真の中に贋が蠢く場合もあれば、贋中すれすれに真が宿る場合もある」と書いた。~念のため件の「学童向け」雑誌で別の号を確認したところ、以下の記述が参考になるだろうと思った。転載し、補足する。
    --------------------------------------------------------------------------------
    > 明治の初めに、木村嘉平(嘉兵衛とも書くらしい)という木版彫刻の名人がおりました。この人は、村田海石の千字文の版木も彫っていて、当時その右に出る彫り手はいないとまで言われた人です。ある時、単山が楷書と行書と草書の三書体で千字文を書きそれを出版しようと考え、書き上げた原稿を弟子の高田竹山に持たせて、その木村嘉平のところへ頼みに行かせました。名人上手といわれた嘉平のところへは、木版彫りの依頼がたくさん来ていて、案の定、断わられてしまいましたが、次の日また竹山を行かせて頼みますと、単山の強い希望がわかってくれたとみえて、請け負ってもよろしいが、いつ出来上がるか約束しかねるとの返事でした。それから数日間、毎日、それでもよろしいからと頼み続けて、ようやく木版を彫ってもらうことになりました。読ませるための本の木版彫りなら、引き受ける職人はいくらでもいる時代ですが、習字の手本となると頼む書家も神経をとがらせることになるので、一流の彫り手が引っ張りだこになるのです。まして、千字文は書家として自分の名を世間に知らせるために書かれるものとまでいわれる手本ですから、なおいっそう優秀な腕を持つ彫り手に依頼しなければなりません。嘉平との約束をとりつけて、単山も一安心したことでしょうが、さていよいよ嘉平が彫り始めますと、その校正をしなければならないことになりました。どんな名人でも時には間違いを犯すことがあり得ますから、書家の側で彫り上がった分から目を通し、間違いがあれば彫り直すか修正してもらうのです。その校正に行かされたのも弟子の竹山で、竹山は何度となく校正に嘉平の家へ通ったそうです。やがてそれも出来上がり、今度は刷り師の手でいよいよ木版刷りが始まりましたが、その出来ばえの良さに単山は大層喜んで、「原稿より数段良くなかった」と言ったといいます。彫り手が名人だと、書家の文字は肉筆のものより生気を表すといわれますが、逆に彫り手が下手だと、書家の字は全く別人の様なまずさに見えるのです。ですから、木版刷りの手本を見る時は、彫り師の腕まえを見究めた上で評価する必要があるわけです。こうしてでき上がった単山の千字文は、一冊が明治天皇に献上されたそうですが、出版された部数が少なかったとみえ、まだ目にしたことがありません。
    --------------------------------------------------------------------------------
     文脈上「数段良くなかった」は「数段良くなった」の誤記だが、そのまま打鍵した。
    【2015/01/26 22:15】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (前稿補遺~或いは愚痴)
     「本質」という言葉は日常生活上、なかなか面倒臭くて使いにくい。しかし縁遠く感じられるものに対しては、そこが却って似つかわしく思えてきたりもする。多分「自分は本質と無縁」との意識があるのだろう。ならばいっそ、元の漢語を常用語に分けて考えるとどうなるか。例えば「本」を基本、「質」を品質と見なす場合、昔の基本が今は応用に見えたり、昔の品質が今は理解困難だったりする。「本質を教える」は嫌味な印象に。「基本を教える」は低レベルな内容に。「品質を教える」はチグハグな言葉遣いに。「品質表示」は企業側の話で、消費者は専ら受け身の姿勢に回る。片や「奥義」の方は企業秘密、特許、秘伝などに相当するか隣接し、濫りに「教える」と大変な事になる。
     この手の分解は以前、石川九楊の本で見かけた様な。不細工な言葉遊びに過ぎない気もするが、放念できないなら(「本質」の代わりに)形相/実質や表現/内容などの語彙を借用してみてもよさそうではある。しかしながら畑違いの学術用語は書道(漢字/仮名)と結び付けにくく、言語学や学習指導要領での用法と紛らわしくなる面もある。とどのつまりは「恰好な言葉が見つからない」訳で、だからこうしてウジウジ何年も引きずる事になる。昔の言葉そのままで済むならいいが、常識の中には行為と体験に任された領分での、名状し難き事象/概念/空気も結構ある模様。それが言葉と言葉の隙間を埋めてきたから厄介だ。言葉なき体臭に、体臭らしさを言葉もて宛がうのが難しい。
     最も気になるのは、前述の商業科教員が嘗て文部省認定の書写検定で二級を取得していたらしい事(本人の弁)。あたしゃ前任者から引き継ぎ硬筆受験生のを取り纏めていたからよく分かるが、あれは草書や変体仮名や書写体を一通り覚えないと合格できない。ならば彼の先生も本質は承知の筈(=読める筈)。だからこそ当方は面食らい戸惑った。もしや「書写検定より上」のレベルで「激怒」してたのかしら。…そう云えば前年か前々年は、間架結構法の授業で「ジャポニカ学習帳」を使った事にも怒ってたっけ。あれは初唐三大家の古典(教科書所収)より少し小さい程度の升目で使用に最適、難点があるとすれば小学生向きの表紙くらい。そこが「高校生をバカにしている」と映ったらしい。
    http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_r_448.html
     この図版(↑)も間架結構法の類と云える。要は字の整え方で、大体の勘所は決まっていても教本の形式までは定まっておらず、最小単位としては永字八法が有名(単純過ぎて、多くは用筆法の扱い)。三十六法や九十二法の説もあるにはあるが、明治以後の日本では概ね曖昧となっている。より古典的な言い回しの「書訣」だと辞書的意味は妙に「奥義」臭く、こと現代日本語の醸しがちな意味に傾けば、観念的で大袈裟な印象となりやすい。その辺にも混乱の一因はあるのだろう。~楷書の学習は支那に分があり、科挙では金太郎飴みたいな字がズラリと並ぶ(此処のは画像が大きくて見やすい↓)。その水準にありさえすれば、「誰でも整正に書ける」のが楷書でござる。
    http://www.toyo-bunko.or.jp/museum/mablog/2012/07/post-168.html
    http://kalcul.hatenablog.com/entry/2013/11/28/234500
     とは云え無論、楷書を整正/端正に書くのはそれなりに難しい。ごまかしが利く行草と違って融通が利かない。明治の書字/活字は巻菱湖の影響下にあり(楷書活字の字母を書いた小室樵山も秋巌の弟子)、書きやすさ/読みやすさは支那の館閣体に匹敵するものの、支那書道の芸術性を重んずる側の鑑識眼には通俗的と映った模様。そこで昭和七年、鈴木翠軒の出番と相成った(国定教科書甲種)。初唐三大家の漢字や藤原行成の仮名をクリティカルに調和させる工夫は画期的レベルに達したが、その一方で江戸文化の通俗的痕跡は更なる洗浄が徹底される。ところが翠軒の方では教科書執筆直後から、日本的美質への傾斜が却って顕著となっていった(所謂「翠軒流」の誕生)。
     書における日本的美質は精神性と結び付けられる事が多いが、書家と鑑賞家とでは美的基準に大きな食い違いを感じる。後者には、唐様の影響を切り離した上で日本的イメージを構築する傾向がありそうな。一つは良寛の様な飄逸。一つは幕末の三舟に見られる偉容。どちらも整正ではなく、文人や為政者/公家、僧侶、武人のが重んじられ、いづれを好むにしろ「書家の書は嫌い」なタイプが多いのでは。これでは到底、書く訳にはいかない。書けば逃げていくのが斯様な手合い(鑑る側も、鑑られる側も)で、技倆は驚くほど狭く画一的であるがゆえに却って枷がない。これでは書き手の立つ瀬がない。活字時代らしい「事の成り行き」に、書は二度とも食い逃げされた(明治の御家流と、昭和の唐様と)。
     書き手たり得る自己を伴わない時代、歴史的かつ潜在的な書き方を忘れた/失った人は、そうでない書き方の愚劣さや俗悪さにも騙されやすくなる。そこが所謂「平和ボケ」と似ている様な。狭く画一的な了見が悪いのではなく、その了見が抱える自己限定の深淵を読み落とすのが悪い/恐い。だから苹は、了見の狭い人が必ずしも嫌いではない(好きでもないw…orz)。むしろ了見の広過ぎる人に怯えおののく。時には疑心暗鬼となる事もある。もしかしたら本当は、こんなのを「人間嫌い」と云うのかも知れない。~「日録」(↓)に「私は厭世家ではない。結局、人間好きなのだと思う」とあるのを読んでから三週を過ぎて初めて、ゴチャゴチャ書くうち偶々そう思った。
    http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1503
    【2015/02/05 21:50】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (続ける…)
    http://blog.k-foffice.com/?p=307
     幕末明治で人気のある書は、うねる太線や渇筆などの特徴が概ね共通している様子。~先年は石川九楊がBS番組(↑)で大久保甲東のを臨書、似たカスレが出せずに難儀していた。翠軒流の人ならすぐピンとくる。あれは薄い毛氈を通して畳の目が写った線ゆえ、強い筆圧で擦る様に書けば誰でも出せる。ただし翠軒の場合は玉川堂製「白狸毫」面相型の、筆管との付け根まで筆鋒を総て使い切る極端な手口。S.29日展の「酔客満船」(↓)が典型的で、獲物を襲う猛禽類の様な俊敏さで書く(テニスの動きに近い?)。片や幕末のは「水筆」普及前の剛毛中鋒を半分おろして書く例が多いらしく、より簡単に畳目が出せる(それだけ筆の腰が強い)。
    http://www.shodo-journal.com/calligrapher/deceased/suzukisuiken.php
     世に贋作は少なくない。前稿で「驚くほど狭く画一的」と書いた通り技倆は平凡でよく、素直に書けば本物の儘なのに、真似れば却って綻びが出る。この点に無神経でないと真似は覚束ない反面、他方では思わぬ含羞が要る。つまり真似と含羞は紙一重で、それらの彼岸に無神経を追いやるのが、或いは「忘我」という事になるのかも。そこまでなら頭で分かるが、実践するのは難しい。~ふと、市川浩の云う「身分け」の構造を思い出す。真似を身から分ける所まで分節すると、実践し損ねたら真似の方が挫けそうだ。後に残るのが「無神経」だったら、どうしましょ。和魂漢才(もしくは洋才)から臨書(真似/模倣)の要諦を葬った途端、所謂「個性」と「ただの無神経」とを履き違える危険に直面する。
     書家の抱える不安は歴史的過去と未分化で、自己主張(作品?)めいたものが予め前提されてあるかの様に批評されると、忽ち「芸術」との間に筋違いの痴話喧嘩が始まる。書きたくて「作品」が書けるほど、書く自己は芸術的でも鈍感でもない。あるのは職人肌の来歴や「芸術以上の神術」(by高田竹山)らしい。経験に封じ込められた内的記憶は必ずしも宣言的な陳述可能態ではなく、そこが黙せる「神術」の所以とも解せられよう。片や西洋的「芸術」は宣言的ストラテジーが音楽的/音声的に露骨で、視覚芸術も傍目には比較的「見え過ぎた」面がある(自然模倣)。だから先人は読めた/学べたのかも知れないが、どことなく和魂が醸し出す気配とは、今も相変わらず縁遠い気がしてならない。

    (…と書いて一週後の推敲中、確か翠軒高弟の宮川翠雨が「含羞」について大切な話を書いてた筈、と競書誌『北雲』を探したが見つからない。転載するつもりだったけど残念。代わりに拙の黒歴史(?)発見。すっかり忘れてたけど、H6.10号に出てたんだなあ…誤植は嫌だなあ…。)

    (続ける…)
     今、殆どの人が「筆で字を書くのが書道」「国語とは別物」と思っているのでは。イメージがそうなったのは二十世紀突入前後からで、頭が凝り固まると大半は秒殺一蹴、「今と昔は違う」で済ますタイプの思考停止を進歩的思考と認識し始める。つまり思考停止と進歩的思考との境界がなくなる。~一度、校長に参観を頼んでみた事がある。即「私は授業を見ない主義だ」と職員室で明言したのには驚いた。休憩室では「(青森県で)書道教員採用試験は実施されない事になっている」とも証言してくれた。そんな申し合わせ/申し送りが上層部内で規範化し、かつ伝統と化しているのだろう。より正確な表現は、数年後のメール回答に譲る(2001.10.26付、県教育庁県立学校課課長署名、抄録↓)。
    --------------------------------------------------------------------------------
    >書道専門の教諭がいない場合でも、他の書道免許所持者が担当しており、学校として不具合がないことから、書道専門の教員を採用して欲しいとの要望はほとんどありません。そのようなことから、書道の試験についても昭和55年度以降実施していないものです。
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     東京都では非常勤講師、青森県では国語教員が芸術科書道を担当する(=無試験採用の常態化)。国語で採用された書道教員には「国語側の規範に準拠する義務」が潜在し、元々(「国語科」成立以前)同一だった書道自体にも国語側からの影響が及ぶ。現に大学教育学部では国語科で書道免許、書道科で国語免許を取得する(例外は所謂「ゼロ免」課程)。青森県の方針を「国語科で採用するから芸術科書道の試験は不要」と取るならば、「国語科に書写/書道の出題がない以上、芸術科での書道出題は不整合」との解釈も可能だろう。国語は書道を手放したくない。書道に復古されたら国語が困る。開国/敗戦/占領と続く流れに棹さして、日本文化を殺したがっているのは今も日本人自身であり続ける。
     それを正当化する「進歩的」教育は、歴史のみならず国語古典の歪曲に於ても自ら雁字搦めとならざるを得ない。「自分は学問をしている」との盲信/狂信で自己完結する信仰は、学問信仰ではあっても学問それ自体であるとは限らない。無論、信仰が学問の対象となる事はある~学問信仰もまた学問の対象に留まる事を踏まえれば、そうした二重性が学問の環を構成しても構わないのだろう。しかしながら信仰は学問を育み、学問は信仰を馴致する(学問は信仰の触媒?)。百年以上の来歴に阿る進歩主義教育が今のグローバリズムと結合する時、ローカル文明の根幹を組み換える手段としての学問は保守されたまま、旧来の学問信仰は新たな学問信仰を装いながら転生するのだろう。
    【2015/02/15 23:59】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (追記~社中について)
     何か書くと墓穴を掘った気がするのは習い性で、実際そうなっている事も少なくなさそうな。しかし、そうした場合に限って次に書く事のヒントとなる率が高いのだから、結局ダラダラと収拾が付かなくなる/躙り寄る様に書く羽目になる。前稿の合間に挟んだ余計な一言が、自分では今それにあたると思って居る。その中で宮川翠雨に触れたものの、苹は必ずしも翠軒流ではない。確かに師匠の前では昔それらしく書いたりもしたが、元々そればかりを書くタイプではない。~話を進める前に先ず、読み返したところ気になった稿を抄録する。以下は歿後出版の『続 翠雨雑記』(雨声会)所収、P.133「翠軒先生の思い出 書法は日本人の血で語られている」より。
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    > 昼食をとったあと、「君、文検を取れよ」という。私も文検をうけて合格し、先生に正式に入門を許されたいと思っていたから、当時その模擬試験の方では神様のように思われていた木俣曲水の模試を二、三回うけていた。ところがいつもその批評に、あまりにも翠軒的だといわれて、合格点の八十点を貰えず、七十八点でした。その理由には、文検委員は、翠軒一人でなく、田代秋鶴、細田剣堂その他もいることだから、あまり翠軒的だと合格しないという理由でした。それで私はそのことを先生に申しあげ、文検を合格したいばかりに、自分の書をわざと下手に書くような練習はしたくないと正直に申しあげた。それを聞いた先生は、大きな声を出して笑ったあと、「いや俺の書いているように書いていいよ」とおっしゃったのです。私はそこで、ハッと直観のようなものが働いた。確かに審査員三人の平均点のようなものがあるだろうけれども、筆記の答案と異なり、どなたか強い推薦があると、場合によってはと思いました。しかし翌年受験したら見事落ちてしまった。
    > ところが、すぐその後、翠軒先生から「君は仮名をどなたについて習っていますか、もし独学でしたら大石隆子を紹介する。」というお手紙がきました。大石隆子先生は、文検委員の仮名ではただ一人の尾上柴舟先生の高弟でした。その翌年受験して合格しました。それから上京して、翠軒先生に入門して本格的に書の勉強をするようになった。その翌年ある書道新聞の新人選抜展に選ばれた。それは翠軒先生の推薦になるものと私は思いましたが、先生はそのことで私には何もおっしゃらなかった。
    > 私は文検で仮名が一番で合格したということがどこからともなく噂として流れ、私の耳にも入りました。大石隆子先生からも、尾上柴舟について仮名を勉強するように再三すすめられた。私は翠軒先生に就くために上京したことと、尾上流の仮名の世界と、翠軒先生の書の世界とはあい入れないものがあることを知っていたものだから、そのことはズルズルにしていたのです。ところが、この新人選抜展のとき、この際これを機に尾上流と訣別しようと思って、その新人展に尾上流の仮名を出品したのです。私をそれに推薦してくれた先生にして見れば、そのことを不愉快に思うことは当然です。田舎からでてきたばかりの私はそれに気づかなかったのです。それから先生は一ヶ月ぐらい私にひと言も話しかけてくれず、何となく不機嫌でした。この期間位辛いことはありませんでした。間もなく私は尾上流を一切書かず、展覧会にも勿論発表することもなかったので誤解がやっととけてホッとした。
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     前稿からの流れでは、今更ながら文検(文部省師範学校中学校高等女学校教員検定試験)習字科のが毎年もしくは少なくとも二年、連続実施されていたらしい事に驚かされる。戦後平成の長崎で約四十年ぶり、鳥取で三十八年ぶりの教員採用試験実施がニュースになったのと比べれば(その時の新聞記事↓)、GHQ傘下のCIEによる書道教育禁止政策が「まだ解除されていない」と錯覚する人が出てきてもおかしくない。
    http://tsukurukai.webdeki-bbs.com/tsukurukai_tree_p_333.html
     それより苹は、別の点に注目する。ここからが本題。

     翠雨の出口には翠軒があった。多様な基礎が一つの書風に向かって迸り、その先に入口としての翠軒がある。だから入門後の翠雨は翠軒流「しか」書かなかった(表向き?それともホント?)。他の書風が書けないのではなく、書かない。そう決めるまでの間に翠雨の基礎形成期がある。一通り学び、書ける様になり、それから書風が定まっていく。最初から最後まで翠軒一辺倒だったのではない。
     出口(入口)寸前には大石隆子/尾上柴舟流のエピソードがある。また生前の旧著『翠雨雑記』(北の街社)を見ると、翠雨が他にも幾つかの書風を学んだ事が分かる。「師範学校では、日下部鳴鶴が手本であった。この書風は、明治時代の、日清、日露の大勝の機運から生まれた覇(は)道的書風だと断じて、一年ばかりでよしてしまった。そして海鶴流に舟を乗り換えた」(P.141)。~翠雨は昭和七年、青森県師範学校を卒業した。大正の末に青森師範へ赴任した宮川逸仙は鳴鶴流(P.287)。丹羽海鶴は鳴鶴の弟子で、鈴木翠軒は海鶴の弟子。件の「君、文検を取れよ」は昭和十四年頃で、翠軒が函館、小樽、札幌での講習会を終えて青森行の連絡船に乗った時だそうな。
     …それはともかく、ふと思う。
     書道教員は書家を兼ねるケースが少なくない。授業は一単位か二単位と短時間で(教科書通りに?)レベルが低く、反対に部活動は書家としての書風そのまま、レベルが高かったりする。やがて生徒は真面目に学ぶほど、ごく自然に書家教員の書風へと染められていく。すると往々にして「その書風しか書けない」生徒ばかりが育ちがちになるだろう。他の書風に触れる機会が少ない所為かも知れないが、機会があっても教員側では数多ある現代書風の一々に対応/指導できない。「水は高きより低きに」云々がどこまで通用するかは不明なれど、そうした教員側の在り方が生徒に伝染する例はよくある(感化?)。
     有り体に云えば、書風は主観的な方が芸術らしく意思堅固に見えるのだろう。客観姿勢は嘘臭く他人行儀。なのに学問では客観性が重視される。ならば書道は「学問ではない」事になるのかいな。そう見る立場が教育界(門外漢の他科教員集団)の主流だろう事は観察できる。既に幕末期の「単山塾」的な総合教育性は遠く、書学/漢学/国学などの基礎なき師弟関係が煙たがれる様になった後は、学力/基礎力の問題が感情的解釈に入れ替わっていった。師匠が不機嫌だと、他流を学んではいけない気がしてくる。基礎が内包する書風と、書風が内包する基礎との間で、関係や優先順位の顛倒が基礎それぞれの性質を攪拌し始める。
     この点は若干ややこしく見えるかも知れない。~前者の基礎は書風の差異を総て呑み込むので、よほど癖が強くない限り誰もが読み書きできる。しかし後者は一つの書風を特徴付ける基礎の側から前者を取り込むので、たとい双方の基礎に差異がなくとも、意識としては書風の枠組から離れられなくなる。この段階の書風を差し当たり「流派」と呼ぶならば、社中それぞれの書風は流派の壁により遮断され、傍目にはいっそう「流派らしさ」のイメージが増幅されていく事にもなろう。これを教育現場に持ち込む是非と功罪から目を背ければ、授業はたちどころにレベル低下するか、歪曲された理解に対して無防備となる。
     「書道と云えば、流派。」~こうした理解短絡の起源は、少なからず江戸時代の芸道イメージ(時代劇イメージ?)にありそうな。皆が和様だった時代、相対的な流派の違いは概ね微々たるものだった。やがて庶民にも唐様が普及した結果、書風/流派の差異が顕著/意識可能になっていったと見るなら納得も出来よう。そうした流れを踏まえれば、明治の書道は既に近代的だった(支那近代)。ただしこれを支那蔑視/西洋礼賛の色眼鏡で見ると、「時代遅れの近代化=支那化」は自動的に「本来あるべき近代化=西洋化」と区画されてくる。この場合、現代の「流派」イメージは明治以後に生まれた倒錯的幻想と云えるかも知れない。
     多くの書家は流派を書風と言い換えたがる。どちらも規模や程度の差こそあれ「個人」的な領分に依拠し、社中を主宰する個人とその模倣者/門人の群れは一纏まりの「個人/主宰/書風」を「法人」的に表徴する。同じ書風の群れが徒党を組めば、誰が見ても普通は流派か党派か派閥。離合集散あれば内紛もある。トップは家元でなく会長だが、さすがに組長の肩書きは見た事がない。翠軒を戴く社中名は長庚会などを経て千紫会に落ち着き、歿後は千紫会と翠心会とに分裂した(後者の会長が宮川翠雨)。この頃は多くの社中が大規模化し、巨大公募展(日展・読売展・毎日展など)での勢力図が取り沙汰される様になっていた。

    (蛇足)
     念のため。苹が翠軒流でないつもりなのは単に下手だからで、他の書風で書く方がずっと心地よい。しかし魅力となると話は別で、人間関係は破綻して/させても翠軒流の学び自体には今も屈託がない。当時は授業で様々な書家の臨書集や作品集を種に各派の技法を使い分け、「書風」依存の基礎から包括的基礎を解放しつつ理論化する方向に注力した。いつかは終わりの来る身、やりたい放題の姿勢に悔いはない。教職クビの送別会では突如、脳内をバッハのvc組曲6番ガヴォットが駆け巡った(↓)。その後はネットで言いたい放題。傍迷惑を顧みて(顧みず?/輪を掛けるべく?)、予め社中との関係は総て絶った。
    http://www.youtube.com/watch?v=VGfykyQ0_So
    【2015/02/24 06:07】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]


    > 苹さん
    バッハ聞いてみました。

    【2015/02/24 22:54】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    (借問)
    「長々と書道ネタを書いているけれど、君は結局、何が言いたいんだい?」
    「言表行為の集団的アレンジメントを、日本の識字文化で分裂者分析する試みだよ。」
    --------------------------------------------------------------------------------
     …こう書くと却って訳が分からなくなるに相違ない。なにしろ用語はフランス産(哲学畑のドゥルーズとガタリ)。直接の関係がないのは抑も題材が畑違いで、ムリヤリ日本の識字文化受容史に嵌め込むのだから当然だ。「言表行為」は書字/読字行為とした方がスッキリするだろうが、逆に音声面から遠離ると困る。漢字概念のアレンジメント(アジャンスマン)は草略や仮名への変奏を含み、識字者/非識字者のスキゾ分析(スキゾアナリーズ)は「読める字」と「読めない字」との社会的/集団的な分裂状況に関与する。
     昔の字を読める様にするのは簡単かも知れない。しかしそれすら必要ないとする状況や心理が「国語という思想」を占拠する今、日本語の「変質を保守」する側に教育道徳の基準がある。すると「子供を戦場に送るな」の様に、「現代人を過去に送るな」が暗黙の共通理解となるだろう。現在の視点から過去を見れば、昔の字は読めない。皆がそう思って居るならそれでよい(←これも一種の全体主義?)。生徒を「読める人」に育ててはならない。…ばかげた自己言及の堂々巡りと雖も、先生様が声を揃えれば催眠効果を誘発する。
     これを精神病理の視点で捉えると、ガタリが精神分析畑だった事に思い至る。ややこしい邦訳と難解な思考にこちらが「寄り添う」のではなく、こちらの視点や思考の側から相手を「見つめる」姿勢ならば、誤読も苦にならなくなる…と書けば出鱈目に見えるかも。なれどここでは誤読からの創発で相手に接近するのが目的ゆえ、同一化を目指す必要はない。差異を汲み取るための条件として自己を巻き込み、折り畳む。そう居直ると気が楽になるが、今度は相手の言葉が遠離るため、自分の言葉に相手を巻き込まねばならなくなる。
     同じ言葉を別の言葉で語る事。同一の言葉に差異を保つ事。差異の中に概念を見出す事。~ここ十数年、それらの反復に書的経験の変奏/リトルネロを組み込もうとしてきた気がする。稽古の鏡像にも似た反復の彼方(時間?)が見えなくなるにつれ、鏡の此方(存在?)はいっそうリアルになっていく。…十年前の苹なら大体、そんな言い回しを使った筈(久々に書いたらスッキリしたぁ♪)。今の書き方と比べると、良し悪しや分かりやすさの按配は傍目にどう映るかしら。西洋文化に詳しい人なら、昔の方を好むかも?
     一流一派の書風では不満足な理由もまた、鍵は「差異の問題」にある。書道にだって、「違いの分かる男(女)」のゴールドブレンドはある…クラシック音楽の愛好者が様々な演奏の差異を楽しむ様に。演奏家と聴衆のどちら側であれ、模倣の在り方は過去の影そのままに記憶の新旧を混ぜ返すだろう。そこに多様性があり、好み/趣味があり、他方では学問的根拠が指標となりながら、趣味の模範は古典の影を借りて、好みをアフォリズム状に欺く(「欺きの場」では古典作品も現代作品も、同等に驚かせ戸惑わせる)。
     多様性の教育は学校にのみ可能な筈だが、今は概ね形骸化している。学校は事実上、書道教員の仕事を社中の構成員に丸投げし、鑑賞者育成より実技指導(書家育成?)を重視しがちな傾向を黙認している。一流一派の書風/古典解釈に封じ込めないと気が済まないらしい(「書道と云えば、流派」)。そこに業を煮やしたか開き直ったかは不明なれど、どうやら民間で新たな模索が始まっている模様。井茂圭洞インタビュー記事(「書道美術新聞」2015.3.1付↓)後段の小見出し「競書誌〝教科書化〟」以降が興味深かった。
    http://kayahara.com/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=393

    (四方山話)
     先月末『WiLL』2015.4号を見たところ、珍しく書道ネタに近いのが載っていたのには驚いた(同2015.3号は買い損ねたけど、『正論』2015.3号はぎりぎりセーフ)。加地伸行「文化・学芸面でも大誤報に頬っかむり」(P.265)のタイトルは朝日ネタで一見「またか」の類でも、内容は苹のツボ直撃で頗る面白い。その中に出てくる飯島太千雄の肩書き(?)が書道ナントカでなく比較書像学とは大仰な、と思ったのは拙の僻み根性ゆえだろう。父の春敬は昭和を代表する書家の一人で、親子三人とも(長男は太久磨)書道の研究家となるとイメージは家元みたいだが(たぶん)、これが犬神家ならぬ「宇野家の一族」なら誰もそう思わない筈(哲人や精一は東大のセンセ)。
     ともかく書道の学問レベルは、加地先生のを一読すればすぐ分かる。これが斯界の普通の姿で、苹など足元にも及ばない。ほぼ総てが実証的/実践的研究と云ってよい。その代わり専門的に過ぎる面があり、傍目には瑣末な発掘や比較考証ばかりで全体像が見えにくかったりする点、一般の書道イメージとは大きく食い違っている様な。~それにしても、あんなのを読むとコチラは忽ち劣等感に襲われる。もっと拙稿のレベルを上げなきゃアカンとは思うのに、残念な脳味噌がそれを阻む上に書くペースが遅い。網羅的知識は専門書を読めば事足りるから、なるべく書かない様に心懸けてきたつもりではあるのだけれど。
     いづれにせよ今月号では、書道方面もまた学問上の「縁の下の力持ち」たり得る事を再認識させてくれた点が有難い。漢学方面は主に活字文献の内側を読み解く模様。古文書学では原典に遡って解読するが、読む立場からの読み方に終始する傾向がある。そこを補うのが書く立場からの読み方。いっそう緻密に読み込むためには、書き手の身になって「読む様に書く」「書く様に読む」視点が要る。これら三位一体のバランスが幕末期には保たれていたし、そうした土台自体が日常的だったからこそ、西洋言語/文化の洪水に押し流されずに済んだ面(進取型)もあるのだろう。後に溢れた「西洋かぶれ」(呪縛型)とは大違いで、西洋礼賛にも色々ある。
    【2015/03/06 06:28】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]


    (余談~「日録」感想?)
    http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1511
     『正論』2015.4号を買ってきた。すぐさま西尾先生のを通読したところ、いつもの連載より少なくとも倍は面白いと感じた(失礼…本音は数倍なの…)。たぶん読む側(=苹)に予め妄想の種があったからだろう。~本欄最初のコメント冒頭こう書いた。「興味津々「奴隷制の復活」がどこから出てくるか観察していたら、露骨に打ち出したのが「イスラム国」だったのにはガックリきた。」(「2014/12/09 00:59」稿)
     古代奴隷制と近代奴隷制との間にはイスラムの触媒があり、そこに十字軍の野蛮性が伝染したと捉えれば腑に落ちる。「イスラム国」(以下「IS」表記)はキリスト教圏の近代「化」史から学んだ事を模倣/復古し、かつ非「(西洋)国家」化=グローバル化を目論んだかの様な。イスラム圏が西洋的概念における「国家」と化した今、それとは別の中世的闘争状態をヨーロッパから抽出した上で「イスラム」の再定義を企てればどうなるか。「IS」の戦闘移民精神は百歩譲って千古不易のイスラム側でも、機能や構造は依然として闘争相手としてのヨーロッパ側と共にある筈。だから彼らは歴史を遡った分だけ、却って現代のイスラム「国家」に従属「できなくなった」のでは。~読後、そんなふうに思った。
     すると奇妙な話になってくる。このところ日本の残虐イメージを宣伝してきた主役は中国なのに、なぜ「IS」から見れば日本が「十字軍に加担」となるのやら(想像は付くけれど)。中国から見れば日本はナチスに近いらしい。そのナチスはユダヤ人の天敵で、イスラムとユダヤは長らく中東で喧嘩ちゅう。中国夢を真に受けるほど間抜けではないのだろうが、ナチスと十字軍との類似性(?)には警戒した方がよさそうとも思える。日本とナチスの同一視が世界に浸透すれば、より病的かつ歴史的な形で「IS」の潜在的対中姿勢が有利になるかも知れない。すると中国は歴史を遡るほど内憂外患の気配が強まり、以下の理由から板挟みになる可能性とて「なくはない」。
     もし戦時日独同一視の根拠が残虐性にあるのなら、「IS」も国際イメージでは大差なかろう(支那自身の過去はともかく)。とどのつまりは三者お仲間、「IS」側が日本を好感してもおかしくない筈。にもかかわらず十字軍と絡めたからには、「完全にからかわれた」以上の逆説的歴史反動が出来したところで不自然ではない。「キリスト教圏に同調するな」以上のメッセージは感じられないし、否定は時に肯定への期待を内包する。残虐なメッセージを日本は裏切ったものの、抑も裏切りの歴史的属性が西洋(とイスラムとの関わり)とは違う点で、同一視の中に差異を正視せねばならなくなった面もあろう。何もしなければ何かが起こる国と、何かをしなくたって何も起こらない国と。
     残虐でないものが残虐であるかの様に仕立てられるのと、西洋的でないものが西洋的であるかの様に仕立てられるのとでは、西洋的残虐性にしろ非西洋的残虐性にしろ、どのみち差異は免れない。この点は日本のケースに限らないのかも知れないが、ともかく世界は言葉に驚く(警戒する)のでなく、むしろ態度に驚いて(戸惑って)きた様に見える。そうした「驚きの壁」が堅固なほど、世界は世界自身である事から異質であり続ける他者(世界は外より内にある)に際し、他者と自身の双方を持て余したのかも。かてて加えて日本の得意分野は幕府的な「暖簾に腕押し」の形で世界史に挨拶した。そこに苛立った(?)幕末の志士は、万国公法に目を付けたりした。
     他方、中国はどうか。こと残虐性では世界に引けを取らず、それをプロパガンダの根底にある中華史観/華夷秩序が古今一貫して蔽い隠してきた。支那に比肩するのは十字軍。秩序/法に於ても両者には、共振可能な面が感じられる。ばらばらな軍勢の群れをキリスト教で括れば所謂「十字軍」(総称)になるのと同様、支那の地方軍閥も幇も土俗的中華思想で括れば表向き、「国家」もどきの王朝へと収斂するだろう。…宗教と世界観は似ている。信仰と思想が綯い交ぜになって、互いを内側から貪る。或いは、だから残虐とならざるを得なかったのかも知れない。すると残虐にならなかった/なれなかった国の方が、むしろ国際的かつ歴史的な観点では「おかしい」事になる?

     書道ネタ(?)再開。引き続き『正論』誌の西尾先生から。
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    >「教会以外には学問というものが存在しない時代が何世紀もの間つづいた」
    >「カール大帝自身が父のピピン短躯王と同じように文字の書き方を知らなかった」
    >「八世紀の深刻な危機が文字を書く習慣を不可避的に制限してしまった」
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     以上P.89より。これを読んで、ふと思った。日本人は明治以来、書字文化に於て上記ピレンヌ引用と似通った自己制限を模倣し始めたのではないかと。「深刻な危機」が開国ショックに相当し(国論分断)、整版から活版への大転換が起こり、書道は学問扱いされなくなった。首相や政治家自身も国民ほぼ全員も、草書や変体仮名の読み書きを知らなくなった。英語国語化論レベルを上回る「言語の交替」(P.87)ほどではないにしても、(控え目に云って)隣のハングル専用人と同じくらいには「昔の本が読めなくなった」。
     今後これが何世紀もの間、日本でも続いていくのだろうか。伝統的な筆文字の読み書きが概ね途絶えたのは昭和末期か、遅くとも平成ヒトケタ期。絶滅したとまでは「まだ」言えないものの、ワープロ/パソコン普及期に入ってから四半世紀が経つ。今から幕末レベルまで引き返すには、若干の無理があるかも知れない。明治に遡るだけでは駄目。あれは既に近代化/文明国/主権国家体制の時代で、明治三十三年生まれの「国語」もまた一種の「法」である事を免れない。
     補記。~中国絵画畑の板倉聖哲インタビュー記事に、こんな一節を見かけた(↓)。「間違えた」過去、という言葉が心に残った。
    http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/interview/40.html
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    >―― ある作品には、その画家の、それ以前の作品についての解釈が現れているという発想はとても面白いですね!
    >  イメージ自体の展開は一つの動態として扱うことができます。一つのイメージがどのように生まれ、変容していったかを見据えながら作品を見るということです。例えば、最近、特に韓国絵画に注目しているのですが、室町・江戸時代の日本人は、実は韓国絵画を中国絵画だと鑑定することがしばしばありました。そのため、今でも韓国絵画が中国絵画として多く扱われており、中国絵画調査中にしばしば韓国絵画の「発見」があります。日本人は、中国絵画として判断された韓国絵画を、韓国絵画それ自体としてよりも中国絵画に寄った形として受け入れたわけです。例えば、これは伊藤若冲の「百犬図」(個人)ですが、当時伝わっていた中国絵画の犬の画と韓国絵画の犬の画のパターンの両方を組み合わさせたものとして理解できます。この作者はおそらく、韓国絵画の方も中国絵画だと捉えていたのでしょう、韓国絵画の原図らしきもの(中国絵画)を自分なりに復元的に想定しつつ、日本で観察できる犬のイメージを併せて作り上げた。そのように考えないと、この日本絵画は説明できないんです。我々が、韓国絵画を中国絵画とした過去の鑑定が間違いだった、として片づけるのは簡単なんですけど、そうではなくて、当時の人がなぜそのように判断したのか、ということも含めて理解しないと、最終的に日本絵画さえもわからなくなってしまうということです。つまり、間違いを間違いだと笑っても、その間違えた人たちが描いたものは絶対分からないんですよ。ところが、これまでの研究では、過去に中国絵画として扱われた伝称・履歴さえ触れずに、韓国絵画というレッテルを貼り直しています。でも本当は、これは江戸時代には中国絵画でした、ということ併せて言う必要があるのです。「間違えた」過去それ自体が、日本絵画史を再構築していく上で非常に重要なデータなんです。これらも含めて歴史の記述を再構築していくと、各々の国の美術史も東アジア絵画史も全然違った形で書けると思うんです。
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    【2015/03/15 01:37】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    ●再掲
     先月末、こんなの(↓)を書いて同日夜十一時前に削除した。全文再掲する。

    (一休み♪)
     年末稿で『WiLL』2015.2号に触れてから丸々二ヶ月、こうして書道ネタの暴走は続く。よく見ると募集のテーマは「激変する国際情勢の下、日本が目指すべき国づくり」…あたしゃスッカリ忘れてたわい(苦笑)。取り敢えず幕末から昭和にかけて書き起こしてはみたものの、「日本の激変」に影響した国際情勢の方は主役になりそうもない。変わったのはあくまで日本。変わりゆく世界に対し、「立ち後れた」のでも「変わらなかった」のでもない。変わるまいとする日本の軋む音が、実は変化の音だった。その変化に気付かないまま変化する自己とは何者なのか。「保守」とはその実、変化に気付かない危険を含意する言葉ではないのか。~書き散らしてみて、そう思った。
     今あるものを保守するにしろ、過去あったものを保守するにしろ、保守したつもりが別物になっていたら。不自然な変化なら分かりやすいのに、この手の変化は自然に忍び寄るから困る。例えば旧字旧仮名論者は活字世界の住人が多いらしく、書字へと遡る立論には滅多にお目にかかれない。予め決まった枠組の内側を礼儀正しく整序しようとする人々の勉強量には敬服するが、畑違いの苹には居心地が悪い。筋金入りの国語改良論者を2chで見かけた時は、「平仮名を楷書で書く」様な打鍵を試みた事もあった。楷書と万葉仮名、草書と平仮名といった組み合わせは、どちらも読みやすい書記様式の範囲で工夫されてきた筈なのに、「読みにくい」と感じるのは何故か。読み落とし、読み忘れた要素はないか。
     そうなる様に仕組まれた教育が続くと、「学ぶ内容」と「学ぶ感覚」の両面に影響が出る。正しい内容を学んでも、正しく理解できない。正しく理解したつもりが、正しくない内容とされる。ひどい場合は両方が水面下に潜り、無意識の中で調和の仕方を間違え合う。双方は調和しているのだから正しい。すると正しさ自体が内容や感覚の土俵外で揺らぎ、調和自体もまた揺らぐ。正しい歴史と正しい歴史観との混同を抱えたままでは議論にならない様に、「どっちが調和しているか」を競っても結局は不毛に終わる。その辺は書道で懲りた。国語とは既に和解できなくなっている可能性を、在職中に理解できた気がする。

     ところで拙稿、それなりには推敲してるつもりでも、とっくに募集の規定枚数(400字詰25~30枚)は超えてる筈。握り寿司をムリヤリ押し寿司にしても旨い訳がない。応募する人やプロの人は普段どんなふうに書いてるのかしら。応募稿は多分、政治や軍事の話が多くなるんだろうナァ。片や選考委員は高齢者、さぞ読み疲れするだろう。…てな事を書いてたら早速「日録」に新稿あり(↓)。どうやら『正論』2015.4号には「西尾幹二の押し寿司」もどき(?)が載るらしい…。
    http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1511
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    > そこで編集長がブログの80枚を35枚に圧縮して、雑誌向きにまとめ直して、「番外編」として扱えるようなスタイルにすれば連載は休載しても許してやる、といわれたので、そのアイデアに乗っかることにしたのです。
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     高齢碩学こき使う、鬼畜のごとき編集者…では、なんぼなんでも人聞きが悪かろう。そこで読者側から虫の良い(?)提案なんだけど、この際「日録」ではオリジナル講演稿を裸のまま小出しにして、それを『正論』稿と読み比べる機会にしてみてはどうか。以下、理由を述べる。
     手書き原稿と活字初出稿との違いについては、夏目漱石などのケースで研究が進んでいる。ところが元データの電子化時代に入ってからは、著者側が自ら文学研究の古典的常套を破壊するかのごとき原稿(初期稿)破壊行為に手を染めているのではないかと疑わしく思えたりもする。そこでネット(原稿)と雑誌(正規稿)との棲み分けだ。今回は原稿を圧縮して正規稿とするらしい。音楽方面ではブルックナーやリストなどの異版が研究の種になるのに、それと類似した余地/痕跡を文章側がネットで担保して何が悪い。言葉の歴史構造を自殺に向かわせるかの様な法構造的「阿り方」を、今後も出版界は幇助し続けるつもりなのかしら。活字(正規稿)に書字(原稿)を屈服させる、張本人は誰だ?
     要は、正規稿の所収雑誌が販売期間を終えるまで、ネット上で完結させなければいいんだろ。現に産経新聞サイトでは、雑誌『正論』販売中の記事が載っている(ただし冒頭部分)。その論理と整合すればよいのだし、元々が編集=「正規稿」化する以前の代物なのだから、厳密には同一物の複製とは云えない筈。そこんとこを読者としては小一時間、鬼畜な(?)編集長に問い詰めてみたいんだけど…どうよ?

    (余談~セレブ奥様の胃袋誘惑)
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1760.html
     人間ドックの昼食(↑)を見て、ちょいとばかり悪魔の誘惑(?)をば。~食後の血液検査は、血糖値の変化を調べるのが目的かしら?
    http://www.youtube.com/watch?v=NWpaVgZUXDE
     深夜アニメ「幸腹グラフィティ」がお勧め。ネットでは飯テロとか食事ポルノとか囁かれてて、確かに放送時間帯は極悪(太るぞw)。次回予告で流れる曲(↑)は中毒性があるとの噂。
    【2015/02/27 06:13】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]

    ●追記御礼
     上のを再掲する気になったのは「日録」新稿(↓)を読んだから。あの日いったん削除したのは「西尾幹二の押し寿司」だの「鬼畜のごとき編集者」だの、表現どうかナァと泥酔再読中に気が咎めたからだが、まさかホントに講演草稿が「決定稿」の形で読める様になろうとは。あたしゃ仰け反って喜んだ。…たぶんアチラとは打ち合わせ済みなんだろーな。そこで一言この場を借りて、横から挨拶しときます。「編集長さん有難う。貴方いい人だったのね♪」
    http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1512
     寔に美味しう御座いました。感想前に、おかわり頂戴♪(「つくる?」「たべるぅ!」)
    【2015/03/19 06:09】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]


    (「日録」連想~余談)
     続稿拝読。ぎりぎりセーフ乍らも『正論』2015.3号は買っといてよかった。十字軍とプロテスタントの話がなければトゥールーズと聞いてもプラッソン指揮のCDくらいしか思い付かないし、あたしゃ高校時代は世界史(には出てくるのかな?)未履修だから、頭の中は中学レベルで止まってる(見方を変えれば、教育上の先入観とも無縁だった事になる)。
     「アッティラ」絡みで連想するのはヴェルディの九作目。上演すれば観客が来る。体裁は娯楽や芸術に変わるけれど、日本の忠臣蔵や水戸黄門みたいに「誰もが知ってる」レパートリーなら、少なくとも忘却される事はない。あとワーグナー絡みで連想するのは《パルジファル》。第一幕では異教の女クンドリがアンフォルタス王の為にバルザム(薬草)をアラビアから持ってくるし、第二幕のクリングゾルは極悪人みたいな印象。その辺を昨年末に検索したら、出てきた名前は西尾先生のショーペンハウアー研究仲間らしき「鎌田康男」だった(どっちのサイトか忘れちまったわい↓)。
    http://dekansho.de/mitleid.html
    http://www.schopenhauer.org/organ/lib/kamata_yasuo/mitleid.html
     そんなふうに楽しみながら読んで居ると、お次がどうなるか/どんなネタが圧縮稿では割愛されたのか、ますます興味深くなってくる。書かれたものより、書かれなかったものに留意しながら読む視点なんて、滅多に得られるものではない。~「おかわり」末尾は如此御座候(↓)。
    http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1513
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    > 善かれ悪しかれキリスト教のヨーロッパ中世からはおそらく3つのもの、ひとつは「暴力」、ひとつは「信仰」、そしてもうひとつは、16世紀に産まれる「科学」がありますね。今日はその話は出来ませんが、自然科学は、何と言ってもポジティヴで、そして自然科学はキリスト教そのものから産まれたのであって、それは他の宗教に類例を見ない出来事、ドラマなのです。自然科学は一般的で普遍的であると思われるかもしれませんが、根っこはキリスト教にあったということは、また一つ大きな問題であります。そのテーマは、今日お見えになっているかどうか・・・?古田(博司)先生、いらしてますか?(小川揚司さん:4時ごろお見えになります。)古田先生の「ヨーロッパ思想を読み解く―なにが近代科学を生んだか」(ちくま新書)という本がありまして、これはひじょうに難しい本ですが、いろいろなことを考えさせられます。
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     斯くて妄想と記憶とが、「今日はその話は出来ませんが」辺りで唆されていく。古田先生の本は未購入だけど、たまに呪詛スレスレのネクラな表現(?)が出てくる『正論』連載「近代以後」から察するところ、なにやら面白そうで涎が垂れる。

     以下、別の本より転載。
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    > 1685年10月18日、フランス国王ルイ14世は、信仰の自由を保障したナントの勅令を廃止し、カトリックのみを国教とする旨を宣言。その結果、何十万人もの新教徒たちが、新教国のイギリスやスイス、オランダなどへ亡命を余儀なくされた。
    > 王権強化のためとはいえ、この決定がフランスの文化と経済に与えた損失は計り知れない。彼ら新教徒の多くは社会の中堅を担う商人や、時計師を含む熟練工たちだったからだ。4年後にイギリスとの間で始まる一連の植民地戦争にフランスが完敗した原因も、ひとつはここにあったといえる。
    > 時計に関する例でいえば、今日でいう軸受石の特許は、勅令廃止後にフランスから亡命してきた数学者ニコラス・ファシオ・ド・デュイリエールと時計師デボーフル兄弟によって、1704年にイギリス議会に申請された。植民地争奪戦における精密時計の重要性を予見していた同議会が、この画期的な発明を他国に公開せぬよう要請したことはいうまでもない。
    > このように、多くの貴重な才能を敵国に流出させてしまった結果、かつて栄華を誇ったフランスの時計産業は、18世紀に入るとイギリスに追い抜かれ、海洋精密時計の開発競争でも長らく後塵を拝することになる。
    > だが、実は英仏が陸海の覇権を争っていた間も、両国の時計師たちの間には、驚くほど活発な交流があった。そのきっかけを作った人物の名は、ヘンリー・サリー。戦火を越えた技術交流の架け橋となった彼はしかし、「悲劇の時計師」とも呼ばれている。
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     この間、註が三つある。
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    ・植民地戦争
    >1689年に始まったウィリアム王戦争から、アン女王戦争、ジョージ王戦争、1763年に終わるフレンチ・インディアン戦争までを通じ、フランスは北米大陸の植民地のほとんどを失った。
    ・デュイリエール
    >1664~1753。スイスに生まれパリで活躍。英のニュートン、独のライプニッツと並ぶ天才数学者と称されたが、1687年にロンドンに亡命。狂信的新教組織カミサール派に属していたため、英国でも迫害された。
    ・デボーフル兄弟
    >兄のピエール(英国名ピーター)は1675年にパリで時計師の親方資格を取得。ナントの勅令廃止後、弟ジャコブと共にイギリスに亡命し、ロンドンで開業。
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     冒頭こんな具合(↑)に連載の続きを書き出したのは山田五郎。『世界の腕時計』NO.36(ワールドフォトプレス)所収の「歴史を作った時計師たち」第11回より。
     私事。~当時うちの爺様が「針にしろ」とうるさかったらしく、婆様が催促の電話を毎日かけてきて困った。苹は筋金入りのデジタル頭で、子供の頃から指針式の時計が苦手…と云うより「(俄には)読めない」し興味もない。あの僅かな角度変化から瞬時に分や秒を読み取るなんて無理だろうと、今でも不思議かつ怪訝に思って居る。根負けして仕方なく時計周辺の勉強(←これが間違いの元?)を始めたところ、沢山のバックナンバーが集まった。書道出版最大手の二玄社が時計本(IWW日本版)も出していたのにはビックリ仰天。本業の客筋が高齢化/先細りするのを見越してアレコレ模索していたのかも知れないが、久々に検索したら数年前に廃刊となった模様。
     そんな頃のを今になって引っ張り出すと、これまた別の印象が。時計師は知識人で科学者で、天文学者で数学者の職人や発明家。そうしたユグノー、プロテスタントの移民がフランスから逃げてった事になるらしい。予習だか脱線だか分からぬ仕儀なれど、普通の歴史書と異なる方面は若干ゲテモノ臭くありながらも、傍目の面白さに優劣はないと見て大過ないのだろう。

     と…ここまで書いた後、「日録」を見たら続稿第三弾が出てる(↓)。
    http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1514
     日本人は「法」の意識が根本的に違うのでは、と思ったのは「無法」との対比ゆえ。書道畑なら誰もが見かけてる筈の文句に「心外無法」てぇのがある。これを持ち出すと話があらぬ方向に脱線して戻れなくなるかも。日本では昔、無法でさえも「清らか」だったのだ。或いは新造語たる「自由」の解釈/イメージが、西洋的「放恣」と東洋的「無法」とに分かたれる。~そんな事を思い出しながらも、なるべく普通に読んだ。
     ところで…ぼちぼち何時頃になったのかしら。そもそも講演が何時に始まったのか不明なれど、旧稿を見ると講演時間は「1時間40分」だそうな。果たして古田先生は間に合ったのか、妙にドキドキしてしまう…。(←テレビの野球中継じゃあるまいしw)
    【2015/03/22 21:43】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (補記)
     所謂「法」と「無法」について、「日録」での意味用法とは全く異なる方向から踏み込んで置かないと、内心どうにも落ち着きが悪い。…取り敢えず書いてみる。
     法が無法を制限し、無法が法「から」或いは法「を」解き放つ関係では、法も無法も共に秩序の双面的表現と云えなくもない。「野蛮」との距離や関係は根本から揺らぎがちとなるが、例えば無法と野蛮を強制的に同一視する場合、或る法の体系の内側と外側とでは屡々、それぞれの無法を混同する見方が可能になるだろう。例えば「A法の系から見た無法」が「B法の系から見た無法」と同一とは限らないが、両者の系から排斥される無法は混同により各々の系から二重に切り離され、無法が法へと生成する~すなわちC法の系となる様な。また当初の系(A法とB法)それぞれの関係/交流が成り立たないか断絶している場合、C法の起源に於ても当初の関係/状態は自ずと変化し暗喩化するだろう。
     ここまでなら「日録」を読む上でも差し当たり適用できそうに思える。法と無法の衝突は同一の系から見た時に生じ、それが時には法と法の衝突にも見えてくる。ならば無法と無法の場合はどうなるのか。衝突は成り立つのか、元の状態のまま「融合する」のか。~西尾先生の言い回しで気になるのが「虚しくなっている」との表現で、恰も無法の中に潜在/潜勢する「無垢な空虚」が蠢いた結果、状態の在り方(内視性)もしくは見え方(外視性)が「野蛮」へと跳躍するかの様な。因みに今「蠢き」と書いたのは、ギブソンの云う「アフォーダンス」の捉え方が気になったからで、動きの見えないものに対する感覚の鈍さは結節点(起点や終点など)の差異へと絡まる筈。その辺はいったん保留したい。
     苹は先日「イスラム国」の非「国家」化もまた、西洋とは異なるグローバル化の一類型たり得るのではないかと疑った(「2015/03/15 01:37」稿)。国家を前提する以前/以後に、「多様な」グローバリズムと自然状態とが歴史横断的に隣接/併存/埋没する可能性を懼れた。これは或る意味アナキズム(の欠陥?)への疑いでもあるが、この点も脳内なかなか整理が付かずに居る。

    http://www.nishiokanji.jp/blog/?m=201503
     …てな事をグダグダ考えてたら、「日録」では「決定稿」連載が完結(↑)。英のウォルトン作曲《ベルシャザールの饗宴》でお馴染み(←クラヲタだけ?)のダニエル書まで話が及んだのには驚いたが、そこからの展開がまさかのバークレー。いくら何でも学問の府なら限度くらいあるだろうと思って居たけど、あれほど宗教臭いネタがあったとは。
     やがて話は…原文そのまま転載した方が手っ取り早い(↓)。
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    > 一方ヨーロッパはどうかというと、ルールを守ろうとして、「ヨーロッパの中だけは、うまくやろうじゃないか」と。そういう理念は啓蒙主義の時代に生まれているわけですから、それは分かるわけですね。それがEUというものを創ったわけですが、でもEUというのは積極概念ではなくて、あるものに対する恐れから始まったのであって、それはアメリカと日本に対する当時の恐れだったわけです。アメリカはご承知の通り1971年にドルの垂れ流しのような、金兌換性を否定するニクソン・ショックというドラマがありましたね。ドルは垂れ流しになるわけでしょう。つまり、ドルはいくらでも刷って良いというこの恐るべきシステムにヨーロッパは吃驚するわけです。約束が違うのだから・・・。そして地球の40%まで、日米経済同盟で支配されてしまう。あれがヨーロッパを狂ったようにさせたEUのスタートなんですよ。EUは恐怖から始まっているんですね。そしてそれが湾岸戦争で、ドルの支配とユーロと争ったけど、結果としてアメリカはヨーロッパを許さなかった。そして結果として、アメリカはEUには軍事力を認めなかった。NATOがあくまで頑張れよと。
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     読後、こんな記事が目に留まった(↓)。「「沖縄通貨危機」に命をかけた政治家たち」。副題は「沖縄返還の裏で行われていた極秘作戦」。最後の頁で川平成雄『沖縄返還と通貨パニック』(吉川弘文館)の紹介記事と判明。西尾先生の文脈に沖縄を置けば、何が見えてくるかしら。
    http://toyokeizai.net/articles/-/64519
     締め括りは雑誌『正論』掲載稿と大違いで、かの移民ネタが「忘れた頃にやってくる」(汗)。てな訳で再三再四、此処に書いた一連のコメント稿や更に以前のを読み返しては愚考をまさぐり直す、記憶不如意の苹でした。(そもそも拙稿の寄生場所が今「移民本ネタ」なのにねぇ…。)

     それにしても今月は、後半いきなり「日録」の充実ぶりが際立ってますなあ。~演奏会ではリハーサルの方が本番より佳かったりする例が少なくないらしい。それが細部の視点に留まるのは承知の上で、通し稽古の録音は屡々(頻繁に?)レコード編集に活用されてきた模様。差し詰め西尾先生をカラヤンに見立てるなら、坦々塾の阿由葉様は今回ヘルマンスやグロッツの役割を担った事になるのかも(「グロッツの耳は私の耳」「帝王の耳は私の耳」)。…こう書いた直後チェリビダッケのを出せば無粋と思われるかも知れないが、取り敢えずブルックナーsym.9第一楽章リハーサル風景でも(↓)。
    http://www.youtube.com/watch?v=7aU0Q3NTGls
     最初じっくり聴いたら激遅でもニュアンス豊かに感じ、後日ボケーッと聴いたら意外にも普通のテンポと感じた。それと似通った事が、或いは歴史を遠目に見る感覚や思考と通底するのかも知れない。「西尾幹二を読んだらチェリビダッケが聴きたくなった」なんて感想、ここ二年ばかり五百年を遡って居る著者側には一体どんなふうに感じられるのやら。…で、この感じ。遅くとも「あげまぁす」と書いた頃(「2014/12/02 06:40」稿↓)には相当程度、溜まって居たみたい。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1721.html#comment
    【2015/03/30 01:49】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (あれから五ヶ月)
     見たら店頭に移民本、すなわち件の『中国人国家ニッポンの誕生-移民栄えて国滅ぶ』が並んでいたので、注文するのをやめて早速(?)実物を買ってきた。つまり雪が降る前に出た本を、雪が消えた後に読む形となる。~ところで「雪と中国人」は相性どうなのかしら。大陸の雪に、島国の雪。あっちに「七つの雪」は、あるのかな?
    http://www.youtube.com/watch?v=AhPmw6dcfOk
     イメージの種なら、あるにはある。柳宗元「江雪」五絶とか、趙幹「江行初雪圖」や董源「寒林重汀圖」とか。地域によってはドギツイ氷点下の満洲か。いづれにしろ野趣は日本より極端な気がせぬでもない。ネットでは綺麗とか空が青いとか(北海道?)、物騒な欲望を掻き立てそうな評判が気になる。青森の冬空は殆ど灰色だぞー。地吹雪で列車が止まるぞー。雪にゴミが落ちたら埋もれて春まで見つからないぞー。屋根の雪には命の危険があるぞー。だから来…とまでは云うまいが、雪との付き合い方に適応したら向こう三軒両隣、米国人より中国人の方が多い三沢基地周辺なんて想像したくもない。
     でも青森県民なら「やりかねない」(かもヨ?)。百石(おいらせ町)には「自由の女神」像があるし、先日逝去した羽柴誠三秀吉んとこは「国会議事堂」などが話題になった。そんな「モツケ」の聖地にアチラの全額負担で南京テーマパークや慰安婦像を設置すれば、良くも悪くも観光名所(?)となるには違いない。また伝統芸能には「津軽選挙」てぇのもあって、手慣れた中国人がプロデュースすれば存外どう転ぶか分からない。もし苹が中国シンパなら、日本語ペラペラの高学歴失業者を除雪ボランティア名目で大量に送り込むネ。廃屋を中国資本が買い取って棲まわせるの。長期投資の移民基地化政策アルヨ。
     ただし絶対やっちゃいけないのは、地元のカネに期待する事。これやると総スカンくらって自ずと追い出される。生活保護と除雪の二者択一を迫られたら、迷わず除雪を択んで「生活保護者は県外に出て行け=出稼ぎしろ」となる。中華料理店は地元民の経営でないと長続きしない。移民中継/監視基地としての役割以外を期待してはいけない。いったん関係が崩れ始めたら、すぐさま県民一丸の排他性が発動する。なにしろ教育方面ですら、伝統的に「勉強したい奴は青森から出て行け」で一貫しているのだから。進学率向上政策の質を更に高学歴化するには、結局そう仕向けるしかない(望ましい進学先は、今も昔も東大や京大など)。
     尤も、最近は異変あり(↓)。しかしそれとて…

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150403-03114853-webtoo-l02
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    >青森の教員採用 講師3年以上で教養試験免除
    >Web東奥 4月3日(金)11時48分配信
    > 県教委は、今夏に実施する2016年度教員採用試験から、県内で臨時講師や臨時養護助教諭を直近の5年度以内に3年以上経験した受験者の一般・教職教養試験を免除する。1次試験を各教科の専門試験と集団討論のみにして負担を軽減することで、受験者の県外流出を食い止め、優秀な教員確保につなげたい考え。学校現場の講師らからは「仕事で多忙な中、合格に向け意欲がわく」などと、制度改革に対して歓迎の声が聞かれる。
    > 県教委によると、本県の教員採用試験の過去5年間の受験者数は、2011年度の2105人から年々減少し、15年度は1878人だった。最終競争倍率は13年度の12.3倍をピークに、14年度は9.5倍、15年度は7.3倍と下がっているものの、全国的に見ると依然として高い状況が続いている。このため、退職者が多く採用枠が広い関東地方や、教員経験者の筆記試験免除制度などがある他県に本県の受験者が流出している傾向がある。
    >  16年度試験からは、臨時講師のほか、3年以上の経験がある他県の国公立学校の現職教諭・養護教諭も教養試験を免除。これまで50歳以下だった受験資格の年齢制限をなくする。
    >  県教委教職員課の吉川満副参事は「教養試験を免除することで専門教科の試験に集中できるようになると思う。育児などで退職した人や他県で働いている人も受験できるようになる」と受験者増に期待している。
    >  津軽地域の中学校で働く30代の女性講師は、本県の採用試験に挑戦し続けており、講師歴5年目。教養試験の免除について「すごくうれしい。忙しくて勉強時間が少ない中で、専門の勉強に力を注げる。試験突破に向けてやる気が出る」と喜んでいる。上北郡内の中学校の40代男性教諭は「若い教諭よりも重い仕事を与えられ、勉強する時間もないベテランの講師も少なくなく、とても気の毒に思っていた。制度改革は歓迎したい」と話した。
    >  16年度教員採用試験は、1次試験が7月、2次試験が9月に行われる予定。
    >東奥日報社
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     特定科目の受験機会を減らしたままなら、行く末は見えている。確かに県内講師の他県流出は防止できるし、教諭合格(正規採用)も容易にはなるだろう。しかし所詮は囲い込み。家畜/奴隷の脱走を阻もうと新たな餌をぶら下げる、謂わば「飼い主の発想」でしかない。たぶん県外からの受験者数は増えないし(他県の問題教諭には受験機会が増えて好都合?)、これまで受験機会が剥奪されてきた科目には抑も信用がない。とどのつまりは受験機会科目の専門性向上/優遇政策であって、受験無機会科目は従来通り不信状態のまま、全体の教員採用「定数」は維持されるってこった(脱高校教育/予備校化/専門学校化まっしぐら)。

    (蛇足)
     教科書検定「つくる会」合格記念に、嘗てのリライト騒動を蒸し返してみる…(↓)。
    http://book.geocities.jp/nishio_nitiroku/kako15.html
     こんな事も、あったんだっけ。~垂拱平章。今後の採択戦や、如何に。
    【2015/04/15 21:03】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    リライト騒動・・・・・・ありましたねぇ~~~~

    【2015/04/17 23:40】 URL | 奥様 #- [ 編集]


     …先日久々、こんなのを書いた(↓)。
    http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1427361532/l50
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    >976 :名無しさん@1周年:2015/03/27(金) 20:42:52.09 ID:Ig/XgiYN0
    >・話し言葉(音声)
    >・書き言葉(書字)
    >・読み言葉(印刷)
    >・見てくれ言葉(身振り手振り)
    >最初の二つで括ろうとするから、先入観だらけの変な話になりがちなのでは。
    >書き言葉と読み言葉の間で精神分裂。特に草書や変体仮名が読めなくなった。
    >見てくれ言葉の代表格は手話。外国人に日本手話は通じないとか、色々ある。
    >日本は歴史的書体変遷と無縁。非草略系と草略系の漢字セットが同時に入った。
    >だから簡略化は進歩と無関係。ただ機能性と適応性に応じた差異があるだけ。
    >見た目は同じでも、支那語と日本語とでは漢字の生態が違って一緒にできない。
    >朝鮮人の精神分裂は漢字の間引き、日本人の精神分裂は文字概念の変容が特徴。
    >そのせいか日本人より朝鮮人の方が、活字依存パラノイアは少ない気がする。
    >また朝鮮人より日本人の方が、言語依存の愛国パラノイアは少ない気がする。
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     嘗て日本に入ってきたのは漢字であって支那語ではない。漢字は日本語に「伝染し」「定着した」。そればかりか日本語に適応して変質/変異した。見てくれは同じでも機能や用法が違えば同文異種、もはや同じ漢字とは云えない。支那朝鮮からの移民とて同じ事、日本人と同化して初めて移民らしさが薄れていく。移民、と云うから「移民」と映る。さりとて「移民が伝染(うつ)る」と表現すれば、内心なにやら子供の苛め文句みたいな気がして途方に暮れる。(ばっちい移民菌がうつる?…えんがちょ!)
     開国以来、日本は自家中毒の「えんがちょ文化」(?)に振り回されてきた。先ず江戸文化にエンガチョし、文明開化五大国に仲間入りした後は鬼畜米英にもエンガチョした。もちろん行草変体仮名は当初からのエンガチョ対象で、遅くとも昭和中期(明治百年前後)には世間の誰もが当然のごとく「ばっちい字を書いちゃイケマセン!」式に子供を戒めた筈。既に「読める/読めない」を云々する段階ではなく、模範的/教科書的な「読める」基準としての所謂「綺麗な字」も社会的には要請されなくなりつつあった。建前では昭和末期、マンガ的なペン字~山根一眞の云う「変体少女文字」を批判する向きもあったが、ワープロが普及すると一切合切が所謂「無関心」へと収束していく。
     問答無用の文明開化信仰を前提すれば、どのみち今に未来が通り過ぎる。もう日本文化=過去は必要ない。どうにか欧米化した後は、欧米文化も当然お払い箱となる(なった?)。にもかかわらずルーツとしては両方とも必要で、それらは潜在的に「感謝の文脈」を形成する。ところが中韓は「謝罪の文脈」で斬り込んでくるから、事は些か厄介だ。と云うのも苹は内々「感謝の文脈」に、「不要となった歴史への感謝」が憑依/重合する~すなわち「歴史は不要」と踏んで居るからだ。そこが隣は気に食わないのかも知れない。ここでは感謝と謝罪が表裏反転して「衝突する=食い違う」。あちらは見捨てて欲しくない。こちらは逆に、見捨てたい。(平たく云えば、「水に流す」タイプのアレね♪)
     日本は「日本を見捨てた様に」、諸外国をも見捨てたい。敢えて喩えるなら「礼儀正しく脱糞したい」。だからこそ感謝が蠢き「肥やし」となる。しかしそれを素直に「感謝」と受け付けるほど、他国は都合良く「寛容になれる」ものだろうか。「見捨てた日本」が自他の過去を取り戻せるなら、それはそれで構わない。しかし「見捨てる日本」への警戒心には、何の効果も期待できそうにない。「糞への感謝」は「相手を糞と扱う」のが前提で、その「糞仲間」に「日本自身」も含まれているから自虐に見える。そこを隣国が阻もうとする。日本が日本を取り戻して初めて謝罪が可能になるだろうに、そうでないから欺瞞に見える。隣国の掘る対日墓穴は隣国自身の墓穴となり、いづれ一家心中の様なグローバル化へと向かうだろう。
     ここで一つ断って置く。苹は隣国への謝罪が必要だと言っているのではない。謝罪してもしなくても変わらないだろう事を踏まえて、可能か否かを問うて居る。脱亜論も自虐論も総て包括する見方が可能なら、それぞれの位相に連なるもの/関係を見据えたい。勿論たかが言葉の分際で、どれほどの切り口たり得るかは不明。なれど、読めなくなって初めて読める「読めなさ」の読解に、少なくとも苹は一つ手応えを感じて居る。…ドゥルーズ本に出てきた「包含的離接」(「離接的総合」との訳もある)。読める事と読めない事の狭間に露出する機械状無意識(と云ってよいのであれば)は多分、「読める/読めない」二者のコミュニケーションを褶曲するだろう。読めた過去は、読めない今に対して。読めない今は、読めた過去に対して。

     以下、念のため補記。~青森在住の苹は生活上、「えんがちょ」という語彙を聞いた事が一度もない。だから印象は文章語や雅語(!)に近い。ただし「バリヤー」なら聞いた事はある。いづれにしろ差別的意識濃度は極めて薄いか、もしくは観念的領分に留まる。
    【2015/04/27 00:30】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔
    わたしも「えんがちょ」って、聞いたことないです。

    ワープロが発達?し、今や肉字?は署名欄のみになりそうですね。
    漢字は中国と日本では変わってきていますね。

    アルファベットのABCは同じでも、単語のスペルが違うように・・・・
    いや、それとは違うなぁ。
    だってABCはそれだけでは意味がない。
    漢字は一文字に意味がある。

    深すぎて意味を理解していなくてごめんなさい。
    【2015/05/01 19:36】 URL | 奥様 #- [ 編集]


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