奥様
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    『憂国のリアリズム』
    憂国のリアリズム憂国のリアリズム
    (2013/07/11)
    西尾幹二

    商品詳細を見る


    西尾先生の最新刊。

    このビジネス社、結構好みの本をいっぱい出してる。

    社長がしっかりしているんだと思う。

    「まえがき」タイプしたけど、
    さすがリズミカルな文章ですなぁ~~~

    まだ最初の辺なので、感想はまた書きます。
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    【2013/07/13 21:16】 読書からの連想 | TRACKBACK(0) | COMMENT(26)
    この記事に対するコメント
    祇園祭りから帰って
     昨夜13日からの京都の旅から帰宅、書評がありましたので


    いまや東京裁判の議論をやめよう、日本は大目標を抱け  安倍政権に欠けているのは世界的展望をもつ思想的哲学的主張である    

    ♪西尾幹二『憂国のリアリズム』(ビジネス社)@@@@@@@
    「こうなることは分かっていた」 こうなる、とはどういうことか? それは米中の狭間に立たされる日本が「頼りにしていたアメリカがあまりアテにならないという現実が、やがてゆっくり訪れるだろうとは前から思っていた」と保守論壇の重鎮、西尾氏が述べる。 その通りになった。アメリカは「尖閣諸島に日本の施政権が及んでいることを承知しているが」としつつも「尖閣の帰属に関しては関与しない」と言ってのけた。つまり中国がもし尖閣諸島を軍事侵略しても、アメリカは日本のために血を流さないと示唆していることになる。(もっとも、その前に日本が自衛しなければ何の意味もないが)。。。 しからば、なぜこういう体たらくで惨めな日本に陥落したのか。「そもそも原爆を落とされた国が落とした国に向かってすがりついて生きている」からである。日本は「この病理にどっぷり浸かってしまっていて、苦痛にも思わなくなっている。この日本人の姿を、痛さとして自覚し、はっきり知ることがすべての出発点、何とかして立ち上がる出発点ではないか」(49p)とされる西尾氏は、東京裁判史観の克服をつぎのように言われる。「今さら東京裁判を議論する必要などない。東京裁判がどうだこうだと議論し、東京裁判について騒げば騒ぐほど、その罠に陥ってしまうからである。日本国民全員がより上位の概念に生きているのだという自己認識さえ持てば、それで終わるのである」。「上位の概念」とは日本の伝統的思想、その宗教観である。 西尾氏は現下の危機の深化に関して次のように続ける。 「中国が専制独裁国家のままであり続けていて、しかも金融資本主義国家の産業形態をも取り入れるというこの不可解なカメレオンのような変身そのものが、厄介なことに『ベルリンの壁の崩壊』のアジア版ということだった」と或る日、西尾氏は気がついた。 そして氏の認識は嘗ての歴史のパターンを連想させる。 すなわち「『ベルリンの壁の崩壊』から『ユーゴスラビアの内戦』へのドラマがやっと危険なかたちで極東にも及んできたのだ。私は昨今の情勢から、あり得る可能性をあれこれ憂慮を持って観察している」その憂慮の集大成が、この論文集となって結実した。 日本が直面する未曾有の危機を克服するために如何なる道筋が日本に残されているのか。奇跡のようにカムバックした安倍政権は、「歴史的使命」を帯びて、「中国共産党の独裁体制の打破」に挑むべきであり、そのために憲法改正は必須であると説かれる。 ついでながら評者(宮崎)は「アジア版ベルリンの崩壊後のユーゴ」は、中国が仕掛ける尖閣戦争の蓋然性よりも、むしろ中国内部の大騒擾、すなわちウィグル、チベット、蒙古の反漢族騒乱が活火山化することだろう、と見ている。  安倍政権で前途に明るさが見えてきたことは確かである。しかし「何かが欠けている」と西尾氏は嘆く。強靭化プログラムは良いにしても、なにが欠けているのか? すなわち日本の深い根に生い立った、「思想的哲学的主張が見えない」。日本には「世界史的な大目標が必要なのである」。  こうした基調で貫かれた本書の肯綮部分は、評者(宮崎)の独断から言えば第三章である。つまり日本の根源的致命傷に関しての考察で、第一にGHQが消し去った日本の歴史である。氏は過去数年、GHQの焚書図書を発掘し、それらがいかに正しい歴史認識の元に日本の国益を説いてきたかを縦横に解説されてきた労作群があるが、日本人のDNAから我が国の輝かしい歴史が消えてしまえば、GHQの思い通りに「敗戦史観」『日本が悪かった』「太平洋戦争は悪い戦争だった」ということになり、まして「旧敵国の立場から自国の歴史を書く」という恥知らずな日本の歴史家が夥しく登場し、負け犬歴史観で武装し、「日本だけの過ちをあげつらう『新型自虐史観』に裏打ちされた、面妖なる論客がごろごろと論壇を占拠し、テレビにでて咆える惨状を呈したのだ。 ようするに「戦後日本は『太平洋戦争』という新しい戦争を仕掛けられている」のだ、と悲痛な憂国の主張が繰り返されている。 一行一行に含蓄があり、いろいろと考えさせられた著作である。       
    【2013/07/18 09:59】 URL | bunn #- [ 編集]


     あっしも『憂国のリアリズム』買ってきますた。現在トイレ配備中。射撃から洗浄撤退までの十分ないし三十分間が、日に数度おとずれる読書タイムでございますぅ。~以上を短く七言対句に纏めると、「脱糞呻吟夜雨聲。放尿涼停讀書秋。」(脱糞呻吟、夜雨の聲。放尿、涼やかに停む讀書の秋。)…どうだ、少しは涼しく…否、こころ寒々しくなったか!w
     それはそうと、ちょいと気になる箇所があったので、地元紙の社説を転載してみまっす。
    http://www.toonippo.co.jp/shasetsu/sha2013/sha20130719.html
    --------------------------------------------------------------------------------
    >2013年7月19日(金) 東奥日報 社説
    >■ プライバシー侵害許せず/米の通信傍受
    > 勇気ある告発者か、それとも国家に対する裏切り者か。世界中が1人の男の発言に大きく揺らぎ、そしてその去就に注目している。
    >  世界最大の情報組織である米国家安全保障局(NSA)が、通信情報の違法収集を行っていることを明らかにした元CIA職員、スノーデン容疑者のことだ。
    >  問題はNSAの監視・傍受システムが、世界中を飛び交っている電話や電子メールなどのネット情報を極秘のうちに収集し、分析していたという告発内容だ。
    >  一般市民の情報はもちろんのこと、日本など同盟国の政府機関や在外公館をも標的にしていたというから衝撃的だ。オバマ大統領は「情報機関のある国はどこでもやっている」と正当性を強調するとともに「テロ対策だった」と強弁するが、全く説得力に欠ける。
    >  「自由の国」である米国が最も大切にすべきプライバシーの侵害に当たるからだ。憲法違反と指摘されてもしかたがないだろう。同盟相手への信義則違反であることは言うまでもない。
    >  国家や社会の安全のために人権侵害が無制限に許されるというのなら、封建制度が猛威を振るった闇の時代となんら変わりない。言語道断である。あらためて安全と自由、プライバシーについて論議すべきだ。
    >  環太平洋連携協定(TPP)の交渉が始まるが、こうした環境でフェアな対話関係が確保できるのか。同盟は必ずしも絶対の信頼関係を保証しないという厳しい現実を踏まえて、日本も交渉に臨むべきだろう。
    >  内部告発を受けた米英の新聞報道によると、NSAは「プリズム」などと名付けた秘密プログラムを使って膨大な情報を処理・分析している。今年3月だけで970億件のデータが集められていたという。
    >  こうした情報の大半は通話履歴や接続記録など「メタデータ」と呼ばれる情報で、メールや通話の内容そのものに立ち入るケースは限られている-と米政府は説明し、令状に基づく合法的活動であると主張する。
    >  しかし、活動の詳細を知らされずに「秘密だが合法的だ」と言われても、一般市民は容易に納得できない。最新の世論調査によると、米国民の55%がスノーデン容疑者の告発を正当と認めている。ましてや、他国民が米国の行為を不当と感じるのは当然だろう。
    >  実は、1990年代からNSAは「エシュロン」と呼ばれる巨大秘密通信傍受システムを持つと指摘されてきた。今回のプリズムはその最新版とみられる。
    >  国内外の情報を総合すると、エシュロンのアジアの拠点は米軍三沢基地内にある。小川原湖近くに林立する巨大ドームの一部がそれだ。ということは最新のプリズムも三沢で運用されていると考えるのが自然だ。
    >  スノーデン容疑者は過去に日本のNSA施設で勤務していたと告白している。三沢にいた可能性が高いのだ。日本からどんな情報が流出したのかも含めて、日本政府は追及するべきだ。
    >  それが対等な関係というものであり「国益」だ。
    --------------------------------------------------------------------------------
    【2013/07/19 19:13】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >bunnさま
    京都旅行ですか、いいですね。祇園祭?

    宮崎さんの書評はいずれ、日録にも再掲させてもらうつもりです。
    何時もありがとうございます。

    >苹@泥酔 さん
    人間、なかなかゆっくり本を読む時間って、意外にないですよね。

    お風呂に持って入れるホンがありますが、
    西尾先生の本も、そうなればいいなぁと思ったりします。
    【2013/07/19 20:52】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >bunnさま
    義母が祇園祭に一人で旅行して行ったことを思い出します。

    私も早くそういう身分になりたいものだ・・・と思っていましたが、
    わが家は毎日ざわざわしていて、
    とても一人で旅に出る余裕がありません。
    【2013/07/20 21:20】 URL | 奥様 #- [ 編集]

    祇園祭りは三度目
    祇園会と雷蔵祭り古都の宵(拙句)
    今回は、13日から雷蔵さんのお命日の7月17日にちなんで毎年ひらかれているという
    雷蔵特集の映画を見て、雷蔵さんの事を語り合うという愉しい催しに参加させていただきまして、
    以前は、祇園祭りの主宰者側の方から御招待されて友人と、その後一人旅で出かけたのですが、あまりの人の多さに、金沢に旅立って、17日に戻ったり、今度ばかりはのんびりゆったり、八坂神社の近くの高台寺、知恩院、円山公園を散策したり、のどかな京都の日々を。

    友人に土産話をしましたら、彼女はお医者様の奥様で、いずれはご一緒したいと。
    お忙しそうで当分行けそうにないのですよ。

    お父様の事拝読して、母の所にみんなで行こうよと三男夫婦が呼びかけてくれていることが事の外有難いなぁぁと涙が出ました。今は、亡き弟もこんな甥夫婦に喜んでくれているだろうと思います。
    【2013/07/21 10:39】 URL | bunn #- [ 編集]


    (前稿の続き)
     テーマが多岐に亘る本の感想は書きにくい。そんな最中に偶々スノーデン容疑者ネタが三沢基地に絡むと、例えば田舎特有の地理的条件に於て、六ヶ所村との距離や天ヶ森射爆場の広さが沖縄と対照的な多様性を持つ事にも目を向けたくなる。要は前掲書所収「国防のニヒリズム」や「原発は戦後平和主義のシンボルに外ならぬ」の読後感を、別方向から見るかの様で居て、存外そうでもなさそうな。(←なんのこっちゃ)
     そこにあるのは核燃施設ばかりではない。石油備蓄基地や防衛省の研究施設などが、本土としての在り方を特徴付けるだろう。また~南の島々は四方八方の海に囲まれている点で注意の分散を余儀なくされるが、国際海峡たる津軽海峡は南北の陸地に挟まれた形でござんす(嘗ての大湊軍港は海自基地、恐山の最高峰たる釜臥山には空自レーダー基地)。そこを中露の軍艦が通過するのは国際法上「構わない」。片や~守りやすさの面から云えば沖縄の島が不利だろうし、その分だけ純軍事的でない施設をあちらに持ち込むリスクは危機管理上さぞ大きかろう。
     少しでも油断すれば、すぐに沖縄は孤立無援の島々となる(独立=孤立?)。だから実効支配の主体であろうがなかろうが、本土の持つ「兵站としての役割」は重要で、この点は日本も中国も米国もさほど変わらない筈。もちろん沖縄側にしてみれば、「内から守る」(独立国的発想)か「外から守る」(保護国的発想)かの選択肢を夢見る気持ちは分からぬでもない。が、彼らは「沖縄に原発がない幸福」と裏腹なリスクを米軍側の身になって考えた事があるのだろうか。そこに戦後平和主義の在り方が「もう一つ」隠れていたのではないか。こうした論点を仮構すれば、西尾先生の脱原発姿勢がいっそう明瞭になる様な気がしてこないか。
     皮肉な事に、原発の放棄は軍事の放棄と一体である。どっちがどっちを人質(?)にしているのか分からない。しかも原発を放棄すれば軍事が放棄される訳ではない。むしろ軍事的性格を放棄したら「平和な原発」が出来たくらい、両者の関連は曖昧に見える様に戦後一貫して仕組まれている。そうした関係の網の目を二重に放棄すれば、今度は国内軍事が原発の人質になる一方、原発が国際軍事の人質になるという「放棄の政治的二重性」までもが成り立ってくるのではなかろうか。国内軍事で原発を守れないなら、国際軍事で守る(=処理する)しかなくなってくる。つまり関係段階で二重性を単純放棄する場合、放棄された原発は占領され、放棄されない原発は占領同然となるよう委任統治される形になるだろう。ところが二重放棄自体を包括的に丸ごと裏返せば、たぶん国内軍事が原発の楯となるかの様な仕方で、原発を「国際軍事(合法軍事のみならず違法軍事=テロリズムを含む)から守る」目も出てくる事になる。
     原発の放棄が軍事の放棄と一体である様に、原発と軍事は一体である(放棄せずとも!)。しかし戦後平和主義は両者の関係を切断し、原発の武装解除を可能にしちまった。そんな原発なら要らない、却って危険だ脱原発だ(軍事との一体性を取り戻すならともかく?)…。そんなふうに捉えて初めて、原発と軍事を余計な平和主義から両方とも切り離す西尾型「脱原発」の大胆さに、苹はあらためて驚かされたのだろう。平和主義だから脱原発なのではない。平和主義が危険だから脱原発なのだ、と。これはアイロニーではない。放棄自体はアイロニーたり得ても、放棄からの脱却(=放棄の放棄)はアイロニーではない。
     原発が危険なのは誰もが分かっている。そんな危険を放置するのが「危険な平和主義」で、かつ、二重の危険の二重放置(放棄?)が「軍事の危険」より危険だとしたら。…どう転んでも結局ややこしくなるのは否めまい。言葉をそれ自体として単純に理解する辞書的な始末の前では、言語学的に見る連合関係も連辞関係も、思考停止にとらまえられつつ自ずと影が薄くなる。恣意的に期待された意味(偏見や思い込みを含む)に対する関係の優位性が語彙そのものを構造的に溶解または反省させる筈が、反省自体の硬直または単純化に至る有様。それが所謂「脳の襞」の、目も当てられぬ問題に相当するのではないか。
     斯くして苹は、西尾先生の脱原発を理解できないがゆえに脱平和主義を経由した。すなわち苹は苹なりに、理解できる形へと組み替えた(尤も、正しい理解に近付いているかどうかは不明)。この手の思考なかりせば、あたしゃ躊躇なく原発推進の立場を採っていたに違いない。と云うのも、産経紙の再稼働推進論に説得力を感じる点では、今も震災当時も変わりない儘だからである。~つまり西尾先生と産経紙には、言外の共通論理が底流して居そうに見える。そこを断絶せしめているのもまた戦後平和主義だと見るならば、もはや原発自体、問題の核心ではなかろう。
    【2013/07/21 18:11】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >bunnさま
    三男さんご夫婦が、おばあさまを大切にする気持ちを忘れておられない・・・・・
    いいことですね。
    とにかく人と話がしたい・・・・・それが老人ですから、
    喜ばれますよね。

    >苹@泥酔さん
    原発に関しては、本当に難しいですね。
    二転三転・・・・しますね、確かに。
    【2013/07/22 21:38】 URL | 奥様 #- [ 編集]


     以下は内容上、こちら(↓)の続きでもありんす…。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1494.html#comment

    (感想脱線)
     前稿を読み返すと、わざと小難しい言い回しをしているかの様に感じる人も居るのでは、と思わぬでもない。現代文の作法から見れば、さもあろう。しかし百年ほど遡れば存外そうでもない。先ずは幕末を知る人がまだ生きていた時代の話から。
     小学校正式科目としての国語が出来たのは明治三十三年(1900年)だから、それ以前とあらば変体仮名も草書も当たり前の世界。和文が総て漢字で書かれ、もれなく振り仮名のある木版本とて少なくなかった。漢字の左右に別々の振り仮名がある箇所には複数の読みが共存する以上、当時の人々が或る程度は複眼的な見方に慣れていたとしてもおかしくない。…稍や乱暴な表現ではあるが、とどのつまり~それを幼稚にしたのが国語である。幼稚な言葉で考えれば幼稚な見方になりやすい。初めから複眼的に書かれてある本と、書かれなくなった読み方を読者が補うタイプの本とでは、どんな違いが発生しやすいだろうか。しかし~ここで厄介なのは、後者の読み方が「幼稚になるとは限らない」事である。
     敗戦後の占領軍。~西尾先生が前に問題視していた話である。その検閲指示を日本人は深読みした。相手の見方や出方を事前に忖度し、猫も杓子も自粛した。相手は何も言って来ないのに、日本人は勝手に媚びてしまう。角が立たぬ様に予め取り繕ってみる。そんな空気の濫觴が国語のごとく簡潔になると、隣近所同士が同じ見方で纏まらずには済ませられなくなってくる。この手の「戦後」は戦前に生まれ、それが今も続いて居るのではないか。必ずしも国語のせいではないにもかかわらず、国語に育まれた精神の底流が、癖の様な仕方で残存したのではないか。…つまり戦後、いきなり変質した訳ではない。
     かと云って、国語以前の日本語~音声言語(方言)を除く共通語的視点~書字中心の複製的視点に育まれた文字言語~が意味論的にあからさまな複眼だったのではない。意味は後からデコードされるが、エンコードされる前と同一ではない。読み手と書き手が別人である様に、媒介する言語が複眼的であっても両者は読み書きできた(大袈裟に云えば、歴史と対話できた)だけの話である。その枠組みを活字世界の範囲に入牢させれば、差し詰め「昭和史」に帰結したりするくらいの事はあるだろう。
     明治は違う。大正も完全ではない。日本に初めて生まれた「完全な活字時代」が、偶々「昭和」と呼ばれる好都合な時代だったに過ぎない。歴史の切断は意味を必要とせず、どちらかと云えばマテリアルの操作、すなわち相対的意味で「焚書」の方に近い。つまり「読む対象を減らす」のも「読める人を減らす」のも切断効果は大差なく、かつ意味を必要とするまでもない点で自ずと限界がある。すると限界自体が区分の起源に「なる」。だから起源たる昭和は懐かしく、それ以前の有史密度は「ない」か、或いは遠過ぎてよく分からない。…遠過ぎる時代は神話同然に機能する。ならばいっそ端折って、昭和の起源に神話時代を接続すればよいではないか。
     そんなふうに推測すると、影響は左翼思想よりも無自覚である分、水面下ではさぞ大きかろう。人は言葉で考える一方、言葉は人を支配するかの様に振る舞いながら沈黙する。
    (…と、ここまで書いたところ「日録」の方に新稿が出てたので中断。)

    (備忘録)
    http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1309
     「日録」の講演動画(↑)を見た。その感想を書く前に、ふと気になって別の本を読み返すと、今度はそこに出てくる諸々の語彙が、これまでとは別の見方、理解、印象を要求してくるかの様に思えてきた。~差し当たっては以下、パラパラ捲っているうち偶々目に留まった、或る程度の纏まった一繋がりを引用して置く。
    --------------------------------------------------------------------------------
    >《自然の秩序においては》と彼は再び続けた。
    >《階級とは、相い並んで住むのではなく、層を成して積み重ねられた諸民族のことなのである。自由主義の諸結果が克服されるやいなや、われわれはこの秩序に戻ることになろう。すでに中世以来、純血の貴族による支配のみが保証する強固な柵の自由主義的解体が始まっていたのである。やがてついに、われらの栄光の時代においてあらゆる価値が転倒し、ヨーロッパ民族のこれまでの劣等部分が上層に、優越民族が従属下におかれるようになるのである》
    >「したがって、新しい封建制を確立するわけですね」と私は言葉をはさんだ。
    > ヒトラーは、これを否定して、そういう滑稽な比較はやめるようにと言った。
    >《そういう愚かしい尺度を、私のところに持ち込んではいけない。われわれが創設すべき使命を受けているものは、そのような、すでに死滅し尽くした時代の概念では充分ではない。来たるべきものの偉大さを予感できるためには、空想力を持たねばならない。しかし、高貴なる血にとって、恵まれた状況を創り出されれば、われわれの運動の例が示すように、偉大なる人種の男が出現する。そのような状況を生み出し、維持することが、指導者・立法者の偉大な政治的準備作業なのである》
    >「ふつう、言われている民族主義の時代は終わったのだとおっしゃったように記憶しておりますが、私のそのような理解は正しかったでしょうか」と、そう私は質問をはさんだ。
    >《民族という概念は空虚になった。現代史的制約のもとでは、私はなお、そのような概念で事を始めねばならなかった。しかし、私は、初めからこれが過渡的な効力しか要求できないということは、わかっていた。民族とは、デモクラシーと自由主義の政治的補助手段なのである。この誤れる概念を再び解体し、政治的にまだ濫用されていない、人種という概念に置き換えねばならない。すでに歴史的なものとなった諸国民という秩序の概念が、未来の秩序の概念なのではなく――そして、国境と植民地と適正分配は、無駄な試みである――これにおおいかくされている人種の概念こそ、未来の秩序を示す概念なのである》
    > しかし、それはドイツにとっても、かなりの困難があるのではないか、と私は言おうとした。
    > ヒトラーは、それを手で制して語った。
    >《無論、科学的意味において人種など存在しないことは、知ったかぶりのインテリと同じ程度には、わかっている。だが君は農業家・栽培家として、種という概念なくしては、その栽培の成果を整理できまい。
    > 私は、政治家として、これまでの歴史的関連に基づく秩序を解体し、全く別の新しい反歴史的秩序を強制して、これに思想的な支持を与えることを可能にするような概念を必要としている。私の言うことがわかるかね》と彼は、いったん言葉を切って続けた。
    >《私は世界を歴史的過去から解放しなくてはならない。民族とは現代史の顕著な形態である。したがって、もし不条理と化した歴史的過去の汚れを抹消したいと欲するなら、民族をより高度な秩序へと溶かし変えなければならない。そのために、人種という概念が好都合なのである。これは、古きを解体し、新たな結合の可能性を与える。民族という概念によって、かつてフランスは、大革命を国境を越えて運び出した。人種という概念によって、ナチズムは、革命を世界の新秩序を達成するまで遂行するであろう。
    > すでに民族という概念が、純王朝的な封建国家に対して、革命的であり、国民という生物学的概念を導入したように、われわれの革命は、歴史主義の克服と純生物学的価値の承認へ向かう一歩前進であり、むしろ、それへの最後の一歩なのである。
    > 私は、ドイツにおいてはナチズムが表現している、そのような新しい淘汰を、全ヨーロッパ、全世界を通して、開始させるであろう。最も古い民族においても、最も強固に結ばれた民族においても、あらゆる民族において解体と積み替えの過程が進められるであろう。諸民族の中で、積極的な部分、好戦的な部分、北方的な部分は、再び台頭し、平穏を願う小商人、商売にいそしむピューリタンを乗り越えて、支配的な要素となるであろう。
    > フランス大革命のちょうど正反対となる今度の革命を前にしては、いかなるユダヤの神も、今のデモクラシーを守り通すことはできない。厳しい時代がやってくる。そうなるよう私が配慮する。厳しさと男らしさのみが持続できる。世界は新しい掟を持つに至る。
    > だが、いつの日にか、われわれはイギリス、フランス、アメリカにいる、これら新たな人間を糾合する。即ち、彼らが、世界的転換の巨大な過程に身を投じ、進んで協力する時である。その時には、今行われているナチズムから残さねばならぬものは多くはあるまい。わがドイツ人においてもそうだ。そのかわりに、さまざまな言語を持つとも、同じ支配者人種に属するものの間には、相互の了解が生まれるであろう》
    --------------------------------------------------------------------------------
     ラウシュニング『永遠なるヒトラー』(八幡書店)P.279~282より。
     これを見ると、どうも様子が違う。苹の誤読かも知れないが、より大胆に踏み込むならば、例えば戦後の日本人とアメリカ人は、同じ人種になろうとしている途中にあるのでは、という気がしてくるのだ(混種混血の意味ではない)。少なくともヒトラー自身が「科学的意味において人種など存在しない」と述べている以上、政治的概念として浄化された「人種」という言葉が「民族」に煩わされるのを肯定する訳がない。そこに国家というフィクションや、中世に関する諸々の史実や伝承や解釈を底流させると何が見えてくるか。
     ところで上記引用(《自然の秩序においては》云々)の直前、こんな記述がある。
    --------------------------------------------------------------------------------
    >《私は自分の人生のどの段階にあっても、ヴァーグナーのもとに帰っていく。新しい貴族のみが、われわれに新しい文化を導いてくることができるのである。すべての文学的なものをとり除いてみると、持続的な闘争の絶えざる緊張の中でのみ、淘汰と革新が行なわれるということが明らかとなる。世界史による選別の過程が遂行される。闘争の中に生の意味を見るものは、新しい貴族の階段を徐々に登っていくのである。
    > 秩序と安寧という従属的な幸福を願うものは、いかなる血統の出であるにせよ、歴史のない大衆に堕ちてゆく。そして大衆は、没落と自己解体に委ねられている。世界革命的な転回点において、大衆とは没落する文化と死滅するその代表者の総体なのである。アムフォルタスの如き王達とともに、彼らを死滅するに任せるがよい》
    > ここでヒトラーは、『同情を通じて知る……』のモチーフを口ずさんだ。
    --------------------------------------------------------------------------------
     この辺の大雑把なイメージ、クラシックに不案内な方々にはジーバーベルク監督の映画版「パルジファル」がお勧めかも?(4:29以降が当該モチーフでやんす↓)
    http://www.youtube.com/watch?v=QgrfK0Koycs
    【2013/07/25 21:18】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (前稿補記)
     …取り敢えず、書き方を工夫した。わざと書名を後回しにして、読んでいくうち「なんだ、ヒトラーか」と気付ける様に。しかし見方次第では、そこんとこが怖い。偏見まみれの「なんだ」が出てくると、読み方に所与の偏見が自ずと加わってくる。それを先ず阻止したい。少なくとも、「ヒトラー」の語が出てくるまでの間だけは。
     「ヒトラー後遺症」に引っ掛からぬまま読み通せたなら、言葉の意味がガラリと変わるのを体験できる筈。私の場合は自身、人種という概念を理解していない事が理解できた気がした。なにしろ戦後、どう見てもヒトラーは極悪人であり、そう解釈するのを目的とするかの様な言葉に思考が吸い寄せられてきたのだから。言葉そのものを素直に理解してはいけないかのごとく、総てが「今は亡きヒトラー」の前で立ち尽くし、ありのまま置き去りになっている。背景となる中世は見向きもされない。と云うより、私が「見向きもしなかった」。言葉は既に確定されたものであり、神聖不可侵の「疑ってはならぬ神」そのものであった。故に、そこから思考停止が肇まる。
     私よりヒトラーの方が、時間的にも空間的にも中世に少しばかり近い。ならば理解も、あちらの方があらゆる意味で深い筈。そこを初めから軽蔑または忌避して何になるのか。欠席裁判の審判者にでもなったつもりか。必ずしも歴史に驕りがあるのではなく、歴史の驕りを増幅させる上で民主主義が加担する。やはりヒトラー発言は現代的に歪曲(?)されねばならぬのかも知れない。むしろ歪曲規範の前で踏み絵を迫られるのは、こちら「審判者もどき」の側となる。
     …ともかく最初の引用を読み終えると、苹の言葉が続く。疑問が提示された後、先の引用の直前へと、引用の順番がタイムスリップする。その後に続けて先の引用を再読する人がどれだけ居るだろうか。居て欲しい。なにしろ主役はヒトラーなのだから。

     下手に即席の考えを取り繕うよりも、歴史に学ぶ方が(たとい、それが極悪ヒトラーの言葉だとしても)順当な手立てとなるだろう事には大方が納得しやすい筈。しかも所謂「考え」とは違って、そこでは堂々たる「戸惑い」が許される。共に考えるのも、独り考えるのも勝手。時間に追われると墓穴を掘るゾ…と脳内師匠(書道の?)が申して居ります。
     誰かを批評するには、その人だけを信用するのではなく、取り巻く多数の関係者と無関係者を巻き込む必要がある。つまり関係や無関係の中に当人を埋没させて初めて、その社会的人物像が明らかになるのであって、本人自身は殆ど関係がない。だから伝記は死後に書かれる。本人から文句を付けられない様に。ご当人は泉下で苦々しく思うかも知れないが、死んだのだから本人は当人でなくなっている(当人は当事者として、既に社会的評価へと生前から巻き込まれている)。生前に自分の全集を拵えようとする熱情も、やがては受難へと変わっていくだろう。そうした評価に向けて引導を渡す名目は「完全版」。本人編集と他者編集との勝負は大抵、先に沈黙した方が負けとなる。
     ~八つ当たりする様だが、西尾先生とて他人事ではないのだろう。後々そうなるに違いない。なら、どうするか。先生は立ち止まらずに考え続ける。そうした姿勢だけが、後の世界を煙に巻けるのかも。
     西尾先生の中で今、何かが変わりつつある様な気がする。講演動画を見て、そう思った次第。

     が、それにしても~話は戻るが「人種」と「民族」の違いは厄介だ。例えばユダヤ人種とユダヤ民族を認識に於て峻別できるだろうか。どうやら1930年代のヒトラーにとっては「血」の問題でなく政治的概念の問題らしいのに(←誤読?)、いつの間にか断種政策の理念めいたものへと差し替えられてしまった気配ムンムン。また1920年代のヒトラーは、アメリカ人の自動車王フォードが著書で広めた反ユダヤ主義に感動していたくらいだから、戦後のドイツ人が第三帝国の存在を政治的に隔離した事にも、何らかの反米意識が底流していた可能性を私は疑わざるを得ない。
     仮に「人種」が「国家」同様の政治的フィクションだったとする。国家を蝕む民族と、国家を浄化する人種との対比。そこに聖なるキリスト教がニーチェを巻き込むとあらば、ヒトラーは極悪の司祭としてバチカンを籠絡した事になるのではないか。ナチスは中世の復活(継承?)をアメリカと分かち合ったのではないか。…こんな視点、西尾先生の講演動画を閲覧するまでは、考えた事もなかったなあ。
     先生本人は「そんな受け止められ方は迷惑だ」と思うかも知れない。実際そうあるべきなのかも知れない。だが従来、「アメリカには中世がない」と云ってきたのは西尾先生だったと記憶する。そこが苹には意外だった。この階調差はどこから出たのだろうか。これからアメリカに中世が復活するのではない。既にアメリカは中世だった。そんなシュミットの発想(←で、いいのかな?)に、西尾先生の戸惑いが垣間見えなくもない。
     講演動画の再生を繰り返せば、何か手懸かりが見つかるのではないかしら。~てなふうに、聞き逃しただろう箇所への興味を盛り上げつつ、二度目の再生へと聴講意欲を高めている週末の苹でござんした。(感想にならぬ感想に終始しててスマソ…)
    【2013/07/28 01:17】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (蛇足)
    http://www.origao.jp/gallery/aso.html
     その後、こんな顔(↑)の人が2chで話題になっててビックリ(↓)。
    http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1375173795/l50
     なんか話がジワジワ大きくなってきてるみたい。…それにしても面妖なタイミングが不可解で、あらぬ妄想がじわじわと。あちらと無関係な拙稿が余計な迷惑になりはしないかと心配にならぬでもないが、マァ大した事ァないんだろーな。
     政府が反応してるのは韓国かい。あと、夕方のニュース検索では中国系が目立ってた(あたしゃ一々読んでないけど)。あらためて2chを見ると、ユダヤ団体の反応が紹介されてる模様。~本稿いったん非表示にしようかとは思ったが、なんか面白そうだから世間的な無視具合の観察を兼ねて、いつも通りアッケラカンと表示稿にして置くわ(苦笑)。

     …それはそうと、先日届いた講談社の『本』2013.8号には驚いた。「つくる会」副会長やってた工藤美代子女史が救急車で運ばれて、診断結果は鬱病だとか。まあ去年の話だそうだから小康状態にはあるんだろうけれども、そんなのをネタとしたらしき、こんな本が出たんだってさ(↓)。
    http://bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2184729&x=B
     いつもの月刊誌二冊の他、どうしようか。なんとなく…買ったら負け…の様な気がする。
    【2013/07/31 21:26】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    昨晩、『憂国のリアリズム』ようやく入手。アマゾンで注文すれば早かったのですが、店頭に出ている情況を確かめてから買いたかったので、いささか遅れてしまいました。
     今、期末試験作成・採点の作業を最優先せねばならぬので、読後感は残念ながら後回し。
     しばらく積読状態になっていた柏原さんの新刊も読みかけているのですが、小生の見聞と照らし合わせてみて、色々気がついたことも。ま、これはまたいずれ。とりあえず現況報告まで。
    【2013/08/01 10:57】 URL | キルドンム #XObr3mP2 [ 編集]


    (上記拙稿、約三稿分の続き)
     麻生発言の撤回に安堵した訳ではない。西尾講演の感想は寄り道したまま戻ってこないし、むしろ厄介な落とし穴に片足を突っ込んだ気分。それもこれも、不用意にシュミットの餌へと食い付いたのが悪い。ただし餌が痛んでいたのではなく、胃袋の方が弱っていたのが原因らしい。~そんな食中毒には薬を一冊。差し当たっては『日本はナチスと同罪か』(「異なる悲劇 日本とドイツ」)の第一章前半でも。
     人種と民族の違い~相変わらず不案内なまま、それを「血」と絡めるのには躊躇している。と云うのも、仮に人種をフィクションと見るならば、劫火と廃墟の中から甦る新たな人種が夢見られる事に、何の不思議もなくなってくるからだ。同じ言語でなくとも、同じ民族でなくともよい。そんな「血からでさえも自由となった」勝利が、新しい人種の優越を自ら証明する事になるからだ。その指導者はヒトラーであってヒトラーでない。その時ヒトラーは既に死んでいる。第二、第三のヒトラーが廃墟の中から立ち上がる。例えば戦後の日本人。実際そうならなかったとしても、この点は戦後ドイツ人とて同じ事。ソ連もアメリカもイスラエルでさえも、ヒトラーの呪いを引き受ける種(←「たね」と読んでちょ…人種、品種といった栽培的概念としての)は、それぞれに自己が踏み立つ廃墟の中にある。
     狂った言い回しに見えるだろうか。前掲西尾本の表現では「人種の選別において最も重要なのは、血である」(P.27)となる以上、そう見えても仕方がない。その証拠に、続きがある。「それゆえアーリア人種、とりわけその中核をなすドイツ民族は、自らの血の純潔の維持につとめなければならないと考えられた」と。~ここでの西尾先生は、より核心的な概念として「血」の同一性を前提している様に見える。ところが苹には、この同一性が「血」と表現されている点で些か信じにくい。本当にそうなのか。「血の同一性」は概念上で確定済みなのか。それこそが「いかなる血統の出であるにせよ」、没落に直面する危機へと呑み込まれたアンフォルタス的なものではないのか。パルジファルの血はどうなのか。あのヒトラー自身の文脈では(と伝聞の言葉通り受け取るならば)、血は同一性より象徴性を優先している様にしか読めない。さもなくば苹の頭が混乱する。私はヒトラーを「どう理解したらよいのやら」。
     無論、ヒトラーとナチスとは違う。ナチスの代表者がヒトラーであり、自民党の(今の)代表者が安倍晋三(達?)ではあるにしても、そんなに総統は偉いのか。~そんな事より、問題は指導者の「政治的準備作業」である。もし「血」に価値があるから指導したのではなく、「血」に価値がないから放置しても(或いは「放置を承認もしくは指導」しても)構わなかったのならば、この手の狂気は行く手の「想像を絶する」結果に向かって暴走する。際限なきアイヒマン実験の連鎖が組織的に遂行されても、組織は組織自身の手で脳を必要としなくする。もう総統は必要ない。そのくせ組織は総統に従う。従属意識と使命感に狂気が宿る。関心の中で無関心が領土をつくる。
     と…ここまで書いてはみたものの、まだ感想を書いた気がしない。何かを間違えたのかも知れない。或いは昨今、「血」に纏わるヒトラー的な諸々と「原発事故の後処理」が似通って見える気分に影響されているためなのかも知れない。どんな不作為にも理由がある。その不作為こそがヒトラー的な堪忍袋の規模を裏返すとしたら、これは一体どういう事になるのやら。(ここでいきなり『憂国のリアリズム』ネタに繋げたら…いや、まだ心の準備が出来てませんてば…汗)

    (補記~2013.8.2. 20:30頃)
     ちとタイトルを思い出し…と云うか「気になって」、久々にパラパラ捲ってみた。昨夜の拙稿と関連する見方が成り立ち得るなら、その辺を別の角度から学べるのではないかと。
     以下は偶々目に留まった今道友信『同一性の自己塑性』(東京大学出版会)P.54、「同一性の自己伝達としての死による不死の可能性と死の意味について」の冒頭段落。西尾先生なら絶対に講演で読み上げそうもない書きぶりだけど、ここに出てくる「種的同一性」が気になった。また「類的同一性」についてはどうか。…ともかく引用しときまっす。
    --------------------------------------------------------------------------------
    > 存在そのものが絶対的同一性である、或ひは絶対的同一性が存在そのものである、といふこのこと、すなはち簡単に、存在と同一性とが同じである、といふこのことは、前にその人間に於ける存在理由が問はれたところの死について、更に一層深い省察を誘ふ。死の存在理由はこれまで理解せられた限りではどうであつたか。死は、存在そのものに対する理性の超越志向による道を介して、類的同一性から解放せられ個別化の方向を辿りゆくところの人間が、すなはち、理性による個別的な自己同一性の自覚を上昇的に展開してゆくところの人間が、それなしでは単に散在して相互に無縁な個別的個体性はもちえても、個人とはなりえないところのものたる種的同一性の完成されるのを通して、すなはち、そのやうな個別的な道を展開してゆくすべての個体をひとつの種としての人間に単に名目としてではなく事実として統括する原理としての種的同一性の実現せられるのを介して、一度喪はれた全体としての同一性を回復しうるやうにと、存在そのものが自らのうちにあらゆる超越的な道を吸収して人間としての生存を奪ふといふ方法をとることにして、それが行はれるために、存在そのものが自ら下降して迎へるところの存在そのもののめぐみ、であつた。簡単に言へば、死は人間が人間として理性を使ふために喪はざるをえなかつた同一性を再び上方で回復し、その個人性と人類性とを確保しうるやうにと、存在そのものが与へるところの恩恵である、といふことである。これは確かなことではあるが、しかし、これだけで充分であらうか。
    --------------------------------------------------------------------------------
    【2013/08/01 22:08】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >草冠に平さま
    あぁ~~~新しいパソコンだと、切り取りコピーの方法がまだわかりません・・・・・

    ヨーロッパには、自然淘汰の戦いこそ素晴らしいという、
    秩序や安定以上の価値があるのですね。

    >キルドンムさま
    柏原さんの本もなかなか難解です。
    というより、超情報の世界ですから、日常にどっぷりつかっている者には、
    異次元の世界ですね。
    【2013/08/03 20:41】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    (旧稿訂正?~並びに補遺)
     気になると云うか不安と云うか、外出してすぐ家の鍵を掛け忘れた気分になる様な。国基研で例のナチストークが出る前日、「2013/07/28 01:17」稿で書いたアレは西尾先生でなく渡部昇一先生だったみたい。『WiLL』2009.5号の対談P.47に書いてありました(↓)。
    --------------------------------------------------------------------------------
    > その中で印象に残ったのは、アメリカには中世がなかったということです。アメリカに移民したのはピューリタンですから、プロテスタントの一番ラジカルな人たちでした。彼らは「中世は悪いものだ、暗黒時代だ」と決めつけていたので、過去を全然見ない。それによって何を失ったかというと、中世千年の間の智恵と知識、それがすっぽりと抜け落ちた。中世は悪いものだとしているので、必要とあらば手本はギリシャ・ローマになります。ですから建物もゴシック建築はなく、みんなギリシャ・ローマ風です。
    --------------------------------------------------------------------------------
     それら渡部発言を承けて、今度は西尾先生が「アメリカと中国は似ている」(封建制度がない)と言い出す訳だ。~これだから対談は紛らわしくて困る。どのみち相手のある話、ごちゃ混ぜ記憶にならない方がおかしい(…と、開き直ってみる)。あちこち寄り道の検索してたら、こんなのまで見つかっちまった(↓)。
    http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/german/abe.htm
    --------------------------------------------------------------------------------
    >アメリカはヨーロッパの中世社会から直接、文化の伝統がつながっている。
    >絶対王政の経験のない人たちが国を作った。
    >アメリカではヨーロッパ中世の伝統を受け継いで、
    >個人が武装することが認められている。ピストルも容易に買える。
    >陪審裁判という中世の裁判形式が残っている。
    >(日本にも陪審裁判をという人は、これが中世の名残だとは知っていたろうか?
    >この阿部謹也先生の指摘はするどい、今まで誰がこんなことを指摘しただろうか)
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     個人武装の話は西尾先生も講演で触れてたけど、あたしゃ陪審裁判には気付かなんだ(アメリカから日本に別の中世が感染する?)。~下手な自前の感想をムリヤリ繰り出すより、こうして検索結果の報告でもしてた方が、たぶん閲覧者側にしてみれば却って役立つのかも知れないんだろーな。(…と、半分いじけてみる。)
     ここらで一悶着…じゃなくて一休み。「悶着は 休むに似たり 枯尾花」。~てな訳か否かはいざ知らず、「日録」の方では不気味な沈黙(?)凡そ半月を過ぎて『正論』2013.9号、ゲゲゲの「下」稿についてのコメントを先生ご所望の様子。ところがどっこい、その一部(ロックとかシュミットとか)が件の講演に連なるとあらば、直近の意に反して(?)ネタを半月前へと引き戻しても罰は当たるまい。…現に、ほれみろ。P.68に、こう書いてある(↓)。
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    > ドイツに対する戦争目的も、よく考えてみると本当は存在しなかったのである。フランスやポーランドにはあったかもしれないが、アメリカにはなかった。なかったけれども、対独戦争を始めてだいぶ経ってから、一九四二年になって、ドイツ人はヴァンゼー会議でユダヤ人の最終処理を決定した。アメリカはドイツのことがよく分からず戦争目的もはっきりしなかったのに、しばらくしたら、とんでもない犯罪が見つかり、しめたと思ったに相違ない。これで戦争目的ができたと英米は小躍りしたことだろう。
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     アメリカがドイツと通じていた傍証ではないのか。それも、揺れ動く反ユダヤ主義への始末をめぐる取り繕いの範疇での。もちろん視点が多角的であるに越した事はない。しかし「麻生vsユダヤ」の構図を画策するかの様な勢力が顕在化したからには、この際もっと踏み込んで「アメリカを巻き込むに越した事はない」って気がして来なくもない次第…。

    (奥様宛返信)
     あっしの場合、「苹」字はネット参入直後に辞書登録してます。ワープロソフト(苹の場合は最初から「一太郎」専用)にコピペして、「苹」字を範囲指定して辞書ソフト「ATOK」の「メニュー」にある「単語登録」をクリックするの。そこに「読み」を入力して登録。後は一発で出る様になります。
     この手で十数年前(win3.1時代で、パソコンは一太郎プリインストール)に登録してた最古の語彙は、欧陽詢、九成宮醴泉銘、范寛、郭煕、鄭道昭、許道寧など百件以上あるんじゃないかなあ。当時は漢字不足が深刻で、自前の外字をドット打ち打ち作ってました。その名残で趙孟(趙子昂の名)、米(米元章の名)などの登録が今も残ってます。「蘭」字を打つ時は、登録済みの「蘭亭叙」を出してから二字削除する癖が染み付いちまってたりなんかして。因みに「らん」と入力して一発変換される字は「欄」でございますぅ。
     先年パソコンが壊れた時、初めてネットカフェに行ってみた(修復ソフトの入手が目的、初めてUSBメモリーを買ってった)。…はたと困った。苹は専ら仮名入力。ローマ字入力できないし、入力方法の変換操作も分からない。そこで受付に頼んでみた。するとパソコン前の苹の隣、二十歳前後の女性店員が数センチの距離で対応してくれる。頭の真横にはこんもりとした春の膨らみが(おっと、以下自粛…汗)
    【2013/08/04 23:29】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


     連投スマソ(汗)。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1193.html#comment
     「2011/10/16 19:28」稿(↑)で、いつもの脱線話が昔買い逃した本に流れた折、あれはルリヤ『失われた世界 脳損傷者の手記』(海鳴社)だったのではと目星が付いた。それが今になって本棚を見たら…あったのネ(汗)。てぇ事は多分、違う本を買い逃したのだろう。それにしてもルリヤ本の記録は生々しいな(P.87~88↓)。
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    > 《私は大人になって、突然文字を忘れ、文字を理解できなくなった。結局、私は新たに教科書を見るようなものだった。突然文盲になってしまうということや、文字を総て忘れてしまうということなどとても信じられない。いままでたくさんのことを習い覚え、たくさんのことを学んでいたのに、突然わからなくなってしまうなんて。これは夢に違いない、恐ろしい夢の中に住んでいるのに違いないと私は信じ始めた。
    > 読むことができないなんて、なんと恐ろしいことだ。人は読むことができて、はじめていろんなことを学び、理解し、自分の住んでいる世界についての考えを持ち始め、前には知らなかったことを知るのである。読むことができるということは、何か不思議な力を持つことであるが、私はいまや突然この力をなくしてしまった。私はみじめで、その力を失ったことにより、ひどく気が転倒していた。》
    --------------------------------------------------------------------------------
     「百年前の日本語」が読めなくなった日本人に重ねると、ここから或る種の異常心理が始まるのかも。…先ず、自国語を読めない事が誇らしい。そこに英語が読めるエリートの優越感と、読めない人の劣等感とが重なる(この位置を嘗ては漢文が占めていた?)。次いで日本人離れした同族コロニーによる逆侵略…つまり日本人が日本を「愛国的に侵略する」状況が加わる。外国人が外国を侵略(当時)するばかりでなく、実は日本人だって侵略したい(これを維新と云う?)。もし精神と文化の共食いが内向きの準備を意味するならば、そうした共食いの苛烈さを外から準備したのが「古典支那語から現代欧米語へ」の対象転換だったのでは。伴う自虐の一端は廃仏毀釈などの具体的な行為と化したものの、それらを含めた愛国精神の発露ゆえか、明治維新・文明開化・富国強兵や大正デモクラシーなどに言い分けられる数々がとにかく粛々と成し遂げられていった。
     それが半世紀ほど続いた後の1945年、ぶん殴られて目が覚める。「そうか、日本は侵略したのか」と。本当は日本を侵略したのに、他国を侵略したと思い込む。まさか身に覚えがないとは云うまい。行為の記憶が身体に残ったまま脳損傷するかのごとき状態がGHQの占領時代に出来する。…この際、愛国行為の記憶が残る身体を脳から切り分けて「国体」と呼んでみようか。もしナチズムの脳がヒトラーに結晶するならば、身体の自律性に於て「一即多」を自然状態とする日本は、断じてナチズムやファシズムの国家ではない。さもなくば天皇の戦争責任同様、ドイツ国民の戦争責任もあらためて蒸し返さないと事は済まなくなるだろう。
     お隣(←どちら様も全体主義国そっくり?)とて初めから壮大なババ抜き、もしくはロシアンルーレットを企図した訳ではあるまい。しかしながら隣国や国内の日本批判や「ドイツ見習え」論がやがて「深謀遠慮をめぐらせた罠」へと変貌する時、今度は誰が新たな黄禍論への自己犠牲を以てナチスを継承するか、いっそう明確になっていくのではなかろうか。~これもまた、日本に向けられた刃の一つとなり得る様な気がする。

     …と、そんな角度から『正論』2013.9号の西尾論文(下)を読み直したらどうなるかしら。因みに前号(上)の最後は所謂「対米集団ノイローゼ」を踏まえ、こんなふうに締め括られていた(P.88↓)。
    --------------------------------------------------------------------------------
    >「侵略」という言葉に怯えるのは、そのせいである。原爆を落とされた国が、落とした国に、「どうか見捨てないでください」とすがりついている図であるが、これが深刻な病理学的心理現象でなくて何であろう。ここを乗り切らなければ、日本は一人前の国家に立ち戻れない。日本民族は存続をまっとうできない。安倍さん、どうかあなたにはそれを果たす使命があると自覚してほしい。そのことを切に訴えるのが本稿の目的である。何年か続くと予想される政権の期間中に、しかと果たして下さればよく、急ぐことはないが、さりとて明日ありと思う心のあだ桜とならぬように、夜半の嵐はいつ吹くか分からないので、早い時期に腹を据えて、実行に移していただきたい。
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    【2013/08/06 23:36】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (余談Ⅰ~産経への感謝)
     綴る最中に心懸けては居るのだが、投稿後も読み返しながら自分で自分にツッコミを入れると別の思慮不足が浮き出てくるからヤメラレナイ。例えば前稿で「愛国行為の記憶が残る身体を脳から切り分けて「国体」と呼んでみようか」と書いた後、「そんな事したら、生首状態の三島由紀夫みたいに死んじゃうだろw」てな具合に。そこに「でもねぇ」と天の声…じゃなくて産経記事か。ただの偶然とは思えぬくらい、ビビビと来るネタが出たりする(例↓)。
    「記憶は脳の外にある? 頭部を切断されたプラナリアが以前の記憶を」
    http://sankei.jp.msn.com/wired/news/130808/wir13080814000001-n1.htm
     産経さまさま嬉しいな。こちら三連投の開き直り、自爆ツッコミ怠りなし。「貴様、三島先生を下等生物プラナリア呼ばわりするつもりか!」のレベルなら、2chでは日常茶飯事にて御座候。無駄な揶揄は時間の無駄だが、そうでない揶揄は「発想の泉」で大歓迎。
     そう云や脳損傷ネタで昔、別の本に興味深い記述を見た。一般的な局在論では考えにくい領野に、損傷した部位が受け持つ筈の機能が再生するらしい。どの本か調べるのは面倒臭いからやめとくが、書道ネタ(国語や言語学ネタ)への関連付け目的で蒐集した脳機能関連の数十冊と比べても遜色ないクオリティだったのは確か。ただ、脳が漢字と仮名の識別をどの部位でどう行っているか。被験者が活字化以後の世代に限られるのは今も不満だし、ゾンビ様は墓の中。ならば新生児を活字排除環境で育てたら…と、かなり狂った発想に囚われた事もないではない。が、どのみち無理なのは分かっている。(でも…苹が結婚できず子孫も残してないのって…まさか無意識に…原因それ?)

    (余談Ⅱ~産経への期待?)
     普段あれこれ綴る際、手書きの頃と大きく違うのが辞書を引く頻度。これが劇的に増えた(←ずぼらな性格なのw)。なにしろパソコン内蔵のと違って紙のだと、小さいサイズ(?)の広辞苑でも引っ張り出すのが面倒臭い。日本国語大辞典となるとモウ殆どアレ。…で先日もっと小さいのを久々に捲ろうとしたら総て紛失状態で、仕方なく資料用に買っといた二冊を使う羽目になった。復刻版の明解國語辭典(三省堂)と言海(ちくま学芸文庫)。初版それぞれ昭和十八年と明治二十二年。後者は変体仮名の活字が珍しく、中高生が授業中に使ったら先生から叱られるのではと却って心配になる代物でござんした。(なんなら皆様、年頃の親類縁者に一冊どうよ?w)。
     今の国語辞典なら、何を選べばよいだろうか。人気があるのは書き方が少し変わっているらしいので抵抗がある。もし産経の誰かが此処を見てたら、ネタにしてくれると有難いんだけどなあ。ただし平凡な記事では面白くない。国語辞典の歴史と変遷を踏まえるのみならず、国語の成立(教育上では1900年)と言葉の揺れへの考察が欲しい。「今を知る国語」よりも「昔を知る国語」に役立って欲しいのだ。「言海でも見てろ」と揶揄する向きはあろうが、それでは実のところ困る。国語も漢和も古語も皆、どれも時間がバラバラに停止しているかの様で繋がりにくいからだ。…果ては夢に化けて出ちまった。その名も産経国語辞典。新機軸の難しさに斃れた編集者達が、落ち武者の様に「うらめしや」…もとい、「うらんかな」と…(以下略)
    【2013/08/09 22:30】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    ごめん、独り言いわせちゃって・・・・・
    いえいえ、どんどん連投お願いしますね。
    パソコンの部屋の空調が故障していて、
    最近は最小限?のパソコンタイムになってしまっています。

    ほら、やっとコピペできました。

    最近の漢字は書き順もちがっているそうな。
    国語って大切なのに、確かにおろそかにされていますね。
    苹@泥酔さんの頑張りが大事です。
    【2013/08/10 21:46】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    (またまた余談スマソ…)
     財布の中身が心配で、次の西尾全集はいつ出る予定だったかナ…と久々に国書刊行会サイトを覗いたところビックリ仰天。あそこが書道関係の本を出すなんて前代未聞じゃないかしら。あの値段では高くて買えないけれど、とにかく目の付け所がいい。ピンポイントで昭和二十年代の雑誌復刻とは泣かせてくれるじゃねーか。これぞまさしく占領期のアングラ書道(?)、疑うらくは戦前書道破壊の狼煙か雄叫びか(↓)。
    http://www.kokusho.co.jp/np/isbn/9784336055392/
     終刊翌年の昭和二十八年、上田桑鳩は理論面の総括に『臨書新研究』(教育図書研究会)を上梓。目次は「人間開放」「芸術の開放」「旧観念と新観念の相違」と続き、書きぶりは演説調に近い。それにしては穏便な内容に見えるのが、日展出品作「愛」(1951年)をめぐる脱退騒動とは正反対の印象。この一冊を読み返せば、わざわざ今夏の一括復刻に手を出す必要はなさそうにも思える。…誰か研究してくれる人、居たら宜敷どうぞ。

     ところで~どうでもいいけど『正論』2013.9号のグラビア「私の写真館」(黄文雄)って、見方次第では「ウォーリーをさがせ」ならぬ「西尾幹二をさがせ」状態なのネ。
     当該頁下の写真に見える「周家」云々の字には顔法(顔真卿の晩年書法)に近い懐具合の他、孟法師碑や伊闕仏龕碑に近い硬質さが窺える。典型的な顔法の字は「同志仍須努力」の方で、筋肉質の雰囲気は建中告身帖や顔勤礼碑を思わせる。顔氏家廟碑ほど「字面おっぴろげ」ではないけれど、いづれにしろ支那らしさ満点。~日本の場合は幕末以降、同じ顔真卿でも多宝塔碑の方が持て囃される傾向にあった様な。
    http://kayahara.com/modules/column/index.php?page=article&storyid=127
     顔真卿と云えば、先日こんなネタがあった(↑)。中国全土に「小3から顔真卿の臨書を指導せよ」との大号令が出たそうで、北京大学では台湾の淡江大学から客員教授を迎えたとか。~関連ネタは、こちら参照(↓)。
    http://kayahara.com/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=316
     片や日本は今も要望段階(↓)。従来はいくら要望しても門前払い同然で殆ど効果がなく、そのまま放置してたら全国あちこちの中学や高校が未履修問題で引っ掛かった。
    http://kayahara.com/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=315

     してみると「中華民族の偉大なる復興」には、もれなく「中国文化の偉大なる復興」が付いてくるらしい。それに比べれば「日本文化の偉大なる復興」は要注意。安易に手を出すのは御法度で、すぐさま「支那文化への屈服」となりやすい面がある。
     一通り出揃った漢字の各書体を日本に持ち込んだ所までは支那文化の範疇なれど(雑駁に云えば「王羲之セット」)、そこから先の機能面が世界に類例を見ない日本文化の独創。~ここに分水嶺がある。字面しか教えない書道は「支那文化への盲従隷属」を宗とする「文化歪曲の砦」に収斂していく。ならば日本文化の範疇では最初から、国語以前に書道(習字)が寺子屋で担ってきた領分=機能を教えねばなるまい。
     嘗て日本人は、漢字の草書と変体仮名を子供でも読み分けられた。そこが支那人と決定的に異なる点だった。言語の違いは読み方の違いでもある。文字ヴァリエーションの多様性と判読システムの柔軟性を書き言葉として学び、書かれた内容を読み言葉として習う。そこに別の意味で「同一性の自己塑性」(と活字化以後の分裂性)が隠れている気がするのだが、哲学畑から見ればどう映るだろうか。
    【2013/08/15 22:44】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >それに比べれば「日本文化の偉大なる復興」は要注意。安易に手を出すのは御法度で、すぐさま「支那文化への屈服」となりやすい面がある

      だから「東洋文化の復興」と日本では言っているのですよ(韓国でもそうらしいが)。希臘文明の後継者は今のギリシア人にあらず、イタリア人、イギリス人、またはドイツやロシアこそそうだというのと近い論理に拠るのだろうけど、これでも「屈服」ととられる危険性が皆無になるわけではない。ただ書道界でホンマにそれを「屈従隷属」とする意識がどこまであるのか、その辺教えてほしいくらい。
      まあ、帰国早々その「東洋文化の振興」を旨とする胡散臭い団体の会長にいつの間にか祭り上げられてしまった身としては自分の立ち位置を明確化するためにも、是非とも聞いておきたいところですが。
      さっきテレビを何となく点けて見たら、見覚えある顔が出てきて少し驚く。畏友・岩田氏ではないか。まさしくご同慶の至り。何だかよくわからぬ思想傾向の人々が多い中で、極めて真っ当な意見をされていましたが、故意かどうかはともかく、発言をまわされる回数が制限されていたような…。
      これで、岩田くんに注目する人が今以上に増えればいいですね。
    【2013/08/15 23:49】 URL | キルドンム #XObr3mP2 [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    辞書登録・・・そうそう、そういうのありましたね。
    最近はやっていませんでした。

    >キルドンムさま
    岩田君、NHKか何かでしたか?

    キルドンム様くらいの年代がどんどん今から活躍するころですね。
    【2013/08/16 20:32】 URL | 奥様 #- [ 編集]

    山崎行太郎サンのブログに

    ☆お知らせ☆

     10年来の友人であり、思想的な同志でもある岩田温くんが、8月15日のNHKスペシャルシリーズ日本新生「戦後68年 いま“ニッポンの平和”を考える」(午後7:30~)に生出演します。

    出演者の方々の顔ぶれをざっとみるかぎり、異色なのは明白。今から楽しみです。正論を堂々と主張してくれることを期待します。8月15日の夜、お暇な方は是非ともテレビの前に。

    当日は岩田君らと靖国神社に参拝した後、皆で岩田くんを送り出します!!

    出演者

    作家…半藤一利,マサチューセッツ工科大学シニアフェロ…岡本行夫,東京外国語大学教授…伊勢崎賢治,評論家…宇野常寛,ヒューマン・ライツ・ウォッチ日本代表…土井香苗,秀明大学専任講師…岩田温


    【2013/08/17 05:46】 URL | bunn #- [ 編集]


    >帰国早々その「東洋文化の振興」を旨とする胡散臭い団体の会長に
     うわっ、なんだかアブナイ立ち位置になってそうな気がしないでもなく…(汗)。そう来られると差し当たっては二つの記事で、「日本文化」と「ベトナム文化」を対比したくなってくる(抄録↓)。
    http://kayahara.com/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=293
    --------------------------------------------------------------------------------
    > 氏に聞くと同構想については、「1年ほど前に書壇の漢字のほうの方から中国が『チャイニーズ・カリグラフィー』として文化遺産登録を果たしたと聞いて、かなもぜひと思い始めた」とのことで、確かに中国は2009年に「篆刻芸術」「木版印刷技術」「中国書法」など22の無形文化遺産の一括登録に成功しており、日本の書壇としても、機は熟しているといえそうだ。
    --------------------------------------------------------------------------------
    http://kayahara.com/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=279
    --------------------------------------------------------------------------------
    > 今回の、1)〝身内″ともいえる蘭亭筆会系の協力組織が存在せず、2)「漢字文化圏」でもなく、3)共産主義国、という3重のハードルが見込まれた「ベトナム展」については、当初から「作品内容のベトナム語釈文を付すこと」という条件が提示されており、さらに「出品者全員の身分証明書」提出を要求されるなど、数々の未経験の難題を乗り越えて参加準備を進めてきた各国・地域の蘭亭筆会関係者の前に、会期直前になって「展示不許可」という政府命令が下され、開催不能に追い込まれかけた経緯は、既報の通り。
    --------------------------------------------------------------------------------
     ベトナム側の危機意識は相当なものらしく、名目が「東洋」でも「アジア」でも十把一絡げに「文化」で括ると忽ち「文化侵略の容認」へと変質してしまうのが歴史経験で分かっている。日本の書道界が中国の傀儡に見えても仕方ないと苹は納得してますが、戦後の反省で「芸術に政治を持ち込むな」がスタンダードとなった日本では、「頭の中が平和主義」な人に限って納得しがたいものが残るのでは。
     「日本文化」と云わず「東洋文化」なら平和的と考えるナイーヴな人にとっては、自前の仮名文化も歴史を遡れば中国に戻るだろう。平たく云えば鮭の脳味噌、最悪の古典主義。そこに古典自体の壁が来る。仮名古典は日本に閉ざされた歴史で包まれた納豆もどきの文化で、包む藁の両端は平安時代と明治三十三年に縛られる。ところが漢字畑は開国以来アッサリ支那に出向いて学ぶのが常で、そうあるのが進歩的かつ開明的かつ古典的な本道であるかの様な。…古典学習自体は方法として間違っていないが、そこに文化侵略される側の発想は、ない。
     嘗て日本が支那に「屈従隷属」できたのは、その対象が既に滅びた時代の文化だったからでは。隷従理念における古典の位置が不易でも、ゾンビがのこのこ刃向かってくる事はないからこそ、古典は祭祀の対象に近かった。むしろ拝跪するのが当然の礼儀で、かつ道徳や教養の歴史的規範だった筈。別の言い方をするなら、古典は書道界の靖国神社みたいなものかしら。そこでの言葉遣いは屈従隷属より尊崇の方が正しく、尊崇の対象に盲従する姿勢は宗教的に厳粛でさえある。
     そうした点では、「書道界でホンマにそれを「屈従隷属」とする意識がどこまであるのか」と問われても困ってしまう。たぶん少なくとも二つの理由で「ない」と断言してよいのでしょう。一つはベトナム同様「漢字文化圏でない」とする強烈な意識に近いものが中国語と日本語の違いに底流している事。漢字を書いたところで日本語が中国語になる訳ではない。もう一つは道徳的な尊敬表現。生徒が先生に逆らうなんて考えられない。分際を心得て先生の言う事を素直に聞くのが当たり前。戦後は「戦前の日本書道に対して」アングラの反抗心を持っていた人達も、やがては老いて萎えていく。こうなると見立ては西尾先生の「経済の牙」云々と似たり寄ったりで、「文化には牙がない」どころか鼻毛まで抜かれちまった。
     書道の鼻毛は国語なの…国語を抜かれたら読めなくなったの…てな形容は不適切かも知れんけど、実際みんな読めなくなったもんね。うまく書けるからと云って、読めるとは限らない。それが三つ目の理由になるのかも。漢字だって仮名だって、どのみち読めなければ「生きた日本語」とは云えない。だから漢字も仮名も筆文字として古典的なら、もはやそれは日本文化でなく支那ミミズ。…これまで何度も書いた。あたしゃ生徒を仮名が読める様にしたら、英語教員は「中国に行けばいい」との反応。それを久々に思い出して学び直すと、またまた新たな感想が。…「筆文字は日本からリストラされたのだ」と。
     例えばパナソニックなどの大手が技術者をリストラするでしょ。それを韓国のサムスンが引き受ける訳だ。日本の技術を吸収した後は海の向こうでもお払い箱。日本に戻りたくても裏切り者は戻れない。そんな技術者の噂を聞く度に、苹は「書道みたいだなあ」と涙する。日本の書道が文化防衛するのではない。日本が文化防衛したら書道がリストラされた様なもの。そこら辺の気持ちはビミョーですぜ(苦笑)。隷属するにも相手が居ない。学校も学問も日本も誰も相手にしないくせに、印象だけは立派な文化。補助金でも出ていれば、文楽みたいに橋下批判が飛び出す事もあるのだろうけど、そんな機会も書道には元々ない。いっそ苦し紛れの書道パフォーマンスみたいに、文楽パフォーマンスをやらかしたらどうなるだろうか。
     学者や知識人の支援がないと救われない文化は、他にもたんとあるらしい。~この手の話題になるとどうやら、あたしゃ感情的になりやすいみたい(orz)。こんな毛細血管レベルのでも、キルドンム様のお役に立つ面はあるのかなあ。もっと焦点を絞れば鼻血くらいは、より綺麗なのが動脈からドクドク出てきますぜ。今朝の推敲ここらで御免仕候。頓首。
    【2013/08/17 07:57】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹さんへ

      いえいえ、大変参考になりました。今帰省中で、父親のパソコンで打っていますが、78の爺さん用に魔改造されていますので使いにくいことこの上ない…。詳しいことは帰ってからまたあらためて返事しますので、取り敢えずお礼だけ。
      そうかあ、やはり「屈従」意識はないのかあ…(こちらの考えていた理由とは少しく異なっていたようだけど)、ただ、むしろかつての「盲目尊崇」意識の方が気になる。すでに滅んだ文化--正確にはそう思っていただけかも知れないが(この辺は若き日の吉川幸次郎先生の著書に言及あり)――だからこそ古典化して尊崇の対象になるというのはその通りなのだけれど、これぞ正に書道のみならず遣唐使の時分からこれまでわが国の彼の国文明への接し方の通例。常に古典化する対象を同時代の彼の国ではなく、多くは数百年ずらしつつ「尊崇」する。ある意味では無意識の文化防衛策だったともいいえる。
      それと、ご紹介のところの前の記事にもあったけど、「東洋文化の中心」を誇称する韓国での漢字復活の動きが一見「天然」に見え、どこまで政治的意図を有するものか理解に苦しむのに対し、逆に越南の神経質なまでの反応も変に思えぬこともない。漢文化へのアンヴィヴァレント的反応もわからぬではないが(なにしろ越南文化の漢化の度合いは朝鮮の比ではない)、かえって自国のかつての漢字文化をどう位置づけようとしているのか。この記事だけでは早々に判断を下しようがない。
      夕方から高校の同窓会に出席しますが、同学どもの変わりようを見物するのも一つの文化論となりうる、ということは考えられまいか。まあ、行ってきます。
    【2013/08/17 14:24】 URL | キルドンム #XObr3mP2 [ 編集]


    >bunnさま
    残念!見逃してしまいました。
    bunnさまの情報網は広いですね。

    >苹@泥酔さん
    >キルドンムさん
    よかった、この場がお二人のお役に立てて。
    【2013/08/18 10:11】 URL | 奥様 #- [ 編集]


     …その後、あれこれ書いてはボツにするうち錯乱が始まった。キルドンム様の「こちらの考えていた理由とは少しく異なっていたようだけど」が苹にはいっそう興味深く感じられる事とか、或いは続く「日録」を「機関銃の乱射よりは散弾銃の狙い撃ちに似てるナア」と思いながら読み返している事とか、話題ならいくらでもあるのに纏まらない。纏めるために脱線が必要となる書き方は、それ自体が精神病理の一相なのだろう。
     かくて2chへの逃避行が始まった。この一週間で五つくらいは落書きしたのかしら。ニュー速+板に三つ、クラ板に二つ。それが本当は息抜きになる筈だった。…こんなの誰が出したのやら、下記の画像(↓)を見るまでは。
    http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/classical/1355921276/l50
    --------------------------------------------------------------------------------
    658 :名無しの笛の踊り:2013/08/23(金) 10:36:58.62 ID:kcMe4SJC
    パルジファルより
    http://i.imgur.com/AFVpYj7.jpg
    --------------------------------------------------------------------------------
     見るや忽ち、苹の脳味噌は機能不全に陥った。この感動と衝撃を是非お裾分けしたい。ワグネリアンなら分かってくれる筈。救済者に救済を。(←米国への当て付けではない…つもり。)
     因みにニュー速+板で出した、今の時点で最後の拙稿は内容こちら(↓)。
    http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1377006873/l50
    --------------------------------------------------------------------------------
    956 :名無しさん@13周年:2013/08/23(金) 07:23:43.88 ID:at3qgY0g0
    鬼神を祀り、時には封じる歴史的経緯についてなら異論の必要を認めがたいが、
    数多の不幸な民草が徴兵された点については、もう一捻りする必要がありそうだ。
    まず大抵、何処の兵隊さんも職務はそれなりの指揮命令系統を経て統率される。
    ならば、鬼畜性の増大プロセスと「アイヒマン実験」との関連についてはどうか。
    中国の学会で、ミルグラムの研究結果を否定する論拠は出ているのだろうか。
    中国人と日本人とでは、鬼畜性の発現度にどれくらい差異があるのだろうか。
    --------------------------------------------------------------------------------
    【2013/08/25 20:10】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]

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    【2013/08/26 22:12】 | # [ 編集]


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