奥様
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    恥ずかしながら、古事記を通読したことがなかった。

    最初のあたりで躓いてしまった。
    何しろ、名前が覚えにくい。
    でも、覚えなくっていいんだそうだ・・・・・

    今年は古事記編纂1300年にあたるそうで、
    産経新聞でも特集が組まれている。

    二つの本を並行して読んでいる。

    神話が削除されてから、日本はやはり魂を奪われたように、
    ふらふらとしているのかもしれない。
    ユーロ圏でドイツがギリシアを見捨てられないのは、
    ギリシア神話に縛られているからだ・・・と聞いた。
    神話という根っこを抱くことで、
    共同体は結束するのかもしれない。

    神話の部分は教科書にはなるべく入れてはいけないようだけれど、
    建国の言い伝えは歴史の始まりそのものだと思う。


    今からでも遅くない・・・・
    おもしろいですよ。
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    【2012/07/08 21:24】 読書からの連想 | TRACKBACK(0) | COMMENT(74)
    この記事に対するコメント

    「神話」というものには、本当に謎めいた「力」を、私は感じます。
    私の場合、神話というものを意識したのは、36歳の時です。それまでは全く意識の外側にありました。36歳の時、私は人生のターニングポイントを掴みました。
    まず一つ目は会社の代表になったこと。もう一つは手術を受けた事。
    どちらも当時の私には「小さな出来事」としか受け止めていませんでした。
    生意気な言い方をすれば「これくらいのことは人生の中で普通に起きうる現象」だと思っていたわけです。ですから、さほど迷いもなく決断しました。手術は喉の唾液の管の中に溜まった石を、アウトサイドから除去する手術で、一応全身麻酔での手術でした。
    場所がもっと浅ければ、腔内からアタックできるそうですが、私の場合は深い場所に石があったので、喉を直接切って除去する方法となりました。
    この時の色んな面白いエピソードもありますが、ここでは省かせていただきます。

    手術から間もなく私は会社の代表を受け継ぐこととなります。喉に包帯を巻いて店舗の移転をしたり、仕入先に出向いて商品の選別をしたり、さらにはこの移転の2ヶ月後には3番目の子供が生まれたり・・・などなど、とにかく36歳の時の私は、かなりアグレッシブな生き方をしていました。
    しかしその反面では、徐々に自分の生き様とだぶらせながら、人間の「弱さ」というものにも意識が生まれ始めていたように思います。
    社会人になってからは、とにかく弱音を吐くことに一番抵抗感を感じながら来ていましたので、いざこうして人生の岐路に近いものと出くわしますと、要求するものが違うステージに移ってしまったような感覚を覚えましたね。
    それは「弱さ」と「強さ」が両存する、何かしら未体験な感覚でした。

    今考えますと、この経験がとっても重要だったんだなぁと思うんです。
    この下地があったから「国民の歴史」と出会った時に、自分の視線がこの本に向けることができたんだと思っています。
    そんな流れから、私の神話との出会いは、36歳が起点だったと思っているんです。
    40歳の時、脊髄の病気が私を襲った時、がむしゃらに「国民の歴史」を読み返しました。
    そうすると、そんな人間にはこの本が、見事なまでに色んな答えを提供してくれるんです。
    考えてみると、単なる歴史記述本ですよ。でも、多分私にはあ本の「厚さ」が一番のポイントだったと思います。日本の歴史を知るということは、この分厚い本を読み切るということなんだ・・・という感覚で購入したわけです。

    その以前から、なんとなくですが、私の祖先の話は誰それとなく聞かされていて、祖先は『賀茂族』だということで、それを聞かされても関心は全くなく・・・いやもしかすると今の私にもその無関心さはあるのかもしれませんが・・・とにかく、36歳になるまで、自分を「見つめる」ことは無かったに等しいことで、あとは無意識の世界に支配させて過ごしてきたわけです。

    こんな流れで私は「神話」という世界を意識する土台を得たわけです。
    再三私は西尾先生の「国民の歴史」に光を感じた・・・と色んな場所で記してきましたが、その理由はこんな経験が元となっているのです。
    【2012/07/09 00:50】 URL | あきんど@少し酔ってます #k7Eg95eM [ 編集]


    >あきんどさん
    あきんどさんのいろいろな話は聞いていますが(読んでいますが)、
    「国民の歴史」に光を感じた・・・・ってのは、初めてです。

    あきんどさんの人生のひだひだの中に、西尾先生の言葉がありますね。
    【2012/07/10 22:20】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >奥様

    >>あきんどさん
    >あきんどさんのいろいろな話は聞いていますが(読んでいますが)、
    「国民の歴史」に光を感じた・・・・ってのは、初めてです。

    一番最初にこの表現をさせていただいたのは、荒間さんが日録を管理されていた時代でして、当時頻繁に投稿されていたジョーイ君が、少しハイテンションになって、日録が乱れかけていたとき、周りから少々批判が出てきて、さすがに西尾先生もなにか手を打つべきだと判断されたようで、私に電話をくれたんです。(もう時効だと思うので書きますね・・・)
    この時はさすがに初めてのお電話でしたからとても緊張しました。なぜ私の電話番号をご存知かと言いますと、たまたま蘭ちゃんが先生に会って「ヨーロッパの個人主義」の裏表紙に先生のサインを書いてもらい、それを私に送ってくれたんです。そのお礼として私は先生に地元のリンゴを送ったんですよ。その送り状に書いてある私の自宅の電話番号を見て、わざわざお礼の電話をくれたんです。
    その際に色んな話題が出まして、いま日録が乱れかけているので、何とかあきんどさんに日録をおちつかせてくれるコメントをお願いしたい・・・と言われ、私はまずジョーイ君をなだめながらもカツを入れるコメントを書く事にしたんです。
    彼は自分の体力の自信の無さを再三理由に、自分の行動の責任に対して、少し言い訳がましいニュアンスを続けていましたので、私はそこをまず指摘しようと思ったのです。
    でも、ただ指摘するだけなら彼は私の話を聞いてくれないと思ったので、自分の病気体験を軸にして彼に言いなだめようと思ったのです。
    その際私は「国民の歴史」を読んで真っ暗だった自分の環境に光を感じました・・・と書いたんです。
    それを当然西尾先生は読んで下さり、先生は「自分の作品に勇気づけられる読者がいることに勇気をもらいました」と言って下さり、さらに当時管理人を任されていた荒間さんや狼さんなどに、「どうか閲覧者の意見をあまり削除なさらないでいただきたい。私にとって読者はお客様であり、お客様は神様なのです」とコメントをされたのです。
    荒間さんはジョーイ君をかばうあまり、中傷してくるコメントを再三削除していたわけですが、先生はそれがとても不満だったようです。
    これがきっかけで先生は何度か私宛に作品を送っていただきました。
    私はとても嬉しくてその都度感想文を書かせていただきました。
    そんな流れで今に至っています。
    私が店を閉店する際もとても気にかけてくださり、先生にはご心配をかけてしまいました。
    私としてはなんとか頑張っている自分をアピールするべく、携帯電話で先生にメールを送り、様々な場面で時世への自分なりの意見を述べさせていただきました。
    「江戸のダイナミズム」の出版記念パーティーへの招待もいただいたのですが、私はまだその身分ではないと判断し丁重にお断りさせていただきました。
    先生とお会いできればそれはこの上ないありがたきことではありますが、私は自分の最初の気持ちも大事にしたい思いもありますので、密やかに先生と接していきたいと思っています。
    【2012/07/11 00:18】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    >あきんどさん
    そうそう、そういうことがありましたねぇ。

    ジョーイ君はどうしているかなぁ。

    日録の歴史を一緒に見守ってきましたから、
    あきんどさんがネットに復帰してくれて、私は嬉しいですよ。
    【2012/07/11 21:56】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    それでは私も復帰しましょうか?
    【2012/07/12 23:53】 URL | KOGA #- [ 編集]


     懐かしかったので、ちょいと調べてみますた。~どうやら当方、2003.11~12のは保存してなかったらしい…(多分「めんどくさかったから」なんだろーな、当時の掲示板は過去ログ全保存形式でなく垂れ流し消滅形式だったみたいだし)。てな訳で、あきんど様の当該稿は見当たりませんでした。片鱗らしき稿はコレ(↓)。
    --------------------------------------------------------------------------------
    >お客様は神様です 投稿者:北のあきんど 投稿日:10/29(水) 16:14 PC No.76
    >先生よくぞ仰っていただきました。
    >全くその通りでございます。
    >いやーーー痛快です。
    >あきんどしていて良かったです。
    >色々と有難うございました。
    >簡単ですが挨拶とさせていただきます。
    >Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98; .NET CLR 1.1.4322)
    --------------------------------------------------------------------------------

     あと、当時のKOGA様宛も見つかりました。~ただし上のも下のも閲覧の便宜上、取り敢えず空行は削除してまっす(オリジナルの儘がよかったかしら?)。
    --------------------------------------------------------------------------------
    >>KOGAさん 投稿者:年上の長谷川 投稿日:10/19(日) 15:12 PC No.16
    >西尾先生からの伝言です。
    >==========
    > KOGAという名は知っていましたが、この人が大変に長大な文章、主として小林よしのりへの反論を一大編成を作成しているのを、今日初めて知りました。今まで誰もクリックする場所を教えてくれなかったので、その存在を知りませんでした。
    >==========
    > とても喜んでおられました。
    >お礼のことばを伝えてくださいということです。
    >http://nishio88.hp.infoseek.co.jp/dialy011b.html
    >Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98) (ID:310172226568)
    --------------------------------------------------------------------------------

    (余談)
     以下は古参でない方々へのトリビアです。「年上の長谷川」はセレブ奥様の昔の名前。~奥様が十年以上前から出入りしていた掲示板に、長谷川平蔵ってHN(ハンドルネーム)の人が居りました。それとの対比意識によるHNかと苹は勘繰っているけれども、いつぞや西尾先生から「私より年上と思われるよ」との忠告があったのを契機に、HNを「奥様」へと改名したんだったかな。…なんぼなんでも今「奥様八十歳」と見られるのはキツかろう。鯖を読めば二十歳か三十歳くらいは、西尾先生より若い筈なのにねぇ。
    【2012/07/13 01:21】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    > KOGA さま

    懐かしいですねぇ。 KOGA さんがジョーイ君からあれこれ中傷されて、去っていったとき、私は大切なものを失った気持ちになりましたよ。
    当時の貴殿の論文は、本当にすばらしかった。残念ながら記録はありませんが、当時の印象は微かではありますが、私の記憶の中に留まっております。貴殿が復帰されることは、ネット界にとっても有益なことであります。

    >苹@泥酔さん
    いつもながら細かいところにまで御配慮され、よくぞ私のコメントを記録してくれてました。
    ありがとうございます。
    なんとなくここのブログは、当時のおちょくり塾っぽくなってきましたね。


    【2012/07/13 12:40】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]

    管理人のみ閲覧できます
    このコメントは管理人のみ閲覧できます
    【2012/07/14 02:18】 | # [ 編集]


    >KOGAさま
    うわぁ~~~
    復帰してくださいませ~~~~
    本当に嬉しいですよ。

    > 苹@泥酔 さん
    昔のHNの由来はまさにご推測の通りでございます。
    私が初めて掲示板に投稿したとき、
    HNなんていうものを知らず、完全に本名で投稿してしまいました。
    その後、苗字だけにしたら、混同されたので、
    そういう次第になりました。

    先日、南京の講演会のおり、「年上の長谷川」さんですよね」と、
    声を掛けられ、びっくりしました。
    昔の名前でござります。

    >あきんどさん
    おちょくり塾・・・・ほんと、そうですね。
    あの頃、ネットの使い方、功罪、落とし穴、色々学びました。
    荒間さんのことは、恩師?だと今でも思っています。
    【2012/07/14 09:15】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >奥様
    >あの頃、ネットの使い方、功罪、落とし穴、色々学びました。
    荒間さんのことは、恩師?だと今でも思っています。

    奥様におかれましては現在進行形の路線で、より幅広くご活躍いただきたいと、心の芯から思っております。そのためにも「ご家族」という単位はとても大切でありますから、このブログがより意味のあるものになっていただきたいと、切に思うわけです。
    しかし、一方で奥様の息抜きも大切だろうと思いますから、その意味で、「おちょくり塾」的な要素も重要だと思います。
    西尾先生から二度目のお電話を頂いた際、当時日録がブログ形式に変って数ヶ月したころのお電話でしたが、先生は「昔のような『おちょくり塾』みたいなところがあれば、印象が違ってくると思うんですがねぇ・・・」とおっしゃっていたんです。詳しく突っ込んで話し込みはしませんでしたが、先生がおっしゃる意図は理解できましたね。
    先生は多分日本人の本音がどのような時代の流れとともに存在しているかが面白く感じ取られているんだと思うのです。
    GHQ焚書図書の研究も、多分その要素はどこかにあって、そうした草の根日本の本当の豊かさを感じ取りたい思いが、純粋な姿で強くお心にあるのだろうと思うのです。
    ですからYUチューブとかを拝見しても、本当に「楽しそう」な場面が多いです。
    興味が尽きないんでしょう。先生の一種独特な感性だろうと思います。

    実は当初私はそういう先生の行動に疑問がありまして、著名な方があまり一般人と安易に近づきすぎない方が良いのではないかと思ってました。例えば蘭ちゃんを電話で呼び出してどこそこで会いましょう・・・とか、それってどうなのかなぁと思ったこともあります。
    当時蘭ちゃんにその時の会話とかを電話で聞きましたが、彼曰く「よしりんをあまり軽々しく批判するのは止めなさい。君が思うほど彼は簡単な相手じゃないよ」と一括されたそうです。
    考えてみると、以来蘭ちゃんはよしりんネタは少なくなったような感じもします。
    たったそれだけのことなんですが、この事は多分蘭ちゃんには大きかったでしょう。
    ですからその後は蘭ちゃんはよしりん攻撃が激減したはずです。
    止めろと言われたから止めたのではなく、自分の目先は違う方面にするべきだと、暗黙のヒントを得たんだと思うんです。
    この推測間違っていたら謝りますが、私は多分その変化に彼は気づいていたと思っています。そしてこのことが彼のその後の新たな歩みになっていくわけです。
    しかし彼は大きな間違いを犯しました。それは先生と会った際に得た情報を、先生より先にばらしてしまったんです。江藤淳の話題についてです。彼は先生から江藤氏がなぜ自殺したかわかるかいと聞かれ、沈黙していると「それはね『愛』なんだよ」と言われたそうです。
    この話題は日録の次なるネタだったのですが、蘭ちゃんはそれをちゃっかりフライングしちゃったわけです。彼のえげつなさはそこに集約されています。しかしそんな事はどうでもいいのです。私が一番彼を憎む点は、自分の本心とかけ離れている理論を展開する件です。
    彼は本当は西尾先生を信望しています。しかし彼はその先生から信用を失った。そしてそれによって制裁に近い経験を被った。36歳(当時の蘭ちゃんの年齢)にもなって、まだ子供じみた遊びを彼はしちゃったわけです。このスレッドの最初の方を思い出していただきたいです。
    私は36歳の時に人生の転換期を迎えていました。実社会での重い挑戦でした。
    それに引き換え彼の転換期がいかに幼稚なものか。私は当時彼が重い刑罰をネット上で受けるのも必要悪かなと思ったわけです。ですから私は彼を擁護しませんでした。すると彼は・・・この辺は本当に感性が鋭いと思ったのですが・・・皆して私を除外しようとしている・・・と言い出したんです。この言葉と共に、彼は別世界に旅立ちました。しばらくは日録近辺にいましたが、とうとう自分の殻に閉じこもってしまったわけです。

    36歳という年齢は男性の寿命のちょうど半分くらいの年齢です。実質的な折り返し時点です。
    つまり、男として生まれたならば、いかにこの年齢までに達する間に経験を積むかということです。そしてそこから挑戦が始まるわけです。生き抜くか転ぶかは時の運です。でもそれよりも大事なのは、自分が本気で望む挑戦をしているかどうかだと思うんです。望まない挑戦は単なるダダです。
    そうしたリアルファイトかバーチャルファイトかの見極めが、冷静にできる人間かそうでないかが、時代に関係なく大切な「生き方」の基本ではないかと、私は思います。
    本気の挑戦は「死」を覚悟しています。
    【2012/07/15 02:10】 URL | ひっそりさん #k7Eg95eM [ 編集]


    >ひっそりさん=あきんどさんへ

    ブログは話題が次々に変われば、それに対するコメント欄も変わってきて、
    会話が続きにくいという難点がありますね。
    それで、以前のように弾んだ感じがなかなかできないのでしょう。

    とくに日録となると、敷居が高くて、
    簡単な感想も書きづらいのかもしれませんね。

    【2012/07/15 17:01】 URL | 奥様 #- [ 編集]


     保存してあるのを少し読み返したら、2004年は激動の年だったのね…。感想板とは別に応援板創設。MOMO様追放処分が管理人の間で紛糾後、「日録」はブログ化。蘭様「肉×」発言騒動と桜子様転載騒動があって、「江戸のダイナミズム」連載が終了して、gori騒動に至るのが九月頃までの流れ。(←思い出すと生々しい?)
    http://imoshiori.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=8025418
     遠藤浩一先生が応援板に初登場(No.870~天バカ新板で全文転載済み↑)する契機となったのが、蘭様のNo.858「ではサヨナラ(これは転載しないで)」稿(2004/06/25 18:08)。その中に、「もともと、私も桜子さんみたいなことをやらかして、西尾先生の怒りを買い、それから、全く西尾先生とコンタクトを取ってないのだわ^^;」と出てきたけれど、もしやあれが、あきんど様の回想にある一件なのかしら(それとも別の話?)。あたしゃ「愛」云々(いつの話かしら?)を「日録」で読んだ記憶がない。また当時、蘭様の表現(天バカ板の、ブログの方?)は西尾先生が怒るほどの内容とは思えなかったと記憶。そこんとこは今も怪訝な儘です。
     ここではネットが表で私生活が裏。表の自由は、裏の不自由/不在の代償でもある。ところが現実は私生活の方が表だから、それを裏=ネットで暴露するのは不当って事にもなり、両立は難しい。私生活不在なら表裏顛倒は防止できる。が、先生はそれを望まなかった。私生活に潜む闇や沈黙を照らしてなお保たれるなら、そこには遮蔽壁がある。つまり光は試練となり、津波の様に襲いかかる。それが当たり前の生活なのは分かる。当時の先生は「闇の書き込み」に辟易していた(HN論議など)。
     他方、苹は徹底して闇の側…つまり「仄暗い墓の底から」アンフォルタスに問いかけるティトゥレルへの同情が先立った。或いはクンドリ的と云ってもよいかも知れない(果てはパルジファルに色仕掛けで迫るのw)。それが応援板(後に感想板を襲名)。当時の「おちょくり塾」はうまく思い出せません。因みにあそこは今も健在で、あたしゃ年に一度の挨拶を書き込む程度ですけど、昨夏の天バカ板(掲示板の方)壊滅時は有難さが身に沁みたっけ…。
    【2012/07/16 02:35】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    いろいろ思い出しますねぇ~
    思い出しただけでも疲れます。。。

    ちなみに、私はおちょくり塾には入れない設定になっています。
    【2012/07/16 11:51】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >苹@泥酔さん

    懐かしいものを発掘してくださって、ありがとうございます。
    西尾先生からの伝言はよく覚えています。
    とても嬉しかったのですが、同時に怖かったです。
    当時はまだ学生でした。

    >あきんどさん

    お久し振りです。以前は直接やり取りすることはなかったですよね。
    西尾先生がどこかで、「精神の血縁関係」というものがある、と書いておられました。
    私はあきんどさんにそれを感じます。

    >奥様

    それではお言葉に甘えて、奥様のブログ限定で復帰させて頂きますね。
    日録は確かに敷居が高いですよね~。私は怖くて書けません。
    【2012/07/16 17:59】 URL | KOGA #- [ 編集]


    >KOGAさま
    はい、よろしくどうぞ。

    ネットが裏か、実社会が表か・・・・よくわかりませんが、
    どちらも本当の自分です。

    ネットは突然消滅したりするから、やっぱり虚の世界なのでしょうか。
    【2012/07/16 21:21】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    ありゃりゃ・・・またやっちまった(汗)

    >ブログは話題が次々に変われば、それに対するコメント欄も変わってきて、
    >会話が続きにくいという難点がありますね。
    >それで、以前のように弾んだ感じがなかなかできないのでしょう。

    狼さんが当時言ってましたが、従来の掲示板は投稿者一人一人が同じ立場で書き込めるが、ブログは管理人の主題が主役になるため、一般投稿者の存在が薄れる・・・と。
    やっぱり盛り上げるなら従来の掲示板の方が盛り上がりやすいでしょうね。
    でも日録がブログ形式になっても、何度か有事はありましたからね。例の日本会議問題のときは、たしかコメントが100近くまであったものもありませんでしたか。
    結局どんな形式であっても、盛り上がるときは盛り上がるってことなんじゃないですかね。

    >苹@泥酔さん
    蘭ちゃんが出て行くあたりの真実は、たしかにそのことが遠因でもありました。
    それとはパラレルに、以前から彼は自分の板を持ちたがっていました。
    どんな板にするかはその都度目的が変化していったとは思うのですが、とにかく個人的に何かをしたがっていました。ただ、彼は個人的な癖が、露骨に出てしまう傾向多々あって、何度か私は板で叱ったんです。そのパパラッチ的な癖を止めない限り、私は彼が懺悔できたとは思わないです。どんなに立派なものを立ち上げたとしても、やって良いこととやってはいけない事のモラルを維持できないと周りは認めません。西尾先生は「江藤淳」絡みの事件で、彼を完全に見抜いていましたよ。まだ彼が日録で闊歩していた頃の判断ですから、やっぱり先生の感性は次元が違います。

    >KOGA さん
    >お久し振りです。以前は直接やり取りすることはなかったですよね。
    >西尾先生がどこかで、「精神の血縁関係」というものがある、と書いておられました。
    >私はあきんどさんにそれを感じます。

    いや~くすぐったくなるようなお言葉ではありますが、素直にたいへん嬉しいです。
    西尾先生の色んなお言葉の中で、とても印象的な言葉となって今の私の中に宿っていますのは、成績優秀な方がよく「私は世界文学全集を読破しました」とか言って自慢する事があるが、その方はいったい何を目的としてそんな大変なことを成し遂げるのだろう。そしてもっと問題なのは、そんなに多くの種類を読み終えてその方に何が残ったのだろう。その方ははたして思想的に混乱しないのだろうか。
    おそらく人間はすべての思想を受け入れることは不可能であろうから、ならば読むものを限定して、その思想の窓から自分の形を築き、限定された思想の流れから他の世界を見ることの方が、ずっとその人にとってタメになるものを生み出すのではないか、という言葉に感銘したんです。
    以来私は先生の論文の世界から、社会の窓を開くような人生観になっていきました。
    それとは別に、一人の人間が歳を重ねていくと、師匠と呼ぶべき人間に出会うことはあるわけですが、その際師匠を離れ乗り越え新たな関係を作っていく流れといものがありますよね。
    それを一般的には「守・破・離」という表現で表されますが、西尾先生も昔は福田先生のエピゴーネンだった話は有名で、確かに「守・破・離」らしきものはあったのかもしれません。
    でもそれは思想的な分野では少し事情が違ってくるのではないかという印象があります。端的に説明するのは難しいですが、思想というものは一刀両断的な、きれいな裁きは困難で、もっと複雑な要素があって、簡単な言葉で言い表せることが困難なものかと思うのです。
    そんな事情から、、「精神の血縁関係」という表現は本当に射を得た言葉だな~と思います。

    【2012/07/17 22:23】 URL | あきんど #- [ 編集]


    >思い出しただけでも疲れます。。。
     飛ばし飛ばし読み返してたら、仕舞いにゃ寝込む羽目に(苦笑)。まだ2004.10以降のは読んでないのに、ストレスてんこ盛りの濃密さと云うか、あんなの皆よくマア書いてたもんだ(汗)。こちらは拙稿中心に読み返し、近稿との重複はないか、忘れていた視点はないかと鵜の目鷹の目。そうでもしないと他の方々のスタミナに圧倒されちまいます(ところで、なぜ女性陣は暴力的チクチク表現の手練れ揃いなの?)。
     あと、奥様には見事に「虚を衝かれました」。表裏一体の襞(褶曲、折り畳み)と違い、虚実の関係は空間的にも時間的にも同一性に呪縛されそうにない(平たく云えば分裂症的。ただし共立性となると話は別~具体的には書道の「虚掌実指」イメージなど)。むしろ永遠の差異を予感させる恐怖と共にある様な。言い換えるなら、寄る辺なき解放の恐怖か。そこでは自分の場所自体あやうい。しかし書き込み者は敢えてそうした喪失を白眼視するか、もしくは流れ去るのが当然(方丈記的?)と予め観念しているかの様な。ネット上のジェノサイドが無毒な人権侵害を潜めたまま、虚実間差別の形で素朴な分類主義に向かい退行するかの様な。そうした感覚が今、主に若手の間で密かに共有されている気配を感じます。(BS11で放送中の深夜アニメ「アクセル・ワールド」などを想起。)
     掲示板時代の行方不明なコミュニケーションよりも、ブログの独白的傾向は「虚」を手軽に玩べる点で使いやすそうではあります。すると逆に、「実」の有無/強弱が「虚」の自由を「そうあるがままに」制限し、かつ融通する(ネットの精神経済学?)。
     ふと思う。西尾先生の「日録」休止動機は、虚に実が縛られたばかりでなく、実が虚に反映する事の過剰に気付いていた点にあったのではないかと。~当時、先生から「常連は書かない」という提案がありました。常連は云わば「虚中の実」だった。先生は「実」の過剰になら昔から免疫があるが(←だって文筆のプロだもん)、邯鄲の夢を「実」へと拵えるほど圧倒的な「虚」の世界拡張には戸惑った。「実」が予め呑み込まれている事に騙されたくなかった。そう考えるなら、「日録」ブログが結ぶ「実」との関係も、「つくる会」本部サイトのボイスリレー初回で予見した内容も、八年後の今「記憶喪失」状の閲覧者側ファクターを踏まえて読み返すと、これがまた「いっそう面白く見えてくる」次第…。

    (…と書いて投稿しようとしたら、あきんど様の新稿が。続く。)
    【2012/07/18 00:45】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >あきんどさん
    なるほど、全集を読むなら、西尾先生の全集ですね。

    東京には多くの店がありすぎて、
    どこで何を買ったらいいのかわからなくなるけど、
    広島のような小さな都市では
    買い物も分りやすい。
    小さな窓から世界を覗く・・・・ん・・・・ちょっとちがう?

    >苹@泥酔さん
    波乱万丈?の年でしたねぇ~

    あのころ、先生からの電話を、
    耳からちょっと離して聞いていたものであります。
    【2012/07/18 22:14】 URL | 奥様 #- [ 編集]


     暑くて眠れにゃい…(苦笑)。青森も北海道も、猛暑になる時はなる…。そしてあの頃、私は書いた。「夏は今。猛暑にかをる×××かな」(ネタが不適切との意見ちらほら…)。そんな夜は、ソ連に占領された樺太から青森に入植してきた人々の物語でも(↓)。
    http://www.dakekimi.com/04_secret.html
     夏の青森と云えば、食べ頃なのが「嶽きみ」でござる。ねぶた祭りの坂上田村麻呂伝説も神話的と云えば神話的だが、あれが東北では古事記に準ずる物語だとするならば、戦後の物語とて負けては居られまい(?)。北方四島も樺太も、元は日本の土地だった。ねぶた見ながら嶽きみ食べて、樺太を思う保守派が居てもいい。台湾の果ても樺太も…(「蛍の光」日露戦争後歌詞)。

     ふと思い出したのは、当時あたしゃ歴史的仮名遣いについて、「私なら、わざとらしく「神話的仮名遣い」と呼んでみたくなります」との見方を捻り出した事であります。そこでは美と崇高の宿る普遍的イメージが共通語性と二重映しになるのみならず、「共通語の進化」から隔離・保存する上で(=進化停止・古典語化)、日本人自身の整頓責任を占領政策に転嫁しようとする構図が潜んでいるのではないか(そこまでハッキリとは書かなかったけれど)と疑った。~あれは応援板のNo.219でした。天バカ新板の「【再掲】国語問題05」稿に全文転載してあります(↓)。
    http://imoshiori.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=7438296
     現実の流れから隔離されて初めて、伝説は神話化の契機を宿し始めるのではないか。それらは排除や訣別のプロセスと異なり、保存されたものに堆積していく地層の様な崇敬心と共にある。皇統自体が日本の精神的地層をなすのは、地層が「外」の崇敬心を折り畳み続けてきたからだ。それを表現するための言語もまた「言挙げ」され、明治言語が江戸時代と昭和戦前との間に隔離・圧縮される。そうした意味での特殊性を、戦後日本人(=保守ばかりではなく)は挙って幻想し続けてきたのだろう。そう考えないと私には、「軍国主義の復活」といった時代区分的批判が場違いなほど持て囃される理由の説明がつかない。
     神話が明治言語の時代区分に囚われると、自ずと軍国主義の色が付く。神話の直系が天皇制。にもかかわらず開国以前の皇室は度外視。どっちが隔離された神話なのか分からなくなる。複数の神話が相互に隔離し合う様で気味が悪い。神話化以前の神話と、神話を神話化した明治と、神話を再神話化した戦後と。
    【2012/07/19 01:33】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    自分が過去に何を書いたか、どこに書いたか・・・・・ちゃんと覚えていてすごいですねぇ。

    私は鶏みたいに、すぐに忘れてしまいます。

    「神話」化を言葉に適応して考察したあたり、お見事です。
    【2012/07/20 07:31】 URL | 奥様 #- [ 編集]


     奥様ご一家へのお見舞い省略。
     「神話化」云々の前稿は、あきんど様が何故か削除したらしき「2012/07/18 03:02」稿が下敷きです(苹は保存して何度も読み返したのよね)。そしたらアメリカからトウモロコシ危機のニュースが入ってきたんで「嶽きみ」ネタを出してみたの。瑞穂の国ではトウモロコシも育つらしい。尤も、あたしゃ滅多に食べないし、ねぶたも見ないけど。(人混み大嫌い。ただし遠くから縹渺と流れてくる寂寥感は格別。)
     或いは、あきんど様に試されているのではないか~とも考えた。蘭様のフライングより、苹の手口の方が厄介なのではないかと。「愛」云々の発想を、もし西尾先生の名前抜きに蘭様が料理したらどうなったか。そっちの方が西尾先生の怒りを買ったのではないか。この辺、あきんど様ならきっと見抜いているでしょう。もちろん苹なら、いつも通り自前の領分に引き寄せて考えるだろう事も。
     余計な一言。~前稿の「×××」は、青森県立木造高等学校の事務長が昔、苹が翠軒流を真似て書いた年賀状の草書「元旦」を「うんこ」と読み下した故事に基づく。

    (余談)
     人は死んでも言葉は残る…と書けば語弊があるかも知れませんが、中には「慎重に言葉を避けるマナーとエチケット」によって生かされる立場もありますから、本当はさほど関係がない、と云えそうではあります。そこでは立場が人を振り回し、人は自己滅却に忍耐の限りを尽くし、大人の様に死んでいく。大人としてではない。大人の様に見える人が大人かどうか、私には判断できません。厄介な事に、最良の意味で子供じみた人間の方が大人を超越しているかの様に見える瞬間さえある。
     いじめ問題を隠蔽する義務に縛られる立場は、現場の教員にとって救世的たり得る。保護者の誰もが望んでいないにもかかわらず。しかし子供の立場なら忖度できぬでもない。無分別に子供を守りまくる教員の馬鹿さ加減を垣間見ぬ者は居ない。だから子供は教員を見捨てるか無視するか尊敬するかして自分を守ろうとする。子供同士の諍いが深刻なレベルに進化している事を顧慮しない教員の積極的指導は、却って当事者自身の害毒となろう。日本国の指導者だった菅直人先生を見れば誰だって分かる。菅先生が教員にならなかったのは日本の不幸だと思う。
     皆、立場と責任を負っている。とにかく生きて見せている。間違っていようがいまいが、矜持があればどうにかなるらしい。「どうにかなるから問題だ」と見る向きもあろう。そのレベルが子供に伝染しているなら「いじめ」は健全なのかも知れないし、そうでないなら子供に矜持が不足しているのかも。私にとって矜持とは、生命力の自助的かつ免疫的な発現の一部。そこに菅直人を絡める必要などないだろうに、何故か色々な意味で気になる人なんだよなあ…。
    【2012/07/24 06:29】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹 さん
    >「神話化」云々の前稿は、あきんど様が何故か削除したらしき「2012/07/18 03:02」稿が下敷きです(苹は保存して何度も読み返したのよね)。

    実は削除をためらったんですが、読み返して、自分自身が理解不能なくらい文章が乱れていたので、、削除しました。
    実はこの日疲れているのにテンションばかりハイになり、色々考えながら書いたんですが、後から読み返してみると閲覧者には「なんだこりゃ」な文章としか受け入れてくれないだろうと判断し、削除しました。
    書き終えたのは午前3時を過ぎ、あと2時間後には仕事に行かなくてはならない状況だったんです。13時間も働いて帰ってきて、2時間かけて書いた文章でしたが、あまりにもひどい結果だったので、削除を判断しました。
    「ひどい」かどうかは本当は誰にも判断できないのかもしれませんが、少なくとも次の日の私には理解不能なくらい軸足が乱れていた文章でした。

    ここからは別の話題・・・
    蘭ちゃんが当時江藤淳ネタをキャッチした情報は、蘭ちゃんが日録に書く前に彼からメールで知り得ていました。
    彼は多分私に報告した時点で「OK」されたと錯覚した可能性はあります。
    けして私が何かをアドバイスしたとかの話ではないんですが、雰囲気的には、私に報告したことが、一種の担保みたいなものになると安易に考えたのかもしれません。
    当時の私は江藤淳なる人物なんか全く知りませんでしたから、なんのこっちゃ・・・みたいな受け止め方はしたかもしれません。

    蘭ちゃんは当時色んな意味で私を買い被っていました。
    電話で私の声を聞いただけで何となくハイテンションな状態でしたから。
    (まぁそれを言ったら、西尾先生も私を買い被っていると言えなくもないのですが)
    そんな経緯はあったんです。ですから、あの時私がもっと神経を尖らせて、彼の行為を注意できていれば、事態は変わっていたのかもしれません。
    でも当時の私はまだこの世界の駆け出しでしたから、そこまで状況を判断できませんでした。
    【2012/07/24 23:48】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    >苹さん
    もともと子供ってのは、本能に忠実な生き物で、
    まだ理性?を使って、自分を抑えることの困難な動物ですから、
    いじめも生命力の表れかもしれませんね。

    >あきんどさん
    そうか、私はそのコメント読んでいません。

    人が間違った?道を歩んだとして、
    その分岐点らしき時に立ち会ったことがあったとして、
    でも、それはその人の責任で、忠告?しなかったものの責任ではありません。
    あきんどさんはそのままが皆に理解されていると思いますよ。
    【2012/07/25 22:08】 URL | 奥様 #- [ 編集]


     断言します。あきんど様の削除稿は、とびきり面白かった!

    (余談)
     明け方よく、夢の中で考え事をする(考え事をする夢を見る)って話を前に書いた事がありますが、今朝の夢はいつになく面白かったんで、チョイとばかりお裾分けをば。
     夢の中で「公私混同」を考えた。これは「公私融合」ではないかと。支那では極端に「私」が溢れている。そうした「私」の洪水を俯瞰した全体像が「公」に相当するのでは。だから公は私的で構わないし、むしろ権力私物化は公的名誉となり得る。私は公の一部または代表として各々が中華を象り、民主主義の行く末は全体主義に帰結し、かつ手段としての共産主義と両立する。そこに資本主義を持ち込んでも支那的全体性は揺るぎない。財産私有は公有の一部で、分有されたものが統合に向かうのは公的必然。従って「公を代表する私」が「人的土壌たる私」を私物化するのも虐げるのも、共に公的融合へと向かう点では太極を一にする。公と私を峻別する西洋的観念は逆に部分と部分との争いを招く「欠陥だらけ」の覇道。支那の王道(天道?)とは根本的に相容れない。
     …こんなの夢の中でネチネチ考えるのって、ちと変態じみてるかも(汗)。今は整理して書いてるけど、記憶にある最初のイメージは「私」の粒々が波の様にうねり液状化、やがて海になって「公」を体現するとこから始まった。そんでもって色々なのを論理的に組み立てて(←どんな内容か忘れた)、起床直前の記憶が「公私混同=公私融合」の読み替えイメージ。「途中で考えた中身の方が面白かった」と寝惚け眼で思ったのは覚えてるけど、朝すぐに書き留めないと鶏みたいに忘れちまう(残念)。でも大方のイメージは上記の行間と大差ない筈。
     何故一々こんなのを書くかと云うと人類文化史上、最大の損失が古来「夢であり続けた」と思っているから。たぶん九割方そうだろう。私の夢より古賢の夢の方が格段に示唆的で面白かろうし、無文字文化が今も夢(本能?)の中で継続している事は~非社会的ではあるけれども疑う余地なしと思ってます。ただし現実社会なき無文字社会の沃野を開拓するには余りにも非力で、たぶん方向自体もフロイトやユング達のとは別物。心理学でなく夢中人類学。夢中哲学、夢中書誌学、夢中科学(そんなのアリ?w)。そこでは書誌学的記録方法と科学的分析方法が喧嘩し始めるかも知れないし、或いは宥和に繋がるヒントが隠れているかも。いづれにしろ書誌学的方面では原始的記録がないと何も始まらない筈…。
    【2012/07/26 02:45】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔
    >断言します。あきんど様の削除稿は、とびきり面白かった!

    小生の駄文を心に滲みるくらい読み返していただき、誠にありがとうございます。
    そのお気持ちに心より感謝申し上げます。

    ところでここでの話題にはあまり関係ないことなんですが、こんな映像がありました。
    できれば皆さんのご意見をお伺いしたいところです。

    http://www.youtube.com/watch?v=D2BVT3qpITs&feature=related
    【2012/07/26 15:02】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    >こんな映像がありました
     見る十五分間が勿体ない、ただの宣伝動画だと思いました。ブログ記事なら数分で読める。むしろ皮膚感覚で胡散臭く見えるのは家電量販店の実際。どこからヤフーだかソフトバンクだかの人達を動員してるのか。パソコン販売とプロバイダ契約のセット割引は極端。手堅さの感じられない過剰宣伝は元を取れるのか。震災後のポポポポーンで「過剰は異常」と承知すれば、自ずと興味は失せる筈。
     それより朝鮮半島ネタで面白かったのは、本日届いた講談社の『本』2012.8号P.45、野村伸一「『大長今』再考――『東シナ海文化圏』のあとさき」。入口のネタは時代劇「チャングム」で、韓流ブーム当時は西尾先生も見てたと記憶(「日録」に書いてあった?)。それを学者が蘊蓄で盛り上げる訳ですが、様々な文献~すなわち文字情報「だけ」の世界を読む時点で先ず、こちらでは内容理解と先入観との闘いや「疑う楽しみ」が始まる。
     ところが宣伝モノは通常、宣伝自身への「疑い」を要請しない。「孫正義を疑え」の宣伝もそこで完結、疑いの反復には誘われないし、反復からの脱線契機を探そうとしても宣伝自体よそよそしい。あれは誰が宣伝しているのか。宣伝自体は見えるが宣伝自身は見えない。下手に理解の方向を拘束されるよりも、理解の多様性を担保する方向が好ましい。
     昨日の夢は、日本人の考える「王道」とは異なる見方だと思いました。その翌日、朝鮮と明との事大関係について考えさせられる小冊子が偶々届く。あたしゃ「西洋の覇道」に対して、王道や天道の捉え方が文化圏毎に異なる可能性など考えた事がなかった。ただし脱線契機か突破口か正体不明なのは「夢ならではの世界」ゆえ、これはこれで理屈抜きの面白さもある。
     あきんど様のは夜更かしテンション、片や苹のは夢の中。どちらも軸足は心許ないとするならば、そこに複眼的ヒントが隠れていてもおかしくなさそうだなあ…と思った次第。
    【2012/07/26 22:01】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん

    私の率直な感想は、半分当たっていて、半分疑わしい・・・かな?
    じゃあどこが?と問われると・・・「う~む」となってしまうのですが・・・このコマーシャルが未だに解せない最大のポイントは、何故主役が「犬」なのか・・・です。

    何故犬にこだわるのか・・・そこがわからない。
    【2012/07/27 04:04】 URL | あきんど #k7Eg95eM [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    なんとまぁ、小難しい夢をご覧になるのですねぇ。
    でも夢って、覚えている一瞬を捉えようとすると、どんどん逃げて消えていってしまいますね。

    夢は深層心理の現れなんでしょうか。

    >あきんどさん
    ちらっと見ました。
    いつの日か、蛙にされていた王子さまのように、
    魔法が解けて立派な日本のお父さんになればいいですねぇ。
    【2012/07/27 20:55】 URL | 奥様 #- [ 編集]


     テレビCMのシリーズ物は、いったん型が出来上がると寿命が長目になる様な…。外人俳優のドラえもん、しずかちゃん三十歳って設定のトヨタCM(↓)も暫くは続きそう。
    http://www.youtube.com/watch?v=ROBeNUulCnM
     古典的な実績あるのは山瀬まみ(なぜ河童姿にこだわるのか…)。爾後、ちあきなおみ・沢口靖子の「タンスにゴン」みたいな「単数形の引き継ぎ」型もあるが、それとは別に描写様式を家族化・仲間内化へと拡張した点、「メナードは岩下志麻」「オロナミンCは大村崑」みたいな昔ながらの専属固定化傾向から脱却する上で役立つ面があったのかも?
    http://www.ikedamohando.co.jp/cm/delicare_ms.html
     いづれにしろ、最重要なのはインパクトでしょう。因みに当方最近のお気に入りはコレ(↑)。…セレブ奥様が炊事洗濯の合間に口ずさみ、子連れで里帰り中の愛娘から「やめて~っ!」と叱られる白昼夢を見たりなんかして(汗)。
     …閑話休題。
     犬を「日本のお父さん」に見立てればそうとも取れる。他方、「狗肉を食らう朝鮮文化の象徴」と見る事も出来る。前者を反日ネタ、後者を自虐ネタと解釈したって構わない。こじつけ自由だから根拠も滅茶苦茶。ただし、イチャモンとなると困った事になる。
     …あの「反孫」動画の音楽の使い方、昔見た「幸福の科学」勧誘ビデオと似ている気が少々。テレビでチラ見したオウムのも似たり寄ったりだったかしら。もしネット動画にサブリミナルの細工してたら笑える(←技術的に可能なのか興味津々)。~そう云や昔、山形板かどこかで少欲様に苫米地英人の洗脳本を紹介した事があったっけ。下條信輔のサブリミナル本は未紹介だったかな(当時既読は中公新書、後にちくま新書あり)。
     だからと云って、西遊記に出てこない名前の「孫正義」を疑わしく思う向きまで否定するつもりはない(孫悟空の扮装でCM出演して欲しい訳でもない)。企業トップの政治的画策が当たり前なら、いっそ大使に任命して韓国へ派遣してみてはどうだろか。中国相手の前例みたいにネ。一体どこまで踏ん張れるかしら。在日経験のある大統領ですら屈服するレベルの国民性とあらば、試金石にはお誂え向きだろう。ただし企業トップの座からは一時的に降りねばなるまい…(だから十中八九は断る筈?)。
    【2012/07/27 22:42】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


      水曜日、『全集』第3巻落掌。翌晩より拝読するに、いくつかの篇に当方の目下の関心事を解く鍵ともなるような考察があることに気付く。「やはり、先生は吾が師だなあ」と一種の感慨に襲われる(数年前カチンとくることがあって以来、最近、蘭さんとはまったく没交渉なのだが、彼も今でもそういう思いにとらわれる瞬間があるのだろうか)。しかし、「『懐疑の精神』なら既に読んでいる筈なのに、読んだ記憶が」とも思ったが、単行本を取り出してよく見ると、かなり篇の出入があるみたいで…。また記憶消去が始まったかと思った(汗)。
     苹さんが述べられていた「公」「私」のことについては、多少思い当たる節もなきにしもあらず。我々からみれば、かの国には「私」のみのように見えぬこともないが、あちらのある先生などは専制主義下の「立公滅私」を批判し、「『私』がまだ足りないのが悪い」と論じておられるほど。要は概念の問題である。「公」=「大私」なのかとも思うが、さて…。
     以上久方ぶりのよしなしごと。午後から上京します。
    【2012/07/28 12:25】 URL | キルドンム #m7FpRJaE [ 編集]


    >キルドンムさま
    私も読み始めています。
    でも、すごい分量の文章を書いておられるなぁと、感心するばかりで、
    なかなか前に進みません。

    文字が同じでも、概念が違うと、もうそれは同じ言葉とは言えないですね。
    同じ漢字・・・・なので、混乱します。
    【2012/07/28 22:17】 URL | 奥様 #- [ 編集]


     あな嬉しや、実証史学ならぬ「実証夢学」が始まったかの様で、トンチンカンな「ただの夢」にも一片の真実が含まれているなら幸甚。深層心理は正直で、そもそも夢なんざ「見たくて見ている訳ではない」。だから夢は恥ずかしい。如何に突拍子なき事でも噴飯物でも、夢に「なる」それ自体が赤裸々な自己証明を結論してしまう。とは云え「知ってるつもり」の「公」を初めて意識的に検索すると、wikiでは日本語の意味の方が却って特殊に思えてくる。支那朝鮮での現代的用法はどうなっているのだろうか。公と私は対立概念なのだろうか。…で、取り敢えず「立公滅私」でググってみた(↓)。
    http://international.confuciusglobal.com/index.php?option=com_content&view=article&id=235:2012-05-01-04-25-34&catid=2:1&Itemid=9
     ううう…中文だぜぇ(泣)。細かいニュアンス理解の遙か以前で躓く。キルドンム様は上京中だそうだけど、ネット閲覧可能な端末はあるのかなあ。あたしゃ相変わらず携帯電話を触った事ないし、ノートパソコンの戸外ネット接続もした事がない。セレブ奥様が旅行先からブログ更新したらしき例を見るにつけ、苹はいつも感心する。

    (余談)
     二十年ほど前に言われた。あたしゃ「Mr.ビーンに似てる」んだそうな。雰囲気なら少し納得できる(?)。顔なら小娘達(当時)から「サンダーバードの人形みたい」と揶揄された通り、「濃さ」は当たらずと雖も遠からず。そのビーン役コメディアンが、指揮者ラトルとロンドンの開会式で共演したのには驚いた。尤もリアルタイムで見たのではなく、産経記事で知ってすぐ動画検索。削除前に幸い、五分間の演奏を堪能できた。
     オリンピックのみならず、スポーツ全般に興味がない。北京の口パクも反日サッカーも、ねぶた同様に縁遠い。だから自国選手の応援より「応援とは何か」を考える方向に行っちまった。そんな野郎が昔は中学の応援団長。学校側は不良化の温床と見て警戒してたのか、特に高校時代の実態は弱小そのもの。サッカー応援の合間にウォークマン持ち込んでベートーヴェンのsym.7を聴いた苹が、形だけ副団長になるとは。
     苹が悪辣だったのは、応援団長や太鼓役を書道部に引き込んだ事。女だらけの卒業後、むさ苦しい男だらけ。部長の苹は文化祭で日がな一日、書道部展示室から出てこない。嗚呼、副団長は引きこもり。硬派の保守なら唖然とするに相違ない。~そんな硬派を思わせる憲法無効論者が「朝生」に出ていた。八木秀次先生は取りなそうとしていたけれど、東浩紀は巻き込まれたくない様子。その後あたしゃ寝ちまった(録画し忘れた)。もし最後まで起きていたら、或いは生中継のビーンも…いや、たぶん見なかった筈。
    【2012/07/29 12:33】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (余談の続き)
    http://sankei.jp.msn.com/life/news/120730/art12073003120003-n1.htm
     産経「正論」欄(↑)の小堀先生によると、「今人々が歴史的かなづかひと呼んでゐるかな表記の規範は明治かなづかひと呼んでもよい様なものである」との事。契沖以後約二百年、明治四十年代と云えば既に仮名字体が一音一字化された後ゆえ、古代の音声を顧みる上で役立つ痕跡はない。それを明治仮名遣いと割り切る見方は清々しくさえ感じられる。
     先日、巻菱湖の書いた古今集仮名序や十二か月手紙文などの図版を久々に見た。契沖以後明治以前の幕末だから、明治の古筆復興(平安朝への遡行)以前でもある。~苹は昔こちらを先に見ていて、初めから古筆を学んだ人とは感覚が違うのか、現代の仮名作品を見ると幕末的痕跡の空白域が気になって馴染めない。表現レベルは現代の方が上なのに妙に古筆臭く、むしろ小野鵞堂(や昭憲皇太后)などの「古臭い」仮名に安心したりする。臭さの「古さ」が顛倒する感覚は一種独特の眩暈に近い。もし古文書研究の人が今の書道を学び始めたら、この意味での時間的顛倒によろめいて「書道は遠くなりにけり」と呻き出すかも知れない。
     そんなに古筆が大事だろうか。歴史的に大切なのは分かるし、規範の美的価値も分かる。しかし幕末は実用的洗練の末期/爛熟期とも云える。美的洗練とは別の要素が重なり合う。古筆が実用的でなかったとは云わないが、雑駁には八百年分、実用の質や環境が違う。適応対象となる枠組を飛び越えるにも限度はあろう。それを~実用的枠組を切り離して初めて古筆が現代から自由になるとしたら、他方には徹底して不自由な枠組となる現代もまた準備されねばならず、そうした部分を幕末的実用規範が引き受ける事で、古筆はあらためて現代に甦る。
     漢字ベースで見ると、菱湖は商売往来も書いている。こちらは御家流との対比で、仮名で古筆が占めた位置を漢字書では菱湖の唐様が担う形となり、それぞれ異なる見方が要る。漢字は明治に至ってなお新しいのに、仮名は古めかしい。そのせいか菱湖は漢字唐様書家として扱われるのが普通で、仮名が取り沙汰される事は殆どない。ところが他方では、御家流の位置を菱湖的幕末イメージと重ねた方が好都合なのか、歴史の見方が別の歪みを抱え始める。確かに六朝風が流行する前の唐様は「後から見れば」古めかしく、少なからず「戦後から見た戦前」と似通ったニオイがせぬでもない。また書家の歴史観(歴史歪曲姿勢?)で見ると、御家流は美術史的枠組から外れかかるらしい。
     六朝風の流入は日清戦争以前。それ以降の、支那に占領された書道の側から見れば、幕末唐様は御家流ほどではないにしても、どのみち軟弱で大差はない。戦前日本の名士が鵞堂のを日本の代表的書風として見せたところ支那人に鼻で笑われた、という話を高校生時代に読んだ記憶がある。その頃から歴史歪曲モデルは教科書絡みで存在していた。歪曲と復興は意外に近い。戦前日本の書道界は支那文化を復興するのに役立ち、かつ日本の書文化歪曲にも役立った。~苹の「つくる会」応援には、こうした畑違いの背景がいつもある。
    【2012/07/30 15:54】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹さん
    書道の教科書は薄っぺらでした。

    でも、書道の中に日本の歴史も、中国の歴史も入っているんですねぇ。

    苹さんと同じ境地で、書道のことを考えられるひとは少ないでしょう。
    でも、頑張ってここでもあそこでも、書き続けてください。
    その思考の痕跡を残してくださいね。
    【2012/07/31 21:44】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >書道のことを考えられるひとは少ないでしょう
     とんでもない、ウジャウジャ居ます。特に学歴が大卒以上の人は、専攻が書道関係でなくとも勉強の仕方を知ってるし。と云っても書道界では「五十、六十は洟垂れ小僧」の扱いで、報われない人が圧倒的に多いだけ。そこが明治時代(平均寿命五十歳以下)と大違い。学識ある手練れ老人が多過ぎて思考が硬直的になる傾向(二、三十年前がピーク?)はありますが、その世代に石川九楊や松岡正剛が入りつつある今、理論面が毛嫌いされる風潮も解消されつつある模様(…ほんまかいな?)。
     三十年前は中国の呪縛がピークに達してました。呪縛されない在野知識人は門外漢扱いか、無名のまま展覧会抜きの書塾で細々と生計を立てる人が多かった。その名残は今もあるけど、書塾が滅びかかってるから殆どは門外漢てぇ事になるのかな。そうした意味では「展覧会に出さねば書家に非ず」の平家物語状態だし、学会は大学主導で教育界の溜まり場となってるみたい(こっちの方が硬直的印象は強そう?)。季刊誌『墨』では評論賞を募集してるけど、これまで観察した印象では「性質上」苹の出る幕なし。書道界が言論界より不自由なのは、沈黙が前提(もしくは伝統作法)となっているからなのでしょう。
     つまり、書道関係者は余計な事で物議を醸してはならない。門外漢にコミットされては迷惑だ。社中それぞれの生存が優先で、各自「内輪には」論客も居るが発言は慎重に。すると誰もが黙る様になる。もちろん職場~学校でも黙る。生成途上の好々爺、果ては良寛イメージが世間的にゃ好都合なのかも知れない?(←人生の華は老後にあり?)

    (やっぱ気になる…取り敢えず補記。)
     前稿冒頭、明治三十三年の仮名統一に言及した箇所で「古代の音声を顧みる上で役立つ痕跡はない」としたのは言い過ぎだったかも。また、例えば今野真二『振仮名の歴史』(集英社新書)を参照すると、仮名遣い問題に絡む漢字と振り仮名との共立性や、差分システム的(?)な変動性や多様性も気になる。ただしフォノグラム優位の改変動向が所謂「明治仮名遣い」の実用期間を狭めていく段階は書字から活字への移行が前提で、既に巻菱湖門流の出る幕はない(この事は戦前学校教育における国語と習字の分離とも関連する)。
     前々稿でリンクした中国語サイトは、大会発表要旨らしき稿の末尾「所以使中國傳統文化中的公私觀念所追求的公利具有雙重性」に絶句した。…おいコラ、双重性だってぇ?
     あと…瑣末な事だけど高校時代、昼食抜きでsym.7他を聴いた機材はウォークマンでなく小型ラジカセだったかも。4.satzの弦楽が団子になり、音型の脳内補正必須(隣で食ってた友人は旋律不明って顔をしていた)。イヤホンかヘッドホンかは忘れた。
     …友人関係と云えば、西尾先生と小堀先生は大学時代以来とか。『江戸のダイナミズム』評はあったのかしら。渡部先生は『WiLL』連載で「和文リテラシー」に少し触れてたけど、書字文化に関する他の先生方の見解はどうなのやら。
    【2012/08/01 20:47】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


     東京には一泊のみし、翌日曜晩に帰宅。基本的に荷物になるので旅先にはパソコンを持って行かないことにしていますが、車で帰省したりする場合はまた別です。
     公私のことについて苹さんご紹介のサイトを見てみました。マレーシアのサイトですな。もっとも、件の論文は先秦時代のみの記述であって漢代以降にはあまり及んではいません。先秦の「立公滅私」については昔、留学していた時の指導教授の編著に精緻な論考が収められていて参考になります(苹さん所掲論文の注5,10,11の本)。とりあえず巻頭の恩師の論考の結論だけ簡単にまとめると…。「儒・墨・法家をはじめとする先秦諸家はいずれも専制政治を貫徹するため、『私』を敵視し、絶えず『立公滅私』を要求し、高唱するが、『私』を完全になくすことは事実上不可能なため、そこに偽善等の様々な問題が出てくる」大体こんな内容です。件の若者の書いた論文もほぼ同趣旨と見ました。
     明清から現代に至る「公私」観については、故溝口雄三氏が(勿論日本語で)書いています(『中国思想のエッセンスⅠ』「7公・私」、岩波書店、また東大出版会『中国思想史』にも関聯叙述あり)。詳細はそちらを読んでいただいた方がありがたいのですが、こちらではおよそ彼等の謂う「公」が現代日本の「おほやけ」とはかなりかけ離れた概念であるということが指摘されています。
     日曜、午前中を費やして上野の国立博物館で開かれていた「青山杉雨の眼と書」展を観てまいりました。青山氏の書斎が再現されていました。実は今進めている自宅新築計画に参考になったりならなかったり…(笑)。晩年の甲骨文書にはどうしても「前衛」に接した時のような違和感が覚えますが、実のところよくわかりません(原田某への違和感とはまた別の次元の)。吃驚したのは氏が董其昌に触れたのは何と、すでに六十三歳になってからだということ。もっと若い内だとばかり思っていましたが…。ああいう先人の試行錯誤を繰り返しつつ踏んだ道を後の世代は楽に通ってゆくのだとすれば、世代を経るごとに書の世界もどんどん「進歩」していっても可怪しくはない筈なのでしょうが、それこそピラミッドの時代から言い古されているように、何事においても「今人、古人に如かず」という印象が常にあるのは何ででしょうかね。
    【2012/08/02 00:16】 URL | キルドンム #m7FpRJaE [ 編集]


     ついでにたまたまさる7月20日に見た夢の記録が出てきたので、精神医学の分析材料として供給。
     「真由」という名の少女のみた夢として始まる。現実にはそんな名前には心当たりはないし(奥様と字面だけは少し似ているようであるが、まず単なる偶然)、キルドンムのアニマということでもないだろう。とにかく、その少女が親とともに自然史博物館を訪れたと思い遊ばせ。以下、メモをそのまま転記。
     魚類や恐竜など様々にあり。世界の果て(どうもその博物館の一角がそのまま世界の果てになっていたらしい)、別の水槽が沸きたつばかりになっていて魚が大騒ぎしている。ふとこの星には人類は如何なったのか(地球ではなかったらしい。独自の生態系の進化過程を経たのか)。そこで次の哺乳類のブースに行こうとするが、後ろから両親の声が。母は止めようとするが、父は行かせてやれと。近くに若い母親と(その)女の子とがいる。もうすぐ夢が覚めようとしているので急ごうとするが力尽く。暗転。記憶を忘却に任そうとする。
     ふと気付くと、路傍に売っている文房四宝の前で側に両親が。小さい女の子、真由の指に触れ、柔かさに驚く。実は(真由は)書をこれ迄やってきたのだ(何故書道をすると指が柔かくなるのか、そこが夢の夢たる所以)。
     気付くと学校(キルドンムの勤め先)関係のパーティー。私(キルドンム)は今迄眠っていたらしい。〔以下略〕
     最後の部分も勿論夢のつづき。しからば「真由」なる人格は夢の中でみた夢の存在ということになるが…。さてどう解釈を下せばよいものやら。一応、書道関係の夢には違いないのだが。
    【2012/08/02 00:44】 URL | キルドンム #m7FpRJaE [ 編集]


     なるほど…先行研究でかなり煮詰められてたんですねぇ。こんな時が嬉しい。少なくとも無駄な発想ではなかった事。ギリギリ「借り物ではない」と思えるだけの根拠が夢の中で想定されていた事。後に知った他者の発想への、連帯感にも似た親しみが拒絶感情と無縁な理性と共にある事。~検索してみると溝口先生は「つくる会」に反対する立場の様ですが、だからと云って学問がどうなるものでもない。勿論「八」と「禾」の違いを字義字源に索めたところで「おほやけ」とは無関係。しかしそこに謬見が潜むなら、無意識のままであってよい訳がない。(でも、ここでの話が脱線話である事には違いネェ…w)
     …で、青山杉雨の書斎かあ…(と『墨』187号を引っ張り出してみる)。そう云えばNHK「アインシュタインの眼」で一昨年、弟子の高木聖雨の教場(書斎?)にカメラが入ってましたが、この先生も相当に師匠から影響を受けてた様な。~あと、董其昌の件は勉強それ自体でなく、金持ちの骨董趣味の話みたい。P.40によると「青山は董其昌の作品を少なからず収蔵したが、そのほとんどは、この一九七五年の訪台以降に集中的に蒐められたものである」との事。
     ふと気になって今年二月の新聞を見たら、上海天衡オークションの文徴明書幅は920万元、上海道明オークションの董其昌書巻は23万元で落札されたとか。…さもありなん。あたしゃ先月こう続けようとしたけど(↓)、話がエスカレートし始めたんでボツにしますた…。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1331.html
    --------------------------------------------------------------------------------
    > ゴチャゴチャ書き込んでも際限がないのは分かっているけど、西尾先生の続刊副題が「中国人の正体」とは、なんと魅力的な話かしら。こんな刺戟があると余計な事まで思い出してしまう。折しも黄公望ネタで沈周に触れたばっかでしょ。それより董其昌の方が相応しかったかナ…ときたら後がいけない。福本雅一『頽筆集』(二玄社)P.35に、「にせもの」と題する「そのものズバリ」の仰天ネタがあったのを忘れてた。以下P.37より。
    >--------------------------------------------------------------------------------
    >> 明末の董其昌に至っては、専門の代筆を傭っていた(拙稿「まづ董其昌を殺せ」――『出版ダイジェスト』昭和五十三年六月二十一日参照)。画では趙左とその弟子沈士充、書では呉易と雪珂である。『韻石斎筆談』には、著者姜紹書の実見談として、次のように述べている。
    >--------------------------------------------------------------------------------
    > この直後に出てくる「実見談」は転載省略。
    > 「~殺せ」の方は高価な二冊組の古原宏伸編『董其昌の書画』(二玄社)の他、入手しやすい単行本では福本雅一『明末清初』(同朋舎)の冒頭にある。最初の頁からいきなり「贋筆と知りながら、欣然と署名したこと、真蹟は姫妾より獲られる場合の多かったこと」の証言が出てくるのみならず、読み進めると更にビックリ、物騒なタイトルに納得させられる。六十一歳の時は次男に命じて二百人のならず者と共に襲撃、美貌の少女を強奪させる。八十二歳の臨終では女装して死ぬ。福本センセの云う事にゃ、「女の色香と片時も離れたくなかったのであろうが、なんと気持ちの悪い爺さんではないか。」(P.17)
    --------------------------------------------------------------------------------
    【2012/08/02 18:16】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    キルドンムさんや、あきんどさんが居てくれてよかったです。

    私には苹@泥酔 さんの話題にほとんどついていけないからね。

    >キルドンムさん
    新居、楽しみですね。
    夢って、起きてすぐに書き留めなくちゃ、忘れてしまいます。

    それにしても、不思議な夢ですね。
    【2012/08/02 23:14】 URL | 奥様 #- [ 編集]


     いや…実際どうですかね、奥様。確かに御両人は有難いけど、最大の問題はエスカレートしがちな苹自身にある(分かっちゃ居るけど止められないw)。前稿末尾で復活したボツ稿だって、その後は支那人の極悪ロリコン趣味について、岡田英弘先生の本から延々と引用が続いてたんだもん。あれはドギツイ。なにしろ十四歳の仙薬による危険な陶酔状態を××の乳汁でさまして(不正投稿と判断された…読みたい人は『中国意外史』参照)
     それにしてもキルドンム様の上京日程、学会なら考えられそうにない時間配分を怪訝に思っていたけれど、「日録」(後述)見たら別の可能性が浮上。…もしかして…出たのかな?(←ここは夏場の怪談みたいな語り口が相応しい?)
     奥様には毎度々々、変な脱線ばかりで相済みません(汗)。にもかかわらず続ける厚かましさよ(苦笑)。~近年の為替レートは1元=12.50円前後との事で、換算すると恐ろしい金額になるが、昔はずっと安く入手できたのだろう。約四十年前の訪台以降、どこから董其昌を買い付けたのやら。大陸では古美術品の海外流出禁止と聞く。ならば香港か台湾か。杉雨の師匠は西川寧。海外の人脈も広く、真贋鑑定の心配はなかろう。カネがあればいいというものではない。そんな感覚がバブルでおかしくなった後、骨董は日本人によそよそしくなったのかも。あたしゃ本物は似合わない。複製で充分。ケチ臭く僻みっぽい気がせぬでもないが、そんな感覚すら雲散霧消すると、今度は本格的な日本劣化時代がやってくるに違いない。
    http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1204
     さても慶ばしきは納涼会。しかも喜寿。仙人だらけの別世界を思い浮かべてしまう。
     先夜、展覧会主義一辺倒の書道界を「平家物語状態」に喩えました。見ると、そこに渡辺様の「日録」がくる。政治思想面に疎い苹には恰好のヒント。思えば平家物語は鎌倉時代の成立なんだなあ。なんでもかんでもこじつけて考える悪癖からすれば思わぬ視点が拓けていく様で、こんな有難い事はない。…で、比較するとどうなるか。比較と云えば西尾全集新刊目次にある論題でもあり、未読の段階で先ず、真っ白な罠に填る所から始める手も悪くはない。果たして先生の仕掛けはどんな警鐘なのか。(注意書きを)読む前に飲む薬はアブナイが、仙薬の処方箋は飲んだ後に読みたくなるから始末が悪い。こちらに届くのは祭りの後と相場が決まっている。溝口先生のも取り敢えず一冊、注文してきました。
     キルドンム様んとこの新築計画、書斎より書庫とのバリアフリーが最重要なんじゃないかしら。哀れな西尾先生(←冗談)が嘗て「日録」で避暑中ぼやいてたと記憶。
    【2012/08/03 21:27】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (独白)
     闇の中から、ひっひっひ…。書庫ネタ見つけた。西尾先生、渾身のボヤキ(↓)。
    http://book.geocities.jp/nishio_nitiroku/kako23.html
     あと、ひょんな事から「明晰夢」ってのがある事を知った。と云っても1980年以降に存在が認められ始めたものらしく、また当方では既読の脳機能関係書物で見かけた記憶がない。苹の夢がこれに相当するか否かは不明。ネット検索してみると通常の夢と違い前頭葉が活発化するとの記述が見受けられるが、使用した機械がPETか機能的MRIかも不明であり、これから色々と調べてみないうちは何とも。差し当たっては蔵書を読み返してからになるだろうが、それらはスペリーやガザニガなどの世代による研究を踏まえたものが多く、網羅的な記述は期待できそうにない。そもそも漢字と仮名の認知機能を局在論の立場から研究した本に、夢の話がどれだけ出てくるものやら。餅は餅屋と云うから、そちらの本職と接点もしくは面識がありそうな人となると、大学関係者か病院関係者に限られるだろう。キルドンム様に前者の、セレブ奥様の旦那様に後者の知り合いは居ないかなあ。
    【2012/08/06 08:39】 URL | 苹 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹樣へ

     ご推察の通り、納涼会兼「満年齢の」喜寿祝賀に行って参りました。当日は先生をお見送りしてからも何人かと遅くまで飲んでいて、博物館行きはその翌日のこと。
     杉雨の件、ただの「骨董趣味」と断じてよいのかなあ…。パネルにはあたかも故宮博物院で初めて思白に触れたかのように書いていたので驚いたのですが、その後の作風に明らかに影響しているわけだし。そもそも、これが十九世紀以前の写真もコロタイプも(勿論ネットも)なかった頃合なら実物や良い拓本に接する機会も限られていたでしょうから書家にとって研究が今日のようにままならないというのは理解できるのですが、昭和の後期にもなってこんなことがあるとは意外に思えたのです。
     で、福本センセイの本のこと。昔読んだ時に董其昌の実像よりももっと衝撃的だったのはその歿後の話。帝眷やら何やらで生前の悪名が隠蔽された上に、「こうして次第に聖化されていく虚像に対し、もはや疑いを抱くものはなかった」(『明末清初』25頁)という次第にあいなったことの方です。確かに生前の預見が当たったともいえなくもないでしょうが、歴史書に記されている人物像がどこまで真を伝えているか用心せねばならぬ好例ともなるのでは。そういえばこの仁、確か李卓吾だの袁中郎だのといった当時の反体制的知識人とも交際があった筈ですが、この一面も抹消対象となっていたものと。
     董の女装の故実を挙げられましたが、これ、小生の夢を解く手がかりになりました。つまり、美少女の視点からの夢、というより自らが美少女となる夢をみるというのは単なる願望ではなく、その心の奥底に潜む女性的要素を表出することにより、自らの真の姿を見つめなおすための一つの過程ではないかという仮説が立てられるわけです。してみると、玄宰の場合もそれを積極的に実践していただけで(禅の影響を指摘することもできますが)、「気味の悪い爺さん」ですませられなくなる可能性があります。…同僚に心理学の方々は許多おりますが、こういった素人判断を部屋に行き滔々と語るとそれこそ正気を疑われかねないので(もう遅いかも)少し控えております(汗)。
     溝口氏については必ずしも満足しているわけではありません。つくる会批判だって、世の訳有り顔保守の例に漏れず、さほど理解せずにしていた模様。なにしろお弟子さんが『靖国史観』なんて本を出しているくらいですから…。
     一昨日、古書肆で『書人まんだら 《東海の書壇人脈物語》』上巻(大野一英、ひくまの出版)なる本を購入。中、下巻が果たして無事に出ているのかもわからねど、苹さんがたびたび業界ネタとして挙げられるところのもの、少しは理解できるようになるかもと期待。

     
     
    【2012/08/06 18:37】 URL | キルドンム #m7FpRJaE [ 編集]


     苹さまネットの雷海の中よりご発掘の、九年前の先生の御文章ひさかたぶりに懐かしき思いで読み返す。今計画中の新居も結局は書庫が中心となる模様。この前の引越しの時より倍増しているので、それを考えると今から気が重い。
     後段はもっぱら『ニーチェ』(『全集』の次の配本はこれになる由)と清水氏の著作のことで占められている。実はニーチェが流行ったのは独仏のみならず二十世紀前半の漢土でも同じ、いや、少なくともマルクスなどとは比べ物にならないほど激甚な影響を及ぼしたのである。最近、ひょんなことから当時のニーチェ主義者(長年、ファシスト呼ばわりされてきていたが)の再評価を試みているあちらの研究者とメールのやりとりをするようになったのだが、その著書を看るに、ニーチェと文献学との関係をあまり重視していないようで…。いや、多分これまた先生にはあまりご興味は湧かれないことかも知れませんが…。


     うひひ…マニアックだなあ。董其昌=董思白=董玄宰とすぐ分かる変態仲間…じゃなくて閲覧者はそう多くないだろうに。そう云や西東書房からは「董思白臨柳書蘭亭詩」の表記で昭和58年に出てたっけ。「玄宰」表記の方は中国絵画~所謂「南画」方面か戦前の印象が強いけど、こっちは気のせいかも。いづれにしろ江戸時代から有名、帖学系の唐様やる人なら大抵は趙子昂や文徴明や董其昌を学んでた筈。翻刻木版の董書では天馬賦があったと記憶(うろ覚え)。西川師匠が絡む書跡名品叢刊のも昭和37年には出てましたから、若き日の杉雨が見てなきゃ却ってヘン。
     ただし作風への影響となると話は違ってくる模様。昔から慣れ親しんだ董書は小字ばかりで、杉雨が衝撃を受けたのは大字の方。その図版が季刊『墨』スペシャル01「台北・故宮博物院の書」(芸術新聞社)P.46に載っている。字径五寸大以上の楷書大幅を見て、画禅室随筆の第二則(位置の均等を忌む)が腑に落ちたそうな。杉ちゃん思わず「ワイルドだろぉ?」と唸ったかは知らねども、ともかく実像とは別に支那芸術の理念探求が勝った事は忖度可能。そしてそこから骨董趣味が董其昌へと向かう。芸術の内実に踏み込んで、「パターンより態度を重んじる姿勢」に感銘…って、なにそれ。
     後の研究を見ると白々しいと云うか厚顔無恥と云うか(虚偽も誇張も含めて「ありそうな話」ばっか)、「芸林百世の師」などと神格化するにも程がある。しかし純粋に美的判断を追究すると自然そんな話になっていくのでしょう。美の実相が人の実像を隠蔽する。…西洋でも誰だっけ、有名画家で物騒なのが居ましたなあ。ヒトラーじゃなくて、もっと昔の人殺し。才能を惜しまれ赦免された。…あと、杉雨が高く評価するのは他に徐渭が。妻ぶっ殺して自殺はかって死に損なった発狂文人。あたしゃ「半生落魄已成翁」で始まる七絶を『文人畫粹編』5「徐渭 董其昌」(中央公論社)P.34で見る迄は、内山知也『明代文人論』(木耳社)P.265の「負痾知幾時」云々が最も気に入っていた。その名が偶さか苹の雅号「渭苹」に通ず(爆)。
     閑話休題。~董其昌は書より画への影響が強く、そこから画論が偏っていったと見る向きも。江戸時代は南画の流行が日本画と対比的な印象だし、明治になると両方まとめてグッチャグチャ、みんな洋画に向かっていく。そんな西洋かぶれの風潮にいきなり北宋画院画派なんか持ち出しても、南画の感覚で一括りにされたら誤解の連鎖を招くだけ。それが所謂「水墨画」受容の実態なんでしょうなあ。テレビの「日曜美術館」では約二十年前、ホモ疑惑の戸田禎佑先生が細川護貞と出演した際「ハードボイルドの世界なんですよ」と言っていた。当時お禎ちゃんも杉ちゃんも共産中国の人民服(?)が余りにも似合い過ぎてたんで、実は苹ちゃん参っちまってたのよね…。
    【2012/08/07 20:51】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (独白)
    http://www.nishiokanji.jp/blog/wp-content/uploads/2012/08/zenkijyu1.jpg
     うわっ、「日録」に納涼会の写真が出たぁ(↑)。…どう見ても仙人らしくない。でも頭の中は怪物級のシンクタンク揃いなんだろナァ。そこが面白そう。ここに八木秀次先生を招聘したら、あらゆる疑念が解消されそうな気がするんだけど。そう思わせるくらい、写真の空気は清明に写っとる。その上で「ウォーリーをさがせ」…否、「キルドンム様をさがせ」。差し当たっては見た目が変態の人か髭の人に候補を絞り、妄想を楽しんでいる。

    (本題)
     前稿訂正。~徐渭について「妻ぶっ殺して自殺はかって死に損なった発狂文人」と書いたが、時系列上は「自殺はかって死に損なって妻ぶっ殺した発狂文人」とした方がよかったみたい。また久々に検索したところ、どうやら「半生落魄已成翁」云々が人気上昇中らしく、見ると画像あるわあるわ(↓)。
    http://www.aerc.nhcue.edu.tw/2-0-2/min/Xu-Wei/main.htm
    http://www.huaxiaculture.com/html/shuhuayijing/jingpinshangxi/201108/11-8982.html
    http://vr.theatre.ntu.edu.tw/fineart/painter-ch/xuwei/xuwei.htm
    【2012/08/08 23:25】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    > 苹@泥酔さん
    あははぁ~~

    写真送ってきたのが遅かったので、今頃になってやっと喜寿の会の写真を挿入することができました。 よくみつけましたねぇ。

    【2012/08/09 20:20】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    (独白追記)
    http://videotopics.yahoo.co.jp/videolist/official/sports/p3f1511aa4af1066c60ff151b5b6f0bc6
     変な人(例↑)の見当たらない納涼会写真に知らず知らず誘導されたか、なんとなく徐渭の画像を検索する気になったものの、董其昌まではすぐに頭が回らなかった。一般的な董書は比較的繊細な書きぶりで、大抵は斜めに絞る佇まいの行書や、ヒラヒラ渋く舞い降りる「枯葉の軍隊」の様な狂草が印象的な筈だが、件の大幅(↓)となると大違い。
    http://taiwanacademy.tw/en/archives/item/1117339.html
    http://elearning.npm.gov.tw/calligraphy/extend/Mpicts/showPic_.swf?gomenu=1&PicNum=15
     無理に言葉で表現しようとせずとも、画像を出せば一目で分かる事に気付かなんだ。また「『墨』スペシャル01」の方も、或いは青山杉雨の書いた原文をそのまま抄録(↓)すればよかったのかも。「型」の右に「パターン」とルビが振ってある。
    --------------------------------------------------------------------------------
    > 楷書の大幅があった。八尺に六尺もあっただろうか、字の径も五寸大を越す。その幅が拡げられた時に、アッと思わず叫んだ。紙面の構成とか効果だとかは、ここには意識されていない。目の前にある字をトツトツと書いて行く。字が多少曲がろうが、字間が開こうが、行がふらつこうが意にかけない。大事なのは一点一画をゆるがせにしないで書き抜くことだけで、そこに自然に立派な董書ができ上がっていることを、まのあたりにしたのは大きな収穫であった。
    > 董其昌はいわゆる旨い字を書こうとしているわけではない。晋人の風韻を追っているのだと、かつて西川寧先生が語っておられたが、これを見るとそうともいえる。字と字との照応だとか、行のたて方だとか、潤渇であるとか、書を書こうとする際、特にこの頃展覧会の作品指導の際などに、よくいわれる諸々の要素――それは董其昌の関心事の中心でなかったようだ。作品の型を意識しているのではない。書く態度を問うているのだということが、実作に多く触れる度によく呑み込めた。
    --------------------------------------------------------------------------------
     キルドンム様ご紹介の「漢土のニーチェ」ネタ(「尼采」って書くのか!)が気になり、今日は取り敢えず王前『中国が読んだ現代思想』(講談社選書メチエ)を買ってきた。ざっと見たところ第三章「異彩を放つ現代ドイツ哲学」冒頭に若干の記述がある。以下は印象に残った一つ(P.41~42)。ニーチェと五四運動時代…なんとも空恐ろしげな組み合わせになりそう(汗)。そうでなくても宗教弾圧キビシイご時世なのに…。
    --------------------------------------------------------------------------------
    > 徐梵澄が指摘したように、優れた古典学者であったニーチェは古典ギリシャの思想や文芸の影響を強く受けたために、古代ギリシャに由来したものをもって、近代ヨーロッパ文明やキリスト教を痛烈に批判したのである。国民の精神の改造という使命を魯迅から引き継いだ徐梵澄からみれば、ニーチェのそのような思想を中国思想に取り入れることによって、衰弱していた自国の文明を作り直すきっかけにすることができる。その中国文明の再建にあたって、ニーチェは西洋人の精神の教師だけでなく、東洋人の精神の教師にもなれると徐梵澄はその重要な意義を語っている。こうして、ニーチェを通して、五四運動の時の啓蒙思想家と一九八〇年代の新しい啓蒙時代の知識人がつながったのである。
    --------------------------------------------------------------------------------
     …あ、そうそう。『書人まんだら《東海の書壇人脈物語》』上巻って、どんな内容なんだろ?
    【2012/08/09 21:22】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


      さ~て、写真のどこにいるか、存分にお楽しみください(笑)。
      福本先生は「初めて書の美に目醒めた者にとって、彼(董其昌)の書は、ことに理解しやすい、とは、この際いわないでおく」と書いているが、もっと書と人との関係について、「その書に腎○の気なきにしもあらず」などと述べていたようにも記憶していたけれど、今確かめたらそんな言葉、どこにもなかった。あるいは、『明末清初』を読んでからこちらが勝手にその書に対する「先入観」を作った揚句、あたかも本に書いてあったかのごとく妄想を付け加えたのかしらん。
     なるほどね、小字ばかりを観ていたのならそういう妄想も湧いてくるのだろうけど、ご例示の大字なら杉雨さんの衝撃もわかります。もっともこれまで観てきた「董書」と違う印象を受けたなら、小生なら真っ先に真贋を疑うところだけれども。
     というのは、実経験に基づいているのです。今は昔、平成六年の春、当時留学中の小生のところに、ウチの両親や大叔母、そして母親の従妹など、ややこしい人たちが自衛隊の隊友会の観光ツアーにまぎれこんでやってきたとおぼしめせ。何故か小生まで一緒に廻る羽目に陥ったのだけど、あれは旅程も終わろうとする上海でのことだったはず。外国人向け土産物店に寄ると、なにやら掛け軸が一杯かかっている。父親がそのうちの山水画一つを指して店員に現代人の作かなどと阿呆なことを聞くと、店員が「そうだ」と答える。ふと見ると上の賛に「董其昌」と署名してあるではないか。無論、こんなところに真作がある道理はない。そこで店員に「あまり日本人を騙しなさんなよ」と言い捨ててから、父親に評価の定まらぬ今時の画家の作より、過去の名品の複製の方が安全であるむね告げる。こうしてこの絵は我が家の所蔵に帰したのだが(父親がいくら払ったのかは知らない)、さて最近になってあらためてよく観ると董の画賛なるものがその大字タイプ、といおうか小生の頭の中にあった艶美なものとはかなり異なる。それで今まで「本当に董書の複製なのか」と疑っていたのであるが、これで多少は納得した次第。なお、下の山水部分は元末の王叔明(蒙)の作、ということになっている。いずれにせよ、原画がどこにあるかは不詳。
     董書と聞いて真っ先に思い浮かぶのが、昭和六十年に神戸で目睹した天津博物館所蔵の楷書(その後、数年前に天津で再会したが)。これがまず頭にあったので、董書といえばこんなものだと「先入観」ができたらしい。まあ、書自体のみならず詩の内容がいかにも彼らしいといおうか…。すみません、その肝腎な作、画像を掲げようと思ったのですが見当たりませんでした(汗)。
    【2012/08/11 23:14】 URL | キルドンム #m7FpRJaE [ 編集]


     王前氏の著作では尼采について数ページしか割かれていないが、実のところ中国でのニーチェ受容史をたどるだけで相当分厚い本が書ける――目録としても『Nietzsche in China (1904-1992); An Annotated Bibliography』(by Cheung Chiu-yee, The Australian National University,Canberra 1992)というのもあるくらいで、現に、何冊か翻訳も手元にある(『蘇魯支語録』って、何のことだか分かりますか?^^; )。王氏も名前を挙げている、陳鼓応氏の『悲劇哲學家・尼采』(台湾商務印書館、1966年)という研究書(というより入門書か)もあるが、巻頭にニーチェ像とご対面あそばされているヒトラー氏のご真影もあり…。いや、それよりも書棚にはこの本と並んで同じく陳氏の『莊子今注今譯』が鎮座ましましていることの方が重大かも知れない。もともと陳氏は、ニーチェやハイデガー以上に、道家思想の研究者として著名な人物なのである。自らの主編になる『道家文化研究』の中にも、荘子とニーチェ、ハイデガーとの比較をした論文などを載せている。そこで、『西尾全集』第三巻の比較文化・思想に対する懐疑を述べられた文章を連想したりするのであるが…。これについて論じようとすると、やはり稿をあらためた方がいいかなあ(汗)。
     明日からしばらく帰省しますので、何か新発見を期して先述の董の贋作とにらめっこしておきます。
    【2012/08/11 23:56】 URL | キルドンム #m7FpRJaE [ 編集]


    >。『書人まんだら《東海の書壇脈物語》』上巻って、どんな内容なんだろ?

    うっかりしていました。まだ仔細には読んでいませんが、東海の書家の銘々伝だの、抗争史だのが中心のようです。それに諸流派を開祖を真ん中にした曼荼羅の形にして、「鳴鶴門下」「天来門下」をはじめ、「関西の漢字・辻本系曼荼羅」「翠軒に帰依する翠軒流曼荼羅」「師のカラを破る鵞堂流曼荼羅」といった調子で図式化しているといったものです。
     目次をざっと眺めると、「第一党の麗澤会がクーデター ゛豊道天皇゛からの詰問状来る」なんてのがあり、苹さんには周知のことで些か退屈かも知らねど、部外者には色々愉しめそうな模様。

    【2012/08/12 00:11】 URL | キルドンム #m7FpRJaE [ 編集]


     こっちは朝から墓参り。本家に寄って帰宅した後、苹は早速泥酔だぁ(カキコカキコ)。
    http://zh-tw.ebookcn.com/book/121087
     「蘇魯支」で検索すると「ゾロアスター」が出てくるのはともかく、あちらの宗教事情はかなり根が深い様子にて頭クラクラ(苦笑)。こんなの(↓)見つけて少し読むと、なにやら白蓮教が出てくるし、そこから白蓮門拳や義和門拳を連想すると、思い至るは「拳匪の乱」か、はたまた支那の文明開化、太平天国の周辺か…。
    http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/9613/yomimono/mani.html
     それにしても奇妙な巡り合わせでござる。本日BSジャパンで放送のジャッキー・チェン主演映画「酔拳」にビックリ仰天。なんと拳法の稽古場に、件の董其昌大幅が掛けてある(爆)。ピンボケで署名はよく見えないけれど、録画を見る限り間違いなくアレの複製。どんなルートで影印したのか不思議だが、これじゃあ著作権も複製権もメチャクチャやんけ(まさか故宮の売店になんぼでもある?)。当然こんなの(↓)にも合点がいった。
    http://mypaper.pchome.com.tw/q23518907/post/1320847130
     元末四大家の王蒙に、明の董其昌が書き込むのは時系列上でも自然でありますなあ。范寛や黄公望などの二玄社複製を見ても、兎に角やたら書きまくってるし。出所の確かな複製なら安心と云えば安心。本物かどうか疑わしい場合が逆に困るかも。~あれは二十数年前、盛岡市議会議員(当時)所蔵の書画展を見た時だったかな。その前の「内覧会」的な大学講義(?)で王鐸の楷書大字を見た折、苹は素直に真贋を疑った(終了後に茶人みたいな同席者が話しかけてきたけど、苹は人脈作りが苦手なの…orz)。後日、展覧会で議員本人にさりげなく諸文物の入手ルートを尋ねてみたところ、何が気に障ったのか、氏は声を荒げて怒り出した。台北への移送中に散逸した文物なら、そこそこ来歴は確かな筈なのになあ。政治家って、恫喝してみせるのがうまいのね。さすが小沢王国と感心した次第。(因みに、展覧会に王鐸のは出てなかった。)
     やっぱり苹はMr.ビーン、空気の読めないオトコなの(ここでヨヨヨと泣き崩れる)。辻本史邑、鈴木翠軒、小野鵞堂、豊道春海といった書家達にも、生きていたら必ずや毛嫌いされた事だろう。生者とて容赦はなく、たぶん西尾先生にもネ(←あくまで「面と向かえば」の予想)。なればこそ、「そこがネットのいいところ」。でも西尾先生の仰有る通り、「電子での記録は消えますね」(五分経過した頃ビビビのビ↓)。
    http://broadcast.kohyu.jpn.com/2012/08/post-19.html
    【2012/08/12 18:34】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >キルドンムさま
    >苹@泥酔さん
    なかなか二人の話にはついていけないので、
    合いの手?入れられませんが、よろしくお願いいたします。

    著作権ってのは、古くなったら50年くらい経ったら?なくなるから、複製してもいいんですよね。あれ、ちがった?
    【2012/08/13 21:21】 URL | 奥様 #- [ 編集]


      実家で確認したところ、件の画の原画、というより元ネタは、王蒙の「青卞隠居圖」(上海博物館藏)と判明。しかし…。元の作品と比べると色々不審な点が。詳細は帰濃後に報告します。
      下は下ネタ、でなくて元ネタ(汗)。

      http://image.baidu.com/i?ct=503316480&z=&tn=baiduimagedetail&word=%D4%AA%CD%F5%C3%C9%C7%E0%B1%E5%D2%FE%BE%D3%CD%BC&in=12761&cl=2&lm=-1&st=&pn=12&rn=1&di=383859388201&ln=1220&fr=bk&fm=bk&fmq=1345026013825_R&ic=&s=&se=&sme=0&tab=&width=&height=&face=&is=&istype=#pn12&-1&di383859388201&objURLhttp%3A%2F%2Fwww.hxchx.org%2Fuserfiles%2Fe%25283%2529.jpg&fromURLhttp%3A%2F%2Fwww.hxchx.org%2Fnews.asp%3Fid%3D245&W214&H800&T8361&S48&TPjpg
    【2012/08/15 19:30】 URL | キルドンム #m7FpRJaE [ 編集]


     あの大きいのでしたか。一目で董其昌の好みのタイプ(?)と分かる。小さい方はプリンストン大学付属美術館蔵で、どっちも昔『文人畫粹編』3「黄公望 倪サン 王蒙 呉鎭」(中央公論社)P.36~38で見た時、台北故宮蔵でないから二玄社複製の対象外なのは仕方ないんだろ、と諦めたのを覚えてます。なんぼなんでも具区林屋図では見た目ドギツイし。でも当時、あれで初めて解索皴(山水画の皴法の一つネ)を具体的にイメージしたのかな。後に青卞隠居図(上海の方)も複製されるとは予想してなかった(↓)。
    http://www.nigensha.co.jp/kokyu/jp/index.html
     なんか懐かしくて回春願望を刺戟されそう…って、あたしゃ一体どんなジジムサイ趣味の青春時代(?)を送ってきたんぢゃ?(苦笑…取り敢えずプロコフィエフの第一楽章でも↓)。
    http://www.youtube.com/watch?v=A6E55NPUJSQ
    【2012/08/16 00:46】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (余興)
     先夜、ここ暫くトイレ常備本としていた豊田有恒『韓国が漢字を復活できない理由』(祥伝社新書)を読了。ふと気が向いて、次に内藤湖南『支那絵画史』(ちくま学芸文庫)を持ち込んだところ、曽布川寛の解説に以下の記述(P.461)を見つけ忽ち不安に。
    --------------------------------------------------------------------------------
    > さて、こうして新たに流入した作品をベースに作り上げた『支那絵画史』は、当然のこととして従来の中国絵画史とは異なるものであった。これまでの絵画史は、主に鎌倉、室町時代に将来された作品をもとに作られ、南宋画院の李唐、馬遠、夏珪といった画家たち、つまり後に明の董其昌が提唱した南北宗論の様式区分でいえば、北宗に属する画家たちが根幹をなしていた。これに対して湖南が主張したのは(以下略)
    --------------------------------------------------------------------------------
     …これまで思い違いをしてきたのだろうか。苹の理解だと南画は中国趣味の一環で、書の唐様趣味とも通じる。それが幕末に流行した頃、南画は予め董其昌の影響下にあったと捉えていたのだが。湖南が論じる遙か以前に南画の見方は普及していた筈なのに、所謂「絵画史」の方は時代錯誤的史料観の下に構築されていたかの様な。そうした食い違いに引っ掛かった次第。
     湖南の著述部分を参照すると、例えば「南画小論」には以下の記述(P.292)がある。
    --------------------------------------------------------------------------------
    >(前略)相阿弥の如き人には、南画といふものの趣味が理解されたかと思ふが、其の他の人には殆ど解らなかつたといつてよろしい。それであるから、其の以後二百年以上も経つて、元禄〔一六八八―一七〇四〕以後享保〔一七一六―三六〕頃迄の間に、支那の文化が日本に一般に行渡つて、詩文を作つても支那人に髣髴たるものが作られるやうになつた所で、始めて其の頃の矢張り詩人である所の祇園南海等のやうな人から、南画が解せられるといふ風になつて来たのである。(以下略)
    --------------------------------------------------------------------------------
     してみると、幕末頃に見る南画の流行は趣味的行為すなわち実作と鑑賞の領分であって、学問の領分すなわち「絵画史」の見方とは異なると読む方がよいのかも知れない。画家は詩人でもあるが、必ずしも学者を兼ねるとは限らない。むしろ学者としては、一般的意味で云うところの漢学が主である。「絵画史」方面にどれだけ踏み込んでいたかは苹の場合まだ勉強していない。そもそも当時「絵画史」はあったのだろうか。明治以降の学問ではないのか。
     曽布川解説では南画以前の学問、例えばベースに五山文学などとの絡みを見据えているのではないかと疑えなくもないが、そこにいきなり「絵画史」てな語彙を持ち出されると困ってしまう。董其昌的南画観の行き過ぎを湖南の中に指摘する文脈なのは分かるものの、「しかし、鎌倉、室町の将来作品を中心に組み立てられた中国絵画史が主流を占めてきた当時の日本にあっては」云々(P.461)とまで書かれると、その具体例(当時=幕末or明治?)が苹には思い付かない。これは中国絵画史と云うより中国絵画受容史と云うべき領分だからこそ、その学問的「時代属性」への疑いまでもが付き纏う。
    【2012/08/23 20:09】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔さん
    キルドンムさんしか、話が理解できないかも・・・・・。

    で、どうして漢字の復活が難しいの?、韓国は。
    私が見学した女学校は漢字教育を復活させていたよ。
    【2012/08/23 21:24】 URL | 奥様 #- [ 編集]


      日曜帰宅後、あれこれと多忙でいましたが、ようやく先述の王蒙――董其昌の贋物について考察文をしたためようとしていたところ、『支那絵画史』のくだりを拝読してこちらも吃驚。小生もこれまで苹さんと同じような理解をしていましたので。
     とりあえず手元にある文献を斜め読みして大体の事情は把握。湖南書は大正頃の彼の見解に拠っているのだけども、明治期の南画の一時的衰頽と大正期の復興とが背景にある模様。そして、彼以前の北宗中心の美術・絵画史というのは、フェノロサ・天心一派の影響下に組み立てられたもの、そして、若き日の湖南もそれから無縁ではなかったらしい。天心の『東邦の理想』を看ても、ほぼ鎌倉・室町に将来された画の記述はかなり詳しいが、江戸期の南画については京都画壇の二流派の一としてのみ記述され、しかも「日本に到着する以前に既に硬化して旧型墨守となつてゐたこの新様式」(岩波文庫236頁)という認識。ちくまの『日本美術史』も確かめたかったが今見当たらず。
     なお、下記の記述も参考になります。

    >(清朝崩壊前に、当時の清朝要人たちが大量に書画を日本国内に持ち込み、東京学派ではなく湖南がその受け入れに関わったことについて)それまで日本にわたっていた「支那画」はギョウザ、チャーハンがシナ料理であるという意味ではたしかに「支那画」であったが、フカのヒレとかツバメの巣とかその他、宮廷、上流階級が宴会にもちいる正式のものとはまるでちがっていた。「シナを代表する」という意味からすれば当然そうした豪奢な料理の品々がそれでなければならなかったのに、そういうものはそれまでほとんど知られていなかったのだ。(青江舜三郎『竜の星座』250頁)

    またこちらも。

      http://repo.lib.yamagata-u.ac.jp/bitstream/123456789/5856/1/tucss-14-11.pdf

     昼間さんざん寝ていたせいか全然眠くありませんが、流石にそろそろ床につくことにします。明日は出勤しなければなりませんので。実家所蔵の贋物の件は、また後日。

    【2012/08/24 02:41】 URL | キルドンム #m7FpRJaE [ 編集]


     おお、有難や。~なるほどねぇ。フェノロサと岡倉天心でビビビときました。こちらの蔵書に相照らすと、佐藤道信の本(吉川弘文館のとか講談社選書メチエのとか)に出てくる日本美術の扱いと併せ読めば明治の空気が分かってくるのと似通った仕掛けですかい。それなら無理もない話かな。幕末否定の余波は維新願望に今なお支えられている観があるし、どうにか復活できたとしても、全くの別物にしか見えないゾンビ(さんかれあ、でなくてサンゲリア~これくらい見た目が違うw↓)となるケースもあるし。例えば昔の基準で「朦朧体のどこが日本画?」と口を滑らそうものなら逆に無理解を難詰されそう(汗)。郎世寧のを中国絵画として見る時の違和感より落差は大きいかも。
    http://www.tbs.co.jp/anime/sankarea/
    http://www.geocities.jp/buttai_xyz/sungeria.htm
     審美的方面でのマンネリ批判には西洋の影響が色濃く感じられます。詩書画一致の文人画が職業画家(画工)のそれと異なる価値観で育まれたのは衆知の通り。他方、西洋のは職人技術優位のギルド的価値を高めてきた歴史が背景にあり、宗教的価値を基準とする面も大きかったと記憶(となると水墨では、三酸図みたいな画題が分かりやすい?)。そこにオリジナリティー優位の価値評価が重なると、伝統墨守ってぇのは傍目にゃ些か分が悪い。そこまでは常識的な見方と云ってよいのでしょう。尤も、董源や巨然の様に影が大き過ぎて伝説の域にまで達するのも如何なものかとは思いますが。ただ明治以降、南画のテクネーが劣化したとは俄にゃ信じられません。むしろマニアへの憧憬が蔓延するにつれ、相対的に幕末文化が丸ごと継承しにくくなっていったかの様な印象。~要するに「生きた南画」が劣化したから衰退したのではなく、衰退させられたから劣化したのでは、と。
     書道側から見ると、或いは別の面も。~例えば苹は鈴木翠軒系の社中を内側から観察した事がありますが、そこでは翠軒と古典は学ぶけれども、翠軒の師匠は全く出てこないんですね。つまり古典が「師系との直結」を避ける方便となっている。「翠軒が学んだものを学べ」と強調する余り、脚下の師系~丹羽海鶴や比田井天来、日下部鳴鶴、そして菱湖の呪い(笑)が弔われていない(つまり葬られただけ)。だから個々の特徴を学べば学ぶほど「時代の空気」は顧みられなくなる。…当たり前じゃんか。古典が内蔵する「時代の空気」は大昔の外地に属し、直近の内地とは無関係なのだから。父母や爺婆を弔わずに、得体の知れぬ御先祖様ばかり崇める様なものだ。しかしいったん時代の空気を取り込むと、翠軒とは全く関係のない~例えば香川松石、玉木愛石、西脇呉石といった教育書道畑の人々が、翠軒と(これまた無関係…と云うよりは犬猿の仲の?)豊道春海とを繋ぐ、時代性理解の補助線に見えてくる事もある次第。

     あと、奥様宛の韓国ネタ。~もう漢字復活なんて無理じゃないのかなあ。日本では仮名から漢字への遡行システム復旧が可能ですけど、元々ハングルは漢字と無関係な表記システムなんだし。ハングルと仮名を一緒にされると迷惑だ。確かに機能は似通っているけど、そもそも来歴や「こなれ方」が違いますぅ。
     三、四日ほど前、こんなの書きますた(↓)。まだ短いから何か書き足すつもりで。
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    (四方山話)
     そう云えば、ウチにも一冊あったっけ…と思い出して、それらしき書棚を探したけど見つからなかったのが一週ほど前。それが本日偶々、別の書棚の奥から出てきた(小振りの本は皆、奥と手前の二列に並べておる)。それが豊田有恒『いい加減にしろ韓国』(祥伝社)。てっきり同じノン・ブックらしき『韓国の挑戦』だと思って居たが違った。これが苹には最初の豊田本だろう。H6.4.15初版第二刷で、挟んであるチラシには「10月最新刊話題作!」とあるから、その頃に買った筈。しかも挟んである頁が千字文の図版(P.103)ゆえ、それを目的に買った事が分かる。韓国は正直どうでもよかった。千字文とハングルの取り合わせが面白かった。おまけに豊田有恒と云えば「クルマの本を書く人」って認識なので、二重の意味で興味がない。当時の苹の買う本ではない。
     つまり千字文が総てのターミナル。過去十年に及ぶ書道ネタ中心投稿と基本は全く変わらない。そこからあちこち手を拡げたら、とうとう右翼みたいな方向に行っちまった(苦笑)。のみならず親玉ときたら西尾幹二、右も左もない素心の思想家は尚更ややこしい。こんなのは先入観とっぱらってから読むに限るのに、抑も先入観(←「興味」では語弊がある)がないのでは却って困ってしまう。あるとしたら、それらしき先入観には書道ネタが相当するのかな。一切合切ひねくれて、まともに政治や思想や哲学へと踏み込めそうな状態ではなかった。今だって実際どうだか。人生と後遺症は似ている。~それはともかく。
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    【2012/08/24 22:51】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (余談)
     或る年齢になると目が黄ばんでくる。見えるものも黄ばんでいるのに、いつもそう見えるから気付かない。見える「今」に、見えるものが支配されている。昔から「そう見えていた」かの様に思い込むと、昔の見方が見えなくなる。と云っても昔の時点で「見てない」ものに、「昔の見方」の宿る訳がない。~まだ目の黄ばみが感じられなかった頃の末期、どうにかこうにか後の自分の黄ばむ目を想像できた。きっかけは二つ。一つは自分で試した墨の色。一つは古い肉筆の書画、或いは精巧な名品複製。
     新しい紙は黄ばんでいない。墨は磨りたてホヤホヤ。~初めて唐墨「黄山松煙」を使った時、色が青過ぎてイヤラシかった。気に入る青墨が見つかったのは六、七年後。呉竹精昇堂と徽州のセン成圭とのコラボ墨「八寶霊丹」(センは瞻の旁)。漢方成分てんこ盛りの薬用墨だそうな(なんだソリャ?)。これならさほど青くない。蘇子瞻(東坡)の頃は松煙墨が使われたとの事で意地になっていたのかも。青くない松煙墨は数十年単位で寝かせる間の墨色変化を観察中。しかし何か腑に落ちない。墨は経年変化する。ならば人は?
     十年ほど前、約三十年前に書いた色紙のイヤラシイ青(黄山松煙)が落ち着いて見える事に気付いた。紙は宣紙、さほど変化は感じられない。となると微妙な変化は墨か目か。そこで古書画の出番となる。活字の古書が黄ばむのは皆様ご承知の通り。それに比べれば書画はさほど変化しない(ただしどちらも保存環境次第)。同じく約三十年前に当時の師匠から貰った掛軸も色紙も比較材料になる。しかし個人の体験に留まるうちは限界がある。
     高校で教えていた頃、なるべく墨色の違いを意識させようとした。生徒に墨汁は任せられない。業者いじめて全員分を安く大量購入、紫紺系、茶紫系、青系など揃えて好きな墨色を択ばせた。まだ目の黄ばんでいない、青少年時代の感覚を覚えていてくれるといいんだけどなあ。
     もしキルドンム様が、学生に「昔と比べて、ものが黄ばんで見える様になった人、どれくらい居る?」と尋ねたら…たぶん殆ど居ないだろうな(坦々塾ならともかく)。それと同じ事が聴覚にも云える。かの有名なモスキート音と同じくらい、目の見え方にも変化があるだろう事は容易に想像がつく。

     …と書いた後、「日録」新稿(↓)を読んだ。
    http://www.nishiokanji.jp/blog/?p=1216
     なんとなく、今夜のうちに書きたてホヤホヤの本稿を出したくなった…。
    【2012/08/25 22:04】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    数日前『GHQ焚書図書開封』第七巻落掌。こちらを先に拝読するか、それとも架蔵の唯一の長野朗著『支那の社会組織』(行地社、大正十五年)の方にすべきか迷っていたところ、24日の苹様稿を見て急遽変更、最初のリンク先の原作本第一巻を買って玩味することにしませり^^;
    物語がこの後どうなるかは知らねども、ただ既読分から判断するにこちらのゾンビも放置すれば容易に二つ目リンク先と化す模様…。何が言いたいのかといえば、実家の贋作にも一脈通ずるものがあるということ。仮に王蒙・董文敏公の原作を生体、二玄社の精巧な複製を「さんかれあ」的存在と名付けるとしよう。するとそれ以下の複製がいくつかのランクに分かれるとして、その最下級が「サンゲリア」的存在と呼ばれるものとなるが、その前に実家蔵のすさまじき状態について説明を。
    一応、ここでは画については敢えて言及しない。ただ、右上の作者自身の賛が文章自身は実物と同じであるが書体も書風も違うということ(上の董書部分と同一人の手になる?どちらも「圖」を「風」に似た書き方をしている)、そして原作にある乾隆帝の賛が存在せず、上方の空間一面に押されている賞鑑印も位置も種類もまったく別のものになっていることだけ指摘するにとどめておく(「文長」とか「汲古閣」とかといった印もあったが、そもそも徐渭や毛晉がこの画を所蔵していたことがあったのか?)。
    それにもまして、人を驚愕せしむるのは董書部分である。一番上の「天下第一王叔明畫」の「第」字だけが特に大きくなっていたり、「明」が楷体に近くなっていたりしていて、もはや「贋物」というより別作品に近い。
    その下のところも同様。書風はおろか、字の配置すら原作とはまったく異なり、董書とは似ても似つかぬ。それが先に述べた、初見時の違和感の原因。もっとも一応、最初の行だけは原作に基づき臨書を試みた形跡は残っている。ところが段々面倒になったのか、あるいは横に置いてあった筈の手本が活字に差し替えられでもしたのか、どんどん董書とはかけ離れていき、ついには「得」字(動詞です)を同音の「德」に書き間違えているといった塩梅。
    何よりも傑作なのは、最後の「董其昌」という署名部分。「昌」の下の方が奇妙につぶれて左に寄っており、その横にもう一つ「日」が書き加えられているのだ! この跋の最後の記載によれば万暦四十八・泰昌元年庚申(1620)の中秋の日、蘇州の金昌門でこの画を見たということとなるのだが(例の事件で郷里に居れなくなり、蘇州に逃亡している時)、同じ日、同じ舟の中に、董其昌と「董其晶」という相似た名の二人がいたのであろうか?(笑)
     確か中西慶爾氏の本だったかと思いますが、満洲国当時、奉天の路傍で一見して贋物とわかる当時の著名書家たちの名を冒した代物が堂々と売られていたということを読んだことがあります。これが今でも変わらないということに半ば呆れ、半ば安堵するのですが、この現象…書画骨董の世界のみにとどまらず、彼等の行動原理を読み解く鍵になっているのではないですかね。

    【2012/08/29 22:31】 URL | キルドンム #m7FpRJaE [ 編集]


    〈補足〉 実家の例の掛軸ですが、気のせいかこれと書風が近いような…。ハハ、気のせい…だと思います(汗)。

      http://auction.artron.net/showpic.php?picid=art70192523

     本日『さんかれあ』第二巻購入。これから読みます。
    【2012/08/29 23:13】 URL | キルドンム #m7FpRJaE [ 編集]


    > 苹@泥酔さん
    墨の色・・・・・確かに・・・・青っぽいのありますね。

    硯で墨をするのって、いい香りがして、気分もとてもいいですよね。

    >キルドンムさん
    豊田本は見つかりませんでした。
    あれ、これってどこかで書いたかしら・・・・。

    お二人の会話には合いの手入れなくてもいいかなぁ・・・・
    難しすぎて、ついていけない。
    【2012/08/30 22:07】 URL | 奥様 #- [ 編集]


     うわっ…なんて事に…キルドンム様が毒されたぁぁ?…さんか…れあ…このネタ出さなきゃよかったかな…あたしゃ原作は読んでない…偶々BS深夜アニメを倍速で見ただけ…とりわけ最終回がひどかった…本来の深刻さを持て余してたのかしら…想像したくないのは西尾先生…学究ゾンビ二百歳の見事な腐れっぷり…あ…また余計なの書いた…(汗)。
     閑話休題。
     前に書いたネタで、もう一つ思い出しました。盛岡の議員さん所蔵書画にスゲエのが。なんと米元章と蘇軾と文同の大物三人書画合作、どう見ても同じ手で三人分の画賛が書いてある(それ以外は覚えてない)。~書道畑にゃ文同は縁遠くても、当時は多くの人が故宮複製(二玄社)の各地巡回展を見てたのね。他方、こちらは山水画で米点だの雨点皴だの没骨法だの積墨法だのに着目したり、海岳名言にある「臣は書を刷す」の解釈を刷毛目状の書法にこじつけたり…てな与太話はともかく、あの合作は苹の眼にゃ強烈に胡散臭かった。あんまりなんで遠慮したけど、もしかしたら「誰か指摘する奴は居るか?」てな意図でわざと展示してたのかも。そうならもっと素直になればよかった。(どっちみち後で激怒させる結果になるんだし。)
     複製と云えば、翠軒流の社中が添削に使ってた広間にも面白いのがありました。あれが楽しみで片道一時間、車を走らせた面もある(ついでに音楽かけて失神ドライブ三昧)。場所は青森市の広田神社。范寛の谿山行旅図、小振りの模写。良心的な倣古姿勢は見ていて心地がよい。腐れた支那人の行動原理より、むしろ本気の支那人に空恐ろしさを感じました。…たぶん、あれは支那人の手。さほど古くはなさそう。もし日本人の手なら、それこそ南画のテクニック健在(模写当時)って事になる。
    http://ikkannet.exblog.jp/6938701/
     因みに、昭和の南画指南書は清雅堂から何冊か出てたっけ。著者は日下部道寿、半世紀前の日本人には結構しっくりくる画風(こんな感じ↑)。それに比べると昭和末期に出た藤原楞山『水墨画法』全十巻(二玄社)は内容豊富で勉強になる反面、画風となると恐ろしく近代支那臭い。さもありなん、著者は斉白石の弟子でござる。古今の名画図版(張大千を含む)が巻末にあるのは有難いが、見方を変えると却って日本の南画の特殊性(?)を痛感させられたりもする。南画と雖も、日本に入れば自ずと日本的になっていくんだなあ…。
     それはそうと、キルドンム様。
     「俺の名前は引導代わりだ、迷わず地獄に堕ちるがよい」(←BS日テレ再放送中の時代劇「長七郎江戸日記」決め台詞)…じゃなくて、迷わず長野朗と西尾幹二を読んで即身成仏して下さいまし…。
    http://www.bs4.jp/guide/drama/choshichiro/
     今夜の締め括りは不躾に、童謡「ぞうさん」の替え歌でも。
      「坊さん♪坊さん♪お墓でながいのね♪
         そうよ♪婆さんも♪ながいのよ♪」
     長生き婆さんの「合いの手」は、有難き「対話の弔い」…と書いたら怒られる?(汗)
    【2012/08/31 00:45】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


     毒されているのは元々ですので、あまりお気に留められないで下さい(汗)。勢いに乗って第十一回までアニメの方も見てしまいましたが…。本放送時に注目していなかったのはうっかりしていた。今夜中に最終回まで確かめようかな。まあそれはともかくとして。
     米・蘇・文の合作で同一筆跡ですか。それも無茶苦茶ですな。文同ってどんな字を書いたんだったっけと思い、確か文集の最初の頁に写真があった筈と書庫の奥を引っくり返してみたけど探し得ず。おぼろげな記憶では親戚だけど東坡とはまた違ったタイプだった筈。
     日下部道壽ですか。また探してみます。楞山の方は勤務先の図書館にあり、昔授業の参考資料として使ったことがあります。実のところ小生の南画の認識は、いまだに子供の時から絶えず眼にしてきた大叔父(外祖父の仲弟)の画の影響下にあることは確実。もう三十年近く前に亡くなっているのですが、母方の一族のどの家庭に行っても、必ず床の間には大叔父の作が掛かっています(勿論、無料で親戚に渡した訳ではない。取る物は取ったとのこと)。実家でも普段は大叔父の山水か百壽図だったにもかかわらず、この前の帰省時は「董其晶」だったわけで観る人がみたら恥ずかしい(汗)。
     長野本も少し読みかけていますので、どうか安心めされよ。もっとも、その前に後藤朝太郎『茶道支那行脚』(峯文荘、昭和十三年)の方を優先して片付けねばならないのね。長野も後藤も、「支那通」として一世を風靡(そうだったかなあ)した人物ですが、その支那観はある意味対極にあるのでは。どちらの側が真相に辿り着いているのか、あるいはどちらも究極的には同じ視点に立っているのか。ま、そげなことを思いつつしばしの間読書の快楽に耽ろうと思っています。さる事情(もう少ししたら公表しますが)により今月半ばまでに読むべきものは読んでおかねばならぬので、色々とあわただしく…。
     と思いつつ『諸君』十月号をふと見たら、吃驚仰天。何かというと、宮崎正弘さんの文章ね。標題のことについてはそれほど異論はないのだけど、冒頭の與那覇潤さんの『中国化する日本』について述べてあるところがヒドい。「実は、全然読んでもいないのでは…」とすら思えるほど出鱈目なことを書いている。ここまで行くと「誤読」のレベルをはるかに超越しているとしか…。それに「中国人学者の書いた」って何のこと?これまで宮崎氏を「新支那通」「今後藤」として認めてきたけど、どうやらその評価を改めざるを得ないかなあ。まあ、もともと歴史にはあまり詳しくない人でしたし。
     小生は、與那覇氏の本を一種の「警世の書」としてとらえています。要するに、今後の「中国化」によって「江戸社会」が破壊され、「ブロン化現象」により日本は大ダメージを受けるというのが主旨だった筈。宮崎さんの批判しているのとは正反対なのですよ。小生とて與那覇氏の主張に全面的に賛同しているのでもなく、その図式にはやや首をかしげざるを得ないところはあります。ただその主張を正面から受け止めて対峙する、という内在的批判こそが大切。それをまあ…。
     與那覇氏の本を読むと、あの中国社会の「つきぬけたような明るさ」(笑)の由来についても思い当たる節が色々と…。喩えるなら、次の歌のような。

    http://www.youtube.com/watch?v=9xxAp1q9k00
    http://www.youtube.com/watch?v=7j04wuhEcdM

     とまあ、この調子ではなかなか成仏できそうにもないというのが現状です(汗)。
    【2012/09/05 00:52】 URL | キルドンム #m7FpRJaE [ 編集]


     げっ…なんか、とってもシュールな未知のアニソンに心乱された気が…(汗)。特に曲調と歌詞とのギャップに戸惑いが大きく、傍目にゃ互いに変態的アニヲタ疑惑(?)を鋭く抱かれつつあるんじゃないかと危惧する昨今ではあります。…こんなネタ、一体どこから仕入れてくるんだか。まさか親類縁者か生徒か教員仲間に、「濃い」趣味のブレーンがお誂え向きに潜伏してるんじゃなかろーな(これはこれで恐ろしいものがある…ゾンビ後遺症っぽいスプラッターな気配もちらほら)。しかもそれが、「あの中国社会の「つきぬけたような明るさ」(笑)」の喩えとは。~取り敢えず週末にでも『正論』買ってきます。
     あと念のため、「米・蘇・文の合作で同一筆跡」の件で誤解なきよう書いときますが、あれも(文同はともかく)それなりに書風の特徴は書き分けてあるのですよ。でも様々な書家の臨書集を見慣れると、古典それぞれ書き分けたつもりになっているのは本人ばかりで、あの臨書は右卿の手だとか翠軒の手だとか、そっちの方が丸分かりになってしまう。むしろ分かりにくいのは、右卿の弟子が古典臨書すると自動的に「右卿の臨書みたいになっちまう」点(苦笑)。それが云わば、米元章と米友仁と呉キョ(王偏に居)の見分けがつきにくいタイプのレベルでござんす。~このレベルでは、例えば『翠雨雑記』(北の街社)の巻頭写真に見る宮川翠雨の日展特選作(昭和38年)辺りが師匠・鈴木翠軒のと見分けにくかったかな(ただし筆の根元で畳の目を活かす点は除く~この差異が後々、翠雨門下と元祖翠軒の距離になる?)。そうした翠軒門下の古典臨書ともなれば、もう誰が書いたかサッパリ分からない。分かるのは精々、古典そのものではない事と、翠軒流の人が書いた事くらい。
     日本人は真面目に師事するから大抵そうなるけど、どうやら支那人の場合は真面目さの方向がかなり違うみたい。そこが却って面食らう種となるのかも。だから拙稿では、臨書/模倣観の重層性を踏まえて「わざと展示してたのかも」と書いた次第。そうとでも考えない限り、あんな比較しやすい=判別しやすいネタを出す筈がない。抑も大学自体が「先生の見せるものに間違いはない」と盲信しがちになる環境だし、そこに成績評価が絡むとあらば尚更そうなりやすい。高校時代の優等生(←広義)に懐疑心を期待する方が或いは無理なのかも知れませんが、そこを潜り抜けないと中国や韓国の優等生気質(反日無罪?)みたいな感じのまま、無闇やたらに卒業させちまう結果となる(そこから先は学閥形成まっしぐら)。~もちろん高校でも大学でも、懐疑心を持つ以前の知識が不充分な場合「懐疑心ほど危険なものはない」となるのは承知の上でやんす(まるで論語の「思而不学則殆」だナw)。にもかかわらず、その按配に教える側が遅々逡巡するうち、いつの間にか生徒達は自ら留年したがる事もなく「すんなり卒業してしまう」。
     うっ…だんだん話が変な方向に脱線してきたな。ともすればウッカリと、「いっそ留年生を優遇すべきだ」とでも云いたくなってくる(中国人留学生をどんどん増やした結果ゴッソリ逃げられた各地前例に比べれば遙かにマシ?)。学校に想定外の授業料収入が期待されるからではない。むしろ単純に、逆説的向学心の発露と空回りが愛おしい。高校での場合、自らの意思で居残って授業課題を余分に練習してた生徒がそうだった様に。…しかし、だからと云って「向学性留年」を対象とする学内審査を経た授業料優遇もしくは減免制度なんか設けたとしても、やり過ぎると却って収入不足になったり、就職浪人の巣窟となったりする可能性が極めて高くなるのだろうけれど(汗)。そんな所に革マル派みたいなのが入り込んだら踏んだり蹴ったり(苦笑)。こんな事案、教授会では即「却下」になるんでしょうな…。
    【2012/09/06 23:35】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    >苹@泥酔 さん(いつもさん・・・・でごめん)
    >キルドンムさま
    私には分らない話だから、お二人で心行くまでどうぞ~

    きっと同世代だよね、お二人。
    【2012/09/08 23:04】 URL | 奥様 #- [ 編集]


    >きっと同世代だよね、お二人。
     あ…奥様、そう見えますかねぇ。そうかも知れないし、そうでないかも知れない。生徒相手の若作り(話題作り)は一種の職業病みたい。例えば或る高校の先生が、或る大学の先生になりますた。そしたら高校教諭時代(大学非常勤講師時代)の言い回しが、だんだん大学助教授らしくなっていった。他方、高校教諭のまま定年を迎えた先生は今も昔も大学然とした言い回しをしない。そうした意味では職務環境上、キルドンム様の方が分裂的な契機に富んでいるのでしょう。教官相手、学生相手、家族相手に、果ては変態相手ときたもんだ(笑)。これを融通無碍と云うならば、言い回しやネタが自然体となるのは好ましい事かも知れないし、どこかで相手方にはストレスが溜まるかも知れない。そこに超越を齎すのが学問であるならば、学問はコミュニケーションのツールをも兼ねる事になる。
     苹の場合は地獄の教員時代、飲み会で学問の話題に踏み込めませんでした。それはくだけた話題でも同じ事。例えば或る教頭が「リストの前奏曲が好きだ」と云った時、私はその表題の交響詩がさほど好きではない上、他の曲が脳内であれこれ錯綜、思わず口ずさんだのがハンガリー幻想曲。たぶん教頭は苹がドヴォルザーク《新世界》第一楽章か何かと間違えたと思ったんじゃないかしら。リストの十三曲ある交響詩では《マゼッパ》がピアノ曲(超絶技巧練習曲集)との対比で興味深いけど、もしかしたら教頭はピアノ曲にありそうな方の前奏曲をイメージしていたのかも(あるかどうか調べてない…全集そもそも持ってない)。かと云って《巡礼の年》などの話題でごまかすのも気が退ける。リストとパガニーニやワーグナーとの関係ならツッコミ所もあったのだろうけど。
     苹にとっては専門外の話題~例えば中国絵画ネタでも盛り上がれるなんて、現実世界の身近な環境では殆ど期待できないからこそ有難い。ゾンビのネタだって、そのうち古事記に繋がるかも知れない(黄泉の国に行ったら追いかけられちまう所なんざ、オルフェオを凌ぐ出来映え?)。~この話題も専門外。しかし、こっちはこっちで面白そう。
     …今、かなり酔っ払ってるみたい。以下、昨夜の未完稿でも出しときます…。
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    > 弔う意識と、無意識の弔いと。~先月末はセレブ奥様を事実上の「長生き婆さん」に見立て、此処での「合いの手」を「対話の弔い」と表現した。そこでの合いの手は語り部の視点とも云える。実際に対話しているのはキルドンム様と苹でありながらも、何らかの合いの手がないと対話の円環は閉じたまま、喩えるなら~トリスタンとイゾルデだけが盛り上がり、管弦楽なき空虚が歌の合間に漂う様な。すると意識は空虚に向かうだろう。それまで無意識でもよかった筈の管弦楽は、二人の外に流れる合いの手だった。敢えて駄洒落を持ち出すなら、愛の手が「愛の死」を迎える瞬間は沈黙と紙一重でもある。語り部が言葉の背後にあるのは自然な在り方で、或いは古事記の語り部と大差ない様な気がせぬでもない。語り部には自ずと伝説的長命性が期待されてくる。語られた事を(葬るのではなく)弔う視点が要る。そこが西尾先生の焚書本とも異なる。
    > 焚書本の第七巻で解説するエヴァンゲリストは、長野本と現代とを繋ぐ。支那の実態が暴露され、文化の高踏的一面は相対的に霞んでくる。「なんだ、この本は悪口ばかりじゃないか」と呆れる中国学者が居てもおかしくない。道徳、芸術、文化の模範を前提した教育的立場から見れば「不都合な真実」満載、あらゆる点で教育目的には合致しない。つまり今は、修身を失った戦後教育の方が道徳的である。教育が道徳だから、修身は必要ない。そうした意味で逆に歪んでいる。この点を踏まえて虚心坦懐に読まないと、過度に中国アレルギーか西尾アレルギーのどちらかを発症してしまうかも知れない。むしろ江戸時代に普及していた支那ウイルスへの免疫がある人は劇症化せずに済む。
    (以下、未完)
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    【2012/09/09 02:30】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    (本題)
     こちら(↓)での書き込みによると、キルドンム様はもうじき旅立たれるとの事。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-1366.html
     あちらの国民性(どちらの国ぢゃ?)と不穏なタイミングを思えば、領土をめぐる有事で日本人は総て強制収容所へ…とは真逆なるまいが、少なくとも暴漢に襲われる危険はそこそこ高まりそうな国に、取り敢えず年末までは滞在する事になるのだろう。…どうか、ご無事で。(岸壁の婆も変態も共に祈っとる。)
     もし想像通りの国ならば、あちらには確か国策としてのネット規制がある筈。此処=奥様ブログ、おちょくり塾、日録、西尾先生の動画第二弾(↓)など、あちらでは閲覧できるのかしら。どれも当局の検閲に引っ掛かりそうなのばっか(苦笑)。
    http://broadcast.kohyu.jpn.com/2012/09/post-23.html
     もし、何年か前の逗留時(アレ何処だっけ?)とは気配が違っているとしたら。反日デモで発散できる程度なら、単に近寄らねばよいだけの話かも知れない。しかし、誰もが眼をギラギラさせて押し黙る様な雰囲気になったとしたら。…いや、たぶん杞憂でしょうな。なんぼなんでも三月半の間に、そこまで事態が悪化するとは思いたくない。でも今回は、いつもと何かが違いそうな気がせぬでもなし。(←単なる嗅覚の話ですぅ。)

    (余談)
     下記引用は、西尾幹二『GHQ焚書図書開封7』(徳間書店)P.295より。
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    > 私もよくいうのですが――もし豊臣秀吉が明を滅ぼして仮にシナに日本の王朝を樹立していたら、日本はしだいにシナと一体化して、最終的には日本列島が変化し、とんでもない結末になっていたのではないでしょうか。ですから、秀吉があの朝鮮征伐に敗れて、その後、徳川幕府が内側に引きこもって三百年間、日本民族のアイデンティティーを守り続けたことはよかったんじゃないか。それが、日本が近代国家として自分自身を守り得た所以だと考えています。そんなことも、これからわれわれ日本人が深く考えていかなくてはいけない問題点だと思います。
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     これと拙稿(2010/05/19 00:01)を読み比べると、スケールに雲泥の差があるのがよく分かる。苹のは精々、戦後の在日朝鮮人止まり。しかし対比しながら読み返すと、また別の発見があって嬉しくなった(↓)。
    http://celebokusama.blog17.fc2.com/blog-entry-924.html#comment
    【2012/09/12 01:03】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


    色々ご心配をおかけしているようですが、最低限は気をつけて行きたいと思います。まあ、訪問先は「古巣」といってもよいようなところですし。それにつけても思い出すのは某恩師が日台断交直後、反日暴動の報道を観て心配された御父君が泣いて止めるのを振り切って台湾に留学しに行った話。時を超えてその繰り返しが…ともいささか不遜なことを考える今日この頃なり。

    >きっと同世代だよね、お二人。

    さて、どうでしょうね。苹さんの方が小生より10~15ばかり年上のように感じてたのですが。

    >職務環境上、キルドンム様の方が分裂的な契機に富んでいるのでしょう。教官相手、学生相手、家族相手に、果ては変態相手ときたもんだ(笑)。

     分裂的契機なるものはあまり意識したことはありません。前三者がすべて微妙な差異を呈しつつ「変態相手」と重なっているのですから(笑)。それに、大学教員の間だってあまり学問的な話題は出ませんし。せいぜい、共産趣味者とのやりとりでパロディ主体思想用語を駆使するのが関の山。
     ああ、文同の書跡ですが、史樹青著『文物鑑定家が語る 中国書画の世界』(大野修作訳、大修館書店)の99頁掲載、伝・文同「倒垂竹大立軸」の落款で確認。「伝」というのが気になるのですが、模本・臨本でも「題字も文同の原作によく似ている」と書いていますからそんなに外れてはいない模様。たしかに蘇・米のどちらとも違った感じです。
    【2012/09/12 23:58】 URL | キルドンム@今日は壮行会で悪酔い中 #m7FpRJaE [ 編集]


    > 苹@泥酔 さん
    そうか、キルドンムさんの方がだいぶ若いかな~

    >キルドンムさま
    そういわれれば、 苹@泥酔 さんの方が年上って感じですね。


    【2012/09/13 21:37】 URL | 奥様 #- [ 編集]


     日付も変わってキルドンム様、明日はお立ちか(←古るっ!)。
    http://www.youtube.com/watch?v=Eu8r7MjdPvc
    >苹さんの方が小生より10~15ばかり年上のように
     まさか。でも『少年倶樂部』連載の「冒険ダン吉」を読んで育った、真っ赤な苹果を頬張るネイビーブルーのTシャツの「年下」が居たら気持ち悪いかも。(結局は年齢不詳の変態怪人w)
    http://www.youtube.com/watch?v=MGWOvPb4rgg
     「分裂的契機」については、只今「日録」で連載中の吉本隆明ネタと重ねてみたくなったりしてます。勿論その前に、分裂的であり続けるためには持続性の担保=刷新が必要。人は一方的に老いていく。ところが「学生相手」の場合、学生でなくなった後釜に新たな学生がやってくる。この「永遠の集団」(?)から遠離る事で、分裂性が「老いてゆく私」と共に過ぎゆく以上、平素わざわざ意識するまでもない。そうした意味でも例の「若い人と話が通じなくなった」てな言い回しには、あらためて何か味わい深いものを感じます。
    http://www.nishiokanji.jp/blog/?m=201209
     ~革命を必要としない帰結。持続に根差した錯乱。余りにも自明な無目的性(苹は無目的と保守との類似を無為の領分に限定して疑う)。それらを大掴みする「歴史の中の私」。これらが沈黙という静態に引き籠もると、もはや他者としての学生は要らなくなるのではないか。最後に残る学生としての自己を私は時に回春願望へと託けたりしますが、かと云って生命力と解釈するのは羞ずかしい。生命が破滅を予定しがちな事を、普段の私は忘れているからです。そこんとこを不気味にメルヘン化したかの様な深夜アニメが流れる昨今、たまには「人類は衰退しました」のタイトルに絶句しつつも「他人事の若さ」に酔いしれる…(アニソン挿入↓)。
    http://www.youtube.com/watch?v=oGJQxPzK_xk
    http://www.youtube.com/watch?v=LxHvOBVnKy8
     …やっぱ書いとく。苹はアニヲタではない筈だが、約二十年前にアニメ「少年アシベ」で偶々「ゴマちゃんの書道教室」の回を見たのが観察を始めた契機。書道は巷間どんな印象なのかと。
    【2012/09/14 00:42】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


     ああ、そうか。毎年学生を迎え入れ、送り出している「永遠反復」の気分にひたりきっていたが、気がつくと向こうは変容をきたしていて、こちらとの疎外もどんどん大きくなっていっているということですか。最近、学生と話している時にその父親の年齢が自分とそう変わらないことを知らされ、かなりショックだったことがありますが、それを掘り下げていくと「若い人と~」との感慨に到達するのかしら。
     別にアニオタであるつもりもないのですが…。こちらに赴任してから独身時代、翌日の授業の準備を深夜シコシコとやりながら、何ともなしにテレビをつけて覩(魅)入っていたのがきっかけかしら。それでもたまたま出遭った、自分の口に合った作品を掘り下げて研究するといったやり方ですから、縁なき作品は名前すらおぼつかないといった状態でして…。それでも修行の甲斐あり(?)、家人のみならず学生にもオタク認知されつつあります(家内もかなりの…と思っているのですが、観る種類が微妙に違う)。
     結局ドタバタしていたので、その間読もうと思っていた本も読めませんでした。やむを得ず『支那の社会組織』の方は中断して、これから就寝までの間、『開封』を少しなりとも拝読してから早朝出発しようと思います。では、また。
    【2012/09/14 22:59】 URL | キルドンム #m7FpRJaE [ 編集]

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    【2012/09/14 23:03】 | # [ 編集]


     早朝出発ですか。応援歌になるかどうか分かりませんが、取り急ぎ、取り敢えず…(↓)。
    http://www.youtube.com/watch?v=hMq-9uIipaY
    【2012/09/14 23:22】 URL | 苹@泥酔 #SFo5/nok [ 編集]


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