一ヶ月に一度、特別養護老人ホームに行き、
粘土クラフトの作業をすることによって、
老人と遊ぶボランティアをしていることは以前書きました。
友人と四人で行くので、出席する老人の人数にもよるけれど、
一人が四人くらいの老人を受け持つような形になります。
手先が思うように動かない人や
こちらの指導がまったく分からない人もいるので、
出来ないところは、どうしてもこちらが代わりにやったりします。
私たちも神様ではないので、
すべての人を平等にかまってあげるということはできません。
自立している度合いが多いと、
ついつい任せてしまって、手伝うことが少なくなるのです。
ある割合元気なおばあさん。
「私にはぜんぜんかまってくれない!」

「私だって、何をしていいかわからない!」

「ふん!」

・・・・・・・そう言ったとたん、粘土を投げてしまいました。
どんな人でも、
いくつになっても、
自分を一番大切にしてほしいんだ。そんな「嫉妬」に近い感覚、
人間の業といいましょうか、
自分だけへ、時間をかけ、思いをかけてほしい気持は
死ぬまでなくならないし、
年をとればとるほど、制御できにくくなる
奥底にある潜在意識の一つなんだろうなと感じました。
人間は聖書の言葉ではありませんが
「産めよ増やせよ」という繁栄のプログラムを背負って生き、
そのためには、自分が一番有利な条件で
他からの賞賛や、愛や、資源を身に受けることを求めます。
それらを欲望と言ってしまえば、
利己的な悪のようにも思えますが、
生命のプログラムの果てにある自然の流れだと思えば、
そのような、他人が自分より多くかまわれることに対して
「嫉妬」したりする感覚はある意味
仕方ないものなんだろうなぁ・・・と、思いました。
「嫉妬」は古今東西を問わず、人類が生きている限り
永遠に続く他者との摩擦の感情なんですね。