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    育鵬社サイドからの返事
    つくる会が盗作問題を正面にすえ、育鵬社側に解決のための話し合いを求める申し入れを行った。ご存知の方もあると思うが、これは10月30日が返事の期限だった。30日、育鵬社側からもう一日返事を待ってくれとの連絡があったというので、かなり内部でも意見が割れたものと見える。なかなか一つのまとまった返事をだすまで、もめたのであろう。なにしろ四者がまとまった意見にならないといいけないから・・・・。

    で、とうとう返事がきた。つくる会側がその返事に対して、どういう次の手を打つかは私は知らないけれど、小山先生が分析を書かれたので、許可を得て転載する。

    私自身、全文を読んだわけではないが、大まかな流れを読むと、彼らは結局話し合いの拒否という形は取れないので誤魔化しているが、盗作に関してとにかく一言も触れられたくないということがはっきりしている。

    つまり、完全な敗北宣言であるとも言えると思う。

    「『盗作問題』解決のための話し合いの申し入れ」に対し、
    話し合いの申し入れだけに応える・・・・とは、どういう日本語の解釈をしているのだろう。

    日本人は争いを嫌う国民だと思う。
    だから、今回の保守同士の争いを苦々しく思い、なるべく考えないようにしている人も多いんじゃないかと思う。
    でもこれは保守とか、主義とか、そういうことじゃなく、
    文明と野蛮の戦いのようなものだと思う。



    一、育鵬社は話し合いの申し入れを受けたのか断ったのか

      既に報告したように、「つくる会」は、育鵬社社長久保田栄一、執筆者代表伊藤隆、日本教育再生機構八木秀次、教科書改善の会屋山太郎の四氏に対して、10月23日付「『盗作問題』解決のための話し合いの申し入れ」という文書を送った。
      *この文書は、最後に資料として掲げたので、ご一読されたい。 

       これに対して、10月31日になって、4者連名で、10月30日付「10月23日付の貴信に対する返信」が送られてきた。この内容について簡単に紹介しておきたい。無視されるか、育鵬社の真部編集長名による返信しかないと思っていだけに、四者連名で回答してきたことは意外であった。

     この文書は、最初の挨拶文を除けば、5つの部分からなっている。5つの部分に見出しを付ければ、次のようになる。

    ①不幸な事態の改善のための話し合いなら応じる
    ②互いに切磋琢磨していくことこそ教育再生の道
    ③貴会の不当な非難にも隠忍自重してきた
    ④「盗作問題」でも貴会の非常識な行動にも隠忍自重してきた
    ⑤貴会申し入れから「『盗作問題』解決のための」を削除したら話し合いに応じる 
     

     ⑤の見出しから分かるように、四者は、本音では話し合いを拒否したいということが明確に分かる。だが、自分から拒否するのはまずいと考え、原則的には話し合いに応ずるという立場を表明している。

      以下、順番にこの文書について紹介していこう。①の部分では、最後に「両者にとって不幸な今日の事態の改善を求めての話し合いならば応ずることとし、返信することにいたしました」と述べている。すなわち、原則的に話し合いに応ずると言う立場を表明したのである。

      その上で、②の部分では、まず「貴会が発足当初にかかげられた教科書改善の志に共感するものであり、創立当時から貴会と教科書改善運動の発展に寄与された先生方の功績は教科書改善運動史に記録されるべきものと評価しております」と「つくる会」を持ち上げる。そのうえで、育鵬社版教科書と自由社版教科書が「子供達のためのよりよき教科書となるよう互いに切磋琢磨していくことこそ、教科書改善運動の前進と危機に瀕している我が国の教育の再生に寄与する道であるとの信念のもと今日まで真摯に努めて参りました」と一応尤もなことを述べる。

      しかし、一転、③の部分では、「つくる会」への攻撃に転ずる。八木氏らは、勝手に中国社会科学院を訪問し、〈藤岡氏が平成13年まで日本共産党に党籍を置いていた〉という偽情報を広げて藤岡氏追放を図って失敗した挙句、引き留められたにもかかわらず「つくる会」を出て行った。八木氏らが「つくる会」分裂騒動を引き起こしたことが、全ての発端である。分裂後も、教育再生機構側の多数のブログが、藤岡氏らに対する個人攻撃を執拗に行い続けてきた。これらのことを棚に上げて、「つくる会」から数々の不当な非難を受けてきたとしたうえで、③の最後を「貴会に対する批判や反論はさけて沈黙を守り、ひたすら隠忍自重して参りました」と締めている。

     そして、④の部分では、盗作問題でも「つくる会」の不当な行動に対してひたすら隠忍自重してきたと述べている。④の部分は全文引用しておこう。

    ④「盗作問題」でも貴会の非常識な行動にも隠忍自重してきた
     今回の「申し入れ」に至る過程において貴会がとられてきた私共に対するいわれない盗作を前提とする様々な措置につきましても、それが物事の解決を求めるための順序・段階を無視し、話し合いの相手に対する敬意を欠いた行動の連続であって、遺憾であると言うほかないものであることは明らかでしたが、私共は、やはり同様の姿勢を貫いてきた次第です。

      何と、ここでようやく盗作問題に対する言及が出てくる。しかし、ここでも「つくる会」に対する非難を行っている。傍線部の「物事の解決を求めるための順序・段階を無視し、話し合いの相手に対する敬意を欠いた行動の連続」とは、何を指すのだろうか。我々は、いきなり昨年秋にでも「つくる会」として社会に対して盗作問題を公表することも出来たのだ。だが、できるだけ保守の内部で解決したいと思って、また執筆者自身が盗作問題について考えて自発的に謝罪する道を模索して、今年の六月までは私を中心にした個人が追及する形をとってきたのである。いわば、情けをかけ続けてきたのである。一体、この手順のどこが「物事の解決を求めるための順序・段階を無視し、話し合いの相手に対する敬意を欠いた行動の連続」なのであろうか。
     
      ともかく、③④の部分で「つくる会」を非難した上で、4者は、⑤の部分で次のような条件付きで話し合おうと提案している。その条件とは、「つくる会」は「『盗作問題』解決のための話し合いの申し入れ」というものを行ったわけであるが、「『盗作問題』解決のための」を削除してくれというものである。

    ⑤貴会申し入れから「『盗作問題』解決のための」を削除したら話し合いに応じる    以上、前置きが長くなりましたが、貴信における「話し合いの申し入れ」に対する当方からの回答をさせていただきます。
      私共4者は、教科書改善運動の前途を考慮し、貴信の「話し合いの申し入れ」を拒否することはいたしません。私共は、育鵬社版教科書、自由社版教科書が、適切なルールに則り共存共栄していく道を話し合うことこそ、今日の不幸な関係という「問題」を解決するための最善の方法と考えます。従って、貴会の申し入れから、貴会がいう「『盗作問題』解決のための」を削除していただくことを、話し合いに応じる前提条件として、貴会の会長の指導のもとにすみやかに実行されることを求めます。この条件が実行されない場合は、残念ながら当方として話し合いに応じられないことを申し添えます。 

      こちらは、盗作問題について話し合うために申し込んだのに「『盗作問題』解決のための」を削除せよと言うのだから、四者は話し合いを断ったと捉えることも出来る。

      しかし、この文書は、「貴信の『話し合いの申し入れ』を拒否することはいたしません」と宣言している。「『盗作問題』解決のための話し合いの申し入れ」から「『盗作問題』解決のための」を削除せよと言っているだけである。「『盗作問題』解決のための」を削除すると、「話し合いの申し入れ」となる。この話し合いには応ずると、4者は言っているのである。4者の文書を見直してみよう。①の部分では、「両者にとって不幸な今日の事態の改善を求めての話し合いならば応ずる」と述べている。⑤の部分でも、同様に、「今日の不幸な関係という『問題』を解決するため」の話し合いならば応じたいと述べている。「不幸な今日の事態」あるいは「今日の不幸な関係」の最大原因は、育鵬社が盗作教科書をつくったことである。それゆえ、4者の文書は、「今日の不幸な関係という『問題』を解決するため」に、盗作問題を初めとしたあらゆる問題について話し合う意思の表明であるとも理解できよう。

      この後者の理解に基づき、育鵬社側と「つくる会」側が話し合うことこそ、教科書改善運動を再建する道である。その様な話し合いが持たれることを、私は期待する。

     二、自分たちに百%理がないことを承知している育鵬社サイド

      何一つ反論できない育鵬社サイド

      肝心の話し合いを受けいれたのか否かに関しては、以上のように捉えることが出来る。しかし、この文書は、盗作だと指摘された側の文書としては、極めて奇妙なものである。全部で1460字ほどの文章を書きながら、盗作問題については「私共に対するいわれない盗作」だというだけである。なぜ、「いわれない盗作」だと言えるのかは、全く書かれていない。『新しい歴史教科書』扶桑社版は共同著作物であり、自由にリライトしてよいのだという主張ぐらいしてくるかと思っていたが、そのような主張もない。

      それに、「いわれない盗作」と本当に思っているならば当然に出てくる怒りも、この文書には感じられない。通常、「いわれない盗作」を指摘されたならば、反論を行い、名誉棄損だと抗議するだろう。四者は、反論もしなければ名誉棄損だと主張することもしないのである。自分たちに百%理がないことを承知しているからであろう。別の言い方をすれば、この盗作問題で裁判が行われればほぼ確実に敗訴することを悟ったのであろう。 
     
      にもかかわらず、育鵬社サイドは、盗作した側としては、随分と偉そうである。どこかで、我々を未だに舐めているようである。なぜか。それは、「つくる会」との戦いにおいては、マスコミも権力も左翼も保守の多数も全てが自分達の味方になると考えているからであろう。戦後レジームを墨守したい人達の連携が成立しているとも言えよう。

      例えば、マスコミは、これほど大規模な盗作事件を目の当たりにしても、基本的に沈黙を守っている。また、教科書ネットを初めとした左翼も、育鵬社盗作問題を百も承知していながら、決してこの問題を追及しようとしない。育鵬社の地図等が盗作だというような攻撃は盛んにしながら、単元本文の盗作は決して指摘しようとしないのである。地図等について攻撃されても育鵬社には大して打撃とならないが、単元本文の盗作問題を指摘すれば育鵬社が滅亡するかもしれないと考えているからである。

      育鵬社や八木氏らは、教科書ネットを初めとした左翼やマスコミに自由社の年表問題を教えた。その恩に報いるために、教科書ネット等の左翼もマスコミも育鵬社を守ろうとしているのである。
      
     哀願するなら、謝罪から始めよ 

      とはいえ、育鵬社や日本教育再生機構は、滅亡寸前でもある。そのことを半ば分かっているから、「適切なルールに則り共存共栄していく道を話し合うことこそ、(中略)最善の方法と考えます」と悲鳴を上げ、自分達が存在することを許してくれと「つくる会」に対して哀願もしている。

      「つくる会」を年表問題で刺し殺そうとしたのはどこの誰だったのか。日本教育再生機構や育鵬社ではなかったのか。年表問題を左翼やマスコミに売ったことは、そこまでやるかということではあっても、悪事ではない。しかし、年表問題を指摘したからには、彼等には、大きな責任が生じている。丸ごと盗作問題を「つくる会」から指摘されたからには、盗作ではないことを証明するか、盗作であることを認めて謝罪する義務が彼等にはあるのである。そのような道理が分からない人たちに『13歳からの道徳教科書』などつくってほしくないと考えるのは私だけであろうか。

      更に言えば、盗作を認めて謝罪することもしない人たちが、「適切なルール」などと言うのは恥知らずとしか言いようがない。「適切なルール」を言うならば、すぐに責任者に対する処断を行い、謝罪と賠償を「つくる会」と執筆者に申し出た上で、裁判しないでくれ、告訴しないでくれと頼みこむべきであろう。社会的制裁をきちんと受けて初めて、彼らの生き残りの道が少しは開けてくるかもしれないと心得るべきである。謝罪も出来ないようであれば、教科書改善運動を担う資格はないと断言しておこう。

     その他、この文書に対しては、言いたいことが山ほどあるが、このあたりで筆を擱くことにする。

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    【2012/11/05 21:03】 硬めな話題 | TRACKBACK(0) | COMMENT(11)
    この記事に対するコメント

    教科書問題というのは、どこか拉致問題と扱いが一緒にされるイメージが私にはある。
    全然別個の問題なのに一緒くたにされている。何故なんだろう。
    しかも盛り上がった時期も似ていて、2000年あたりがピークだった。
    下手をするとこの両者は、過去の出来事として扱われ始めているようにさへ思えてくる。
    教科書問題に熱心な奥様には失礼な言い様だが、これが日本の国民意識の実態ではないかと思ってしまうのだ。
    拉致問題でさへ、今後どのように盛り上がりを期待すればよいのか、なにか今までにない大きな壁にぶち当たっているイメージが拭えない。

    申し訳ないことを口にするようだが、国民は半ば諦めかけている。
    この最大の原因は、国民一人一人の体力と認識力の低下が大きいように思う。
    そして最大に影響を及ぼしているのは、国政に期待が持てない国民層の増大ではないかと思う。
    簡単に言うと、みんなくたびれているのである。

    玉音放送で始めて陛下のお声を聞いたという、当時の国民の声は有名である。
    陛下の存在は認識しているが、その実態は明らかではなかった現象だと言える。
    現代人はこの点を忘れてしまっている。
    私が再三「知りすぎることの悪材」を訴えるのはこの現象を例に認識して欲しいからだ。

    私事で申し訳ないが、ネットに復活して以来、自分は何故か文章に味気が無くなったように思えてならない。どこか蛻(もぬけ)の殻のような書き様なのだ。
    良いも悪いも含めて、あきんど節はどこか他人に響いて、何かの始発点になるきっかけを生んできた自負が昔はあった。
    でも今はそれが衰えてきたように思えてならない。その原因の一つに、知りすぎる弊害が絶対存在していると思う。
    そしてもう一つは、お盛んだったオピニオン系のサイトが、かなり低下現象であることが大きいと思う。みんな殻に閉じこもってしまって、立ち位置を明らかにしようとする意識ばかりが目立って(本人はそんな意識が無くとも、他人にはそれが見えてしまう)、互いに相容れない印象がある。

    このイメージがどこか今の自民党とだぶってしまうのだ。保守層といえど、今の自民党を真から応援できない心理が働くのは、もしかするとネット界のオピニオン系の停滞とリンクしているのではないかと想像してしまう。
    2005年あたりから過激な保守層を自負する在特会というグループが世を賑わせてきた。
    詳しくはわからないが、かなり目立っている団体である。
    彼らの行動が善い悪いではなく、私には彼らの存在は保守の顛末に思えるのだ。
    ある意味彼らは保守の映し鏡ではないかと・・・。
    その証拠に見ていてかなりスッキリしてしまう自分がいる。しかし同時に「オイオイ」と言いたくなることもシバシバ。

    けして自分が正しいなんて思わないが、国民の意識をかじってみると、なんだかそんなエキスが口の中に溢れてきそうな感じはする。

    結局私は古臭いのかもしれない。オギャーっと生まれて10年も経たないうちにヨボヨボ婆さんの話が面白いことに気づくくらいだから、よっぽどどこかが違うんだと思う。
    多分子供の頃から、聞かされることには抵抗が無いが、読まされることには得手ではなかったんだと思う。だからいまだにその傾向は随所に出る。
    そんな私があの分厚い『国民の歴史』を自ら購入し感動したことは、奇跡に近いわけだ。
    そんな例も参考にしていただけると、保守層にもまだ未来はあると断言できるだろう。

    (断定口調の文章であることをお許し下さい)

    【2012/11/06 06:49】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    >あきんどさん
    ネット環境が変わりましたねぇ。

    でも知っていますか?ブログランキングというのがあって、
    その人気ベストテンの中はほとんど自虐史観反対のブログですよ。

    教科書問題も拉致問題も、もはや専門的な分野ではなくなり、常識の中に食い込んできた問題になったのだと思います。

    だから、盛り上っていた時期より、今の方が本当の理解者は多いのではないかとおもいます。拉致と教科書、これは別個なもののようでいて、日本という国のていたらくを示す別の側面であって、本質は一緒なんです。

    たった一度の敗戦で主権を忘れ、自国民の防衛を忘れ、歴史認識を押し付けられた。

    大丈夫、国民は今忘れたようでいて、諦めたようでいて、決してあきらめていないと思います。

    【2012/11/06 21:32】 URL | 奥様 #- [ 編集]

    書評です。宮崎正弘氏の
    そうだったのか。中国人の行動様式は白アリなのか
      土台を食い尽くし他人の家を壊して知らん顔の自己愛主義

      ♪
    西尾幹二、青木直人『第二次尖閣戦争』(祥伝社新書)
    @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

     或る会合の帰り、西尾さんからいただいた本書を、翌朝、羽田発熊本行きの全日空機機内で拡げた。飛行時間一時間30分ほど。睡魔が吹き飛んで一気に読み終えると機体は熊本空港に着陸した。
    まさに時宜を得た内容に溢れ、面白く、且つ有益だった。
    議論は多岐にわたり、もちろん尖閣問題のことが俎上にのっているが、西尾氏が大きく取り上げているのは満州問題である。
     つまり日中の対立は満州事変の延長にあるという歴史認識を前提にして論議が展開されている。
    石原莞爾と同期生だった長野朗は、戦前に多くのシナ研究の書物を著し、いずれもベストセラーになった。
     長野朗は或る著作のなかで「満州事変前の漢民族の満州侵略」をいうチャプターを設け、現在の東北三省(旧満州)は、もとより漢族の土地ではなく、「漢民族が侵略した土地」という歴史の真実を問うた。
     日本がでていく以前「清朝の時代に大勢は決していた」のであり、「蒙古人、朝鮮人、ロシア人、日本人が入ってくる前に、漢民族は白アリが建物の土台を食い尽くすように満州の台地に入り込んで、住み着いて、支配階級であった満州人を圧迫し、事実上そこを左右していた」
     シナ人は「生存するためには何でもする生命力を持っていて、利己的で、愛国心のかけらもないのだけれども、漢人として不思議な集合意思を持っていた。いまの中国人と同じです」(西尾)。
    すなわち「不思議な集合意思」とは「白アリ軍団のようなわけのわからぬ集合意思」だ、と西尾氏は本質を抉る。
    「膨張し拡大する白アリ軍団の進出には、理屈も何もないので、いわば盲目の意思があるのみである。満州事変は終わっていない」
    と続けるのである。
     評者(宮?)もかねてから主張してきたように、中国には「戦略がない」。あるのは、個人の、あるいは企業連合の、あるいは陸軍の、海軍の、総参謀本部の、それぞれの戦略らしきものがあるが、国家としての整合された国家意思がない。
    だから軍人タカ派は「尖閣を上陸して乗っ取れ」と獅子吼し、或る政治グループは「小日本など問題にするか」と唱え、太子党の大半は「日本から絞るだけ絞って儲ければ良い」と嘯く。
     レアアースが金になると言えば群がり、風力発電に補助金がつくといえば群がり、皆が反日だと言えば便乗して強盗、略奪をはたらく。まさに白アリ軍団であり、いやイナゴの大群であり、その瞬発的破壊力を前にしてはなす術もないのが、現実である。
     共産党ですら群衆の蜂起、暴動には対応しきれず、自らが白アリであるにもかかわらず、他の白アリ軍団の通過を待つという具合なのだ。
     尖閣戦争の論議はシナ人の本質を抉るところへ発展し、西尾氏の対談相手の青木氏は、その具体的データをずらりと本書でも開陳している。
              
    【2012/11/07 19:29】 URL | bunn #- [ 編集]


    >bunnさま
    いつも素早く書評を見つけてくださり有難うございます。

    まだ読んでいないので、とても楽しみです。
    【2012/11/07 21:42】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >奥様
    >教科書問題も拉致問題も、もはや専門的な分野ではなくなり、常識の中に食い込んできた問題になったのだと思います。

    たしかにそうなんですが、一方でこれ以上どう策を練ったらいいのかという、見えない壁にぶち当たっているのも事実ではないかと思うんです。
    皮肉な言い方をすれば「埒(らち)があかない」わけです。
    多分諦めているんじゃないのでしょう。でもあんなに盛り上がった自分がどこへいってしまったのだろうという思いは、共通にあるんじゃないかとも思うわけです。

    たしか当時西尾先生がこんなコメントを語っていたかと思います。

    「拉致問題で日本人の意識は変わったと言われるが、私はそうは思わない。日本人はちっとも変わっていないのだ・・・云々。」

    当時は「そうかなぁ~そんなことないと思うんだが・・・」と、私も少し反論しかけたんですが、でもちょっと待てよ、確かに今自分はこのニュースを、お茶の間番組の延長線上で見てはいないだろうかと、自問自答した記憶があります。
    先生はそんな日本人が相当数いることに気づいていたのではないか。
    問題の本質を痛感している国民は、実は少数であって、いわば当事者に近いものだけが、本当の困難さを理解していて、その他大多数の国民はこのあとどうすればベターなのか、全く暗中模索していたのではないか。更には、自分だけは何かを見抜いているような錯覚さえあって、実は何もわかっていないのが現実で、あらゆる場面を他人事のように見ている本質があることを忘れていたのかもしれない。
    ただ、この事件がもたらしたもののなかに、日本人の戦後の油断があったこと、政治と普段の生活がこれほど一体となっていたことには痛切に反省し、そしてそこから前に進むことが困難であることも痛感し、自分の歴史認識に何らかの形でこの事件が刻まれたことは間違いない事実だと思います。

    多分先生は「油断」をまず言いたかった。それは間違いなかったとおもう。
    そしてその油断は今も我々の目の前に存在し、その代表的な例が「男女参画問題」であることを訴えて、日本人がいかに数々の失敗を重ねているかを本にまでしてましたね。
    【2012/11/08 15:42】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    >あきんどさん
    日本って、案外劇的に変化したりする国です。

    大丈夫、厚く高い壁が必ず壊れるときがきます。
    【2012/11/09 16:18】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >奥様
    >日本って、案外劇的に変化したりする国です。

    そうなんですよ、その通りなんです。
    確かに日本国民の特質として「劇的変化」はあるんです。
    じゃぁ何がどのように劇的変化するんだぁ~みたいな疑問もあるでしょうから、具体的に説明するしかありません。
    戦後の我々国民は色んな生活形態の成長を目の当たりにしてきました。こういう状態の時はどんな国でも国民はいわゆる保守的な立場になります。現在ある政治に対しても賛成する意味での保守です。ところが、一端国力や経済的なパワーを失うと、普通の国ならあっという間に反政府勢力が芽吹いて、厄介な運動を立ち上げてしまいます。でもそれはある意味自然な流れです。
    そういった他国には当たり前のように起こる反対勢力が、真の意味で日本には起こらないのが、日本の特質だと私は思います。
    勿論、左翼だとか又はそれがテコ入れしている団体だとかはありますよ。でもそれは決定的なパワーではなくて、他国の左翼思想をレンタルしながらどうやって国内で生きながらえることができるかに執着した団体であって、本質的に真っ赤っかかどうかは、秋の椛の真ん中にでも立ってもらえば、いかに彼らは赤くないかが判明できるのではないでしょうか。おそらく彼らは今「偽左翼」ですよ。

    それはさておき、日本の一番の問題は、「保守」というものが一足束ではくくれなくなってきたってことです。
    西尾先生は「少しの違いが大きな違い」という表現で、保守にも枝葉があることをおっしゃっていました。いや、枝葉というのは間違いかもしれません。幹が違うと言うべきかもしれません。
    ではなぜこんなにも「保守」が多発しているのか、そこが問題です。
    教科書問題(育鵬社とつくる会)だってその現象の一端です。
    いまや左翼との戦いではなく、同朋戦争に発展しているのが現実です。
    ネット界もおそらくそんな図式ではないですか。

    ここに私は「油断」を感じます。
    保守層という言葉にどこか安心感を感じてしまっているところはありませんか。
    そして一番問題なのは、我こそは真の保守なんだ、みたいな意識がどの団体にもあって、厄介なのはその意識に基準がないため、物差しで測れない現実です。
    盗作問題はそれとは違うテーブルに乗せるべき問題かもしれませんが、根っこがこんな問題を含んでいる限りは、無視できない注意点であります。

    どんな保守層も天皇陛下の下に思想を預けている部分は間違いなくあります。
    しかし、天皇陛下が絶対かどうかは分かれるでしょう。
    私は歴史的に判断して、有史以来どんな時代の日本も、二重構造的政治体制が維持できたことに、価値があったと思う立場です。
    何故なら、天皇陛下が政治的責任を負わない構造だったこと、これが日本の弾力性につながり、国民の安心感の賜物だったのは間違いないことであって、時に天皇が政治に介入しようとしたときは、国民政治がそれを拒否することも現実的にあって、でも真の政治の中心は天皇であることも認識していたのは間違いないことで、この日本独特の王政の在り方こそが、他国では絶対真似のできない政治体制だったと言い切れるでしょう。

    ですから、国民意識の出発点は、間違いなく日本の天皇制にあります。ここの安心感がどれほどの効果があるかを、おそらく保守層はわかっていて、共通意識であるのは間違いないわけですが、しかしだからといってすべて皇室が正しいというのはナンセンスであることをどのくらい許容できるかで、保守層が分断する現実がここで明らかになりつつあるように思うわけです。

    西尾先生は、再三昭和天皇の戦争責任の存在を訴えています。昭和天皇に戦争責任が無いという保守には、特に強く訴えています。私も間違いなく昭和天皇には戦争責任があると思っています。仮にどんな政治状況であっても、日本の二重構造である政治体制の真意は、最終的には天皇陛下が一切を負う立場であります。しかし、一方で天皇制を維持しなければこの国は成り立たないことも国民は熟知」しているわけですから、その下部層が犠牲を払うことで日本の天皇制の維持を保つことが、歴史上現実に守られてきたのも事実です。

    さてここで一番最初の「日本人の劇的変化」を取り上げなければなりません。
    日本人がどうしてこんなにも逆境に耐えられるような国民性になったのか。
    それは様々な要因があります。私のネット友人にこなさんという方がおります。彼は理系の先生で、彼が言うには、日本の自然環境が日本人をたくましくしているとおっしゃっています。
    季節を通して日本は災害が間違いなく起こる自然条件の下にあり、ここで経験した日本人の知恵は素晴らしいものがあって、そうした環境の中で現在あらゆる面で技術が発展し、国土を維持してきたと語ったことがありました。
    まさしくそうでしょう。日本は素晴らしい自然環境を得ると同時に、厳しい自然環境も同時に内包しているのです。
    そんな条件下を一番憂いでいるには天皇陛下であられるわけで、災害になると逐一ご訪問され、犠牲者に安堵を分けていらっしゃるわけです。
    これこそが、日本人のパワーの原点なんです。天皇陛下はどんな時代でも事態でも、国民にパワーを与えてくださるわけです。しかもその姿は実に控えめで・・・。

    昭和天皇が戦後全国を回られて、直に国民と接された事は有名です。
    でもおそらくそれを反対する者もいたはずです。
    多分私は反対した者の方が正しい判断だったと思います。
    でも昭和天皇はそれをも押し切って決断されたのではないかと思います。
    ここから天皇家のお姿が具現化していくわけです。

    私は戦争というのはそこに何かが集約されているように思います。
    その戦争と比べるともっともっと小さな戦争が、普段の私たちの身の回りに起きているわけで、会社内でのいざこざや、学校内でのいざこざも、本質は一緒でしょう。
    天皇陛下はそんな小さな我々の環境にさへお気持ちを注いでくれます。
    多分、陛下には国民の苦しみに段階はなく、すべての苦しみも喜びも同等なんでしょう。
    そうしたお気持ちが国民なら理解できる構造になっていること。ここに国民の精神の集中が存在しているのではないでしょうか。

    皇室がもっと安定すべき理由はこうした条件があるからこそだた私は思います。
    【2012/11/10 01:34】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    >あきんどさん
    今日、皇居の勤労奉仕に行ってきた人の話しを聞きました。

    長い皇室の歴史を持つ日本人にとって、理屈ではない潜在意識のところで、
    大切にしなくちゃいけないなぁ・・・・という気持ちになります。
    そして、天皇陛下のお言葉の話を聞いているうちにジーンとなりました。

    保守同士で仲間割れしてるばあいじゃない・・・・とよく言われますが、
    私は、手段が汚い人たちとは一緒に協力なんかしたくないと思っています。
    日本人は清らかでなければ・・・・・・・。

    甘いでしょうか・・・・。
    【2012/11/10 22:16】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >奥様

    西尾先生の著書に「人生の価値について」という作品があります。
    実は数日前この本を取り出して、久々に読み始めたんです。
    すると本の一番最初にこんな言葉がありました。

    <引用開始>

    「われわれの力の及びうる範囲内にあるもの」と「われわれの力の及びうる範囲内にはないもの」とはどこで、どのように区別すべきか。
    あらゆる人間に後者を前者ととりちがえることから自由の錯覚が生じる条件が与えられている。
    古代のエピクテトスは奴隷であった哲学者として有名である。
    彼の『提要』を読んで、自分の考えている自由の条件がいかに生ぬるいかを悟った。
    奴隷でありながら「おのれのよくするがままに生きるのが自由(エレウテリーア)である」などという王者のような言葉が吐けるのはどういう心の条件を満たしているのであろう。

    (中略)

    <ここからはエピクテトスの箴言です>
    「何ごともについても、『わたしはそれを失くした』とは決して言わないがよい。むしろ『それを返した』と言うがよい。子供が死んだのか。いや、取り返されたのである。妻が死んだのか。いや、取り返されたのである。『だが、それを奪った奴は悪い』。しかし、それを与えたもの「神」がだれを介してそれを取り返したのかということは、君にとってなんの関わりがあるのか。かれが君にそれを与えているかぎり、それを、よそものとみて、気を配るのがよい、ちょうど旅人がその仮の宿に気を配るように」

    わかりずらいかもしれませんので、具体的に言いますと、例えば職場にどうしても自分を理解してくれない上司や仲間がいたとします。そんな仲間とどうやって仲良くなれるか、日々心痛することは、多くの方が経験することです。
    良かれと思って厳しい言葉を言い交わしたり、時には上司に歯剥いたり・・・(いてて、それ私だった・・・)
    エピクテトスは奴隷という絶対的立場であったため、生ぬるい我々のような生き方にない。そうした環境が生んだ哲学であることは想像できる。
    しかしそれだけで人間の心が納得するとは限らないことも西尾先生は示唆していて、ここからが凄いのだ。

    「もし善の本質がわれわれの力の及びうる範囲内にあるものにぞくするならば、羨望や嫉妬のおこる余地はない。君自身は、将軍とか支配者や執政官とかにはなりたがらず、自由人になりたいと思うだろう。自由人になる唯一の道は、われわれの力の及びうる範囲内にないものを軽蔑することである」

    すごいですよね、この決断力。そしてその心理の洞察力。

    ですので・・・
    >保守同士で仲間割れしてるばあいじゃない・・・・とよく言われますが、
    私は、手段が汚い人たちとは一緒に協力なんかしたくないと思っています。
    日本人は清らかでなければ・・・・・・・。

    >甘いでしょうか・・・・。

    という奥様の問は・・・
    『決してあまくありましぇ~~~~っん』
    と、叫ぶ他ありませんね・・・。
    【2012/11/15 20:20】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    ちなみにですが・・・こんなのがありましたのでご覧下さい・

    http://systemincome.com/main/kakugen/tag/%E3%82%A8%E3%83%94%E3%82%AF%E3%83%86%E3%83%88%E3%82%B9
    【2012/11/15 20:35】 URL | あきんど #- [ 編集]


    >あきんどさん

    ありがとう~

    人間の思想というか、哲学というか、昔の人が遅れていて、現代の人が進んでいるってことは決してありませんね。現代の人は昔の人の言葉を学習して進歩?していてもよさそうなものですが・・・・・・。

    西尾先生の本は書かれた時期がたとえ古くても新しいです。
    【2012/11/15 22:25】 URL | 奥様 #- [ 編集]


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