奥様
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    子育て終了の奥様でございます。 最近本格的にブログにチャレンジ。 硬い話、介護の話、日常の話をちょこちょこっと書いていきます。
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    平成25年 元旦
    昨年は正月はトルコに行ったっけ。
    今年はシンガポールで過ごすはずだったが、
    娘のことがあり、キャンセルした。

    お正月の準備をする気もあまりせず、
    雑煮の出汁を作ったり、
    買ったものを重箱につめたりするくらいですませた。

    大晦日から、息子の友人達が来ていたので、
    年越し蕎麦を12時前に部屋に差し入れした。
    「ジャガイモがゴロッと入ったシチュー」の注文を受け、
    作ったシチューが空っぽになったりして、
    準備したものがすっきりなくなっていったことが何故か嬉しい。

    とうとう娘のことが去年のことになってしまった。

    お供えの花が枯れていくのが哀しい。

    さぁ、と急に晴れやかな気持ちにはなれないが、
    ともかく生き残っている人間は生きていくしかない。


    本年が皆様にとって、そしてわが家にとって、良い年になりますように。
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    【2013/01/01 12:33】 日々雑感 | TRACKBACK(0) | COMMENT(19)
    この記事に対するコメント

     そうか…あたしゃ昨年、こう書いたんだっけ。
    --------------------------------------------------------------------------------
    > トルコの奥様こんばんは。今年も宜敷お願いね。
    http://www.youtube.com/watch?v=kpOl4kxgD1c
    >【2012/01/01 00:03】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]
    --------------------------------------------------------------------------------
    「中国移民の増加で揺れるシンガポール」
    http://www.nhk.or.jp/worldwave/marugoto/2012/12/1217.html

     余談の後は新年早々、『正論』2013.2号に出てくる「ワン・ワールド」に引っ掛けた脱線話でも。~以下は天バカ板、昨年最後の投稿「壬辰師走だ、備忘録。(其四)」(2012/12/23 (Sun) 23:08:24)より。
    http://imoshiori.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8167284
    --------------------------------------------------------------------------------
    > 書塾に通わなかった人は幸せである。彼らには「学校で習った一つの規範」しかない。それ以外の書風は総て異物である。従って書教育の本質は、学校基準の下に純粋であればあるほど全体主義的であって構わないか、或いはむしろ望ましくなる筈。その「全体」が既に凋落(これも一種の純化であり、教育現場では通常「精選」と云う)しているならば、全体主義を滅ぼす~学校書教育を滅ぼす~事に異存を唱える義理など最早あるまい。民主主義は全体主義にも相対主義にも寛容な手続きを踏むのだから、手続きが文化を滅ぼそうとする事と、文化自体が手続きから逃れ自閉しようとする事とは本来、共立可能なそれぞれの領土で学校の「外」自身が「学校の内側ですら」自存してよい筈である。苹は「そこに罠がある」と踏んだ。斯くして学校は坩堝となる。
    --------------------------------------------------------------------------------
     どこかで聞いた「祖国とは国語」てなフレーズを「国語は一つ」に読み替えると、日本の「ワン・ワールド」がそこに出現する。国の定めた国語が唯一「正しい」のであって、そうでない日本語は「間違っている」事になる。すると忽ち「間違った歴史を教えるな」式の読み替えが可能になり、アメリカ式「ワン・ワールド」との思考様式結合もまた容易になる。
     国語でピンと来ない人には書記様式の事例にて。~活字にすれば誰でも読めるのに、書字では読めないというギャップ。国語は「正しい」のに書記様式は「間違っている」という同時性・価値判断の、仕組まれた背反と褶曲。「何か立派な事が書いてあるのだろう」と思ってたのを活字で読んだら「くだらない事ばっか」だった時のガッカリ感と軽蔑心。他方では、整然と印刷またはタイプされた横文字「ワン・ワールド」への憧憬。
     GHQの占領政策でCIEは国語を悪玉に仕立て、漢字廃止だのローマ字化だのと騒がれてきた明治以降の流れを一気に勢いづかせた。~大体そう考えられてきた様ですが、その後『正論』を読んだら別の側面が隠れている事に気付いた次第。歴史的日本語の非‐祖国化により新たな「祖国としての国語」が誕生し、それが戦後「後期国語イデオロギー」へと変容した所までは書いたものの、あたしゃ「ワン・ワールド」には思い至らなかった。
     もしかしたら、あれが後期の後期たる所以だったのでは。前期(戦前)と後期(戦後)とでは、同じ国語でも何かが違うと感じたから、しっくりくる様ひとまず二つに分けてみた訳ですが、その理由がよく分からなかった。西尾先生達の議論から、新たな脱線の手掛かり(…ん?)を頂戴した心地です。国語に輸入・移植された「ワン・ワールド」思考は或る意味、別側面の「青い山脈」でもあり得たのでは。表層の「古い上着よサヨウナラ」が深層の「汚れた下着よサヨウナラ」と結合し、洗濯された日本は文化的意味でも「維新」精神を内々かつ双方向的に自ら分断・呪縛した…と。
    【2013/01/01 16:37】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]

    喪中ですね
     危うく年賀の挨拶をするところでした(汗)

     今年が奥様にとって最良の年となるようにお祈りします。
    【2013/01/01 17:51】 URL | 大共和派-緑の保守派の尊野ジョーイ #r8.gCnUU [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    じゃあ、日本の書道はどうやって文化としていき続けていけばいいのでしょう。

    スペインに居る妹の旦那様が言っていたことですが、
    英語も活字にすればわかるけれど、
    喋っている国により、物凄い方言のようになっていて、
    全く聞き取れないとのこと。

    言葉は音から変化していきますね。
    また書字はましかも・・・・。


    >尊野ジョーイさん
    喪中・・・・でも、大丈夫。
    喪中のような気もしないのです。
    実感が・・・・・・ないのです。


    【2013/01/01 22:07】 URL | 奥様 #- [ 編集]


     以下は或る意味、但し書きになるのかしら。あれやこれやで保守と云っても、何を保守するのか分からなくなる場面が、あらゆる出来事の背後に迫っている様な。~例えば苹は、必ずしも書道を保守したい訳ではない。それ以前に、書道の内外に潜むものを知りたい。そこで先ず、知ろうとする中でゴチャゴチャ考えたりする訳ですが、それらの一部が時には「保守する行為」に見えるかも知れない。しかしそれが保守と云えるかどうかは「よく分からない」。にもかかわらず、誰もが何かをいつも保守しているにきまっている。
     その凝集力の強さを仮に「ワン・ワールド」から読み取るとしたら。常に正しく無謬であらねばならぬほど強烈な倫理を渇望し、不都合な状態もしくは存在を根こそぎ排除しつつ突撃する。先日「大中華マトリックス」と呼んだものとて中身は大差なさそうに見えるが、なればこそ東西どちらでもない第三極の様な在り方は結局「まぼろし」にも似た魅力となって、双方から距離を置きたがる気分へと結び付く。この場合に正三角形の関係が成り立たないのは、倫理の差異自体が関係の中から論理矛盾を無制限に生み出すからだろう。
     …で、これを国語のケースで考えたらどうなるかと。漢字は使うが支那語に非ず。漢字と仮名は別物だが形は元々ほぼ同じ。その「ほぼ同じ」だった意識を丸ごと排除する傾向にあるのが国語。祖国が国語を保守するにしろ、国語が祖国を保守するにしろ、国語と祖国の両方が歴史を見捨てたり歪曲したりするケースは成り立つ筈。その中から論理矛盾が生まれた時、国語に自己の正義を疑うほどの余裕はあるだろうか。国語としての凝集力を高める競争に勝利した者が、勝利させた者を後になって否定するのは「人倫の道に反する」って事にならないか。国語それ自体が道徳として硬直していないか。抑も国語は道徳か。
     国語の先生でなくたって、先生なら誰でも国語が達者でござる。そうした先生方が普通に国語を高き次元で共有する世界なのに、今更「ワン・ワールド」でないと云える筈がない。国語観は歴史観より手強い相手になりそうで、「もっと国語をよく理解してからでなきゃ」と年々益々ビビってます。勉強するのではなく、理解する。さもなくば「ワン・ワールド」にアッサリ呑まれて、ミイラ取りがミイラになっちまう。
     …と書いたら気が付いた。これって但し書きと云うよりは、ただの新年抱負なんだなあ。
    【2013/01/02 18:00】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]

    お仲間のブログに
    偶然トルコ旅行 投稿者:bunn 投稿日:2012年12月28日(金)20時34分2秒 編集済
    今月の10日から始まったサウジアラビア大使館内での「アラビア語書道展」
    都内に出る用事があって行った折に、
    http://www.panorientnews.com/jp/news.php?k=1951
    佐川さんの作品の素晴らしさもさることながら、サウジアラビアに対して全く無知な
    私に付きっ切りで説明してくださったご夫人が薦めてくださったのが「トルコ旅行」
    偶然今知人がトルコヘ旅行に行っているのですよと話が弾みました。
    このご夫人の話では、サウジアラビアの人達はとてものんびりしておられておおらかで優しい人達だそうです。銀行員のご主人の赴任で三年過ごされたそうですが、かの地で素晴らしい日々を過ごしたと。
    その方のお薦めなので、トルコに行ってみたくなりました、が、飛行機嫌いで、、、
    でも、日本語のお出来になる方がいらしたら、、、
    【2013/01/02 22:01】 URL | bunn #- [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    国語、言語、文字、発音・・・・・・・歴史より確かに複雑ですね。
    それに国語の歴史、
    言語の歴史、
    文字の歴史、
    発音の変遷・・・・・・・・国語の道徳化?

    いやぁ、なんだか難しくって、苹@泥酔さんの考えていることがさっぱりわかりません。

    >bunnさま
    確かに飛行機はしんどいですね。
    座席の狭い空間に、長時間じっとしていなきゃならないのは苦行です。
    トルコで一番印象的だったのはエフェソスでしたよ。

    アラビア語の書道展なんて、苹@泥酔さんが興味を抱きそうですね。
    【2013/01/02 23:39】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >奥様
    本年もよろしくお願いいたします

    >とうとう娘のことが去年のことになってしまった。
    >お供えの花が枯れていくのが哀しい。

    時間というのは本当に残酷なものです。
    ギリシャ神話のクロノスが、残酷なまでに時間を食い散らす時から、人間は時と共に過去のすべてを見えない世界に追いやる宿命を背負ったそうですが、しかし人間は記憶という技を持ち、消え去る過去を頭の片隅に留めておくことを身につけたわけです。

    お供えの花が枯れていく姿は、あまりにも現実をリアルに描写していて、おそらくそんな現実の残酷さが自分以外の他人と呼ばれる周りの人間の態度に、これほど顕著にあるってことを、身内を失ったものは知る運命にあるんでしょうね。
    だからこそ、自分は誰よりも亡くなった身内の魂を大事にしなければならないというのは自然なことであり、どんなに時間が経過しよとも、記憶の強弱は起こりうるにせよ、いつまでも魂の温もりは残っているんだと思います。
    宗教によってはそんな執着する様そのものが、故人の浄土を妨げるという教えもありますが、私はこの世に生きるものがそれほど強くそして残酷に生きることは難しいだろうと考える人間です。

    ですから、我が家は一応浄土真宗ですが、偉そうに言うとその点でまだ自分と宗教の折り合いがついていないと思っています。
    【2013/01/03 22:20】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    http://wedge.ismedia.jp/articles/-/681
    http://wedge.ismedia.jp/articles/-/692
     ふと思ったんだけど、これ読んだら西尾先生との対談を期待したくなったりして(↑)。きっかけはNHKの「日曜美術館」。2012.12.23朝に録画してあった「白隠 気迫みなぎる禅画」の回。そこに芳澤勝弘先生が出てたのを昨夜見た。そしたら以前「出版ダイジェスト」の記事に感銘、芋蔓式に天バカ板で何度か言及してた事も思い出した。例えば「【再掲】投稿日時不明稿(其六)」稿に転載してある「「其一」補遺」稿(↓)。他には『WiLL』2009.9号(P.150~157)絡みの稿もある。
    http://imoshiori.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8005106
     元旦放送の「相棒」録画も見終えた。前半はいつも通り倍速再生だったけど、後半そうもいかなくなった。肺腑を抉られたのは、旧華族少女の死について推理した杉下右京。録画では2:13:29以降の、「自分は、父親の側の人間として生きるしかないのだと、悟ったからではないでしょうか」って台詞。
     これを苹は、「書道の側の人間として」と読み替えてみた。書道教員や書家達が隠匿し続けてきた基礎の精神的遺産価値が暴露される時、第一次安倍政権が訴えた「伝統・文化の尊重」は、「文化史上の東京裁判」と形容可能になりそうな何かを否応なく回顧せざるを得なくしていくのではないかと。そうなると学校側には都合が悪い。無為の戦犯(国賊?)が誕生するからである。無為を命ぜられた戦後的存在が、戦後的であるがゆえに新たな戦犯として生まれ変わる。抑も共犯か主犯か分からぬのが教育界。当時は皆が一丸となって、書道の「戦犯」化を推進した。他方、反省したら「戦犯でなくなった」代わりに国賊となった面もある。愛国は反日を抱えつつ、愛国のまま素直に中国を礼賛する態度が古典的常識を牛耳った。

    (以下は奥様宛レス)
     国語よりは、歴史の方が遙かに複雑でしょう。これには誰も異論ない筈。それに比べれば拙稿のは瑣末な話で、「歴史をリセットする国語」と「歴史を尊重する国語」との間が複雑になっている点、「歴史より複雑」な体裁をアッサリ整えた上で隠蔽すれば、戦後世代はむしろ単純に割り切れる。要するに、活字化してしまえばよい訳です。しかし活字化されているのは微々たるもの(中野三敏の説)。しかも中には、活字化できない高水準(?)のものがある。例えば「「あ」は「あ」と読む」では何の事か分からないし、「「阿」は「安」と読む」では途中を省いた分だけ不充分。そんな文化史上の廃棄物が、過去から現代に向けて、読めば読むほど逆増殖する。どう見たって国語の邪魔。そこが悩ましくある次第。
    【2013/01/04 06:31】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]


    >あきんどさん
    私はもう宗教というものを、深く考えないようになりました。
    中学、高校の頃、一番考えました・・・・・・

    娘の容態が悪化したのが一ヶ月前の今日。
    あの日が一番辛かったです。
    でも、普通の辛さはだんだん薄れるのですが、
    この娘が逝ってしまった辛さは、毎日更新?上書き?されます。

    >苹さん
    苹さんの話を読んでいると、歴史の方がシンプルなような気がしたのです。

    国語は時間の流れが逆行したり、平気で順番が狂うように感じるからです。
    歴史は一応、時間の順番どおり・・・・まぁ、飛ばした時間の意味をどう考えるかで、
    物事の意味が変わってくるのですが・・・・。
    【2013/01/05 20:38】 URL | 奥様 #- [ 編集]


     以下余談(もしくは「日録」感想)。~ネット上の仮想人格に、年齢不詳の妖怪願望が満たされる時。そこに自己隠蔽欲と自己顕示欲の調和が現出するとしたら。
     苹の場合、人生論の類は最も読みたくない本で、大抵は近寄り難い雰囲気に包まれている。それが文学への先入観を形成し、読む事それ自体を予め恐怖させる。そうした読者の偏屈に忍び込む珍奇な風体が、どうした訳か西尾先生の「人生論」からは感じられるのが不思議と云えば不思議(…すんなり読めるのは、苹の思い描く「文学らしさ」を感じないから?)。例えば『人生の深淵について』辺り、読み返したいとは思わない。が、読み返さない事により何かが救われているという、見方次第では奇妙な読者が現に此処に居る。その事を著者なら逆に不思議がるかも。こちらとしては「読み返したくない」のではなく、読み返したくなるほどバテてはいないという「根拠なき矜持」が読書を遠ざけるのかも知れない。にもかかわらず「読書に近付いている」気分も同時に感じられてくるから困ったもんだ。遠くて近い或る種の追憶と云って構わないのかも知れないが、それと似通った事が年齢を取り巻く感覚にも通じている様な気がして、絡めてみると妙に面倒臭い。
     ところが今これを書く上で念のため少しだけ読み返してみると、それまで読み返さなかったのが不思議に思えてくる。~八年前の本である。しかも単行本になるまでかなりの時間がかかったそうな。この一冊は、読んだ後に時間を要求し始める本なのだナ、と思った。

     本稿冒頭の「仮想人格」を、当初は「アバター人格」と表現した。検索したら「アバター」にはアニメ風のキャラクターが纏わり付く印象だったのですぐに「仮想」と書き直したが、正直なところビジュアル抜きで構わないなら「アバター」の方が言葉として数倍は興味深く、また適切とも思える。多分そこには時間が感じられないからなのだろう。
     ~書物は昔、それと大差ない環境だったに違いない。情報不足で著者の年齢は不詳。肖像画もないのが普通。しかし今のご時世なら碩学ジジイとすぐ分かる。それだけ息長く書き続けてきたのだから仕方がないのは当然と割り切っても、ネット歴たかだか十年の苹ですら時間に抗えないのには些か戸惑わぬでもなし。例えば自分のプロフィールを今「十代の女子高生かもよ?」と書けば「十年前は何歳?」となるし、昔ああ書けば今なら若く見積もっても三十路寸前と映る筈。ここでは内容の加齢臭(?)が自ら墓穴を掘る。こちとら昔の文章は恥ずかしい筈なのに、昔のを今も再録しているのだから、この手の恥知らず野郎は却って始末が悪いとも云える(天バカ板での拙稿)。
     「昔の方が頭は冴えていたのでは」と回春願望を抱えつつ、それでも少しは新たな知識や思索の上乗せを信じたがる。むしろ恥ずべきは昔でなく、今の側に在るのかも知れない。

    http://sankei.jp.msn.com/life/news/130113/bks13011309260016-n1.htm
     この記事(↑)によると、ガダマー『真理と方法』邦訳が完結したらしい。法政大学出版局と云えば、ドゥルーズ『シネマ』邦訳ではかなり待たされたんだっけ。みすず書房のフッサール『イデーン』も邦訳完結に時間がかかり、最終巻を買った時は既に初巻が絶版となって居たのかな(うろ覚え)。
     それより先夜たじろいだのは、ガダマーをすっかり忘れていた事。~ドゥルーズだの何だのに辿り着く前、「芸術の終焉」を調べていた頃に名前を知った。前後かれこれ二十年以上「なぜ書は終焉に向かうのか」を考え続けてきたのに、そうした言い回しもガダマーも、いつしか綺麗サッパリ忘れていた。ここ数年、あたしゃ「終焉」という言葉を意識的に使った記憶がない。そのうち苹は今よりますます強く、当時の自分が別人だったのではと疑いたくなっていくのではなかろうか。そんな時期はとうに過ぎ去ったと思っていた筈なのに、いつの間にか思い出す事と忘れる事の両方が、別の意味で脳内履歴の調和や結託を指嗾する。これは一体どういう事か。忘れるよりも、思い出す方に恐怖を感じる。
    http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1254
     西尾先生の場合は、もうじき三十年前のNHK収録で昔の「ご自身」と出会う事になるらしい。…幹二と幹二のご対面。美しい人生よ、限りない歓びよ。(…ん?)
    http://www.youtube.com/watch?v=y4P7NqUxkxo
    【2013/01/16 19:35】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔 さん

    >例えば『人生の深淵について』辺り、読み返したいとは思わない。が、読み返さない事により何かが救われているという、見方次第では奇妙な読者が現に此処に居る。その事を著者なら逆に不思議がるかも。こちらとしては「読み返したくない」のではなく、読み返したくなるほどバテてはいないという「根拠なき矜持」が読書を遠ざけるのかも知れない。にもかかわらず「読書に近付いている」気分も同時に感じられてくるから困ったもんだ。<

    『人生の深淵について』は私は2~3回読み返した記憶があります。
    内容が見方によっては固いわりに、製本がソフトカバーなせいか、気軽に読める雰囲気を持ち合わせている作品だと思っています。(おそらく出版会社の意図的な戦略もあると思いますが)
    それとは関係なく、苹@泥酔 さんがおっしゃった「苹の場合、人生論の類は最も読みたくない本で、大抵は近寄り難い雰囲気に包まれている。それが文学への先入観を形成し、読む事それ自体を予め恐怖させる。」というお気持ちはわかるような気がします。
    私もどちらかというと「人生論」みたいな類はあまり読みたくない。ただし、人間の心理が発揚するような、辺境的でないこじつけのない言葉には、強い価値観を感じます。「人生論」はとかく「処世術論」に陥りやすく、多分本屋に並んでいるこの手の本のほとんどが「処世術論」だろうと思う。
    本屋に行って買うものがないという印象が生まれるのは、そのせいかもしれないと思っています。

    今朝テレビで、ディズニーとユニバーサルとハウステンボスの業績を知らせる番組(フジテレビ)があって、この3社いずれも業績がよろしいんだそうだ。ハウステンボスは長く赤字が続いていたが、大幅な方針転換が功を奏して、黒字になったそうだ。このなかでディズニーの創業者の社訓があって「ディズニーの夢は永遠に未完成である」であった。
    なるほど、これは良い言葉だなと思いましたね。よく考えてみるとこれもある種の「人生論」であって、ではなぜこの社訓には心が躍るのか。ちょっと考えてみたんですが、人生論というのは、結局他人の人生を邪魔したらダメだってことなんじゃないかと思うのです。
    大概の人生論は厚かましいほど土足で他人の人生に上がり込んでくる。とてもじゃないけどこんな奴の言うことなんて聞きたくもない。ましてやお金を出して読みたいなんて思うはずがない。
    ディズニーランドに行って心が躍るのは、そこで働いている社員一人一人が、未完成な自分の仕事を少しでも向上させようとする気構えがまずあって、ある程度向上してもそこに満足せず、再度未来に挑戦することを惜しまないからなのかもしれない。
    そんな個人の努力する姿に、来場者は感動するんだろうと思う。

    「人生論」はその意味で、鋭い峰に立ちながら厚く覆われた見えない頂上を目指す登山者のようなものなのかもしれない。
    そんなことを、ふと頭に描いた今朝でした。
    【2013/01/17 07:33】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    私も若き日の西尾先生、とても楽しみです。

    >あきんどさん
    人生論・・・・・身近なものが死んでしまうと、
    今まで思っていた人生観がうんと変わります。

    まったくぅ~~~~って。
    【2013/01/17 21:33】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    (再放送感想)
     昨夜は予定通り夜更かし。なれど…番組冒頭、衝撃の感想は「髪が××!」。
     それもその筈、「日録」では収録年(よりによって微妙な年齢?)を十年も間違えてるやんけ。期待して損(何をぢゃ?)…した訳ではないけれども、当時から既に要点を鋭く見抜いて居て、それを今いっそう緻密な次元へと高めてるんだナア、と。(←しみじみ。)
     …驚いた、と書くべきだろうけど驚かなかった。むしろ今に至る息の長いクレッシェンドの「まろやかさ」に調和と律動が美しく、二十年を遡ると推理小説の様にも感じられる面が。つまり論理の流れが通奏低音となって力強い旋律を下支えしている点、却って驚くには値しない。これを「当然の帰結」と云う。しかし実情、そこんとこが難しい。振り返れば何でもない事が、「地図のない」手探りの連鎖と見事に連なっている。難しさは驚きで解決できない。虚仮威しの書表現で、書の基礎や伝統がどうにかなるものではないのと同じ様に。
     そこが微妙な編集(?)で、或いは「どちらとも取れる」だろう放送になっていた気がするのには個人的な違和感が残った。例えば「結局、洋魂に成り切れなかったから日本人はダメなんだ」と言いたげな空気感(具体的には三番組連続録画時間1:46:01中、1:15:47以後二度の局側ナレーションと写真挿入を経た1:28:35迄の間)。収録者と編集者は云わば「最初の聞き手」で、彼らは自分達の理解に共感しながら仕事を洗練するだろう。そこに歪曲の自覚はない筈。不可避の理解が煮詰まって「理解が理解を超越する」雰囲気には、その後に問題化した「人間動物園」番組へと至る構造を先取る職業的美意識(?)の片鱗が窺えぬでもない。

    (別ネタ余談)
    http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1256#comments
     「日録」コメント欄(↑)の五番目が興味深く、閲覧者側の勉強にもなって有難い。苹の場合は先年どう考えていたか。こちら(↓)でのコメントを思い出しては、再考を繰り返してます。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/?no=1249
    【2013/01/19 21:41】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (再放送感想~追記)
     昨夜「論理の流れ」云々と書いた後、ふと忸怩たるものが脳裏を過ぎった。「何を教えるか」が問題なのではなく、「誰が教えるか」が問題なのではないか。余り考えたくない視点だが、現実生活の渭苹から匿名仮想の苹をネット上に抽出すれば、取り敢えず人格は洗浄される。(←その結果が抜け殻になるとしたら、どっちだ?)
    渭苹「九州大学の中野三敏先生が仰有るのと大差ない事を教えたつもりですが…。」
    校長「そんな事は問題にしていない。お前がそれを教えるな、という事なのだ。」
     …実際そう言われた訳ではないが、こう来られると弱い。返す言葉が出てこない。幸いにしてネット上では苹の言い分に共感してくれる人が居たとしても、現実世界に戻るのは不可能なのだ。~「ただのネットの受け売りじゃないか。」「あれを書いたのは私だ。」「そんな証拠が何処にある?」「ならば今の遣り取りを次の書き込みで考察してみよう。」「成り済ましとは、卑怯な奴だな。」
     西尾先生の場合は東大卒でドイツに留学、大学教授で中教審の委員にもなった。ご立派である。しかし(~西尾先生とは関係ない話だが)高校側での反応は「大学の先生は現実を知らないバカだ」となる(苹は十五年ほど前、直接この耳で聞いた)。高校は高校教員の縄張りであり、余所者に口出しされては甚だ迷惑。パワーとテリトリーを保守する仲間同士にとって、余所者は所詮「生まれながらの村八分」でしかない。言い換えるなら不自由そのもの。もはや論理の問題でも共有性の問題でもない。ここでは学習指導要領などを解釈する権利を誰が所有/占有するかが重要で、それを脅かす勢力は総て学校の敵、云わば抵抗勢力である。(新島襄なら何を思う?)
     そう予め承知しているなら、初めから仲間として協調/恭順し、心ならずも嘘を丸呑みするかの様に教えつつ、いつか発言権が得られる事を夢見ながら、黙って定年退職を迎える始末でさえ受忍する心構えが要るだろう。多分そんなものは誰も教わっていない(教員教育のタブー?)。だから自己消耗的な闇の覚悟なき教員は精神を病み、次々と現場を去っていく。その数や割合は二十年前と比べて今どうなっているだろうか。西尾先生は当時「あなたは自由か」と問うていた。普遍的自由(?)と個人的自由(?)の「ねじれ」が従来の接続/衝突から切断される時、ねじれの解消/潜勢は「ねじれ自体」を自由にするための犠牲に支えられるかも知れない。すなわち「自由は我々だけのものではない」(~或いは鳩山由紀夫的幻想?)。
    【2013/01/20 21:31】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    私・・・・・・見逃してしまったのであります(泣)。

    え?髪の毛もう〇〇ったですか???

    見たかったなぁ~~~誰かユーチューブにアップしてくれないかなぁ。
    【2013/01/22 21:45】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >え?髪の毛もう〇〇ったですか???
     はい、ごく自然に。十年の差は大きいみたい。でも…そうでなかった場合は(以下自粛)
     あと印象的だったのは、番組最初と最後のカメラ目線や決め台詞。本題とは全く関係ないけど、あれで連想したのがTVタックルの政治家時代劇でした。なぜ出演しなかったのか不思議に思える(もしや…出た事ある?)。今からでも遅くない。あの三宅先生も出てたんだから。でも三宅センセの場合は阿川嬢との漫才に近かったから、ちと毛色が違うのかも。確実に言えそうなのは、今のところ福地先生よりは似合いそう(動画参照↓)って事かしら?
    http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1257
     昨夜その「日録」(↑)を見たら、『WiLL』2013.3号に「安倍政権の世界史的使命」が載るそうな。件の有名なキーワードに仰け反った。そう来られると、西田幾多郎のを思い起こさずには居られない。確か以前に書いた事があったナ、と検索したら「2009/07/24 22:20」稿で言及してたんだっけ(↓)。そこにリンクした二つを読み返してから西尾先生の新稿と比較対照すれば、どんな感想になるのやら。今から楽しみにて御座候。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-775.html#comment

    (余談)
     失礼の度が過ぎると思って大晦日稿ではボツにしたけど、この際…続けて書いた一部も出しちまいます(↓)。此度あのネタになっちまった以上、毒を食らわば皿まで…(orz)。
    --------------------------------------------------------------------------------
     片や西洋では、ご婦人方に「禿頭がセクシー♪」と大人気だったらしいのが指揮者ショルティ。以下は西尾先生がドイツ行った頃の映像で当時52歳。尤も、演奏する側のVPOにしてみれば別の意味で大人気(?)だったみたい。(団員いわく…「殺してやりたい」)
    http://www.youtube.com/watch?v=2qhmqOmAdGU
     こんなのを出した後で、口直し(?)になるかどうか…。取り敢えず「日録」旧稿発掘でも(↓)。
    http://www.nishiokanji.jp/blog/?m=200601
     兎にも角にも年末は、『正論』2013.2号の「のらりくらり」云々を読んだところ、こちらで書いた「2009/04/19 20:35」稿の後半も読み返したくなった苹でありました(↓)。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-723.html
    --------------------------------------------------------------------------------
     …思い浮かぶはR・シュトラウスの楽劇。エレクトラ登場の直前、第五の下女が歌う。
    Sie schlagen mich! (皆が私のことをぶつ!)
    【2013/01/23 01:48】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    苹@泥酔さんも、うさねこさんや西尾先生と同じくらい、
    記憶力がいいですね。

    私は自分が書いたものも、全部わすれちゃっています。
    【2013/01/25 21:25】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >奥様

    イヤミっぽく聞こえたらごめんなさい。

    >苹@泥酔さんも、うさねこさんや西尾先生と同じくらい、
    記憶力がいいですね。

    そんな先生も今回の収録だけは、何を語ったか忘れてしまったと、おっしゃってましたね。

    わたしなんざ、日録でこの知らせを見て、タイマーまで回しておきながら、うっかり忘れちゃって、気づいたときには翌日(まるまる24時間経過)になっちゃってました。
    だいいち携帯電話のタイマーが誤作動で鳴らなかったし、その前に携帯電話は家にいる時どっかに置きっぱなしにしちゃうし、まったくもってなってません。

    「観る気あんのか?!」と叱られても仕方ありません。

    どなたかユーチューブにアップして・・・お願い。
    【2013/01/30 13:16】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    >あきんどさん
    私もユーチューブ探し中です。

    私もしょっちゅう、携帯を不携帯で叱られます。
    意味ないよ!って・・・・・・。
    【2013/01/30 21:13】 URL | 奥様 #- [ 編集]


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