ここに時々コメントをくださるマタヤン先生とも、以前だいぶ話し合ったことがあるのですが、そのときも結局話は煮え詰まらないままでした。結論の出る話ではないのですが・・・・。
マタヤン先生は「男らしさ」

「女らしさ」

を端的に表現できなければいけないとおっしゃっていました。
で、私はそれはもともと漠然とした概念なのだから、一言では言い表せないし、人によってその捕らえ方はまちまちであると答えました。
(確か・・・・そうだった)
でも、きっちりとした言葉で表現できなければ、「男らしさ」「女らしさ」はない、と主張する人たちを説得できないというのです。
確かにねぇ・・・・・・・。
「〜らしい」というのは、その〜の良さを主に表現していることです。
「〜らしくない」といのは、結局あるべき〜の反対面を表していることですよね。
じゃあ男そのもの、女そのものは何かということにやはりなります。
で、フェミニストはその生物学的差をたいした差ではないと捕らえます。赤ちゃんを産めるかどうかの違いだけ・・・・みたいに。
しかしですねぇ、すごくまれな例外以外、やはり男女の差というものは、古今東西を問わずに厳然としてあり、民族間の差異よりも男女間の差異の方が大きいので、男女の違いというものは天と地くらいかけ離れた「差」=「違い」であると思うのです。
それがどう違うかというと、全ては生殖に関係ありますよね。
(うちの娘も時々ここを読んでいるらしいので、ちょいてれますが、まいっか)
精子の数と卵子の数が、全ての男女の差を生じさせていると思います。
男性はやはり、できるだけ数多くの女性をターゲットにしたい本能があり、女性はできるだけ強く、立派な男性を一人自分のためだけに確保したいという本能がある・・・・ということです。だから、男性には大勢の女性と平行して付き合うことにあまり抵抗がなく、女性は大勢の男性と同時に付き合うことは難しい。
女性が大勢の男性と付き合っているように見える時は、まだ特定の人に絞っていないときであり、見比べている段階なのです。男性が一人の女性と付き合っているのは、現代の結婚制度による縛りであり、本能に反する状態なのです。
ん〜〜〜〜何が言いたかったんだろ。
男と女は互いに本能が違い、それゆえ、価値観が違い、感じ方も違うということ。
それでいて、互いに求め合うもので、その欠乏はお金でも、同性の友人でも、趣味でも補えないものであるということ。

その互いに引き合う引力は、動物が生き続ける根源的な本能に基づいているので、とても大きいってこと。

ってなことが、言いたかったのかな?あり?